第56話:姉と弟と妹
「これから一緒に--アリアを殺しましょう」
俺の耳が聞き間違いを起こしたわけではない。カナは確かにそう言った。
「一体…何を言ってるんだ、兄さん…!?」
額に冷や汗がにじむ。
俺たち以外誰もいない『空き地島』に吹く海風の中、兄さんは、
「?」
と座ったまま小さく首をかしげた。
そういえばそうだった。
カナになりきった時の兄さんは『兄さん』と呼ばれてもそれが自分のことだとわからなくなるのだ。
「カナ、待ってくれ」
と呼び方を変え、武偵殺しの時不時着したボーイング737の翼を登っていく。
アリアを殺す?
何かの間違いだろ?
そう自分に言い聞かせつつ、カナに近づいていく。
カナは誰よりも正しい人だった。
弱き人を第一に考え、貧しい人からは報酬もロクに取らないで戦うヒーロー。
どんな強大な敵も危険を顧みず立ち向かっていった。
なぜ……なぜ、その兄さんからそんな言葉が?
「半年ぶりに姿を見せたと思ったら……タチの悪い冗談はやめてくれよ、カナ」
俺は飛行機の先端ギリギリまでカナに歩み寄った。
この翼端から風力発電機のプロペラまでは--およそ2メートル。
飛び移れない距離ではないが…高さがかなりある。転落したら命はないだろう。
「冗談なんかじゃないわ。私はアリアを、今夜殺す。神崎・H・アリア。あの少女は巨凶の元。巨悪を討つのは、義を貫く
カナのセリフに…俺は背筋が凍る。
義。正義。
その言葉を口にした時、カナが目的を成し遂げなかったことは今まで一度もない。
マズイぞ。失踪から帰ってきたカナは本気でアリアを殺すつもりらしい。
理由は本当にわからない。俺の頭は真っ白だ。
だが今止めなければ、アリアが殺されてしまう!
「カナ!」
俺は半ば勢いで、バッ
翼端から風力発電のプロペラへ乗り移った。
着地したプロペラはかなりの幅があり、飛び移ること自体は難しくないが--ぐらり。
俺とカナ、2人ぶんの重量に少し揺らいだ。
「出エジプト記32章27--汝ら各々劔を帯びて門より門と営の中を彼処此処に行き巡り、その兄弟を殺し、愛しき者を殺し、隣人を殺すべし……キンジ、付いてきなさい」
揺れに眉一つ動かさずにいたカナは、聖書の一節を諳んじつつ、煌びやかに光る東京のイルミネーションを背景にしながら立ち上がった。
「アリアはまだ弱い。パートナーさえいなければ、きっと簡単に仕留めれるわ」
「待てよ、カナ!」
驚きと怒りに任せ、俺は声を荒げる。
「半年も失踪しといていきなりなんだよ!あんたが消えた時、どんな気持ちをしたかわかるか!?それに急にアリアを殺すなんて!?なんだよそれは!」
「……そう。貴方も修羅場をいくつか超えたのね」
怒鳴る俺に対し、カナの穏やかな声。
「なんだよそれ……」
「見ればわかるわ。やっぱり
カナの口から出たイ・ウーという単語に額に汗が流れる。
イ・ウーは理子やジャンヌ、ブラド……そしてクレハ。そのような超人たちを世に送り出した学校のような秘密結社で、アリアの母親に懲役864年の冤罪を着せた無法者の集まり。
「もしかして……カナもイ・ウーにいたのか?」
俺の問いにカナは綺麗な薔薇色の唇を噤む。沈黙が俺たちの間を流れる。言えないということだろう。
「なんで…なんでカナがあんな組織に!」
「イ・ウーの話はできないわ。特にあなたには。キンジ。今は何も言わず、私に力を貸して欲しいの」
そう返してきた。
それを聞いた俺の胸には
「おいでキンジ。私の言うことを聞かなかったことは……なかったよね?」
真っ黒な感情が湧いてくる。
ああ…
優しくて懐かしい、カナの声。
だけどその声が俺の黒い感情を増幅させる。
「私はキンジを信じてる。きっと力を貸してくれるって」
カナの声に俺は顔を伏せ、現実から目をそらす。
なんで俺が。アリアを殺さなくちゃいけないんだよ…!
今まで共に戦い、共に過ごしてきたアリアの姿が思いだされる。
理子、ジャンヌ、ブラド、クレハと戦ったアリア。
俺の家に押しかけ、銀華に叱られてたアリア。
「おいで、キンジ。仕事は一晩で終わるから」
銀華に名前で呼ばれ、喜んでたアリア。
それを思い出した時、
バッ--!
なぜかわからない。
俺はカナの声を聞き、腰のベレッタを抜いていた。
照準はカナ。
武偵校を背に、まるでそこを守るように正中線を向けている。
「…」
言葉はない。だが…
『どういうこと?』
そう問いかけるような目線を送ってくる。
俺にもわからない。
なぜ俺はカナに銃を向けている?
誰よりも尊敬していた人に対して。
なんで……
「軽々しく武器を見せるのは御法度よ、キンジ。見せたらその銃の全てを見抜かれてしまう。覚えておきなさい」
パァン!
銃声が響くが、俺の目で捉えることができたのはカナの手元で弾けた閃光のみ。
発砲音と同時に、ビュンっという音が右耳を襲った。これは耳のすぐそばを銃弾が飛んだ音だ。俺は本能的に体を傾けさせてしまいバランスを崩すが、なんとか持ち直す
銀華も使えるカナの技の一つ『不可視の銃弾』だろう。たぶん。
銃が全く見えない、反撃はおろか人間には反応すら一切できない攻撃だ。
数多の凶悪犯罪者たちを倒してきた技を、カナは弟の俺に使ったのだ、今。
カナはプロペラの淵に立つと……パァン!
とまた閃光を弾けさせ、銃弾を放った。
当然銃は見えない。
だが今度は
「うっ…」
防弾制服に守られた右腕に当てられる。
銃弾は防弾制服が守ってくれるが、衝撃はそのまま受ける。体勢を崩してしまった俺は、プロペラから足を踏み外して滑り落ち、間一髪でベルトに内蔵してあるワイヤーをプロペラに引っ掛けた。なんとか落とさずに済んだ拳銃をホルスターにしまい、俺はカナを睨む。
「考えもしなかった。キンジが私に銃を向けるなんて」
プロペラの上ではカナが、物憂げな表情をしてきる。
「私と
ああ、そんなこと分かってるよ。
俺がヒステリアモード、例えリゾナでも、あんたには勝てないだろう
「…なのにどうして1人で私に立ち向かったの?」
「…キンジには銀華がいるのに?」
「…キンジはアリアと仲良しなの?」
「…銀華よりアリアの方が好きなの?」
そう言われて、かぁっ、と頭に血がのぼるのがわかる。
「なんで、そうなるんだよ!」
ワイヤーにぶら下がった俺がそう吠えると、カナは少し驚いたような--そして、何か心に迷いが生じた眼をする。
「昔からキンジは打たれ強かったけど、こんな状況でまだそんな眼をするなんて。私にはわからない。キンジのどこにそんな力が隠されているの……?」
自分に問いかけるようなカナに何も答えず、俺がワイヤーを上ろうとしたその時。
パァン!
乾いた銃声が響き、俺とプロペラを結んでいたワイヤーは切れ。
俺は暗闇に呑まれていった。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
銃弾でワイヤーを切り、落ちかけたキンジを私のワイヤーで吊り上げるとキンジは気絶していた。ほんと、昔っから手間がかかる子。
それにキンジのワイヤーを切っちゃったことで隠れる気が無くなっちゃったみたいね。
「そこにいるのでしょう」
「こんばんは。お義姉さん」
怒りを隠しもしてない声が私の下、飛行機の残骸から聞こえた。そこから姿を現した銀色の少女。
「はい、こんばんは。銀華、やっぱり来てたのね」
前まではお姉ちゃんと呼んでくれていたのに、今日はよほど怒ってるのかお義姉さんと他人行儀ね。
「キンジが危ない目にあうと
「そう?危なくはなかったわよ。気絶しちゃったのは笑っちゃったけど」
キンジの下に隠れていたのも、もし私が救助しなかったら助けるつもりでいたんだろう。ほんと、仲が良いこと。
「下で聴いていたらアリアを殺すって言ってたけど、どういうこと?」
「あなたなら分かっているでしょ?それが分からないあなたじゃないわ」
彼女なら私が言いたいことが分かっているだろう。それに今私が言外に言った『正体は分かっている』ということも。
「アリアを殺せば、計画は完遂される。この状況は貴方が作り出したってことね」
「そうね」
私がイ・ウーを崩壊させる戦術の『第一の可能性』。
「まずあなたがやろうとしていることは前提条件として、
正体がバレていると分かった彼女は私が今まで考えて行動したことを1から一つ一つ述べていく。武偵の銀華ではなく、イ・ウーの紅華として。
「だからあなたは理子を使い、身を隠した。そうすることでイ・ウーにさらに潜入しやすくなると同時に、キンジに武偵への不信感を募らせる。不信感が募ったキンジは武偵をやめる方向に動くと思ったんでしょ。そしてキンジは
「それで?」
「銀華がキンジの頼みに弱いと見抜いていた貴方は、自分が身を隠すことで、私にリーダーを辞退させた。あの時、もう少し考えればこの狙いが分かったのに」
「すごいわ。流石教授の娘ね」
教授の娘、つまり紅華ということ口に出すと、彼女は雰囲気が変わる。
「私たちの関係を利用するなんてやってくれるじゃない……!」
「義を貫くためには仕方がないことなのよ。それに私は貴方よりキンジのことを知っているのよ?キンジがこれぐらいでへこたれるような子じゃないって」
彼女の目がさらに紅くなる。どうやら完全にベルセになったようね?私が彼女より昔からキンジのことを知っているってところに嫉妬したのかしら。
「貴方より私の方がキンジのことを知っている。貴方の方が長い時間過ごしたかもしれないけど、私の方が濃密な時間を過ごした。その違いを見せてあげる」
「キンジと過ごしたのは銀華で貴方の今の心は紅華。だけど姿は銀華。良いわ、相手になってあげる」
私がキンジとともにプロペラから降り、気絶したキンジを地面に置いた途端……
「カナあああああああ!」
そう叫びながら彼女は距離を詰めて来た。
ベルセで彼女は長所である推理力などを失ってるようね。そんな相手なら……
「………」
5分後、私の下に組み敷かれてる銀華がいた。ベルセの銀華なら私にとって何も問題はない。ベルセで身体能力が上がっていると言っても、女性版ベルセ。男性のHSSほど能力が上がるわけではない。さらに攻撃一辺倒になってしまうおまけ付き。
HSSの弱点が分かっている私にとってこれほど戦いやすい相手はいない。
「なんで……」
組み敷かれた彼女から……
「なんで、キンジに酷い事ができるの!」
泣き叫ぶような声が響いた。
「あなたがいなくなった時、キンジは本当に辛そうだった。私がいなかったら、今よりもっと無気力状態になったかもしれない。あなたはそれが分かってた。なのに、なんで、あなたはそんな酷い事ができるの!?」
「遠山家は『義』を貫く。そうある一族なのよ」
「自分の家族を苦しめることが正義なのっ!?」
「私も悩んだわよ。100万回考えて100万回悩んで。でもイ・ウーを崩壊させるにはこれしかなかったのよ。貴女がいるせいで!」
「何にも分かってない!」
ああ…彼女も
「キンジがイ・ウーと戦ってるだけで、私は苦しい!知っているのに言えない!私の本当のことは言えない!ずっと偽物の私でキンジに接するしかない!本当は私の全部を知ってほしい!でも……私は銀華であると同時に…イ・ウーの紅華。キンジ達から見たら敵なの」
私と同じく苦しんでいるのね。
本当のことを知ったらキンジが自分の元を離れてしまうんじゃないかと恐れて。
彼女にとっては故郷のイ・ウーの立場が足枷となっているんだろう。
「イ・ウーを潰すのは私も賛成。だけど、キンジを関わらせないでよ……
私は正体が分かってからは彼女をイ・ウーの魔女、イステル・ホームズ・紅華としてしか見ていなかった。
だけど、違ったのね。
彼女は結局、普通の感情を持ち、普通に恋して、普通に暮らす……
年相応の普通の女の子なのね。