やはり俺達が地球を守るのはまちがっている。 作:サバンナ・ハイメイン
陽乃は最後の手段に出た。
それは母を自分の手で亡き者にすること。
世が世ならば尊属殺人罪とされ、普通の殺人より重い刑罰が下る、禁忌の方法だった。
陽乃はそれを行う以外もはや母というしがらみを解くことができないと考えていた。
いつだって勝手に決めていた母。いつだって押し付けてきた母。
陽乃は自分が自分であるために、自分の母を殺さなければなかった。どうせ死ぬ命だ、一矢報いてやるという覚悟を持っていた。
これをコエムシに話したとき、性格の悪いこの不細工な人形は、大いに賛同した。良いぜ、面白いじゃねえか、と。
そこでコエムシには事前に敵が来る大体の予測をしてもらい、時期に合わせ無理やり雇っている家政婦をテレポートで避難させる。
母親が家で一人になったところを、部屋の扉をコエムシに壊してもらって軟禁する。あとは戦闘に入って、家を破壊するだけで事足りた。
しかしそれでは陽乃が物足りなかった。散々怖がらせて、母の狼狽える姿を拝んだうえで殺す。そうでなければ積年の恨みを晴らすことは出来ない。
だからこそ、敵を完全に倒さずに、ジアースを自分で自由に動かせる時間を確保する必要があった。
全ては計画通りだった。あとは怖がる母を高みの見物で楽しむ。
「姉さんやめて! いくら姉さんが母さんを憎んでいるからといってそんな、命まで奪うなんて……」
「そうだよ陽乃さん! それだけはやっちゃいけない!」
妹や葉山の静止などもちろん聴く耳を持たなかった。
「陽乃、君は確かに母親と相性が良くなかったかもしれないが、殺していい理由にならない!」
平塚先生の言葉も今は鬱陶しいだけだ。
「か、家族を、殺すなんて、なんでそんなこと……」
川崎とかいうポニーテールの子も驚愕している。確かに普通の子には理解されないかもしれないわね、と陽乃は自嘲し笑った。もちろん他の人間の言葉も上がるが、今の彼女に届くはずもない。
「雪ノ下さん……。貴方が今やるべきことはこれなんですか……?」
あの比企谷八幡も何か言っているがどうでもいいことだった。
今だからこそ、やらなければならないのだ。
もう陽乃を止めるには物理的手段しか残されていなかった。
それを行おうとしたのは幼馴染である葉山だった。彼は戸部と一緒に陽乃を羽織り攻めにしようとした。
想定内。こちらに詰めよってきた雪乃を突き飛ばし、陽乃はコエムシ、と叫ぶと、陽乃の四方を囲むガラスが地面から生えてきた。強化ガラスだ。葉山がタックルをするが、人の手だけでは絶対に壊れない。コエムシとの打ち合わせ通り。
これで陽乃を邪魔する手段は完全になくなった。文字通りやりたい放題出来るだろう。
「コエムシ、囲いを解いて! お願い! でないと本当に姉さんが母さんを殺してしまうわ!!」
半分悲鳴で雪乃が叫ぶ。いつもの凛々しい顔がぐちゃぐちゃに歪みんでいた。
コエムシは意地悪そうに、くくく、と笑ってそして、良いじゃねえかと続けた。
「ハルノは死ぬんだぜ? ジアースはパイロットの魂を燃料に動いているからな。人生最後の我がままくらい聞いてあげるのが情けってもんだ」
一瞬、場が凍り付いた。この不細工なぬいぐるみは一体何を言っているんだ、と。
それで、陽乃が、そういうことなの、と薄い笑みを浮かべて肯定したの受けて、コックピット内がざわつき始める。
「姉さんが死ぬって、どういことなの?」
信じられないとばかりに声を上げたのは、やはり妹の雪乃だった。
各々からそのことを追求する言葉が飛び交い、コエムシがまた意地悪く、くくくと笑う。
「ジアースで一戦闘駆動するかわりに、操縦者の命を奪うんだ。自分の命と引き換えに絶大な力を扱えるんだぜ? ハルノのしてることは至極まっとうなことだ。死ぬ前なんだから好きなこと、しねえとなあ?」
コエムシの言葉に、陽乃は首肯して言葉を繋げる。もう誰も陽乃の邪魔をしようとしなかった。ただその非現実的な事実に打ちのめされているだけだった。
「そういうことよ。だから私は、私のために、母さんを殺すの! 私の自由を奪ってきた、あのロクでもない母親に、一矢報いてやるの!」
スクリーンに映し出される、焦り顔の母。普段の鉄仮面は何処へ行ったのか、ジアースの存在を確認すると、急いで開きもしない扉をなんとか通ろうとしていた。
ジアースの腕の先端を指のように分けた。そして母がまだいる家に手をかける。
ゆっくり、けれど確実に、まるで籠の中の昆虫を虐めるように、自宅を揺する陽乃。
雪ノ下の実家は震度7ほどの揺れに襲われていた。家具が倒れ、装飾品が落ち、立っていることもままならない。
ただでさえ命の危険を感じる振動なのに、それを起こしている元凶が、巨大な怪獣なのだ。つまり何者かが悪意をもって自分を襲ってきている。これ以上の恐怖がどこにあるというのか。雪ノ下の母親は、恐怖にのまれそうなるのを必死でこらえていた。
「母さん、そうよ! もっと怖がりなさい! もっと恐れなさい! 震えなさい! あはははははははは!!」
スクリーンが数個増え、怯える母親を色々な角度から映し出す。
それを見せられるたびに、雪乃の悲鳴が聞こえるが知ったことではなかった。
陽乃は自分が異様に興奮しているのが分かった。頬が赤く染まり、動悸が激しくなり、汗がにじんでくる。のどが渇き、もっと無様な母の姿を渇望する。
それは全くの偶然であった。
母の頭の中でパニックを押さえるあまり、ある種の覚醒状態に陥っていた。
記憶の片隅に、同じようなことをやっている人間が思い浮かんだのだ。気に食わないと、家を、正確にはおもちゃの家を、揺すって文句を言う、幼い娘のことを。未だにそのおもちゃをリビングに飾っては、昔はあんなに可愛かったのにねえ、と思い出していた。
有り得ないと思い、普通なら絶対に口から出ない名前が、母から零れた。
「陽乃? これをやっているのは陽乃なの!?」
コックピットのいくつものスクリーンが、その映像を拾う。間違いなかった。偶然に何にしろ、母親はこれが娘の仕業だと、この極限状態で当ててしまったのだ。
その事実に皆が驚愕したが、もっとも動揺したのは他ならぬ陽乃であった。
そんな馬鹿なはずがなかった。だって、母親は私のことなんて、ただの操り人形としてしか見ていないのではなかったはずだ。こんな巨大なロボットを操ってるなんて絶対思いつくはずがない。
「なっ……! どうして、そこで私の名前を当てられるのよ……!」
陽乃にとってあまりにも想定外のことだった。その動揺はジアースの動きを一瞬止めることに成功していた。さらに振動のおかげで母を閉じ込めていた扉が開いていた。母は急いでその場から脱出し、家の外へと向かって走っていた。
母はこの一瞬で疑問から確信に変わっていた。これが陽乃仕業であること。そしてこれは自分が止めなければならないということを。
外に向かいつつ、母は叫ぶ。
「陽乃! 貴方、陽乃なのね!? どうしてこんなものを操縦しているかわからないけれど、バカなことはやめなさい!」
陽乃の表情は明らかに歪んでいた。計算が何もかも狂っていた。
自分だと当てられることもそうだし、自分を止めようとジアースに呼びかけてくることも、逃げるのではなく諭してくることも。
自分の知ってる母なら、たとえ娘が乗っていても、保身のため、ひたすら逃げ惑うか、あるいは許しを乞うか。そんな、まるで駄々っ子をたしなめるように、向かってくるなんて。
「おいおい、ハルノ、なんかバレちまってるぜ? どうするんだ? まさか殺せないとか言うんじゃねえだろうな?」
隣でコエムシがハエのように舞う。
「うるさい! 殺れるわ! 見てなさい!」
陽乃はコエムシを手で追っ払うと、ジアースの腕を母に向けて振り下ろそうと念じた。
母は手を広げて、それに応じた。
逃げることもせず、まるで抱擁をするように。
表情は凛とした顔、ジアースの攻撃を受け入れるかのようで。
「どうして、どうして、逃げようとしないの!? 母さんは死にたいの!? ……わかったわ、娘だから母を殺せるわけないって、そう高をくくっているのね!? どこまでも馬鹿にして!!」
陽乃はもはや半狂乱になっていた。
髪は乱れ、目は血走り、化粧は汗でぐちゃぐちゃに崩れていた。まるでいつも付けている仮面が剥がれ落ちたかのようだった。
混乱、苛立ち、焦り。様々な感情が入り混じって、混沌とした陽乃の頭の中、優れた動体視力が、海辺の方から飛んでくる光線を捉えた。
それはこちらを攻撃するものだと脊髄反射的に判断した陽乃は、ジアースの腕を咄嗟に母の手前に置いた。
光線はジアースの腕に着弾しいくつか装甲を削ったが、それだけだった。
ジアースの腕も、その背後の陽乃の母親も、無事であった。
「姉さん……今、母さんを守って……」
雪乃がポロっと口にしたこと。
これこそが純然たる事実だった。そしてそれはまた陽乃を混乱させた。
なぜ? どうして? あれほど憎くて殺したい相手なのに、なぜ私は庇った?
さらに沸々と湧き上がるのは、敵ロボットへの怒りだった。
それにこの感情は何? どうしてこれほどまでに攻撃してきた奴が憎く感じるの……?
「どうやら敵さんが仕掛けて来たようだぜ」
「敵の本体は倒したはずでしょ!? そんなに早く復活したってことなの!?」
「いいや、どうやら撃ってきたのは、操られてた方だ。ハルノの読みが間違ってたんだよ」
スクリーンを見れば、海上で自力で立つ『傀儡』の白い人型ロボットが、もう一度攻撃を行なおうとしていた。
もう何が何だか、陽乃には分からなかった。
とにかく頭より先に、ジアースは動き出した。『傀儡』を倒し、その攻撃から母親を守ろうとするため。
陽乃は吠えた。訳の分からない感情を発散するためにはそれしか術が無かった。
そしてその矛先である『傀儡』を完膚なきまでに叩きのめした。はっきりいって勝負にならなかった。それだけ陽乃の、ジアースの攻撃は苛烈を極めた。
陽乃はてっきり、弱点があるのは黒い方だとばかり思っていた。だって操ってる方が安全だし、そちらに主導権があるのだと確信を持っていた。
だから白い方から弱点である白い球体を見つけた時、陽乃はすぐに潰せなかった。
「どうしてこっちの方にあったのかしら……」
思わず口から疑問がこぼれた。自分と母を重ねていた敵機体『傀儡』。しかし蓋を開けてみれば、操られている方、つまり自分の方に重要な部分があった。
「結局、このロボットの主体は白い方だったんだと思います。操ると言っても所詮はサポートだけだったですよ」
その疑問に答えたのは八幡だった。
もしそうなら、私は私がある理由を自分の中で見つけなければならなかったのではないだろうか。
妹の雪乃が奉仕部で何かを見つけようともがくように、私も何か足掻きをしなけれぼならなかったのでは?
そんな、後悔にも似た気持ちが湧き上がってくる。
だがもうどうでも良いことだった。
結局、自分は母を殺すことも自分を見つけることも出来なかった。その結果だけが全てだった。
今はなんだか清々しかった。何故だろう。それで気が付いた。仮面を被っていない、素の自分が、今、出ている。
思えば母を殺すことを決意させた、結婚の件だって元を正せば、妹を守るためだった。
母を攻撃した敵機体に怒りが湧いたのは、やはり母を守るためだった。
自分が知らないだけでこれだけ、家族のことを想っている雪ノ下陽乃が居た。
結局“私”の正体とは、ただのマザコンで、シスコンで、特別でも何でもないただの普通の女の子だったのではないだろうか。
なんだ、比企谷くんの言うとおりだったじゃないか。
それでスクリーンに映った母親をふと見た。
「やったわ! 敵を倒したのね! よくやったわ! 流石私の娘ね、陽乃!」
母は生まれてこの方見たことないほど破願して、両手を上げて万歳をしていた。なんだそれは。まるで運動会で子供が活躍した親バカじゃない。
陽乃は急所を潰すと、皆に向き直った。四方を覆っていたガラス張りもコエムシに解かせた。
「みんな、色々とごめんなさい。最後に私お母さんに謝ってくるわ。許してくれないと思うけれど」
「……あたしははそんなことないと思います」
声を上げたのは、確か川崎という子。
「親なら子供の失敗くらい、許してくれます、絶対」
「……ありがとう。スクリーンに映しておくから、本当に死ぬか見ていて頂戴」
自分でもびっくりするくらい、優しい声音で陽乃が言う。それから、と続けた。
「雪乃ちゃん。それと隼人も。たくさん迷惑かけて、ごめんね」
それで、最後に八幡の方を見て、言った。
「比企谷くん、あなたの推理、雪乃ちゃんの契約に関してはハズレなの。それ以外は私を見抜いてくれてたみたいね。あとはよろしくたのむわ」
その言葉を最後に陽乃はコックピットから姿を消した。送ってもらったのは、母の元だった。
母は突然現れた陽乃に目を瞬かせた。
髪は乱れて、化粧は崩れ、服は皺だらけ。尋常ではない我が娘の様子。
「母さん……。ごめんなさい。私、間違えちゃった」
気が付けば、陽乃目には涙が溢れていた。
母にはそれが幼い日に動物のミニチュアの家をあんまり雑に扱うものだから、ちょっとキツめに叱った時と重なって見えた。
「よく頑張ったわね、陽乃」
母は陽乃を優しく抱きかかえた。母のぬくもりを感じ、陽乃は静かに目を閉じた。それが彼女の最期となった。
体から力が抜け、母親に寄りかかる。母の呼びかけにも全く反応しなかった。
スクリーンでは突如倒れた娘をなんとかしようとする健気な母が映し出されていた。
「陽乃、陽乃!? どうしたの!? どうして、息をしてないの!?」
もう確定的だった。
ジアースを操った人間は死ぬ。
その場にいる全員が、確信を持つには十分であった。
「そんな……姉さん……姉さん……」
その場はへたり込む雪乃。それに寄り添う結衣。
「じゃあ材木座くんも、それで……」
戸塚が震えながら言えば、コエムシがくくく、と笑う。
「そういうことだ。まあせいぜい充実した余生を過ごすんだな。ちなみに次のパイロットになるやつは、名前を呼ばれるはずだぜ? 誰か呼ばれただろう?」
コックピット内に緊張が走る。
皆顔を見合わせて、次の生贄を探っているようだった。
そして恐々と、ハスキーボイスが薄暗い部屋に響き渡る。
「あ、あたしだ……。声を、受けた。あたしが、次にパイロットだ……」
川崎沙希が震えながら手を挙げて、そう言った。
陽乃編終わりです。
次は川崎編です。