「鉄機隊が一人、《神速のデュバリィ》参りますわ」
彼女は独特な口調でそう叫ぶと、風を切りながら突っ込んで来た。俺はそれに備える。
上から振り下ろされた剣を、紙一重で右に避け、掌底で水月を突いて怯ませる。追撃として蹴ろうとしたが、思いのほか復活が早く、すぐに反撃をしてきた。後ろに飛びのいて回避するが、これには驚いた。もう少し効くかと思ったが、どうやら"鉄機隊"とやらは伊達ではないらしい。流石結社の一員と言ったところか。
俺の驚きも意に介さず、追撃を加えてくる。
武器を持ってこなかったのを悔やまれるが、身の回りにある物で対抗するしかない。
俺は苦手なアーツを使うことにした。《零駆動》まで出来なくても、速詠は得意だ。何で苦手だと言うかというのも、戦いは鉄と刃物、それか拳だと思っている。だが、いざとなれば、武器が無くとも使えるアーツは、命を狙われやすい俺には必要不可欠であり、どんな状況でも使えるように、四年前から皮膚の下に導力を増幅するチップを埋め込んでいる。それで小指の爪ほどの大きさの膨らみが胸の中心にある。
今度は横から振られた剣に対し、腕だけにアダマスシールドを張って、ガントレットのように防ぐ。腕には衝撃だけが届き、それだけでもこちらが怯んでしまいそうになる。そこでアースランスを後ろから出現させ、デュバリィを吹き飛ばす。どうやら、槍が当たっても、傷一つ付かないようだ。衝撃で本人に多少ダメージは入っているのだろうが、決定打にはならない。
俺から五アージュ離れたデュバリィが微かに笑うと、
「なかなかやるようですわね。でも、これで終わりにして差し上げますわ」
すると、デュバリィは何かを展開する。光が地面に広がる。魔方陣のようなものだ。
すると、見る見るうちに彼女は光に包まれてこちらに与える迫力も、かなりのものとなっていく。
遂に、強化が完了して、落ち着いた光を纏う。
まるで、神話に出てくる事物の一つのように幻想的で神々しい光だ。
すぐにこちらも防御力を高め、特大の攻撃アーツを用意する。しかし、デュバリィはそれを気にせず、突っ込んで来る。気づいたら目の前。
俺は反射的に、詠唱していたエインシェントグリフを発動させる。頭上には巨大な石が出現し、俺が飛びのいてデュバリィだけを攻撃しようとする。が、てっきり、避けようとするものだと思っていた俺の予想を裏切り、盾でそれを支え、終いには剣で一刀両断してしまった。
そうなると、次は俺のところに来るわけで、俺はアダマスシールドで何とか凌ぐが、それ以外は出来ず反撃も難しい。吹き飛ばされ、復帰したと思ったら、追撃を加えられ、地面に膝を付いてしまった。
あとは"あの手"しか残っていない。マクバーンには"混じっている"と言われたもの。使った後は一切の攻撃アーツが出来なくなる。この状況で仕留め切れなかったら、おしまいだ。しかし、出し惜しみして勝てる相手じゃない。
俺は全力で、アースランスを可能な限り、周囲から突出させる。それで針の山を構築し、近づけないようにしてから、準備を始める。
どういう手順なのかを著すのは難しい。ただ特殊な力を込めると、発動出来る。恐らく、"混じっている"というのが正解だろう。ある意味で、本性を現すことになっているのかもしれない。
俺の身体強化が終わると、針の山をデュバリィが破壊しながら接近して来る。針が壊れる度に破片が飛び散り、同時に煙りのような物も発生する。
息がかかりそうな距離まで近づかれると、振られた剣を持っている手を逸らし、頭を掴み、地面に叩きつける。そして、真横に生えていた岩槍を引っこ抜き、デュバリィに刺そうと振り下ろすが、彼女は瞬時に回避した。
「なかなかやるようだな」
先ほどの彼女の台詞をまんま返すと、
「くっ、貴方、その力を何処で得たんですの」
俺の皮肉には反応しない。が、この力については疑問を抱いているようだ。
「"混じっている"とは言われたことはある。あんたらの《No.1》にな。今は俺の友人の相手をしてるそうだが」
「なるほど・・・納得ですわ。今回は分が悪いから撤退してあげますが、もし、次に会うことがあればその時は鉄機隊全員で相手をしてさしあげますわ」
そう言い残すと、先ほどのものとは別の魔方陣を出現させて、文字通り姿を消した。勝てない相手とは戦わない、良い判断だ。
身体強化を解除すると、凄まじい疲労感が襲ってくる。これもこの強化の弱点だ。どんなに短時間だろうと、全身が疲れる。
それに、デュバリィが去っても安心は出来ない。
俺がフランが乗っている導力車に歩み寄って、後部座席を見ると、何一つ怪我もない状態だった。驚くべきは、先ほどの骨折や切り傷が、完全に回復している。まるで、新品の手足を取り付けたように、綺麗な状態になっていた。念のため、歩かせてみたが、恐ろしいほどに回復している。いつも通りの動きが出来ている。
しかも、ぐっすりと寝ている。
そして、フランを起こす。
「戦闘中に治ったのか」
俺は、まだ意識が曖昧なフランにそう訊くと、フラン自体もよく分かっていないようで、
「はい、恐らく。ですけど、突然、光に包まれて。そこからの記憶が曖昧なんです。気づいたらアレックスが私を呼んでて、それでやっと傷が治っているのに気がつきました」
すると、砲撃音が近くから聞こえる。ここに長居していれば、それに当たるか領邦軍に見つかるのも時間の問題になる。
フランは走ろうとするが、すぐに足を挫いてしまった。完全に回復してもすぐに動くことは無理か。彼女を背負って走る。
街道は貴族連中が占拠するために、封鎖するだろうから、徒歩で渡るのは困難だ。あの巨人から逃げ切るのも難しい。
街道の近くにある森林へと坂をよじ登るようにして入る。この時もフランを背負っている。彼女は「自分で登れる」と言ってたが、そんな訳もなく、無視する。俺の身長の二倍ほどある坂がほぼ垂直で垂れ下がっているのだ。足の怪我人に登れるか。
坂を登り切ると、フランを降ろす。俺も少し休憩しないといけない。
先ほどの挫いた足は、通常の捻挫だ。警戒する必要はないが、気に留めておこう。
フランはゆっくりと歩けるようにはなったが、会敵したら勝ち目は無いだろう。
そこに、最悪の声が聞こえる。
恐らく、領邦軍の兵士が俺たちを探している。襲撃のタイミングから、結社と貴族連中が手を組んでいてもおかしくない。追撃が送り込まれているのだろう。
フランを伏せさせ、中腰のまま、周囲の様子を見る。背の高い草に覆われている環境のため、視界が確保しにくい。しかし、それは相手も同じこと。どっちが先に見つかるかは実力の問題だ。
俺は運よくオリーブドラブのジャケットを着ていたから、隠蔽性はそれなりにあるが、フランに関しては艶のある銀髪を露出し、真っ白な病衣を身に纏っている。
すると、少し好都合なことが聞こえた。
「第二分隊、これより一人ずつ別れて捜索を行う。目標は武装していない。だが、油断するな」
そんなことを声に出す時点で奢りは見えている。
俺は声の方向を見る。
四人が一斉に別れて、その内の一人がこちらの少し右側に向かって来る。草のなかに潜り込み、俺の横を通過したのを確認すると、音を抑えつつ飛びだし、地面に投げ倒す。そこから声を出さないように口を押さえ、暴れる兵士を押さえながら、腰にぶら下げているナイフを奪い、喉に突き刺す。暴れていた兵士も、刃が静脈を切断し、声帯すらも破壊すると、声を出せなくなり、笛のようなか細い音を出すだけになった。
俯せのまま、落としたライフルを取ろうとしたのを、心臓にナイフを突き立てると、完全に動かなくなる。気づくと、俺は呼吸をかなり荒くしていた。
ライフルを拾ってから、彼の装備を探る。
拳銃、ナイフ、ライフルの弾薬、僅かな食糧、 フラッシュライト、ドックタグ。
少しもの気遣いとして、武器の類以外には手をつけない。こういう思想はこの状況において、良くはないのだろうが、それをはいそうですか、とは捨てがたい。
俺は少し離れたフランの元へ戻り、護身用に拳銃を渡す。俺は導力式のライフルだ。デザイン自体はかなり古いもので、まるで、クラレンスが使っている狙撃銃のような雰囲気を醸し出している。
すると、領邦軍のライフルが後ろから突きつけられる。気づくと、フランももう一人に拘束されていて、二人から銃を向けられていた。
俺の失敗だ。
ゆっくり振り返ると、フランは拳銃を取り上げられて、腕を後ろで掴まれていた。その光景に今までない怒りを感じる。彼女の細い腕は右腕が折れていたのに、それを意に介さない領邦軍の兵士に対して殺意まで持てた。
こいつらはフランは連れていくが、俺の処遇をどうするかで話し合っている。フランを連れていかせる訳にはいかない。
領邦軍は正規の軍ではない。どちらかと言えば、民兵組織に近い。故に、正式な査察が入ったりすることは有り得ないのだ。銃殺されなかった少女がそんな場所に足を踏み入れれば、後は強姦される毎日だ。それだけならまだしも、用済みになれば、眉間に穴を開けられる。フランにそんな目に合わせる訳にはいかない。絶対だ。
打開策はないかと、周囲を見渡すが、残念なことに、草、草、木、草、草、木、草、といった様子だ。役に立つものは既に敵に奪われた。
白い軍服を着た将校らしき人物が、恐らく、隊長であり、一番軽装だ。
そして、その横に、サブマシンガンを持った兵士が二人立っている。下手な動きをすれば、即座に射殺、もしくは完全に拘束される。
やがて、俺を殺すということで決定し、隊長らしき男が俺の眉間に拳銃を構える。戦術的な意味があるとは思えない彫刻が、びっしりと彫られている回転式拳銃だ。
領邦軍は何でこんなにも、古い銃に拘泥するのだろうか。銃のビジュアルで戦術的優位が決定するわけでもないのに。
逆に、正規軍といえば、シュールな造形の銃を好むように思える。時折、領邦軍の銃は、機能美と称されることがあるが、こっちの方がよっぽど良いように思う。
戦場はサロンではない。美しく輝くものも、砲弾に当たれば即座に破壊される。生産性をわざわざ落とすような真似をするのは、どうしても理解出来ない。
将校が撃鉄を指で倒した時だった。俺はリボルバーを持っている手を掴み、逸らすと、引き金を絡めて、将校の指を折る。
そして、奪った拳銃を構えて彼自身を盾にし、フランを拘束している兵士の頭を撃つ。すると、フランは即座にライフルを拾って、横にいる兵士を躊躇なく撃つ。混乱した兵士は何も対応出来なかった。
分隊を全滅させられた分隊長に止めを刺す。
反動の強いライフルを使っても、フランの腕は無事だ。気付けば足の捻挫も治り、歩けるようになっている。本当に不思議な体だ。しかし、思えば、以前も、傷の治りが異常に早かったことが何度かある。もしかしたら、ある意味で、俺と似ているのかもしれない。
彼女のライフルの腕を見込んで、俺は接近戦闘仕様として、ナイフと拳銃を同時に持つ。サポートハンドの左手にナイフを持ちながら、拳銃を構える。
これは鉄道憲兵隊で新入りから中堅の人間まで、全員叩き込まれる技術だ。ナイフファイトと、発砲を即座に切り替えられる。近接戦闘が多い特殊部隊員を抱える鉄道憲兵隊が、生み出した独特な技術だ。列車などの極度に狭い環境で有利だと教わった。そして、クレア大尉にこれを教えたのは俺だ。
すると、フランが何かの気配を察知した。彼女曰く、先ほどの比ではない人数が、歩き回っているとのことだ。貴族の連中が帝都から逃げ出した遊撃士をここまで追って来るとは考えにくい。
ゆっくりと叢の向こうを覗くと、確かに十数個の人影が動いているのが確認できる。それも、わざわざ目立つような真っ黒い戦闘服を着ている。だが、かなり高度な動きをしている。特殊作戦をレクチャーされた連中だろうか。そうだとしたら個々の戦闘能力は猟兵団と拮抗ーーーーとまではいかないかもしれないが、あの人数ではかなりの脅威だ。
フランのガウン式病衣の所々に、折った木の枝を差し込ませる。少しでも偽装効果を上げる為だ。
俺は拳銃を構えながら、部隊の視界に映らない立ち回りを心がけ進む。フランと敵を直線で結んで、その直線上でフランが見えずらいようにする。
突如、右のこめかみが鈍器で殴られる。
まともに動かない体。どうやら、俺は草上に仰向けに倒れているようだ。
ぼんやりした視界で俺を殴った相手を見ると、何やら、仲間を呼んでいるような動作をしている。俺が落とした拳銃を拾おうと手を伸ばすと、それを蹴って、手の届く範囲外へ飛ばされる。抵抗の意志が見えたからか、男は俺の足にナイフを刺した。一回刺して終わってくれればいいものを、二回三回四回と、四回目でやっと止める。
久しぶりにナイフの痛みに悶えていると、後ろにいたフランが男の頭を三回撃った。
心臓を通った三発目の銃弾が止めを刺し、フランは確認の為、一回頭を撃つ。
すると、俺の方に駆け寄ってきて、声を掛けている。ここで耳が聞こえていないことに気づく。
銃声が染みきった森林に居続けるのは危険だ。
俺は立ち上がって逃げようとするが、体が思うように動かない。
すると、フランが俺の体を引きずり始めた。脇に腕を通して後退して引っ張る。今までないほど彼女の命を危険に晒してしまっている。
ちゃんと喋れているかは分からないが、お前だけでも逃げろ、と言う。しかし、フランは聞こえていなかったのか無視したのか、依然、俺を引っ張り続ける。
もう一度言っても、効果は見られない。恐らく無視しているのだろう。
しかし、まだ十五の少女の力だ。すぐに肩で息をし、喋るのも辛そうなほど息が弾んでいる。そして、それをみすみす逃すほど、敵も優しいわけではない。すぐに追いついて、包囲を始めた。恐らく、こちらを殺害するつもりはないだろう。そうならば、すぐに発砲する筈だ。
すると、フランの手が触れている場所にあった傷が癒えていく。細かい切り傷の痛みもすぐに碧色の光に包まれて消えていく。フラン自身は俺を引っ張るのに夢中で気づいていない。
「フラン、俺の足にその光を当ててくれ」
今度は自分の声もはっきり聞こえて、フランもそれを聞き入れた。彼女自身ですら驚くその能力は、超高速で傷を治療することが出来る。
俺は足に力が入るようになったのを確認すると、フランの腕の中から出た。
「すまないな。迷惑をかけた」
すると、フランは息を切らしながらこちらを見ていたが、すぐに笑顔で返して来る。
しかし、俺が復帰したからといって、かなり不利な状況ということは、なんら変わらない。既に、確実にこちらを仕留めることが出来る距離からじりじりと円を小さくしている。俺たちはその円の中心にすっぽりと入っている。
「こんな状況、切り抜いたことあるんですか」
「いや、流石に遮蔽物もないところでは始めてだね」
そういうやり取りをし、俺の合図で突破口を作って走れ、と伝える。フランは決意した表情で首を縦に振る。
敵同士の間隔が広くなったときが狙い目だ。
やがて、それは訪れた。
二アージュは離れているだろう隙間を見つけた。
「いまだっ」
俺はそう叫んで、発砲を指示しようとした時だった。周囲にいた部隊が一瞬にして、次々に倒れていった。
何が起こったのか分からず立ち尽くすが、すぐにそれは正体を現した。
まるで、幽霊が動いているかのように景色の一部が動き出す。しかし、それは森の一部ではなく人だった。ギリースーツを被った人間たち。
ギリースーツを被った人間たちは、こちらに近づいて、こう告げる。
「俺だ。クラレンスだ。聞きたいことは多いだろうが、ついて来てくれ。機甲兵がこちらに増援に向かっている」
クラレンスはそう言うと、部下に何かを指示すると、指示された人がフランにギリースーツを渡す。あちらは下にも迷彩を着込んでいるから、フランの病衣を隠すのが優先的なのだろう。俺には予備の弾薬と拳銃を渡してくれる。
俺は礼を言うと、クラレンスの足跡を辿る。
「ここだ」
そう言って止まった場所は古い山小屋だった。森林にすっぽりと覆われたような小屋の入口には「空き家」という看板が立てられていた。あまりに意味のない看板だな、と思う。
苔が生しているドアが、きぃ、と高い音を立てて開く。闇を映す割れ目は次第に大きくなり、小屋の闇が僅かな日光に曝される。
中に足を踏み入れると、床がぎしぎしと悲鳴を上げる。
綺麗に整理したあと放置したのだろうか、蜘蛛の巣が所々に張っているが、家具が散乱している様子はない。
クラレンスが本棚を横にずらすと、塞がれていた床が一アージュ四方の蓋であり、それを外す。驚くことに、蓋の下には梯子があり、奈落へと続いている。彼は発煙筒を投げ込み、中を照らす。すると、奈落の底が映し出される。クラレンスから先に降り、俺、フラン、その他の部下が降りていった。
梯子を降りている最中に気づいたが、フランを先に行かせるべきだった。ガウン式の病衣では下から覗いたら丸見えなのだ。彼女自身は気づいていない。あえて言わないようにし、梯子を降りた。
足が地面に着くと、無機質な色で構成された壁が目に入る。いつか見たニコラスの魔獣工場のようだ。
クラレンスはギリースーツを脱ぎながら話す。
「ここは《鉄血宰相》に恨みを持つ連中の集まりでな。《帝国解放戦線》とはまた違うんだが、決行しようとした事は同じだ。違うところは、俺たちはあいつら以上にじっくりと機会を待つところかな」
「じゃあ、お前も何かしら事情があるのか」
すると、クラレンスはこちらを見ないまま、
「俺の生まれはジュライだからな」
そう言って、歩き出した。俺は踏み込んだことを訊いてしまったことに謝った。恨みがあるといったのに、軽薄にそれを訊くのは無神経だった。
「俺とお前の仲だ。気にするな。
それより、お前さんたち怪我してるだろ。そんな服装で森を渡って敵と撃ち合いやっちゃ」
医務室と名乗っている部屋に案内され、後を任せられる。任せるというのはどういうことだろうか。
俺たちが部屋を開けると、医務室にいるべき人間は見当たらなかったが、目に隈をたっぷり溜め込んだ女はいた。不健康そうな青紫とでもいう肌と不健康そうな目の隈、最後に白衣。それなのに、肩に届く緋色のショートヘアは艶があり、それだけ見れば魅力的な女性だろう。
彼女はこちらに気づくと、俺とフランの顔を交互に見ながら、近づいてくる。焦点を合わせられるぎりぎりの距離まで近づいて来ると、鈴を震わすような声で、
「誰ですか」
と訊いてくるので、トカレフです。アレクサンダー・トカレフと答える。そして、トカレフと呼んでください、付け足す。
「トカレフ・・・トカレフ・・・トカレフ・・・あぁぁ、お前があれか、あれだ、あれあれ・・・・・・・・・」
俺の名前を聞くなり黙り込んでしまった。フランの方を見ると、こちらを睨んでいるようにも見える。思えば、この女はかなりくびれる所とふくらむ所がしっかりとしている。フランにくびれはあるが、正直、膨らみは少ないから嫉妬しているのだろうか。だが、それにしても俺を睨むのは何でだろう。
「思い出したぞっ」
女がいきなり叫ぶ。流石に近くで叫ばれるのは勘弁してもらいたい。
「あの身体強化についてはクラレンスから聞いたぞっ。おねぇちゃんが検査してあげる」
突然テンションが上がった女は俺の傷を診る。俺としては大した傷は無いつもりだったが、彼女からしたら俺みたいな被検体に傷がつくのはもったいないらしい。
俺はフランも診てやってくれ、と頼む。すると、女は「ちょいと待ってねぇ」と言って、俺の足にある傷を完全に治癒する。先ほどのフランのものと似たような光が傷を包む。俺は「これはなんだ」と訊くが、女は答えをはぐらかす。
「さあて、次はお嬢ちゃんだよぉ、傷さんにばいばいしようねぇ」
相変わらず可笑しい喋り方をする女だ。口端は常に釣り上がり、目をかっと開けている。そんな不気味な女も少し艶めかしい雰囲気を醸し出している。この不気味というのもそれを助けているのかもしれない。
すると、女は突然フランの病衣の裾を掴み、それを一気にたくし上げる。フランは下着と腹が丸見えになり、顔を真っ赤にして、思考が回っていない。その様子を愉しむように眺める女を、襟を掴んで引き剥がす。ガウンが元通りになり、下着もしっかりと隠された。ちなみに白だった。見ない訳無いだろう。ただ、意図的ではない。飽くまでラッキースケベだ。
「何を目的としてるんだ、お前は」
女にそう訊く。感謝を抑えて。
「ただ診察しただけよ。それにお嬢ちゃんの傷、治ってる。
目的はあなたたちの体質を調べたいのよ」
女はそう言うと、俺の腕から離れた。
「インボーンアーツって聞いたことあるかしら」
突然芝居のかかった声で喋り始めた。本当に先の読めない女だ。
「聞いたこともない」
「当然でしょっ。あたしが名付けたからっ。この基地から一歩も出たがらないあたしがっ」
また顔を近づけて叫ぶ。だが、口臭の類いは気にならない。そこらへんのケアはしてるのだろうか。
「
「俺の身体強化も」
「その内の一つね。そして、お前を癒したあたしのやつとか、お嬢ちゃんが使ったやつとかね。ただ、不思議なのがお嬢ちゃんがそれを使えたことなんだよね。本来、インボーンアーツはかなりの経験があって死に瀕したことが無ければ覚醒しないんだよね」
「それなら、心当たりがあります」
フランが飛行艇でのことを言おうとした瞬間、女はそれを遮り、こう付け足した。
「死に瀕するっつても、要はアドレナリンが長時間しかも大量に分泌されるってことだから、修羅場をくぐり抜けまくったアリーシャと温室育ちのお嬢ちゃんじゃ、ちょっち違うんだよね」
フランは肩を縮める。
「恐らく・・・、アリーシャのインボーンアーツに共鳴して発動したんだと思うのよ。ミーは」
この女の俺に対する呼び方を指摘する。「勝手に愛称で呼ばないでくれ」と。
しかし、女は意に介さず自分の話を続ける。
「そうだっ。名乗り遅れたぁ。あたしはエリカ、エリカ・フランケンシュタイン」
フランケンシュタイン。彼女にはうってつけに思える。
「さてさてさてさてさて」
とエリカは「さて」を連呼し、
「治療してあげたからには、きみたちのインボーンアーツについて検査させてもらうよ」
と、頭をすっぽり覆うヘッドギアを被せてきた。きっと、これは何かと訊いても無駄だろうから無抵抗のまま『検査』を受ける。
すると、頭にちくっと痛みが走る。針でも刺されたのだろうか。
二分ほど経つとヘッドギアは外され、頭の方も機械によって止血された。
「これで検査は終わりっ。次は分析だよぉ」
そう言って、車輪が付いている椅子を端末がある机まで滑らせる。そして、画面とにらめっこしたまま動かなくなった。
また叫ぶパターンだろうか、そうだとしたら備えた方が良さそうだ。
しかし、エリカは予想を裏切りがっかりとした様子でこちらを向いた。
「君のインボーンアーツは身体強化、それに周囲も影響する。勿論味方にのみ。この身体強化には導力系の能力を活性化させる働きもあるみたいで、普段より圧倒的に強いアーツが素早く発動出来る。その代わり、発動を終えれば過度の疲労感とアーツが使えないっていう欠点がある。さっきみたいな状況じゃあオススメできないね」
つくづく思うのは、エリカは人の話は聞かないが、医師としてはかなり優秀なことだ。そういうことの説明じゃ真面目に喋れる。
「じゃあ治療費払えよっ。払えないなら・・・・・・カ、ラ、ダで払ってもらうぞっ」
突然の請求に驚き、今は四千ミラしか持っていないと言うと、二千足りない、と返してきた。何とか出来ないかと訊くが、金が無いからには話にならない。
と、机から何か封筒のようなものを取り出す。
俺はそれを受け取ると中身を抜いて見てみる。
手配魔獣、薬草集め、そして最後に実戦演習の参加。
薬草集めに関しては依頼人がエリカであることから、最初からこれをやらせるつもりだったのだろう。
「これで治療費は払えるのか」
そう訊くとエリカは頷く。
俺は早速動こうとしたが、フランがまだ動けないらしい。傷を治しても動かすことは危険とのことだ。俺も足を撃たれたんだが。
俺は部屋を医務室を出て演習までの時間を、他の依頼で過ごすことにした。