レベルMAXのユーリがエステルを守るお話   作:ニコっとテイルズ

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注意書き:

ヴェスペリアのキャラクターファンの棲み分けのために申し上げておきます。
この小説をお読みになる前に、以下2点を必ず心に留めて下さい。

・かなり高糖度の「ユリエス」です。
・それ以外の原作キャラはほとんど出てきません。場合によっては死亡しています。

この時点でアヤシイな、と感じたならば今すぐブラウザバックをしてください。 
もしも受け入れられるにしても途中でダメだと思ったら、同様にお願いします。









1.告白

*酷薄な4つの記事

 

『アレクセイ・ディノイア氏が亡くなった。帝国騎士団長だった。

 死因は失血死。頸動脈を小刀で切り裂き、自室で夥しい血を撒き散らしながら死んでいた。

 現場に争った痕跡はないが、騎士団は念のため自殺と他殺の両面から捜査をしている。

 騎士団を取り仕切る長の突然の訃報に、騎士たちは混乱し、事態の収拾には時間がかかりそうだ』

 

『アレクサンダー・フォン・キュモール氏が亡くなった。騎士団のある部隊の隊長だった。

 死因は失血死。自宅の浴室にてナイフで左手首の動脈をズタズタに切り裂いて死んでいた。

 自宅と現場に争った痕跡はないが、騎士団は念のため自殺と他殺の両面から捜査をしている。

 なお、騎士団長の絶命の影響が大きく、騎士たちの間で俎上に載ることは稀であった』

 

『デデッキ氏が亡くなった。後の調べによると、盗賊だったことがわかった。

 死因は失血死。背中を一閃、剣で切り裂かれて、川に突き落とされて死んでいた。

 状況から鑑みて明らかに殺人であり、騎士団は少人数ながらも真相究明に努めている。

 それと同時に、この男の行った、あるいは行おうとしていた犯罪についても調査中である』

 

『ラピードが亡くなった。下町の住人ユーリ・ローウェルの飼い犬だった。

 死因は、拡張型心筋症。ユーリ氏の自室において突然激しく咳き込んだ後、急に意識を失った。

 すぐに近くの獣医の元に運ばれたが、手遅れであった。外傷等はなく、事件性は疑われない。

 飼い主のユーリ氏によって、下町の共同墓地に、住民たちに見守られながら丁重に埋葬された』

 

 

 

 

 

 

 

 

 エステリーゼ・シデス・ヒュラッセインは、今日も自室で本を読んでいた。

 金色の絢爛と煌めくシャンデリア。深紅の帳に囲まれた巨大な天蓋付きベッド。

 広大な部屋に張り巡らされるのは、華を額縁に入れたような、派手過ぎず、しかし高尚に編まれた絨毯。

 他にも、白を基調としたクローゼットやドレッサーと言った格調高い家具や調度品。

 そして、著名な画匠の描いた絵画が部屋の両側面に隈なく掛けられていると、紛うことなき皇女の私室となるのである。

 

 しかし、エステリーゼの目は、自然の光で読む本と共に、嵌め殺しにされた風窓から見える青い小鳥に注がれていた。

 彼女が今最も興味があるのは、何度も説明された絵画の意味や自らが就くかもしれない皇位ではない。

 

 ただ、お城の外に出てみたい、ということである。

 

 ここザーフィアス城にほぼ軟禁状態の皇女としては、剣の訓練でたまに向かう中庭以外、外出の機会がない。

 中庭に赴くことさえ「外出」と呼べるのがエステリーゼの生活である。

 あの小鳥が飛んでいく先に何があるのかも、鳥たちが触れる空気の味がどんなものかも、彼女は知らない。

 皇室お抱えの教師陣の厳格な声や、壁の隅にある本の匂いは知っているが、自由に舞う鳥の囀(さえず)りも、雨上がりの草木の匂いも知らないのである。

 以前に読んだ物語の中には、特別な靴を履けば、絵本の中に入り込めるというものがあった。

 もしそれがあれば、今すぐにでも履いて本の中に飛び込めるのに。挿絵や活字だけでは海の潮騒(しおさい)や、花の芳香は感じ得ないから。

 現実に本の中に入ることが叶わないことを知った後も、外に出たいという切なる願いは変わっていない。

 

 しかしエステリーゼは己の、皇女という立場を身に染みるほど理解している。

 うかうかと外に出られる立場にないことは、細胞の一つ一つに刻み込まれているのだ。

 だから、彼女は、願望と現実のギャップに平伏し、退屈な日常が続くことに溜息をこぼすのである。

 やがて、陰鬱な彼女の雰囲気を拒絶するかのように、羽を休めていた青い小鳥も飛び立って行った。

 もう一つ、エステリーゼは、溜息をついた。

 

 窓は鏡となって、そんなエステリーゼの姿を映す。

 綺麗に切り揃えられている桃色の短髪。翠色の瞳は少し淀んでいる。

 決して青い鳥にはならない青いドレス。

 見飽きるほどに自覚させられる飛べない自分の姿。

 

 鈴は鈴。小鳥は小鳥。わたしはわたし。

 みんな違ってみんないいと言うのは、麗句ではあれど真理ではないと、エステリーゼは思っていた。

 

 今は、青い小鳥になりたいなぁ。

 

 

 

 ―――しかし、青い小鳥にはなれずとも、外に出たいという願いは唐突に叶えられることになる。

 ……もっとも、それは青い小鳥ではなく赤い巨鳥の、おかげというよりせいであったが。

 

 

 

 午前中に終わった治癒術の訓練の練習もあって、やや体に疲労が残っていたエステリーゼが、天蓋付きのベッドに向かおうとしていた時のことであった。

 

 突然視界が、薄暗く覆われた。

 

 太陽が厚い雲に入ったのかな、とエステリーゼが何気なく窓へと振り返ると、

 

「きゃっ!!」

 

 エステリーゼの私室のそれ相応に巨大な窓を優に超える巨鳥が、そこにはいた。

 出現があまりに唐突過ぎたことで、エステルの脳が認識できたのは、赤い大鳥ということだけであった。

 混乱のあまり、現実逃避に嵌まった思考は、赤い鳥って自分の今着ている青いドレスの色と対照的だな、と余計なことを考えてしまう。

 

 身体の総身が止まってしまっているエステリーゼであっても、赤い怪鳥は容赦しない。

 まずは牽制とばかりに、

 

 

 

 ガッシャ―――ン!!!

 

 

 

 その巨体を以て、嵌め殺しの窓を粉砕した。

 それが自分を解放するためではないのは、エステリーゼ自身、その怪鳥の鋭利な眦(まなじり)を見ればよくわかる。

 

『……忌マワシキ世界ノ毒ハ消ス』

 

 太陽を隠した体から発せられる重厚な言葉は、エステリーゼの身体を圧した。

 

「しゃべった!? あなたは……いったい……」

 

 エステリーゼがそう言葉を紡げた時には、怪鳥は口腔の火炎の再装填を完了していた。

 そして、エステリーゼの驚愕の表情すら存在しなかったことにせんと、放射しようとした時、

 

「絶風刃!」

 

 勇ましい声と共に緑の風圧が怪鳥に直撃した。

 

 

 

『ゲグアッ!』

 

 吐き出そうとした炎を強制的に反転させられ、怪鳥はえずく。

 そして、その巨体と声だけでエステリーゼを圧倒した怪鳥は、逆に驚くほど外へと押し戻される。

 その仰け反り具合は、窓から距離のある城壁にぶつかるほどであった。隠された太陽が再びエステリーゼの部屋に射し込まれる。

 

「だ、だれ……?」

 

 エステリーゼが部屋の入り口に目をやる。

 風圧の出所には、剣を肩に構えた黒髪の青年が立っていた。

 一応騎士の制服は着ているが、エステリーゼに見覚えはない。

 

「……アンタは、ちょっとすっこんでな。

ちょっと躾が必要な大鳥さんがいるみたいなんでな。

……マジでオオトリだったら苦労しねぇんだがな」

 

 黒い青年は最後をやや窄(すぼめ)めながら呟き、エステリーゼを背中に隠して怪鳥を睨み付ける。

 エステリーゼは再び影に覆われたが、今度は悪い心地はしなかった。

 

『キサマハドケ』

 

 態勢を立て直した怪鳥は、睨(ね)め付ける先を青年へと変えた。

 バサバサと、羽ばたいているその様は、苛立ちだけでない意味合いが込められている。

 

「オレを躾けたいたなら、腕っぷしで叩きのめしてからしな!」

 

 退くどころか、ますます挑戦的な笑みを浮かべて前進する青年。

 

(こやつ……)

 

 その姿に、怪鳥は言葉による脅迫を諦めるべきだと悟る。

 

 それどころか、そのただものではない業物と、先ほど受けた強烈な剣圧から、この青年を直接屠ることが可能かすら疑わしい。

 あの威力は熟達という段をとうに乗り越えている。我々に協力的な、あの奇特な人間をも遥かに上回るのではないかと思うほどだ。

 それでも、この城を叩き壊せば、あるいは覆いつくすほどの炎を放てば、この人間ともども抹殺できるかもしれない。

 

 しかしながら、それは今は避けたい。

 目標となる対象以外の無辜の生命を潰すほどには、怪鳥も残虐になり切れない。

 人間の中にも愚かではない者もいる。十把一絡げに纏めて獄殺するなど、世界を愛するものとしてできるはずもない。

 

 なので、赤い怪鳥は―――

 

「お帰りか……」

 

 その巨体を旋回し、退却の一手を打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か?」

 

 青年は、首だけで振り返る

 泰然自若とした青年の声の調子に優しさを感知したエステリーゼは、自然とそれに呼応する。

 

「……はい。助けてくれてありがとうございました」

「どういたしまして」

 

 青年は、エステリーゼから目を逸らし、剝き出しのままだった紫の刀身を慣れた手つきで鞘に納める。

 

「あの……あなたのお名前は?」

 

 おずおずと、エステリーゼは訊ねる。

 

「……ユーリだ。ユーリ・ローウェル」

 

 一拍置いて、黒髪の青年―――ユーリは澱みなく答える。

 自己紹介で相手の目を見ないのは、エステリーゼにとって初めてであった。

 

「ユーリ・ローウェル……初めて聞く名前です」

 

 こちらに振り向かないことをを咎めようとも思わず、自らの脳内で既知でないことを確認する。

 

「アンタは、エステリーゼだったか」

 

 あたかもそれが常識だと言わんばかりといった調子のユーリは、相変わらずこちらを向こうとしない。

 

「どうして、わたしの名前を?」

 

 首を傾げるエステリーゼ。

 普段軟禁状態のエステリーゼを知っている人間は、騎士であっても少ないのだ。

 

「別に。昔の騎士の任務中にたまたま知る機会があっただけ」

 

 エステリーゼは、ほんの少しだけ、ユーリの声に気怠げな調子を汲み取れた。

 彼女は、五感の全てが鋭いのだ。

 しかし、特に口を挟むべきこととも思えず、

 

「そうですか……」

 

 納得したことにする。

 

「ああ……アンタのこと、エステルって呼んでいい?

そっちの方が呼びやすくてな」

「あ……はい! 構いませんよ」

 

 ユーリの提案に、エステリーゼは、『エステル』という響きをすぐさま気に入った。

 そして、その愛称を噛みしめるように、「エステル……エステル……エステル……」と少し俯きながら呟き続ける。

 ユーリは、耳朶を打つ小さな声に、満足げに微笑みながら、ついに身体ごとエステルに振り返った。

 

「あんなのが襲ってきて、エステルは安眠できるわけ?」

「……え、あの……」

 

 あの突然の事態を飲み込めるほど、エステルは心の整理がついていない。

 そしてつけさせる間もなく、ユーリは畳みかける。

 

「もしそうでないなら、城の外に来ねぇか?

少なくとも、オレがいつでも一緒に居られる場所に」

「はい!?」

 

 ユーリの急な誘いを、エステルはすぐには受け入れられなかった。

 そして思わず、窓の外で霹靂がないものかと確かめてしまった。

 

「城の騎士じゃ、あんなデカブツ止められねぇだろ。

なら止められる奴が一緒に居た方がいいんじゃねぇかって話だ。

こんな部屋にずっといても退屈そうだし」

「………………」

 

 置換されてやっと咀嚼できたユーリの言葉。

 ようやくエステルは思考に頭を巡らせることができた。

 

 外に出る。

 ずっと願って、しかしいつも叶わぬと思っていた未知への投擲。

 突然の黒髪の青年からの言葉は、今まで味わってきたどんな甘味よりも甘く感ぜられる。

 

 しかし、自分の立場を思い出す。

 わたしは皇女。迂闊に出歩いたらいけない。

 それに帝都の中だけならともかく、もしも結界の外まで行ったら……。

 

 結界の外。

 それは野生の魔物が徘徊している場所を意味する。

 この世界の人間は、各々の街に設置されている結界魔導器(シルトブラスティア)の恩恵を受けて生きているのだ。

 その魔物の避けの守護なしで生くことなど、果たして剣や魔術を僅かに習ったばかりの自分にできるのだろうか?

 普通の人間は、騎士たちに守護されて結界の外に生きているというのに……

 

 そこまで考えて、ふとエステルは初めに訊くべきだったことを訊くことにする。

 

「ユーリさんは「ユーリでいい」……そうですか。では、ユーリは、どの騎士の部隊に所属しているんです?」

 

 通常騎士は、いずれかの部隊に所属している。

 高位の騎士ならば、赤や青と言ったその部隊のシンボルカラーの鎧を身に纏える。

 しかし、ユーリの格好は下級騎士に共通の緑色の衣装であったので、どこの部隊かわからないのだ。 

 だが、ユーリは想像の斜め上を行く、とんでもない答えを返した。

 

「オレ? そもそも騎士じゃねぇけど」

「はい!? なら、どうして騎士の格好をして、お城の中にいるんです!?」

 

 仰天同地の事実に、エステルは文字通り一歩引いた。

 騎士だから警護に来てたと思ったのに、あっさりとそうではないと言われたのだ。

 ならば、ユーリはいったい誰なのか!?

 そう慌てふためくのも、仕方ないことであった。

 

「たまたま昔馴染みから、騎士の格好を借りてお城の探検をしてたんだよ。 

んで、デカい物音してここに入ったら、エステルとあのでっかい鳥に出くわしたってわけ」

 

 反射的に身を引いたエステルに、苦笑しながらユーリは釈明する。

 

「は……はぁ、そうなんですか」

 

 エステルは、胸に手を当てて、ホッと一息をついた。

 キケンな賊でないとわかって一安心なのである。

 よくよく考えれば非常に怪しい答えであるのだが、それを斟酌できるほどエステルは、常識を形成することを許されていなかった。

 

「そんで、話は戻すけど、アンタはどうすんだ? 

オレと一緒に来れば、取り敢えず身の安全は保障するぜ」

「どうして、そこまでわたしを……?」

 

 さすがにエステルも眉をひそめる。

 いくら何でも、出会ってほんの幾何も無い人間からそこまでされるのには違和感を覚える。

 そう思って、訊ねたのであるが……

 

 

 

 

「決まってる。エステルに一目惚れしたからだ」

 

 

 

 

 一切の混じり気のない黒い瞳に見つめられながら、告白された。

 

 

 

 

「へ?」

 

 その言葉を聞いたエステルの脳は一旦麻痺した。

 

「え? ……え~~~~~~~~~~~~!!!!!!!」

 

 そして、解を釈した時には、また別の意味で脳を機能停止させられた。

 

 そして、ユーリがおもむろに(エステルにとっては瞬間移動で)近づき、

 

「ひゃいっ!!」

 

 ガッチリと肩を掴まれた時には、強制的にユーリの顔をいっぱいに拝まさせられることになった。

 

「エステル。オレはお前のことが好きだ。

だから、お前のことを守りたいんだ。わかってくれるか?」

「は……はい」

 

 幸いだったのは、気圧されて出てきたエステルの蚊の鳴くような声を、真摯な答えとユーリが受け取らなかったことだ。

 不幸だったのは、ユーリが今もなお肩を離してくれないことだった。

 

「………………」

「~~~~~~ッ!!」

 

 ユーリの瞳をじっくりと見つめさせられている内に、ようやくエステルは自分の思考を取り戻すことができた。

 しかし、その脳は、まず眼前の情報を処理しなければならない。

 

 ユーリの顔を具(つぶさ)に分析してみる。

 正真正銘の男性なのに、柳眉と評されても差支えのないほどの、しかし逆ハノ字がデフォルトになっている厳めしい眉。

 その眉毛をサラサラな前髪が、風に揺れるカーテンのように見え隠れさせ、神聖なるものへの誘いのように思えた。

 曇り気のない、恐らく常ならば射抜くような力強い瞳には、今は純真と慈しみが宿っている……気がする。

 エステルは人間観察が得意であるが、これほどの無垢な清澄と狼のような目尻が併存している人間を見るのは初めてであった。

 口元を湛えるのは、不敵な笑み。……どういう人生経験を積めばこれほどの自信を漲らせることができるのか。

 首元を優に超える漆黒の長髪は帷帳(いちょう)となって、エステルの瞳に背景さえも映りこませることを禁じている。

 まるで、それ以外の世界を見ることすら許さないような、そんな独占欲が滲み出てるように感じられた。

 

 そして端的に言って、イケメン。

 エステルの好きな『彗星物語』の主人公の友人で、琥珀の聖騎士のような密やかな好みのタイプ。

 その顔がだんだん大きくなっていって……

 

「な、なにするんです!?」

 

 ようやく自分で身体を動かせるようになった。

 ユーリを両手で押しのけた反動で、背中を壁にぶつけてしまう。

 その冷たい感触が、自分が自分の部屋にいるという単純極まりないことを思い出させてくれた。

 有名な絵画も白い壁も今まで通りだ。

 

 世界を視認できて、ようやく自分が茹でだこのように沸騰していることを思い知る。

 爆動する心臓から供給される血液は、熱く滾るものであることを、エステルは初めて学習した。

 それでも、はぁはぁと息を切らしながら、キッっとユーリを睨み付ける。

 しかし、上手なのは常に相手の方だった。

 

「はっはっは。なぁ……いいだろ?」

「っ!?」

 

 快活な哄笑の後に、気障ったらしくトーンを落として訊ねてくる黒狼が、また視界を覆ってくる。

 男女関係どころか対人関係すら極端に制限されているエステルにとって、その抑揚の付け方は反則である。

 あっという間に世界が再度分かたれてしまった。

 

ドンッ!!

 

「ひっ!!」

 

 再びエステルが世界に帰ってくることはできたのは、ユーリの掌底が壁を打ち付ける音が耳を劈いた時だ。

 その雄々しく乱暴な音で、自分がどんな状況に置かれているかを理解する。

 そう。これこそが、何かの恋愛物語で読んだ“壁ドン”というものだ。

 

 エステルの積み上げられた知識層は、自分の置かれた状況を正しく認識できるだけの言の葉(ことのは)を与えてくれる。

 

「うぅぅぅぅ……」

 

 しかし、自らを支配せんという勢いで迫ってくる青年に対して、いかに対処すべきなのかという回答を与えてくれることはなかった。

 まさか「調べるまで待ってください」という文句が通じる相手でもあるまいし。

 

「……………」

「……………」

 

 ゆっくりゆっくりユーリは近づいて来る。

 男にしてはきめ細やかな肌。

 流麗な黒髪から流れ込む爽やかなシャンプーの香り。

 そして、ユーリの息遣いがエステルの耳朶を打った時……

 

「はう……」

 

 エステルは崩れ落ちてしまった。

 カクンと膝が折れて、唯一緊急回避ができる絨毯の上にペタンと座り込んでしまう。

 身体がふにゃっとしているのを自覚した時には、もう為されるがまましかないのだと覚悟した。

 覚悟したのであるが……

 

「わふっ!」

 

 ショートし過ぎて熱断線を起こしそうな神経中枢が伝えてくれたのは、桃色の髪を撫でるしっとりと涼やかな手の平だった。

 エステルの頭のてっぺんをわしゃわしゃと掻き回す。

 

「な、何するんですか!?」

「はっはっは。わりぃわりぃ。ここまで面白い反応が見られるとは思ってなくてな」

 

 どこまでも楽し気なユーリに、エステルはプクっと頬を膨らませる。

 

「~~~!!! もういいです! 知りません!」

 

 まるで小犬のように従順になっていると勘違いされてもらっても困る。

 エステルはそう思い、ユーリから火照った顔をプイと逸らした。

 

 ただ逸らした目線の先がいけなかった。

 

 天蓋付きのベッド。

 いつもなら自分の部屋に馴染みきった豪奢な寝所であるのだが……

 

「なんだ? もうやるのか?」

「ちっ、違いますっ!!」

 

 今はユーリにとっての揶揄(からか)いの材料になってしまう。

 ブンブンと振った頭をようやく静止させたエステルに、笑顔のままユーリは右手を差し伸べる。

 

「ほれっ。一緒に来るなら手を取れ。来ねえなら取らなくていいから」

「………………」

 

 柳眉を曇らせ、精一杯目を細めながら、エステルはユーリの手の平を睨み付ける。

 待ちに待った自由をこの不埒な人と一緒に?

 色んな意味で危険なんじゃないだろうか? この黒オオカミについて行くことは。

 四六時中自分の貞操を心配する必要があるのではないか。

 

 そこまで考えて、心の中の天秤が『行かない』方に傾きかけた時、エステルはふと(ベッドには目を向けないようにしながら)部屋全体を見回した。

 

 名画も、白い壁もいつも通りある。 

 常とは異なる所と言えば、嵌め殺しの窓が粉砕されていることか。

 四角い木の枠の残骸は、高級絨毯の上に四方八方散らばっている。

 割れた窓が初めて運んでくる風の先には、また青い小鳥が舞っていた。

 

「……………」

 

 それを見て、エステルは己の感覚を信じることにする。

 

「……わかりました。では、わたしの護衛をよろしくお願いします」

 

 合理的な理由を嘯いてしまったと思いながら、エステルは眼前の手の平を握った。

 大きな手は、ひょいとエステルの身体を持ち上げる。

  

「よろしくな、エステル」

 

 エステルは、人間観察が得意であったが、

 

「……はい、よろしくお願いします!」

 

 ユーリの言葉にどれほどの感情が籠められていたのか、わからなかった。

 

 

 

 

 

 

―――帝都・下町の酒場

 

 一人の男が、マスターのいるカウンター席までドスドスと近寄って来る。

 

「いらっしゃい……ああ、お前さんか。いつものでいいかい?」

「ああ……いや、今日は飛び切り強ぇヤツを頼む」

「……そうだな。また、あんなことがあっちまったからな」

「くそっ! 爺さんがくたばった直後だってのに。今度はガキが逝きやがるとは!」

「ああー、ああー、ああー。いくらでも話聞いてやっから、グラス壊すのだけは勘弁してくれな」

「ふん……」

 

「……たまには、景気の良い話でもあればな」

「その前に再発防止だ! ったく。二度とあんな事故が起こんねえように、ガキどもに徹底しねーと」

「前の教訓が生かしきれなかったのがなぁ。……10年近く経つと風化しきっちまうか」

「くそっ! テッドの馬鹿野郎がっ!! 嫌でも思い出させるじゃねーか」

「………………はいよ。つまみだ」

「………………まずいな」

「美味しくても虚しいからな」  

 

 男は、グラスを傾けた後、灼熱の液体を嚥下する。

 水道魔導器(アクエブラスティア)が汲み上げる噴水の水飛沫の忌々しい跳音から、聴覚を麻痺させるために。

 

 

 

 

 




 自分の脳みそが、鶏卵なのだと初めて知りました。
 執筆中に沸騰し、冷えたころには固まってしまい、なかなか文章を紡げなくなりました。
 そんなゆで卵脳な私が書いた文章は、いつも以上に自信がありません(駄文タグを付けようかと思いました)。
 恋愛を生業とする作家さんは、一体どれほどの耐火性を誇る鋼鉄脳なのでしょうか。
 本当に尊敬します。
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