二〇六〇年二月三日、ヒトフタフタマル。
海軍中央本部では会議を終え、各々自身の所属する鎮守府に戻る者も居れば今回の会議で得た情報を纏めるもの、昼食を取ってから戻ろうとする者と各自自由に動いている。
優翔と景山の二人は今は昼食を取る所であり、『食事処・間宮』へと訪れていた。
「わーお……」
普段発しないような呆けた声が優翔の声から漏れた。
原因は自身の目の前に置かれた食事にある。
まず、松坂牛のおそらくA5のヒレ肉200gのステーキ、味付けは肉の味を最大限に引き出すために最低限の塩と胡椒のみで焼き加減はミディアムレアだ。
付け合せのサラダとスープも香りが引き立っており、おそらく普通の代物ではない。
止めとばかりに、右手側に置かれたワイングラスに並々とワインが注がれている。
――シャ、シャトー・マルゴー……じゃねぇか……。
チラリとワインを注ぐソムリエの手から見える銘柄を見れば、五大シャトーと呼ばれる高級ワインその物であった。
流石に何年物か見る事は出来なかったが、おそらくボトル一本十万は下らない物だ。
あまりにも自分が食してきた物との桁違いなレベルの代物がこうもズカズカと並べられ、激しい眩暈に襲われている様だった。
「どうした、遠慮せずに食べるといい」
そう言うのは、自身の目の前でニコニコと良い笑顔を浮かべながら此方を見やる景山だった。
――いい機会だ、飯を奢ろう。本部は腐っておるが飯は最高だぞ。
そう言われ、せっかくの機会という事で喜んで随伴した結果がこれだった。
蕎麦かうどんだろうかと予想をしていたのが斜め上どころか天井を突き破るレベルで裏切られたのだった。
曰は、若い男なのだから肉が良いだろうという事で自身の意見を無視して注文されたのがこれだ。
因みに景山も同じものを頼んでいる。
「本当にどうしたのかね?具合でも悪いのか?顔色も少しばかり悪いな」
「は、はぁ……すみません。あまりの食事の豪華さに恐れ戦いておりました」
「そういえば貴官は元陸軍だったな。あそこの食事事情は酷い物と聞く。いかんな若い男が粗食で満足するなど」
「は、はぁ……」
実際粗食で有名な事であったのでその部分は否定はできないが、だからと言っていきなり此処まで豪勢な物を出されても困るものであった。
先ほどから小さいながらも胃がチリチリと痛みだしており、自身の身体が目の前の食事を否定しているのが分かる。
とは言え、せっかく大将閣下が自身の為と思い奢ってくれたものである以上は食べないのは失礼である。
観念して優翔はナイフとフォークを手に取りステーキから手を掛けようとした。
「景山大将、隣失礼するよ」
肉にナイフを差し込む寸前に目の前に女性の声が聞こえ、ドカリと景山の隣に妙齢の美しい女性が座った。
肩と襟首を見れば中将の階級章を身に着けている。
「石神中将か、久しいな」
「ほんとだねぇ、前に会ったのは半年前か?」
目の前で繰り広げられる将官同士の会話に全くついていけない。
いや、こちらに話しかけられた訳ではないのだからついていくこと自体不毛なのではあるが。
ただ、階級が上である景山に対して敬語を使わず、彼がそれを許しているという事は深い仲なのであろうという事までは考察できる。
「紹介しよう、大佐。彼女は呉鎮守府司令長官を務める石神中将だ」
「
「横須賀鎮守府所属、龍波優翔です。海軍大佐を拝命しております。お目にかかり光栄であります中将閣下」
「あぁ、いいっていいって。大将と中将の前だからってそんな堅っ苦しい真似しなくて良い。せっかくの飯がまずくなるぞ?」
「は、はぁ……失礼いたしました」
ナイフとフォークを一度テーブルに置き、立ち上がり敬礼し挨拶をするも、石神は一笑に伏すように手をヒラヒラと振り言い放つ。
アバウトすぎる彼女の姿勢に若干困惑しながらも、優翔は敬礼を止め椅子へ再び腰を落ち着かせる。
それを見た石神はニカッと口の端を吊り上げ満足そうにする。
――これは……曲者だ……。
優翔が石神中将に抱いた第一印象はそれだった。
良くも悪くも実直な彼にとって、彼女の様にフレンドリーに接するタイプの上官は苦手だった。
軍という規律を重んじる組織に身を置いて、それを実直に熟してきたから余計にだ。
「しかし、閣下……ねぇ。そんな大層な呼び方をしたのはお前さんが初めてだよ。海軍だと閣下なんて使わんからな」
「中将、彼は元陸軍に所属していたのだ。その名残だろう」
「元陸軍?……あぁ、という事は大将が引っこ抜いた噂の【邪龍】ってお前さんか!」
「そのような二つ名は存じませぬが、確かに小官は大将閣下に拾って頂いた身の者です」
聞き覚えのない二つ名に眉を潜めながら答えるも、石神は逆に納得したかのように何度も頷く。
何をそんなに納得しているのか分からないが、そもそも何時の間に【邪龍】などという二つ名が広まっているのか不思議でしょうがなかった。
いや、ある程度思い当たる節がないと言えば嘘になるが、確信は得ていない状態だった。
「なるほど、【黄河の殺戮】の英雄殿がまさか目の前に居るとは思いもよらなかった」
「懐かしいな、もう三年前の事だな」
【黄河の殺戮】と聞いて知らぬ間に付けられていた二つ名が広まった理由がようやく理解した。
当時中尉だった優翔は黄河付近での軍事行動にて分隊長として任務を行っていた。
その時の事を思い返せば生きているのが本当に不思議な事だった。
あまりにも必死過ぎて、どうやって生き延びたのかうろ覚えだが、数えきれない程敵兵を殺した事ははっきりと覚えている。
――なるほど、それで【邪龍】か。私にぴったりだな。
原因もさながらあまりにも禍々しい二つ名に思わず失笑してしまう。
「しかし、大将も随分と優秀そうな人間を引っこ抜いたなぁ。嫉妬するよ」
「中将には橘大佐がいるだろうに」
「いやぁ……橘は悪くないんだが、もっと出世欲を出して欲しいと思ってな」
橘と聞いて、優翔の脳裏にある人物が過った。
名前を聞くのも久しくて、懐かしいと感じてしまったところだ。
「……橘とは、
「んあ?あぁ、そうだ。知ってるって事は、お前さん百八期生か?」
「はい、私は百八期卒業生で橘とは同期にあたります」
「……なるほど、そうか」
百八期と言う単語に石神はあからさまともいえる程に表情を曇らせた。
その表情を見て優翔は自嘲するような笑みを浮かべた。
百八期卒業生は軍上層部の者であれば誰でも知っているような、言わば日本軍の闇でもある。
その闇の部分の体現者である者が目の前に居るのは引け目があるのだろう。
「……ところで、龍波大佐。一つ聞いて良いか?」
「……?はい、小官が答えられる範囲であれば」
話の流れを切るように景山は会議の時に気になっていた事を優翔に聞こうと思っていた。
今の優翔は穏やかな表情そのものであり、聞こうとしている内容を聞けば会議の時に見せた様な顔に戻るのではないかと一瞬戸惑った。
だが、聞かなければ分からないというのは事実であり、意を決して聞くことにした。
「貴官は会議の時にレ級の写真を見たときに随分と殺意に満ちた顔をしていたが、あれは何故だ?」
「…………」
穏やかだった表情が一瞬にして無表情へと切り替わった。
表情には熱はなく、鋭利な冷たさを漂わせる様で彼の濁った瞳が更に濁っていくように感じる。
とてつもない地雷を踏んだと景山は確信する、現にそれは当たりであり優翔は何とか無表情に務めているだけだった。
「あぁ……あの時に感じた阿保みたいな殺気はお前からだったのか。良ければ私も聞いて良いか?」
「……それは、命令で御座いますでしょうか?」
更に駄目だしとも言えるように石神からも問われ、優翔自身が失敗したと感じるまでに低く冷たい声で問う。
景山にはその言葉は、命令という名分で話す口実を手に入れたいのだろうと感じていた。
「いや、私個人的な興味故の質問だ。貴官が命令としての義務で話すことが楽であれば命令で良い。話すかは貴官が決めろ」
そこまで言われ優翔は表情を曇らせ、右手側に置かれたワイングラスを見やる。
――酒を飲みながらなら、まだ気楽に話せるか?
別に話す事自体は構わないのだが、どうしてもレ級と呼称された深海棲艦を思い出せば思い出すほど腸が煮え返りそうな程の怒りが湧き上がってしまうのだ。
それを見せながら上官に話すなど軍人としては最悪に極まる。
ならば酒で酔って少しでも酔って陽気な精神状態で話す方が良いだろう、と考えグラスを手に取り中身を一気に煽る。
高級ワインを一気飲みするその姿に石神から口笛を吹く音が聞こえるが、無視してグラスの中身を空にする。
「……レ級については、私の部下の仇なのです」
「仇?」
「えぇ、正しくは陸の頃の部下ですが」
仇、その言葉に景山はおろか石神の目つきが鋭くなる。
その変化に気付きながらも優翔は補足を交えるが、いかせん酔いも回ってない故か胸の中で憎悪が沸き起こりそうになる。
必死にそれを押さえつけながらも優翔は続きを話そうと、記憶を掘り出していった。
「ちょうど一年程前でしょうか。陸軍で独立飛行団の隊長だった時、私は【火龍】に搭乗し領海内を徘徊する未確認輸送船を爆撃した時の事です」
そこから優翔の独白が続いた。
一年前の十一月、陸軍飛行団所属の少佐に昇格したばかりの時だった。
【深海棲艦】の出現によって海での動きが制限された中、僅かな領海内にて不審な輸送船が発見されたとの報が入った。
大凡今や完全に敵国である中国か北朝鮮の物であろうと推測され、何度か警告を出しても反応は無く領海侵犯の可能性有りと判断され自身の隊に出撃命令が下された。
なにも独立飛行部隊である自分の隊が出撃するほどの物では無いと思っていたが命令故に特に異論を挟まずに出撃したのだ。
目標にたどり着き、規則に従い三度警告を行うものの無視され、本当に人が乗っているのかすら怪しい物だった。
撃墜命令が下され急降下爆撃を試みた所、意外にも呆気なく目標は切断炎上を起こして撃沈した。
腑に落ちないながらも帰還命令を受理し、帰還する所で自身の部下がレーダーの不明な反応を示した時に彼女の機体が爆散したのだった。
「それから、共に出撃していた副隊長の機体の底部カメラの記録を見たら今回の詳細不明な【深海棲艦】である【戦艦レ級】と思わしき黒いフードらしき物を被った人型が写っていたというわけです。あれだけ小さければレーダー反応なんて誤作動と思えますし、砲撃にも気づきませんね」
「つまり、貴官は既に【レ級】と遭遇していたわけか」
「そういう事になります。そして奴が私の部下の仇と言うのも十中八九間違いないでしょう」
景山の問いに優翔は頷きながら、いつの間にか新しくワインを注がれたグラスを手に取り一口含む。
さっきまで胸の内に蠢くドス黒い感情もアルコールによって多少は中和されるのか何とか落ち着いていられそうだった。
「解せぬな。なぜ陸の奴らはその時点でこちらへ報告しなかった……一年前など既に我々が【深海棲艦】とドンパチやって、多少なりとも好機が見いだせた時期でもあるぞ」
「中将閣下、それは簡単な事です」
「あん?」
自嘲するような笑みと共に言い放つ彼に石神は鋭い視線を投げつけるが、優翔は軽く受け流す様に続きを言葉にする。
「陸と海は他国の軍ともいえる程に仲が悪いのです。小官は記録を上官に叩きつけ、海軍へ報告し協力すべきと進言しましたが、その時に彼はこう言いましたよ。『これ以上海の連中にデカい顔をさせられるか、この件は他言無用』と」
「クソッタレ……」
――本当にクソッタレだと思う。何が悲しくて自国の軍と争わなければならないのやら。
舌打ちと共に発せられた石神の一言に大いに同感を示しながら優翔は更にグラスの中身の飲み進めた。
話す事に集中して目の前の肉を食べておらず、胃が空になっているためかアルコールの回り方がかなり早く感じる。
だが、今はこれで十分なのかもしれない。
「しかし、もう一つ腑に落ちぬ点がある。一年前に貴官が目撃した事と、つい最近になってレ級は岩川基地を壊滅的被害を出した。この間はなんだ?何故奴は一年の間何も行わなかった」
「……それについては小官には何とも。一年前の私が目撃した時は奴らにとっての試験的運用なのか、それとも別の何かなのか検討が付きません」
結果は何も分からない、レ級の空白の一年が何を示すのかは【深海棲艦】側にしか分からない事だろう。
だが、一つだけ分かっている事があるとすれば【戦艦レ級】は最優先撃沈対象だという事だけだ。
単艦にて基地を壊滅させるほどの【深海棲艦】など前代未聞だ。
放置すればどれだけの被害を生む事になるのか想像は図りえない。
今回の会議も最終的には【戦艦レ級】を発見した時は各鎮守府総力をもって撃沈を狙うという事になったのだ。
できる事ならば、自分の指揮する艦隊でレ級を始末したい気持ちが強い。
だが、今現状では自分の指揮下に置かれている艦娘は響と島風の2隻のみだ。
戦艦級のレ級に対して、たった2隻の駆逐艦で轟沈するなど自殺行為もいい所だ。
そんなことで貴重な戦力を浪費するのはただの無能のやる事でしかないのだ。
どんなに憤怒に駆られようとも、無謀な事だけはさせまいと必死に理性を保たなければならないのだ。
それが海軍大佐という肩書を背負い、一部隊を預かる者としての責任でもあるからだ。
「ところで龍波大佐、一つ聞いてもいいか?」
「はい、中将閣下。小官が答えられる事であれば」
「今回の会議でレ級は、発見次第全鎮守府が協力体制の元で排除する方向になっている。貴官はどうするつもりだ?」
質問を投げかける石神の視線は刃物のように鋭く、刺すような視線だ。
嘘は許さないが、ふざけた回答も許さないという類の物で陸に居た頃にもよく浴びせられたものだ。
とはいえ既に答えは決まっていて、その答えは軍人としては適切な物であろう事から迷わず出すことにする。
「私は海軍大佐を拝命する軍人です。全鎮守府の総力を持ってレ級を打倒するというのであればそれに従うまでです」
「意外だな。それ程の憎悪を宿らせているならばてっきり自分が打倒する。とでも言うと思ったのだがな」
「……いくら憎かろうが、戦力の差は分かっております。奴は戦艦級であり、私の保有する艦娘は駆逐艦二隻のみ。到底敵いません。無駄な損害を出すのであれば他と共に被害を抑え確実に打つべきです」
「なるほど。それを聞いて安心したよ。ありがとうな」
納得したように頷く石神に優翔は頷いて答える。
丁度その時に優翔から端末の着信を知らせる音が鳴り響いた。
失敗したと思いながらも端末を取り出すと、響からの着信であり、何かしら有ったのかもしれない。
「申し訳ございません、響からの着信の様です。少し席を外します」
「あぁ、構わんよ」
景山から許可を得た優翔は、立ち上がり二人に頭を下げて壁際の方へと離れた。
二人に背を向ける様にしながら通話を始めた彼の姿に石神は景山の方へと目を向ける。
「大将、気づいているかい?」
「うむ、相当感情を押し殺しているな」
二人の将官が感じ取っていた優翔の歪みとも言える部分。
理性を保とうとして感情を無駄に押し殺している、という所であった。
軍人としては感情の処理を貫徹している理想な人物ではあるが、人間としてみればそれが正しいと言えるものでは絶対ではなかった。
「……どうするんだい、大将。あいつまだ23だろ?あの若さでアレじゃあ……」
「皆まで言わんでも分かっている。奴の闇の部分、どれが少しでも和らげれば……あるいは……」
「問題は、切っ掛けが皆無、という事か……」
二人が頭を悩ませているのは優翔の中に存在する憎悪の根本を和らげる切っ掛けという物が皆無である事だ。
軍人としては珍しい部類であろう人情家である二人にとって、百八期生の存在そのものが海軍の闇とも言える存在なのであり、それが未来ある若い人物ともなればその闇は計り知れない。
深いため息が景山から漏れ出したのを石神は見逃さなかった。
長い付き合いである事から、彼のこの仕草が負い目をかなり持っているという事は直ぐに分かった。
「元はと言えば、私が悪かったのだろうな……あのような計画に同意を示したのが……」
「それは言いっこ無しだ大将。あの時、日本はおろか世界全体が狂っていた。とんでもない物だとしても縋るしかなかった。免罪符にもならん言い訳だがな……」
「…………」
優翔の背中を見ながら語り合う二人の目は悲哀に満ちているものだった。
ただそれを彼に見せる訳にはいかず、背中を向け離れているからこそ言い合えるようなものだった。
どれだけ己を責めても、後悔しようとも、過去は二度と変えられないのだから。
「あぁ、分かった。警戒を怠らずに帰ってこい。私も直に戻る」
丁度その頃、優翔は通話を終了させ端末をポケットへと突っ込み席へ戻っている。
自分の席へと戻るなり、小さいため息をはいて椅子へと腰を落ち着かせた。
「おう、どうだったんだ?」
先ほどまで見せていた悲哀に満ちた目を無くし、石神はいつもの表情に戻った。
この切り替えの早さを、景山は時折うらやましく感じると思うが、こればかりは性格上の問題だろう。
そしてその事を知らない優翔は特に疑心感を表さずに、穏やかに言うのだった。
「いえ、特に問題はございません。私の指揮下にある響が任務を終了させこれより鎮守府へと戻るという報告でした」
「ふむ、木更津駐屯地への輸送任務を終了させたか。なら我々も早めに戻らなければならないな」
「そうですね。その前に、これらを胃の中に押し込まなければもったいない」
優翔の言葉に同意を示すように頷いたり、小さく息を漏らした二人の将官は今更ながらも目の前に並べられた料理に手を出し始めた。
それを確認してから、優翔は今度こそ目の前に置かれているステーキ肉にナイフを差し込み、丁度いい大きさに切り分け一口放り投げた。
――あ、やべぇな。冷めても美味い肉とか久しぶりに食ったな。
冷めても味わいが楽しめる本物の肉を舌で転がしながら優翔は懐かしいと思える感覚と共に、比べるのが失礼な程の陸軍時代の食事を思い出していた。
比べるだけで天罰が下りそうで想像するのは止めようと思いながらも、いずれは響や島風にも食べさせてやりたい。
そう思えるくらいに、この肉は極上のものだった。
※
時刻は、ヒトサンヨンマル。
最初に予定していた帰還時間よりも少し早めに横須賀鎮守府へとたどり着いた。
鎮守府へと着くなり、景山は事務仕事の関係で早々に執務室へと戻る事となり、優翔はそれを見送って今は鎮守府の入り口で一人立ち尽くしているだけであった。
回りを確認し、誰も居ない事を確認すると、ポケットからタバコを取り出して一本を口に咥える。
愛用のオイルライターで火を付け、ライターの蓋を閉じ深く吸い込み、吐き出す。
タバコを吸っている時が一番心が安らぐ一時なのではないのかと、思い込んでしまいそうだ。
陸軍の時ではそうでもないのだが、海軍に身を置いている今は特にタバコを吸う機会が少しばかり減っている。
何せ、自分の隣には幼い少女とも言える外見の響が傍にいるため、彼女の健康面を考えるとむやみに吸えないのが痛いのだ。
自身の執務机には灰皿はあるが、それも使える時は響が居ない僅かな時間のみであるし、ニコチン中毒者と自身で認めてる身には自由に吸えない環境は中々厳しい物がある。
とはいえ、陸軍に居た頃と比べれば比較しようのない程の待遇なのではあるが。
――……あれ、そういえば響や島風って今幾つなんだ?
重要そうでどうでも良さそうな事を思いながら煙を吐き出した瞬間、端末から音が鳴り響いた。
また響からの着信だろうかと思い端末を取り出し画面を見やるが、全く知らない番号だった。
怪訝な表情を表に出しながらも優翔は通話を選択し端末へ耳へと近づけた。
「はい、こちら龍波……」
(龍波大佐ですか!?こちら通信室の『大淀』です)
大淀という名前を聞き、記憶を巡らせて直ぐに思い当たった。
艦娘が戦闘を行う時に通信室にてオペレーティングを担当している艦娘だ。
まだ自分の指揮下にある響と島風は艦の少なさから実戦を避けていたのでしばらくは世話にならないだろうとは思っていたのだが、此処で彼女から通信が入るのは些か不思議であった。
「大淀か。いったいどうした?」
(緊急事態です!大佐の指揮下である響より入電。『ワレ輸送任務カラノ帰路ニテ、敵【駆逐イ級】一隻ト遭遇。島風ノ独断行動ニヨリ交戦状態ナリ』です!)
「何だと!?」
大淀から告げられた内容は体内に僅かに残っているアルコールが全て吹き飛ぶような衝撃だった。
――見通しが甘かったのか……?
響が付いている事から島風の突出気味な性格はある程度抑えられるだろうと信じて木更津駐屯地への輸送任務を受理したのだが、その予想は裏切られた。
だが、それは間違いだと思い直す様に首を横に振る。
――いや、こればかりは私の思い上がりによるものか……。
考えてみれば、島風の性格であれば響の静止があっても飛び出す事など、少し考えてみれば分かるはずの事であった。
直ぐに戦闘への思考へと切り替える。
「分かった、私はどうすれば良い?」
(直ぐに第一通信室へと赴いて響と島風にご指示を!)
「了解した。直ぐに向かう」
一度通話を切り、今まで口に咥えていたタバコを携帯灰皿へと押し潰す様に入れてその場から駆け出した。
――深海棲艦め……これ以上部下を殺させてたまるか……。
いつの間にか中央本部で暴れ出しそうになっていた憎悪が心の中で燻っていた。
「……いや、それでは駄目か」
走りながら自分に言い聞かせるように呟き、心の中の憎悪を無理やり押さえつける。
少なくとも今は平常心を取り戻さなければまともな指示を出すことなど不可能だ。
自分の指示で響と島風の行動が大きく変わるとなればその責任は重大なのだから。
――第一通信室は三階だったな。
エレベーターを使うにも待つ時間が惜しいと感じ、階段を見つけるなり直ぐに駆け上がる。
「うおっ大佐殿?!」
「すまん、急いでいる。非礼は後で詫びる」
「は、はぁ……」
途中で降りてきた小山中佐にぶつかりそうになり、一瞥してから短くそういうと直ぐに駆け上がり第一通信室へと向かう。
階段を駆け上がるのは中々に苦であるが、陸の頃の訓練と比べればだいぶ生温い物と思える事からノンストップで駆け上がっていく。
三階まで上がり切り、直ぐ右へと曲がり三部屋先にある「第一通信室」と書かれたドアを開き入室する。
室内は入って正面に巨大なモニターが鎮守府付近の海域を映し出しており、その左右に挟み込むように小型のモニターが設置されている。
その巨大なモニター、通称『正面モニター』の前でヘッドフォンを装着している”大淀”がデスクに設置されているモニターと睨み合っている。
「大淀、現状はどうなっている」
「少しまずい状況になっています大佐。大佐が到着するつい三分前に島風が敵【駆逐イ級】を撃破しましたが、突如出現した【軽巡ホ級】一隻、【駆逐イ級】二隻の奇襲にあい、現在響は無傷ですが、島風が小破です」
――三対二……そして島風は小破。少しマズイな。
数は不利、島風小破したという状況から残りの三隻は最初からその海域に存在したものと考えられる。
速度自慢である島風なら数が多いとは言え正面切って被弾するのはまず考えられない。
おそらくは最初の一隻は囮、もしくは偵察がてら単独行動をして本隊が合流したに過ぎないだろう。
とにかく、まずは響と通信を取らなければならない為、通信機を設定して受話器を手に取る。
「響、聞こえるか?」
(司令官?……ごめん、島風を止められなかった)
通信は直ぐに繋がり、爆発音を背景に響から申し訳なさそうな声が聞こえる。
とりあえずは無事なようで安堵するが、直ぐに思考を切り替える。
「その件については後だ。今は状況を打破するぞ。島風を含めて現在の状況と艤装状況等全て教えろ」
(了解。まずこっちの状況だけど、私は無傷で主砲の残弾はまだ余裕があるし魚雷も二射分残っている。島風だけど、連装砲の一部が損傷して島風自身も傷を負ってるけど魚雷は健在。そして敵部隊は【軽巡ホ級】無傷、【駆逐イ級】二隻も健在……ン、今【駆逐イ級】一隻に島風の砲撃が着弾、中破した)
爆発音混じりで聞き取り辛いが、状況事態は大分見えてきたところだった。
先ほどの敵の【駆逐イ級】一隻が中破したというのは多少なりと状況が好転してきているものだ。
だが、それで全て丸く収まるのであれば苦労はなく、早急に策を立てる必要がある。
「分かった、少し待っていろ。大淀、今までの交戦状況のデータを全て写せるか?」
「分かりました。少々お待ちください」
通信を一度切り、データの開示を指示すると、大淀は手元のキーボードを操作して正面モニターに幾つもの小分けされた交戦区域の状況データが横並びに浮かび上がった。
「左から八分前、五分前、三分前、一分前、そして現在です。」
「分かった」
並べられたデータを見て優翔は思考に老ける。
八分前は丁度大淀から通信が入った頃のデータで、響と島風、【駆逐イ級】の位置データが写っている。
五分前は丁度交戦しているところであろう部分で、響と島風の距離は大きく空いており、島風と【駆逐イ級】の距離が近い。
三分前は【駆逐イ級】一隻を撃破した所で、最初のデータと位置情報がかなりずれて、尚且つ深海棲艦が更に三隻追加されている。
一分前は響は島風と付かず離れずの距離を保ち、深海棲艦は固まって行動している。
そして現在のデータを見て優翔は小さくだが違和感を感じた。
――動きが単調、というよりも島風がずっと追う方向と同じ方向に距離を取っているな。
敵の動きはただ単に追いかけて来るものから逃げる単純な動きをしながら応戦しているようなものであった。
「……大淀、今の一番新しい状況をモニターに」
「了解」
更に大淀に指示を出し、新たなデータが開示されて優翔は確信を持った。
――やはり、敵は単調な動きだけしかしていない。
再び受話器を手に取り、響に連絡を入れる。
「待たせた。状況は?」
(ちょっとマズイかな。私も被弾したけどかすり傷程度で余裕。だけど島風が被弾して中破。魚雷は無事だけど連装砲もあと三射できて良い所かな)
「分かった、今から指示を出す。島風は今は聞ける状況ではないだろうから少しばかり響に負担が掛かると思うがいけるか?)」
(やるさ。司令官指示を)
「オーケーだ」
口端を少しばかり持ち上げて響に指示を出しながら優翔は心の中で呟いた。
――今度はこちらが狩る番だ。