竹刀と竹刀が激しくぶつかり合う音が、IS学園剣道部の有する道場に響いた。
無言で竹刀を振るい、相手に勝とうと激しく動いているのは、箒と南だ。
授業がない週の土曜日の朝。箒が南を剣道に誘ったのは偶然だった。奇跡のような成り行きで決まった朝稽古は、未だ他の一年生専用機持ちにバレている様子はない。
(くっ……強い……本当に竹刀を握ったのが、三回目か!?)
箒は顔をしかめる。
面で多少、顔は隠れているものの、その苦悶の表情はごまかせないが、対する南も肩を激しく上下させながら構える。
一旦、距離を開けて時間を置いた。
「はぁ……はぁ……」
「ふぅ……ふぅ……」
道場には、二人の呼吸だけが聞こえる。
南は顔を引き締める。
来る、そう感じ取った箒も腕にまた力を入れた。
同時に相手に向かっていく二人。
竹刀を振り上げ、そして―――
「だぁ、負けた~」
南が倒れ込む。
面を荒々しく取り、髪をならすように振った後、悔しそうに言った。
「勝てないじゃないか」
駄々をこねる子供のように吐き捨てる南に、箒は苦笑いした。
「私は実家が道場で、幼い時からたしなんでいるんだ。そんな私に、たった二回習っただけで、ここまで張り合うなんてあり得ないんだぞ」
倒れていた南は体を起こし、頭を掻いた。
「剣道じゃ勝てる気がしないな」
「ふっ、鍛錬を怠らないことだな」
箒はそんな南に手を差し伸べた。
「昼食にしよう。今日はここまでだ」
そんな手を握り返して、南は立ち上がる。
「勝ち逃げとは……箒、後で俺の部屋に来いよ。ゲームしよう、ゲーム。俺が一番得意なやつで勝負だ」
「ムキになるな、ムキに」
楽しそうに笑いながら、南の背中を叩く箒。
完全に小学生をあやす高校生の図が出来上がっていた。
「ありがとうございました」
納得がいかないように首を傾げた後、南は頭を下げる。
礼を忘れていないことに感心した箒は微笑んでから、自分も頭を下げて、同じ言葉を返した。
「昼飯の前にシャワー浴びるか」
「っ! そ、そうだな……」
「先に浴びてこいよ」
そんな台詞にドキッとする箒。
もちろんそんな意味でないのは分かっている。だが、その言い方が嫌でも意識させた。
心臓が激しく動くのを感じる。これが激しい運動の後だからか、違いは分からない。
「の、覗くなよ?」
「ああ、これを片付けておくからそんな余裕はないな」
ハッキリそう言われると複雑な箒は、何か言おうと口ごもったまま、道場に設置されたシャワールームの方へ向かう。
「うっ、しまった……」
シャワーを浴びた二人は、道場を出た。
空はどんよりとして、雨が降っていた。
小雨程度ではなく、本降りの雨だ。
「なんだ、傘を持って来なかったのか?」
南は扉を閉めながら、靴の先をトントンと地面に当てる。
その腕には傘がかけられていた。
「今日は昼から降るって言ってたぞ。一夏が」
「天気予報が、と言わないところが実にお前らしい」
箒は小さく笑いながら、心の中でため息をつく。
(い、言えない……南と二人きりでの稽古が楽しみで、天気予報の言っていたことを忘れていたなど……)
そう言えば、部屋を出る前に同室の、
「だが、箒。運がいいな……俺の傘に入れてやろう」
「本当か!?」
沈みがちな表情を明るくし、素早く南の方へ振り向いた。
南が困惑した表情を浮かべる。
「ど、どうした……そら、入ればいいだろう」
何を当たり前のことを言っているんだと目を丸くする南の声は、箒には届いていない。
(よくやった、よくやったぞ今朝の私!)
小さくガッツポーズする箒の隣でボンッと傘が開く音がする。
「それじゃあ、昼飯を食いに行くか」
そう言って歩き出す南に寄り添うように、箒も続く。
道場から食堂までは、それなりに距離があり、無言で歩き続けるには少し苦しいが、箒にとってはあまり関係なかった。
雨音と同じくらいの大きさで、自分の心臓がなっている。
すぐ隣にいる南に聞こえそうなくらい、大きな音でなっている気がした。
南は小さな声で、何やら歌いながらゆっくり歩く。
明らかにペースを合わせてくれている歩幅に、箒は嬉しくなった。
「ん、もっと寄っていいぞ。濡れるだろう」
南が言うと、箒の肩を抱くようにして傘の中に入れた。
「んぁ……」
小さく吐息が漏れた箒は、顔を赤くして南を見上げる。
「す、すまない」
「寄ってくれないと、俺の肩が傘に入らないからな。『お前の肩が濡れてしまうじゃないか』なんてのは、漫画に任せておけばいい」
なんともムードの欠片もないようなセリフだった。
「そう言えば、授業の合間にも漫画を読んでいたな……よく読むのか?」
箒が尋ねると、南は頷く。
「まぁな。漫画はいいものだぞ、箒にも貸してやろう」
「私はそんなものは読まないのだが……」
「漫画を甘く見ない方がいい。俺みたいな人間だって漫画から学ぶ事もあるんだからな」
「そうだな、次の私の誕生日……七夕の短冊には、南のように立派な人間になりたいと書くことにしよう」
「絶対書けよ」
「嫌だ」
本当にこの男とのやり取りは飽きない、と箒は頬を緩める。
そして、その口調からは考えられないくらい、言葉がポンポンと出てくるなとも思った。
例え、世界が数時間後には沈んでしまうような大洪水が起ころうと、周りが許せば、喜んでその口を開くだろう。「そんな沈んだ顔をしていると、沈んでしまいますよ」と嬉しそうに言うに違いない。
「ふふ」
そこまで考えて、箒は微笑む。思わず声が出てしまった。
「どうした?」
「いやなに、馬鹿な話を考えてしまってな」
「馬鹿な話というのは、たまに現実に起こるから馬鹿に出来ないんだ」
南はもっともらしく言う。
すると、背後からそんな二人の雰囲気を壊すような声がした。
「あっ! 南!……と、箒……」
鈴だ。
ビニール袋をぶら下げた彼女の表情は一瞬明るく、そして箒を見て暗くなった。
同時に、箒の表情も曇る。
(どうして、こんな雨の日に……くっ……)
「なんで、相合傘してるのよ!」
箒の考えていることなどお見通しであった鈴だが、それに関係なく、雨で濡れた地面をビチャビチャと乱暴に踏みしめつつ、詰め寄って行く。
「箒が傘を忘れたらしくてな」
「何で一緒にいるわけ?」
鈴はジト目で南を捉えれていた。
「ああ、箒とは剣道を―――」
「わーわーわー!」
隣で箒が大声を出したが、もう遅い。
鈴の目線が箒に移った。
「へー。剣道ね」
「し、仕方ないだろうっ。南が稽古したいと言うのだから……」
「え? お前もナイフ一本で闘う身ならば、剣道の心得があっても悪くないだろうって強引に―――」
「わーわーわー!」
同じく叫ぶが、当然遅い。
鈴はぬっと二人の方に頭を突き出した。
「それは? 一組の皆は知ってるのかしら?」
「どうした、色々聞いてくるやつだな」
呑気な笑みを浮かべる南に、鈴はうっと表情を変える。
「俺だって休日には箒と剣道くらいするさ。プロ野球選手だって、趣味でゴルフをするだろう? 普段ISに乗ってる俺も、休日には竹刀を振るんだ。まぁ、毎週は厳しいが……」
「じゃ、じゃあ! 今度の休みにはあたしに付き合いなさいよ!」
「どうしてそうなった?」
苦笑する南だが、顔を赤くした鈴の勢いは止まらない。
「箒とばっかりズルいじゃない! それはもう、公平に!」
「面倒臭い……」
南はボソッと呟いた程度であったが、どうやら鈴にはしっかり聞こえていたらしく、目を細める。
「面倒臭いって言ったわね」
「違う違う。さっきまで剣道してたから、面と胴が臭い、って言ったんだ」
「籠手は臭くないわけ?」
そんな二人のやり取りを見ていた箒がため息をつく。
南がその視線に気付くと、「どうした」と声をかけた。
「毎週は……稽古に、付き合ってくれないのか……」
雨なこともあってか、しっとりとするその視線に、南だけでなく、鈴までも一瞬言葉を飲んだ。
「……まぁ、朝だけだし、出来るだけ参加するようには……」
「本当か!?」
「待って待って!」
箒が飛びつかんばかりの勢いで言ったため、鈴は慌てて言葉を被せた。
「箒ぃ……後で集合ね?」
ハートが見えるような笑みだったが、箒の笑顔は引き攣るばかり。
南は首を傾げている。
「あ、今から昼飯食うんだが、鈴も来るか?」
(ああっ!)
何とか声は押し殺せたが、心の中では悲鳴が響いていた。
二人きりの昼食は消えた、とガックリと肩を落とす。
しかし、鈴の口からは箒の予想を超える言葉が飛び出した。
「うぅ……ごめん……あたし、これ届けないといけないから……」
どんどん沈んでいく声に、箒は頭を上げた。
見ると、その手に持ったビニール袋を掲げている。
悔しそうに歯ぎしりする鈴に、思わずテンションが上がった
「そ、そうかそうか! ならば仕方ない。早くそれを届けて来るがいい。うんっ、それがいい」
「えらく上機嫌だな」
南が冷静に言うが、箒は気にしない。
代わりに鈴が走り出す。
「くぅ……チクショー! 覚えてなさい!」
「完全に悪役の台詞だな」
それだけ言って、寮の方へ走る鈴の背中を二人並んで見送る。その背中は、いつもより小さく見えた。
鈴が走り去って、再び歩き出すこと五分。
食堂に着き、扉を開くとそこには簪が立っていた。
「おお、簪。今から昼飯か?」
南が言うと、彼女は小さく頷く。
「鈴が、言ってたから……」
「鈴? なんて?」
「二人が、お昼一緒に食べる相手を探してるって……二人だと寂しいって……だから、来ました」
無表情のまま言った簪の視線が箒を捉えた。
既に考えることをやめていた箒は自虐的に笑うしかない。
「別に寂しいわけじゃないが……まぁ、来てしまったものは仕方ない。一緒に食うか」
南はそれだけ言ってカウンターの方へ歩き出す。
「せっかく、南と二人きりだったのに……そんな、馬鹿な……」
涙交じりに言うと、後に続かない箒に、南がそっと後ろを振り返った。
「どうした、そんな沈んだ顔して。洪水が起きたら沈んでしまうぞ?」
何かも分からずに、そんなことを言う南。
ただただ肩を落とすしかない箒に、簪が耳元で言う。
「抜け駆けは、駄目……」
はい、と小さく頷くしかなかった。