大寒波。
連日ニュース番組の天気予報ではその言葉が繰り返し報じられていた。
大寒波なんて、さてどうということもないだろう。
その大寒波の気温にも負けぬほどの冷たい視線を、テレビ局前であざとく明日の天気を予報している女子アナウンサーに向けて思っていた。
そんな事をしていた数日前の過去が、猛烈に恥ずかしくなった。
「……嘘」
カーテンを開け、淡い緑と土の色が浮かんでいるはずの美竹邸の庭は、白く覆われていた。
「雪……」
好奇心に負け、窓を開ける。
冷たい空気が容赦なく部屋に入り込んでくる。その空気に臆して一旦足を止める。しかし、目を開けばそこは白銀の世界。この地域ではそう易々と雪が降るわけではないので、物珍しさも後を押して外へと足を出す。
積もった白雪に触れてみる。
「冷た」
当然の事象か。心の中で嘲笑し、急激に冷えた指の先を温めるために、台所に向かう。無論、冷たい空気が入り続けている扉は閉めた。
コーヒーメーカーでコーヒーを作っていると、京介が遅れて2階の部屋からリビングへ降りてきた。
「おお、雪か」
窓から外の景色が見えたのだろう。目を見開いて呟く。
「おはよ。珍しいな。こんな積もるほどの雪なんて」
「おはよう。日本の経済、停滞してなきゃいいけれど」
テレビでは電車の運行状況や各地の最新降雪量がテロップに流れている。
「会社は休みになった」
「良かったじゃん」
「無理して来させて事故って人員減ったり、モチベーション低下で事業に悪影響が及んだら元も子もない、という社長からの厚意だ」
ブラック企業が社会問題となっている現代の中では、彼が勤務している会社は数ある社の中でもマシな方だ。
「まあ、今日は1日コーヒーを啜りながら舞い散る雪でも眺めてるか」
「私もそうする。こんな雪、なかなか見れないし」
カップに温まった出来立てのコーヒーを注ぎ、椅子に座って啜る。なんて事のない、至って平凡な朝の光景だ。
思えば、彼と私がこうして平日にゆっくりと朝を過ごすのも、かなり久しぶりになる。
普段はいそいそと準備をしている彼の姿は、しかし今は余裕を持っている。久しぶりの落ち着きのある朝に、彼は少し満足感を覚えている様に見えた。
普段はどうこき使われているのかは知らないが、よほど苦労しているのだろう。
彼の横を通り過ぎる瞬間、ポン、と優しく彼の頭に左手を置いた。
突然の私の行動に、彼は置かれた私の左手の上に手を重ねて首を傾げた。
「どうした?」
「なんでもない。気まぐれ」
手を離し、私は朝食作りに取り掛かる為にキッチンへ向かう。
暫く首を傾げ、私の事を眺めていた彼の姿は、なかなかに可笑しかった。
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どのチャンネルを付けても、内容は類を見ない大豪雪の報道番組のみ。辟易としてくるが、国民の安全確保のためを思うと致し方がない。
端的に言って、暇だ。
雪が降るのを眺めることに飽きは来ないと思っていたが、意外なほどに変化がない。
テレビの音声がBGMとなって部屋中に響く。私は料理雑誌を、彼は新聞紙を大きく広げて読んでいる。
と、私が開いていた料理雑誌が最後のページとなる。4日かけて読み終えた雑誌をテーブルに置き、ふと外の景色に目をやる。
力強く降り注いでいた雪は止み、雲の隙間から覗く太陽の光が白銀の世界を照らしていた。
「……」
椅子から立ち上がり、台所に向かう。引き出しを開け、16cmのガラスボウルを取り出す。鍋つかみを両手に付け、玄関の扉を開ける。
外へ出ると、冷たい風が肌を突き刺し、髪を揺らす。
その寒さに負けじと足を動かし、こぶのように盛り上がっている積雪から両手1杯に雪をすくい上げる。
少し力を入れて丸く固める。そして固めた丸雪をガラスボウルに入れる。ガラスボウルに雪を入れただけなのに、なんだかスノウドームのような玩具に見えてくる。
「できた」
そのボウルを持ち、再び家の中に戻り、テーブルに置く。
「なんだ、それ」
ボウルの中に置かれた丸雪を見て彼は言う。
「なんとなく。雪を堪能したいから」
「こんな暖房効いてる中だと、すぐ溶けるぞ」
「塩でもかける」
「意地でも溶けにくくさせるんだな」
と、彼から呆れのこもった目を向けられる。
「別に、雪を楽しんだっていいじゃん。見てるだけじゃ暇だし」
「確かにそうだな。暇だ」
彼はそう言うと、政治のコラム欄が載せられていたページを閉じ、2階へと向かう。
なんだろう、と思い暫く待っていると、階段を降りる音が。
そこにはモッズコートにスキニージーンズを着付けた京介の姿が。
「なに、それ」
「庭にでも出ようかと」
そう言って彼は玄関の扉を開けて外に出る。私も部屋に行き、上着だけを取って彼の後を追うように外へ出た。ーーーその瞬間だった。
「わっ」
顔に何かが当たった。そらは冷たく、微妙に少し硬い。
顔についた何かを手で拭うと、それは先ほどまで私が持っていた雪だった。
前を見れば、彼が子供のような意地悪い顔で雪玉を持っていた。
「雪合戦?」
「雪を堪能したいんだろ」
そう言って彼は再び雪を投げてくる。驚いた私は屈む。しかし、それによって雪玉を避けることに成功した。
「意外と反射神経いいな」
「どういたしまし…てっ!」
と、屈んだ体勢から適当に鷲掴みしたい雪を投げる。
反応はしたものの、避けきれずに顔面に喰らう。
「冷た…」
「そりゃそうでしょ、雪なんだから」
顔をさすりながら言う。
彼と目が合う。それを合図に、2人揃って積もった雪を掻き集め、丸める。4個ぐらい出来上がったら、それぞれ相手に向かって投げた。
私と京介は、暫くの間時を忘れてはしゃぎまわった。雪を投げ合い、かけ合い。
それは子供のように、疲れなどを無視した遊びだった。
雪で服がぬれようと、肌に冷たい雪がつこうと、関係なくはしゃいだ。暫くの間、時というのを忘れたかったのだ。
仕事に追われ、現実に追い詰められ、疲れて寝る日々。わかってはいたことだが、かなりの苦行だ。
だからこそ、こうして訪れた突然の休日を目一杯に堪能する。
生きることは好きだ。けれど、この世界には向き合わなきゃいけないクソみたいな事が多すぎる。
これは誰の言葉だったか。確か有名なロックスターの言葉だった気がする。けれど、どうでもいいや。今はただ、彼と遊びたい。馬鹿みたいに、滑稽に雪を投げ合いたい。
今の私たちはピエロに見えるのだろうか。それともクラウンなのだろうか。
そんなの、もうどうでもいい。ただ1つ。今が楽しくて、幸せなのだ。
彼が笑っているのが嬉しい。私自身が笑っているのも楽しい。
私たちは、自分の心を道化はしない。いつでも
楽しいことに、幸せなことに、変に曲がった比喩を入れない。
それが私と彼の、人生の歩き方だ。
唐突に訪れた休日と豪雪、そして彼との戯れは、当たり前で常に私たちの隣にあった当たり前に気づかせてくれた。
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雪合戦というのは、意外と体力を消費するものだ。激しい運動と厚着が合わさったことにより汗でビッショリとなった身体を休ませる為に、2人して仰向けになった。
「運動不足解消だな」
「確かに」
息切れを起こしながらも言い合う。確かに運動不足だった。これから行う雪かきを含めれば、それなりの運動量になるだろう。
「ねえ、京介」
「ん?」
「今、あんた幸せ?」
今日の豪雪のように唐突な問いかけに、彼は「んー」と声を上げて答える。
「わからん。楽しいが幸せと呼べるのなら、多分幸せだ」
それは彼らしい、実に合理的でリアリストな答えだった。
「そう。私も同じ」
私も彼と同じだ。
幸せの意味が楽しいと同じなら、きっといま私は幸せなのだ。
「じゃあ、世界一幸せって言える?」
「それはわからん。逆に聞くが、お前は?」
「わかんない」
「だよな」
けれど、いま私たちが世界一幸せかどうかと聞かれれば首を傾げる。
なんせ、世界中の人々の事情を知らないからだ。日々誰かが死に生まれる世界で、無責任に世界で1番幸せだなんて軽々しく言えないし、わからないのだ。
「まあ、どうでもいい。1番だとか2番だとか、比べるのはくだらないだけだからな」
「同じく」
彼の言葉に同意する。
要は、自分次第なのだ。幸せかどうかなど。他人と比べる必要なんて、全く無いのだ。
「さて、いい運動をしたし。美味しい昼ごはんが食べれそうだ」
「ああそう。なら、久しぶりに私の平日の手料理でも食べる?」
「それは楽しみだな」
そう言うと、彼は突然私の顔に雪をかけた。腹が立った私は、彼の腹に頭を乗せる。
「うおっ」
「お返し」
「…重い」
「うっさい」
女性に対し重いとは、なんと無礼な男だろう。
「ムカついたから、雪かき全部よろしく」
「無理、死ぬ」
「だったらさっきの失言を詫びること」
「ごめんなさい」
まったく心のこもってない謝礼を言う。
まあ、形だけだが許してあげよう。私が手伝うという措置をとることにした。
「じゃあ、昼ごはんが出来るまで軽く雪かきしてるか」
「うん、よろしく」
そう言って彼と別れ、私は家の中に戻る。
ふと、テーブルの上に置かれていたボウルに目がいった。
その中に入っていた雪は、まだ形をハッキリとして残っていた。
去年の9月ごろから最初の文だけ書いてた内容を完成させました。