二〇六〇年一月二十日、時刻はマルマルサンマル。
東京に存在するとある格納庫内にて一人の青年が一機の戦闘機を見上げていた。
――こいつも、もう駄目だな……エンジンにガタが来ている。
青年が悲観とも取れるような言動を胸中にこぼしてため息をついた。
吐く息は真冬の冷気に当てられ白く色付き、数秒と経たぬ内に霧散していく。
心当たりはある、ありすぎて無いほうがおかしいくらいなのが笑えないところであった。
毎日が多忙極まる連続出撃によってまともに整備を設けることができなかったからなのか、自他共に認めるほどに無茶苦茶な急降下爆撃を行った代償なのか、いずれにせよ先週から自身の見上げる戦闘機は異常を示していた。
こうなってしまっては何時爆散してもおかしくない危険極まりない鉄くず同然の物体であり、解体をするしか道はなかった。
――とは思ったが、今の日本にこいつを解体するほどの余裕があるかどうか……。
またとなく青年がため息をついた時に、自身の後方に位置する格納庫と外の境界を務める鉄扉が錆びついた音を鳴らしながら開かれていく。
念のために腰に装着されているホルスターから自身の愛銃である【ベレッタM93R】のグリップを握り何時でも抜き放てるように警戒するが、それはすぐに杞憂に終わる。
「隊長、まだ此処にいたんですか?」
「……中尉か。貴官こそ、此処で何をしている」
呆れた様なため息をつきながらグリップを握る手を離し、自身が中尉と呼んだ者へと振り返る。
中尉と呼ばれた者は男で、呼んだ青年より一回り年齢が上に見える。
その男は良く鍛え上げられた身体を背筋からピンと伸ばし、青年へと口を開いた。
「はっ、小官は隊長のお姿が見えず、もしやと思い此処へ参った所存です」
「そうか……楽にしていいぞ」
中尉の報告を聞き、一つ頷いたところでそう言うと、面白いぐらいに中尉はだらけたような立ち方になり、先ほど凛々しく背筋を伸ばしていたのが嘘に見える。
青年としてはそれで楽ならば別にかまわないといった風に特に何も言うことはなかった。
「……それで、【火龍】の具合はどうなんですか?」
「……駄目だな、エンジンが完全にガタが来ている。解体した方がいいレベルでな。……もっとも今の日本にそれだけの余裕があるかどうか……」
【キ201火龍】
今の日本軍が大日本帝国軍であった第二次世界大戦時末期に計画されたジェット戦闘襲撃機だ。
終戦により完成に至らなかった機体が現在の発達した技術を持って復活し、それを青年が使っている。
だが青年の言葉に中尉は予想をしていたかのように、やっぱりと呟く。
副隊長を務める彼には青年の愛機の状態を傍で見ている事からある程度の状態を把握している。
普通ならば即オーバーホールでの整備を行うべきではあるのだが、青年が言ったようにそれほどの余裕がある訳ではなかった。
「これも海の化け物の仕業ってやつですかね……」
「そうだな。それに対抗する海軍に物資を優先的に回されているためか、我々陸軍の肩身も狭いが致し方ないだろう」
青年はため息をつき、自身の愛機に背を向けて中尉が開け放った扉へと歩み外へと出る。
真冬の外気を直に受け身震いを起こしながら、ポケットから青い紙箱からタバコを一本取り出して咥え、金で龍が彫られたオイルライターで点火しゆっくりと吸い上げる。
煙を吐き出しながら空を見上げると、月が高く上っており、青年の纏う深緑の軍服と黒髪を照らし出した。
五年前、突如として現れた詳細不明な謎の生態兵器群によって年を重ねるごとに陸軍の地位は落ちて行った。
何しろ歩兵の運用は海では行えず、航空部隊もレーダーに映らなければ一方的に攻撃を受ける。
それに対して海軍は生態兵器群に対処する為の力を手に入れ、既に戦果を挙げているともなれば陸の地位が落ちるのも必然といえた。
「……隊長は、どうするのですか?」
「……質問は明確にするように。いつも言っているはずだが?」
突如後ろから投げかけられる中尉の質問に青年は振り向くことなく背中越しにそう伝え、また一口タバコを吸い上げる。
聞くことを戸惑っているような様子が気配で分かり、どうやら口にし辛いことを聞こうとしているようだ。
「失礼しました。隊長は【火龍】が使えない今はどうなさるのですか?」
「……どうするも、機体が直るまで何もできん。いくら我々が上位組織の部隊とはいえ現状がこれではな……」
「お言葉ですが、機体が直る見込みはないと思われます。奴はこれを機に隊長を――」
「中尉」
言葉を遮るように呼びかけた青年の声に、彼は口を紡いだ。
青年は呆れるような表情で濁りきった青い瞳を中尉に向け、ため息をついた。
「それ以上は言わない方がいい。どこで誰が聞いているのか分からん」
「しかし、隊長……いえ、少佐殿も感じ取っておられるでしょう?このままでは散々使い潰されて終わりだということに」
中尉の問いに青年は答えない。
中尉の言うことは薄々ながらも自分も分かっている事であり、最悪は使い物にならなくなる【火龍】と共に特攻にでも出されて死ぬだろう。
だが、だからと言ってもどうすれば良いかなど分かる訳でもなかった。
軍を辞めたところで日々貧しくなっていくこの日本で他の職など見つけるのも困難であればコネもない。
せめて祖国の華として散る、という程愛国心がある訳でもない。
「少佐殿、小官は海軍へと異動する事を提案します」
「……海軍に?陸の私を受け入れるほど海軍に余裕がある訳でもないだろう。それに海の事は全く分からん」
「ですが、歴史を顧みても陸軍から海軍に異動した者は多数いますし逆も然りです。それに少佐殿はまだ若いではありませんか」
――確かに若いとは思うが……。
中尉の言葉に青年は困惑していた。
確かに歴史上、陸軍から海軍に移ったものは多数いて自分は中尉と比べて年齢も一回り下ではあるが、そう簡単にうまくいかないのが世の中だ。
「そうは言うが……私はコネなど無いし、海軍の方も陸の足手まといを引き取るつもりなど無いと思うがな……」
「それについては勝手ながら小官が独自に接触し、横須賀鎮守府の司令長官殿が『その気があれば是非とも来て欲しい』とおっしゃっていました」
中尉の言葉に絶句し、思わず咥えていたタバコを落としてしまう。
いったいいつの間にそんな事をしていたのか、それよりも何故自身にそこまでするのかはっきり言って分からなかった。
そんな青年の心境を読むかのように、中尉は微笑んで見せた。
「自分は少佐殿のように若い人間を無駄死にさせたくないのです。それに、少し気恥ずかしいですが少佐殿は小官の憧れでもありますので」
「……年が一回りも下な若造にか?」
「年など関係ありませんよ、少佐殿。まぁこの気持ちはまだ若い少佐殿には難しいでしょうけど。それに海軍に行けば仇を打つ事もできます」
「…………」
中尉の言葉は青年にはよく分からなかった。
落としたタバコを拾い、携帯灰皿へと突っ込む時間を使いながら考えても分からない。
だが、最後の仇を打つ事ができるという言葉には魅力的なものを感じる。
どうせ散らされる命であれば、辛酸を舐めさせられた相手に少しでも痛手を加えるのも悪くないと感じ始めた。
「……苦労を掛ける中尉」
「苦労を掛けられるのは少佐殿が我々の隊長となってからいつもですよ」
「それもそうか……貴官の思いはしかと受け取った」
「はい。こう言ってはなんですが、あいつの仇は必ず打ってください」
「あぁ……やれるだけやってみよう」
深夜の寒空の中、月明かりを受けながら青年と中尉は別れの握手を済ませる。
新たな決意と共に、青年――