SAO -Epic Of Mercenaries-   作:OMV

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二話 戦乙女の失踪

3ヶ月前、自分は地獄から帰還した。

 

 

その地獄は、一人の天才技術者が起こした事件が元であった。後に[SAO事件]と呼ばれる事となるその事件は、国内初どころか世界初の仮想空間が事件現場となった事例であった。

 

 

[ソードアート・オンライン]、略して[SAO]。世界初、フルダイブ型をプラットホームとして採用したMMORPGゲームである。フルダイブ型とは、従来のモニター型、ヘッドマウントディスプレイ型からさらに進化した新世代の技術であり、ヘッドギア型のハードウェアを頭に装着、その機械が脳と直接リンクすることによって、実際にゲームの世界に入ることができるという最先端の技術であった。

 

 

その技術を構想し、1から作り上げたのは、茅場晶彦という名の若き天才技術者。学生時代から数多くの実績を残し、大学生の時点で既に数億の富を築いていたとも言われる人物であった。だが、彼は日本に二人と居ない真の天才である反面、いつ暴発するかも解らない静かな狂気を内に潜めていた。

 

 

その狂気が作り上げた世界こそが、「ソードアート・オンライン」であった。茅場は[SAO]のサービス開始時、冒険を始めようと期待を膨らませた顔を見せていた参加者たちの前に現れ、ゲーム内で死亡状態となったものは現実世界の脳をマイクロウェーブによって焼き払うと宣言。ログアウトは不可能であり、外部からの接触も一切不可能。ゲームがクリアされるまでこの状態は続くということを端的に述べ、姿を消した。

 

 

結局、ゲームがクリアされたのはゲーム開始からおおよそ2年半が経過した頃であった。おおよそ1万人の人々が被害者に、そしてその内の4割にも当たる4332人が死亡したこの[SAO事件]は、当然ながらこれまでの記録を大幅に超え、日本史上最悪の死亡者数を叩き出した記録に残る事件となった。

 

 

つい先日まで、死は遠い世界の出来事だと思っていた1万人の人間が、突然死と隣合わせの環境下に晒される。ゲームの命が現実の命と等価となるその世界では、様々な狂気が入り乱れた。

 

 

デスゲームとなったこの世界に悲観し、浮遊城の外廓から飛び降り、自殺した者。他人を出し抜く為、競争相手を殺し、アイテムを強奪して自己強化を果たした者。快楽の為に殺戮を楽しみ、数十人を殺して愉悦を味わった者。それら殺人者を成敗するという、[正義の味方]として、殺人を正当化した者。

 

 

どれもこれも、狂っていた。そして自分自身も、知らぬ間にその狂気に組み込まれていた。まるで時計の歯車のように、あの世界の狂気を回すパーツの一部分と化していた。

 

 

だが、組み込まれていたのは自分だけでは無い。

 

 

 

戦友であった面々も、現実世界の親友も、そして自分にとって、一番大切な人も……。すべて、狂気に侵されていた。それは今でも彼らを蝕み続けていた。現実世界に帰還した今でも、違和感を感じてしまう程露骨に。

 

 

だからこそ、力になりたいと思った。守りたいと、助けたいと思った。

 

 

 

たとえ、どんなに辛い苦難が降り注ごうと、何度も蔑まれようと。死んだっていい。この身体が動く限り。

 

 

 

私は、彼の力になると決めたから。

 

 

 

 

■■■■■■■

 

 

 

SAO -Epic Of Marcenaries-

 

The another "Fairy Dance"

 

Act.1 Wake up survivors

 

 

 

 

あの頃が懐かしい。

 

 

『ギルドを作りまショウ。リーダーはデルタ、あなたに頼みマス』

 

イギリス訛りの英語が混じった、活発そうな少女の声。

 

 

『ユーリさん、ギルドの名前は決まってるのですか?』

 

周囲を落ち着かせるような、優しさのある少女の声。

 

 

『もちろんデスよ、マロン』

 

 

『ユーリ、良い名前にしてくれよ。お前のネーミングセンスは最低だからな』

 

 

苦笑を浮かべつつもこの場を楽しんでいる、真面目そうな青年の声。

 

『もうッ、リッキーったら、酷いデスよー。今回はちゃんとシンプルなネーミングにしましたヨ』

 

 

『して、その名前は?』

 

 

『デルタ、貴方が率いるギルドその名前はデスね……』

 

 

インビジブル・ナイツ(invisible knights)…か…」

 

 

不可視の騎士団、という意味だった懐かしい響きのそのギルドの名前を、俺は久しぶりに呟いた。

 

 

騎士団(ナイツ)といっても、四人の中で騎士らしい重厚な鎧を着ていたのは、ユーリと呼ばれたイギリス訛りの英語を話す少女と、前衛で身の丈程もある大剣を振るっていた生真面目な男性プレイヤーのリックの二人だけである。マロンと呼ばれた少女は軽量な装備を好んで身に纏い、攻撃速度と手数で相手を圧倒していくようなスタイルのプレイヤーだった。

 

 

さらに、ギルドに居た(デルタ)のメインウェポンは軽さと切れ味が利点であった日本刀だった。重厚なイメージがある騎士団の要素が無いのにナイツという名称を付けたことで、当時はその事についてリックがよくユーリに悪態を突き、皆で笑いあっていたな……と細かい事まで、異世界の思い出を鮮明に記憶していた。

 

 

その異世界とも言える人造の仮想世界に意識を囚われていた、あの頃が懐かしい。なぜ懐かしむのかは自分でも良くは分からない。きっとあの鋼鉄の浮遊城(アインクラッド)に対して人々が向ける様々な感情が籠った目線に、自分が抱くような懐かしみという物は殆ど無いだろう。

 

 

あるとすれば死者に対する悲しみか、二年という時間を失った失意か、それとも解放区とも言えるあの場所へ行くことが叶わなかったという憧れか。きっと、懐かしむというのはあの世界を快く思っていなかった者にとっては持ってはならない感情なのだろう。

 

 

だが、自分(デルタ)はそれを持っている。持ってしまっているのだ。多分、主観的な推測だがその理由はただ一つ。

 

 

「もう一度、ユーリと再会したい」というたった一つの、純粋な願いだった。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

牧田 玲(まきたれい)/デルタ・[帰還者(Surviver)]

 

 

 

2025年度の小・中・高校の社会・公民の教科書に新たに掲載された重要単語は述べ10個にも及ぶらしい。その大半が新法の制定に伴う新しい法律の紹介、VR技術が発展した事による情報モラルの増加などなど。ネットでは歴史認識だ何だので議論が湧いているが評価自体は概ね好評。そしてここ最近の出来事で一番関心が持たれた事件である[あの事件]の事も、最新の重大事件として歴史の最終ページに追加されて掲載されていた。

 

 

[SAO事件]

 

 

その単語だけ別フォントの黒い太文字で書かれ、強調されたその文字の下には、その事件の概要が大雑把に書かれていた。

 

 

【2022年に発生したSAO事件は、初のVR機器を使った犯罪事件である。RPGゲームのプレイ中、ゲーム中の体力が無くなった者は脳死状態になる細工がハードウェアに施された結果、多数の被害者が発生した。被害者は述べ一万人を超え、そのうちの四千人が死亡した。現在も昏睡状態にある被害者や、後遺症を訴える被害者が存在し、今では運営を委託された電子機器メーカーの株式会社レクトが早期解決に向けて努力している】

 

 

要約すれば、「ゲームの中で人が死んで、その事後処理が難航してる中政府と会社は精一杯頑張っていますよ」と言う事であった。事件発生から二年半近くが経過した今現在でも、ニュースではこの事件の特集をしていたりするなど、この事件に対する国内外の関心は高い。

 

 

あの世界での名前はデルタ……であった青年、牧田 玲は、その部分が掲載されている一ページだけをプリントアウトした紙をまじまじと見つめながら、先程から着信が鳴り止まないスマートフォンを耳へと当てた。

 

 

着信に応じた途端、耳に当てたスピーカーの部分から、どこか落ち着いた感じがする、若い女性の声がした。

 

 

「牧田君、今年の教科書の件、見ました?」

 

 

「わざわざ電話してこなくてももちろん見たよ、栗原」

 

 

着信は昔からの幼馴染であり、共にSAOを戦い抜いた戦友からのものであった。彼女は十八才になった今でも付き合いを継続している同い年の少女、そしてSAOでは[マロン]として戦い抜き、生還した[帰還者]でもある。そんな彼女の名前は栗原 瑛理香(くりはら えりか)という。スピーカーを通して聞こえる彼女の声は、いつになく訝しげなものだった。

 

 

『まさかこんなに詳細を濁して掲載されるとは思っていませんでした。もう少し事細かに載せた方が良いと思います』

 

 

不服そうに言う栗原の言い分を聞き、牧田は溜息を吐きながら声を上げた。

 

「無理言うなよ……それなら俺じゃなくて教科書検定やってるお偉方に言ってこいよ。今頃文科省の会議室でワイワイディスカッション中だろ。親父さんに頼めば入れてくれるんじゃないか?」 

 

 

彼女の父親は文部科学省に勤務している。教科書選定に関与しているかどうか自分には知る由も無いが、管理職である事は噂で聞いているので多少なりとも権限はあるのではないだろうか。  

 

 

そんな事を考えていると、耳元を擽るように先程よりもさらに低くなった栗原の声がした。

 

 

『珍しく冷たいですね……。何かあったのですか?』

 

 

「昔の事を思い出してたんだ。ほら、インビジブル・ナイツを結成した時の事を」

 

 

……ッ、と鋭く息を飲んだ音がスピーカーから聴こえた。まだ帰還をしていない仲間の安否が気になるのは自分や栗原ら[帰還者]たち共通の思いなのだろう。しばらく沈黙が続き、次に声がスピーカーから聞こえてきたのは何十秒か経過した頃であった。

 

 

『……ユーリさんは今頃どうしているのでしょうか』

 

 

余程気に掛けているのか、栗原の声はいつになく低く、動揺した様に震えていた。向こうの世界では感情を崩さず、常に冷静さを表に出していた栗原が、いとも容易く感情を見せた事に驚き、自らも唾を飲み込み、黙ってしまった。それほどまでに、未だあの仮想世界から帰還していない者達に対する世間の心配は重いものであった。

 

 

ユーリ。本名ユーリ・S・(スフィア)マクラーレン。ロシア系イギリス人の少女であり、SAO事件に巻き込まれた数少ない外国人の一人であった。ロングランスを得物とするヘヴィランサー(重装槍兵)で、牧田やマロンと同じギルド[インビジブル・ナイツ]の副リーダーでもある。その実力は[攻略組]と呼ばれたトッププレイヤー集団の中でも上位に位置する腕前であった。普段の会話の所々に英国訛りの英語が入るのが彼女の癖であり、さっぱりとした嫌味の無い性格から攻略組の潤滑剤にもなっていたムードメーカーであった。が、今その声を容易に聞ける程、彼女の状態は甘くなかった。彼女、ユーリ・マクラーレンは[未帰還者]という身分にカデコライズされていた。

 

 

未だに意識が回復していないSAOプレイヤー、通称[未帰還者]と呼ばれる者たちの発生は、SAO事件が解決され、安堵していた事件関係者と、生還した実感と喜びを噛み締めていた[帰還者]達を再び恐怖のどん底へと落とすのに十分な衝撃を持っていた。

 

 

SAO事件生存者六千人のうち、三百名ほどが事件解決直後から、原因不明の意識根絶。[攻略組]の活躍によってSAOがクリアされ、デスゲームから解放されたはずであるにも関わらず、その現象は発生していた。その原因となる手掛かりはひとつも無く、解決の目処は全く立っていない。警察所属であったり、IT企業に属する国内トップクラスの実力を持つホワイトハッカー達が原因究明の為、日夜SAOサーバーの解析を行っている。が、まだ具体的な結果は得られていないらしく、未だに喜びのニュースは放送されない。事件の首謀者である天才技術者、茅場晶彦も既にこの世を去っている為、解析が不可能になり誰もサーバー内部の何処かにあると言われているブラックボックスを覗く事は出来ないかもしれない。つまり、現時点では解決する手立てがほぼ無いに等しいということだ。

 

 

ユーリはSAO事件発生時、イギリス本国で意識途絶、イギリスから遠く離れた日本サーバーへと接続していた為、回線遅延などの問題で生存が危ぶまれたものの、日英両政府が茅場との交渉によって日本へとユーリを輸送する猶予を確保し、ユーリは空路で日本へと運び込まれた。それから、彼女は都内の私立病院に入院しており(SAOプレイヤーは行政府が保護して全員入院措置が取られた)、牧田と栗原は帰還した後にそこへと訪れた事があった。東京の中心部にある、大きな大学病院の入院病棟の五階。消毒の香りから感じられる清潔感が漂う、白いリノリウム張りの床が長く伸びる廊下を進んだ先にある四人一部屋の病室に、彼女の身体はあった。

 

 

透き通る様なノルディックブロンドのショートカットに、雪を思い出させる様な、真っ白な肌をした顔。前者はイギリスの、後者はロシアの血を引いたのだろう。細い首から下はジェル素材の特殊なカバーに包まれており、そこから先を伺う事は出来ないが、明らかに痩せ細っているであろう事は、自分や栗原の帰還後の経験で察する事が出来た。二年近く筋肉を動かしていない上に、栄養は全て点滴頼りだ。身体を動かすために必要な脳波は全て頭に装着されたナーヴギアによって吸収され、存在するかどうか解らない仮想世界のアバターへと供給されている筈だ。それもユーリの意識があるならば、の話であるが。

 

 

三ヶ月前、帰還した直後に顔を合わせた時の栗原の姿も、見ていて痛々しいものがあった。元から線が細い栗原は、二年半に渡る点滴生活によってさらに細くなり、骨のラインが肌にくっきりと浮き出ていた。

 

 

病床で眠るように横たわるユーリの顔には、SAOの最前線で常日頃から目にした、戦乙女(ヴァルキリー)と称される勇猛さは微塵も感じず、牧田は単なるか弱い少女としか見ることが出来なかった。それほどまでに、初めて[未帰還者]を目にした時の衝撃は大きなものであった。

 

 

「無事なら良いんですけど....何の手掛かりも無いってニュースで言ってましたからね....」

 

 

「暗い事言うなよ。俺は栗原と生きて再会出来ただけでも嬉しいよ」

 

 

他人に語るほど面白くもないが、多少なりとも数奇な人生を辿っている自分にとっては、彼女と幼馴染という関係を持てる喜びを半ば本心でその言葉を言ったのだが、スピーカーからは「からかわないでくださいよ。牧田君らしくもない」と至って冷静な反応が帰ってきた。

 

 

昔はこんな性格じゃなかったのになぁ...、と牧田はそう遠くない昔の思い出を掘り返した。

 

 

数奇な運命と、とある事情で幼少期から養護施設に保護され、そこで育った自分は、七歳の時に牧田家に引き取られ、そこで「牧田」の名字と、「玲」という名前を与えられた。それまでは名前も無く、ただ男という性別と体の大きさ、そして手の甲に残る傷跡が識別の目印になっていた。

 

 

東京の東大和市にある牧田家は、特に何の特徴も無い普通の核家族世帯であった。父親の尚治は国土交通省に勤務、母親の燿子は大手広告代理店で勤務しており、その二人の間には子供は居ない。施設から夫婦に引き取られて牧田家の人間として生活している子供は自分の他に一人いる。自分より3歳年下の妹、凛が、戸籍上では実妹として居る。彼女も元は施設の出身であり、自分と同じタイミングで牧田家に引き取られたらしい。養護施設の場所は違えども同じ環境下で育った凛とは今でも仲は良く、SAOから帰還した時に見た凛の泣きじゃくった顔はあれから三ヶ月程経過した今日でも頭の中に残っていた。

 

 

牧田家に引き取られたのは七歳の時であり、その一年前から一応施設の近くにある小学校には通っていたが、八王子市にあったその学校に、東大和市から通うには厳しいということで、牧田家から程近いところにある小学校へと転校する形で入学する事になった。しかし、今まで全くと言って良いほど同年代の子供と会話しなかった自分は、皆仲良しがデフォルトの小学校の中では明らかに浮いた存在であった。そんな感じで孤立していた自分を助けてくれたのが、後に十数年来の付き合いとなる栗原だった。

 

 

クラスが一緒であり、家も隣同士であった栗原とはすぐに仲良くなり、自分が初めて友達の家へ行って遊んだ相手は栗原であった。その頃の栗原は今の様に真っ直ぐ過ぎる程の生真面目な性格では無く、多少なりともどこかまったりとした感じがある少女であった。

 

 

他に友達と呼べる者も居なかった自分は、小学校低学年の殆どを彼女の隣で過ごした。今改めて考えれば赤面物だが、自分が栗原家に泊まりに行った際には一緒に風呂に入り、布団の中では一緒に肩を寄せあって寝ていたのだと、今でも親しい付き合いがある彼女の母親は笑いながら言っていた。

 

 

中学校も同じ学校へと進学し、いよいよ高校へ、というタイミングで二人ともSAO事件に遭遇し、約二年をあの電子の檻の中で過ごした。通販が開始されて即座に完売したと後に聞いたナーヴギアの通信販売であったが、その時は何も知らないまま運よくナーヴギアの通販開始時刻に大手通販サイトにアクセスし、ナーヴギアを購入出来たのを幸運だと思っていたのも束の間、死の危険が常時付きまとうデスゲームへと放り込まれ、結局は購入してしまった事を不運だと嘆く羽目になった。

 

 

[アインクラッド]と呼ばれたSAOの舞台であるその鋼鉄の城でもほぼ隣り合わせで過ごし、自力で現実世界に帰還するため、常に最前線を駆け回った。その時の精神的な疲労もあるのか、栗原の性格は変わっていき、今の様なクールで若干ドライな所が出来始めたのもSAOの中での出来事だ。結局、自分に貴重な経験と少しばかりの絶望を与えたソードアート・オンラインは、やや変則的な終焉を迎え、デスゲーム開始から約二年半後にクリアされた。

 

 

その後、現実世界で生身の人間として久しぶりに再会した栗原は、見た目こそ長期入院の影響で少し痩せたくらいであったが、性格は活発さが鳴りを潜め、静けさが全面に出ていた。牧田に対する呼び名も名前の玲をもじった【れー君】から普通に【牧田君】へと変わり、牧田に対しても言葉は常に敬語だ。

 

 

そんな栗原は、現在リハビリを終え、また牧田家の隣に戻ってきていた。今居る自分の部屋の窓から、彼女が居る部屋が見えるくらい、それどころか渡って入れるくらい、両家の距離は近く、会おうと思えばいつでも会えることが出来るくらいの二人の距離は近い。

 

 

それには嬉しくもあり、同時に何かしらの感情を感じたのだが―――

 

 

『牧田君?大丈夫ですか?』

 

 

栗原からの声に驚き、手を滑らせてスマホをベッドの上に取り落としてしまった。はっと我に返ると、スマホを慌てて拾い上げて再び耳に当てた。

 

 

ーーそのことは全く考える暇も無いままだ。

 

 

「あ、ああ。大丈夫だよ。じゃ、一回切るよ」

 

 

『あっ、ちょっと待ってください。……気になる話が一つあるんです。この後、時間ありますか?』

 

 

今日は土曜日で、特にこれといった用事も無い。

 

 

『なら、ちょっと出掛けましょう。どうせ、こちらに還ってきてからどこにも出てないんでしょう?』

 

 

確かに、現実世界に帰還した後はあまり外には出ていない。折角の機会だと思った牧田は、栗原に行くと返事を返し、早速支度を開始した。

 

 

久しぶりの外出だと意気込んで早めに支度を完了させ、外に出るとすでに栗原は外で待ってくれていた。彼女は純白のカッターシャツに黒のパーカー、下は青のスカートと黒ストッキングの組み合わせという彼女の醸し出すクールな雰囲気に合っているコーディネートだ。中学生の時以来、約二年ぶりに見る栗原の私服だった。

 

 

「では、行きましょうか」

 

 

栗原に行先を聞くと、文京区の方まで出るとの事であった。東京の端っこに位置する東大和から行くとなると電車を使う事になるだろう。コーヒーが好きな栗原の事だからカフェかなと適当に検討を付けつつ、家の前から駅まで続く道路を歩き始めた。その牧田の隣にくっつくようにして、栗原は着いてくる。自分の肩よりも身長が低い栗原は、仮想世界で見るよりも随分と可愛らしい。彼女自身はもっと身長が欲しいらしく、早寝早起きを徹底したり、キャラに合わず牛乳を飲めば身長が伸びると思い、牛乳を一生懸命飲んでいる等という可愛い事をしていると彼女の母親から聞いていた。

 

 

やはりデータですべてを知覚する仮想世界と違い、現実世界の方はこうして並んで歩くだけでも色々な情報が手に入れられる。改めて感じる彼女の身体の小ささ、透き通るような艶の黒い髪の毛、そして、こうして肩を接して歩く事によって微かに感じる彼女の体温。細かすぎるデータは省かれる仮想世界では感じることのできないものばかりだ。

 

 

暫く無言のたま歩き続けていると、不意に栗原から声が上がった。

 

 

「牧田君、歩いていてずっと無言というのもどうかと思うので、何か話しませんか?」

 

 

どうやら無言を気不味く感じていたらしい。伺う様な声音で問いかけてきた栗原へ、牧田は先程からずっと考えていた疑問をぶつけた。

 

「じゃあ……今から何処へ行くんだ?」

 

 

その問いかけに対して栗原は、スマホの写真フォルダを開いて答えた。

 

 

「これを見てください」

 

 

何だ?と彼女のスマホを受け取り、その画面をまじまじと見た。画面には、綺麗な栗色の髪をした少女が、暗い顔で彼方を見つめている光景が、荒いドットで写し出されていた。何故こんな画像を見せつけて来たのか、栗原に問い掛ける前に牧田はある事に気が付いた。荒いドットで気づきにくかったが、その少女は只の少女では無かったのである。

 

 

まず耳が普通の人間とは違った。人間の様に丸い耳ではなく、後ろ方向に伸びて尖った、まるでエルフのような耳をしていた。身体にはシルク製だか何だかは知らないが、透き通るような白さのドレスを身に纏い、耳や首には黄金色に輝く飾りを付けていた。

 

 

そんな中でも、一番牧田の目を引いたのは、彼女の肩甲骨あたりから生えている二本の羽であった。薄い紫色をしたそれは、飾りなどではなく、明らかに彼女のドレスから露出した肩甲骨部分から直に生えていた。それを一目見ただけで明らかに現実世界の人間とは違うと判断できた。

 

 

そして牧田は、その少女に見覚えがあった。

 

 

「確かこれ……KoBだかの副団長を務めていた……えーと……名前なんだっけ?」

 

 

KoB(血盟騎士団)とは、SAO内でその名を轟かせた最強の攻略ギルドであった。メンバー全員が統一された紅白のコスチュームを身に纏い、混沌とした戦場を駆け回る姿は壮観であった。メンバー個々の実力も高く、特に幹部クラスとなると鬼の如き強さを誇っていた。

 

 

「全く……アスナさんですよ。向こう側で散々お世話になったじゃないですか」

 

 

血盟騎士団(KoB)副団長、[閃光]アスナ。随分久しぶりに耳にした名前だが、名前を聞いた瞬間、彼女に関する記憶が蘇るように湧き出てきた。その戦いぶりは昨日の出来事の様に思い出せる。細身のレイピアをまるで延長した手のように操り、そして渾名の「閃光」に恥じぬ高速の刺突攻撃で次々と敵を屠っていく姿を、牧田は脳内に思い出す事が出来た。

 

 

「で、そのアスナさんの画像がどうしたんだ? 新しいVRMMOのか?」

 

 

「ある人に呼ばれたんですよ、この写真の事で。これがもしかしたらユーリさんを救う手立てになるかもしれません。まぁ、詳細は行けば分かります」

 

 

「なんだよそれ……」

 

 

訳も解らないまま、栗原と並んで歩く事20分。着いたのは、牧田達が住む地区から最も近い駅だった。

 

 

「俺、自分のパスしか持ってないけど……」

 

 

「私も持っていますよ?」

 

 

余計な心配だったようだ。栗原はスマートフォンの手帳型カバーから緑色に光る電子カードを取り出し、こちらに向けた。

 

 

改札を通り、昼下がりで乗客もまばらな電車に乗った。途中で中央本線に乗り換え、都心の方へと向かう。行き先はどうやら上野の方らしい。

 

 

あまり電車には乗らない(移動は基本的に自転車である)為、子供の様に物珍しそうに窓から辺りを見回す牧田を、栗原が小突いた。

 

 

「何やっているんですか。恥ずかしいですよ、こんな年にもなって」

 

 

「恥ずかしいも何もあるか。電車なんて全く乗らない人生だったから珍しいなぁ、って見回してただけだよ」

 

 

「でも、子供の頃は凄く活発だった覚えがありますよ?都市部に行ったりしなかったんですか?」

 

 

「子供の頃はあんまり東大和から出てないし、中学になってからも地区からもあまり出なかったしさ。それに、昔と今とじゃ人は変わるさ」

 

 

人が変わると言えば、現に栗原がそうなのである。あれだけ仲良く遊んだ幼馴染は、今では自分含む他人と敬語でしか会話できていない。SAOの中でも砕けた口調で話している彼女はあまり目にした事が無かった。

 

 

「確かにそれ程市外には出なかったですね。私もごみごみした雰囲気はあまり好きじゃないです」 

 

 

「でも栗原、お前も子供の頃は活発だったような覚えがあるんだけど?」

 

 

「私も昔とは変わったと思います」

 

 

「自覚してたのか?」

 

 

「まぁ、ある程度は.....といっても、昔に逆戻りをするつもりは無いですけどね」

 

 

変わった、という言葉は自分達……アインクラッドでの栗原、つまりマロンとしての過去を知る者にとってとある深刻な話となるキーワードの一つあった。

 

 

「……何も言わない。それが一番ならそれでいいと思う」

 

 

どうしても受身に出てしまうのは昔からの悪い癖か。そんな言葉に、栗原は困ったような笑いを浮かべながら言葉を重ねた。

 

 

「……自分でも分からないんですよ。どうしてこうなったのか。誰よりも親しい筈の牧田君にもこんな調子でしか話せない....ごめんなさい」

 

 

「謝らなくて良いよ。分かってる」

 

 

牧田はそう言うと、隣に座る栗原の手へと自らの手を重ねた。

 

 

栗原は一瞬戸惑うような素振りを見せたが、牧田の真意に気付くと、はにかんで手を握り返した。

 

 

「その一言で充分です。……ありがとう」

 

 

それから暫く何も喋らずに時間は過ぎていった。殺伐としたアインクラッドでは滅多に味わえなかった安らぎを、始めて手に戻したと感じた瞬間であった。

 

 

電車は進み、阿佐ヶ谷駅に到着した辺りで再び牧田が口を開いた。

 

 

「そういえば、そのKoBの副団長らしき人の写真とユーリにどんな関係があるんだ?」

 

 

「私も詳しい事は分からないんですよ。でも、この写真が手掛かりとなればユーリさんも、義妹さんと再会できますね……」

 

 

「……ああ。英国にも帰れるな」

 

 

何故牧田と栗原が、本来なら知り得ない現実世界のユーリの情報を知っているのか、普通に考えれば疑問に思うであろう。高度情報化社会となった今日の日本では、あちらこちらに個人情報が散らばっているが、それはパズルの1ピースのようにバラバラになった情報であり、最初から完成品として集めるのは不可能に近いだろう。しかし、自分の狭くも優秀な人脈は、それを可能にしてくれた。

 

 

ユーリ・マクラーレンがロシア系イギリス人であり、今回の[SAO事件]で唯一、国外に居て事件に巻き込まれた人間だという、既に組み上がり完成品となった情報を手に入れたのは、自分と親交のある国家公務員からのリークが元であった。菊岡誠二郎(きくおか せいじろう)という名前のその公務員は、SAO事件以前から関係があり、自分にとっては数少ない、官公庁のキャリアエリート組で交流がある人物であった。

 

 

SAO事件の最中においては対策チームのトップであったらしく、帰還後に会い、ユーリの事についてつついてみると、すぐに産まれてから今現在までの詳細な経歴を引き出す事が出来た。

 

 

ユーリはイギリス北部のエディンバラで、日本人実業家の家政婦として働く母と空軍のパイロットをしていた父の下に産まれた。彼女には二歳年下の妹がおり、名前はマリー・ウィリアムズという。何故名字が違うのかは菊岡も良くは知っていなかったが、後に調べてみると意外な理由が発覚した。ユーリが四歳の時、父が飛行中の事故で死去しており、その事故ではユーリの父の他に、同乗していたコ・パイロットも死亡したという。その娘であるのがマリー・ウィリアムズであったらしく、天涯孤独となってしまった彼女を気の毒に思ったユーリの母が引き取ったという。つまりマリーは、ユーリにとっては血が繋がっていない義理の妹という事であった。

 

 

その妹のマリーは現在来日しており、菊岡が手配した都内のマンスリーマンションに滞在していた。毎日ユーリの病室を訪れて彼女の帰還を祈っており、時折ユーリを見舞いに訪れる牧田や栗原とは幾度となく顔を合わせていた。

 

 

後日、ユーリの話を話した栗原と共に、八王子にあるマリーが住んでいるマンションへと赴いた事があった。マリーは姉と同じノルディックブロンドの髪の毛を持った少女で、年齢を聞いてみるとまだ15歳とのことだった。

 

 

二人を部屋へと招き入れたマリーは、本場の英国人らしく鮮やかな手付きで紅茶を淹れ、牧田と栗原の二人の前に置き、その後に事件当時の事について、事細かに話し始めた。

 

 

■■■■■

 

 

世界初のVRMMOとして発表されたSAOは当然全世界でも話題となり、それはもちろんイギリス国内も例外では無かった。当時高校生であり、年頃なりに人並みに流行に敏感であったユーリも当然SAOへの興味は湧き、それは幼少期より付き合いのある日本人……母の勤め先である家の人々へとぶつけられた。

 

 

イギリスと各国を結ぶ海運業を代々営んでいるその日本人一家には、海外進出用のサンプル品としてイギリスで運用される予定であったナーヴギアとSAOのソフトが二セット存在していた。その背景にはSAOの開発会社であるアーガスとの繋がりがあったからだという。ユーリから広まったSAOへの興味は様々なルートを辿り、事業主……いわゆる主人の耳にも入る事となった。主人を始め、家の人々から可愛がられていたユーリは、少しの期間の間、そのナーヴギアを遊び道具とすることを許可されることとなった。

 

 

サンプルは二セットあった事から、主人の嫡子であり、ユーリの幼馴染でもある少年にも宛てがわれ、フルダイブに参加する事となった。こんな経緯で、ユーリは日本国外に居ながらSAO事件に巻き込まれるという唯一のケースに遭遇してしまうこととなった。

 

 

意識昏睡後、二人は日英両政府から[事件唯一の国外被害者]として認知されることとなった。両政府は二人の安定した生命維持の為に二人を日本へと移送する決定を下した。政府が行方をくらましていた茅場と水面下で交渉を行った結果、一日間のみ微弱な電波さえ接続していれば二人の安全は確保するという猶予が与えられた。その猶予の間に、日英両空軍は輸送力をフルに活かし、輸送作戦を展開。それは見事に成功し、ユーリは自覚無しに日本の土を踏む事となった。

 

 

後日、二人はまとめて防衛医大へ収容された。そのニ年後、事件は解決。多くの人々が帰還する中、ユーリと幼馴染の意識は戻らないままであった。そして事件解決から程なくして流れ始めた[未帰還者]に関する報道が、事件解決で緩んでいた世間の空気を一変させた。

 

 

事件が解決したと思い、単身来日したマリーを待ち構えていたのは、あまりにも無情な現実であった。隣の病室が帰還の歓喜に包まれている中、マリーの訪れた病室は、静寂に支配されていた。向かい合わせに配置された病床には、未だ眠りつづける二人の姿。

 

 

「姉はもう帰ってこないんだって……そう思っています」

 

 

涙を見せず、感情を押し殺しながら話すマリーの顔を、その時にはもうしっかりと見る事はできなかった。

 

 

もうユーリとは会えない、そんな事を思っているマリーを何とかして再会させてあげたい、そして自分自身も、ユーリと再会したいと思いつつも何も出来ない毎日が続いたある日、その状況は動いた。それが今日であった。

 

 

 

 


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