「遅かったな、美香。……と、比企谷も一緒か」
三上に少し遅れて部室に戻ると、箒を持った平塚が出迎えた。
彼女の足下では、ちりとりの中に埃の山ができあがっている。部室の後ろ半分にはまだ机が積まれているのを見るに、前半分のゴミを取り終えたようだ。
俺の手にゴミ袋が握られているのを見て、平塚は満足そうに次の指示を出す。
「じゃあ、比企谷は早速雑巾がけを頼む。私と美香はその間に後ろの机と椅子を外に運ぼう」
三上が部室の後ろを見て、眉をひそめた。軽く20個はあるからな……。これを全部、二人で部室の外に運び出すとなると、女子にはきついものがあるだろう。
ともあれ、きちんと役割分担がなされるようで安心した。てっきり馬車馬のごとく働かされるとばかり思っていたからな……。そこまで鬼ではなかったようだ。
平塚にゴミ袋を渡し、雑巾がけに取りかかる。
無言で床を拭いていると、やがて小さなため息が聞こえてきた。直後、ガタンと机の持ち上げられる音がする。視界の端では、ゴミ箱がゴトゴトと動いているのが見えた。
ゴミ箱からの音が止むと、次いでちりとりと床との摩擦音が聞こえる。それが止めば、足音は移動して机を運ぶ音が二つになった。
無言で拭き続ける。二度ほど全体的に雑巾をかければ、窓からの日差しが反射して床が煌めいてみえる。手に持ったボロ雑巾が、どうにも対照的だ。汚く見えても本質は変わらない。
額の汗をぬぐって顔を上げると、机の最後の一個が平塚によって運び出されるところだった。この後は掃き掃除、拭き掃除の流れなので、俺の出番は少し先だろう。
「あーもう腕動かないんだけど……」
「比企谷。少し休憩をはさむ」
と思っていたが、二人がきつそうにしているので仕方なく掃き掃除は俺がやることにした。まぁ、机連続で10個以上運んだら男だって腕が痛くなる。ならないやつもいるだろうが、少なくとも俺はなるだろう。
特に椅子が体力を持っていくんだよな……。
無言で箒を手に取り、大雑把に床のゴミを集める。
綺麗になった部室の前半分の床に座り込みながら、その様子を見つめる目が四つある。ちなみに平塚は床に胡坐をかき、三上は体育座りで座っていた。
「ふーん……」
それが二人のうちどちらのものだったのか判別はつかなかった。
無言で床を拭き続けていると、三上が前方に伸びをするのを尻目に平塚が口を開く。
「すまんな、比企谷。君も疲れてるだろうに」
「謝る必要ねぇよ。……俺は平等主義者だからな。まぁ、こういうときは仕事量も平等だ」
「……まったく。君は相変わらずだな」
「一週間で人が変わるわけねぇだろ」
「はは、それもそうだ」
笑いながらそう言って、平塚は立ち上がる。
「さて、休憩終わりだ。美香も、ほら」
「……うん」
三上がゆっくりと腰を上げる。
平塚が近くにあった箒を手に取るのを見ると、三上は何も言わず俺のもとまで歩いて、不愛想に手を差し出してきた。
瞳は下を向いていて、何を思っているのか俺にはよくわからない。
持っている箒を手渡すと、三上はそのままサッサッと床を掃き始める。
「比企谷はそこで休んでいてくれ」
「言われなくてもそうする」
そう言って床に座り込むと、どっと腕に疲れが来た。拭き掃除から休みなしでここまで来たせいだろう。思ったよりも腕を酷使していたらしい。
ぼーっと二人が掃除しているのを眺める。
せっせと埃が一箇所に集められ、やがて教室の隅の方に小さな山ができた。
平塚がちり取りで回収し、ゴミ箱へ捨てる。
それを数回繰り返せば、次は俺の出番だ。
今まで使っていた面を裏返し、雑巾がけを始める。交代で床に座る二人は、特にすることもないからだろう。じっと俺の方を眺めていた。あまり見られても、いい気はしないんですけど……。
やっているうちに腰が痛くなってくる。体勢が結構きつく、額に汗がにじんだ。
床を拭いていると、ガラッと扉の開く音がした。誰ぞと思ったが、どうということはない。三上の姿がなかったから、出ていったのは彼女だろう。大方また手を洗いに行ったか、トイレにでも行きたくなったようだ。
全体的にまた二回雑巾がけすれば、床はすぐに煌めきを取り戻す。こびりついた汚れを力強く擦り落とし、気になるところをなくしていけば俺の仕事は終わりだ。
「お疲れさま」
「ああ」
仕事を終えた俺に労いの言葉をかけ、平塚は立ち上がった。
もう腕動かねぇ……。いやほんと情けないが、明日は筋肉痛だろう。悲しいかな、自転車通学は腕の筋肉を鍛えてはくれないのだ。
床に倒れるようにして座り込む。なんやかんやで足腰にもかなり来ていた。
足を伸ばして、大の字で寝転がる。目を瞑り全身の力を抜けば、これが恐ろしいほどに心地いい。
平塚が机と椅子を持って部室に入ってくるのが音でわかる。俺も手伝いたいところだが、どうにも身体が動かない。このまま休ませてもらおう。
と、そこで。
ぴと、と冷たい何かが頬に当たった。
「おわぁっ!」
跳ね起きると、すぐ近くに三上の顔がある。
視線は相変わらず俺に興味なさそうだが、けれど確かに俺を見ていた。
「これ。あんたの好きなのわかんなかったから、あーしの好きなやつね」
見れば、三上の手には緑茶のペットボトルが握られていた。右手に緑茶一本、左手に麦茶と緑茶を一本ずつで合計三本持っている。
「あ、ああ……。わるいな。……そうだ、金払わねぇと」
「ついでだから。ほら、静も」
そういって俺に緑茶を押し付けた後、三上は机を運んでいる最中の平塚に近づいていく。
財布に伸ばしかけた手が止まり、俺はそのまま、また床に倒れ込んだ。
不思議な気分になって、もらったペットボトルを眺める。
緑茶か……。意外と渋いな。
* * *
「二人とも、お疲れさま。掃除はこれで終わり。今日の活動もここまでだ」
掃除が終わり、平塚が部長として俺と三上に部活終了を告げる。
部室の後ろには綺麗に元通り机が並べられている。つい先ほどまで、平塚と三上がせっせと運んでいたものだ。ちなみに結局最後の方の数個は俺も運んだので、少し腕が痛い。平塚は何ともなさそうだが、三上はかなり疲労が溜まっているのか自分で腕の筋肉をほぐしていた。
「明日の放課後も部活はある。二人もきちんと来るように。以上」
その言葉を区切りに解散の流れとなり、各々自分のバッグやらリュックやらを持って部室を出る。
平塚が最後に部室を出て、どこから取り出したのかガチャリと扉の鍵を閉めた。まぁ、部長なのだから部室の鍵を預かっていて何らおかしいことはない。
特別棟から本校舎へと三人で戻っていく。といっても、俺と彼女たち二人の間には一メートルほどの距離があったが。
ぽつぽつと平塚と三上が会話している。時折こちらに話が振られれば、俺は相槌を打つばかりだ。
本校舎に着き玄関口へと向かうところで、平塚が思い出したように口を開く。
「そうだ、比企谷。君にはまだミッションが一つ残っている」
そう言って、平塚は折り畳まれた一枚の用紙を取り出す。
手渡されたそれは、俺が書いた入部届だ。
「職員室に寄って佐伯先生に出してきてもらう。少し遅い時間だから、いなかったら明日に――」
「残ってるよ」
「いや、それはわからないだろう」
俺は平塚の言葉を無視して、もうすぐ近くの職員室まで歩いた。
開けっ放しの職員室の扉から、平塚に中を覗き込むように指で示す。
平塚が中を覗けば、気になったのか一緒になって三上も覗き込んだ。
「ほらな」
「むぅ……本当だ」
茶を飲みながらパソコンの前に座る佐伯先生の姿を発見して、平塚が唸った。
不思議な顔をしている二人に向かい、声をかける。
「じゃ、先帰ってていいぞ」
「どうせ数分もかからないだろう。ここで待たせてもらうよ。な、美香」
「……まぁ、いいんじゃないの」
三上がそう言いながら、携帯を開く。
奉仕部。まだ俺にとっては不思議な名前の、よくわからない奇妙な部活だ。
だが、幽霊になるまでの間、そっと消えていく少しの時間だけなら。
こういうのも悪くない、かもしれない。
そんなことを考えながら、俺は職員室の中へ入った。