「……は?」
いや、何だ奉仕部って。ボランティア部の親戚か何かか?
俺が呆けていると、平塚は俺の持っている未記入の入部届を指さす。
「だから、奉仕部だ。さっさと書け」
「チッ。早くしろし」
女王、三上美香が舌打ちしてこちらを睨んでくる。こわっ。
質問を挟む空気ではない。女王の圧力から早く逃れたくて、俺は可能な限り早く手を動かし必要事項を記入した。記入せざるを得なかった。
何でこんなにビクビクしなきゃならねぇんだ……。
書き終わった瞬間、平塚は俺の手から用紙を奪い取る。さっと内容に目を通し、不備がないかを確かめた。
「よし、大丈夫だな。美香……からは、昨日もらったか」
「忘れんなし」
三上が無愛想に言う。興味なさげに俺の方をちらと一瞥し、携帯を開いてポチポチとしはじめた。まさに我が道を行く、という感じがして女王らしい。
受け取った用紙を制服のポケットにしまうと、平塚は俺に視線を合わせる。
次いで、三上へと視線を移した。三上は相変わらず携帯の画面を見ているため、二人の目は合ってなかったがそれでも平塚はうむと頷く。
「たった今から奉仕部は始動する。二人はあまり親しくないようだが、なに、一月もすれば状況に慣れるだろう。これからよろしく頼むよ」
平塚の言葉に頷く者はいない。俺も三上も無理矢理引っ張られてきたようなものだ。やる気は皆無である。
なんてまとまりのない寄せ集め集団だ……。大丈夫かこの部活。
しかしもう俺も、このわけのわからん部活のメンバーである。いずれそーっとフェードアウトしていって幽霊部員になるつもりだが、それまでに何回かは顔を出すだろう。活動内容を知る必要がある。
「……いや、そもそも奉仕部って何すんだよ」
問うと、平塚がそれに答える。
「言葉の通り、人々に奉仕する部活だ。まぁ人々といっても、学内での活動だからな。奉仕する対象はこの学校の生徒、もしくはそれの関係者といったところだろう」
「奉仕っつっても、色々あんだろ。俺が聞きたいのは、どう奉仕するのかだ」
「まだ始まってないから何とも言えんが……ときに生徒の悩みを解決し、成長の一助となれるよう行動する。ときに課外活動を引き受け、生徒ひいては学校に貢献する。とまぁ、佐伯先生を説得するためにそんなことを言った記憶がある」
つまりお悩み相談室兼ボランティア部か。
なぜ人のために働かなくちゃならんのか……。俺には合いそうもないな。人の悩みを上手く解決できるほど俺はできた人間ではない。それに他人の成長を手助けする前に、自身の成長を促したいところである。
「奉仕部じゃなくてボランティア部でいいだろ」
そんなへんてこな名前よりかは、よっぽど常識的だ。部の名前というのは、他人が聞いて一発でわかるようなものであるべきだろう。
しかし俺の意見は却下される。
「それはほら、オリジナリティーに欠ける。どうせなら、世界に一つだけの部活にしたいのだよ」
オリジナリティーとかいらねぇだろ……。
ほんと変なところにこだわるなこいつ。
「まぁ、もう何でもいいわ……」
ため息をついた。
俺が何を言っても、どうせ変わりはしない。それにオリジナリティーとか言われたら返す言葉もないし、返す気力も失せた。部活の名前くらい創部者に好きにさせよう。
平塚が俺の様子を見てむっとしたが、頰をひくつかせながらどうにか感情を押しとどめる。
「何はともあれ、奉仕部というのは今説明したような部活だ。早速今日から活動するわけだが、まず部員諸君にはやってもらいたいことがある。それは――」
三上が顔を上げる。
俺もつられて平塚を見た。
その様子に満足げに頷き、平塚は満を持して言い放つ。
「この部室の掃除だ」
彼女の視線は床へと向かう。
そこでは積もった埃が窓からの光に輝き、その存在を主張していた。
* * *
掃除なんて聞いてない、と三上が平塚に詰め寄った一悶着があったのだが、それは割愛することにする。
幸いにして、そこは空き教室である。教室内には掃除箱があり、その中には3人分の用具が揃っていた。
箒が2本、ちりとりが1つ。黒ずんでボロボロの雑巾数枚。
当然、何かいう前に俺の担当は勝手に決まっていた。
平塚が眉をひそめながら2本の指で雑巾の角を摘まみ、こちらにぽいと放り投げる。
パサリ、と雑巾は目の前の床に落ちた。
「よろしく頼むぞ」
そう言いながら、平塚は箒の1本を三上に手渡す。
憮然な表情をしてそれを受け取る三上。
よろしくじゃねぇよ。自分が嫌なことは他人にしてはいけないって、ママンに習わなかったのかなぁ……。
俺が汚れた雑巾を前に固まっていると、それに気づいた三上がこっちを睨んでくる。
「あーしも早く終わらせたいんだからさ。さっさと行け」
……くそう。何も言い返せない自分の弱さが憎い。
いや、これは弱さじゃない。波を立てずに物事を円滑に進める、謂わば処世術だ。見方を変えれば強さである。俺は言い返せないんじゃない、言い返さないんだ……!
そんなことを心の中で考えながら無言で雑巾を拾う。
「あ、比企谷。ついでに職員室に行ってゴミ袋をもらってきてくれ」
ため息交じりに教室から出ようとして、平塚が余計な用事を付け足してきた。
こいつら、俺のことをパシリか何かと勘違いしてないか……。まぁ、言うまでもなくここでのカーストは俺が最下位なんだが。それでもおかしいでしょ。
頰を引きつらせながら、俺は教室の外へと出た。
* * *
ボロ雑巾携えて職員室に入るわけにもいかないので、一旦部室近くの水飲み場に置いておくことにした。十分程度なら放置したところで問題ないだろう。
特別棟から出て職員室まで行き、扉を開く。
あーいたいた。優雅に紅茶を飲んでやがる。
目的の人物がいるのを確認し、そこまで行って声をかけた。
「佐伯先生」
我がクラスの担任、佐伯ゆかりは俺の声にびくっと身体をふるわせ、カップの中身を揺らした。
「ひ、比企谷くん。音もなく近づかないでください」
「いや俺普通に来てたでしょ……」
背後を取るのが上手い男、比企谷八幡。これはもうアサシン目指すしかないな……。
佐伯先生は手に持っていたカップを机の上に置くと、俺の方に向き直る。
「で、先生に何か用ですか?」
「ゴミ袋が数枚ほしいんですけど」
「え? 何に使うの比企谷くん」
「逆に訊きますけど、掃除以外の何に使うんですかね」
その返しはおかしいだろ。俺を何だと思ってんだ……。
佐伯先生が驚愕に目を見開く。
「本当? けど、比企谷くんが自主的にどこかの掃除を始めるなんて驚き。そんなことしない子だと思ってました」
「まぁ、嫌々ですからね。間違ってないですよ」
実際、俺が校内を自主的に掃除することは天地がひっくり返ってもないだろう。そんなボランティア精神、持ち合わせてはいない。というか普通の奴は持ってない。
「何か事情でも?」
「ざっくり言えば……先生が顧問の奉仕部に強制入部させられて、今は部室の掃除中です」
「ええ!?」
佐伯先生が大きく驚き、職員室の注目を集めてしまう。それに気づいて仄かに顔を赤くさせ、先生は声のボリュームを落とした。
「ど、どうしたの比企谷くん。部活に入るなんて、言葉が悪いけどあなたらしくないわ」
「俺だって好きで入ったわけじゃないですよ。平塚から何も聞いてないんですか?」
「部員の確保はしてあるとしか……それが、まさか比企谷くんだとは思ってませんでしたけど。もしかして、何か弱みでも握られてるの?」
「いや違いますよ……。というか、よく顧問引き受けましたね」
既に彼女は合唱部の顧問をしている。掛け持ちなんて、普通なら引き受けない。
「平塚さんの勢いに押されてしまって……。それに詳しく聞けば、とても立派な活動じゃないですか。顧問として名前を貸してくれるだけでいい、というからそれならって」
この人、押しに弱いなぁ。案の定といった感じだ。
職員室の時計が、ちらと目に入った。そろそろここから出なければ、何をやっていたとサボりを疑われるだろう。そうなればそれを理由にして、さらなる仕事を押しつけられかねない。
佐伯先生が顧問になった経緯を聞いたところで、雑談を切り上げることにした。
「まぁ、そんなわけで後で入部届持ってきますんで。とりあえずゴミ袋を」
「そうね。じゃあ、少しそこで待っててください」
そう言って、佐伯先生が席を立ち俺から離れていく。
数分と待たずに現れた彼女の手には、目的の物が握られていた。
「はい、これ。では入部届、待ってますので」
先生が袋を俺に手渡し、にこりと笑う。
うす、と軽く頭を下げて職員室を後にした。
特別棟へと戻り、雑巾を回収しに水飲み場へと向かう。
そこで雑巾を水に濡らし、教室に戻ればお仕事完了だ。だが肝心の掃除はまだ始めてすらいないため、戻ったところで別の仕事が次々と積まれていくだろう。
学校は社会の縮図であるとはよく言ったものだ。会社に入れば、例え仕事を早く終わらせても上司が理不尽に別の仕事を押しつけてくる。やだなぁ……。だから俺は働かないと固く誓った。
水飲み場に近づくと、誰かが蛇口から水を出している音が聞こえてくる。
着いてみれば、金髪の女生徒が前屈みになってゴシゴシと手を洗っていた。すらりと長い脚が嫌でも目につく。むぅ、これは少し目に毒ですね……。
雑巾が置かれているのは、彼女のすぐ近くだ。いつまでも突っ立っているわけにもいかず、その隣へと行く。
どうやらまたも俺は、無意識のうちに気配を消していたらしい。
女生徒――三上が、ぬっと現れた俺を見て驚いた。
「うわっ、どっから来たの。キモいんだけど。キモい」
「……悪いな影が薄くて」
思えば、俺と三上がきちんと一対一で会話したのはこれが初めてだろう。だからといって何もないが。
しかしこいつ口悪いな……。どう考えても二回目言う必要なかっただろ。
ボロ雑巾を手に取り、蛇口を捻って水に濡らす。
無言の時間が過ぎる。まぁ、三上も手を洗いにきただけのようだし、すぐに部室に戻るだろう。
何事もなくこの奇妙な空間は終わる。
そう思っていた。
「ねえ」
だが、そうはならなかった。
水音に混じり、三上のその声ははっきりと耳に届く。
「あんたさー、静に何吹き込んだわけ?」
「は?」
思わず聞き返した。
何を訊ねているのかわからないし、何を答えればいいのかもわからない。
「は? ってなに? あーしが訊いてんだけど」
「いや……何のことだよ」
「先週の頭、静からあんたのこと観察しといてってメール来たの。その翌週にこんなわけのわかんないこと始めてさ、絶対あんたが原因っしょ」
なんつーメール送ってやがるあの女。
先週と言えば、そういえばやけに三上と目が合って恐怖した覚えがある。俺が何かしたわけじゃなかったのか。
「目が合ったのは自意識過剰じゃなかったんだな……」
「そういや、授業中こっち見ないでくんない? ほんとキモかったから」
な、殴りてぇ……。お前が俺の方を見てきたんだろーが。
俺がそう考えているのはお構いなしに、三上は自分のペースで答えを迫る。
「つーかさ、早く答えろし。何吹き込んだわけ」
そう言われて記憶を探るも、俺と平塚静は格ゲーで対戦しただけだ。こんなわけのわからん部活を始めろとは決して言っていない。
はて、俺は一体何を吹き込んだんだ……。
「思い当たることがないんだが」
「は? とぼけてんの?」
「ないものは説明しようがねぇよ」
「……」
三上が黙り込み、辺りには水音だけが響き渡る。
だが、すぐにそれも止む。俺も彼女も、会話のために蛇口を締めるタイミングを失っていただけなのだ。だから会話が終われば、次の行動に移る。
俺が雑巾を力一杯絞っている間、三上は自分のハンカチでふきふきと手を拭う。
「ま、いっか。今更意味ないし」
吹き終わってハンカチをしまうと、そう言って三上は奉仕部のある方へと歩いて行く。
彼女がどんな気持ちで言ったかはわからないが、意味がないってことはないだろう。
平塚静がどうしてこんな部活を立ち上げたのか俺は知らない。だがそこには確かな意味があるはずだ。意味があるからこそ、彼女は俺や三上を巻き込んだのだ。
きっと、平塚なりの理由があるにちがいない。
片手に雑巾、もう片方の手にゴミ袋を掴んで俺は三上の後を追いかけた。