IS-インフィニットストラトス~一匹の蜘蛛~   作:清麿

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23.短編6.過去×真実②

神代 南はいじめられっ子だった。

 

いつ頃からいじめられていたかは覚えていない。

 

当時はまだ都会に暮らしていた彼は、小学校に入学し、数年は普通に過ごしていた。

 

友達はいたし、この当時から冗談を言っては、クラスメイトを苦笑させていた。

 

今思えば、それが原因なのかもしれない。

 

何の気もなく言った冗談のどれかが、誰かを逆撫でし、そこからいじめは始まった。

 

無視され、物を隠され、時に無意味な暴力を受けた。

 

耐えられないほどのことではなかった。

 

いじめ、という存在を理解していた彼にとって、そのターゲットが自分に向いている、ただそれだけのことだというのが分かっていた。

 

教師や両親には言わなかった。

 

心配をかけたくない、というのもあったし、優しく接してくれる両親と、いじめに参加しない同級生がたまにこっそり話しかけてくれる……それだけで満足していた。

 

クラスが変われば、いじめはなくなる。

 

そんなことはなく、いじめは卒業まで続き……中学に入って、更にエスカレートしていった。

 

いじめのリーダー的存在だった男が同じクラスだったことと、その彼が多くの「悪い先輩」とつるんでいたことが原因だった。

 

物を隠されることはなくなった。

 

しかし、増したのは暴力。

 

毎日ではなかったが、機嫌が悪ければ一部のクラスメイトや先輩に殴られ、蹴られ、踏まれる。

 

そんな中学に入学し、半年が過ぎた頃。

 

 

 

 

ついに、運命の歯車が動き出す。

 

 

 

 

「うがっ」

 

人が滅多に近寄ることもない地帯にある、もう使われていない古い廃工場。

 

南は、髪を派手に染め上げた上級生に背中を蹴り飛ばされ、地面に転がった。

 

下品な笑い声が響く。

 

錆まみれの汚いパイプ椅子に座らされ、ボロボロのロープで手を後ろで縛られた。

 

「今日さぁ」

 

制服をだらしなく着崩した上級生が、鞄を放り投げながら言った。

 

「センコーの野郎が、説教してきやがってよぉ……マジで怠かったわ。でぇ、イラついてんだよねぇ」

 

どこからか持ってきた鉄パイプで肩をトントンと叩く。

 

南は不味い、と唇を噛んだ。

 

素人の拳や蹴りは、それこそ数年前から耐えてきている。痛みはあるが、大きな怪我はしない。

 

だが、武器はどうしても加減が利かないため危険だ。

 

「だからさ、ゲームに付き合ってくれよ、ゲーム。な? それならお前も楽しいだろ?」

 

そう言うと、また周りの取り巻きが笑った。

 

「えっと……じゃあ、ケン。ほら」

 

ケンと呼ばれた男に鉄パイプを渡す。

 

嬉しそうにそれを受け取ったケンは、ブンブンと素振りを始めた。

 

長く伸ばされた金髪が揺れる。

 

「上から行けよ。顔な、顔面狙え」

 

愉快そうに笑いながら指示を出す彼に、ケンはあいよーと返事をした。

 

「で、ルールなんだけど。顔面殴って、歯が折れたら一ポイントな!」

 

南は思わず、歯を食いしばる。

 

いつもより力が入らない。

 

足が震えた。

 

「足とかは後でいいだろ。ほらやれよ、ケン!」

 

そんな指示を出す彼の他に、ケンと、南をここまで引っ張ってきた男、小学生の時から南をいじめていた同級生、そして中学からそれに参加していたクラスメイトの計五人。

 

それぞれが歪んだ顔で笑いながら、「ゲーム」を楽しもうとしている。

 

「それじゃあ、いっきま~す」

 

軽快に言いながら、片足を振り上げ、鉄パイプを引くケン。

 

この容赦のないであろう一撃を喰らえば、不味い。

 

ついに殴られると思い、死を覚悟した瞬間、南の中の時間が静止した。

 

南の頭は、目の前の状況を冷静に分析しはじめる。

 

―——素手での暴力は、大丈夫。

 

―――鉄パイプでの殴打、死。

 

―――一回殴っただけじゃ終わらない。

 

―――ロープ、ボロボロで引きちぎれる。

 

―――相手は五人。

 

―――武器、今座っているパイプ椅子か、相手の鉄パイプ。

 

―――やられる前に、

 

―——やるしかない。

 

そこまで思考した南の行動は早かった。

 

ロープを力いっぱいに引きちぎり、突進。

 

ケンの腹部に、頭をめり込ませる。

 

一瞬、何が起きたか分からない四人を前に、南は素早く鉄パイプを拾い上げた。

 

振りかぶって、動揺している同級生の肩に叩きつける。

 

悲鳴が響く。

 

喧嘩慣れしているのか、上級生はそんな様子を見た後、拳を握った。

 

腕が振るわれる。それを躱し、わき腹を薙ぎ払う。

 

ポケットからナイフを取り出したのは、楽しそうにゲームだと騒いだ上級生。

 

リーチは南に有利。

 

一突き。

 

それを躱され、ナイフの刃が南の手を切りつける。

 

痛みに表情が歪む。

 

しかし、南は集中していた。

 

痛い、でも冷静に。

 

こいつはナイフを持っている、でも冷静に。

 

動く敵はまだ三人、でも冷静に。

 

またナイフの刃が襲う……だから蹴りを胸に。

 

やけくそ気味に奇声を発しながら突っ込んでくる上級生がいる……だから鉄パイプで喉を突く。

 

小学生の時からいじめてきていた同級生が動揺している……だから顔面を殴る。

 

あくまで慌てず、南はくるくると体の向きを変えながら拳を、脚を、鉄パイプを振るった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

倒れ込んだ五人のうめき声が聞こえる。

 

激しく息を切らした南は、肩を上下させた。

 

「やるな。いい動きだ」

 

そんな低い声が聞こえたと同時。

 

背後に向かって鉄パイプを叩きつけた。

 

それを腕で受け止めたのは、見たこともない男だった。

 

秋といえど、まだ残暑が厳しいにも関わらず、茶色のトレンチコートを着て、同じ色のハットを被っている。

 

薄暗い倉庫ではあったが、サングラスをかけている男は、背が高く、南を見下ろしている。

 

「お前なら、なれるかもしれない」

 

男が言う言葉に、表情を歪めながらも、南は限界が近づいていることを感じていた。

 

極度の緊張状態から解放されたような、疲れと脱力感が襲う。

 

正体不明の男が大人だったからだろうか。

 

只ならぬ雰囲気は感じるが、南の握力は弱まるばかり。

 

激しく呼吸しながら男を睨む。

 

「こんの、ゴミがぁぁあああ!」

 

主犯格の上級生が立ち上がった。

 

胸を蹴り上げられ、一瞬、呼吸が出来ないほどの衝撃があったが、倒れ込みながら回復し、ナイフを拾い上げ、南の背中を切りつけようと、振りかぶった。

 

南は首だけで振り返るが、もうどうすることも出来ない。

 

躱すことも、迎撃することも出来なかった。

 

思わず目を閉じる。

 

「目を閉じるな」

 

男が言った。

 

「あぎゃあ!」

 

同時に、上級生の悲鳴。

 

ドサッと倒れ込む彼の腹には、変わった形の刃が刺さっており、男の手にはスイッチのついた柄が握られていた。

 

よく見ると、柄と刃は糸で繋がっている。

 

「目を閉じれば、死ぬしかなくなる。最後の瞬間まで、目は開いておけ。そうすれば、活路は開かれる」

 

「……し、死んだのか」

 

男のそんな言葉に返事をすることなく、南は鉄パイプを手放した。

 

カランッと音を立てて、転がる。

 

「死ぬと困るのか?」

 

無機質な声、無感情の言葉に、目を丸くする南。

 

刃がひとりでに、柄の方へ戻っていった。

 

「人の死とは、あっけないものだぞ……あそこにも一つ転がっているだろう。俺がやった……死体は珍しいか?」

 

答えない南に、男はナイフを仕舞いながら言った。

 

男が指さす先には、確かに太った中年男性が倒れていた。

 

物陰だったからか、全く気が付かなかった。

 

突きつけられる二つの死に、南は言葉が上手く出てこない。

 

「そ、それは、そうだろ……知ってる奴が、目の前で殺されて。しかも、知らないおじさんまで死んでる……珍しくない訳ない」

 

「ほう、それでも冷静だな。驚かないのか」

 

南が言うと、男は少しだけ声を明るくした。

 

ような気がする。

 

内心、南はそれどころではなかった。

 

薄れそうな意識を必死に保っているため、上手く反応が出来ないだけだった。

 

「世の中には、毎日何人もの人が死んでるんだ。むしろ、誰も死ななくなったら、俺はそっちの方がびっくりするな」

 

「面白いことを言う。ますます気に入った」

 

男は、南の肩に触れた後、そっと抱きかかえるように持ち上げた。

 

「安心しろ、友達は死んでない。直にこいつらも発見されるから、死ぬこともない。」

 

「発見って……こんな所に誰が来るんだよ」

 

抵抗する力もなく、運ばれる南。

 

必死に出てきたのが、そんな言葉だった。

 

「『屍出蟲(シデムシ)』だ」

 

「は? む、し……?」

 

それだけ言って、南は気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ますと、見たこともない天井だった。

 

綺麗でもなく汚くもない、コンクリートの天井。

 

体を起こす。

 

少しだけ固いベッドに、真っ白のシーツ。どうやらここで寝ていたらしい。

 

前方に目線を向けると、先程の男が食事を摂っていた。

 

「よう、起きたか」

 

男はこちらを見ることもなく言った。

 

「ここは?」

 

「俺の塒だ」

 

切りつけられた腕の傷には包帯が巻かれているが、まだ痛む。

 

そんな痛みに耐えながら聞いた南に、男は即答した。

 

答えになってない、と南は顔を歪ませた。

 

「アンタはなんだ」

 

「俺の名は『蜘蛛』……殺し屋だ」

 

味噌汁を飲みながら言う男に、つい笑ってしまいそうになる。

 

「殺し屋?」

 

「信じなくてもいいが、さっきの男はもうこの世にはいないし、お前の友達も殺そうと思えば殺せたぞ」

 

南はそこまで言われて思い出す。

 

自分をいじめていた上級生の腹に刺さる刃。流れる血。倒れ込む音。

 

そして、物陰で動かない中年男性。白目を剥いて、こちらに顔を向けていたあの人は、確かに死んでいた。

 

「誰かに依頼されて、あの人は殺し屋であるアンタに始末されたってのか……」

 

「そうだ」

 

男は頷きながら、箸を動かす。

 

ベッドから起き上がって、南は足元に置かれていた靴を履いた。

 

「あの男は闇金業者から金を借りていた。その額は、利息含めて一千万以上」

 

南は適当に相槌を打ちながら、傍に置いてあったスパナを握る。

 

ゆっくりと、足音を立てないように、男の方へ忍び寄った。

 

「闇金業者はあの男から絞れるだけ絞ったあと、それでも足りない額を埋めるため、ある『組織』に彼を売った」

 

「組織……?」

 

「その『組織』は、ある時は家族単位で人を殺し戸籍、国籍を奪い、売り捌くことを生業としている……だが、その全貌は俺にも分からない。本当の目的が、恐らく別にあるだろう」

 

距離は近い。

 

飛びかかれば、スパナは届く。

 

南はゆっくり振りかぶった。

 

狙うのは肩だ。頭だと危ない。

 

「確かなのは、あの男はさっきの古い工場に逃げたが、俺の手で死んだ。だが、戸籍上では生きている。完全に消えた存在、ということだ」

 

スパナを振るった。迷いはない。

 

隙さえ生まれれば、閉まっている奥の扉から逃げられる。

 

振り下ろしたスパナが、男の……『蜘蛛』の肩に直撃する寸前。

 

見えない何かに、スパナが弾かれた。

 

その反動で、南のでこに直撃。

 

「いっつう……」

 

思わず、両手で頭を抑えた。

 

「無駄だ」

 

体が強い力で押し込まれる。

 

抵抗することも出来ず、南は後退。

 

気が付けば、先程のベッドまで押し戻された。

 

「今はまだ、俺を殺すことは出来ない」

 

殺すつもりはなかったんだが、と言うことは不可能だった。

 

首を掴まれ、呼吸もままならない。

 

南は必死にもがく。

 

「だが、死の直前……さっきの工場でお前が見せた集中力。死を感じ、生に執着したあの瞬間の力。それをコントロールできれば、大きな力になる」

 

苦しいという感情だけが南を支配していた。

 

しかし、『蜘蛛』の声もまた聞こえていた。

 

何を言っているのか意味が分からない。だが、この男の手を退かさなければ、窒息して死ぬ。

 

そう思った瞬間。

 

またも南の中で時間が静止する。

 

―――首を締めあげられている。

 

―――相手は殺し屋。

 

――—武器、なし。

 

―――足は動く。

 

―――肘を蹴り上げれば、力は緩む。

 

―――やられる前に、

 

そこまで考えて、手の力が緩んだ。

 

『蜘蛛』は前傾になっていた姿勢を戻す。

 

「かはっ……ごほっ、ごほ……」

 

咳込みながら、南は酸素を求めて激しく肩を上下させた。

 

「今も、どうすれば状況を打破出来るか考えていたな。力の使い方を、ここで学べ。そしてその力で、始末して欲しい奴がいる。それが終われば解放してやる」

 

大粒の涙を浮かべながら、南は『蜘蛛』を睨んだ。

 

そして、あの上級生のナイフから、自分を守ってくれたことを思い出す。

 

あのままでは、間違いなく死んでいた。

 

それを救ったのは、間違いなくこの男だ。

 

訪れた非日常。

 

南は、少し前に見た特撮ヒーローを思い出す。

 

基本形態から胸元の装甲が開いて、赤色に変身するフォーム。初めてそれに変身した時は、ライバルが装置をくれた。

 

この男によって……自らが変わる時が、来たのかもしれない。

 

ライバルが装置をくれたように、この男は自分に力をくれる。

 

助けてもらった恩もある。

 

「……分かったよ」

 

立ち上がりながら、呟くように言った。

 

「よく分からんが、付き合ってやる」

 

『蜘蛛』は満足げに頷いた。

 

 

 

 

住宅街にある小さな一軒家。

 

どこにでもあるようなそんな家の床には戸があり、それを開けると床下に作られた地下に通じる。

 

梯子を伝って降りていくと、コンクリートに囲まれた広い空間。

 

電気は通っているが、それ以外には何もなく、薄暗い。

 

「いい地下室だろ?」

 

先に降りた南に、『蜘蛛』は言った。

 

「ああ、見かけは普通の家なのにな」

 

壁に手を当てながら南は答える。

 

ふと、両親のことを思い出したが、連絡を取る手段もなく、また『蜘蛛』がそれを許してくれることもなさそうなので、心の中に二人の顔をしまった。

 

「ここで何を……」

 

そう言って振り返った瞬間。

 

射出された刃が、南の頬をかすめるくらいの距離で壁に刺さった。

 

急なことで声も出ない。

 

「そいつは『蜘蛛糸(スレッド)』……殺しの武器だ。操作には「集中」が不可欠」

 

そう言いながら柄を振るうと、刃は壁から抜かれ、ヒュンヒュンと音を立てながら宙を舞う。

 

「そいつを使って俺を殺してみろ」

 

挑戦的でもなんでもない、それを言うのが当たり前のような言い方で、蜘蛛は刃が戻ったナイフを南の方へ投げた。

 

それを掴んで、興味深そうに色々な角度で眺めた後、息を漏らす。

 

「さっきも言っていたな。始末して欲しい奴がいるって……言い忘れていたが、俺は誰も殺さない。殺し屋のアンタと一緒にしないでくれ」

 

「なに?」

 

『蜘蛛』の表情が険しくなった。

 

それでも南は怯まない。

 

「俺はその手伝いをするだけだ。実際に止めを刺すのは自分でやってくれ」

 

「お前……そんな中途半端な気持ちで―——」

 

「本気だよ」

 

彼の言葉を遮って、南は言った。

 

「本気で誰も殺さない。でも、本気で手伝いはする。助けてくれた恩はあるが、殺しはやらない。映画じゃないんだ」

 

「そうだ、これは映画じゃない。実在するターゲットがいる」

 

「映画のようにいかなくても、男には男の仕事がある。俺は俺の仕事をするだけだ。そこに「殺し」はない」

 

沈黙。

 

静かな時間が過ぎた。

 

吐息も何も聞こえない中、『蜘蛛』はふっと消えた。

 

実際には高く跳んだのだが、南には消えたようにしか見えなかった。

 

次に南の目に彼が映ったのは、まさに目と鼻の先。

 

身を引く間もなく、顔面を殴られた。

 

「ぶっ!」

 

「お前をこうしている理由は二つ。一つは「利用する価値があるから」というのと」

 

南は転がりながら、体を起こす。

 

先程のナイフを出鱈目に振るが、『蜘蛛』には通用しない。

 

「もう一つは、「いつでも殺せる」からだ」

 

『蜘蛛』の拳がナイフの軌道を縫って、南の腹部に打ち込まれた。

 

「がはっ……」

 

膝をついて咳込む南。

 

しかし、俯いていた地面に『蜘蛛』の足が見えた瞬間。飛び跳ねた。

 

ナイフを逆手に持ち替え、胸にめがけて振り下ろす。

 

それを腕でガードした彼の腕から血が飛び出した。

 

「残念だが、使い方が違う」

 

その血を顔に浴びながら、またもガードしなかった方の手で、首を掴まれた。

 

「蜘蛛は、巣の張り方や狩りの方法を、親蜘蛛に教わることはない。生き抜くための全てが詰まったノウハウを遺伝子に刻んだ『生まれながらの殺し屋』だ」

 

身を捩りながら、今度は肘を蹴り上げ、その手から逃れる。

 

素早く後退し、壁にもたれかかった。

 

「殺さない、なんて甘いことを言っていると、殺されるぞ」

 

それだけ言うと、『蜘蛛』は踵を返して、はしごの方へ歩いて行った。

 

「今夜はここで寝ろ。また明日相手してやる」

 

電気が消された。

 

心臓がうるさいくらいに鳴っている。

 

握っていたナイフを放り投げ、南は体を横にした。

 

 

 

 

 

―――網を張る以外の用途で、糸を利用する蜘蛛が、存在する。

 

『ハラフシグモ』

 

多く存在するクモ目の中でも、原始的なものとされている蜘蛛の一種。

 

網を張らず、湿った地面に巣穴を掘り、その周囲に糸を巡らせて生活する。

 

獲物が通りかかった際の振動を糸を通して察知すると同時に、地中から飛び出して捕食。

 

この蜘蛛は、落ち葉や雨粒などによる自然振動には一切反応せず、糸の振動のみを頼りに、外の世界を感知しているのだ。

 

(すげぇ……何だこれ)

 

翌日。南は、ナイフの刃から伸びる糸を自分の指に絡め、刃を壁に突き立て、柄を握っていた。

 

目を閉じる。

 

「集中しろ」

 

『蜘蛛』が言う。

 

「何が見える?」

 

「…………」

 

地下にあるこの部屋は、壁を通して、外の情報を正確に南に伝えていた。

 

糸を通して分かること……

 

パラパラと細かく、小さな連続した振動……雨が降っている。

 

響くような、地震のようにも感じる大きな振動……電車が通っている。

 

足音……複数……歩幅は普通。男? 会話は……野球関連……野球部が二人歩いている。

 

(色んなことが分かる……この糸があれば……)

 

「上手く操れるようになれば、切断することも、自由自在に動かすことも出来る。だが……」

 

パンッ!と、大きな音がした。

 

『蜘蛛』が手を叩いたのだ。

 

肩を震わせると同時に、壁に刺さっていた刃が突然暴れ出し、糸が南の体を締め上げた。

 

「なっ!」

 

先程まで自分に様々なことを教えてくれていた糸は、今度は制御を失い、南を襲う。

 

腕も纏めて縛られる形になった南は、バランスを取ることも出来ずに倒れる。

 

激しく動いていた刃が、その進路を南の顔へと変えた。

 

(ちょ、刺さる!)

 

「このように、集中力を少しでも欠くと、操者自身を襲う」

 

刃は、『蜘蛛』が蹴り上げたことで、南に刺さることはなかった。

 

南は小さく息を吐く。

 

「蜘蛛は単眼の節足動物。複眼を持つ昆虫類に比べて、目を頼ることは少ない。だが、糸を巡らせ感覚を研ぎ澄ますことで、四億年を生き抜いた」

 

南の手から柄を受け取った『蜘蛛』が糸を操作。

 

巻き付いていた糸は、南から離れ、ナイフの柄へと収納される。

 

「今日からこれはお前の物だ」

 

「くれるのか」

 

「ああ、しばらくの間、それで遊んでいろ。俺は出掛けてくる」

 

そう言った『蜘蛛』は再び、ナイフを南に渡し、梯子を昇っていく。

 

南はそれを見送ることなく座り込んだ。

 

「そうだ。さっき刃が、お前に刺さる直前まで、目を閉じなかったな」

 

「まあな」

 

「お前はやれば出来る子だ」

 

「俺もそう思う」

 

何も考えずに言う南に、『蜘蛛』は微笑を浮かべて戸を閉めた。

 

体を倒し、柄のスイッチを押す。

 

刃が天井に刺さった。

 

また、糸を通して外の世界が伝わってくる。

 

今、この家には誰もいない。

 

「はぁ……」

 

南はため息をついて、目を閉じた。

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