第三章 プロローグ
塹壕のなか。
死体が死体に覆いかぶさっている。
死体同士がお互いを刺したまま倒れている。
死体が頭だけ撃ち抜かれて綺麗なまま倒れている。
死体が死んでいる。
死体。死体。死体。死体。
何処まで見渡しても生者が見つからない。もっと正確にいえば死者しか見つからない。これを死屍累々と呼ぶのか。
眉間に一発の銃弾が通った跡がある少女が、埋葬する直前のように綺麗なまま倒れている。手をお腹に置いているところなんかはまんまだ。
綺麗な銀髪。綺麗なドレス。綺麗な細い指。触れたら折れてしまいそうな体。
人形のように美しい少女。
まるで、まだ生きているかのように肌には潤いがある。きっと目も綺麗なのだろう。
体中がずたずたの兵士が倒れている。
俯せのまま、何かを求めていたかのように手を伸ばし、その目はしっかりと前を見据えている。もう死んでいるから意味は無いのに。
歳は三十半ばくらいだろう。家族が待ってる祖国に帰ろうと、意識がなくなる限界まで這いずり、銃弾をたっぷり抱えた腹を引きずっていたのだろう。
正直、俺には生まれてから今まで"家族"なんてものはなかったから、その大切さは知っていても、生々しいほどには想像出来ない。
どこを歩けば良いのかも分からないから、死体の上を歩く。地面が死体で文字通り覆われているから、それしか選択出来ない。足を動かすたびに、死体の上に散らばっている薬莢が、からからと音を立てる。
ぱぁん。
一発の銃声が鳴る。
何事かと思い顔を上げると、帝国軍の若者がこちらに拳銃を向けていた。
その拳銃からは硝煙が立ち上っており、俺の頭をしっかりと見据えていた。先ほどの兵士のように。
ゆっくりと暗くなる視界。
血が額から流れ、鼻のところで二つに分断され、顎から滴り落ちる。妙なほど冷たい血だ。
そもそも頭が弾丸を受けてしまったのに、意識があることに違和感がある。しかし奇妙な納得がある。
そこで、俺の意識は途切れた。
十月三十日 帝都ヘイムダル
目を覚ますと、顔をあげてみる。今度は撃たれていない。
もう、日が昇っていて、フランを治療している病室で眠ってしまっていたようだ。
フランの顔を覗くと、ぐっすりと寝ていた。
思えば、フランの寝顔をよく見たことはない。
静かな寝息、それに同調して、まだ薄っぺらい胸が上下する。恐らく、この歳にもなれば、それなりに発育はあるのだろうが、"平均以下"なのだろうか、いや、この場合は"平均未満"と言うところか。これじゃあ、背中と間違えそうだ。
そんなことを考えていると、吹き出しそうになるが、フランを起こすのも悪いので、静かに傍を離れる。
病室に導力ラジオがあったので、フランを起こさないように、つまみを回して音量を最低にし、起動すると、帝都の広場でどうこうとかの報道が流れている。演説の話じゃ途中から聞いても把握しにくい。
すると、帝国を知っていれば知っている人物の声が、聞こえてきた。
最初はクロスベルが、あの独立をしたことに対する批難だったが、やがて、それは恐らく、帝国全て、下手をしたらゼムリア大陸が狂気に包まれるものになっていった。
〈このギリアス・オズボーン、帝国政府を代表し、陛下の許しを得て、今ここに宣言させていただこう〉
あからさまな宣戦布告をしようとした直前、一発の銃弾がギリアス・オズボーンを貫いたのが、ラジオ越しにも分かった。そして、動きはじめた帝国の運命も。
突然、導力通信機が喚きだす。それを取り出して耳に当てると、慌てたクラレンスの声が聞こえてきた。
〈おい、ラジオかなんか聞いてたか〉
病院もざわめき始めて、聞き取りにくい。
「ああ、鉄血宰相が撃たれた」
〈知ってるならよかった。フランがそっちで入院してるだろ、どうやら貴族の連中が帝都に向かっている。バカでかい飛行船に神機みたいなのを山ほど積んでな〉
「“神機みたいなもの”」
俺はクラレンスに質問するが、あちらもよく分からないのが現状だそうだ。
「今どこにいる」
〈そっちに援軍に行こうと思ってな。導力車で向かってるが、あと十分は掛かりそうだ。
……いや、悪いが、もっと掛かるかもしれん〉
「貴族連中か」
クラレンスは、違うもっとヤバい奴だ、と言って極めて静かな声でこう告げた。
〈No.1〉
予想だにしなかった出来事に動揺を隠せない。
すると、通信の声で目が覚めたのか、フランが起き上がる。彼女はまだ寝ぼけている状況だが、これまで起きたことを説明しなければならない。非常に驚いているが、仕方ない。寝て起きたら帝国が内戦に突入しようとしているのだから。
俺は不幸にも、今は丸腰である。ナイフ一本も持っていない状況に領邦兵を相手にするのは、少し無理がある。なんとか隠れてやり過ごし、武器を入手しなければならない。重なった不幸として、クロスベルは謎の結界が張られており、自分の持っていた武器を取りに行くのは、不可能となってしまった。現地調達の武器を使うしかない。戦闘服に関しても、今は私服のままだから全くの無防備となってしまう。
窓から外を見ると、真っ白の影が空を泳いでいるのが目に入った。さっき言っていた“バカでかい飛行船”だろう。確かに、金の無駄遣いとしか思えない程度の巨体である。あの大量に付いている砲もかなりの口径だ。十分に警戒する必要がある。
すると、飛行船から次々と、巨人が降って来る。クラレンスが言っていたものだろう。しかし、“神機”というのが何なのかを分かっていなかった俺にとっては、衝撃を受ける兵器だ。恐らく神機というのも口を滑らせたものだろう。結社の機密情報だったりするのだろう。
巨人たちは迎撃に来た機甲師団をいともたやすくなぎ払い、帝都の制圧を開始した。
フランと逃げるために、乗ってきた導力車の後部座席にフランを寝かせる。フランの治癒が早く、多少治ってきたとは言え、安静にしてなければ逆戻りだろう。
アクセルを踏んで、帝都の外を目指す。帝都さえ出れば比較的安全だろう。
街道への入り口が見える辺りまで来たときだった。突然、タイヤが何者かに撃たれたか斬られたかでスリップし始めた。
ほぼ制御不能になったハンドルを、必死で回して導力車を停止させようとするが、遂に、紅い煉瓦がすぐ横に迫り、直後、衝撃と共に、少しだけ視界がぼやけた。
後部座席のフランを確認すると、しっかりと衝撃に備えていたから、ダメージはないようだ。横になっていたのも効果があったのだろう。
使えなくなった導力車から出ると、甲冑を着た少女が立っていた。
「私は貴方を《身喰らう蛇》にスカウトしに来ました。返答次第ではこの剣を血で濡らすことにはなりません」
「こんな状況でご苦労なことだな。それより、あんた達はあんた達でやることがあるだろ、何でこのタイミングで俺のスカウトに来た」
「一人、この結社から危険な人物が排除されます。なので、その分の戦力をすぐにでも補うため、貴方が必要なのです」
「そうか、残念なことに、恐らく、そいつは俺の友人だ。そんな事をされて結社に入ろうなんざ考えんよ」
少女が、そうですか、と言って剣を抜く。想定はされていた事態なのだろうか。
こちらは丸腰だ。相手は結社の一員、武装が剣とは言え、勝算はない。
だが、フランが後ろにいる。勝たねばならない。
俺はゆっくりと、格闘戦の準備をした。