SAO -Epic Of Mercenaries-   作:OMV

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十五話 必然の邂逅

東京都・台東区上野 [23:10]

 

 

牧田 玲・DAIS[Disavowed]所属エージェント

 

 

 

 

「牧田くん、大丈夫?」

 

唐突に聞こえたアンの声が、過去へと飛んでいた意識を現在へと引き戻した。はっとなって顔を上げ、恐る恐る横を見るとそこには心配そうな目をしたアンの顔があった。長く過去の記憶に潜っていたせいか、頭が上手く働かない。自分がどうなっていたのかすら分からない。

 

 

「……俺、どうかなってた?」

 

 

「二分くらい黙ってたが……やっぱり辛い事とかがあったのか」

 

 

そういえばあの世界の事を話していたんだった、と思い出し、同時になんであの時の事件が頭に思い浮かんだのだろうとも考える。とても娯楽としてのゲームの内部での出来事と言えなかった、薄気味悪い事件。カルト宗教とも言える殺人ギルドへと鞍替えした、正義を掲げていたはずの女帝。あれから結局、カーラと再会する事は一度も無く、裏切った理由も聞けずじまいのままであった。

 

 

「辛い事……か。色々あるにはあるよ。けど、向こうの世界で経験したことに後悔は無いよ」

 

 

アンに向けて言ったその言葉は、半分本当で半分嘘だ。確かに、貴重な経験ではあった。だが、それの代償に失ったものは何か。時間、いや違う。時間は取り戻せないとはいえ、どうにでもなる。

 

 

向こうの世界で失ったものはたったの一つ。大切な幼馴染の人格であった。

 

 

彼女は明らかに昔とは変わってしまった。昔ほど感情を表に出さないようになり、あまり他人に深入りしないようになった。幼馴染であるはずの牧田にも敬語を使うようになり、SAO関連の事案と気分転換以外では家の外から出ようともしない。

 

 

[妖刀]に支配されていた時の栗原は異常であったが、今の栗原の方がもっと異常だ。何かの亡霊に取り憑かれたように、[妖刀]の幻影を追っている。現実世界に帰還してからもう3ヶ月も経過したのにも関わらず、彼女の心は未だにあの鋼鉄の城と呪われたシステムに囚われていた。

 

 

それらは恐らく、今からではどうしようにも出来ないだろう。これからの未来、牧田が目にする、接する栗原瑛里香は、以前の彼女ではない。もう以前までの彼女は帰ってこない。しかし、それは[何もしなかった]場合だ。

 

 

あの世界との決着……SAOとの禍根を断ち切れば、何らかの見返りはあるのではないか。そんな事を期待していて、[AWI]が解決した後、彼女が何も変わらなかったら、と思うと何とも言えない気持ちになる。

 

 

それでも、愚直に攻め続けなければならない。彼女を変えられる可能性が少しでもあるのなら、今身を削ってでもやらなければ、きっと後々後悔することになるだろう。

 

 

「っと、ここだ」

 

 

病院から十数分掛かり、ようやく数日ぶりに見た[ダイシー・カフェ]の看板を正面に捉え、アンティーク調のドアを開ける。

 

 

「来たぞ」

 

 

声を掛けつつドアを抜けると、外とは一気に空気が変わる。鼻腔を刺激する匂いも、乾いたものでは無く、香ばしい、食欲をそそるものだ。

 

 

カウンターのスツールには、仕事帰りだろうか、スーツを着た男女二人と、飾り気のない私服を着た女性が座っていた。その奥、カウンターの向こう側には見慣れた人影が一つ。手慣れた手付きでシェイカーを振っているアンドリューのものであった。

 

 

「おぉ。来たか。座ってくれ」

 

 

物珍しそうに店内を見回すアンと久里浜を引き連れ、会社員達の隣のスツールに腰掛ける。全員、思い思いの飲み物を注文し、出されるのを黙って待っていた。果たして、[AWI]を解決に導く事ができる鍵がここにあるのか。それの正体は一体何なのか。

 

 

そんな事を考えながら黙っていると、突然、隣に座っていた人物から声をかけられた。振り向くと、声の正体は飾り気のない私服を着た若い女性だった。彼女は理知的な瞳で牧田を見つめると、淡々とした口調で言葉を言い放った。

 

 

「君ね。アンドリューが言うキーパーソンっていうのは」

 

 

「……キーパーソン?」

 

 

女性の口から突然出てきた馴染みの無い言葉に、思わず聞き返す。

 

 

「君、[帰還者]なんでしょ? 向こうの世界では噂に聞く[黒の剣士]と同等の活躍をした英雄の一人。SAOの事はあまり良くは知らないけど、私の居る業界の一部じゃ中々の有名人だよ」

 

 

「……何の業界です?」

 

 

「IT業界。あ、ごめんごめん。自己紹介がまだだったね」

 

 

彼女はスツールから立ち上がると、手で自らを指して自己紹介を始めた。

 

 

「私は園原歩美。株式会社レクトで、VR機器の研究開発をやらせてもらってるわ」

 

 

園原のシンプルな自己紹介が終わると同時に、向こう側に居たスーツ姿の男女二人も立ち上がった。片方は実直そうな顔付きの男、もう片方は小柄で大人しそうな雰囲気の女だった。

 

 

恐らく、この三人がアンドリューの言う協力者の面々なのだろう。園原に続いて、他の二人も自己紹介を始めた。

 

 

「俺は正田。レクトの経営部で働いてる。こっちは……」

 

 

正田は、隣に立つスーツ姿の小柄な女性を指した。

 

 

「三矢です。正田先輩と同じく、レクトの経営部で働いてます」

 

 

株式会社レクト、そう聞くと先程出会った男の顔を思い出す。先程、病院で遭遇した須郷も、レクトに勤務していた筈だ。病院での出来事を思い出し、顔が曇りかける。が、すぐにそれを消し、いつも通りの表情に戻す。

 

 

「こっちの自己紹介は省略させてもらいます。……色々な事情があるので」

 

 

「了解。貴方達に何らかの事情がある事はアンドリューから聞いているわ。で、やって欲しいことがあるの。[AWI]を解決する為にね」

 

 

園原は簡潔に要望を伝えた。

 

 

「レクトプログレス本社ビル42階、サーバールームに潜入してもらいたいの。そこにあるサーバーから情報を引き出せれば、状況が変わるかもしれない」

 

 

系列の会社へと侵入して曰く付きのデータを引き出す。その言葉に驚いたのは、事前にそのことを知らされて居なかったレクト社員の二人であった。

 

 

「なっ……何を言っているんだよ?! 正気か?」

 

 

「侵入って……そんなの無理ですよ!!」

 

 

正田、三矢の二人は不可能だと園原にまくし立てた。が園原はそれを気にすることもなく牧田の方を向いていた。

 

 

そして、連絡を取る事前にアンドリューに耳打ちして確認していた事を問い掛ける。

 

 

「荒事も出来るってアンドリューから聞いているけど、もしかして警察か自衛隊の人間?」

 

 

アンドリューが牧田を呼び寄せる直前、園原がした[実動できる人間って言ったけど……どこかに忍び込んだりすることって出来そうな人?]という内容の耳打ちに対し、アンドリューは[……多分、大丈夫だ。でも危険な奴じゃない]と返していた。

 

 

園原はずっとその事を気に掛けていた。不法侵入が得意、でも犯罪者ではないという事ならば、何らかの組織に属していたとしか考えられない。園原はそう踏んでいた。事実、それは当たっていた。

 

 

「肯定も否定も出来ませんが」

 

 

牧田としては困ったように微笑むしかなかった。実際、園原の読みは的中している。それも、警察や自衛隊の一般部隊ではなく、諜報機関の実働部隊に所属する、現役のエージェントだ。園原はそのことを知る由もないが、牧田の言ったことを肯定的に捉えたようだ。彼女の表情が緩む。

  

 

「そう、良かったわ。これでやっと、本格的に状況を動かすことが出来るわ」

 

 

状況が変わる、という言葉に牧田の表情は動いた。渋そうに細めていた目が開き、園原の眼を見つめた。

 

 

「状況が動くとは?」

 

 

「そう。これを見て」

 

 

園原はテーブルに置いていたタブレットを掴んで起動させ、正田から送信されていた写真を表示させた。サーバールームに見える人影の写真だ。

 

 

「これはレクトプログレスの本社ビル。で、ここのフロアにはSAOのサーバーが移転されていて、今現在も稼働しているわ。色々な危険性を考慮して、ここは立入禁止区域になってるはずなんだけど、何故か居るはずのない所にこうやって人が居る。まずこれが誰なのかを解明したいんだよ」

 

 

「この人影に心当たりは?」

 

 

「無い。でも、こんな所にわざわざ人を配置する? 本来なら無人であっても何らおかしくない場所のはずなのに、なぜか人が居る。しかも、サーバールームに関する予算で色々ゴタゴタしてる時にこれさ。きな臭いと思わない?」

 

 

「情報が不確実すぎます。何らかの裏付けが無いと動くのは難しいですよ」

 

 

横から厳しい意見を投下したのはアンであった。久里浜も、意見に同調するように頷いた。正田も、三矢も、いくらなんでも……と言いたげな表情で園原を見た。が、園原の表情は変わっていなかった。

 

 

「そうだね。この人影が本当にヒトなのか、その点から不確実な情報だからね。確かに私の情報に裏付けは無いよ。まあ誰も居なかったらそれで良いさ。SAOのサーバーから情報を採れればそれで良し。データさえ取れれば、突破口を開けるかもしれないからね。もし警備員だった場合は、また別の機会に、別の方法で探ることにするさ」

 

 

彼女のあっけからんとした態度に、皆が言葉を失った。レクト側からすれば、自分たちが勤める企業の中枢部、しかもセキュリティレベルの特段高い場所に、未成年にしか見えない子供を潜入させるのか、という驚きがあり、もう一方の牧田たちからすれば、不確実な情報で敵の懐まで潜らなければならない危険性、自分達は罠に誘い込まれているのではないかという懸念があった。

 

 

「正気ですか先輩……? 犯罪行為を勧めるって、それはどう考えてもおかしいじゃないですか」

 

 

「そう? 彼らが良いって言うなら良いと思うんだけど。使い倒せるものは使わないと今回みたいなヤマは解決できないよ?」

 

 

その言葉に、レクトの二人は黙ってしまう。人手が足りないのは事実だ。これから事を進めていくのなら、実働できる人材はどうしても必要になる。それは二人とも重々承知していた。

 

 

沈黙が続く中、それを断ち切るように牧田が声を上げた。

 

 

「別に、自分達のことは心配してくださらなくて大丈夫ですよ。その覚悟があるからここへ来たんですから。それに、レクトプログレスとはちょっとした確執も出来ましたし、丁度良かったくらいですよ」

 

 

確執、という言葉にレクトの三人が反応し、こちらに視線を移した。確執とは勿論、病院で須郷の部下から襲われた一件だ。

 

 

恐らく、あの時須郷は牧田たちをただの一般人と思っていたのだろう。しかし、牧田たちに制圧された部下たちから報告が行けばどうなるか。拳銃を持ち、体術に優れ、ある程度訓練を積んでいる筈の警備員を制圧したのが一般人である筈がないというのは、猿でも分かる。この時点で、牧田たちは何らかの機関に属した人間だということは向こう側にも認知されている筈だ。

 

 

公的機関に察知されたと知れば、彼らの尻にも火がつくだろう。動きが過激になればなるほど、DAISもその行動に気が付くはずだ。しかし、今現在牧田が持つ情報ソースは須郷の「実験サンプル」という失言だけであるのはいくらなんでも心細い。情報共有を図るため、牧田はレクトの三人へと話を振った。

 

 

「須郷伸之、奴は何なんです?」

 

 

その言葉に、レクトの三人は揃って顔を見合わせた。どうやら知己の人物であるらしい。三者共に言葉が出た。

 

 

「須郷って……あの須郷だよな? 本社に親父が居る須郷か?」

 

 

「プログレスの須郷といえば、恐らくあの須郷ですね」

 

 

「レクトの須郷、あのボンボン以外考えられないよ」

 

 

どうやら身内からの評価は散々のようだ。入社から一年と少ししか経過していない三矢からも呼び捨てで呼ばれている時点で、相当な問題人物なのだろう。

 

 

「それほどに変な人なんですか?」

 

 

正田が、言いにくそうに頭を掻きながら答える。

 

 

「まぁ変……なんだけど、仕事面では確実に有能な人だよ。SAO事件でVR機器の売上が落ち込んだ時とか、色々根回しして業績回復の立役者になったりとか、稼ぎ頭のゲームの運営チーフをしていたり……会社員としては、有能。でも人間としては……うん」

 

 

それっきり黙ってしまった正田に続き、三矢が繋いだ。

 

 

「社内、しかも他部署の私達にも噂が飛んでくるくらいには変人ですね。失敗を犯した部下に対しての扱いとか、女性関係のウワサとか、反社とのウワサとか……キリがないくらい、噂はありますね。でも、父親が経営の上層部に居るからか上への影響力も高く、本人も割と有能な人ですからどんどん上に行ってて今は若手のトップエースなんて呼ばれてます。現状、SAOの件で落ち込んだVR機器の売上を取り戻した[ALO]を管理する立場ですから、社内では誰も奴には逆らえない状態になっていますね」

 

 

そんな噂が立っても上へ行けるということは、その噂を払拭できるくらい有能か、その父親のパワーを使って上層部に対する評判を隠しているのか、そのどちらかだ。

 

 

「何? 須郷と何かあったの?」

 

 

「[未帰還者]の友人の病床でちょっとひと悶着……」

 

 

そのひと悶着の内容を一通り話し、クロかどうかの判断を園原に仰いだ。まぁその様子だと奴はクロだよね、と須郷をばっさり切り捨てた園原は、目を細めてやっぱりと言わん限りの表情をした。

 

 

「須郷が関わっているとなれば、やっぱりレクトプログレスが怪しくなるんだよね」

 

 

「レクトプログレスの動向はアンタらからは見れないのか?」

 

 

「一応管理下なんですが、重要な部分を親会社に見られないようにか暗幕を下ろされてしまっているんです……でも、たまにその黒い所が出て来る時がありますね。例えばこれ……」

 

 

久里浜の言葉に反応した三矢はタブレット端末を操作し、画面に表示させた資料を見せる。

 

 

「この数字、レクトプログレスを含めたサーバールームの管理予算なんですが……数字が明らかに多いんです。そして、この額の殆どはプログレス側に流れています。この3千万以外にも、かなりの額……数億円が、レクト本社側の予算に紛れてプログレス側に渡っています。しかも、その使用用途は不明になっている……おかしいと思いませんか?」

 

 

保守費用以外にも資金が流れている事実は、今朝までに正田と三矢が独自に調べたものであった。帳簿の原本がデータとして収まっているコンピュータは本来、管理職が持つIDが無いと開くことは出来ないが、園原がセキュリティを解除したことで閲覧が可能に。そうして引き出したデータを、短い時間で調べ上げ乖離を発見できたのは、ひとえに彼らの努力があってこその成果であった。

 

 

「その金で[未帰還者]を囚えて何かやっていると……。何をやっているかの見当は付いているんですか?」

 

 

アンの問いに、園原が答えた。

 

 

「うーん……正直、何をやっているかまでは不明かな。でも、[未帰還者]っていう被害者の特性、須郷が実行犯という可能性、そしてレクトプログレスっていう会社がやっている業務からすると……」

 

 

園原は言うのを一瞬躊躇うように言葉を飲んだ。が、諦めたのか次の瞬間には眉を歪め、難しい顔をしたままそれを言っていた。

 

 

「人体実験……かな」

 

 

その言葉に、正田と三矢、そしてアンドリューが、一同に衝撃に見舞われる。皆、口を開けて固まるか、目を見開くかのどちらかであった。ただ、先程病院で、須郷からそれの片鱗に触れていた牧田達三人は、その言葉を噛みしめるように静かに頷いていた。

 

 

「……人体実験?」

 

 

三矢が掠れた声で反芻した。人体実験という言葉は、経営の事でしか会社触れていない三矢にとっては大きな衝撃だったのだろう。

 

 

「そう、人体実験。フルダイブ技術っていうのは、言い換えれば脳を弄る技術ってことだよ。プログラミングとかの情報工学だけじゃなく、それらと脳科学とかの医学が混ぜ合わさった複雑なモノなんだよ、フルダイブ技術って。脳と機械を接続するんだから、当然危険性はある。で、当然技術の進歩……フルダイブ技術で言う[未開の領域に踏み込む]ことの危険性はかなり大きいんだ。何せ、誰も踏み込んだことのない所を手探りで進んでいくんだから」

 

 

フルダイブ技術が実用化された当時、安全性や倫理的問題の議論か盛んに行われていた。そこで主な論点となったのは、[生命倫理的に、人間は自らの脳をどこまで弄っていいのか]というものだった。「脳波を用いるのであって直接弄る訳では無い」と問題自体を無しにする動きもあれば、「脳波とはいえ、自らの思考器官を機械に委ねるのはいかがなものか」という意見もあった。

 

 

結局、新鮮で、刺激に溢れた新しいモノを望む世論に後押しされ、フルダイブ技術の研究が発展していった。が、現実問題として、どこまでの領域へ踏み込むのが正しいのか、どこまでなら安全なのか、その答えは長らく出なかった。そこで現れたのが、本来禁忌とされている[人体実験]という結果であった。

 

 

言葉を区切り、園原はグラスを傾け一息吐く。彼女は、いつになく憂鬱そうな眼差しで話を続けた。

 

 

「で、問題は誰の脳を使ってそれをするか、って所なんだよ。普通ならマウスとかモルモットとか使うんだけど、どうしても[生身]のデータには劣るんだよね。それに、[生身]じゃなかったら手に入らないデータもある。それだけ、人間の脳のサンプルっていうのは価値が高いんだよ」

 

 

「そんな……」

 

 

「三矢ちゃん、残念だけどこれは須郷だけじゃなくて、私達も同じなんだよ。どうしてもフルダイブ技術の発展にはサンプルが要る。……オフレコにしてほしいんだけど、私達の場合、サンプルにしているのは執行前夜の死刑囚。死刑執行間近の死刑囚に対して、脳を弄る実験をしているんだよ。法務省とグルになって、互いに世間には秘密にしているけど。それが許されるものかどうかっていうのは知ったこっちゃ無いけど、実際人の命をオモチャにして遊んだ上に成り立っているのが今のフルダイブ技術なんだよ。世間じゃ日本の技術力だの、茅場晶彦の努力の結晶だの言われているけど、現実は非人道的な技術と、マッドサイエンティスト達の努力の結晶がフルダイブ技術って訳」

 

 

恐らく、茅場の人脈は法務省と関係が持てるような広いものだったのだろう。フルダイブ技術の先駆者であった茅場の人脈が無駄に広かったお陰で始まった、法務省と研究機関の非人道的な悪しき風習は、技術開発の初期から今日に至るまで続いている。園原がそれに携わった事は一度きりではない。研究開発を主とする機関に所属しているだけに、避けては通れない道だ。

 

 

数十人を殺害した放火魔や、全国各地を行脚し数世帯を亡きものにした通り魔など世間を賑わせた様々な死刑囚の犠牲の下に、今日の賑わっているフルダイブ技術は成り立っている。世間の認識と現場の実情は大きく乖離していた。

 

 

「軽蔑してもらって構わないよ。私達はそれでメシを食っている訳だからね。反吐が出るような犯罪を犯した死刑囚でも、人の命ってことには変わりないからね」

 

 

園原自身、現場ではあまり気にしないようにしているが、やはり一人の時などは、脳の奥底に封じてあった人体実験の記憶が、フラッシュバックのように表に出てきたりはする。園原の考えは、[死刑囚の命は普通の人のそれより軽い]というものだ。が、どれだけ凶悪な犯罪を犯した犯罪者といっても、それは人だ。命の価値が重いか軽いか、その考えが精神的な負担を軽く出来ているかと言われれば、それはNOだ。受けているストレスは計り知れない。

 

 

当然、実験の時の記憶がフラッシュバックすることもあれば、実験時に死刑囚達に言い放たれた呪い言のような言葉の数々を思い出すこともある。それは、フルダイブ技術を発展させるための身を削った研究員達の犠牲の結果だ。同時に死刑囚の命も、フルダイブ技術発展の糧となる尊い犠牲となっている。

 

 

だから人体実験にかけられる死刑囚には軽蔑こそすれど、技術発展の面では感謝の気持ちを持つ事にしている。そうする事で非人道的な実験を赦されようとしている訳ではないが、多少なりとも気は楽になる。

 

 

だが、須郷はその手順を踏んでいない。そして、本来巻き込まれるはずの無い一般人を対象に、非人道的な実験を行っている。それこそ人の道を外れた、許されざる行為ではないのか。もし、本当に須郷がそのような行為を働いていた場合、須郷伸之という男を心から軽蔑することになるだろう。園原にはそうなる自信があった。

 

 

「で、話を戻すと、人間のサンプルっていうのは貴重で、なかなか手に入らない。そんな中、一万人もの意識不明者が現れる大事件が発生。しかもその1万人の頭には、脳と接続されたナーヴギアが装着されてる。[AWI]の事件性から見ても、解決後に数人意識不明者が残っても不自然では無い……現に、今[未帰還者]の扱いは[AWI]の後遺症だと認知されているからね。御膳立てはバッチリな状態なんだよ」  

 

 

現に、世間では一連の騒動を[SAO事件]の後遺症として認知されており、何かしらの意図があって発生したものだとは思われていない。

 

 

でも……とアンが呟く。

 

 

「わざわざ自分の会社の社長令嬢まで実験体にするのには、さすがに疑問が残りますよ」

 

 

アンが突然挟んだその言葉に、レクトの三人が怪訝そうな顔をする。社長令嬢の言葉に引っ掛かった正田が尋ねる。

 

 

「社長令嬢……結城社長の?」

 

 

「はい。現レクトCEOの結城彰三氏の令嬢、結城明日奈さんは現在[未帰還者]として所沢市の私立病院に収容されています。他の[未帰還者]と何ら変わらない、意識不明の状態のままです」

 

 

「……マジか」

 

 

社長令嬢、結城明日奈の現状を淀みなく述べたアンを、正田が信じられないといった表情で見つめる。

 

 

「それが本当なら、須郷は何の為に社長令嬢まで巻き込んだんだ……?」

 

 

レクトの人間でも、レクトの社長令嬢である結城明日奈と、須郷の間に直接的な繋がりは見えてこない。自らが所属する会社のトップの娘を、わざわざ実験サンプルとして使うのもリスクが高い。何故だ、と皆が首をかしげる中、三矢が手を挙げた。

 

 

「噂程度の話ですけど、聞いたことがあります。須郷さんの息子と、結城CEOの令嬢は、近い将来婚姻関係を結ぶ予定があるって……」

 

 

「須郷と結城明日奈が結婚……か」

 

 

それが本当だとしても、許嫁を昏睡状態にする理由が分からない。というよりも、彼女……結城明日奈に許婚が居るということは牧田に少なからずの衝撃を与えた。何故なら、牧田の記憶が確かなら彼女に許婚がいるのは[ありえない]ことになるからだ。牧田はそれを確認する為、アンドリューにそれの真偽を尋ねた。

 

 

「エギ……じゃなかった。アンドリューさん、結城明日奈……アスナに許嫁が居ると思うか?」

 

 

カウンターの向こうへ向くと、アンドリューも訝しげな表情をしていた。思う所は恐らく同じだ。

 

 

「いや、信じられん。だって彼女には奴が居るはずだろう?」

 

 

この場において、結城明日奈の過去を知っている者は牧田とアンドリューの二人だけだ。その二人の共通認識は、結城明日奈に許婚がいる事などありえない。おかしいというものだった。

 

 

「許嫁が居たら居たで彼女は相当腹黒い奴になるんだけど……あいつはそんな奴じゃなかったしなぁ……」

 

 

「どういう事?」

 

 

園原が牧田に説明を求める手振りをする。

 

 

「結城明日奈には、別の男が居るんですよ。向こう側の世界で出会った奴がね。そいつと彼女の関係はどう見ても遊びのそれじゃ無かった。どう見ても本気の恋愛でしたね、アレは」

 

 

アスナにとって、最愛の人間は誰かと聞かれれば間違いなくその男と答える。少なくともデルタから見て、その愛情は間違いでは無かった筈だ。だから、結城明日奈に婚約者が居ると聞き一番驚いたのは、SAOでのアスナを知る牧田とアンドリューの二人であった。

 

 

「えっと、つまり令嬢には須郷ともう一人の男が居て……アンタら[生還者]からすれば、そのもう一人の方が令嬢の本命で、須郷が本命扱いはおかしい、ってことか?」

 

 

久里浜が確認するように問う。それを牧田とアンドリュー、両人が頷き肯定した。

 

 

「なら、須郷の方からは結婚を望んでいても、令嬢の方からは望んでいないって事か? それなら、令嬢が他に男を作った理由が付くんじゃないか」

 

 

「正田くんの言う通り、それしかないんじゃないかな。恐らくだけど、令嬢と須郷の結婚は政略結婚だろうね。目的は須郷が結城家に取り入る為か、或いは令嬢の身体か……? とすれば、須郷が令嬢を囚われの身にしておく理由も見つかりそうだよ」

 

 

「令嬢は結婚に否定的だから、昏睡状態の内に結婚しちまおうって寸法か?」

 

 

でも、と正田が確認するように呟いた。

 

 

「そんなの、SAOに囚われている時にやっちゃえばいい話じゃないか? なんでわざわ昏睡状態を引き延ばしたりするんだ?」

 

 

正田の意見はもっともだ。ただ無理やり婚約に持ち込むのなら、SAOに囚われている時でも良い筈だ。その場合なら、事件解決当日に目覚めさせても何ら不都合は無い。目覚めた時には既に婚約が成立しており、政略結婚という事情から解約するのは困難を極めるだろう。その時点で須郷の目的は達成されるはずだ。わざわざ他のサンプルと共に昏睡状態にして、三ヶ月近くも眠らせているのには疑問符が付く。

 

 

「じゃあ、何か他の理由があるとか……?」

 

 

うーん……とその場の全員が考え込む仕草をする。無言の状態が二分ほど続いた後、突然アンが声を上げた。

 

 

「園原さん、人体実験を行って、得られた情報をどんな物に転用できるんですか?」

 

 

呼ばれた園原は少し唸ると、眉を寄せて難しい顔をした。

 

 

「うーん……実験サンプル以外の使い道か。色々あるよ。例えば私達が作っているVRハードウェア、シミュレータとかの性能向上とか新規製品の開発とか……あと変わり種としては医療機器への転用の話も出てるかな」

 

 

「マインドコントロール、とかは?」

 

 

「まだ無いね。と言っても、おそらくやろうと思えば実現可能な技術だよ。もしかしたら、もう実現されているかもしれないけどね」

 

 

もしかして……とアンが呟いた。

 

 

「結婚に前向きでない令嬢を、洗脳して屈服させる……とか、そういったこともあり得るって事ですよね」

 

 

だね、と園原が難しい顔をして頷く。

 

 

「結局、須郷が主犯であるという理由なんか、探せば後でいくらでも出てくるわ。重要なのは、それをどうやって暴き、[AWI]を解決するか。須郷の個人的な事情なんか後回しで良いよ」

 

 

分かってます、と牧田はあくまでも冷静に答えた。

 

 

「サーバールームへの潜入はこちらで行います。警備員が居た場合に関しても、何とかやり過ごしてみせます。ただ、電子機器の扱いは慣れていません。そこの支援だけはお願いしたいです」

 

 

三人の中では唯一、アンが電子工作を行うことが出来るが、あくまでも環境が整っていればの話だ。ビルに潜入する際に、そんな大層なコンピュータは持ち込めない。ならば、専門家に委ねるのが一番の良策だ。

 

 

「分かった。決行の前にデバイスを渡すわ。何か必要なものはある?」

 

 

「必要なのはビルの案内図くらいです。あと出来れば、須郷近辺の情報収集を頼みたいです」

 

 

「それは俺らは任せとけ。丁度、レクトプログレスに大学の同期が居るからな。そいつから掘り下げて探ってみるよ」

 

 

正田が言うのと共に、三矢も小さく頷いた。社内の情報収集は、この二人に任せておいて良いだろう。外部から得られる情報などたかが知れている。内部で仕入れた情報の方が内容の濃度も濃いものが手に入ると踏み、丸投げすることにした。

 

 

「ってなわけで、決行するのはいつにする? 私としては出来るだけ早いほうが良いんだけど」

 

 

園原の質問に、潜入側の三人は顔を見合わせた。機材の準備はすぐに出来るし、潜入のシミュレーションも潜入だけならそれほど時間は要らない。

 

 

久里浜は冬期休暇で二週間ほどのまとまった休みを取っており、アンは所属している情報局が開店休業状態であるため暇。牧田に至っては一時除隊処分の身である為、明日以降はスケジュールがガラガラだ。三人とも、士気は充分で、すぐにでも作戦を始めることが出来る状態であった。

 

 

「準備はすぐに終わります。早ければ明日の夜から動けますが……どうします?」

 

 

「一番良いタイミングが明日だね。明日の夜は、ビルのセキュリティメンテナンスってことで監視カメラとか赤外線センサーが夜間停止するみたい。あと、明日なら残業するフリして無線で支援出来るけど……どうする?」

 

 

「取り敢えず準備して待機、駄目だったら明日以降って事で良いんじゃないか?」

 

 

久里浜の提案に、園原が頷いた。

 

 

「いいね。それで行こう」

 

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 

 

 

「本当にこれで良かったのか?」

 

 

「ああ。もし彼女らが須郷の差し金だとしても、問題は無いよ。こっちの存在は須郷には既に認知されているし、ある程度何らかの組織に属しているってことも勘付いているはずだよ。多分何かしらの行動を起こすとは思われているだろうし、それを誘導するにしてもわざわざ心臓部のサーバールームに誘い込むとは思えないね」

 

 

「問題はどうやるかだよね。普通に潜入ってだけなら良いけど……」  

 

 

「一応モノを用意する。話を聞く限り、サーバールームに人が居たなら間違いなく須郷が呼び寄せた手勢に違い無いからな。もし何かあった時に丸腰じゃ不安だ。久里浜、手配出来るか?」

 

 

「任せろ。何が必要だ?」

 

 

「俺はいつもの416D、アンはDSR。弾種は軟質プラ、両方ともサプレッサーを取り付けてくれ」

 

 

「何で狙撃銃を?」

 

 

「さっきスマホでビルの立地を見たけど、向かい側に少し高いビルがある。屋上から覗いてもらえば、人影が居るかどうかも事前に認知できるからね。アンは屋上で監視、潜入は俺と久里浜、二人で充分さ。恐らく暗闇で行動することになるから暗視装置、出来ればV3が欲しい。あとドアブリーチャーとドローン、フラッシュバンも頼む」

 

 

「エントリーボムを使うのか? リスクを背負う事になるぞ」

 

 

「承知の上さ。こちらの姿が補足される前に脱出出来れば大丈夫。向こうも下手に手出しは出来ないだろうからな」

 

 

「分かった。弥生さんの所で手配してもらう。合流は明日正午以降、場所は後で伝える。じゃあな」

 

 

 

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久里浜の後ろ姿が消えるのを待って、牧田はドアの前へと戻った。ドアノブに手を掛けようとした直前、後ろから声が掛けられた。

 

 

「また店に戻るの?」

 

 

アンの問いに、振り向かずに答える。

 

 

「ちょっとね、園原さんに聞きたい事があってさ」

 

 

「……瑛里香ちゃんのこと?」

 

 

言い当てられるとは思わなかった。本当ははぐらかしたかったが、今更取り繕ったところで無駄なことは分かっている。正直に観念し、アンの方へ振り向いた。

 

 

「……そうだよ。今回、SAOのサーバーを漁る事になるって言ってただろ? なら、サーバーに残っている[妖刀]のデータを探れば、何かしらあいつを楽に出来る方法が出てくるんじゃないかと思ってさ……それをお願いしに行くだけだよ」

 

 

いくら呪われたといっても、[妖刀]は所詮プログラム上の存在でしかない、と牧田は考えていた。ならば、コンピュータを掌っている本職からならば、何かしら解決策に繋がるようなヒントが貰えるという淡い期待を抱いてはいるが、確実ではない。

 

 

数秒間の無言。アンの目線が切られた。彼女は後ろへ振り返り、そのまま歩いていった。背中越しに、アンから言葉が投げられる。

 

 

「……そう。なら、私はセーフハウスへ戻るね」

 

 

「悪い。また明日な。おやすみなさい」

 

 

夜闇に消えるまでアンの背中を見送り、姿が見えなくなった所で腕時計を覗く。時刻は丁度十二時を回る瞬間であった。日付のデジタル表示が21が22に、曜日も[Mon]から[Tue]へと変化した。牧田は口元だけで笑った。

 

 

これまで、何も動かすことができなかった状況が、ようやく動かせる。しかし、潜入任務が成功したからといって問題がすべて解決するわけではない。むしろ、その後のデータ解析や検挙の方が重要だろう。それは決して独力では出来ない。アンや久里浜、園原達の力があってこそだ。

 

 

SAOへ囚われる前は、何でも自分で解決しようとしていた。他人を頼る事が嫌なのではなく、他人を信頼することが出来なかった。それは幼い頃からの経験から来たものであり、栗原に対しても全幅の信頼を置いていた訳ではない。それがSAOの中で、自然と出来るようになっていた。

 

 

エージェントは基本的に孤独だ。任務遂行の為にチームを組む事はあっても、戦友として相手を信頼するわけではない。だが向こうの世界では、牧田からして戦友と呼べる人物が居た。ユーリ、マロン、リック……様々な戦友を信頼し、命を預けた。

 

 

信頼し、力を借りることの大切さは、間違いなく向こう側の経験から学んだ。異世界から学んだプラスを用いて、[未帰還者]というマイナスを打ち消す。決めた以上は遂行するだけだ、と覚悟を決めた牧田は、アンが消えていった路地に背を向け、再び[ダイシー・カフェ]の扉を開いた。

 

 

2月22日、[AWI]の解決を目指す者達にとって、長い一日が始まった。

 

 

 

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