「……ゲンガー……」
少し放心したかのように、ジャケットの青年は呟く。その腕には、しっかりとディアンシーを抱えたまま
「言っただろ、与しやすいと」
そう、アズマは言葉と共に一歩前へ出る
「此方にはモノズが居ることを、軽視し過ぎたようだな。切り札だろう、ゲンガーは」
「そうだとすれば?」
「おれの勝ちだ。姫を返して貰おう」
「嫌だと言ったら?勝負にはまだ、負けてない
私達の仕事は、ゼルネアスの居場所の調査、及びその助けとなるでしょうディアンシーの確保。勝利の札はまだ此方のもの」
「ならば……」
下唇を噛み、アズマは横を向く
其所に倒れたゲンガーは、未だに意識を取り戻してはおらず……
「その札を貰うさ
片手では、流石に姫を捕まえきれないだろ?」
「それは」
「早くボールに戻してあげなよ。そうでなければ……」
奥歯を噛み、アズマは言葉を続ける
「倒れたゲンガーに悪の波動を叩き込ませる」
倒れたポケモンに対する追い撃ち。公式ルールでは御法度とされており、というか基本的にそれを好しとする一派など殆ど居ないだろう有名なダーティプレイ。元気の欠片といった一度気絶したポケモンの気力を回復させる道具の使用が個数限定で許可されたポケモンバトルにおいて、気力を回復しようが戦線復帰出来ないように気絶した相手への追撃で重症を負わせたりという感じ。ロケット団の中には、そのまま相手のポケモンを殺すまで攻撃させた残虐なトレーナーも居るとか
「……正気、なのか。昏い少年」
「だと、したら?」
少し屈み、モノズの頭を撫でながらアズマは返す
「サザ。良いな、合図したら『あくのはどう』を」
「ゴース、ゲンガー!」
アズマの言葉に耐えきれなくなったのだろうか。ディアンシーを強引に抱える手を解き、ジャケットの青年は右手に持ったモンスターボールを翳す
「空に撃て!」
『モノッ!』
言葉と共に、屈めた体をバネにしてスタート。一気に距離を詰め、アズマは青年のボールを持っていない方の手首を掴む
「捕まえた。姫は返してくれよ、な」
そうして、襲撃者の両の手が塞がり、解放された小さなポケモンは……
『(ひっ)』
小さな鳴き声をあげ、両者から少しの距離を取った
「……はあ。やっぱり、脅しはやるものじゃないな」
何かに使えないかとズボンにひっかけた縄ースタイラーという特殊装置を使う組織ではない良く見かける警察官の方のポケモンレンジャーの真似事であるーでもって青年の腕を縛りながら、アズマはそうぼやいた
「……昏い少年……本当に、ゲンガーを」
「撃つ訳、無いだろう」
アズマの脳裏に、一つの光景がフラッシュバックする
傷だらけのトリミアンの姿を
「他人の大切なポケモンを、あんな目に……合わせる、訳が、無い」
青年のポケモン達がモンスターボールに収まった事を確認し、ボールを青年のジャケットのポケットに突っ込みながら、青年を縛りきる。後ろ手にかたく結んだ縄は、一人ではまず何とも出来ないだろう。隙間を少なくしたので、同行者のアブソルであっても、容易には斬れないはずだ。まあ、腕に傷が付くことを許容するなら強引に断ち斬れるだろうし、時間を少しかければ解けるような結びではあるけれども
『(やらない……ですの?)』
「やらないし、やらせない」
『(けど……)』
「オーラは別か。おれには見えないから、そこは何とも
怖がらせて御免な、姫」
そのアズマの言葉に、少しだけ間をおいて
『(許しますわ)』
後ずさった小さなポケモンは、再びアズマへと寄ってきた
お帰り、とばかりにその周囲をヒトツキがくるりと回る
『モノノッ!』
「ああ、分かってるよ、サザ
戻ろう。ショウブ達の所に」
青年の体を押して歩かせつつ、アズマは一旦離れた場所へと急いだ
だが、辿り着こうかというその時
突如として降ってきた青い何かに、アズマは吹き飛ばされた
『コウ……ガ』
それは、気を失った巨大なカエル。ゲッコウガであった
「くっ、何だよこいつ……」
その先に、奥歯を噛んだような声音で呟く少年の姿と、その前に立ちふさがる傷一つ、煤け一つすらも無い不可思議なアブソルの影があった