伸そうとした腕を一瞬止め、らしくねえぞと呟きながら橙色の鳥の羽のような髪型をした少女、奏は目の前の扉に触れた。電子的な解除音の後扉は自動で開いていく。開ききった扉の向こうには、病床に伏せた緑髪の少女、山風がいた。
「あーその、なんだ。……よう、元気か?」
言ってから、いや、元気じゃねえよなと奏は小さく自身の言葉に突っ込みを入れるも山風から反応は返って来ない。遠目で見てもわかるほどに生気がなく、奏が歩いて近くで見れば瞳は虚ろにただ光を反射している。
「アタシは元気だ、お前は……少し痩せたみたいだな」
奏の記憶にある山風の姿は二つある。奏が幻夢研究所から救出した時の姿と、今の姿。両方を比べてみれば一目瞭然で、今の方が痩せ衰えていた。
「もちっと飯食って動かねえと大きくなれねえぞ? ちょっとでいいから出来る時に動いた方がいいぜ」
反応は、ない。しかし、奏はそれを気にせずに口を動かし、話しかけ続けた。
「―――い」
やがて黙っていた山風の唇が小さく動いた。しかし、話を続けることに意識を置いていていた奏は気付けずに、そのまま言葉を続ける。
「だからよ、結局体力がなきゃ何も出来ねえんだ。それに此処にいるだけなんてそんなの詰まらねえだろ? ちょっとは外に出て―――」
「――さい」
「……ん? お前、今なんか―――」
奏がようやく山風が小さく、けれども確かに言葉を発していると気付いた時、山風は下を向いたまま叫んだ。
「煩いッ!」
吐き出すような叫びに、奏は何故と戸惑いを覚えた。何故、どうして怒っているのか、それがわからずに唯首を傾げ、しかし、直後に投げられた枕を反射のままに掴んだ。
「これ以上、アタシに話しかけて、頑張らせないでよ……。必死に頑張って、必死に耐えて、その結果が誰もいない今なのに。これ以上、アタシに何をしろっていうの。もう、放っておいて、構わないでよ……」
「――――――」
息も絶え絶えにゆっくりと緩慢な動作で顔を掌で覆った山風の姿に奏は咄嗟に口を開き、しかし言葉を出せないまま噤んだ。何を言っても意味がないだろうと。
「―――悪い、また来るわ」
そうしている内にやってきた面会時間の最後に、出せた言葉はそれだけで、奏は退出する前にもう一度だけ山風の姿を見てから扉を閉め、同時に寄りかかって息を吐いた。
「何やってんだろな、ほんと」
悪態を吐きながら項垂れる様に顔を前に倒し、しかしその一瞬に視界の端に何かが見えた気がして奏はそちらへとゆっくり顔を向けた。道の曲がり角に、一本に纏められた青い髪が見える。
「……翼? 何やってんだ?」
間違いなく、奏が知っている少女、同じシンフォギア装者にして風鳴弦十郎の甥である『風鳴翼』の後髪だ。事実、図星を突かれたらしくびくりと震えて、やがて観念したかのように罰が悪そうな表情で翼は陰からおどおどと出てきた。
「えっと……その……御免なさい」
「いや、別に謝るようなことしたわけじゃねえだろ?」
何に謝ってんだこいつと首を傾げつつ、どうしたんだと奏は尋ねる。伏し目がちに、翼は口を開いた。
「あの子、白露さんの所に行ってたんだよね? 気になっているみたいだって了子さんに聞いて、それで少し気になって。その……どうして?」
なんだそんなことかよ。と、言いながら、しかし奏は口に出そうとして言葉を止めた。
「……理由がないの?」
奏の様子に困惑したような表情でまさか理由がないのか? と、聞く翼にいや、そういう訳じゃないと返しつつ、奏は自分がどうして山風を気に掛けるようになったのか思い返した。
―――……
山風が目覚めた日に直ぐに起きた了子による質問の後、著しく体調を崩した山風は入院することになった。それから数日経ち、幻夢研究所の壊滅から一週間が経過した頃。了子は研究所崩壊後に回収されたデータを纏めた書類を上に報告した。が、幻夢研究所で行われていた研究、ネガノイズ理論についての情報はあまりにも少なかった。
それは了子達が研究所を捜査した時、研究所のデータの大部分はノイズに襲われたときに『何らかのアクシデント』があったのか大部分が失われていたからであり、その時何があったのかを撮っていたはずの監視カメラにさえ記録が残っていなかった。それにはもはや何らかの作為が見え透いており、しかし誰が、どうしてそうしたのかが研究所が既に壊滅していることもあり、何処までも不透明だった。
故に、了子が知るのは政府に要求して開示された研究の概要と、僅かに残ったデータと研究所に残っていた遺留品から調べて得た物、そして入院中の山風の口から面会時間を使って僅かなれど聞き出したことを総括して推測出来ることのみになる。だが、それだけでも十分だと言いたくなるほどに、幻夢研究所の研究は黒だった。
調べた結果を誰かに伝えるのを良しとしたくないと思う程であり、しかし、了子は自身の職務上の立場から、弦十郎や慎次に翼。そして本人の要望があった事もあり、奏を含めた数人の人員にその内容を伝えた。
「―――幻夢研究所でしている事の概要は此処、特異災害対策機動部と同じ対ノイズ研究よ。ノイズの炭素転換能力と位相差障壁。楯と矛であるこれを解析し、無効化する能力を持ってこれを正面から打破するというもの。これだけなら私の開発したシンフォギアとやっていることはあまり変わらないわ。違いは実績があるかないかだったみたい。しかし、それは表面的な話に過ぎないわ」
では裏はどうなっているのか。その答えは、山風と言う存在と、僅かに残っていた資料がその答えを表していた。
「人体実験、それも国に黙って違法のね。……奏ちゃんの合意の元とは言えシンフォギアの適合化を図る人体実験を行ったことのあるアタシが言えたことじゃないけれどこれは完全非合法。当然犯罪行為でばれたら研究所の首が全員飛んでたわね」
まあもう全員首ではなく灰になったのだが。
しかし重要なのはそこではなく研究内容。僅かながらに残っていた資料に書かれていたそれは了子をして狂っているとしか思えない内容であり、驚愕を隠せない内容だった。
「ノイズに対処するためにノイズの位相差障壁と炭素転換能力を観測し、解析。それの反転させる機能、つまりノイズの力を行使させないための空間を精製して、それを発生させる機能を山風ちゃんたちの体内で生み出せるように改造、専用の機材を用いてそれを展開すると共に敵を武力を持って打ち倒すというものだったわ」
ざわり。と、どよめく。その反応は一種、あり得るのかという事に集約されており、事実そのような声が上がってくる。何故ならそれは二課の根幹である櫻井理論とシンフォギアシステムの優位を奪うものであり、同時に了子並かそれ以上の研究者がいることを示していたからだ。
「出来る出来ないで言えば―――出来たんでしょうね。何せ成功例は私たちが保護した山風ちゃんその人みたいだから……けど、世紀の大研究はそこまで都合がよくなかったみたい」
そう、その部分こそが了子が何処までも狂っていると言いたくなった原因たる事由。
「回収された書類によると山風ちゃんは実験体番号『9610』みたい。……さて、つまり1番から9609番はどうしたのかしらね?」
了子の問いかけるような口調に一瞬静まり返り、直ぐにまさか。と、声が上がる。その声の持ち主たちの想像が現実であるというかのように了子の表情は険しく、苦虫を噛み潰したような表情で下手な真実を、誰もがそうであって欲しくないと望む真実を告げた。
「死んでるのよ。移植手術に耐えきれずに炭化消失、あるいは位相障壁の暴走によりこちらの世界に還れなくなってしまった」
「―――そんな、馬鹿な」
信じたくないと誰かが声を上げた。嘘だと言ってくれと誰もが声を上げずとも言っていた。了子とて、こんなふざけたことが事実だとは思いたくなかった。
「本当に、信じられないわよね、この研究所にいた人たちの頭は。シンフォギアシステムだって人をかなりえり好みするけれどこれは人の命をただ悪戯に消費し、弄んでいただけだもの」
了子が作ったシンフォギアも人を選ぶという点ではこのネガノイズ理論同じくらい、否それ以上だと言われても了子は否定しない。なにせシンフォギアは、先史文明期の遺物である聖遺物――分かりやすく言いかえれば神話として語られるような物の欠片と、それを扱う適性を持つ人間である適合者が必要だからだ。
適合者が現れる確立としては万分の一以下。つまりネガノイズ理論より低い。だが、了子の作ったシンフォギアはその優秀な性能と、規格外の機能、そして何よりもアンチノイズプロテクターとして打ち立て続けている功績がある。それに対してネガノイズ理論は所詮飽くまで理論。未だ成し遂げられていない以上机上の空論でしかなく、現実における唯一の成功例が山風一人だけであり、それでもまだ途中過程の話でしかない。行っていることに対して、成果が釣り合っていなさ過ぎた。
「国内の年間のノイズによる平均の死者の数よりも多い数の犠牲を出して生み出せたものは山風ちゃんという一人の存在と、あとはこの二つだけよ」
そう言いながら了子は研究所から回収していた二つの物体を全員の見える位置に取り出した。蛍光色の翠で彩られ、桃色のレバーが前面にある四角い箱型の物体、上面を見ると何かを入れるようなスロットが二つ付いている拳二つ分程の大きさのそれと、持ち手に相当する部分が黒と紫色で塗られ、そこから四角い透明な板が伸びている掌サイズのスイッチがある何か。
「了子さん、それは一体?」
形を見てもそれが何なのか理解できなかった奏が首を傾げて了子に尋ねる。了子は、若干苦々しく、これについてはまだちょっとわかっていないことがあるんだけど、と一言おいてそれが何なのか、言葉に出した。
「これが幻夢研究所で作られていたノイズを倒すための道具。ネガノイズ理論の移植手術適合者にしか起動できない、事実上山風ちゃん以外にしか使えない物、ゲーマドライバーとガシャットと呼ばれる物よ」
「……なあ、了子さん。それ、どうすんだ?」
ゲーマドライバーとガシャットの話を聞いて、奏は了子に問いかけた。問われた了子は伏し目がちに答えた。
「そうね……。解析した後は一旦保管、状況次第では山風ちゃんに返して戦ってもらう事になるかもしれないわ。……事由はどうあれ彼女はもう普通ではいられない。そして対ノイズの戦力が足りていないのも、また事実。――ままならないわよね、あんな子に、戦いを強要しなきゃいけない日が来るかもしれないなんて」
寂しげに、悔し気に了子はそう呟いた。そしてそれは、その場にいた皆が抱いていた思いだった。
―――……
「結局のところ、アタシはちょっと重ねて見てたのかもしんねえな」
病院の屋上、フリースペースになっているそこで奏は柵にもたれかかりながら翼にそう言った。それに対して翼は、あまり理解できなかったのか首を傾げて続きを促した。
「つまりだ、アタシはアイツもアタシと同じ復讐とかを思うんじゃないかって、考えてたんだよ」
奏の戦う理由、それは分かりやすく、ありふれたものである復讐だ。ノイズの被害者である彼女は、両親と妹を失っていた。奏はそんな悲劇を生み出したノイズが許せず、全てのノイズを殺すと誓い、戦いに足を踏み入れた。そして、山風もまたノイズによって家族や親しい人を殺されたと聞いた。
「なら、あいつもきっと、いつかノイズを殺すことを願うんじゃないかと思って、ならまずは元気になって動けるようにならなきゃならねえってことを先達として伝えようと思ったんだ」
そう言う奏の表情は暗い。違ったの? 翼がそう問いかければ、奏は頷いた。
「アイツは、山風はもう疲れてたんだ、戦う事に。……そりゃそうだよな、望まない実験で、命すり減らして、それで全て無くしちまったんだから。もう何もしたくねえんだろう。でも、そんなことにも気付かず、アタシは頑張れって言っちまってさ、『これ以上何を頑張れっていうのッ!』って怒鳴られたんだ」
ホント、何言ってるんだろうな。そう自嘲する奏に翼はどんな言葉を掛けられるのかわからなかった。暫しの沈黙は、唯々重い空気が漂っていた。
「……悪い、カッコ悪いとこ見せちまったな」
やがて、はっと息を小さく吐いて笑う様に奏はそう言った。
「ううん……ゴメン。私、何にもいえなくて」
「いや、聞いてくれただけで楽になったわ。サンキューな、翼。……もう、帰ろうぜ」
「うん……」
奏に押されるまま、病院の上から去ろうと歩き始めた時、
―――サイレンが鳴り響いた。
「―――ッ! このサイレンは!」
酷く
「ああ、こいつは――――ッ!」
奏も振り返り、下を見下ろす。間違いない。このサイレンと視界に映るそいつらが、今この場で何が起きているのかを示していた。
「「ノイズの襲撃だッ!」」