就活生の朝は早い。
それは性別はもちろん、年齢も関係ない。仕事を貰うために相応しい身だしなみを整える必要があるからだ。
乱雑に伸びた無精髭を剃り、髪と眉を整え清潔感を出し、白いワイシャツに袖を通してキュッとネクタイをしっかりと締める。
コートを羽織り、菓子折りを鞄に入れて就活生蓮見征史は扉を開き外へ–––
「ちょっとストップ」
「.....なんだよジャンヌ」
「お前一体どこのパーティに行くつもりだ?」
訂正しよう。
世界が異なれば就活生としての常識も若干異なると。
それはこの世界の常識に疎い蓮見にとってはどうすることもできないことである。
何でも、この世界において就職とはここまで力を入れる必要はないとのこと。
普段通りの格好でもいいし、面接も特にない、受け入れる側が採用するかしないかは気分次第というところもあるらしい。
蓮見はスーツ(1万2000エバ)から私服に着替える。
「全く、何やら買い物をしたいから金を貸してくれと言われたと思えばスーツを買うなんて思いもしなかったぞ」
「ホントすみません、帰る前に金は必ず稼いで返すので!」
「.....別に気にすることはない、大した出費じゃないんだ」
どうやら、この世界においてスーツは結婚式等の祝事、貴族達のパーティなんかで着用するのが普通らしい。
そして、就活には必要ないと。 そもそも就活という概念がなかった。
求人という言葉はあったが、あくまでも向こうから募集をかけているためこちらが下手に出ることはないとのこと。
むしろ舐められないようにしなければならない。
「レキは何も言ってなかったのか?」
「あいつとは昨日から別行動してるんだ」
最初の方は一緒に行動していたが、二人一緒では行動範囲が限られてくる。
そういうわけでレキが別行動を提案し、レキは人脈を辿って仕事を探しに、蓮見は自分の足でなるべく給料のいい仕事を昨日一日探し回っていた。
そして、条件のいい仕事を見つけたため、ジャンヌから金を借りて必要なものを買い込んだのだが金を無駄にするだけになってしまった。
ジャンヌにはとても悪い事をしてしまった。
こちらに滞在する以上、少しずつこちらの知識も学んでいかねば。
すぐにでも元の世界に戻りたいが、ジャンヌから借りた金は返さねばならない。
全額返済するまで、帰るわけにはいかない。
「それで、お前の様子だといい仕事が見つかったみたいだな」
「あぁ、最終的にはどっちにするか悩んだんだけど、困った時のコイツで決めさせてもらった」
ニッ、と蓮見は笑みを見せながらポケットから愛用してる六面ダイスを取り出す。
ジャンヌはダイスに視線を向けながら首を傾げる。
「その、お前の持ってるダイスは大切なものなのか?」
「......小さい頃、俺のことを助けてくれた人がくれたんだ。 それ以来会ってないけどな」
「ふうん」
脱いだスーツを畳みながら、片手に持った求人用紙を改めて確認する。
蓮見にとって教わったこともなければ、自ら学んだ文字ではないが、全てを正確に読むことができる。
この事実はこちらの世界の住人であるレキとジャンヌの二人の協力もあり、実証することができた。
喫茶店[蜘蛛の巣]と店名が書かれた下にはいくつかの注意事項、及びに場所や簡単な店の紹介が記載されている。
「へぇ、喫茶店か」
「情報を集めるなら、人が集まって話し合えるような場所がいいと思ってな」
喫茶店と居酒屋、最終的にこの二つに絞った蓮見は最後の二択をダイスで決定した。
安直かつテキトーな方法にも思えるが、蓮見は基本的に直感を信じる人間である。
自分とダイスの意思によって決めたレールを歩き、軌道修正を繰り返す。
改めて、最低限の身だしなみを整えて扉を開く。
「んじゃ、行ってくる。黒森が戻ってきたらよろしく頼むよ」
「あぁ、気をつけてな」
ジャンヌ宅から歩くこと八分ちょっと、住宅街と駅のホームのあるちょうど境目の登り坂の途中に喫茶店「蜘蛛の巣」は建っている。
開店はしている様子で色とりどりの客、扉にはこちらの世界の文字で「OPEN」と書かれた木札が下げられていた。
(......うし!)
少し古びた木造の扉を引くと、カランカランと扉に取り付けられた甲高いベルの音が鳴り響く。
まだ時間は開店して間もない時間のせいか、蓮見以外の人間は数少ない。
見たところ、椅子に座っている客が二名、立っている従業員と思われる者が三名だ。
「いらっしゃいませ、お一人様で?」
「あぁ、実はこれを見て来たんだが–––」
こちらはあくまでも雇われる側だが、下手に出てはいけない。 一人の人間として舐められてはいけない。
褐色肌で耳の長い女性が蓮見が手に持った募集広告をまじまじと見つめる。
視力が良くないのか、ギリギリまで顔を近づけている。
「わかりました、裏にご案内するのでついてきてください」
「おう」
「シアン、タンバ、私はしばらく店長のところに行くのでお願いします」
シアン、タンバと呼ばれた二人は蓮見のことを物珍しそうにチラチラと見ながら返事に応える。
見たところシアンは男性のようなので女性ばかりのところで働くということは避けれそうだった。
綺麗に掃除された木造のホールの奥の扉の先には今にも床が抜けそうな廊下が待っていた。
一歩足を進ませるとミシッと軋んだ音が響く。
「......大丈夫なのか?」
「店長の趣味です、お気になさらず。 底が抜ける心配はないですよ、そういう仕様となってますので」
ミシッ、ミシッと悲鳴をあげる廊下を慎重に進む。
先ほどの言葉はあったが、やはり不安になってしまう。 表と裏でここまで差があるのは果たして如何なものかと思ったが、店の方針ならば何も言わないでおこうと蓮見は押し黙った。
スタッフルームを抜け、一際不気味さを放っている扉の前に案内された。
–––そう、店長の個室である。
「こちらになります」
「......あ、ありがとう」
コンコン、とまだ叩くと音が鳴るくらいの強度が残っている場所を叩き、褐色肌の女性の言葉に応えるようにして奥から女性特有の艶かしい甲高い声が響いてくる。
「はい?」
「私です、夜々です店長。募集広告を持った方がいらっしゃいましたのでご案内致しました」
「......そう、お入りな。夜々は仕事に戻り」
「はい、では、失礼します。くれぐれも粗相のないように」
タッタッタッ、と夜々は足早にホールの方へ戻っていく。
「......」
「どうしました?誰かいはるんでしょ?」
「あ、あぁ」
思わず固まってしまったが、ドアノブに手をかける。
ガチャリ、と何故か重々しく感じられたドアノブを捻り、扉を引く。
白い布が天井から下がったり、川のように掛けられたりしており、中央には蝋燭が一本立ち、その頭頂部ではユラユラと火が揺らめいていた。
–––その先に腰掛ける着物を着た女の腕は四本あった。
「......ッ、蓮見征史、です」
ここで怖気づいてしまえば何も始まらない。
この程度の緊張、かつて蓮見が味わった十人の面接官から根掘り葉掘り聞かれた圧迫面接に比べたらマシである。
まずは相手に名前を伝える。 という第一段階はクリアした。
面接官の女は顔をゆっくりと上げ、六つある瞳を全てこちらに向けてくる。
「へぇ、蓮見はんね。うちはフランチェスカ・蝶々って呼ばれとります、どうぞよしなに」
蝶々、は足を組み直し煙管を蒸す。
その時に蓮見は気付いたことが彼女の脚も四本あるということだ。
この世界に来て嫌という程異形な人間に会ってきた。
今更驚くものなどない。 そう、この緊張は面接という場の雰囲気が生み出してる、いわば先入観だ。
「見れば見るほど、ええ男やねぇ。なしてこの店に?」
「......情報と、金が必要になって仕事を探していたら、ここに」
「なるほどねぇ」
蝶々が蓮見を見る目は品定め、否、心の内を見抜くかのような視線だ。
煙管を再度口に近づけながら、蝶々は蓮見のことを指差す。
「なら、なしてここにしたん?うちとしてはありがたいけど、情報だけなら図書館に行けばよろしい。 金ならここよりも高給なところはたくさんありんす、なしてここなん?」
「......」
「だんまり?それとも、何か言えん事情でもありんすか?」
くすくすと面白そうに蝶々は妖艶に微笑む。
「いやぁ、結構個人的というか、自分勝手な理由なもので」
「いいやないの? 人間誰しも欲望があるもんやし、恥ずかしいことなんてあらへんよ。 もしかして、疚しかったり、恥ずかしい、ことなん?」
「違います」
ハァ、と蓮見は思わず溜息を吐いてしまった。
元の世界に帰るため、ジャンヌに借りを返すため。 いつの間にかそのことも蓮見にとって重荷になっていたようだ。
そして、就活という事態の重さと面接という場で難しく考えすぎていた。
心臓の脈打つ速度も安定してきた、今なら蝶々の六つの瞳を真っ直ぐ見返して一つの質問に対して十は応えれる自信がある。
「まず、図書館には館長のアレイスターが胡散臭くて行く気になれない」
「なるほど、納得や」
「もう一つ、たしかにここ以外にもいくつか候補はありました。 そんな中でも最終的に残ったのがここと居酒屋[タンドリー]の二つ」
「–––ふうん、なしてこっちを?」
「ここまで来れば、俺はいつもこいつに頼らせてもらってるので、こいつに従いました」
「......それは、双六の賽子かいな?」
「......え、えぇ」
蝶々は今までで一番驚いた、とわかる表情を浮かべた。
蓮見も蓮見でわざわざポケットから取り出し、ドヤ顔で言うようなことではなかったと後悔している。
遠回しにこの店は自分が選んだのではなく、ダイスを転がして選びましたと言っているようなものだ。
つまるところ、テストで二択に迷ったので鉛筆を転がして解答したことと何の変わりもない。
ここ、喫茶店[蜘蛛の巣]で蓮見が働きたい明確な動機がないと言っているようなものである。
「ふ、ふふふ、やっぱりあんた面白いわぁ。 ええ男やし、こりゃ優良物件確保したんとちゃうかなぁ」
「え、えっと、蝶々さん?」
「あぁ、名前呼びもええけどうちのことは店長って呼んでくださいまし」
ふふふふ、と未だに笑い続ける蝶々は四本のうちの二本の脚でゆっくりと立ち上がる。
もう二本の脚は座するような形で曲げている。
肩から着物を羽織るようにして着ている蝶々はゆっくりと蓮見に近づく、身長は高下駄を履いていることもあってか、蓮見よりも一回り大きい。
「–––あんさんは採用やで、蓮見はん。 何より、嘘を吐かんかったのが好印象や」
「.....そんなの、わかんねぇだろ」
「わかるんよぉ、嘘を吐く人間からは汗の匂いが凄いからねぇ」
つつつ、と蓮見の首筋を蝶々はゆっくりとなぞるように指を立てる。
「嘘吐いとるんなら、もっとベタつくはずやで」
「......スゲェな、あんた」
「褒めても何も出んよ」
楽しそうに笑顔を浮かべながら口元に指を近づける。
「–––でも、あんたまだうちに隠しとることあるやろ?」
「そ、それは......」
「ええんやで、うちは隠し事は詳しく聞かん主義や。 ミステリアスな男の人ってそれだけで魅力やし」
「こりゃ、また一本取られた」
蓮見も苦笑いを浮かべる。
思い浮かべるのはかつての妻の顔だった、どうも女って生き物は男よりも一枚も二枚も上手になれるように立ち振る舞うのが得意らしい。
この人の下なら上手くやれそうだと蓮見は確信した。 何より、気が合いそうという点が大きい。
蝶々は蓮見に背を向けて椅子に再び座る。
「で、早速やけど業務の話に移ってもよろしいか?」
「あぁ、頼む」
「じゃあ、まず蓮見はんも座りなはれ。 しんどいやろ?」
「あ、あぁ、じゃあ失礼して」
蓮見はゆっくりと座る。 この場合正座のほうがいいのだろうが、蓮見はいつもの癖で胡座をかく。
蝶々は気にしない様子で微笑みながら手際よく、それでいて正確に必要な情報を蓮見に伝える。
ここ、喫茶店[蜘蛛の巣]の給料は月払いで基本月給は1,2000エバ。 仕事次第で増減することもあるとのこと。
シフトは週に三日入れることが条件、その条件を守らなければ採用はされない。
そのことは既に募集要項にも記されていたので蓮見には何の問題もない。
他にも制服の取り扱い、緊急時の連絡手段、そして奴隷の扱いについて。
「この店にも奴隷が?」
「えぇ、今はおらんけどちょっと前までは買っとったんよ。 でも、一人に充てる世話代が嵩張るから、三人おったんやけど思い切って売り払ったんよ」
「.......なるほど」
この世界では日常的な存在だが、蓮見にとってはどうにも受け入れがたい。
今はいないと聞いてホッとしたが、これから共に仕事をすることがあるかもしれない。
蝶々はそんな蓮見の様子を気にすることなく続けていく。
新聞は基本的に従業員が取り店の中に入れる、その役割は一番最初に店に来たスタッフ。
メニューは全部で37種類。 ドリンクは基本的にホールスタッフでも作れるようになっておく必要がある。
「作り方は後でしっかりとご指導させてもらいます」
「はい」
「うちで扱ってるドリンクは19種、これを一週間のうちに覚えてもらう必要がありんす」
「一週間か」
「いけそうかえ?」
「あぁ、それだけ時間がありゃいける」
蓮見は回想する。
かつて、本屋に就任して間もない頃、本の取り扱いや書店内の並び、特典の有無、在庫確認の方法や今月発注すべき本のリストなどを三日で叩き込まれた頃のことを。
それに比べたら一週間なんて時間がありすぎるくらいだ、他の仕事も覚える余裕もある。
「–––それに比べりゃ、完璧に覚えれる自信がある!!」
「あんさんの前の職場どんだけブラックやったん?」
あの程度でブラックと言ってしまえば、世の中全部がブラックですよ蝶々さん!
「それで他には何かありますか?」
「せやねぇ、あとは実際に仕事をしながら覚えてもらうってところやね。 質問とかありはる?」
「いや、特には」
蝶々の説明はとてもわかりやすかった。
蓮見は回想する、かつて本屋に就任して間もない頃は先輩から基本的にご指導を受けてたのだが、その人が何とも説明下手な人で本当に日本語を話しているのかわからないことを。
そして、矛盾も多く質問にも答えてくれず、結局店長に色々と聞いてた手前先輩から仕事を押し付けられてた日々のことを。
「大丈夫! 俺はやれる!」
「気合は十分やね、頼もしい限りや」
こうして蓮見は喫茶店[蜘蛛の巣]にて採用が決まった。
蝶々から渡された制服を持って、男子更衣室で着替えを済ませる。
この世界では昼と夜の区別は時間帯によるものだ、よって空の色は変わることはない。
だからなのか、照明機器は蝋燭と明らかに街並みを彩るだけの目的の街灯以外にそれらしいものは見たことがない。
窓を開けるか閉めるかによって部屋の明るさは決まる。
この喫茶店[蜘蛛の巣]は家屋と家屋に挟まれた位置となっているため窓からの光を受け入れるという意味では立地的によろしくない。
だからこそ、裏のスタッフルームは全体的に暗い作りとなっているのかもしれない。
ここの更衣室も同様であった、窓は存在せず、わずかにある屋根の隙間から光が入ってくるくらいだ。
蓮見は着替えながらそんなことを考えていた。
着替え終えると、休憩室へ向かうように蝶々に言われていたので周りを見ながら休憩室へ向かった。
これから働くというのに店の構造がわからなくては話にならない。
休憩室は横長の机二つを並べ、囲うようにして椅子が四つ設置されている。
中では二人の人物が休憩をしている最中だった。
一人はさっきホールで見たシアンという青年、もう一人は蓮見と面識のない狼顔の男だ。
「あ、新人さんだよね? 僕はシアン、君に色々教えるように夜々姉さんに言われて休憩もらってます。 よろしくね!」
「俺はキリアス、ここの料理作ってる」
「あ、どうも、蓮見征史です」
シアンはどこかおどおどしながら、キリアスは興味がなさそうにこちらを一瞬だけ見た。
「店長は基本的に昼間はあの部屋から出ない人で、ね。 しばらくは僕が蓮見に仕事を教える形になると思うから、シフトも一緒の時が増えると思う」
「シフトって、店長が?」
「基本的にはね、何か要望があれば夜々姉さんに言っても聞いてもらえると思う」
どうやら夜々、という人物はここのスタッフの中でも古株のようだ。
「じゃあ、早速行こうか。 キリアス、厨房の方使ってもいいよね?」
「好きにしろ、あいつもまだ作業中だろうから邪魔しないようにな」
「了解ですっと」
シアンが立ち上がり、キリアスは目を背けながら肘を机に乗せる。
蓮見よりも身長の低いシアンはどうしても見上げなければ視線を合わせれない。
かといって、蓮見が腰を下げるわけにもいかない。 ポリポリと頭を掻きながらシアンを見る。
「じゃあ、行きますか」
「はい」
休憩室を出て、軋む廊下を少し進んで右に曲がったところに厨房がある。
そこでは一人の女性が周りを寄せ付けぬ真剣な雰囲気で調理をしていた。
「えっと、あの人は厨房を仕切ってる人で基本あんな感じだから気にしないで」
「あ、はい」
「そ、そういえば蓮見、さんっていくつなの?」
「38ですが」
「......やっぱり歳上でしたか、倍近く」
ガクッと項垂れるシアン、彼はこの喫茶店[蜘蛛の巣]の最年少スタッフらしい。
しかし、年齢は関係ない。 働いた年数で言えば蓮見よりもシアンが上なのだ。
「......あの、蓮見さんってお呼びしてもよろしいですか?」
「大丈夫ですよ、シアン先輩」
「......なんか、むず痒いっすね、ははは」
そこそこ広い厨房の隅に移動して、ドリンクの作り方を教えてもらった。
ほとんどが珈琲飲料で珈琲豆の組み合わせと微妙なお湯の匙加減、ミルクと砂糖の量なんかを微調整していく必要があるようだ。
ちなみにシアンは全てのメニューを完璧に作れるようになるまで二ヶ月掛かったらしい。
「これ、基準とかあるんですか?」
「店長と夜々姉さんの二人の好みですね、あとはお客さんがどんな味を求めているのか、それによって微妙に変わりますけど、基本はあの二人がオッケーを出したら問題ないです」
「......そういえば、あの二人ってどういう関係なんですか?」
「親子らしいですよ、僕も詳しくは聞いてないですけど」
雑談も交えながら、シアンから教わった分量をメモしていく。
そして実践して、実際に感覚で覚えていく。
珈琲以外にも、カクテルやジュースの類もあるが、こちらはそこまで重要視されてないようで細かな分量までは定められていなかった。
「あ、薪が足りなくなったら予備は倉庫にあるから取りに行って補給しといてくださいね」
「倉庫はどちらに?」
「裏口を出たら中庭があるので、その向かいの小屋です」
集中して練習すること二時間、要領も掴めてきたところで一度休憩を取ることにした。
休憩室へ戻ると、そこには夜々が座っていた。
「あ、夜々姉さんお疲れ様です!」
「シアン、お疲れ様です。 そちらの、新人も」
「蓮見です、以後よろしくお願いします」
「こちらこそ」
表情を変えることなく夜々は握手を求めてくる。
「ごしゅ、店長に失礼なことしたりしてないですよね?」
「してねぇよ」
つい言葉を崩してしまった蓮見。
「なら、良かったです」
しかし、夜々は気にすることなく目を細める。
そして、休憩室に運び込まれた蓮見の作った珈琲を一口上品な仕草で啜る。
「これは蓮見君が?」
「えぇ、一応」
「少し、苦味とクセ強いですね。もう少しお湯の入れ方を丁寧にするか、砂糖の量と珈琲豆の量を減らすことをオススメします」
「苦味が強いのに、ですか?」
「おそらくですが、この豆は元々苦味が強力なもの、故に味を引き出すためには砂糖で誤魔化すのはオススメできません。 ですので、珈琲豆の量を減らすといいでしょう」
「なるほど」
蓮見は夜々の言葉を一つ一つ反芻しながら、メモをしていく。
「......蓮見君は勤勉家ですね」
「そうでもないですよ」
その後もシアンと休憩を挟んだ夜々による指導は四時間続いた。
※
「お疲れ様、初日なのによう働いてくれたねぇ」
「いえいえ、そんな」
午後六時に勤務は終了した。
勤務と言っても、ほぼ七割方は珈琲を作ってるだけに終わったが、人手が足りなくなったということで蓮見も急遽ホールに出て仕事をすることになった。
「蓮見はん、結構客受けも良かったし、ホント嬉しいわぁ」
「......ソーデスネ」
「夜々姉さん、落ち着いて!」
今は閉店し、休憩室に最後まで残っていたスタッフが集まっている。
全員が珈琲を飲みながら、今日の反省と今後について、材料の補充についての話し合いが主である。
「じゃあ、今日は僕が買い出しに行ってきますよ」
「あんま無理すんなよシアン、夜歩き慣れてねぇだろ。 俺もついてくよ」
「いや、いいよ!」
「治安悪いんだから気にすんな、魔女の一団と遭遇しても厄介だからな」
ポン、とシアンの頭にキリアスが手を乗せる。
シアンよりも身長が二回り大きいキリアスは座りながらシアンの頭に手を置いたのだ。
「魔女の一団?」
ふと、気になる単語があったので蓮見は口に出すとキリアスがどこか呆れた様子で溜息をついた。
「んだ、知らねぇのか?」
「知らねぇよ」
「今日の新聞の一面にも載ってたぞ、軍警団の調査で最近活動がまた活発化してきたらしい」
机に置いた新聞を広げながら全員が魔女に関する記事の一面に目を向ける。
「魔女、三年前のあの事件以来音沙汰なんてなこうたのに、なしてまた」
「知らねぇよ。 けど、また【骸】が市場に出回ってるってことは事実みたいだ、買い出しにも気をつけねぇとな」
「せやねぇ」
蝶々とキリアスの話に蓮見は付いていけないが、よからぬ事が起こっているということはわかった。
新聞は定期的に読んだ方がよさそうだ。
「なら、尚更シアンを一人で行かせるわけにはいかへん。 頼んだでキリアス」
「わーってるよ、行くぞシアン」
「ちょ、待ってよキリアス!」
キリアスは立ち上がると裏口から外へと出ていく。
シアンはそれに続くように上着を羽織り、追いかける。
「蓮見はんも気をつけて帰りや、面倒なことに巻き込まれる前に」
「は、はい。 これからもよろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げて裏口から外へと出る。
中庭から路地を通り、正面のある坂道の通りに出るとレキがいた。
「やっほー」
「......何してんだ、お前」
「いやぁ、蓮見さんが仕事決まったってジャンヌさんから聞いたから様子を見ようと」
「お前は俺のお袋か」
相変わらず暑そうなフリフリのゴシックドレスを着たレキは両手にそれぞれりんごを一つずつ持っていた。
一つを蓮見に渡して、もう一つはレキ自身が齧る。
「そういや、お前はどこに行ってたんだ?」
「ちょっと隣の駅までね、そこでツテをハシゴしてた」
「そっか」
シャリ、と蓮見もりんごを一口齧る。
そして、齧ってからあることに気がついた。 割と重要なことに。
「黒森、このりんごどこから盗んできたんだ?」
「ぬ、盗んでないし!? ちゃんと買ったやつだよ!?」
「金ないのに?」
「だから、それは、ツテをハシゴしながらコツコツ稼いでたんだよ!」
「......」
「蓮見さん絶対信用してないね、その目!」
ポカポカと殴ってくるレキを諌めながら、ジャンヌの家にまで戻った。
ちなみに今回の件に関しては蓮見がレキを信じることはジャンヌの家に戻ってもなかったという。
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