遅刻。それは学校において定められている禁止事項の一つ。社会に出てからもマズイが。
そんなわけで俺は今歩いている。遅刻しているのだから、ちゃんと走るべきなのだろうけど、遅刻ならどれだけ遅れたって同じだろう、と開き直ってこう行動に移してる。
すると、携帯が鳴る。
開くと、メールで『なにしてんだよお前』と書かれていた。おそらく俺の遅刻を聞いているのだろう。
手短に『寝坊した。それはそうと1時限目はなんだ?』と送る。
暫くしてから『数学』と返って来た。
ふむ、数学か。
「…サボるか」
一つ言おう。俺は理系が大嫌いだ。数字なんかを見れば血反吐が出そうになるぐらいに。
だったらもっと遅く着いてもいいよな。数学嫌いだし、俺。
意を決した俺はメールを既読無視して学校に向かった。
結果的に学校に着いたのは9:20分となった。当然、授業真っ最中だ。他の生徒に迷惑をかけぬよう、忍び足で。先生に見つからぬよう、早歩きであるところへ向かう。
この学校は意外にも、屋上を開放している。
昼休みだと人が集まってしまうため、あまり立ち寄ってはいないのだが…今日は特別だ。授業中で誰もいない。まさしくパラダイス。
ノブを回し扉を開ける。
春特有の生暖かい風が肌にあたる。
普段は人で溢れかえっている場所も、時によってはガラ空き。いい気分だ。みんながペンを走らせている間に、俺はこんな所でゆっくりするという優越感。素晴らしい。
「……っ…」
何か聞こえた。
誰かいるのだろうか。俺以外にサボる奴なんているのか?
そう思い、声が聞こえた方へと向かい、首を伸ばして覗き見ると。
「…っ…ぅ…!」
「ーーー」
言葉を失った。
そこにいたのは、目を赤くし、涙を流している美竹蘭だったからだ。
「……っ!?」
俺の存在に気がついたの美竹は慌てて力強く目をこする。
「目、痛めるぞ」
「…見たの?」
「…何も」
「嘘つかないで」
「……見たよ、お前が泣いてるところ」
相変わらずの冷たい目と威嚇するような声で言う。
ため息をつき、壁にもたれかかる。
「……」
「……」
沈黙の間。
それはそうだ。泣いているところを見られたのだ。話しかけずらいに決まっている。
「……聞かないの」
「ん?」
「私が泣いてた理由…聞かないの…」
ようやく発せられた言葉は、やや意外なものだった。
その事については、聞くほうが無粋というものだろう。何か事情があったから泣いていた、それでいい。そのことにそれ以上もそれ以下もない。
「興味ない。聞いたところで、なんになるんだ」
「…変な奴」
「……」
この娘は口を開けば毒しか出てこないのか。
「…授業は?」
「サボり」
「…その鞄、遅刻?」
「ああ、そうだよ。遅刻ついでに数学をサボった。嫌いだし」
何気なく、しかしまだ距離のある会話。
「サボって大丈夫なの」
「それはこっちのセリフ。名家のお嬢様が、こんな所でサボってて大丈夫か?」
「……」
キッ、と睨まれる。たぶん名家と言われたのが気に障ったのだろう。
「……あまり、授業受ける気になれなくて」
「…なるほど。俺と同じか」
「違う」
即答で切り捨てられる。ノリの悪いやつだ。わかってはいたけど。
グラウンドから声が鳴り響く。1時間目から体育なのだろう。大変だな。
相変わらず会話はない。そもそも相手が大して話をしないやつだし、俺もお喋り好きというほど喋ることはない。
俺は美竹と対になる形で落下防止用フェンスに背中を預け、鞄から文庫本を取り出す。
作品は村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の上巻。村上春樹作品特有の難解な物語構成と、美しさと儚さを感じされる世界観が特徴的な作品だ。
「村上…春樹…」
「知ってるのか?」
「たまにニュースで名前を聞くぐらい」
「そりゃそっか」
文庫本の表紙を覗くように見た美竹。もしかしてハルキストなのか、と期待を込めたがニュースで聞く程度ときた。まあ、普通はそうなのだが。
「本とか読むのか?」
「それなり…かな。趣味が多いってわけじゃないし」
「例えば?」
「…太宰治とか」
意外だと思った。ライトノベルか何かが来ると思っていたら、純文学作品。家柄故に堅苦しいのしか読むことが許されてないとか、そういうのもあるのだろう。
「太宰治か。いいよな。俺は津軽が好きだな」
好きというか太宰治作品はそれしか読んだことがないのだが。
「私は…なんだろう。最近読んだ女生徒は結構記憶に残ってる」
「どういう内容?」
「私ぐらいの女子の1日を、太宰の視点から描いた作品」
「盗撮か何かか?」
「違う。正しくは内面的な部分を書いてる」
バカを見るような目で俺を見る。実際に今の質問は頭が悪かったか。
「で、どうだったんだ」
言ったところで、俺は気づいた。
あまり喋る方ではない俺が、太宰治という作家の話で美竹と通じ合っていることに。
「…半分共感できて、半分わからない」
「なんだ、それ」
「普通の女の子の心を映しているんだけど…どこか、私にはわからないこともあったりした。それが理由」
「…なるほど」
確かに美竹は他の女子とは違う生活を送っているのだろう。心情にはズレがあるだろう。
「あと読みづらかった」
「読みづらい?」
「読点が多い。昔の作品はどれもそんなだって思ってたけど、他の読んでたら、やっぱりそれだけやたらと多かった」
「へー…」
読みづらいのか。なんだか少しだけ興味が湧いてきた。
「…まさか、大槻と話しが合うなんて」
「は?」
「最初の席替えのとき。私のことずっと見てたから」
「…マジで?」
俺の確認に美竹は肯定の肯きをする。
「最初は変態だと思った」
「そこまで見てたのか、俺」
「結構」
思い返してみると、確かに美竹の横顔の記憶が蘇った。
なるほど、確かに俺は見すぎていたかもしれない。
「あー…自覚はしてなかったんだ。不快だったら…まあ不快だっただろうけどさ、謝るよ」
すると、美竹は俺の顔をパチクリ、と瞼を動かして見る。
そんなに驚かれるようなことを言っただろうか。
やがて耐えきれない、というように吹き出す。
「ふふっ…大槻って結構面白いね」
「…そりゃどうも」
謝罪をしたら面白い、と返されるとは。さすがに初体験だ。
「…ありがと」
「…?どういたしまして…?」
突然の感謝の念に戸惑いを隠しきれず、疑問形で返してしまう。
「なんで疑問形なの…」
「いや、突然そんなこと言われたらな…」
「ホント、面白い…」
美竹は再び静かに笑い始める。悪意がないとはいえ、さすがに笑われるのは気持ちがよくない。そんな俺の心情を察したのか、美竹は真面目な顔つきになる。
「…私、ちょっと落ち込んでたんだ。話の合う人たちが周りにいなくて、みんな私を避けていく」
クラスの人間から浴びせられる美竹への視線はやはり異質なものだ。まるで芸能人でも見るかのような、好奇の目をしている。
「やっと、話の合う人と会えた。おまけに面白いし」
「そりゃ良かったな」
「…ありがと。私なんかと話してくれて」
「隣の席だ。なんかあれば幾らでも話すよ」
と、キーンコーン…と鐘の音が鳴る。美竹は立ち上がり、ノブを回し、扉を開けた。
俺を一瞥し、何も言わずに階段を降りていった。
残された俺は、不思議な感慨深さにふけっていた。
なんともまあ、変な感じだった。もともと距離が1kmぐらいあった関係が、この数十分の邂逅だけでグンッ、と縮まった気がする。
あの時間は本当に現実だったのかと、自分自身に問いてしまいたいぐらい不思議な感触に包まれている。
『2-Aの大槻。至急、職員室まで来なさい』
そんな感触も冷たい声によって引き裂かれた。
最初に読んだ太宰治作品は女生徒でした。本当に読みづらかった記憶しかないです。