息抜き程度にどうぞ。
それは、とある少女の一言から始まった。
「なあ、お前たちって本当に付き合ってるのか?」
「……」
「……」
大学に設置されているカフェテラス。
宇田川はテーブルに肘をつき、呆れたような顔で俺と美竹に聞いた。
「付き合ってる、けど」
「ああ、一応」
それに俺たちは短く真実を述べた。
「そうか…いや、そうだよな。けどさ、何でお前たち苗字呼びなんだよ」
「……」
「……」
再びの沈黙。
俺は美竹と顔を見合わせる。
「そういえば」
「そういえば」
ポン、と出てきた言葉を同時に言う。
そんな俺と美竹のシンクロを見た宇田川は、大きいため息を吐いた。
「何で呼ばないんだよ…あれか、彼氏がいない私たちへの当てつけか何かか?」
「巴はどちらかといえば彼氏の方じゃない?」
「あー、確かにな」
「おい」
宇田川から怒気のこもった睨みをきかされたので、軽口が出そうな口を封じる。
「なら呼んでみなよ、見てるこっちがもどかしいし」
紅茶とドーナツを乗せたトレイを上原が持ってきた。
「そうだぞ。名前で呼ばないと、なかなか進展しないものだぞ」
「……まあ、巴たちがそう言うのなら」
すると美竹は改まったように俺の方に身体を向けた。
「大槻…じゃなかった……えっと…あー…」
「……おい、嘘だろ」
宇田川が信じられないと言った声を出す。
そんな彼女を置いて、美竹はずっと考えている。
そしてそれが終わったのか、清々しい顔をして俺に言った。
「大槻、あんたの名前って何?」
「……マジか」
「蘭…お前って奴は……」
「嘘でしょ、蘭……」
上から順に俺、宇田川、上原、と美竹に何言ってんだこいつ、という訴えの声をあげる。
その目線に、美竹は少し顔を赤くして抗議をした。
「し、仕方ないでしょ。呼ぶ機会なかったんだから…」
「機会がないも何も、お前たち中学から付き合ってるんだろ?しかも元クラスメート」
「うっ……」
宇田川から正論という名の論破をされ、美竹は何も反論できない、という反応をする。
「……呆れた。とりあえず、名前呼びの練習でもしてみろ。見てるこっちが恥ずかしいし」
「そうだよ、蘭。というか相手に失礼」
グサリグサリ、と弓矢が美竹の身体に突き刺さる幻覚が見える。
「………はい、わかりました」
なんと、あの美竹が幼馴染2人を前にしてしおらしくなってしまった。
まあ、名前を覚えていないというのは事実失礼ではあるが。
「じゃ、私は教授に呼ばれてるから」
「私もバイト行ってくるー」
それだけを言い残し、2人は風のように去って行った。
取り残された俺と美竹。
下に俯き、廃人のようになってしまっている美竹のことが見ていられなかったので、一言だけ言った。
「……俺は気にしてないからな」
「……ごめん」
申し訳なさそうに美竹は言った。
気にするな、とは言ったが、彼女の性格上、それは無理な話なのだろう。
「とりあえず、移動しよう」
「お、おお」
彼女からの突然の提案に少し驚きながらも、俺は美竹の背中を追った。
梅雨真っ盛りの6月にしては、よく晴れた日だと思う。生徒も、みんな外で談笑をしている。
そして辿り着いたのは、裏庭のような所だった。
人気が少なく、あまり陽も差さない。どことなく、5年前のあの屋上に似ている気がした。
「ここで練習しよう」
「移動する意味はあったのか?」
「大勢の前で自分の名前を連呼されるあんたの気持ちを察したの」
「……それはありがとよ」
その気遣い、果たして本当にいるのかどうかは俺にはわからない。
「で、あんたの名前って何?」
「とても彼女から出される言葉とは思えんな…京介。大槻京介だ」
「そういえばそんな感じだったかも」
いちいちムカつく小言だが、一つ一つ突っ込んでいたらキリがない。
「じゃ、呼ぶよ」
「ああ」
「……」
「……」
しばらくの沈黙。
そして彼女は、照れ臭そうに顔を赤くして俺の名を初めて呼んだ。
「……京介…?」
なんというか、あれだ。改まってこう呼ばれると、恥ずかしい。
先ほどの美竹の気遣いは、どうやら無駄にはならなそうだ。
「なんか言ってよ」
「いや、まあ…新鮮だと思ってよ」
「……それだけ?」
「それだけ」
事実、それ以外の感想が思い浮かばないのだ。
「じゃあ、次はおお…っ…京介が、呼んでよ」
「…下の名前で?」
「そう」
悔しそうで、試すような目で俺に言う。
俺は彼女とは違って、しっかりとフルネームを覚えている。そんな無礼な人間ではない。
「蘭」
「……」
「どうした、何も言わないのか?」
わからないが、多分今、俺はすごくニヤニヤした顔をしているのだろう。
美竹…いや、蘭は悔しそうに歯軋りをする。
「なんか、恥ずかしかったりしないの?」
「いや?俺はお前ほどウブじゃないからな」
「……」
挑発するように言うと、彼女は耳を赤くして睨んできた。
などと雑談をしていると、ローテンションな声が俺たちを呼んだ。
「あれ〜、蘭ときょーくんじゃーん」
「…モカ」
青葉モカ。
手にはノートやプリントが入ったクリアファイルがある。おそらく講義終わりなのだろう。
「なになに、イチャイチャしてるの〜?」
「そんなんじゃない」
「そうなのか?」
「そうなの〜?」
「そうなの!」
蘭が顔を赤くして声をあげる。
青葉とは蘭を弄るという利害の一致もあってか、結構息が合う。
「まったく、モカも大槻も…」
「京介、じゃないのか?蘭」
「お〜?きょーくんだいたーん」
「…京介、も」
「ら〜ん、顔真っ赤だよ〜?」
「うるさい!」
この短いやり取りで青葉は何かを察したらしく、ニヤニヤして蘭を弄る。
「なになに〜?蘭ときょーくん、やっと名前呼びになったの〜?」
「ああ、やっとな」
「……まあ、うん」
蘭は照れ臭そうに肯定する。
「なあ聞いてくれよ青葉、蘭のやつ、俺の名前忘れてたらしいぜ」
「え〜、マジ〜?さすがにそれはないよ蘭〜」
「マジないよな〜」
「ね〜」
「それはごめんってば。っていうかお…京介は気にしてないって言ってたじゃん」
よく会話を覚えていることで。
「改めて思い出すと、酷い話だな、と思って」
「事実、酷い話である」
「…本当にごめんって」
本気で反省の声に入ったので、ここいらで引き上げることにする。
蘭はかなり追求されたためか、割と落ち込んでいる。
「じゃーモカちゃんはこれにてドロンさせてもらいます〜」
「どこか行くの?」
「お昼ご飯〜。まだ食べてないんだよね〜」
そう言ってるそばから青葉の腹の虫が鳴った。
ほらね、と言わんばかりに俺たちを見返す。
「というわけで、モカちゃんはこれから好きな人と食べに行ってくるのです」
「えっ…モカ、彼氏とかできたの?」
驚いた蘭は早口気味に聞く。困惑と驚愕が混じったような顔をしていた。
「んーん、沙綾だよ」
「…あっそう」
しかし、そんな表情も青葉の一言でボロボロに崩れ去ったが。
「じゃーねー。末長くお幸せに〜」
「またな」
「……」
小走りに去って行く青葉を、蘭は黙って手を振って見送った。
困惑と驚愕から、今は疲労の顔となっている。
「大丈夫か?」
「誰のせいでこんな疲れたと思ってるの…」
どうやら原因は俺と青葉にあるらしい。
「まあでも」
蘭は表情を改め、青い空見上げる。
「京介とまた距離が縮まったと思えば、この疲れも大したことないかも」
「だな」
俺も同じ気持ちだったので同意した。
蘭と同じく、空を見上げる。
6月にしてはよく晴れた青い空。
その清々しさは、今の俺たち2人の心を表したようだった。
名前呼びですら苦労する蘭ちゃんマジ奥手。