終章
死体だらけ。
俺が見た光景はそんな印象だった。
死屍累々と言う手もあるかもしれないが、どんな言葉で飾っても、見ていて気分の良いものではなかった。
政府軍の毒ガスが反政府勢力を蹴散らした戦場を俺は見た。
政府軍はガスマスクを被っているから、此処にいてもガスなんぞお構いなしに銃弾を叩き込める。それに対して、反政府勢力はそんな高級品を全員に持たせることは不可能だから、年端もいかない少年少女を部隊に入れ、彼らを突撃させてガスが薄くなるのを待って大人たちが反撃をする。
勿論、少年少女たちが生きて帰れる訳もない。“使える”者はぎりぎり反撃の部隊にいたが、そうでもない者は死を覚悟で突撃すること、覚悟しなくても突撃することを強要された。しかし、不思議なことに脱走兵は一人しかいなかった。俺一人しか。
どうやってそれを実現したのか。
それは単純な仕組みだ。少年少女をはじめ、多くの兵士に麻薬が支給されていた。とびきり刺激の強いものだから完全に中毒になれば痛みを感じないし、それの支給を止められることを一番恐れて戦う。戦わなかった者は麻薬の支給が止められる、という事実が軍の中では一番の恐怖だった。
しかし、俺はそれを使うのを最初から最後まで拒んだ。麻薬というのがどれだけ人を堕とすのかを知っていて、ここから抜け出し、真っ当な生活をしたいと唯一思っていたからだ。
だから俺は隊を抜けたし、その後帝国に行った。お隣の国へは徒歩で行き、その国にたまたま寄った貴族の旅団の貨物列車に紛れて帝国に入った。その後は旅団の団長をしていた貴族の養子として過ごすことになったが、気品の欠片も無い俺は最初こそ戸惑った。そんな俺を大事に育ててくれた母もいる。今は顔も分からないが、一番感謝している人物だ。
父は、俺に猟銃の扱いを教えた。狩の中で獲物に対してどのような態度で望むべきなのかも、全て。今、銃が得意な武器なのはそれが影響しているのかもしれない。
「到着します、トカレフ。あれが今のストラナです、ご覧になりますか」
ロードマスターの声で目が覚める。
「ああ、頼む」
「まあ、見えるのは殆ど地面ですけどね」
そう言って彼は床をスライドさせて、金属から砂利へとすり替える。
そのすぐ後、緩やかな衝撃とともに辺りが騒がしくなったのを感じる。正確に言えば静かにはなったのだが、飛行艇のエンジン音に掻き消されていた人々の喧騒が、次々に耳へと飛び込んできたから、そう感じたのだ。
そして、ドロップゲートが割れていき金色に輝く果実が覗く。
それが完全に割れ、飛行艇から降りると、木材で出来た建物に囲まれ、日に照らされながら働く人々、市場が見えた。中には飛行艇が珍しいのか、機体を見上げている少年がいる。
ここはストラナの市場、鉄柵で囲われて検問は設置されているが、希少な宝石を売っているし、ストラナにしか生息していない動物の売買、それの肉等を売る者もいる。それなりに賑やかにはなっているようだ。
だが、今回は買い物に来たわけではない。ニコラスのラボから隠れ家の一覧が見つかり、その中で赤い印がつけられていた場所がストラナだったから来たのだ。
俺はVDの操縦士に礼を言う。
「気にすんな。クラレンスさんの友人であるあんたの手伝いが出来るのは、これが最後だろうからな」
操縦士の言葉を聞くと、一人でスロープを降りる。そして、飛行艇が砂埃を上げて飛び立つと、俺は口に砂が入らないようにスカーフを口元まで持っていく。
そして、小指の先ほどになった飛行艇を見送り、振り返ると市場へと歩きだした。
このストラナには帝国のケルディックとも違った活気がある。人々が集まって発する活気。だが、ケルディックの状況と言えば、市に来る人が少ないし、何より内戦が始まってから、整備された街道を歩くのも相当危険だから、人の往来自体が少なくなっているのもあり、何処もかしこも人の出入りはほぼ無くなっている。
だが、ストラナは帝国が内戦に陥ろうが、滅びようが影響は無いと言い切れる。
まず、ストラナが帝国から離れすぎていて、ストラナの住民も帝国の現状を知っている人間の方が少ない。現状を知る必要が無いからだ。それに、ストラナは内戦からの復興を遂げると、各地の内紛を収めに派兵することで大忙しだ。そうしてこの国は稼いでいる。片方にしか肩入れしないこともあり、ある意味、内戦紛争を減らすことの手助けをしているのだろう。それが勝利する戦争なら、という話に限られるが。
「この辺りで黒い飛行艇は見かけなかったか」
俺は市場で魚を売っている中年の男に訊く。
「何を見かけなかったって」
周囲の喧騒に紛れて聞こえなかったようで、今度は大声で訊く。
「黒い飛行艇だ。最新のモデルの」
「最新のモデルっちゅうのは分からんが、何日か前、ここの上をすげぇスピードで通って、少し騒ぎになったやつなら黒かったのを覚えてるぜ」
俺は思っているより有力な情報が聞けたことに驚き、食い気味に質問をする。
「それは何日くらい前だ」
「四日くらい前だな。────しかし、あんた……そんなこと調べてどうするんだ」
「そいつに用事があるのさ」
俺はそう言い残して魚屋を足早に去ると、ニコラスが居そうな場所を考えた。奴のことだ、もう戦力を消耗し過ぎたことは分かっているだろう。それなら目立つ場所はまずない。そして、どんな状況でもこだわりは捨てない。悪趣味な場所を拠点にしているに違いない。そうなると、“あの場所”の可能性が高い。俺とニコラスが初めて会った場所だ。
俺が子供なりにあの内戦を終わらせるには何をしたらいいのか、その方法を模索している時に辿り着いたのが、ニコラスの存在だった。奴が裏で民間を煽動し、武器を反政府勢力へ供給して戦争を長引かせていた。だから俺は隊を抜ける前に奴を殺そうと、子供なりに努力した。
しかし、奴の元に辿り着いても、厳重に警戒したその場所への潜入は時間を要した。かなりの時間を消費してニコラスと顔を合わせると、奴はただ、「おめでとう」と言ってきた。月光を背に言ってきたのを今でも覚えている。
俺は腹が立って奴をその場で撃ち殺そうとしたが、警備の兵士にバレていたようで、一気に囲まれて武装解除を余儀なくされた。
そこは元ホテル。内戦が終わった今も元ホテル。
俺はそれのある地域へ入るために、検問をくぐる。といっても、既に賄賂は渡してあるからただ通過するだけだ。普段なら武装していないかをチェックされるのだが、ここで引っかかっては面倒だ。俺は兵士に追加の金を置いて、門を通る。
すると、草も生えない不毛の大地が広がっていた。地面の大半が岩で構成されていて、ごつごつとしている地面。風を遮るものが全く無いから、建物はあっても風化してしまっていて、何に使われていたのかも分からない状況になっている。
俺は一歩踏み出す。
これがニコラスとの決着だ。今度は逃さない。フランを助けて、シルヴィも連れて帰る。もう誰も死なせない。
ホテルが遥か遠くから頭を突き出している。黒い飛行艇は無いが、ニコラスがいる、というのは分かる。何故かと訊かれたら答えられないが、分かる。勘だ。
立ち止まり、双眼鏡で屋上などを見てもホムンクルス兵がいる様子はない。もう一人もストックがないのか、内部にいるのか。どちらにせよ、可能性だ。まだ確信するには早い。
俺は再び行軍を開始する。目的地は旧市街地、あらゆる建物が半壊して、もはや中身を風に曝している市街地。三万人が住んでいたとは考えられないゴーストタウンだ。
すると、遠くから散発的な銃声が聞こえてくる。最初に一発聞こえて、そこから次々に銃声が増えていった。政府軍の残党が戦闘を続けているのだろうか。とっくに内戦は終結したというのに、戦争という言葉がここではまだ人殺しの口実になるのだろう。
戦争だったので殺しました。
なら仕方ない、もっと殺してこい。
そんな会話を想像すると、思わず吹き出しそうになる。恐らく不謹慎極まりない想像だろう。戦争という死の存在が身近すぎて、人間の死に対しては酷く鈍感になってしまっている。
さて、ここにいて流れ弾に当たっても文句は言えない。何せ、ここに入る時点で「死んでも構わない」という内容の書類にサインをしなければならない。まるで遊撃士の極秘作戦時にサインするようなあれだ。
今回はそれよりもっと酷い。死んでも認知されない可能性だってあるし、報酬なんて物は存在しない。俺の個人的な戦いだ。唯一、有益なものは復讐だ。ミラは要らない。
街の中へ入ると、嘗て正規軍だったゲリラがその時の装備──正規軍の装備といっても、粗雑な防弾チョッキにフリッツヘルメットくらいしか統一されていない──を大事そうに着こんでいる。反政府勢力の勝利により、追いやられた彼らもまた戦争の被害者と言えるだろう。
そんな彼らは余所者に対して不快そうにする。俺はある程度現地の人間に近い格好はしているのと、この国の出身であるから多少馴染めてはいるが、独特の匂いでもあるのだろうか、数人のゲリラには睨まれている。
そんな中、俺がホテルに近づくと、通りを封鎖するようにバリケードが設置されているのが見えた。ニコラスがゲリラを丸め込んだなら──────俺は、振り返ると同時に、背後にいたゲリラが俺の後頭部に突き付けたライフルのハンドガードを掴んで、射線を地面へ逸らすと、銃を奪う。
そして、そのゲリラの首に腕を回して盾にしながら、奪ったライフルをゲリラの肩から構え、他のゲリラを牽制する。路地に入り、盾にしていたゲリラの首を締めて気絶させると身体強化をし、ホテルの裏口を目指して走る。
すると、角から飛び出してきたゲリラが、逆手で持ったナイフを仇敵を見つけたように突き立ててきた。俺はその腕を押さえ、腕を背中に回して無力化すると、壁に頭を叩きつけて意識を奪う。
続けて、死の気配をライフルにたっぷり詰め込んだ男が、銃床を使って殴りかかってくるところをしゃがんで避けると、こちらの銃床を相手に向け、それを一気に押し出す。すると、人間の腹を突いた時の柔らかい感触と共に、男は後ずさりする。俺は止めを刺すべく、はねるように立ち上がり、猫背になっている男の顔面へ爪先をぶつけると、男は舟のように反って倒れた。
俺が再び銃を構えて進むと、ホテルへの入り口直前で、正面からライフルを文字通り目と鼻の先に突き付けられる。だが、同時に相手も同じ状態である。
俺はライフルの銃身を相手のものにぶつけて、射線を左上にずらす。すると、男はそのまま何発か発砲するが、それは逆効果で、銃口をさらに上へと向けてしまっている。
銃を男の首に当てて足を引っ掛け転ばせる。そして、右膝を地に付けて倒れた男の手首を膝で押さえながら、角から飛び出そうとしているゲリラに制圧射撃を行い角から出さないようにすると、銃床を、押さえている男の顔に叩きつけて、無力化する。
射撃が止んだことでライフルを脇腹に抱えた男が飛び出してくると、その銃を足で空へとかち上げて、腕を背中に付ける形で拘束し他のゲリラたちへと投げる。
こうして道を塞ぐと、急いで裏口のドアを開けて中へと入りドアを閉めるが、これだけでは心許ない。周囲を見回すとドアの横にロッカーがあり、それをドアの前に倒す。それなりの重量はあるから暫くは入ってこれないだろう。
俺は、ふぅ、と一息つくと、直ぐに銃を構えて歩き出す。すると、受付にある張り紙があるのを見つけた。それはこの殺風景な空間に一つの集中点として存在しているようで、真新しい紙だった。
「最上階 七一五室で待つ」
それだけ書かれた紙。それは間違いなくニコラスの手書きの文字だった。
最上階で待つとは奴らしい。だが、最上階にいるなら窓から地面に落としてやろうか。
俺はそう考えながら階段を一歩一歩、慎重に登っていく。ブービートラップの類いが落ちていないかどうかも見なければいけない。屋内はその巣窟にはぴったりだからだ。
やがて、ホテルの七階に到達し廊下を渡る。ここまで屋内にゲリラはおろか、ホムンクルス兵すら居なかった。一人もだ。俺はもう銃を下ろしてずかずかと歩くことにした。ボロボロの骨董品の中を。
そして、俺は「七一五」と書かれた部屋を見つけると、ドアを蹴破り破壊する。そこには、椅子に座ったニコラスが落ち着き払って様にこちらを見据えている。
「もう少し静かに出来なかったのか」
エリカの姿はない。
「シルヴィとフランは何処だ」
「彼女たちは此処の隣の部屋で大人しくしてもらってるよ。勿論、危害は加えてない」
ニコラスの言う通り、隣の部屋にフランたちが居ればこいつは殺す。嘘を言っていれば真実を言うまで半殺しだ。
俺が隣の部屋へ行こうとした時、
「動くと、頭に綺麗な花が咲くけどいいかしら」
後ろでセーフティを外す音が聞こえた。
「エリカ」
俺は呟く。
それに対し、エリカはくすくすと笑うと、
「私はエリカじゃないわ。マリー、マリー・ノッカート。ピュートルの諜報部所属の天才女スパイ」
と言う。
「VDにいたのは鉄血宰相に復讐するためじゃなく、情報を送るのが目的だったのか」
俺がそう問うと、少し間をおいて「ええ」と答えた。その答えは、どこか後悔が混ざっているような感触の声だった。
すると、ニコラスが立ち上がり脇のホルスターから拳銃を引き抜き、その手を俺に向かって伸ばす。
「なるほど、今度は二人がかりか」
「そういうことだ。ゲリラがこの階まで辿り着くのも時間の問題だ。今度こそチェックメイトだ、ダレル」
「俺を殺してみろ、体内の導力増幅装置が暴走を始めて心臓が止まった瞬間大爆発を引き起こすぞ」
「彼女たちを巻き込むことになるぞ」
「お前たちを生かしておけば同じことだ」
「それはどうかな。シルヴィの能力は今までの兵器をも無効化するレベルの恩恵が得られる」
俺は、戦場とは魔獣を操るだけで状況を変えられる程のものではない、と思うがそれに対して反論するように、「勿論、そのままの能力を活用する訳ではない」と言う。
「彼女の持つ能力を詳しく分析した結果、導力ネットワークのような仕組みをしていることが分かった。端末から発信された命令で扉を開くことも可能となっているように、彼女から発信された命令が魔獣やホムンクルスを動かせる。それは現在最高のネットワークを以てしても不可能だった。
だが、彼女のインボーンアーツがあれば可能だ。複数の兵士が見た光景を高速で処理し、敵の位置をモニターに映し出すようなことが。更に言うなら、その情報を狙撃手や砲手がリアルタイムで知ることが出来れば、正確な攻撃が安全に行える。
これを扱う機器は高性能である必要はない。彼女の能力が引っ張るから、どんな性能であろうと然程変わりは無い。
この中でも一番恐ろしいのは、弾頭に爆薬を大量に積んだロケットだ」
「ロケット弾如きが戦況を変えれるのか」
「ただのロケットではない。飛行艇のようなジェットでさらに遠くに飛んでいけるものだ。彼女のネットワークがあれば、地図上で指定した地点に、正確な射撃ができる。これが完成すれば、本国から兵士を送らずとも、敵国を壊滅させることも可能だ」
「そんなことをしたら、戦場での死者は桁違いに増えるだけだ。ただの殺戮兵器でしかない。たとえ、使う者が理性の塊でもそれは避けられない」
「だから世界は平和になるんだ」
俺はニコラスの発言に、言葉を失うが、すぐに意味を理解した。
「実戦で使う『戦力』ではなく、『抑止力』としての兵器か」
俺は戦慄する。笑顔で握手をする異国の首相同士の背後には無数の殺戮兵器が控えていて、お互いがお互いの手を噛まないように距離をとる。もし、それが使われるような事態になれば文明が滅びるだろう。ニコラスの願う世界はそういうものだ。
「そんな平和が訪れても、すれすれの部分では戦争という結果が待っている。それも、今までの比ではない犠牲者が出るぞ。そんなもの平和ではないだろう」
「だが武力衝突が無くなるのも事実だ──────恐怖より強力な兵器はない、彼女は人を殺すのが目的の兵器じゃない、恐怖という兵器を大量生産するための工場なのだよ」
俺はニコラスの言葉に激怒し、拳を握り締める。
「彼女に人を恐怖させようとしているのか、お前はっ」
ホテル中に響くような声を張り上げる。エリカが後ろで後ずさりするのが分かる。
しかし、ニコラスは静けさを保ったまま言う。
「確かにそうかもしれないが、あのフランツィスカという少女もそれを負うことになる。半々じゃないか。それに、それによって戦地で死ぬ人間は確実に減る。彼女が望む世界も近いものになる」
「何が半々だ、シルヴィたちをお前らのビジネスに組み込ませるかよっ」
俺はエリカの拳銃のスライドを掴むと、そのまま、背後に回ってエリカを盾にする。すると、ニコラスはそれを顧みず発砲してくる。
パン、パン、パァン。
三発の銃声が鳴り響くと、エリカの左胸と腹部を銃弾が貫通するが、防弾チョッキに阻まれてその先には到達できないままでいた。
俺はエリカを前に出したままで、ニコラスへ接近する。そして、四回、破裂音が聞こえると共に右腿に杭を打ち込まれたような痛みが走る。
既に動かなくなったエリカをニコラスの方へと突き飛ばし、それによって姿勢を崩したニコラスの胸にライフルの照星を固定した。
「シルヴィたちの所へ案内しろ、今すぐに、だ」
俺がそう言うと、ニコラスはこちらに拳銃を向けて引き金を引く。しかし、そこから発したのは破裂音ではなくカチャッ、といった高い音だった。
ニコラスは舌打ちをすると立ち上がり、こっちだ、と言って歩き始めた。
「この部屋だ」
ニコラスは両手を上げている状態から右手だけをゆっくり動かし、部屋のドアを開ける。俺はニコラスの背中に銃口を押し当て、部屋に先に入るよう促す。
「ここは、随分と改造したようだが」
部屋の中には大掛かりな導力発生装置一つと二つの白い筒があり、筒は人が一人すっぽりと入れる大きさだ。中身は見えないがシルヴィとフランが入れられているのだろう。
「シルヴィの意識をフランツィスカへと転送する装置だ。似せて作っただけの体じゃ、彼女のインボーンアーツが全力を出せないままだ。フランツィスカならば、元からインボーンアーツを使用できるから、多少のお釣りが来る」
「黙れ。説明はどうでもいい、さっさと蓋を開けろ」
すると、ニコラスは「ロック解除コードを入力するのに時間がかかる。両手を使わせてくれ」と頼んできた。今のニコラスが抵抗をしたところで、制圧は容易だ。
俺は頷く。
すると、ニコラスは両手を下ろしてキーボードを叩き始めた。暫くカタカタという音だけが響いていたが、やがて、蓋が開き、中から白い霧のような物が吹き出してきた。
そして、霧の中から、目を閉じたシルヴィが姿を現す。
俺はニコラスを筒の前から退かして、シルヴィの腕や足に付いている拘束具を外し、倒れそうになった彼女を支えると、声を掛ける。
「シルヴィ、大丈夫か。助けに来た」
俺の言葉に反応したのか、シルヴィの瞼がゆっくりと開いていく。そこには、以前と同じ硝子細工のような綺麗な瞳が存在したが、何かが不足しているような感覚に陥る。
「……ダレル………助けに来てくれたんだ……」
シルヴィはまだ意識が朦朧としているのか、かなりの小声で話す。
「ああ、すぐにクロスベルに帰れるぞ」
「ありがとう」
シルヴィはそう言うと、俺の腕を離すようにして、自分で立つ。
「次はフランを解放しろ」
俺はニコラスに向かって言う。
すると、ニコラスは何度も舌打ちをして、歯を軋ませてキーワードに解除コードを入力する。
「これで開いたぞ」
俺はゆっくりと開く蓋を掴んで、無理矢理加速させる。
そして、シルヴィど同様に、白い霧に包まれたフランが出てきて、俺はフランに声を掛ける。大丈夫か、と。
すると、フランは目を覚ます様子はなく、俺はニコラスに銃口を突きつける。
「待てっ、ぼくはまだ意識のインストールは終わらせていない。それに、無理に起こしたら彼女の人格が消える、起こさなければ今まで通りの人格でいられる」
俺はシルヴィの方へ視線を傾け、彼女が頷いたのを見ると、フランの拘束具を外し、まだ、目の覚めていない彼女の体を、部屋の入り口から死角にあった椅子に座らせる。
そして、俺はライフルの銃口を、窓を背に立っているニコラスの頭へと向ける。
「これで本当に終わりだ、長い付き合いだったな。ニコラス」
「お前は今後も戦争が起きても良いと思っているのか」
「いいや。だが、それにフランが犠牲になるのは、気に入らない」
「ええ、正直、この世界から戦争を無くすのは不可能だと思う。だからと言って、誰かを犠牲にしたところで意味がない」
シルヴィはそう言って、俺の目を見る。
「この人を法廷に立たせて。ダレル」
俺は慮外の言葉に、思わず銃口を下げる。
すると、シルヴィは「ここで殺すより、帝国政府との繋がりや、ホムンクルスについて喋らせた方がいいと思うの」と、俺のライフルを更に下へと下げた。
俺は少し考えた後、静かに頷いた。
ニコラスは殺されないと分かって、安堵した様子だ。
「どちらにしよ、死ぬのが早いのか遅いかの違いだ。お前にはクラレンスを殺した罪を償ってもらうぞ」
その言葉でニコラスは眉をひそめて不快感を表す。そして、シルヴィがニコラスに部屋から出るように指示する。
パァン。
ニコラスの右のこめかみから脳漿が飛び散り、鼻から上が破裂したように吹き飛んだ。
俺が撃ったわけでもない。
すると、間髪入れずもう一つの破裂音。
それはニコラスに当たらず、シルヴィの左胸に着弾する。そして、もう一度シルヴィの胴に穴が開き、計二つの穴がシルヴィの致命傷となっている。
俺は銃弾が飛来してきた方向を見ると、骨董品のようなライフルを持った男が入り口に立っていた。その銃口は俺の頭を捉えている。
シルヴィを抱えて、俺が盾になるように入り口から死角になっているところへ隠れる。
「大人しく出てこいっ、ダレルっ」
俺は男の呼びかけを無視しライフルを連射すると、男を部屋から飛び出させる。
「シルヴィ」
俺はシルヴィに呼びかけるが、既に意識が遠のいているのか返事を出来ていない。出血も酷くなってきている。フランも揺すっても起きる様子がない。
「情報局からの暗殺命令だ。お前やニコラス、その女も標的に入っている。大人しく出てきたらフランツィスカだけは見逃そう、彼女が起きていなければ、の話だが」
男は部屋の外から話しかけてくる。
「じゃあ、お前を殺してその死体の前に大人しく出ていってやる」
ライフルのマガジンを変える。
「くそっ」
男はそう言って、部屋に入ってくると、導力発生装置の陰に隠れる。
「お前は帝国政府とピュートルとの繋がりを知った。だから情報局から暗殺命令が出た。女を殺す理由はピュートルの全てを消すためだ、そうでもしないと政府の悪行が、世界中にばら撒かれるからな」
夕日に染まった部屋に、男の大声が響く。
「彼女はピュートルには関係ないだろう」
「いいや、シルヴィが喋るかどうかではない。そう命令されているからだ」
俺は歯軋りをして、「そんな理由で」と言う。
「お前もやってきたことだろうっ、猟兵団に肩入れしてクロスベルの警備隊員を殺したことも忘れたか」
すると、廊下の方から複数人の怒号が聞こえてきた。恐らくゲリラが上がってきたのだろう。むしろ、好都合だと思い、対処はせず、部屋に入れる。
連続して銃声が聞こえたと思うと、それより高い銃声が一発響き、人の倒れる音と共に、一旦止んだ。
「お前の勝手で政府の方針は変えさせないっ、ここで死ねダレルっ」
そして、またゲリラが部屋に入ってくると、男がすぐに仕留め、グレネードを投げ込んだ。俺はその隙を見計らい、死角から飛び出ると、導力発生装置に銃弾を叩き込む。所詮、鉄板何枚かで覆われただけの粗末な装置、銃弾は機械を貫通し、恐らく男の体へと着弾した。
そして、どてっと男の背中が姿を見せる。その背中には幾つもの穴がぽっかりと開いていた。
グレネードが炸裂し、煙が足元まで来ると、俺は入り口に銃口を向けたまま、男の死体へと近付く。男の顔を覗き込む。
その顔は、面識が全く無い人物のものだった。体格的に見ても彼とはかけ離れて、ほっそりしていた。だが、一つ共通のものは、大事そうに握っている骨董品のライフルだった。腰のポーチからは、クリップに纏められた弾薬が顔を見せており、左手の指にはグレネードのピンが嵌ったままだった。
「ダレル……」
シルヴィの声を聞いて目が覚めたように、そちらへ走り寄る。
「………お別れは言ったの」
シルヴィは優しい口調で言うが、その声は枯れている。
「ああ、フランの目が覚めたら治療してもらえる。それまで耐えろ」
「もう………駄目なのは分かってる。心臓の近くに当たってるんだもの。でも、最後にあなたに言いたいことがあるの」
「何でも聞いてやる。だから諦めるな」
俺は自分の震える声を制御できていない。
すると、彼女は笑顔のまま言う。
「わたしは────」
彼女は涙に言葉を詰まらせ、
「わたしは、あなたにもっと触れてほしかった。あなたにもっと触れてたかった。」
と言うと、俺の頬を撫でるように、その細い指を伸ばしてきた。
「だけど、こうしてもう一回あなたに会えた。それだけで十分幸せだよ、だって私はもう死んでいた筈の人間なんだもの」
「置いて行かないでくれ、頼む。これが最後のチャンスなんだ。お前だけでも救いたいんだ…頼む」
シルヴィの手が、濡れていることに気が付いた。俺の涙が頬を伝ったようだ。
「フランを起こす、それでお前は助かる」
俺がフランの肩に手を掛けようとした時、シルヴィが最後の力を振り絞ったようにその手を押さえてきた。
そして、首を横に振ると、
「これ、わたしだと思って」
そうしてシルヴィが差し出してきたのは、銀色のペンダントだった。彼女の銀髪と同じように輝く。
「これからはずっと一緒だよ。それを付けてる限りずっと……。
────ねぇ、手、握って……前みたいに…ぎゅっ、と」
俺はシルヴィの右の指に、左手の指を絡めて、右手では頭を支え続ける。重さを感じない右腕は彼女の血が滴っている。
シルヴィの柔らかそうな口端からは血が流れ出したが、彼女は笑顔のままだ。
「シルヴィ、愛してる」
俺がそう言うとシルヴィは満面の笑みを浮かべる。その笑顔はかつての生者であったシルヴィの笑顔と同じだ。
ありがとう。
さようなら。
彼女はそう呟き、それ以上の言葉を紡ぐことはなかった。
His story is the end once.
The next time her story.