ダクソかブラボとダンまちのクロス流行れ   作:鷲羽ユスラ

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ちょっとくらい投稿しても……バレへんやろ。


そして彼女は、導きに出会う

 薄緑色の洞窟が続くダンジョンの上層中部、五階層。

 黒焦げになったモンスター達の死骸に囲まれて、一人の少年が倒れている。

 白いライトアーマーを着込んだ白髪の人間(ヒューマン)だ。力なく倒れた姿は糸の切れた人形のようで、ピクリとも動く気配がない。

 その傍に、灰髪の幼女は立っていた。無表情を貫く端正な顔が、静かに少年を見下ろしている。凍てついた太陽のような銀の瞳は、半分以下にまで削れていた。

 

「馬鹿者が……」

 

 擦り鳴らされた声は掠れていて、壁に吸い込まれすぐに消える。立ちて動かぬ幼女の言葉に、答える者はいなかった。

 

 

 

 

 少し時間を(さかのぼ)れば、簡単に分かる話だった。

 魔道書(グリモア)によって手に入れた【魔法】、そしてヘスティアの物語から生み出された【奇跡】。

 一夜にして二つの魔法を手に入れたベルは、それを試したくて仕方なかった。

 けれどヘスティアに止められて、すぐにダンジョンへ向かうのは諦めた。

 ヘスティアが寝静まった後、こっそり行く事にしたのだ。

 思わずスキップしてしまうくらい浮かれたベルの後を、灰髪の幼女が追っているとも知らずに。

 そして現在、ベルはアスカの前で倒れている。典型的な魔力切れ、精神疲弊(マインドダウン)を引き起こした結果だ。

 

「全く、後先考えずに使用し過ぎるからそうなる。目を覚ましたら、まずは説教が必要か」

 

 ベルが嬉々として雷型の炎、【ファイアボルト】を乱射していたのを見ていた小人族(パルゥム)は、小さなため息を唇から零した。ついで頭を振って、ベルを担ごうと手を伸ばす。

 ダンジョンの奥から人影が二つやってきたのは、その時だった。

 

「……アスカ……?」

「アイズ。それに、リヴェリア・リヨス・アールヴか」

 

 現れたのは人間(ヒューマン)である金髪の少女とハイエルフの王女だ。冒険者の頂点、第一級を走る美しき【剣姫】と都市最強の魔道士【九魔姫(ナイン・ヘル)】。

 ダンジョン内で稀に起こる思わぬ出会いに、灰髪の小人族(パルゥム)は手を引っ込めて彼女らと対面した。

 

「こんな所で奇遇だな。探索帰りと見える」

「うん、そうだよ……そっちは、どうしたの?」

「見ての通り、私の家族である馬鹿者が精神疲弊(マインドダウン)で倒れている。浅はかな魔法行使の結果だ」

 

 少年を冷たく見下ろすアスカの平坦な声に、リヴェリアが無言でベルに近付く。屈んで少し診察した後、然もありなんと首を振った。

 

「確かに精神疲弊(マインドダウン)のようだ。しかしここまで自分を追い込むなど、よくやれたものだな」

「酔っ払いと同じだよ。分も弁えず振る舞うから、終いには倒れて無様を晒す。これで懲りれば良いのだがな」

「さて、どうかな。素直な美徳を持つ者であれば(いさぎよ)いが、捻くれ者だと苦労する。

 この少年は恐らく前者だろうが、人は見かけによらないからな。私からは何とも言えん」

「それは実体験か?」

「――いや。単なる年の功さ」

 

 アスカの言葉に翡翠色の瞳を瞬かせたリヴェリアは、フッと薄く微笑んでおどけるように肩をすくめた。

 それを横目に眺める幼女は興味なさげにしゃがみ込んで、悠々とベルを抱き上げる。

 明らかに身長のバランスの悪い横抱き、いわゆるお姫様だっこだが、気に留める者は誰もいない。危なげなく立つアスカは、クルリと体を入り口へ向けた。

 

「それでは、我らはお暇させてもらおう。お互い、特に用もあるまい」

「いや、用ならあるんだが……まあ、ここでする話でもないか。“灰”、引き止めて悪かったな」

「ああ。ではな」

 

 リヴェリアの台詞に首だけ振り返っていたアスカは、顎を引くだけの礼をして歩き出す。

 長い灰髪の小人族(パルゥム)はそのままダンジョンに消えていくかと思われたが――消え入りそうな少女の声が、歩幅の狭い足を止めた。

 

「……待って、アスカ……」

「アイズ?」

「……どうした、アイズ」

 

 アスカは再び首だけ振り返って問う。幼女を真っ直ぐ見つめるアイズの側では、リヴェリアが軽く驚いた顔をしていた。

 それに気付かない少女は、おずおずと言葉を口にする。

 

「えっと、その……ベルの事、私に任せてくれないかな」

「何故?」

「……お話、したくて。この前、声をかけた時、逃げられちゃったから……」

 

 アイズは火の消えた蝋燭のようにシュンとする。アスカは少し考えて、以前起こった街中の出来事を思い出した。

 服飾店を物色していたらベルが逃げた日の事だ。あの時はアイズの内面に踏み込み過ぎる失敗を犯したが、どうやらベルが逃亡した事も気に揉んでいたらしい。

 その点を踏まえ、あえて無視した幼女は冷めた瞳にアイズを映す。

 

「別に今でなくともいいだろう。地上で改めて席を設ければいい。

 ここはダンジョンだ。緊急性もない以上、貴公が何であれ、他派閥の冒険者に家族を預けるのは難しい」

「……そう、だよね。無理言って、ごめん……」

 

 アスカの正論にアイズはしょんぼりと頭を下げた。足元にとても悲しそうに泣く小さなアイズの幻覚が見えるくらいの落ち込みようだ。

 それでもアスカには関係ない話だが――少年を抱えた幼女が足を動かす前に、翡翠色の髪のエルフが一歩アイズの前に出る。

 

「待て、“灰”。さっき用があると言っただろう?

 よくよく考えてみれば今すぐ話した方が良い内容だ。済まんが付き合ってくれんか」

「……それでは、地上への帰還がてら話すとしよう」

「いや、できれば二人だけで話したい。お前の家族の事はアイズに任せてやってくれ。

 大丈夫だ、この子は強い。安全は私が保証しよう」

「…………」

 

 不死の幼女は半分閉じた瞳を狭めて、無言でリヴェリアを観察する。

 アイズを庇うように、もしくは手助けしてやる母親のようにリヴェリアは少女の前に立っている。森の中心に聳える大木のような姿に、アスカはしばし黙考し、目をつむって頷いた。

 

「…………分かった。ベルはアイズに預ける」

「! ……いい、の?」

「私もリヴェリア・リヨス・アールヴに話がある。良い機会と捉えよう」

「済まないな、“灰”」

 

 上品に礼をするリヴェリアから目線を移して、アスカは抱えていたベルをアイズに渡した。そのままアスカと同じようにお姫様だっこを維持するのかと思ったが、何を思ったのかリヴェリアがアイズに耳打ちする。

 するとアイズは少し考えて、その場に座って自分の膝にベルの頭を乗せた。綺麗な手で白い髪をかき分けて、何やら嬉しそうである。

 

「…………」

 

 アスカは何か言いたげにそれを見下ろしていたが、やがて大きく瞬きをしてリヴェリアに声をかける。

 

「では、行こうか」

「ああ」

 

 少年と少女を残し、ハイエルフの王女と灰髪の小人族(パルゥム)は地上に向かって歩き出した。

 

 

 

 

「それで、用とは何だ? リヴェリア・リヨス・アールヴ」

 

 階段を登って階層を跨ぎ、ベル達から完全に離れたアスカは早速本題を切り出した。前置きもない直球な言葉にリヴェリアは苦笑する。

 

「リヴェリアでいい。フルネームで呼ばれるのは好みじゃなくてな」

「そうか。ではリヴェリアと」

「そうしてくれ。私もお前の事はアスカと呼ばせてもらおう」

「好きにするといい」

 

 アスカは淡々と言葉を返す。呼び方など対して興味がないのだろう。

 取り付く島もないな、と片目をつむって、リヴェリアは構わず先に礼儀を済ませておく。

 

怪物祭(モンスターフィリア)では仲間(ファミリア)が世話になったな。先に礼を言っておく」

「こちらも世話になった。礼には値しないだろう」

「そう言うな。形式は存外大事なものだ。守って損はない」

「そうか。ではこちらも礼を言っておこう。アイズ達のおかげで楽ができたからな」

 

 歯に衣着せぬ物言いだ。アスカの率直な言葉に思わず苦笑いが浮かんでしまう。ほんの少しだけ、娘のように想っている少女と出会ったばかりの頃に重ねてしまった。

 小さく首を振って、リヴェリアは表情を引き締める。思い出に浸るのは後でいい、今はこの小人族(パルゥム)に踏み込む時だ。

 

「あの時、お前はアイズ達に武器を貸与しただろう? 確か直剣に特大剣、それから曲剣と、何だったか……」

「投擲武器の《ククリ》を幾つかだな。それがどうかしたのか?」

「ああ、借り受けた物だ。そろそろ返そうと思ってな」

 

 反応を見つつリヴェリアは言う。正面を向いたままの幼女はどうでもよさげに言葉を返す。

 

「くれてやるつもりで渡した物だ。返す必要はない」

「あれ程の武器をか? 正直、魔道士の私から見ても、相当な一品揃いだと思うんだが」

「構わんよ。供給用の武器は常にいくつか所持している。協力者の武器が尽きるなど、珍しくもない事だ」

「成程な。だが、こちらとしてはそういう訳にもいかん。色々あってな、使うには些か障りが出るようになってしまった」

「障り? そう特殊な武器を渡したつもりはないのだが」

「こちらは返すつもりだったからな。礼を失せぬよう、懇意にしている鍛冶派閥に整備を頼んだんだが……鍛冶師(スミス)がこぞって「これを造ったのは誰だ!」と騒ぎ出してな……

 主神に至っては「こんな武器はありえない」と断言した。おかげで混乱が膨れ上がり、整備どころではなくなったので、回収して今は倉庫に死蔵している。

 整備をせねば武器として信頼できず、かと言って鍛冶師に頼めば整備どころではなくなる。困った事になっている訳だ」

 

 肩をすくめたリヴェリアがちらりと横目で隣を見下ろすと、銀色の光が見返していた。こちらの話に興味を持った様子にリヴェリアは内心驚く。

 

「『こんな武器はありえない』? それはどういう意味だ」

 

 尋ねる声は擦り切れている。普段と変わりない、だがじっと見続ける銀の半眼に、リヴェリアは視線を正面に戻して事実のみを述べる。

 

「……鍛冶師達が言うには、品質と性能がまるで釣り合っていないらしい。

 銀色の直剣を除き、武器自体の出来栄えは可も不可も無し。ただの量産品にしか見えないにも関わらず、《ククリ》を除く武器は第二等級武装の中でも上位に位置する性能だそうだ。

 しかしその理由をいくら調べても、全く分からない。終いには破壊して穿鑿(せんさく)しようとしたので回収した。

 主神に見せたのは銀色の直剣だけだが……曰く、『明らかに神の手が加えられた武器。にも関わらず、神々さえ知らない未知の手法で鍛えられていた』――との事だ」

「成程……だからありえない、か」

「ああ、そんな矛盾した代物が存在する筈がない。例え『神の力(アルカナム)』によるルール違反の武器だとしても、他ならぬ神が見逃す訳もない。

 アスカ……お前は一体、何処であの武器を手に入れたんだ?」

 

 足を止め、今度は明瞭に顔を向けて、リヴェリアははっきりと問い掛ける。理知の灯った翡翠の瞳は、暗い銀光を完璧に捉えていた。

 沈黙は許さない。そんなある種の圧をハイエルフの王女は放っている。だが無表情を貫く幼女は、立ち止まったリヴェリアに対し不思議そうに首を傾げ、事も無げに答えを返した。

 

「火の時代の産物だ。旅路の中、拾い集めたいくつかの一つ。その辺りは既に語ったと記憶しているが」

「…………ああ、そうだ。そうだったな」

 

 項垂(うなだ)れるように頷いて、「足を止めて悪かった」とリヴェリアは歩き出す。小走りで横に並びトコトコ歩くアスカを尻目に、硬い表情のハイエルフは目を細めて黙考する。

 

 火の時代。ロキが全面的に真実と認めた今でさえ、到底信じられない荒唐無稽な「神の時代」。

 それは千年前に「古代」から推移した現在の「神代」とは全く異なる、誰も知らない時代である。

 最初の火というあらゆる差異をもたらした炎。それが灯り、消えるまでの物語。

 火が消えかけた時代の中で不死の呪いを受けた“灰”は、薪の王となるべく旅をした。

 意志を失くした亡者、混沌より生まれしデーモン、滅びてなお忠義を尽くす騎士、放浪するかつての英雄。

 そして――火の時代を築き上げ、守り続けた数多の神々。

 旅路に隔たるその全てに、殺され、殺し、ソウルを奪った。

 そうして“灰”は薪の王となり、火を消した“灰”は狂王となった。

 

 そう足り得たのはひとえに不死であったからだと、あの時のアスカは語っていた。

 “ソウルの業”や『神の恩恵(ファルナ)』によらない能力(ステイタス)は、さして重要ではなかったとも。

 【ロキ・ファミリア】にとってはそれこそが最も重要であったのだが、それを聞く前にアスカは【ヘスティア・ファミリア】に所属し、もう聞く事は出来なくなった。

 

(……それが残念だ、と考えるのは、流石に身勝手が過ぎるな。未だ信じ切れてもいないというのに、好奇心だけは貪欲とは)

 

 自身の心の有り様に苦く笑って、リヴェリアは表情を引き締め直す。

 “灰”。今はアスカと呼ぶこの小人族(パルゥム)の幼女は、誰も知らない『未知』の塊だ。それを探り『既知』に変えていく事は、なんであれ派閥の利益になる。

 それは冒険者としてマナー違反だが、致し方あるまい。常識的かつハイエルフの王女として気高いリヴェリアでも、迷宮都市の流儀は弁えている。

 つまりは、隙を見せた方が悪い。怪物との戦いが冒険者の華、強者こそ正義であるオラリオにおいて、誰もが当然とする常識だった。

 

(とはいえ、礼節に欠ける行為は無論慎むべきだが。アスカに関してはどうも、な。

 何せこの小人族(パルゥム)は隠す事をしない。行動の結果注目を集めてもどうでもいいと考えている節がある。

 知られても問題ないから……ではないな。むしろ知られるのは当然といったところか。その上ですべき事は何も変わりはしない。そう認識していると考えるのが自然だ。

 おそらくアスカには、確固たる目的がある。そしてそれを果たす事以外に興味がない。でなければ我々に“ソウルの業”など容易く見せないだろう。

 “ソウルの業”は知れ渡るだけで世界の有り様を変えてしまう。大部分は『禁忌』として明かさなかったが、触りだけでも取り込むべきと判断するに十分な有用性を示していた。

 この小人族(パルゥム)がそれを分からない筈もない。やはり、周囲への影響など露ほどにも考慮していないのだろうな)

 

 厄介だ、とリヴェリアは思う。同時にそれは冒険者として当然の性だとも。

 冒険者は大抵が自分の規範(ルール)で動く。夢、欲念、金、渇望――自らの我に従って命を賭ける者たちが、義務と協調で成り立つ社会に易々(やすやす)と従う訳がない。

 善神の【ファミリア】に入団したのは僥倖と言えるだろう。もしも愉快犯の神の元に渡っていたら、目も当てられない惨状になっていたかも知れない。

 リヴェリアはアスカの来歴は知っていてもどれだけの力を有しているか分からない。だからこそ恐ろしいのだ。

 神を殺したと豪語する程の存在――そんな『未知』を侮るなど、日々ダンジョンに挑む第一級冒険者であるリヴェリアにできる事ではなかった。

 

(……ああ。『未知』と言えば、アスカの使う【魔法】もまた、火の時代の産物なのだろうな)

 

 長考する内にリヴェリアの思考は脱線する。アスカの『未知』の中で最も興味を惹かれる分野に。

 

(『対象を結晶化させる魔法』、『広範囲を凍結させる魔法』、そしてフィン達が見たという『強力な光線の魔法』……今思い起こしても、やはりあれらは『未知』の魔法だ)

 

 今も記憶に強く焼き付いているアスカの【魔法】。都市最強の魔道士であるリヴェリアは、既にその特異性を見抜いている。

 

(詠唱、魔法円(マジック・サークル)、いずれも必要とせずあの威力を生み出せるのも気になるが、重要ではない。最も注意を払うべきは魔法行使の方法だ。

 あの時のアスカは――魔力の扱いが()()()()()()だった)

 

 リヴェリアは脳裏に記憶を奔らせる。二度の魔法行使を果たした幼女の姿を。

 魔力制御に関しては非の打ち所がなかった。練り上げ、保持、最大量、どれをとっても一級品。

 特に完全後衛職の魔道士に必須とされる『大木の心』についてはリヴェリアでさえ脱帽する程だ。

 何に於いても揺るぎない精神。それはこうして接触する度にまざまざと見せつけられている。

 だからこそ、あの不自然さは容易に目についたのだ。練り上げられた膨大な魔力、それを魔法として撃ち出す際の扱いの雑さは、当時のリヴェリアの肝を冷やすに十分な光景だった。

 

(【魔法】とは詠唱によって砲身を作り上げ、魔力を装填する事で発動する。

 そして砲身もまた魔力だ。詠唱が長文になる程、巨大な砲身を作り上げ、維持し、それに値する魔力を練り上げて保持しなければならない。

 故に必要なのは詠唱技術と魔力制御。そしてそれらを統括する何事にも動じない『大木の心』。

 その観点から見れば、あんな真似は自殺行為でしかない。魔法を撃つ瞬間に雑な扱いをするなど、『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』を故意に引き起こすようなもの。

 だからこそ、あの【魔法】は異質だった。あれはアスカの魔力制御が桁外れだから成立したのではない――雑な魔力の扱いでも成立する(ことわり)が、【魔法】の側に存在していたんだ)

 

 根本から異なる別物。あの時そう判断した違和感の正体こそ、リヴェリアが見出した事実。

 【魔法】のようで【魔法】でない――火の時代に生まれし【異法】。

 それがアスカの【魔法】だと、都市最強の魔道士は断じていた。

 

(――知りたい。アスカの持つ【魔法】を、アスカの知る『未知』を。

 誰も知らない、見た事もない――好奇に溢れる、まだ見ぬ世界を)

 

 そこまで考えてはたと、リヴェリアは思考が脱線していた事に気がついた。

 周囲を見れば既にダンジョン一階層。地上へと続く階段も間近な大通路、『始まりの道』に差し掛かっている。

 

(しまった、考えに没頭しすぎたか)

 

 リヴェリアは失策を悟り、堪えるように額へ手をやる。本当ならもっと尋ねるべき事があったのだが、時間を無駄に使ってしまった。

 ハア、と失態を演じた自分に吐息を落として、リヴェリアはちらりと隣へ視線を落とす。

 アスカは特に気にせず歩いていただろうなと思っての事だが――予想に反し灰髪の小人族(パルゥム)は、凍てついた太陽の瞳をじっとこちらに向けていた。

 

「随分と長く考えていたな。余程気になる事があると見える」

「ああ、いや……大した事じゃない。武器の処遇をどうするか、決めあぐねていただけだ」

「私はどちらでもいい。どちらにしろ、そう違いはない。それよりも一つ、尋ねたい事がある」

「何だ?」

「貴公の二つ名、【九魔姫(ナイン・ヘル)】の由来だ。

 本来魔法は三つしか覚えられない。それは『神の恩恵(ファルナ)』において絶対であり、それ以上魔法を覚えられるのは精霊くらいなものだと。

 だが貴公は、都合九つの魔法を使うという。三種の魔法を三段階、故に【九魔姫(ナイン・ヘル)】と讃えられた。それが真実か、私は尋ねたい」

「…………それを私が答えると思っているのか?」

 

 やや物騒な光を瞳に湛えて、リヴェリアは呆れたように問い返す。その心は礼儀(マナー)の未熟な子供を叱る母親のそれだ。

 冒険者の情報秘匿。それはオラリオにおいて当然であり、神々が下界を楽しむための大いなる戒律(ルール)だ。たとえ都市中に知られた自明であり、同時に破られるものであっても、正面切って尋ねられたら「はいそうです」と頷ける訳がない。

 それを翡翠色の髪のエルフの剣呑さから察したアスカは、「済まない」と一言添えて、質問の内容を変更した。

 

「では、都市最強の魔道士とはリヴェリア・リヨス・アールヴである。それが間違いではないか、私は尋ねたい」

「……それは間違いない。自賛になるが、現時点で私以上の魔道士などオラリオには存在しない。それは確かだ」

「そうか……ふむ、そうか。ならば貴公が最適やもしれんな」

「……何の話だ?」

 

 一人納得した仕草を見せる幼女にリヴェリアは訝しげな顔をする。

 だが、それを問う時間はもうない。既に階段を登り切り、バベルの正面に二人は出ていた。深夜も過ぎ、人一人見当たらない神の塔の下で、アスカはいつもの暗い半眼でリヴェリアを見上げる。

 その瞳に映るエルフは、“灰”にとって利用価値のある魔道士だった。

 

「リヴェリア。一つ提案がある。

 いくつか条件はあるが、貴公――【魔術】を学ぶつもりはないか?」

 

 何気なく告げられた一言に、翡翠色の双眸は見開かれ。

 立ち尽くしていた二人は、やがて足取りを同じくしてバベルから去っていった。

 

 

 

 

「……それで、何故貴公らはここにいる?」

「ああ、別に気にしないでくれ。少し様子を見たくてね」

「せやせや。邪魔はせえへんから、うちらにはお構いなく始めてくれてええでー」

 

 【ロキ・ファミリア】本拠(ホーム)、『黄昏の館』。

 夜の闇が長邸を包み込み、夜番に励む団員以外が寝静まる中、魔石灯に照らされる噴水の周りには4つの人影が伸びている。

 金髪碧眼の小人族(パルゥム)、翡翠色の髪のエルフ、にやにやと笑みを浮かべる赤髪の女神。

 その三人を前に、濃い青色の魔術コートの上に灰色のローブを被ったアスカは、面倒そうに鼻を鳴らした。

 

「……まあいい。邪魔立てしないなら好きにしろ」

 

 “灰”が今必要としているリヴェリア以外の二人、フィンとロキがいるのは致し方ない流れだ。

 自分の一存では決められないとリヴェリアはアスカを伴ってホームに帰還した。門番には内密の件で連れてきたと伝えて通し、途中で見かけたロキを引き連れて団長室に直行したのだ。

 そのまま四人で突発的な密談が始まったが、話は早々にまとまった。

 利益が不利益を上回った、それだけの単純な話である。

 ロキの鶴の一声で【魔術】の習得を許可されたリヴェリアは、相変わらず“灰”を見極めようとするフィンと妙に友好的な態度を取るロキに片目をつむりつつ、幼女と向き合う。

 見た目の上では王族妖精(ハイエルフ)が教師で小人族(パルゥム)が教え子のようだが、内実逆の二人は最後の摺り合わせを行った。

 

「では、リヴェリア。貴公にこれより【魔術】を教授する。同時に【魔術】に限った質問ならば可能な限り答えよう。

 その代わり、条件は必ず守ってもらう。異論はないな?」

「ああ、問題ない。早速始めてくれ」

 

 毅然とした態度でリヴェリアは頷く。ここから先は誰も知らぬ火の時代の領域、自らを何も知らぬ赤子に見立てて貪欲に学ぶ姿勢を示した。

  期待通りの反応にアスカも一つ頷いて、《魔術師の杖》で地面を突く。赤煉瓦の石畳に響く簡素な音を皮切りに――火の時代の【異法】と現代の魔道士の交わりが始まった。

 

 

 

 

 ソウルとは何か。その問いに対する定義と答えは星の数ほどあるが、共通して言えるのはそれが万象の根幹を為しているという認識だ。

 ソウル。最初の火が熾る前、灰色の岩と大樹と朽ちぬ古竜の時代より、それは世界に偏在していた。

 有形無形を問わず、生死の境すら意味を為さない。何がしかが世界に零れ落ちる度に宿り、揺れ動き、やがて形を為し、何時しか主なきソウルへと還る。

 どこからか来て、どこかへ行く。誰一人底を見た事のない無限の力は、本物の不死たらんとする者にとって永遠に探求すべき事象であった。

 ソウルの根源を探り、ソウルの業を磨き、ソウルの理を知る。どこまでも深く、奥底へ。その過程において見出された魔力は、ソウルの探求にこれ以上ない有用な力だった。

 魔力を通しソウルを求める。長い研究の中でそれは論理となり、鍛錬となり、一つの学問体系となった。

 【魔術】。現代の魔法とは全く異なる、火の時代の【異法】。

 その始まりは、ただ一匹のウロコのない白竜であるという。

 

「――……(にわか)には信じられんな。一匹の竜が学問を形成し、【魔法】を生み出すなど。

 お前の話でなければ、いやそうであっても耳を疑う。正体を()くした狂人の夢、大法螺吹きの戯れ言と言われた方が、まだ信じられる話だ。ああ、だが……」

「全て真実だ。魔術の祖は白竜シースであり、全ての魔術は彼の竜の源流を汲む。

 そして本質は探求の道であり、極論を言えば魔術を使えない魔術師も成立し得る。ソウルを理解し手にする者は、魔術に拘らずともソウルの力を得られるからな。使える使えないは二の次だ。

 最も、私にとってはただの道具に過ぎないが。貴公には真の意味での『魔術師』になって貰いたい。

 すなわち、ソウルの探求者。魔術を扱う者ではなく、魔術を介し求める者。

 火の時代が(つい)に至らなかったソウルの果て。その業を貴公が継ぐのだ。

 継承とは、古い遺志に依るのなら、きっとそれが相応しかろう」

「…………」

 

 擦り鳴らされる声に答えず、リヴェリアは思考の海に没頭している。常に冷静で広い視野を持つ王族妖精(ハイエルフ)には珍しい、自分の世界に閉じ籠っている姿だ。

 長年の付き合いがあるフィンでも稀に見る光景だ。「リヴェリア?」と声をかける小人族(パルゥム)の勇者を余所に、道化の女神は急かすようにひらひらと手を振る。

 

「歴史の話はそれくらいでええやろ。それよりはよ、魔術の実物を見せてくれへん? うちもう待ちきれんわ」

「……別に貴公に教えるわけではない。待てないのなら立ち去るがいい」

「え〜、アスカたんいけずやわぁ〜。話だけやのうて実演して欲しい言うんは当然やんか〜。

 なっ、リヴェリアもそう思うやろ!」

 

 アスカの冷たい眼光に物怖じせずロキは隣に同意を求める。リヴェリアが娯楽を愛する(ロキ)以上に魔術に興味を示しているのを踏まえての発言だったが、帰ってきた言葉は少し様子がおかしかった。

 

「そうだな。竜が始祖の魔法というなら、竜に特有の思考や仕法が反映されている筈だ。それを改変し人類に理解できるようにした、いやむしろ根底に据えて人類の手を加えたと考えるべきか」

「え……リヴェリア?」

「ならばあの威力も得心がいく。竜の力、竜の息吹――そうだ、あの結晶の魔法、いや魔術は竜の息吹(ドラゴン・ブレス)そのものだった。魔法円、詠唱、いずれも必要としない訳だ。竜のそれならば冗長に力を行使する理由がない。

 人の身に余る力の権化。(ドラゴン)とは元よりそういう怪物なのだから」

「ちょっ、リヴェリア!? 自分どないしたん!? 目がごっつうギラギラしとんでっ!?」

 

 顎に手を添えたままぶつぶつと喋るエルフの姿にロキは仰天する。慌てて肩を掴んで顔を見るも、美しい翡翠色の瞳は狂熱に浮かされたように輝いている。

 「これはあかんっ!?」そう直感したロキはフィンに目配せする。異変を感じ取っていた彼も強く頷いて、二人ががりで詰め寄った。

 

「落ち着けリヴェリア、君らしくもない。僕の知っている頼れる副団長は、いつも冷静沈着だった筈だ」

「せやせや、フィンの言う通りや! 今のリヴェリアはなんかあかんっ、踏み込んじゃいけんところに踏み込んどるでっ!」

「二人とも何を言っている、私はいつも通りだ。そうだとも、探求ならば何も変わらない。最初からそのために故郷を飛び出したんだ。ダンジョンだろうとソウルだろうと、ああ、挑んでやるさ。邪魔などさせるものかよ……誰にも……誰にもだ……!」

「リヴェリアーっ!?」

「これはまずいな……」

 

 焦点の合わないエルフを必死に揺さぶるロキを余所に、フィンは思考を巡らせる。佇む灰髪の小人族(パルゥム)に一瞬視線を向け、すぐに切り上げたフィンは、リヴェリアの袖を掴んで強引に噴水の(ふち)まで引き寄せた。

 

「何をする、フィン」

「何度でも言うよ、君らしくない。未知を前に昂ぶる君は記憶にあるけれど、そこまで我を忘れなかった筈だ。

 少なくともこの水面に映っているような野蛮に過ぎる顔なんて、君はしなかっただろ?」

「…………」

 

 強く睨みつけるリヴェリアに臆せず、フィンは噴水を指差す。天に昇っては落ちる水の群れは水面を強く波立たせているが、視線を落としたリヴェリアの眼光がいかなるものか、十分に反射していた。

 揺り返される輝きにリヴェリアは無言のまま、緩慢な動作で双眸を閉じて目頭を揉み、ゆっくりと長く息を吐き出す。そして二人に頭を下げた。

 

「……済まなかった。熱が入り過ぎていたようだ」

「ホンマか、リヴェリア? 少し疲れてるんとちゃうん? 大丈夫? おっぱい揉む?」

「調子に乗るな」

「ぐへぁっ!? ちょっ、杖で殴るのはなしやって! 冗談、ジョーダンやから! ……でも良かったぁ、いつものリヴェリアや」

 

 頭をさすりつつ安心したようにロキは笑う。暇つぶしと、そして子供たちを愛する普遍的な神の笑顔に「心配をかけて悪かった」とリヴェリアはもう一度謝った。

 それを「やれやれ」と苦笑して見守っていたフィンは、そのままアスカへ言葉を投げる。

 

「それにしても、あんなに熱中したリヴェリアを見るのは初めてだ。原因が何か、君は知っているんじゃないかい?」

「おそらくソウルの影響だろう。ソウルとは一説に思考の糧、世界を理解するための元素(エーテル)という。啓蒙によってソウルを知り、流れ込む事で、一時的に意識を狂わせる事もある」

「成程ね。できれば事前に言ってほしかったけど、そうしなかったのはあまり危険じゃないからかな?」

「そうだ。通常はあくまで一時的なものであり、そも稀な事例だ。現に貴公に影響はない。

 私としては歓迎している。ソウルへの感受性の高さは才能だ。加えて智慧(ちえ)もある。先の考察は的を射ている。

 リヴェリア。実演がてら、魔術の在り方について説明しよう」

 

 アスカはそこで言葉を切って、てくてくとその場を離れる。疑問符を浮かべる三人を余所に、自身の器から鎧を取り出し、ソウルを詰めてその場に立たせた。

 隙間なく鉄で覆われた重甲冑だ。兜の細いスリット以外露出のないそれを置いてアスカは戻ってくる。そして注目を向けるように杖の先を鎧に合わせ、古鐘の声を擦り鳴らした。

 

「魔術師の理想は『竜の二相』と呼ばれている。白竜シースの求めた朽ちぬ古竜の姿、その内面と外面を象ったものだ。

 その外面は『(たたず)む竜』。永遠を生きる古竜の静謐、揺らがぬ大樹と重い岩。逃れ得ぬ定め、移り行く淀みに佇む竜こそ、ソウルの本質を示している」

 

 杖を掲げ前に傾けたままピタリと静止するアスカは、緩やかな詠唱を口ずさむ。白竜が構築した学問体系、完璧な理の上に蓄積する魔力は驚くほどの滑らかさで魔術の砲身を練り上げる。

 数度目撃したフィンとリヴェリアは元より、既存の魔法をよく知るロキもアスカから放たれる力の波動に瞠目していた。既存の魔道士の魔法行使に見られる力強い魔力、決壊を呼ぶ荒々しさなどそこにはない。

 深く静かに、何事もなく。詠唱は止まり、魔術は発動寸前まで構築される。

 

「ここまでが竜の二相の外面だ。『佇む竜』に問われるのは技量と集中力(フォーカス)……こちらでは精神力(マインド)だったか。

 精神力(マインド)の量が規模を決め、技量が詠唱の精度を上げる。優先度は無論、精神力(マインド)だ。技量は必須ではない。より高い魔術師であらんとする者が最後に至る研鑽の道と言えるだろう」

 

 そこまで説明してアスカは横目で三人を見る。銀の瞳が見定めるのは理解の度合いだ。

 リヴェリアははっきりと頷き、フィンは腕を組んで首を傾げつつ片目をつむり、ロキは興味深そうに口の両端を吊り上げている。

 教授すべきはリヴェリアだけなので、彼女の理解が十分と判断したアスカは次の工程に進んだ。最大まで強化された理力を用い、膨大な魔力を練り上げる。

 

「魔術師の理想、竜の二相。

 その内面は『吠える竜』。時代に轟く古竜の咆哮、無限を満たす力の奔流。神々が抗い、滅びてなお豪然(ごうぜん)たる吠える竜は、ソウルの偉大な力を示している」

 

 噴き上がる魔力は構築された魔術に注がれる。集中力(フォーカス)が魔力に変換され、魔力が主なきソウルを呼ぶ。

 青白い輝きが集い、構築された魔術に収束し――最大級の【ソウルの矢】が鎧に向かって放たれた。

 キィン、と独特の高音が鳴る。澄んだ硝子(ガラス)の響きのような音と共に光の矢が(はし)り、鎧の胴体に突き刺さった。

 金属音と爆発音の二重奏。青白い光が火花となって散り、音を立てて鎧が倒れる。重厚な鉄の胴体が、遠目から分かるほどへこんでいた。

 

「竜の二相の内面、『吠える竜』に問われるのは純粋な理力。魔術の深奥、ソウルの理を解する力。

 同じ魔術でも理力が低ければ(いし)飛礫(つぶて)に劣り、最大であれば鎧越しでも十分なダメージを与えられる。

 竜の二相を以てソウルを力とし、竜に依ってソウルを探求する。それが魔術であり、それこそが魔術師だ。

 リヴェリア。ここまでで何か質問はあるか?」

 

 掲げていた杖を地面に降ろし、アスカはリヴェリアへ問い掛ける。食い入るように目を凝らしていた彼女は早速口を開きかけるが、その前に神速で手が上がった。

 

「はいはーいっ! 今の魔術ってうちの眷族()が見た三つの内のどれに当たるんっ!? うちの見立てやとビーム撃つ魔術やと思うんやけどっ!」

「…………」

「無視かいな!?」

「……済まん、アスカ。私も気になる、答えてくれ」

 

 先んじたロキに頭を痛めつつリヴェリアは言う。聞きたい事は別にあったがロキの質問も気になるところだ。

 だが言葉を受け取ったアスカは、ゆったりと首を振った。

 

「以前貴公らの前で使用したどの魔術にも当てはまらない。

 【ソウルの矢】は魔術師の最も基礎的な魔術だ。系統としては【白竜の息】が最も近く【ソウルの奔流】【瞬間凍結】それらに該当する魔術ではない」

「へ……?」

 

 何気ないアスカの回答にロキは間抜けな表情を晒す。リヴェリアとフィンもその意味をすぐに理解できない。

 奇妙な空白が彼らを覆った。停止した三人にアスカは首を傾げ、ふと思い出したように歩いて倒れた鎧を立て直す。へこんだ個所に【修理】を施し、元に戻して帰ったところで、ロキが錆びた歯車のようにギギギと喉を震わせた。

 

「いや、え? 冗談きついで……?」

「何がだ?」

「何がって……魔法は三つしか習得できへんやんか……なのに自分いま、四つ目の魔法、使ったんか……?」

「ああ、その事か」

 

 様子のおかしい三人の心情を理解したアスカは、事もなげに言い放った。

 

「【魔術】はこちらの【魔法】と系統が違う。文字通り【異法】であり、こちらの理に縛られない。故に魔術は三つ以上習得できる。それだけの話だ」

「…………マジで?」

本当(マジ)だ」

「……………………はああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!?」

 

 月も傾き始めた深夜の『黄昏の館』に、(ロキ)の絶叫が轟いた。

 

「みっ、三つ以上って、それホンマかっ!? うちらを(たばか)ってるわけじゃないんやろなっ!?」

「それをする理由が私にはない。そもそも何をそんなに驚く? 魔術は『魔法スロット』を埋めずに覚えられると、最初にそう伝えただろうに」

「せやなっ、それは聞いとったわっ! せやからうちは許したんや! リヴェリアの『魔法スロット』はとっくに埋まっとるから、それを超えて魔法覚えられるんならやる価値ありまくりやからな!

 けどな、それでもプラス三つしか覚えられんって普通思うやろ!? まさか四つ目の魔術があるとか思わっ…………!?」

 

 怒鳴り散らしていたロキは急に顔色を変えた。茹だったタコのような赤色からサッと血の気の引いた顔に、アスカは「どうした?」と首を傾げる。

 それに答えずロキはかっぴらいた目で眷族を見た。同じように驚愕を貼り付ける二人の顔も、ロキと同じ結論に達したのか軽く青褪めている。

 そんな子供たちを朱色の目に映し、ごくりと唾を飲み込んで、ロキはアスカに向き直る。そして恐る恐る、確かめるべき事を言葉に変える。

 

「ちょ……ちょっと待ちぃや……じ、自分、一体いくつ魔術を使えるん……?」

 

 恐怖が好奇心を上回る質問。聞きたくない思いを堪えて絞り出された声に、やはりアスカは呆気無く回答する。

 

「四七だ。同系統の魔術も多い関係上、実戦で扱う数はそれより減るがな」

 

 「学問ゆえ、致し方ない側面だ」そんな言葉をアスカは付け加える。だが三人は、特にリヴェリアには数字しか聞こえていなかった。

 四七。よんじゅうなな。それを理解した瞬間――都市最強の魔道士は、ふらりと体勢を後ろへ崩した。

 

「っ! リヴェリアっ!」

 

 どんな時でも冷静さを失わないフィンが倒れるエルフの体を支える。胴体に手を回して噴水の縁に座らせ、水に落ちないよう支え続ける。

 そうされるリヴェリアは表情が完全に抜け落ちていた。茫然自失、その言葉を地で行く王族妖精(ハイエルフ)は、やがて長いため息を吐く。

 

「……見誤っていた。最初から思い至って然るべきだった……アスカに常識が通用しないなど、散々見せつけられて来ただろうに……

 四七、とはな。レフィーヤの例があるとはいえ、あれも常識の範疇だ。あって精々私のような魔法特性くらいだろうと考えていた。全く甘いな、なんて甘い。

 学問体系とはよく言ったものだ。たった一人がそれだけの魔法を覚えられるなら、確かにそうもなるだろう。そしてなお、それでも届かぬ高みか……

 ああ――遠いな。私の辿ったこれまでの、何よりも……」

「リヴェリア……」

 

 常に凛として周囲の柱となっているリヴェリアの重苦しい姿に、フィンは口を噤む。

 彼とて砕かれる常識に空恐ろしいものを感じている。ロキなどさっきから頭を抱えて「チートや、インチキやっ! うちゅうの ほうそくが みだれる!」などと喚いている。

 神ですらそうなのだ、魔道士であるリヴェリアはそれ以上だろう。この場の誰よりも魔法の理を理解しているのは彼女なのだから。

 だからこそ分かるのだろう。これから挑もうとする道のりの、あまりに遠い険しさを。

 かける言葉が見つからなかった。だが同時に、フィンは信頼していた。

 リヴェリア・リヨス・アールヴが、ただ打ちのめされただけで終わるはずがないと。そしてそれは、すぐに証明される事となる。

 

「――何か質問があるかと言ったな、アスカ」

「ああ」

「では聞くが、魔術には『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』がないんじゃないか?」

 

 項垂れたまま口角を上げるリヴェリアが、確信をもって問い掛ける。何をどう考えたらその結論に至るのか、専門外のフィンは瞠目するが、アスカは当然のように首肯する。

 

「そうだな。私の知る限り、『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』に該当する現象は魔術には存在しない」

「その理由はおそらく、魔術が強固な理の上に成り立っているからだろう?

 学問体系と言うくらいだ、それも我々の魔法のような一人三つのオリジナルではない――そうだな、例えるなら規格化された研究分野。

 相応に専門的な才覚を要求されるが、確立された広範で安全な技術。私にはそのように見える」

「ほう……やはり、鋭いな」

 

 翡翠色の髪の隙間に光る瞳に、暗い半眼を尖らせる。アスカの見立て通り、リヴェリアは非常に智慧(ちえ)が回る。

 ともすれば期待以上の見返りを得られるだろう。そう考えつつ、答えを返す。

 

「確かに魔術はソウルの理を利用した技術だ。魔力を通しソウルを呼び、魔術を通しソウルを操る。

 魔力はソウルの呼び水であり、多くの場合、魔力そのものを利用するわけではない。魔力を直接扱う事もあるが、やはりそれもソウルの理に依っている。

 またソウルは魔術によって性質を変化させている。魔術が消えれば、ソウルはただの主なきソウルだ。何も為さずに還っていく。故に『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』という現象が存在しなかったのだろう。

 無論、こちら側にはこちら側の理がある。貴公らの魔法によっては魔術であっても『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』を起こす可能性は十分にある」

「当然の予想だ。検証には時間がかかりそうだが……いずれ明らかになるだろう。そのために私は魔術を学ぶのだからな」

「うむ、良い心掛けだ」

 

 頷くアスカにリヴェリアは不敵に笑い、フィンに礼を言って立ち上がった。見上げる横顔にもう大丈夫だろうと微笑んだフィンは未だ混乱の渦にいるロキの元へ向かう。

 噴水の側で向き合う二人。図らずも当初の望み通りになったアスカは、火の時代の魔法において重要な概念を説明する。

 

「それでは早速、貴公に【ソウルの矢】を実践して貰いたいが、その前にもう一つ教えておくべき事がある。魔術に限らず、全ての魔法に必要な『記憶スロット』についてだ」

「『記憶スロット』? 『魔法スロット』のようなものか?」

「似通った概念ではある」

 

 呟いて、アスカは再び杖を掲げる。今度は長々と詠唱しなかった。慣れ親しんだやり方、『記憶スロット』に刻まれた【ソウルの矢】を発動する。

 一秒足らずでソウルは集い、青白い光の矢は発射された。先と同じく鎧にぶつかり、倒れ、同じようなへこみができている。

 先の魔術の焼き直し、だが比べるのもおこがましい行使速度。これを杖で指し、アスカは滔々と語る。

 

「これが魔術行使の標準速度だ。先ほど見せたのは元来の使い方、原始より教授の過程にしか見られない古いやり方だな。

 この違いは『記憶スロット』にある。『記憶スロット』は魔法を刻み込む記憶の枠であり、記憶に刻まれた魔法は詠唱を削減できる。その幅は今見せた通りだ」

「……それは全ての魔法に適応されるのか?」

「全てだ。一つの例外もなく、『記憶スロット』に記憶できない魔法はない。

 故に火の時代の戦闘において、魔法は『記憶スロット』に記憶できるだけの魔法に限定された。どんなに強力な魔法であっても、元来の行使速度では話にならないからだ。

 こちらではそうでもないようだが。だから貴公、既に思い当たっているだろう?」

「…………どうすれば『記憶スロット』に魔法を刻み込める?」

 

 話の途中から険しい顔をしていたリヴェリアは率直に問う。ともすれば【魔術】以上に、『記憶スロット』の可能性を都市最強の魔道士は見ていた。

 だが、それを知ってアスカは首を横に振る。

 

「まずは【ソウルの矢】を記憶してもらおう。貴公は心配ないだろうが、生まれついて『記憶スロット』のない者もいる。確かめねばなるまい。

 それに第一は魔術の習得だ。貴公の推測は、その後に検証するといい」

「そう、だな。逸る必要はないか」

 

 呟くリヴェリアに首肯して、杖を背中に差しアスカは右手を前へ向ける。(かしず)く者へ与えるように伸ばされた手のひらに、小さな光は煌々と輝いた。

 異質な光だ。火や太陽、月、星などの自然のどの輝きとも違う。ダンジョンの淡い燐光や結晶(クリスタル)の反射光でもない。最も近いもので表現するのなら、暗闇、だろうか。

 集い輝く暗闇、そんな矛盾した表現の似合う奇妙な光に、リヴェリアは少し魅入られていた。それに構わずアスカは眼を閉じ、永い歳月の中で体得した火防女(ひもりめ)の姿をとる。

 

「それでは、私の中の暗い魂に触れたまえ」

「……この光に触ればいいのか?」

「それでもいい。我らのやり方に(なら)うなら、(ひざまず)くのが通例だ」

「ならばそちらに合わせよう。お前の前では立場など、大して意味のないものばかりだ」

 

 厳かに語られる灰の言葉にリヴェリアは即座に従う。王族妖精(ハイエルフ)の矜持を隅に置き、膝を折って頭を下げる。

 暗闇に満ちた瞳の中でそれを感じ取り、アスカは暗い魂を通してリヴェリアのソウルに触れる。

 その在り様は、アスカの予想とは違う形だった。

 

「――……ああ、もういいぞ」

「分かった。……これは、何か変わったか?」

「私を通して貴公は自らのソウルに触れたのだ。より明確にソウルを感じ取れるようになっただろう。

 さあ、眼を閉じ、瞳の奥に集中しろ。記憶の中に今ならば、魔法を刻むソウルの領域が視える筈だ」

 

 立ち上がって新たな感覚に戸惑っていたリヴェリアは、言われるがままに行動する。眼を閉じ、表情を強く引き締め、やがて自らのソウルに空いた記憶の回廊を手中に掴んだ。

 

「見つけた……! これか、これが『記憶スロット』か……!」

「貴公の『記憶スロット』は一つだ。正直、意外な程に少ないが、それでも【ソウルの矢】程度なら十分な容量と言える。

 それでは、記憶を始めよう。私がもう一度【ソウルの矢】を詠唱する。それを記憶に刻み、魔術を得るのだ。

 そして貴公は、最初の魔術師となるだろう」

 

 アスカの言葉に強く頷き、リヴェリアは集中する。『記憶スロット』に魔法を刻む、それは決して慣れぬ作業だったが、朗々と響く声は欠ける事なく完全に記憶の回廊に刻まれた。

 唱えられる詠唱も終わり、少し後。ゆっくりと翡翠色の瞳を外気に晒すリヴェリアは、自らの杖を(しか)と握る。そして双眸をアスカが立て直した鎧に向け、杖の先で捉えた。

 リヴェリアの持つ魔道士専用武装、《マグナ・アルヴス》が強力な魔力の輝きを放つ。下界の中で『至高の五杖』に数えられる最上級魔杖は、九つの最高位の『魔法石』によって魔力を最大まで増幅する。

 更にリヴェリアの基本アビリティである『魔力』、発展アビリティ『魔導』、スキルによって更に魔術は強化される。杖を構え、魔法円(マジック・サークル)が展開、ソウルが収束し、【ソウルの矢】となって放たれる。

 わずか一秒弱で射出された青白い光は、アスカのそれより巨大で強く輝いていた。着弾の二重奏も重く響き、鎧はバラバラに弾け飛んだ。

 

「素晴らしい。私の見立ては正しかった。やはり貴公は、良い魔術師になる」

 

 期待以上の結果にアスカは手放しで賞賛した。そこには嫉妬や羨望などない。そんな感情はとうに忘れ去っているし、自分より強い者など枯れ果てるほど知っている。

 対しリヴェリアは、ただただ驚嘆していた。威力もそうだが、最も驚くべきはその使用感。魔法という括りにあって今までにない感覚に、湧き上がる興奮を抑えられない。

 

「凄まじいな……ここまで魔力制御を手放した状態で魔法が撃てるとは。実践してさえ信じられん。これならば虚を突かれた緊急時にも、いや、恐慌状態でも発動できる。

 魔道士の基礎にして究極の精神、『大木の心』もこれには必要ない。魔道士に成り立ての初心者であっても、習得さえすれば易々と使用できる。そして危険(リスク)もおそらくない。

 精神力(マインド)の消費効率も良い。消費量に対する威力は中々のものだ。これで最も基礎の魔術なのだから、最高位となればどれ程か……

 これが、魔術か。なんて事だ……」

 

 倒れた鎧の破壊痕から目を逸らさぬままリヴェリアは(まく)し立てる。隣の幼女はそれを止めようとしない。

 彼女の言葉はアスカにとって有用だ。こちら側の魔法をほぼ使えない不死にとって、二つを比較できる魔道士の考察情報は垂涎となる。知る事の大切さを、アスカは何よりも身に沁みて理解している。

 だから最初に交わしたいくつかの条件を踏まえ、更なる考察を灰髪の小人族(パルゥム)は要求した。

 

「リヴェリア。【魔術】と【魔法】、その違いを貴公はどう見る?

 貴公は魔術師となったのだ。そして魔道士でもある。ならば比較もできるだろう。

 その情報を私は欲している。元よりそれが条件の一つだ」

「分かっている。まだ碌な検証もできていないが、直感的な違いなら明確に示せる。

 アスカ、【魔術】と【魔法】は思想が全くの逆だ。理に沿って発動するのが【魔術】なら、理に逆らって発動させるのが【魔法】なんだ」

 

 都市最強の魔道士として、また新米の最初の魔術師として、リヴェリアは己の考えを拙速に語る。

 

「そもそも魔法に『大木の心』が必要とされるのは、荒れ狂う魔力を制御するためだ。己の可能性を世界に顕現させる魔力は、極端に言えば理を塗り替える力であり、どんな武器よりも扱いの難しいもの。それ故に一切の淀みなく魔力を束ねる揺れない精神が必要となる。

 それは()わば、嵐を留め従える巨大な大木。決して折れぬ自らを中心に、嵐のような魔力を放出する。そして手綱を精一杯に引き、どうにか発動させるのが魔法だ。

 

 魔術は違う。魔術はまず、強固な理で周囲を固める。完璧な理論の元に術式を構築し、その内側で魔力を使う。

 その理は強力無比だ。人類にはとても抗えない世界の法則で押し固められている。それは如何に強大であろうとも、『神の力(アルカナム)』に届かない人類の魔力では決して破壊できない。

 だから魔力をどれだけぞんざいに扱おうが関係ない。必要分の魔力さえ込めれば、後は勝手に周囲の理が魔術を発動してくれる。『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』など、端から起こりようがない。

 

 竜の二相――『佇む竜』の内側で『吠える竜』となるのが【魔術】。

 『大木の心』、折れぬ精神を中心に築き、外側で暴れる魔力を従えるのが【魔法】。

 目的の違い、手段の違い、理の違い、時代の違い――それらが結果的に、真逆の思想で構成された二つの体系を創り上げた。

 

 それが私の考える【魔術】と【魔法】の違いだ」

 

 中々の早口でリヴェリアは言い切った。頬は軽く上気し、キラキラと光る翡翠の瞳は穢れなき少女のよう。杖をぎゅっと握りしめ、好奇心に浮かされるままはしゃぐ姿は、見る者が見れば若返ったようにさえ映るだろう。

 こんなリヴェリア・リヨス・アールヴは、おそらく【ロキ・ファミリア】ですら見た事がない。そう言い切れるだけの超級稀有(ウルトラレア)な光景だが、生憎アスカに興味はなかった。

 ただ聞き取った情報を消化する。リヴェリアをこんな風にした犯人(ようじょ)は、小さな顎に手を添えてコクコクと何度も頷いていた。

 

「ふむ……ふむ。では、双方の利点についてはどう見る?」

「【魔術】の利点は何といっても安定性と安全性だろう。術者の技術力に依存しない発動方法もさることながら、『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』を起こさないのは大きな利点だ。

 欠点は融通の利かなさか。ソウルの理を利用している以上、理論が完璧でなければおそらく発動すらしまい。長寿種族(エルフ)の私であっても、新たな魔術の構築は困難を極めそうだ。

 一方で【魔法】は高い自由度と創造性がある。一人につき最大三つの縛りはあるものの、種類は文字通り無限大だ。

 我々のような生来の魔法種族(マジックユーザー)であれば魔法特性にある程度の傾向はあるが、オラリオの冒険者は千差万別。誰もが唯一(オリジナル)の魔法を持ち得る可能性がある。

 『記憶スロット』に関しては検証の結果で評価が変わるな。だが……ふふふっ。変わるぞ、これは……魔道士の在り方が、根本的に……!」

「うむ、私もそう思う。だが貴公、先に済ませておくべき事があるな。少しばかり、ソウルに酔い過ぎだ」

 

 アスカは再び眼を閉じ、火防女の在り様に変貌した。真の暗闇、暗い魂の輝きを灯し、リヴェリアのソウルへ強制的に干渉する。

 それは火防女の献身ではない。“灰”が遠く忘れ去った、小人の狂王の暗い業だ。その意味も記憶も深海に溶けた不死は、僅かな記憶に紡がれた歪な整合性でそれを扱う。

 暗い業を、献身として。ソウルに酔った彼女を醒まして、元のアスカへ立ち戻る。

 同時にリヴェリアも雰囲気を一変させた。少女のような立ち振る舞いは消え、常日頃の冷静沈着、【ロキ・ファミリア】の母親(ママ)とまで呼ばれる強い芯を取り戻す。

 陽光が月光に裏返ったかのように表情を変えたリヴェリアは、自身の変化に少し戸惑った。

 

「む……なんだ、急に心が冷えたな。いや、これは……」

「ソウルの酔いを醒ましただけだ。貴公は感受性が高い。歓迎すべき事だが、ある程度はソウルの業を知るべきやもしれん」

「ソウルの酔い……さっきも言っていたな。それは何だ?」

「そのままの意味だ。ソウルに酔っ払い、思考の枷を緩ませる。酒のそれと同じだよ。知識と自制でどうとでもなる。呑まれてしまえば、もう戻れないがな」

「ほう、危険があるように聞こえるが」

「当然だろう。故にソウルの業には禁忌が多い。それに気にする事はない。貴公に教えたのは浅層だ。そこでソウルに酔えるのは才能の証明に他ならない。

 貴公は良い魔術師になる。期待しているぞ、リヴェリア」

「……ああ、任せておけ」

 

 見上げてくる灰髪の幼女に苦笑して、リヴェリアはふと周りを見た。妙に静かなフィンとロキがどうしてるのか気になったからだ。

 彼らはすぐに見つかった。噴水の側に立つ二人から離れた魔石灯の下で、フィンはしゃがみ込み疲れた顔を晒している。ロキは……四つん這いでフィンに背中をさすられながら、盛大に虹色の吐瀉物を撒き散らしていた。

 

「……あれは何だ」

「典型的なソウル酔いだな。腐っても神、感受性は折り紙つきだろう。全く無様だ、反吐が出る」

「…………酔いの醒まし方を教えてくれ。これ以上は見るに耐えん」

「構わんが、その前に贈り物をしよう。貴公は一人の魔術師となった。だが道は遥か遠い。その険しく長きを伝えるため、これを渡すのが習わしとなっている。

 受け取るがいい。《幼い竜印の指輪》と《愚者のダガー》だ」

 

 ロキの醜態から不愉快そうに顔を背けてアスカはソウルからそれらを取り出す。リヴェリアは差し出された指輪を手に取り、何の変哲もないダガーに首を傾げた。

 

「……普通だな。くれるというなら受け取るが、記念品の類か?」

「《幼い竜印の指輪》は魔術の威力を高める。《愚者のダガー》は携帯している場合に限り、徐々に集中力(フォーカス)……精神力(マインド)を回復させる効果がある」

「なっ……!?」

 

 アスカからすれば当然のありふれた装備の説明に、リヴェリアは勿論目を剥いた。前者はともかく、後者は真実であれば紛れもない弩級の武器だ。

 都市最大派閥の【ロキ・ファミリア】の中でも、リヴェリアにしか発現していない発展アビリティ『精癒(せいゆ)』。魔道士垂涎のそれと同様の効果であれば、こんなポンと渡されていい代物ではない。

 だから驚倒しながらも素早く腰に差し、効果の程を確認する。目をつむり、少し佇み……やがて重くまぶたを上げたリヴェリアは、疲れた顔で頭を抱えて深いため息を吐いた。

 

「アスカ、お前な……こんな物を粗品のようにあっさり渡すんじゃあない……」

「ん? 何か間違ったか?」

「…………ハア、もういい。それよりも、ソウルの酔いの醒まし方を教えてくれ……」

 

 不思議そうに頭を横に倒す幼女にリヴェリアは諦めた。色々な事を飲み込んで、まずやるべき事を粛々と進める。

 そうして後世における歴史の転換点とも言える、オラリオのありふれた夜は過ぎていった。

 酔い醒ましの業を伝えたところでとぼとぼと重い足取りのアイズが帰宅し、事の次第を聞いたアスカの瞳が酷薄に鋭くなったのは、翌朝に訪れる別の悲劇の話である。

 

 

 

 

「大丈夫かな、ベル……」

 

 薄暗い店内の片隅で、アスカはそんな声を拾った。げっそりと萎れた哀れな白兎を見送る、幼女と同じような半眼の犬人(シアンスロープ)の声だ。

 とはいえ、それはアスカのような暗く鋭い表情ではない。眠たげに降ろされたまぶたの下で、半分の青い瞳が戸棚を物色する灰髪の小人族(パルゥム)に気付く。

 

「あれ、アスカ……ベルと一緒に行かないの……?」

「もう少し見させて貰おう。薬品の類には興味がある」

 

 抑揚の少ない不思議そうな問い掛けに淡々と返す。いくつかの試験管を手にとって見比べたアスカは、もういくつか追加してカウンターに持ってきた。

 

「会計を頼む」

「こんなに……? 結構な値段になるけど、大丈夫……?」

 

 十を越える試験管の中には高等回復薬(ハイ・ポーション)精神力回復薬(マジック・ポーション)も混じっている。自身の派閥と同じくらい赤貧のはずの【ヘスティア・ファミリア】にはとても買える量ではない。

 そもそも買い物自体、さっきベルがしたではないかとナァーザは眉をひそめている。けれど訝しげな表情は、カウンターの上へ無造作に投げられた袋によって一変した。

 

「これで足りるか?」

「たくさんのお買い上げ、どうもありがとう」

 

 投げられた袋は中から大量の金貨をぶちまけていた。カウンターに散らばった金貨だけでも支払いに足りていて、ナァーザはパタパタと尻尾を揺らして深々と頭を下げる。

 すぐさま精算に取り掛かる犬人(シアンスロープ)を余所に、アスカは買った物を一つ一つ光に透かしてはソウルの器へ溶かしていく。

 群青色や柑橘色の溶液に宿るソウルはその品質を包み隠さず伝えてくるが、たかが不死、商売上の駆け引きなどどうでもいい事だった。

 

「では、また来る」

「うん、待ってるね……」

 

 釣りを受け取って【青の薬舗】を後にしたアスカは集合場所に向かう。人混みを掻き分け中央広場(セントラルパーク)に出れば、すぐに少年(かぞく)の姿を見つけたが――その隣に並ぶ男の姿に、アスカの無表情が冷たくなった。

 何をしているのか、それは見れば分かる事だ。下卑た笑みを裂かせる男の囁きはソウルによって強化されたアスカの耳によく響く。チビ、能無し、役立たず(サポーター)。それをダンジョン内ではめて金に変えるのだと男はベルに持ちかけている。

 誰を差しているのかはすぐに分かった。誰がこの状況を呼び込んだのかも。それを飲んでアスカと呼ばれる不死は、まだ確定はしていないと見に回る。

 

「――ベル。どうかしたのか?」

「アスカさん!?」

「ああ? なんだてめえ」

 

 気配を感じさせないアスカの登場にベルは驚く。生意気な小僧(ガキ)の言動に苛立っていた冒険者の男は、急に現れた灰髪の小人族(パルゥム)に眉間を歪め、だがすぐに口端を下劣に引き裂いた。

 直後吐き出されたのは、ベルにとって信じがたい言葉だった。

 

「おいおいなんだよ、てめぇ二匹もサポーターを連れてんのか!?

 ひゃははっ、こいつは傑作だぜ! そうだよなあ、俺の話なんか断るよなあ!? たかが荷物持ち(サポーター)でもまとめてはめりゃあ金と持ち(もん)大儲けだもんなあっ!?」

「っ!? 違う! 僕はそんな事考えてないっ!」

「いいや違わねえっ! 使えねえゴミを二匹も連れる理由なんざそれしかねえっ!

 しかし悪どい奴だぜ、金のために間抜けを演じやがってよぉ! てめえ、本物のクズ野郎じゃねえかっ!?」

「このっ……!?」

 

 男はただ当て嵌めただけだ。役立たず(サポーター)を二匹も連れていながらうまい話を断る理由はそれしかないと。弱者を食い物にしてきた自分の価値観が冒険者共通と信じて疑わない男は、その価値観でベルを嘲笑う。

 それでベルの我慢は限界を超えた。ただでさえ触れた事のない悪意が少年の心を怒りで満たしていたのだ。その上家族を馬鹿にされて手を出さずに居られるほど少年は大人でも薄情でもない。

 拳を握ったベルが一歩前に踏み出す。それを押し留めるように、アスカは二人の間に割り込んだ。

 

「成程、事情はよく分かった」

 

 ベルが目を瞠り、怪訝そうに男が見下す中、灰髪の小人族(パルゥム)は平坦なまま男に告げる。

 

「失せろ」

「あ?」

「貴公はベルに()()()()。故に失せろ。そして二度と姿を現すな」

「……ああっ!? 何だとこの糞小人族(パルゥム)があっ!?」

 

 端的な言葉は男を激昂させるに十分だった。

 女。小人族(パルゥム)。サポーター。男からすれば弱者の代名詞を三つも抱え込んだゴミ屑以下。それが冒険者である自分に何と言った?

 男が脚を振り上げる。生意気な小人族(パルゥム)をゴミのように踏み潰すために。それを察したベルは醜悪に顔を歪める男からアスカを守ろうとして――二人の時間は停止した。

 

「私は三度も、同じ事をしない。それ以上はする必要がないからだ」

 

 二人共、ただ覗いただけだ。自分より小さな、小人族(パルゥム)においてさえ背の低いアスカの顔を。

 

「だから貴公に、もう言葉は要らん」

 

 (うろ)のような容貌に宿る、暗い銀の半眼が写し取る自らを、覗き込んだだけだった。

 ただそれだけで、ベルも男も心身の自由を奪われ――数十秒経ってようやく動けるようになった男は、肉体の震えを引き剥がすように悪態をついて去っていった。

 それを見えなくなるまで眺めたアスカは、一つ目を閉じてベルに向く。まだ固まっている少年を叩いて正気に立ち戻らせ、自身の結論と参照するために事の経緯を聞き出した。

 

「――そうか、リリルカをな……それならば、我らが守るべきだろう」

「うん、僕もそう思う。でも不安にさせちゃうといけないから、リリには言わない方が……」

「ベル。最も護衛が難しいのは、守られるつもりのない者だ。知っているのと知らないのでは、咄嗟の行動に影響が出る。

 リリルカには伝える。我らが強固に守れば、何の問題もない」

「それはそうだけど……」

 

 ベルはリリルカを守る方針には賛成だが、伝える事には難色を示した。余計な心労を負わせたくないし、二人で協力して守ればそれでいいのではないかと。

 アスカが正論である事は明白だ。しかし幼女は幼女でベルが望めば黒も白に染め上げる。言うべき事は言うが、最終的な判断はベルに任せるつもりでいた。

 難しい顔で悩む少年。無表情に諭す幼女。端から見れば二人はそんな形で立っている――金を巻き上げようとする同派閥(ソーマ・ファミリア)の団員を辛くも凌いだリリルカにも、きっとそのように見えていただろう。

 

 

 

 

「……あ……」

 

 まさか、そんな。落雷のような言葉がリリルカを過ぎる。彼女が目にしたのは何事かを話す二人だけだったが、広場を行き交う人々の中に前に嵌めた冒険者の男を見た気がした。

 男はすぐに人混みに紛れたが、二人から、いやアスカから逃げていたように見えた。もし、男がベルに接触していたら。そこにアスカが現れたなら。事の次第を推測し、リリルカへの報復に巻き込まれそうになっているとあの“灰”が判断してしまっていたら。

 

「――――ッ!?」

 

 両足を斬り落とされたおぞましい記憶と共に、リリルカの背筋に悪寒が走る。死神に撫でられたかのような感覚に顔が青ざめた。恐怖に引き摺られるままその場を立ち去ろうとして――転身する直前、銀色の光と目が合った。

 

「――ああ、そこに居たのか。来たまえ、リリルカ」

 

 古鐘の声に貫かれた瞬間、リリルカの体は硬直した。見開いたままのまぶたすら、自分の意志で動かせなくなった。

 ()()()()()()()()()()()()。頭を巡るのはそんな諦めの言葉だけだ。自分はもう、ここで終わる。まとわりつく死の幻想をリリルカは確信してしまっていた。

 

「……リリ? リリっ?」

「…………ベル、様?」

 

 そんな死に囚われた彼女の心を戻したのはベルの声だった。気付けばそばに少年が立っていて、心配そうにこちらを覗き込んでいる。

 白い髪に深紅(ルベライト)の瞳。兎のような少年が笑っていない事が、嫌に心に突き刺さる。

 

「リリ、大丈夫? 顔がすごい青いけど……」

「いえ、その……何でも、ないです。今日はちょっと悪い夢を見てしまいまして……」

 

 適当な言い訳を並べて、愛想笑いで顔を飾る。反射的にリリルカはそうして、無垢な少年はそれを信じた。なんて馬鹿真面目なんだろう。こんな苦しい言い訳を、愚直に信じてしまうなんて。

 変わらぬベルの在り方に少しだけ安心したリリルカは、そのやり取りをずっと見ていたアスカの存在を思い出して気が沈んだ。そしてあの恐ろしい幼女が行動する前に、絞首台に向かう囚人のように重い足取りで歩を進める。

 アスカは何を言うのだろう。契約の解除か? 危険を誘引した罵倒か? ひょっとしたら今は無視するかもしれない。けれど後で密やかに始末されるだろう。

 悲観的(ネガティブ)な思考が頭を回る。リリルカにはもう希望がない。いつも通りなら小賢しく回る知恵も、今回ばかりは働かない。

 リリルカ・アーデは詰んでしまった。“灰”の決を待つ事だけが、彼女にできる全てだった。

 

「リリルカ、貴公は狙われている」

 

 だから。

 

「故に我らは、貴公を守る」

「…………え?」

 

 その言葉を、リリルカは理解できなかった。

 

「さて、まずは編成からだ。ベルを前衛に、私とリリルカが後衛に入る。前方の敵はこれまで通りベルが処理、後方及び全ての奇襲には私が対応する。リリルカは常に私とベルを盾とし、自身の安全を最優先しろ。

 ベル。貴公がすべき事は敵を決して背後に通さない事だ。悪意を持った襲撃というのは、その悪意を想像できなければ対処できない。自分ならばこう襲うという仮定は貴公には難しい。

 だからこそ、リリルカを守るために貴公は己を壁としなければならない。倒せずとも通さない。それを前提とすれば自ずとリリルカを守る事に繋がる。その結果、夥しい傷を負う事になろうとも。

 あえて問おう。貴公にその覚悟はあるか?」

「――うん。リリを守るためなら、できるよ」

「よろしい。では具体的な行動例だが――」

 

 呆然とするリリルカを置いて、アスカは手早く方針を固める。ダンジョン内での編成、行動、襲撃に備えた事前指示。対モンスターに関しては基本を出ないが、襲撃対策はやたら的確だった。

 きっと彼の有名な犯罪組織の暗殺者であっても、アスカの不意を突くのは難しいだろうと思わせる内容。呆然としたまま場違いな感想を抱いたリリルカは、ハッとして慌てて会話に割り入る。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!?」

「どうした、リリルカ」

「なんで私を守る事を前提に話が進んでいるんですか!? ベル様やアスカ様が狙われているならともかく、リリが標的なら見捨ててしまえばいいじゃありませんか!」

「それは出来ない。貴公と我らは、パーティだからな」

「ただの臨時パーティでしょう!? それも自派閥ではなく他派閥のサポーターです! 役立たずのリリなんか守られる価値はありません!」

「言ったはずだ。我らと貴公は対等だと。貴公を守るのに、それ以上の理由はいらない」

「でも……!」

 

 リリルカは縋るようにベルを見る。その行動に宿っていたのは如何なる心理だったのか。

 アスカの言葉を否定してほしい、それが現実的に考えた正答だ。たかがサポーター、替えなんていくらでも利く冒険者以下の存在。同じ【ファミリア】ですらない者をわざわざ守る道理も価値も、リリルカ・アーデになんて無い。

 リリルカの無価値を理解してほしい、それは彼女の自虐的で打算的な思考だ。もし許されるならここが潮時だとリリルカは理解している。その際障害になるのはベルだ。ベルに望まれてここに居るのだから、ベルが見放せばアスカも見放す。そして契約時の話の通り、ベルに火の粉が降りかからなければアスカはきっとリリルカを見逃す。卑屈な生き方が、その可能性を示していた。

 

 でも、それでも、きっとこの少年なら――そんな考えをリリルカは全力で振り払った。まだ夢を見ているのかと自分を叱責する。

 勝手な期待に裏切られたばかりだ。清々しいほど無遠慮に下らない望みを踏み躙られた。

 それでもまだ足りないのかと自分を詰る。またあんな思いをしたいのかと甘い考えに足蹴を食らわせた。

 これ以上、辛い出来事に遭いたくない。それは紛れもないリリルカの本心だった。

 それなのに、兎のような少年は――対等であるかのようにしゃがみ込んで視線を合わせて、“あの笑顔”で、こう言うのだ。

 

「大丈夫だよ、リリ。安心して。僕とアスカさんが絶対、リリの事を守るから」

「――――」

 

 その時自分(リリ)は、どんな顔をしていたのだろう。心と体に巻きつけた偽りの姿を忘れるくらい、その言葉はリリルカの根幹を揺さぶった。

 

「……なんで、リリなんかを守るんですか?」

「え? それはほら、リリは女の子だし、僕としては守るのが当たり前っていうか」

「リリが女の子だから守るんですか? 男の子だったら守らなかったんですか?」

「ええっ!? いやいや、そんな事無いよ!?

 そもそも僕達はパーティだからお互い助け合うのは当然だし、リリにはすごいお世話になってるから、ちゃんと恩返ししなきゃって思ってた。

 こんな事で恩を返せるかどうかは分からないけど、リリを傷つけようとする人が居るなんて、絶対許せない。だから、守るよ」

「そう、ですか……」

 

 何をやっているのだと思う。無表情に俯きながら、狂濤する自分の心の隅でリリルカは頭を抱えている。

 こんな事を聞いても無意味だ。聞くだけ無駄だ。それよりも“灰”と“襲撃者”について考えるべきだ。現実的な思考が嫌というほどがなり立てる。それでもリリルカの心の大部分を占めているのは、傷だらけのちっぽけな希望。

 散々打ちのめされたばかりなのに、まだ望みを捨てきれていない――リリルカ・アーデが、ずっと求め続けていた言葉。

 それを口にしては駄目だ。言ってはいけない、確かめるなんて以ての外。やめるべきだと、やめてくれと、現実主義者が叫んでいる。

 

「――じゃあ、ベル様は。ただのリリでも、助けたんですか?」

 

 それでもリリルカは、止められなかった。

 

「リリがただの、パーティでもない、女の子でもない、ただのどんくさい役立たずのリリでも――ベル様は、助けて下さったんですか?」

 

 何故かは分からない。これから先、どの未来でもリリルカがこの日の記憶を正確に思い出す事はない。自分の心がどうであったか、ぐちゃぐちゃになって判別できないから。

 しかし、どれほど時が経とうとも。きっと死ぬまで、リリルカは。この日の記憶を、忘れない。

 

「助けたよ」

「――――」

「リリを助けるのに、理由なんかいらないよ。その、上手く言葉には出来ないんだけど……リリの事、放っておけないんだ。

 だから助けるよ。リリがどんなリリでも、絶対に僕が助けるから」

 

 子供のように純真で真っ直ぐな――太陽のようなその笑顔を、リリルカ・アーデは忘れない。

 

 それはきっと、“灰”も同じだったのだろう。

 

 

 

 

 暗い夜道を重く歩く。

 複雑怪奇な迷宮街。オラリオの一角に犇めく『ダイダロス通り』をリリルカは鈍重な足取りで進んでいく。

 今日の探索は何事もなく終了した。いつも以上に気を張ったり、到達階層より下へは行かなかったりしたが、結果的には何もなかった。

 いつも通りのダンジョン探索。いつも通りの報酬分配。いつも通りの別れ。いつも通りの――“灰”との契約。

 

「はあ……」

 

 思わず口からため息が漏れた。毎夜毎夜“灰”と会うのもいつもの事だが、こんなに気が乗らないのは初めてかも知れない。

 ダイダロス通り“最下層”にある部屋の前に立ったリリルカは重い扉をゆっくり開ける。いつも通り“灰”は先に待っていると思い、さっさと受け取りを終わらせたかったのだが……部屋の中に“灰”の姿はどこにもなかった。

 

「珍しいですね、あの方が先にいないなんて……」

 

 というよりも、これも初めてかも知れない。バックパックを置いて椅子に座ったリリルカは、体を円卓に預けて思索にふける。

 

 思い起こすのはベルの言葉。ただのリリでも守ると言ったあの笑顔。それは確かにリリルカの心に消えない記憶を刻み込んだ。

 しかしただ、それだけでもある。結局の所リリルカはその言葉を信じ切れていない。言葉だけなら偽れる――詐欺師として生きてきた彼女にとってそれは実感を伴った事実だ。

 あの少年に詐欺師並みの嘘をつけるかというと苦笑が頬に溢れてしまうけれど。すぐに人を信じるし、感情はそのまま顔に現れるし、“灰”に……アスカに説教される姿はありふれた家族のようだ。見た目では兄と妹なのに実体は厳しい祖母と気弱な孫なのがどこか微笑ましく感じる。

 それが皮肉か、あるいは嫉妬によるものだとしても――リリルカは素直に彼らが羨ましかった。

 

(……リリはベル様の言葉が信じられません。あの笑顔もリリへの態度も演技って可能性はゼロじゃない。アスカ様がものすっごくヤバくて怖いお方だからというのもありますが……そうでなくてもリリは、きっと信じなかったでしょう)

 

 実際に、リリルカが危機に陥ったとして。

 ベルやアスカも危ないような状況になって。

 その時本当に彼らは助けてくれるのか。

 自分の命も、顧みずに。

 

(……ありえません。そんなのありえない。いくら言葉で言われても、リリはそれだけは信じられません。

 現実はいつだって真逆でした。冒険者の方々は言わずもがな、優しかった花屋の老人夫婦だって最後にはリリを……)

 

 だからベルも、信じられない。

 リリルカ・アーデはそう思っている。本当の危機に陥り助けられなければ彼女の思いは変わらない。行動を伴わなければリリルカの現実を打ち砕けない。

 言葉だけでは駄目なのだ。だからもう、リリルカは、彼らとの縁を切りたかった。これ以上関わってしまえば自分の心に癒えない傷が残ってしまう。そうなる前に利害の関係だけで終わらせてしまいたかった。

 篝火のそばでただ一人、揺らめく炎を瞳に写す。柔らかく暖かな光に取り留めなく思考していると――重い扉が開かれ、一人の“灰”が現れる。

 

「遅くなった。待ったか、リリルカ」

「……いえ、そうでもありませんよ。リリはそこまで待っていません」

「そうか。では契約に従い、今日の報酬を支払おう。だがその前に、野暮用を片付ける必要がある」

「え……?」

 

 円卓に体を預けたまま返事をしていたリリルカは、顔を上げて背後を見る。炎に揺られどこか眠たげだった円らな瞳は――黒く染め上がった黒革の装束を着込む“灰”と、()()()()()()()()に凍りついた。

 

「――よお、アーデ。こんな所にいやがったか」

「カ、カヌゥ、さんっ……!?」

 

 驚愕するリリルカにカヌゥと呼ばれた獣人の男はニタリと嗤った。他の男たちと一緒にドカドカと室内に侵入する。その中には以前リリルカが騙した冒険者の男もいた。

 円卓を囲む四人の男たち。見下される圧力に硬直するリリルカを他所に、カヌゥは親指で“灰”を指差す。

 

「いやぁ、あの嬢ちゃんがな? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 なぁそうだろ? 小人族(パルゥム)の嬢ちゃんよ」

「ああ。概ねその通りだ」

「……アスカ様が、リリを……?」

 

 扉を閉めながら応える“灰”に、リリルカは呆然と呟いた。頭の中ではとっくに全てを悟っている。

 つまり“灰”は、リリルカ・アーデを売ったのだ。

 

「この時を待ってたぜ糞小人族(パルゥム)! てめえに盜られた剣の落とし前、きっちりつけてもらおうかあっ!?」

「ひぃっ!?」

 

 それに考えを巡らせる間もなく男の一人、リリルカが騙した冒険者が拳を振り上げる。思わず頭を庇うリリルカに怒りのまま拳は振り下ろされ。

 いつの間にか現れた“灰”に拳は難なく防がれた。

 

「あ? 何しやがる!?」

「先に一つ質問があると言った筈だ。事はそれからにしてもらおう」

「ああっ!? ふざけんじゃねえぞっ、てめえも糞小人族(パルゥム)の癖によおっ!」

「まあまあ、いいじゃないですかゲドの旦那。どうせ結果は変わらねえ。そうだろ、小人族(パルゥム)の嬢ちゃん」

「ああ。()()()()()()()()。一つ質問があるだけだ」

「ほら、こう言ってる事ですし……俺達だって準備があるでしょう?」

「……それもそうだな。おら、早くしろ」

 

 カヌゥの歪んだ笑みにゲドは嫌におとなしく引き下がった。リリルカと“灰”を囲むように下がった男達を気にも止めず、“灰”は淡々とリリルカに問う。

 

「質問だ、リリルカ。貴公が今日の探索前に話していたのはゲド・ライッシュ以外の三人か?」

「え?」

「貴公が今日の探索前に話していたのはカヌゥ・ベルウェイ、ケイ・フェラー、レンダー・ボールの三人かと聞いている」

 

 リリルカは訳が分からなかった。

 質問の意味は分かる。話をしていたのは誰かという単純な質問だ。“灰”はおそらくカヌゥ達に詰め寄られる場面を目撃したのでこう聞いてくるのだろう。

 それを何故いま、この場で聞いてくるのかが分からない。そもそも“灰”はリリルカを売ったのではないのか。

 今日の探索に費やした労力を鑑みれば、リリルカを男達に引き渡した方が苦もなく済む。ベルのためなら何でもするこの幼女なら外道の行いでもためらいなどないだろう。“灰”はリリルカを売った、少なくとも彼女はそう結論付けている。

 なのに何故、こんな質問をしてくるのか。リリルカは分からない。“灰”の意図も、その格好もだ。

 全身を黒く染め上げた黒革で覆う“灰”は、顔どころか特徴的な灰髪すら黒い布で覆い隠している。唯一見える双眸も銀ではなく赤い眼光を放っている。

 疚しい者のする変装、そう呼ぶにはおどろおどろし過ぎるのだ。まるで先に待つ結果の不吉な予兆のようで――硬直するリリルカは何も答えられなかった。

 

 そして無言のまま時は過ぎ。唐突に、“灰”の頭部に影が振り下ろされた。

 ガキンッ、と妙に硬質な音が部屋に響く。

 

「アスカ様ッ!?」

 

 そのまま倒れ伏す“灰”にこの時、リリルカは心底驚愕していた。あの“灰”が、上層のモンスターなど鎧袖一触に薙ぎ払い、敵に欠片の容赦もない“灰”が、たかが背後からの一撃を避けられず、倒れた?

 目の前の光景が信じられない。目をむくリリルカを他所に、男の下卑た哄笑が耳を侵す。

 

「ひゃははっ、やっぱり大したことなかったぜ! 糞小人族(パルゥム)がよぉ、偉そうな態度取りやがって。俺に敵うとでも思ってたのか、ああ!?」

「な、なんでアスカ様まで……」

「あ? 何でだと? 頭が足りねーんじゃねえかてめえ! こんな人も寄り付かねえ『ダイダロス通り』の奥底で糞小人族(パルゥム)が二匹もいたら、潰して有り金ぜんぶ頂くに決まってんだろぉ!?」

 

 “灰”の頭を踏み潰しながらゲドは嗤う。カヌゥ達も同意するように武器を抜き放っていた。

 つまり“灰”も謀られた? 男達を利用するつもりで逆に利用された?

 

 ――あの“灰”が? こんな稚拙な罠に嵌った?

 

 ()()()()()。数瞬の間も置かずリリルカがそう断じた瞬間。

 

「リリルカ・アーデ。私は三度も同じ事を繰り返すつもりはない」

 

 倒れたまま、何事もなく。“灰”の言葉は古鐘のように、その場の全ての者に届く。

 

「あ? なんだてめえ、まだ喋れんのか?」

「答えないなら、それでもいい。どうせ結果は変わらない」

「何ブツブツ言ってんだ、さっさと死んどけ、糞小人族(パルゥム)っ」

 

 妙によく通る掠れた声に、苛立ったゲドが“灰”の頭に剣を突き立てようと腕を振り上げ。

 

 次の一瞬。ゲドの両肘から先が消えた。

 

「…………あ?」

 

 急に消えた自分の腕にゲドは間抜けな声を出す。ドチャリと音が鳴り、そちらを向けば剣を握ったままの両手が転がっていた。

 

「な、あ……なんで、俺のうげべええぇぇえええええええええええええええええええええええっ!?」

「なっ!? ゲ、ゲドの旦那!?」

 

 突如として絶叫したゲドにカヌゥが動揺する。目を血走らせ痛哭を上げるゲドは体を前に折り曲げ、大量の血液を吐き出した。ビチャビチャと床を濡らす致死量の赤に男達が慄く中、ゲドは白目を剥いて倒れる。

 ビクビクと痙攣するゲドの肉体。何の前触れもなく発生した異常事態にリリルカは顔を引き攣らせ、男達は怒号を上げる。

 行き場のない恐慌。錯乱した男達。その影で“灰”は既に、投擲の準備を終えていた。

 

「ガッ!?」

 

 細身の人間(ヒューマン)、ケイ・フェラーの両手に無数のナイフが突き刺さる。《毒投げナイフ》――亡者の血と揶揄される即効性の毒が男の両手の自由を奪った。

 短い悲鳴。床に落ちた武器の金属音。それに気を取られた一瞬を“灰”が見逃す道理はない。

 男達の死角から死角へ移動する“灰”は《メイス》を引き絞るように背後へ構え――落雷のような速度をもって、レンダー・ボールの両脚を()()した。

 

「ぎゃああああああああ――あげっ!?」

 

 両脚を砕き千切られた絶叫は長く続かない。重力に従い倒れたレンダーへ突貫する“灰”は全ての慣性を片脚に集中させて男の喉を蹴り潰す。それと同時に《メイス》を投げ、両手の痛みに悶えていたケイの喉に直撃させた。

 直撃した《メイス》の勢いで壁に叩きつけられたケイは血反吐を撒き散らしてズルズルと倒れる。時間にして十秒にも満たない出来事。瞬く間に自分以外の仲間を全滅させられたカヌゥは焦燥で顔を歪めて“灰”を睨みつけた。

 

「て、てめえ!? 端からこのつもりで俺達をっ!?」

「…………」

「クッ、クソッタレがぁっ!?」

 

 無言のまま立ち尽くす“灰”にカヌゥはすぐさま逃走を選んだ。元より男に仲間意識などない。全ては酒、この世の物とは思えない極上の神酒(ソーマ)を飲むためだけにカヌゥは生きている。そのために金を欲し、そのためにどんな悪事にも手を染めてきた。

 だがそれも生きてこそだ。生きていなければ酒は飲めない。カヌゥが仲間を見捨てて一人逃げようとしたのも当然の帰結だった。倒れた仲間を踏みながら狸人(ラクーン)の男は扉に手を伸ばし――しかし決して、触れる事は出来なかった。

 

「なあっ!? な、なんでだっ!? なんで触れねえっ!?」

 

 必死に扉に縋りつき爪を立てるカヌゥを他所に、“灰”は倒れたゲドに近付く。既に事切れている男に一瞥すらくれず、腹部から《ミダの捻くれ刃》を引き抜いた。

 王の愛を欲し、毒すらも自らの美に用い、ついには狂気に堕ちた妃。そのソウルから錬成された捻れた短剣は強力な毒が塗り込まれている。“灰”はこの刃で“致命の一撃”を叩き込み、ゲドはこの毒で息絶えた。

 

「くそっ、くそぉっ!? なんで通れねえ!? ()()()()()()()()()()()()!?」

 

 “灰”が《ミダの捻くれ刃》をしまう裏でカヌゥはひたすら扉を斬りつけ、体当たりを続けていた。だが“灰色の霧”に覆われた扉は僅かな瑕疵すらつかなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()霧の前で呆然とするカヌゥに、“灰”はゲドの死体を投げつける。カヌゥは短い呻吟と共に倒れ、覆いかぶさる仲間だった者の死体に気付き、恐怖した。

 そして音もなく目の前にたった“灰”を見上げ――カヌゥは震えながら、媚びへつらうような笑みを浮かべた。

 

「ま、待ってくれよ、小人族(パルゥム)の嬢ちゃん。俺が悪かった。もうあんたにも、アーデにだって手を出さねえ。この事は誰にも言わねえ。だ、だからよお、見逃しちゃくれねえか?」

「…………」

「お、俺はあんたの言うとおりにしたじゃあねえか。ちょっとした行き違いはあったかもしれねえけどよ、それは悪かったって思ってる。ゲドの野郎はしょうがなかった。こいつは俺から見てもクソ野郎だ、死んで当然だ。

 でも俺は何もしてねえだろ? 手なんかこれっぽっちも出してねえ。だから俺だけは助けて――」

「貴公、何か勘違いをしているな」

 

 上目遣いで懇願するカヌゥを無表情に見下ろして、“灰”は虚空へ手を伸ばす。

 

「『雇っているサポーターに関する事で困っている』『そのサポーターに聞きたい事が一つある』『だからついてきてくれると助かる』――私が貴公らに言ったのはそれだけだ。それ以外の何も、貴公らに望んだつもりはない」

「そ、そうさ! それで俺はきっちりそれだけやっただろ!?」

「ああ、そうだ。貴公は良くやってくれた。私の望み通りに動いてくれた。

 だからもう、何も望む事はない。このままここで――――朽ち果てろ」

 

 その言葉の意味をカヌゥが理解する前に“灰”の手は虚空に沈み、その先の柄を握り締めた。

 “ソウルの業”。有形を無形の『ソウル』に変え『器』に納め、『器』から無形の『ソウル』を引き出し有形に戻す。

 本来ならそれで済むにも関わらず、この武器は無形ではない。有形のまま『器』とは別の領域に納められている。

 

 その危険性故に有形のまま、『特別なソウルの領域』に封じられている。

 

 それはあえて施された安易に取り出せぬ安全機構(セーフティ)

 利便性と引き換えの封印にして『切り札』。

 零秒で武装を変えられる“灰”がその利点を捨て去ってまで安全性を優先した『武器』を――不死の幼女は、“暗い魂”から抜き放った。

 

「ひいっ――――!?」

 

 その悲鳴は誰のものだったか。懇願するカヌゥか、“灰”の背後にいるリリルカか。あるいは両方だったかも知れない。生きとし生ける者すべてが忌避する不吉な力が、一瞬にして篝火の部屋を席巻する。

 

 ――それは骨だった。

 ――それは巨大な刃だった。

 ――それは()()()()()()()

 

 ――それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「な、なんだそりゃああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 下界に引き摺り出された悍ましい武器にカヌゥが絶叫する。当然だ、こんな武器はありえない。世界に存在していいものではない。

 死した人の骨を組み合わせた異形の大曲剣。複数の腕骨が互いを喰らい合うように絡んだ柄、頭蓋や肋骨が無数に溶け合わさった刀身、人の脂のようにぬらめく甚大な刃。

 おおよそ人の造る武器ではなかった。まともではない。人を材料に造られた武器などまともでいいはずがない。

 誰が考えつくだろうか。考えついたとして、誰がそれを実行するものか。禁忌、異様、不吉――死。人の最も忌避する事象を縒り合わせ煮詰めたかのような――こんな在り得てはいけないものを、一体何が造り上げた。

 

 “灰”は、それをよく知っている。かつての最初の王の一人であり、そのソウルを薪に変えられてなお死に殉じ、終末期には名すら残らなかった神の一柱。

 “墓王ニト”。最初の火より分け得た“王のソウル”の、そのほとんどを死に捧げ続けた最初の死者。

 この剣は死の神が自らの眷属に与えた物だ。墓王の眷属たる者の誓約の証であり、死の瞳によって振り撒かれる災厄の象徴。

 故にこれは《墓王の剣》と呼ばれる。生命を蝕む猛毒、おぞましい瘴気をまとった災厄の剣。それが“灰”の選んだ『切り札』の一つだった。

 

 ()()()()、“灰”は墓王の眷属()()()()()()。繰り返される火の時代の全てにおいて、()()()()()()()()()()()()()()()()

 なのに何故、この武器が手元にあるのか……“灰”はもう、忘れている。封印を施し、切り札に選んだ理由すらもはや無い。深海の奥底にその記憶は溶けて消えた。

 覚えているのは使い方だけだ。どのように用い、どのように()()()真価を発揮するか――決して折れぬ戦いの記憶だけが、“灰”にこの武器を選ばせた。

 

「な、何をする気だっ!? その剣で何をする気だッ!?」

 

 半狂乱になって泡を食うカヌゥの前に、“灰”は《墓王の剣》を突き立てる。小さな“灰”の身長を容易く超える大曲剣。不吉な力を垂れ流す死者の刃から、急激に()()は立ち昇った。

 

「あ、ぃあっ……!?」

 

 背後でリリルカが腰を抜かす。魂を抜かれたような顔で前を見上げる栗色の瞳に、それは不気味に蠢いている。

 それは人の骨のように見えた。黒く吹き上がる瘴気の中でカタカタと蠕動(ぜんどう)する白骨の死体。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()。幾重にも幾重にも重なり、這い回り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 やがてその蛆のような動きは止まり――体幹に満ちる無数の頭蓋が、等しくカヌゥを見定める。

 

「ひ、ひあああぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 自分に向けられた空っぽの眼窩についにカヌゥは発狂した。形振り構わず物を投げ背後の扉にすがりつく。しかし扉は霧に覆われ、決して開く事はない。

 《墓王の剣》より吹き上がる黒い瘴気の中で、巨大な骸骨は指を向ける。襤褸(らんる)を垂れ下げる白骨の指が、生にしがみつく生者を定め。

 

「――――【死の瘴気】」

 

 “灰”の捧げた祈りを糧に、神の【奇跡】が解き放たれた。

 

「あ――――」

 

 カヌゥの最後の言葉は間の抜けた声だった。神酒(ソーマ)に取り憑かれた獣人の男は、側に倒れた仲間もろとも【死の瘴気】に呑まれ()()する。

 火の時代の最初の神話。永遠を生きる古竜を滅ぼした畏怖すべき墓王の原始の業。極まった信仰によって再現された物語は、可能性をほんの少し引き出した程度の人類に抗えるものではない。

 恐怖に凍りついた表情のままカヌゥは死んだ。かろうじて生きていたカヌゥの仲間も訳も分からず即死した。

 そして放たれ続ける【死の瘴気】が、彼らの生きた痕跡さえも奪い去る。

 

リリルカはただ見ていた。自分が騙した冒険者が朽ちていく姿を。自分を食い物にしてきた同派閥の連中が骨すらも残さず塵になる様を。

 彼らの武器も持ち物も何もかもが黒い瘴気に呑まれ、始めから誰もそこにいなかったかのように消えた光景を、リリルカ・アーデはずっと見ていた。

 

「野暮用は終わりだ」

 

 そして全てが消えた後、“灰”は《墓王の剣》を納め。

 

「それでは、契約の報酬を支払おう」

 

 いつも通り、何事もなかったかのように。円卓に座り、黙々と報酬を並べ始めた。

 

「…………」

 

 言葉にならない。リリルカの胸中をシンプルに表すなら、その言葉が適切だ。

 思考は山ほど転がっている。これまでの忌まわしい現実の事、ベルの事、何よりも恐ろしい“灰”の事、カヌゥ達の事。リリルカを狙う彼らをここに呼び寄せ、そして――塵のように、殺した事。

 リリルカが予感した不吉の正体はこれだった。敵意を奪う紅い眼光に彩られた瞳は、リリルカが脚を切断されたあの日と同じ眼をしていた。

 塵を見る眼。塵を払う眼。敵意も悪意も殺意もなく、ただ邪魔だから排除する。あの日リリルカに向けられた底冷えする暗い瞳。それを同じようにあの男達にも向け……今度は呆気無く殺害した。

 その違いは何なのか。リリルカにすれば自明の理だ。リリルカは望まれ、彼らは望まれなかった。両者の命運を分けたのは、本当にたったそれだけなのだろう。

 

「……アスカ様は……」

 

 だからこそ、リリルカはそれを言葉にした。

 カヌゥ達が死んで十分も後。報酬を並び終え、紅い眼光を取り払い、服装を罪の女神の教戒師のそれに変えた“灰”が不思議そうに見下ろす中、小人族(パルゥム)の少女はのろのろと立ち上がりかたつむりのような速度で椅子に座る。

 ぼんやりとした意識のまま報酬を見て、“灰”を見て。単純な動作を何度も繰り返して、リリルカは――報酬を受け取らず、ただ真っ直ぐ“灰”を見た。

 

「……アスカ様はどうして、そこまでできるんですか……?」

「ん? 何の話だ?」

「どうしてベル様のために、そこまでできるんですか?」

 

 リリルカの栗色の瞳を、暗い銀の瞳が見返す。

 凍てついた太陽のような瞳だ。天道を昇る黄金の太陽が、その輝きのまま凍ってしまったかのような色。どんな時も変わらない半眼と灰色の睫毛が、その凍てついた輝きを暗く暗く(とざ)している。

 恐ろしい眼だ。リリルカは最初からその眼が怖かった。何もかもを平等に写す瞳。それはリリルカもモンスターも、ギルド職員や冒険者、街の住人、そして――ベル・クラネルですら、例外ではない。

 きっと鏡を見ても“灰”の瞳は変わらない。この人並み外れた小人族(パルゥム)にとって、全てのものは平等だ。どんな関係を築こうとも、()()()()()()()()()()()()()。葛藤も躊躇もなく、それこそ塵を片付けるように“灰”には出来てしまうのだろう。

 

 ずっと不思議だったのだ。そんな眼をしているのに、“灰”の目的は一貫している。「ベルのため」「ベルがそう望んだから」。ベル・クラネルに向ける眼はリリルカと同じなのに、どうしてあんなにも献身的なのか。

 一人の人間(ヒューマン)のためだけに、まともな振りまでして。どうして人殺しまで出来るのか。

 不思議だったが、聞けなかった。ひたすら怖かったし、踏み込む意味もない。勝手に裏切られた後は利用する事だけ考えるようにしていた。

 でも今は違う。“灰”は言葉通りリリルカを守ったのだ。それが分からないほど少女は愚かではない。

 ダンジョンで襲撃を警戒しながら探索するよりこちらから呼び込んで殺す方が手っ取り早い。“灰”はおそらくそんな理由でこうしたのだろう。先程の質問の意味も今なら分かる。あれはリリルカを狙う人間が他にいないか確かめるためだった。

 “灰”は、まともではない。灰髪の小人族(パルゥム)の選択肢には常に“殺人”の手札(カード)がある。今回はそれを切っただけだ。

 「ベルがそう望んだから」――「リリルカ・アーデを守る」ために。

 

 だからこそリリルカは聞かなければならない。“灰”の行動原理、“灰”がどこまでもベルに捧げる献身の理由を。

 “灰”がまともではない己を理解しながら、それでもアスカで在り続けられる理由を。

 

 きっとここが分岐点だ。ベル達との契約を続けるか否かのみならず、リリルカ・アーデの分岐点はここなのだと直観する。

 彼らと関わるのは辛い。アスカに傷つけられた痛みは今も消えずに疼いている。ベルの馬鹿みたいな無邪気さが自分を自分でいられなくする。理想と現実、希望と絶望。ベルとアスカとの出会いが齎した全てがリリルカ・アーデを追い詰める。

 リリルカは必要とされたかった。ありのままの自分を望んでほしかった。誰からも望まれず、何も決められない弱い自分が嫌いだった。

 今もそうだ。勝手な期待、勝手な失望。ベル達と過ごした日々の中でリリルカはいつも受け身だった。心の奥底で小さな願いを灯しながら――たったの一度でも、その願いのために行動していただろうか。

 現実は甘くない。そんな事は分かっている。理想を追いかけ愚行を犯し、愚者と嘲笑われた敗北の物語は枚挙に暇がない。叶う可能性が万に一つの理想を追うより、より確かな現実的思考と行動の方が正しいはずだ。

 ……けれど、きっと。アスカはそうではない。そうではないのかもしれない。

 例えこの狂った小人族(パルゥム)がリリルカと同じ立場だったとしても。それでもアスカなら、ベルのために献身を捧げたかもしれない。

 強さではなく、狂気でもなく。何もなくとも、(たきぎ)のように。自分の信じるもののために、アスカは願いに殉じたかもしれない。

 

 リリルカは、それを聞かねばならない。アスカの理由、アスカの根源(ルーツ)

 暗く恐ろしき一人の“灰”が。家族のために、アスカで在り続ける意味を。

 

「……ふむ。妙な事を聞くな」

 

 リリルカに真っ直ぐ見定められ、アスカはいつも通りだった。無情、半眼、暗い瞳。真剣なリリルカにさして注意を払わず、唇に指を当てて呑気に左上を向いている。

 しばしの黙考が静かに流れた。篝火の薪がバチリと爆ぜ、淡い火の粉が宙を舞う。扉の霧はいつの間にか消え、火に照らされた二人の影が音もなくゆらゆらと揺れていた。

 

「そうだな。私はベルの螺旋の先を見ていたい」

 

 再び向き合って、アスカは言う。

 

「ベルに至るまで紡がれた名も無き者たちの物語。ベルがこれから歩むであろう、名も無き一人の物語。

 それは私の遠いかつてを、僅かに思い出させるものだ」

 

 アスカは何も変わらない。自分の事を語りながらも淡々と記録を読むように、アスカはどこか他人事だ。

 

「だから私はベルを守る。ベルがそう望まぬ限り、全てのいかなる悪意からも、私はベルを守り続ける」

 

 けれど。

 馬鹿で世間知らずで騙されやすくて。

 どこまでも純真で無垢で真っ直ぐで。

 争いのない陽だまりの世界で、生きるような。

 そんな少年の事を想うアスカの顔は。

 

「ベル・クラネルは、私の家族だ。ベルは私の――――導きなんだよ」

 

 枯れ果てた老木のようで、火に祈る旅人のように。(うっす)らと慈しむ、暖かな微笑みを浮かべていた。

 

「――――」

 

 その顔を見て。

 その微笑みを見て。

 アスカの献身の理由を知って。

 

 リリは。

 リリルカは。

 リリルカ・アーデは。

 

 

 

 

 次の日。

 少年と幼女の冒険に、小さなサポーターはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死の瘴気

最初の死者ニトの原始的な奇跡

死の瘴気を放ち、触れたものを腐朽させる

 

ニトの物語は墓王の眷属のみが知る

ならばこの物語は本来世にあるはずもないが

あるいは古竜狩りを共にした神々の僕が

死を司る神の畏怖を、密やかに伝えたのだろう

 




作者はダンまちが好きです。
ベル・クラネルという登場人物を中心に繰り広げられる、彼らの物語が大好きです。
喜び、笑い、泣き、怒り。時に救い、時に傷つき、倒れながらも立ち上がる、ダンまちという世界が大好きです。

そういう意味で今回のリリの話はくっそ難しかった。なんでってダークソウル的に言って主人公がリリを狙う輩をぶち殺さない理由がなかったのです。
ソウルシリーズを経験してるとね、分かっちゃうのよ。明らかに怪しくて話が進んだら人殺しますよってキャラが。

「お、なんやこいつ、怪しい奴やな。なんか途中で他のキャラ殺しそうな顔しとるわ。今は『推定無罪』やけど……ま、ええわ! 殺したろ!」

こんな思考がデフォルトになるのも然もありなん。
でまあ何が問題かって、リリのフラグを完膚なきまでに叩き潰すってとこなのよね。ダクソ主人公がいる以上、予想できるピンチはピンチになりえないんですよ。襲いかかるの分かってるなら突っ立ってるとこにバクスタ決めるのは当たり前。誰もが一度はロートレクを蹴り落としペトルスをペトった事でしょう。死してなお寵愛の指輪をくれるロートレクはダクソ屈指の善人だネ!

で、そうなるとリリのパーティ入りが消えてしまう。しかし作者はリリをパーティに入れたい! そこんところを悩みまくって時間使った結果こんな感じになりました。
リリルカは去ったッ! パーティフラグ完ッ! ってわけじゃないヨ。ただ一話だいたい三万字くらいかなと思ってたらなんか四万字近くなってアカンこれじゃ(詰め込みすぎて)死ぬぅ! となったので区切っただけです。
原作二巻分は今回で終わり。リリルカの決着は原作三巻分に持ち越します。頑張ってリリルカを仲間にするゾ。泣いて謝っても仲間に引きずり込んでやるゾ。
…………それで、あの、次回なんですがね。




そろそろうちの幼女ちゃんをガチで暴れさせたいので外伝三巻に突入します。




ゆるしてくださいなんでもs(ry

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