IS学園は夏休みに入った。
初日こそ、学園を離れて帰郷する生徒も少ないが、もう一週間もすれば学園の生徒はほとんどが寮を一旦離れることになる。
そんな夏休みの初日。
「えっと……あと二回、乗り換えるんだよな?」
一夏が隣に座る南の方を見て聞いた。
目を閉じて腕を組んだまま、南が頷く。
二人掛けの座席が対面になっている新幹線の向かい側では、セシリアとラウラが何やら話していた。
更にそんな四人とは隣の列で、箒と鈴、シャルロット、簪がお菓子を食べながら、こちらを恨めしそうに睨んでいる。
新幹線の車窓から漏れる太陽の光は明るく、涼しい車内でも、その陽だけで体が熱を帯びてくる。
八月に入る前ではあったが、世間はすっかり夏休みムード。
新幹線も満席で、家族連れが目立つ。
「はぁ……」
小さくため息をついた南が目を開いた。
「どうしてこうなった……」
この日、南は実家に帰ることになっていて、当然、一人での予定だった。
しかし、準備をしている最中に、一夏が強引に「俺も行く!」と言い出し、そんな一夏から情報が漏れたのか、次々と専用機持ちも付いてくることになった。
「南さん……?」
ラウラとの会話が一段落ついたのか、セシリアが南の顔を覗き込んだ。
先の席順は、新幹線に乗る前のホームでのじゃんけんによって決められ、必死に右手を振るう女子に混じってチョキを出した一夏が、真っ先に南の隣を決めた。
残りの対面二席をセシリアとラウラが勝ち取ったことになる。
「どうした」
「ご実家に帰るというのに、暗い表情……どこか体調が優れないのですか?」
垂れた目が、心配そうに南を捉える。
ひじ掛けに置いていたペットボトルのキャップを外しながら、南は答えた。
「そういう訳じゃないが……俺の実家なんて、そんなに来たいか? ただの田舎だぞ?」
南の実家は、IS学園から三時間強かかる山の中、小さな村にある。
電車に乗り、新幹線に乗り継ぎ、更に私鉄を二本乗り換え、そこからバスに揺られること三十分。
海外に実家がある生徒が多い学園生と比べれば近いかもしれないが、決してこちらも気軽に帰ることが出来る訳ではない。
「何を言っている。嫁の実家だぞ? 両親に挨拶、というのをせねばなるまい」
「頼むから、ややこしいことは言わないでくれ」
南が祈るように言うと、ラウラの頬が膨らむ。
すると、隣の列に座る四人が何やら揉めているのが聞こえてきた。
内容は「次の電車では私が隣に座る」だとか、「実家に着いたら、まず最初に僕がご両親に挨拶するね」だとか、「南の部屋で、私が寝る」「抜け駆けよ!」などなど、エスカレートしそうな勢いに南は苦笑する。
「全く何を言い合いしてるんだ」
立ち上がろうと、ひじ掛けに手を置いて体重を乗せた南に、セシリアが言う。
「あれを収めてきますの? 可能なのですか?」
心配、というより茶化すような言い方だった。
「あのな、人間同士のトラブルは、要はコミュニケーションの問題なんだ。大半は、話せば分かるようになってる。犬養毅の言う通り」
「犬養毅は、話せば分かってもらえてたのか?」
一夏が首を傾げた。
「『話せば分かる』という話を、分かってもらえなかったんだろうな」
南は既に立ち上がっている。
そうして新幹線を降り、私鉄を二回乗り継ぎ、一時間に二本しかないバスに揺られた南達がその村に到着したのは、正午になる前だった。
「わぁ、そんなに暑くない……むしろ、涼しいね!」
「うむ、いい所だ」
シャルロットが目を輝かせると、箒が頷いた。
「それにしても、遠かったわねぇ……」
鈴が腰に手を当てながら言った。
セミの声が響き渡るそんな村には、車など一台も走っていない。畑が溢れ、山に囲まれたその地を、南は迷うことなく歩き始める。
「行くか」
ため息交じりに言いながら、足を前へ動かす南に習って七人も続いた。
「ここからは遠いのか?」
南は、背中にそんな一夏の声を受けて首を振った。
「いや、すぐだ。十分もかからない」
「ちょ、ちょっと……緊張してきた」
隣を歩く簪が言うと、南は小さく笑った。
「緊張することはないだろう?」
「わ、わたくしも……」
セシリアも胸に手を当てている。
「緊張してきましたわ」
「本当ですわね」
突如聞こえる声。
真っ先に反応したのはラウラだった。
「誰だっ」
低い声が向けられたのは、一行の左側。
先頭の南は首の向きを変えることもない。
「ぞろぞろと、大勢で来やがったもんですから、ちょっくら様子を見に来ただけですわ~」
セシリアと似た口調。
しかし、彼女に比べて低い声と、多少荒い言い草に、一瞬遅れて六人が目を向けた。
立っていたのは触角のようなアホ毛を生やした女の子。
背は低く、ニッと歯を剥き出して笑っている。
短いスカートで、素足を恥ずかし気にもなく晒した彼女に、ラウラの行動は早かった。
(こいつ、只者ではない……いつの間にあそこに立っていた……)
そう思いながら、足で石を軽く蹴り上げて掴み、投擲———
が、しかし……彼女の姿はすでにそこにはなかった。
「なっ!?」
驚いたのはラウラだけでなく、南を除く全員。
「いつの間にかいて、いつの間にかいない……」
そんな声がしたのは、ラウラの後方。
(馬鹿な……後ろだと!? さっきまで私は、正面で奴を捉えていたんだぞ!)
間違いなく、専用機持ちの中で一番実践慣れしており、様々なサバイバルを繰り広げたラウラの背後を、いとも簡単に取った彼女が、腕を振り上げた。
「それが、『ゴキブリ』ですわ」
―――空気の流れを読むだけでなく、脅威の反射神経を持つ昆虫が、存在する。
『
全世界に約4000種が確認されており、約3億年前に誕生した「生きた化石」
腹部の末端にある「尾葉」と呼ばれる突起が両側に1本ずつ存在し、秒速2cmの風を感知。
尾葉で得られた情報を、行動神経で分析後、瞬時に回避行動をとることができ、感知から行動までにかかる時間はわずか0.044秒。
これは、人間の約10倍である。
「ラウラ!」
シャルロットが叫ぶと同時、少女の腕がラウラに振り下ろされ―――
「やめろ、ゴキちゃん」
る、その直前。南の言葉に、彼女が動きを止めた。
「いやーん! 南様ぁ、その呼び方は嫌ですわ~」
甘えた声でくねくねと体を揺らしながら、手を胸の前で合わせた。
「こう呼べば、動きが止まるかと思ってな」
「言われなくても、何もしませんわよ……ちょっと遊んだだけですわ」
拗ねたように言いながら、フラフラと南の方へと歩み寄っていく彼女に、七人の警戒は解ける様子はない。
「皆、安心……は出来ないだろうが、コイツは敵じゃない。
「———下僕ですわ!」
そう胸を張っためぐみの頭に拳が振り下ろされる。
「いだっ!」
「適当なこと言うな。知り合いだ」
敵意を剥き出しにしながら、彼女を見る女子六人と、状況が掴めない一夏の視線に、めぐみは身を震わせた。
頬を赤らめ、腕で自分の体を抱くようにする。
「あぁ! その視線……嫌われ者でよかったですわ~」
「お前、今日はここに帰ってくるから、どこか適当な所にいろって言っただろう」
そう言った南の声は明らかに怒っていた。
専用機持ち六人以上に鋭い視線を浴びせる。
「ええ、私もそうする予定でしたわ。でも、南様に伝えたいことが……」
「……なんだ?」
「『組織』が、動き出していますわ。すでに、IS学園にも……」
「おい、ばか……」
南が顔をしかめる。
聞かれたくなかった単語を、めぐみが簡単に言ってしまったからだ。
「あっ、やってしまいましたわ」
完全に忘れていた、と目を丸くした後、てへっと舌を出すめぐみ。
そんな彼女の頭にまたも拳が突き刺さる。
「じだ……
めぐみは涙目で言いながら、とぼとぼと歩き出す。
小さくなるめぐみの背中を見ながら、ため息をついた南が改めて視線を皆の方へ戻すと、ラウラが勢いよく詰め寄ってきた。
「なんだアイツは……どうなっている」
「説明、してほしい」
そんなラウラに簪が続いた。
南は頬を掻いた後、小さな声で言う。
「……とりあえず、家まで帰ろう。そこで説明する」
「着いたぞ」
そう言って南が足を止めたのは、田舎の余りある土地に、遠慮なく建てられた、趣のある大きな木造の家。
「ここが……」
「南の実家……」
セシリアと一夏が呟いた。
南は頷いた後、戸の方へ歩き出す。
「ただいま」
そう言いながら、引き戸を開くとガラガラと心地よい音が鳴った。
外観からも分かる広い玄関には、八人がスッポリと収まる。
「おかえり、南。遠かったでしょ―——何ね、お客さん? えらいべっぴんさん、ようけおるけど」
「ただいま、母ちゃん。電話で話したろ、学校の友達だよ」
奥の部屋から出てきた南の母親は、まさに普通のお母さんを体現したような人だった。
普通のTシャツに、普通のスウェット。普通の長い髪に、普通の容姿。
普段、IS学園で各国の専用機持ちを手玉に取っている南の母親とは思えないその「普通」さに、七人は驚かずにはいられない。
「あ、あの!」
しかし、真っ先に動き出したのはシャルロットだった。
一歩前に出て、背筋を伸ばす。
「しゃ、シャルロット・デュノアと言いま―――」
「ああ、いいからいいから。そんな所におらんと、ほら、入りなさい」
手招きしながら、再び奥の部屋へと戻っていく南の母。
「よいしょ」
南は靴を脱ぎ捨て、廊下の方へ足を進める。
「ほら、皆も。上がっていいぞ」
「あ、ああ。お邪魔します」
箒が言ったのを皮切りに、皆が動き出した。
靴を脱いで、揃え、廊下へ。
シャルロットだけが、自己紹介を中断されたためか、顔を赤くしている。
広い客間には畳が敷き詰められ、大きなテーブルが一つあるだけだった。
「はい、座って座って」
南の母は、座布団をテーブルの周りに置いていた。
「親父は?」
「ん? 畑出てるよ」
「そうか」
座布団を人数分置いた後、キッチンがある方へパタパタと歩いて行く。
一夏や箒、簪、日本にいたことがある鈴はともかく、イギリス、フランス、ドイツ出身の三人は、見たこともない家の内装に興味津々。
目を輝かせながら辺りを見渡していた。
「まぁ、座って。正座とかしなくていいからな。楽にしてくれ」
南はそう言うと、自分もキッチンの方へ。
「母ちゃん、これお土産な」
「ああ、そんなわざわざ買うてこんでもええのに。ありがとねぇ」
「また食べといて」
「アンタ、お友達、部屋に呼ぶんやったら掃除しなさいよ。一応、掃除機はかけてあるけど」
「分かってる。してくるから、ちょっと話でもしてて」
客間にまで聞こえてくる生活感丸出しの会話に、思わず笑みがこぼれた七人。
しばらくして、またパタパタという足音と共に、南の母は現れた。
その手には、大きな盆が。
テーブルに置き、盆に載ったコップをそれぞれの前に置いていく。
「皆、よく来たねぇ。遠かったでしょう」
南の母は、ニコニコしながら一夏の隣に腰かけた。
「暑かったやろうに。まぁ、飲んで飲んで」
どこか懐かしさすら覚えるそんな雰囲気に一夏が口を開いた。
「いただきます。いやー、静かでいい所ですね」
「こんな所、なーんもないよぉ? 皆が住んでる所の方が、便利でいいやろうに」
そうして、南が戻るまでの二十分弱。
それぞれの自己紹介をしたり、学園での生活などを楽しそうに語る七人であった。
「悪いな、母ちゃんの相手してもらって」
南の部屋は、十畳はあろうかという広さだった。
勉強机にベッド、本棚、南が好きなバンドのポスター。普通の子供部屋にあるようなもの全てをひっくるめても、余りあるその部屋の椅子に、南が腰かける。
「まぁ適当に座ってくれ」
そう言うと、箒と簪は小さな折り畳みテーブルの前に。セシリアとシャルロットはベッドに。鈴と一夏は座布団で胡坐をかき、ラウラは立ったまま腕を組んだ。
「はぁ……」
南は少しの間、天井を見上げ静止。
やがて、覚悟したように向き直った。
「本当は、もう少し後に話したかったんだ。箒は、名前だけは知っているだろうが、タイミングは選びたかった」
言い訳をするような言い方に、誰も何も言わない。
「あの馬鹿のせいだが……でも、いいきっかけかもしれないな」
そう言うと、南は静かに語り出す。
「聞いてくれ……さっきのめぐみのこと、『組織』のこと、そして俺のこと。俺がどうして、ISを起動することなく、蜘蛛の糸を操れるか……その真実を……」