「ふぅ……」
南が一息ついたのは、控室……ではなく、更衣室のベンチに座り込みながらだった。
備え付けられたシャワーで汗を流し、制服に着替える。
「南」
自分を呼ぶ声に、南はそちらの方を見た。
「おぉ、簪」
振り向いた先には、すでに制服に着替えており、砂埃で汚れた顔も綺麗になっていた簪だった。
「中国の代表候補相手に、初戦であそこまで戦えるとは……やるじゃないか」
南は自分が育てた生徒の、良い結果に喜ぶ教師のようだった。
「うん……南が一緒だったから……だから、戦えた」
簪が、自分の手に結えられた糸に気付いたのは、南が駆けつけた時だった。
しかし、どこか感じていた。
鈴と戦っている時から、自分以外の何かの力を。
だからこそ、南が来て目が合った瞬間に、糸に気が付けたのだろう。簪はそう思っていた。
嬉しそうに南を見上げて微笑む簪。
「あー! いたーー!!」
突然、大きな声が鼓膜を震わせる。
「鈴か」
「む……」
簪の表情が曇る。
「二対一だと、さすがの代表候補殿も厳しいか?」
駆け寄ってきた鈴に悔しそうな表情は見えない。
鈴は簪同様、すでに学園の制服に着替えていた。
「ふん、次勝てばいいのよ次!」
「タフな奴だ」
南が笑う。
「そんなことより、もうすぐ一夏とシャルルの試合始まるけど……見に行くでしょ?」
「ああ、わざわざ探してくれたのか。悪いな」
そう南が笑いかけると、鈴は目をそらした。
「べ、別に……」
「だが、すまない。先に行っててくれ」
「え? どうしてよ」
鈴が首を傾げた。
「着替えたいんだ。どうせ、今日は一回戦だけで、もう試合はないだろう?」
南は制服をパタパタと叩いた。
「そっか……なら、先に行ってるから早く着替えてきなさいよね」
「なんだ、優しいお言葉じゃないか」
南は笑いを堪えながら言った後、特に急ぐ様子もなく歩き出す。
「鈴さん……」
南が更衣室から出て、扉が閉まったのを確認すると同時に、簪が口を開いた。
「何よ?」
「南のこと……好きなの?」
簪の表情は、無表情にも見えたが、どこか敵を見るような目をしているようにも見えた。
「す、好きじゃないけど……」
鈴は照れたようでも、隠すようでもない、微妙な表情をする。
迷い……近いのはそんな感情だろう。
「そう……」
簪もそれ以上は何も言わなかった。
何とも言えない空気だけが、更衣室を包む。
「鈴さん、簪さん、こちらですわ」
簪と鈴が、観戦のできる広いアリーナに出ると、先に座っていたセシリアが手を振った。
「神代さんは?」
「なんか、今日は試合もないし、着替えて来るんだって。どんだけ自由なのよね」
鈴が笑うと、セシリアも「全くですわ」と続いた。
三人が並んで座ると同時に、試合が始まる。
一夏とシャルルが相手するのは、運命の悪戯か、箒とラウラのペアだった。
「こう言っちゃ悪いけど、やっぱり箒から狙うかしらね」
「うん、それが最善……」
鈴が呟くと、簪がそう返した。
ブザーが鳴ると、四人が弾ける。
試合を優位に進めているのは、一夏とシャルルだった。
それは、誰が見ても明らかだ。
二人の……というより、シャルルの相手に合わせるスタイルが、一夏を伸び伸びとプレイさせており、また一夏も、シャルルがいることで、最大限の力を発揮できている。
ラウラと言えば、序盤から箒を投げ飛ばしたりと、協調性の欠片もない試合運び。
これには、アリーナで観戦していた専用機持ち三人も、苦い顔をするしかない。
シャルルの絶え間ない攻めで、箒がダウン。
一夏もシャルルとの合流の間、ラウラと引けを取らない戦いを展開。
そして。
「終わりだぁぁぁ!!」
自身のシールドエネルギーを消費して稼動するため、使用するほど危機に陥ってしまう諸刃の剣であり、切り札でもある『
その渾身の一撃で見事、ラウラを倒したが……。
ラウラは、シャルルの攻撃で怯んだところに受けた一夏の一撃に倒れこむ。
―――私は負けられない………負けるわけにはいかない!
人工合成された遺伝子から作られ、人の温もりなど知らずに生きてきた。
ただ兵士として必要な技能と心のみを教えられてきた。誰よりも優秀な兵士としての性能を手に入れていた……それが私の存在意義だった。
だが……最強の兵器『IS』が現れたことにより、ただちに私にも適合性向上のため肉眼へのナノマシンの移植手術が施された。しかし、私の体は適応しきれずその結果……
私は出来損ないの烙印を押された。
そんな私に光を、希望を、生きる意味を与えてくれた人、織斑千冬。
あの人の教えで私は部隊内最強の地位を手に入れた。だが、それはもう私の生きる意味ではなくなっていた。
私は、教官のようになりたかった。
常に強く、凛々しく、堂々と、自分という存在の意味を疑いもしない、人を超越したような存在だと感じた。
その姿に憧れた、教官のようになりたかった。
教官がただ近くにいるだけで、生きる力が、勇気が、私の中から湧いてくるのを感じた。
でも、教官が弟のことを話すときだけ、優しそうな笑みを浮かべる。それは教官がただの人間だということを意味していた。
違う、私の憧れる教官は強く、凛々しく、堂々としていてのに……
だから許せない。
教官をそんな風に変える男。
だから認めない。
(力が、欲しい)
『―――願うか‥‥‥?汝より強い力を欲するか‥‥?』
寄こせ最強の力を……比類ない最強の力を!
願うと同時だった。
シュヴァルツェア・レーゲンから電撃が走り、形が徐々に変わり……。
ラウラの叫び声が聞こえると同時に、彼女のISは黒い靄のようなものに取り込まれていった。
そして現れたのは、女性の形をした黒いISだった。黒い霧を纏ったこともあってか、非常に巨大であった。
「なんですの、あれは……」
セシリアは驚きを隠せず、目を見開く。
アナウンスが鳴り響き、生徒の避難が促された。
「とにかく行きましょ!」
鈴が駆け出す。
「ま、待ってください!」
簪とセシリアが後を追った。
アリーナを降りたところで、鈴が突然、立ち止まる。
人は急には止まれない。
セシリアが鈴の背中にぶつかり、尻餅をついた。
「ちょっと、鈴さん! 急に止まらないでください!」
あなたは、どうしていつもそうですの! と文句を言うセシリアの声は、鈴には届いていない。
「シャッター降ろされちゃった」
鈴が振り返りながら、舌を出して片目を閉じた。
「もうっ!」
立ち上がりながら、セシリアが指をさす。
「本ッ当に、計画性のない方ですわ!」
「何よ、自分だってついて来たくせに!」
歯を剥いてぎゃあぎゃあ騒ぐ二人を尻目に、簪が呟いた。
「開いた」
打鉄弐式を部分展開し、コンソールを叩いていた簪がシャッターを開ける。
「あ、ええっと……」
「よくやったわ……簪」
顔を限界まで近づけて、言い合いをしていた二人は静かになり、同時にまた走り出した。
簪も後を追う。
「くっ! うおおおおお!」
三人がアリーナを降り、グランドに出ると同時だった。
一夏がボロボロになりながらも、黒く巨大なISに斬りかかるが、
「ぐあっ!」
もうすでに力は残っておらず、簡単に弾き飛ばされる。
それでも立ち上がり、相手を睨みつけ、突進しようとする一夏に周りは見えていなかった。
「馬鹿者、何をしている! 死ぬ気か!」
「そうよ、一夏! 落ち着きなさい!」
二人の幼馴染が、一夏を止めようと押さえ込む。
それでも、一夏は止まらない。
「離せよっ!」
「一夏!」「鈴さん!」「箒さんっ」
シャルルとセシリア、簪の声が響く。
その声に、三人はハッと振り返るがもう遅い。
黒いISは既に、刀を振りかぶっていた。
無情、あまりに無情だった。
刀が振り下ろされる。
ガンッ! と大きな音がする。
一夏と鈴、箒に痛みはない。
「ほぅら、簪。やはり困ったときは俺を頼ることになるだろう? 切り札なんだ、俺は」
嬉しそうな、それでいて少し苦しそうな声がする。
目を閉じた六人が目を開いた先にいたのは、神代 南だった。
「南!」
一夏が声を上げるが、南はいつもの余裕な顔をしていない。
黒いISの方は見ずに、右手を後ろに回し、巨大な刀をナイフ一本で防いでいる南に余裕はなかった。
「すまん、セシリア。助けてくれ」
「切り札じゃなかったんですの?」
さすがに片手で、しかも後ろに手を回している状態で攻撃を凌ぐのは厳しいのか、南の声は弱々しかった。
「折角のタイミングだったからな、格好つけようと思ったんだが……これは厳しい」
早く、と余裕のない声を絞り出した南を救ったのはシャルルだ。
連装ショットガン『レイン・オブ・サタデイ』を打ち込まれた黒いISが後退する。
「いってぇ、助かったシャルル」
右腕をブラブラと振りながら南が言うと、シャルルは笑ってそれに応えた。
「もっと早く来なさいよね、死ぬかと思った!」
鈴が南に噛み付くように言った。
「着替えてたんだ、すまない」
「着替えたって……それに……?」
「Tシャツじゃないか」
簪と箒が突っ込むが、南は怯まない。
「格好いいだろうが」
南が両手を広げた。
「皆さん、まだ終わってませんわ」
セシリアの低い声に、和みムードだった空気が重くなる。
黒いISは体勢を建て直し、立ち上がった。
「ところで、アレはどちら様だ?」
南が指さした。
「あれはラウラのISが暴走してるんだ」
「ラウラ?……ほぅ、少し見ないうちに大きくなったじゃないか」
一夏の真剣な声に対して、南に緊張感はない。
「南……手を出さないでくれ。アイツ、千冬姉の……許せねぇ」
そう言う一夏だが、腕からは流血し、とても戦える様子ではなかった。
「まぁ落ち着け……そんな状態でどうやって戦うんだ?」
「……っ」
悔しそうに顔をしかめる一夏の肩に、南が手を置いた。
「どうせラウラとの試合で、お前が見事倒したから、ああなったんだろう?」
見ていたのか、と疑いたくなるほど南は鋭かった。
「見てなくても分かる」
心が読めるのか、と疑いたくなるほど南は鋭かった。
「とは言ってもだ。俺も、もうあまり疲れることはしたくない。そこで、皆でアイツを倒そうじゃないか」
手を揉みながら、南が言った。
「どうやって? さっきのアンタとの試合で、もうあんまりIS動かせないけど……」
鈴が南の隣に並んだ。
「一発でいい。アイツの隙を生む一発だ。それくらいなら出来るだろう?」
「まぁ、部分展開でなんとかギリギリってところね」
「わたくしもですわ」
「同じく」
南が問うと、鈴とセシリア、簪が口々に頷いた。
「じゃあ、シャルルと四人で一斉に、遠距離武器で牽制してくれ。その後、箒の合図で一夏が飛び込む。で、一夏がアイツを吹き飛ばす。後は俺がやる」
作戦を伝えると、南は満足げに頷いた。
一夏が笑った。
「なんだよ。美味しいところは結局、お前が持っていくんだな。簪さんのISの時と同じだ」
「俺は切り札だからな」
まだ、そんなことを言う。
「一夏」
シャルルが一夏の背中を叩いた。
「もう、エネルギー残ってないでしょ? 僕のを少し分けてあげるね」
自身のISからプラグを取り出し、一夏の待機状態になっている白式に繋ぐ。
「すまない、シャルル。これで、もう一本だけ戦える」
「それで、一夏がアイツを吹き飛ばした後、お前はどうするのだ?」
「心配するな。もう糸は仕掛けておいた」
箒が聞くと、南は首をポキポキと鳴らしながら言った。
自分のISを展開する。
「ちょ、ちょっとお待ちになって!」
セシリアが叫んだ。
「糸って、まさかアレですの!?」
指差したのは、黒いISの背後に見える糸。
ISのハイパーセンサーを使わずとも見えるその糸は、とてもじゃないが綺麗な形をしているとは言えない。
「本当だ……アレなの?」
「アンタの糸ってもっとこう……」
簪と鈴も動揺したような声を出す。
確かに、初めてのラウラ戦や、先程のセシリア戦。
共に糸を使った罠で勝利した南であったが、蜘蛛を自称するだけあって、その糸は規則正しく綺麗な形に編みこまれているように見えた。
しかし今回、もう仕掛けたという糸は明らかに乱雑で、罠には見えなかった。
「大丈夫だ」
集中しているのか、南の声音は低くなる。
「さぁ、ぶちかましてやれ。級友を救おうじゃないか」
南が張り上げる声を合図に、四人が動く。
簪、シャルル、鈴、セシリアだ。
それぞれの遠距離武器を放ち、黒いISを襲う。
数発を避けはしたものの、一斉に降り注ぐ銃弾に怯まざるを得ない。
「行け、一夏!」
「うおおおおおっ!」
箒の声が響くと同時に、一夏が駆け込む。
唯一の専用武器、
乱雑にも見える糸が絡まる。
「皆、よくやった。あとは任せろ」
いつの間にか、誰よりも前に出てきた南が笑った。
―――自身の20倍もの大きさの獲物を捕食する蜘蛛が、存在する。
『オオヒメグモ』
体長わずか5mmながら、時として、1年かけても食べきれないような、驚くほど大きな獲物を罠にかけるこの蜘蛛の網は一見、不細工。
乱雑に、適当に引き回されただけのように見えるが、実はそうではない。
不規則網と呼ばれる網の構造は、大まかには立体的に糸が張り合わせられており、数珠の様に張り付いている粘球に触れる事で、逃げられなくなる。
「さて、動けない相手からなら、ラウラを引っ張り出す事も簡単だよな」
黒いISは腕を振るおうともがくが、むしろ逆効果。
特別大きくはない網に、一部でも触れてしまえば、暴れられても、また他の糸が絡まるだけ。
形、構造、粘球……これら全てが、獲物の大きさを無視する造りになっているのだ。
南は余裕を持って、黒いISに近付き、ナイフを振るう。
一夏の攻撃もあってか、容易に霧は裂けた。
中で目を閉じているラウラを確認して、南が腕を突っ込む。
「おい、起きろ。昼寝にしては、随分と寝辛そうな格好じゃないか」
目を閉じていたラウラだったが、その声と自分の肩を掴まれる感覚に目を開いた。
「かみ、しろ……みなみ……」
「助けに来たぞ」
美味しいところを持って行っていることなど、一切気にすることのない南は余裕の表情であった。
だが、同時に内心では焦りが生じていた。
何の力なのか、ラウラが引き剥がせないのである。
「わたしは……もう、いい……」
掠れるような小さな声。
南は無表情で腕に力を込めていた。
「おま、え……の、なかま……を、傷付けた、わた、し……など、放って……おけ」
今にも消えてしまいそうな、弱々しい声に、南は表情を歪めた。
「いつだったか、聞いたよな……俺が何のために力を得たか、だっけか?」
「おまえ……聞こえて……」
ラウラの目が、確かに、大きく開かれた。
「あの時は、盗み聞きしてたから答えられなかった質問に、今応えてやる」
南の腕の力が、増した。
徐々に、引っ張り出されるラウラ。
「俺は選ぶために力を得たんじゃない……もう何も、切り離さないために力を得たんだ」
いつもと変わらない声音、声量。
でも確かに、その言葉は重かった。
「お前は助ける。皆のことも当然見捨てない……選んでたまるか。俺は……何も諦めない」
ラウラが引っ張り出され、黒いISが動きを止めたのは、そんな南の言葉と同時だった。
「だから俺と来い、ラウラ・ボーデヴィッヒ」
そして彼女は……涙を流しながら、南の腕の中へ吸い込まれた。