「……うむ。来ないな」
翌週。
いつまで経っても来ない依頼に、平塚がしびれを切らして呟いた。
「そら、何の宣伝もしてないわけだしな」
一拍置いて返した俺の言葉が、部室にぽつりと落ちて消える。
奉仕部とかいうわけのわからない部活は、創部から既に土日を挟んで五日が経過していた。その間に届いた依頼は、今この女が言ったようにゼロ。何一つ活動できちゃいなかった。
平塚の口からため息が漏れる。
一応彼女はこの部活の部長だ。活動できないのが悔しいのだろう。
だが、その手には今週の少年ジャンプが取られており、足元の鞄にはマガジンが上から突っ込まれている。漫画パラダイスだ。今日なんて俺が部室に来た時には既に漫画を読んでいた。いいのか、部長。
もちろん部室で依頼が来るのを待つ時間は、暇であり退屈だ。かくいう俺も文庫本を手にして読みふけっている。
だから、他人のことを口に出してとやかく言うつもりはない。
そも、この現状を招いている原因をどうにかしなければならないのだ。
そこで、パチリと携帯を閉じる音がした。
音のした方に目をやれば、鮮やかな金の髪が視界にうつる。
金色の持ち主は椅子からゆっくりと立ち上がり、不機嫌そうな眼をして手で制服を整えた。
「み、美香?」
と、平塚がおっかなびっくりに言えば。
「飲みもの買ってくる」
と、奉仕部三人目の部員である彼女、三上美香は部室を出て行ってしまった。
……俺もここから出てってしまいたい。
残された俺と平塚の間に、なんとなく居たたまれないというか、そんな感じの微妙な空気が流れる。
平塚の方をちらと見ると、苦いような渋いような顔をしていた。
この空気の打破を頼もうかと思ったが、この様子じゃ無理だな……。
がしがしと頭を掻きながら、ため息をついた。
「あの様子だと、もってあと数日だぞ」
「……だよなぁ」
俺がそう言うと、平塚が天井を仰いで目を瞑る。
「佐伯先生に悩んでいる生徒がいたら連れてきてほしいと頼んであるが、やはりそれだけじゃ不足ということか……」
「つっても創部からまだ一週間も経ってねぇし、仕方がない感じはする、な……」
まだ知名度も何もない。奉仕部は本当にゼロから始まった部活なのだ。そんな得体のしれない部に依頼を持ち込む生徒など、まぁ数少ないだろう。
しかし、かと言って依頼が来なければ知名度が上がるはずもない。そして三上のこともあり、現状を容認するわけにもいかなくなってきている。
いや、俺は別に容認してもいいんだけどね。部長様がね。
三上は、意外にも律儀に毎日奉仕部に顔を出している。
最初はポチポチと携帯を弄りながら、たまに平塚と喋りながら依頼が来るのを待っていたわけだ。
しかし、活動三日目にして全く依頼は来ていない。このままずっと依頼を待ち続けるのかと思えば、そりゃ不機嫌にもなるだろう。
貴重な放課後を無駄にして、あーし何してんだろみたいな。恐らくだが、そんな感じだ。乙女の心は複雑怪奇であるから、もしかしたら違うかもしれないが。
この問題は、一つでも依頼が来てしまえば解決する。その依頼を通して、待った甲斐があったと三上に感じてもらえばいいのだから。
だからこそ、奉仕部は一つ目の依頼を早急に受けなければならない。
そして、そのために動かなくてはならない。
「やっぱ、宣伝するしかねぇだろ。知名度を上げないことには始まらない」
「……けど、宣伝してたくさん悩みが来られても、三人じゃ対処しきれないだろう」
総武高は生徒の数が多い。依頼がたくさん来て、捌ききれずに対処が雑になってしまっては本末転倒である。平塚の懸念していることは尤もだ。
しかしこのまま何もしなければ、三上という爆弾は爆発し、こんなのやめだやめだと部室に来るのを止めてしまうかもしれない。それに気づいているのは、決して俺だけじゃないはずだ。
……あれ? 俺にとってはそっちの方がいいんじゃなかろうか。奉仕部から三上が去り、それに便乗して俺が去れば自然消滅への道が開ける。我ながら卑劣だが、このまま放置というのも名案である。
が、自然消滅するまでの部室の空気を考えると実行は躊躇われる。このまま放置すれば、依頼が来ない限り三上の不機嫌さは増してゆき、奉仕部は非常に息苦しい場へと変貌する。入部から一週間もせずに幽霊部員にはなれんだろうから、俺も少なくともあと数週間はここに通わざるを得ないのだ。
……廃案だな。
改めて、三上の不機嫌を何とかするのが目下の課題であろう。
俺の精神衛生のためにも、平塚のためにも。
「校門前でメガホンもってアピールするわけじゃねぇんだぞ……。ポスターでも作って、廊下に貼っときゃいい」
「……私は、もう少しだけ依頼が来るのを待った方がいいと思う」
やけに渋るな。そんなに依頼殺到を心配しているのか。
「ったく、そんな心配杞憂だ杞憂。宣伝したところで、絶対依頼は多く来ないから安心しろ。それに、これは時間稼ぎでもある。ポスターを作ってる間は、三上の機嫌も今よりマシだろうしな」
そして、ポスター作りの間に依頼人が来てくれれば御の字だ。
俺が言葉を弄して説得を試みると、平塚は歯切れ悪そうに口を開いた。
「別に、依頼の多さはそこまで気にしては……」
と、そこで部室の扉が開けられて平塚は次の言葉を中断した。
手に持つは冷えた麦茶のペットボトル。廊下で歩きながら飲んだのだろう、麦茶は既に三分の二くらいまで減っている。
三上は俺たちの様子を興味なさそうに眺めると、自分の椅子に腰を下ろす。
そしてペットボトルのキャップを開け、口をつけてこくこくと喉を鳴らした。
「……なに」
飲み終わって、俺と平塚の視線に気づいた三上がそう言った。
いや、別に何かあるわけじゃないんだが。
ただ、つい目で追ってしまった。それだけだ。
が、それを口にすればキモいだの何だのと罵倒され傷つくのは目に見えている。俺は見えた地雷を踏みに行くマゾではないのだ。
何か言ってくれ、と平塚に視線を向ける。
平塚は少し考え込んでから、口を開いた。
「美香。……実は、これから宣伝ポスターを作ろうと思うんだ」
「はあ? ポスター?」
その言葉に驚いたのは三上だけじゃなく、俺もだった。
この短い間に、よくわからんが心変わりしたらしい。
「ああ。比企谷の提案だ。このまま何もしないよりはいいとな」
「……そ」
特に反対されないところを見るに、賛成らしい。
三上としても現状に思うところがあるのだろう。
かくして、奉仕部は宣伝ポスターを作ることになった。
* * *
さて、決定したはいいが、ささっと作っては時間稼ぎの意味がなくなる。
できるだけ作業を引き延ばすのだ。
その意図を汲んだのか、各々明日までに絵入りのポスターの下書きを描いて発表という流れに平塚が持ち込んだ。下書きだけなら今この場でやればいいという意見が三上から上がったが、平塚が駄々をこねて強引に明日まで引き延ばしたのだ。
まぁ、駄々をこねるといっても、じっくりじっくり考えて描きたいと言い張っただけなんだが。
今日はどうせ依頼は来ないだろうという部長の言でその日は解散となり、俺らは帰路につくこととなった。
そして居間のソファーに寝転がりながら下書き案を考えて、今に至る。
大体A4のサイズで一枚。文字は大きく見やすくして、ああ、絵は何を入れようか……。
「むむ。何か考え事かね?」
そう言って、ひょっこりと顔を出したのは妹の小町だ。
仰向けに寝転がる俺を覗き込んでいる。既に制服から着替えてラフな格好だ。
「ああ。ちょっとな」
「なーに? 小町に相談してくれてもいいんだよ、お兄ちゃん」
「……」
顔がにやけてやがる。
これは、どうせ下らないことにちがいないと思ってるんだろう。
癪ではあるが、実際大したことではない。俺の中では既に八割がたポスターに書く内容は決まっているし、困っているわけではないので小町に言う必要性は皆無であろう。
あっち行けと手で追い払う。
しかし、その仕草は逆効果だったらしい。
カチンときたのか、小町をムキにさせてしまった。
「むー、なにそれ。小町、逆になんか気になるんだけど」
「知らん」
「ねね、教えてくれたっていいでしょー! どうせそんな大したことじゃないんだからさー」
めんどくせぇ……。
このまま騒がれてもうるさいので自室へ向かおうかと思ったところで、はたと気づく。
この際、教えてしまっても構わないのではないかと。
がばあっとソファーから起き上がり、小町へと目を向けた。
「そんなに知りたいのか?」
「え、いや、小町ほんとはそこまで……」
「ならば教えてやろう」
かくかくしかじか。
ここまでの経緯——俺がお悩み相談部に入部させられ、一向に依頼が来ないから宣伝ポスターを作ることを説明する。
全部説明し終えると、ほえーと小町が唸った。
「それにしても、お兄ちゃんが部活ねぇ……」
「何だよ」
「バイトを三日でバックレてきたお兄ちゃんが部活かと考えると、あと何日続くんだろなって、そう小町は考えちゃうわけですよ」
「失礼な……。せめて十日単位にしてくれ」
「もう、幽霊部員になる気満々じゃん」
話がよくない方向に向かっている気がする。
ごほん、と咳ばらいを一つして軌道修正を試みる。
「で、だ。お前には俺の下書きに入れる絵を担当してもらいたい」
「や、別にいいけど……。そんなの、適当に突っ込んどけばいいじゃん」
「もう適当なの考えんのもめんどくせぇんだよ……」
それに、小町ならば俺よりはいい絵を描いてくれるだろう。俺がイラストレーター志望ではなく、専業主夫志望なのが悔やまれてならない。
「うーん……」
顎に手を当てて考え始めた小町。
そこまで考えることでもない気がするが。
と、そこで何を閃いたのか、ぽんと手を打った。
「そうだ。小町もポスターの下書き描いてみるよ」
「いや、そこまでしなくても……」
「どうせなら小町も、絵だけじゃなくて、ポスター全部描いてみたいしさ。お悩み相談室だっけ。じゃ、明日の朝持ってくね」
そう言って、早速と言わんばかりに小町は二階の自室へと向かう。
あの、俺の絵はどうなったんですかね……。
「はい。これ」
次の日の朝。
家を出ようとしたところで、小町から一枚のプリントを渡された。
半分に折られた理科の問題プリントだ。ところどころ間違っているのが小町らしい。
「あ、まだ開いちゃダメだよ。中身、昨日言った下書きだから」
本当に用意してきたのか……。
どうやら雑紙を下書きにしたようだ。
それを受け取ると「んじゃね、お兄ちゃん」と俺を追い抜いて小町は家を出ていった。
うーむ。見てみたい気もするが、今の言葉から察するに学校で見てくれということだよな……。
まぁ、別にいつ見ても同じだ。小町の希望通りにしよう。
丁寧に教科書の間に挟み、俺も学校へと向かった。