彼女との1年   作:チバ

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今回の内容をバトルシップって言うなよ。
チキンブリトーは食べないよ。


9月 –––優しい風–––

 それは昼ごはんを食べている時だった。

 

「あのさ…」

 

 何か言いづらそうに、少し控えたような声で言う。

 

「会いたいって…」

「会いたい?誰が」

 

 決定的に日本語として成り立っていない言葉に首を傾げながら尋ねる。

 

「いや…だから…」

 

 顔を青ざめて、まるで言えば世界が終わるといった様子で、蘭は聞き取れるか聞き取れないかのような音量で言った。

 

「父さんが、会いたいって」

「……は?」

 

 それを聞いた瞬間、俺は目の前の蘭と同じ顔色となったのを確かに感じた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 数日後。

 学校から帰った俺は1度家に帰り、ちゃんとした服––––––もともとそんなに多くはないが––––––に着替えた。

 蘭からは気にしないでいい、とは言われたものの、やはり礼儀上、着て行くことに越したことはない。

 

 必要最低限–––––と急いで見繕った土産物を持って玄関の扉を開けた。

 そこではジーンズに無地の白シャツの上に黒のジャケットを着た蘭が待っていた。

 

「別に土産なんていらないって父さん言ってた」

「世間体というものだ」

 

 とりあえず持って行った方がいいだろう。こちらも蘭には迷惑かけたし、その謝礼の品としてでも渡そう。

 

 蘭の背を追い、彼女の実家へと向かう。

 

 少し歩いて、辿り着いた。

 俺は彼女の家には行ったことがなく、外装を見るのも初めてだ。

 しかし、それにしてもかなりの大きさだった。さすがは名家。俺のアパートとは桁が違う。当然か。

 

「……」

「どうしたの、ビビってる?」

「そりゃ、な」

 

 誰だって緊張するものだろう。相手の親御さんへの挨拶。映画やドラマではよく見る光景。しかその当事者となれば、心臓が破裂しそうで仕方がない。

 

「…大丈夫。私も出来る限りサポートする」

「……ああ」

 

 蘭のその言葉に、俺は曖昧な返ししか出来なかった。

 

 震える心に喝を入れて、鉄の如く重くなった足を動かす。

 インターホンを押そうかと思ったが、それよりも先に蘭が玄関扉を開けた。

 

「ただいま」

 

 短く、おそらく彼女にとっては言い慣れた言葉を言う。

 突然背中を押されたかのように、俺は背中が汗でびっしょりになったのを感じた。

 

 長く続く廊下の奥から姿を現したのは、シワのない着物を着込んだ、隙のない、貫禄を感じさせる顔立ちをした男性だった。

 

「っ……そ…の…」

 

 情けないことに、蘭の父の姿を見た瞬間、喉が掴まれたように声が出なかった。

 そんな俺を彼は一瞥し、静かに言った。

 

「君が蘭の恋人か」

「……はい」

 

 喉の奥から、腹の底から声を出した。

 大粒の汗が頬を伝った。

 

「…上がりたまえ」

「…はい。お邪魔します」

 

 靴を脱ぎ、揃えて、廊下を渡る。

 その重苦しい空気の中では、足音1つ1つが俺を追い詰めているかのようだった。

 

「…ねぇ、父さん」

「なんだ」

「あまり、その…」

「…別に何もせんよ。ただ彼と話がしたいだけだ」

 

 すると突然、部屋の前で彼は立ち止まった。襖を開けると、そこには畳とテーブルが1つ。

 

「別にいらないと言ったんだがな。…それは蘭に渡してくれ」

「は、はい」

 

 言われた通り、紙袋を蘭に渡す。

 

「…蘭、少し席を外しててくれ。2人で話したい」

「……っ」

 

 蘭は何か言いたそうに表情を強張らせたが、しかし諦めたように小さく返事をした。

 

「…わかった」

 

 そう言って蘭は去っていった。

 残った俺と蘭の父。とてつもないほどの重苦しい空気が張り詰めて、俺の心を蝕んでいる。

 

「そこに腰掛けてくれたまえ」

 

 促されるがまま、俺は畳の床に正座をして座る。

 

 そして俺と対になる形で、蘭の父も座り込む。

 その姿はさすがは当主といったものか、まるで1枚の絵のような迫力を醸し出していた。

 

 彼の眼鏡の奥の瞳は、俺をどんな人間か見定めている。

 そして現状、俺は引きっぱなし、ろくなことも言えてない。何かを言うべきだ。それを心の中で怒鳴りつけ、そしてようやく、俺は言う決心をした。

 

「あの…」

「君、将棋は出来るか?」

「は…?」

 

 言葉は、その一言で遮られた。

 予想外の言葉に、俺は暫く思考が停止していた。

 

「出来るのか?」

「いや、あの…」

「出来るか出来ないか、を聞いている」

 

 一変して厳しい言葉に、俺は固唾を飲んだ。

 毛穴から汗が噴き出すのを感じながら、短く答えた。

 

「…出来ます」

「そうか。それはよかった」

 

 すると蘭の父は将棋盤を取り出し、俺との間に置かれていたテーブルの上に置き、そして静かに駒を並べ始めた。

 

「ウチには将棋が出来る者がいなくてな。暇をしていたところなんだ」

「はあ…」

 

 慣れた手つきで、無駄なく並べていく。

 最後に歩兵を置き、あっという間に完成した。

 

「私は後攻でいい。君から始めたまえ。それと、遠慮して負けるなどと言う結末はどう見たくない」

「え、は、はい」

 

 言われるがままに俺は歩兵を一歩前進させた。

 将棋のルールは分かっている。というのも、暇な時はコンピュータを相手にボードゲームをやるのが趣味なのだ。将棋のみならず、チェスや麻雀もそれなりに出来る。

 

「君の名は確か…」

「大槻。大槻京介です」

「そうだった。すまないね、あまり蘭からは聞いていないもので」

「いえ…」

 

 蘭の父は何かを考えるそぶりなどを見せず、淡々と冷静に駒を進めていく。

 

「君と蘭が初めて会ったのはいつだった?」

「…中学2年です」

 

 今でも覚えている。

 屋上で、1人誰にも悟られぬように泣いていた彼女の姿を。

 

「そうか…その時期か」

 

 歩兵を1体取られた。それと同時に何かに思い浸るように蘭の父は静かにつぶやいた。

 

「ということは、蘭は随分と君に迷惑をかけたかな。謝るよ」

「いえ、とんでもない」

 

 寧ろ救われたのは俺の方だ。

 心が死んでいたと言っても過言ではない、あの時の俺に、楽しさというのを教えてくれた。

 

 桂馬を前進させるも、歩兵の列に隠れていた角行に取られる。

 

「…あの娘は、最近よく笑うようになった」

「…?」

「中学2年。あの時の蘭はどことなく楽しそうだった。今の蘭は、その時の姿と同じに見える」

 

 香車を手に取り、それを眺めながら呟く。

 

「私は、あの娘に何かをしてやれただろうか。そう思うことが度々ある」

「……」

「何度も泣かせた。何度も蘭の意思を折ってきた。気がつけば、あの娘は笑わなくなっていた」

 

 何も言えなかった。

 俺は昔から蘭を知っているわけではない。何かを言うのは無礼というものだ。

 

「そしてバンド活動を始めた…あの時は本当に驚いたものだ。しかし、その時から蘭は前しか見なくなった、前のみを進むようになった」

 

 歩兵のいなくなったその直通に、香車は突き進んで俺の香車を奪い取った。

 そして成香と成る。

 

「君はどう思う」

「いえ…前ばかりじゃありません。その成香のように、後ろを向くことだってあります」

「…そうか……」

 

 そうして俺は予め前進させていた銀将で成香を取った。

 

「君は、私の知らない蘭を知っているようだ。父親として、あるまじき結果だな」

「いえ、そんなことは…」

 

 父親にだって、娘に関する知らないことの1つや2つあるだろう。しかし蘭の父は首を振って答えた。

 

「さっきも言った通り、私は蘭に何かしてやれたかわからないんだ。親として、蘭に残せたことはあるのか…」

「……っ…」

 

 そのことは、何も言えなかった。否、言うべきではないのだろう。

 

 目の前の人物は、顔を上げずに盤を見ながら淡々と駒を打っていた。

 

「だから、今のこの話し合いは、私の自己満足だ」

「……」

「最後の最後に、父親らしいことをしたいのでな。娘が選んだ男を、見定める」

 

 鋭い目つきで、俺を見た。

 逃げ出したくなるが、その場に踏ん張る。

 

「君は、蘭を幸せに出来るか?」

「……っ…」

 

 その言葉に、すぐ答えられなかった。

 過去に1度、俺と蘭は離れ離れとなった。突然の出来事に、なす術なく。

 

 そう当然のことが起こるのだ。

 もしかしたら、明日俺は死ぬかもしれない。記憶を失って、蘭のことを何も覚えていなくなってしまっているかもしれない。

 その可能性がある中で、幸せにするという言葉はそう軽々しく言えない。

 

 しかし、何かを言わなければ、この場を脱することはできず、そして蘭ともまた離れてしまう可能性もある。

 気がつけば、戦いはもう終盤にまで迫っていた。

 あと数手で決まるだろう。

 

 必死に言葉を作り出していると、襖越しに外から物音が聞こえた気がした。

 

 その瞬間、俺は心の中に浮かび上がった言葉を何の迷いもなく言い始めていた。

 

「…俺は蘭を、幸せには出来ないかもしれません」

「…む」

「いえ、出来ることならしてみせたいです。けど、俺は蘭を1度独りにしてしまっている」

 

 思い出すのは、あの緋色に染まった河川敷での彼女の必死に訴えている時の表情。

 

「未来はわからない。だからこそ、そういう不安が生まれてしまうんです…」

 

 目の前で表情が徐々に険しくなっていくのが雰囲気だけでわかる。本当は今すぐに撤回してしまいたい。出来ることなら、時を巻き戻してしまいたい。

 しかし、言わなければならない。

 

「でも、俺は愛してます」

 

 力を振り絞り、出た言葉は陳腐でシンプルな、映画とかでよく聞く使い古されたものだった。

 

「蘭を愛してます。幸せに出来るかはわからない。けど、愛してます。それだけは、本心です」

 

 蘭への嘘偽りのない言葉を言うことしか、今の俺には出来なかった。

 しかし、それが全てだった。俺は全てを言った。なら後は、その答えを待つのみだ。

 

 数秒か数分か。時間がわからなくなるほどの沈黙の後、腕を組んで、そして口を開けた。

 

「…詰んだか。…いいだろう」

 

 そう言って彼は微笑んだ。

 

「これから蘭を、よろしくお願いします」

 

 そして頭を下げた。

 おそらく普段から頭を下げる立場じゃないからか、その姿は言ってしまうと、似合っていなかった。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 俺も目の前の人物よりも低く、頭を下げた。

 目を開けると、そこには最初の揃った状態から、不規則に駒が置かれた盤が。

 

 俺の勝ちだった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 その後、俺は美竹家で夕食をとった。

 蘭の父からの誘いだった。

 静かではあったが、決して気まずい食事ではなかった。

 蘭のバンド活動などを話し合ったり、色々と話した。

 

 人と触れ合った夕食は、随分と久しぶりな気がした。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 深く一礼をして去っていく京介を、2人は見送る。

 すると蘭は、父の方を見ずに言った。

 

「…父さんは、自分を責めなくていいよ」

「……」

「何かを残したとかじゃないんだ。そりゃ確かに、喧嘩しかしてなかったと思うけど」

 

 娘の言葉に、少し萎縮してしまう。

 

「…けど、これでも私なりに感謝はしてる」

 

 一貫して父の姿は見ず。しかし心のこもった言葉を、蘭は静かに口にした。

 

「私をここまで育ててくれて、ありがとう」

「……」

 

 父も黙ったまま。

 その言葉に目頭が熱くなるのを少し感じた気がしたが、踏ん張って堪えた。

 

 横で前を見ている娘に、父は言った。

 

「ついて行ってあげなさい」

「え…?」

「男とはいえ、夜道は危ないのでな」

 

 理由としてはやや無理のある内容に、心の中で自嘲気味に笑う。

 

「…ありがと」

 

 娘の小さな礼に、黙って頷く。

 小走りで駆けて行く娘の後ろ姿を見て、少し感慨に浸る。

 

 すると、控えめな風が頬に当たった。

 

「……蘭…」

 

 頬に何かが伝った。

 9月の風は、少し優しかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 俺の後ろを歩く蘭。

 

「お前、聞いてただろ」

「…ん」

 

 悪戯がバレた子供のようにそっぽを向いた。

 

「…その、さ」

 

 照れ臭そうに、少し顔を赤くして彼女は言った。

 

「ありがと。ああいうこと言ってくれて」

「……まあ、な」

 

 自分で思い出して、少し恥ずかしくなる。

 

 歩きながら夜空を見上げる。

 雲ひとつなく、澄んだ綺麗な闇だった。その闇に、スクリーンの如く蘭との思い出が映されたような気がした。

 

「なあ、蘭」

「なに」

「俺、お前に会えて幸せだ」

「……」

 

 突然発せられたその言葉に、蘭は顔を赤くして目を泳がせる。しかしやがて受け入れたように微笑んで言った。

 

「私も、幸せ」




9月の雨は優しいと言われてます。
9月の風はどうとも言われてません。ただの私の造語です。そこら辺は悪しからず。
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