IS学園の夏休みも中盤を迎えた。
南と一夏は、寮の自室でアイスクリームを食べながら、夏のドラマスペシャルを見ている。
「うわ、この女優懐かしい」
「本当だ、若いな」
南が口に運ぶスプーンの手を止めることなく言った。
それに頷いた一夏は、テレビから目を離すことはなかった。
すると、部屋のチャイムが鳴る。
二人して、ドアの方に目を向けた。
「俺が出よう」
南はテーブルにアイスクリームを置いて、軽快に歩いて行った。
ドアスコープを覗くと、そこに立っていたのは簪だった。
「おお、簪。どうした?」
南がドアを開けながら言うと、簪は少し肩を震わせた。
「あ、えっと……えっとね……」
何かを言いたげな表情をするが、言葉が出てこない様子。
久しぶりに会った訳でもないのに、何かを言い辛そうにしていた。
「そんなに緊張することないだろう?」
そんな様子が可笑しくて、南はつい笑ってしまった。
顔を赤くして俯く簪は、もじもじと体を揺らしている。
「……簪、こんな諺を知ってるか?」
「え?」
一拍置いても口を開かなかった簪に、南が助け船を出した。
簪が俯いていた顔を上げる。
「卵を割らなければ、オムレツを作ることはできない」
聞き慣れない諺に目を丸くした簪は、首を横に振った。
人差し指を立てて、南は自慢げに続ける。
「何かを成し遂げたいなら、行動しろって意味だ……オムレツが作りたいなら、卵を割るしかない。用があるなら、遠慮なく言ってくれ」
南がそう言って優しく笑うと、簪は意を決したようにポケットに手を入れた。
素早い動きで手を引き抜くと、そこにはチラシが握られていた。
「こ、これっ……」
それを受け取って、ゆっくりと開く。
そこには、ニューレインボーアイランドプールと大きく書かれており、水着の女の子三人が嬉しそうにポーズをとっている。
「こ、ここにっ、良ければ二人で……」
「おおっ! これって今年できたアミューズメントプールじゃないか!」
簪が何か言いかけたが、南の肩に手を置いて、一夏が覗きこんできた。
その勢いに南は姿勢を崩しそうになる。
「そうみたいだな……これに行きたいのか?」
チラシを一夏に渡し、腕を組んで壁にもたれかかった。
簪が頷く。
「でも俺、泳げないからな……」
「あ、あのね……」
「ここアトラクションもたくさんあるから、泳げなくても楽しめるのが売りみたいだぞ。行ってみたかったんだよなー!」
またしても簪の言葉に一夏が被せた。
「じゃあ、行ってみるか……皆も誘うだろ?」
南が聞くが、簪はオロオロして目を回していた。
一夏はお構いなく、テンションを上げている。
「箒は道場にいるだろうし、セシリアも一昨日イギリスから帰ってきたしな……鈴とシャルロットとラウラ、部屋にいるといいが……」
「で、でもっ」
ハッと何かを思いついたような簪は、拳を胸の前で握った。
「み、皆……用事があるかも」
「それもそうだが、聞いてみないと分からないだろ? 卵を割らないとオムレツは作れないんだぞ?」
何が嬉しいのか分からないが、南が歯を見せて笑った。
焦る簪は必死に言葉を探すが、いい選択肢が見当たらない。
「お、オムレツ……食べなかったら、いいのに……」
「俺は食べたいんだ」
そう言いながら、南が預けていた壁から体を離して部屋に戻る。
「鈴の部屋に行って聞いてくるよ」
呆然としている簪と、部屋に戻る南を交互に見ながら一夏が言った。
一歩踏み出した瞬間、簪がその足を思いっきり踏みつけた。
「いぃっ!?」
「私には、あなたを殺す権利が、ある」
「え……」
光沢の消えた目で、ゆらりと一夏を睨んでいた。
(せっかく、南と……二人きりで……ううぅ……)
「もうっ!」
そう言って再び足に力を入れると、一夏が「おうっ!?」と情けない声を出す。
「まったく、油断も隙もないんだから」
「本当、一夏がいてよかったよ」
鈴とシャルロットが、簪を責めた。
件のプールに向かう道中。
すっかり気分も沈んでしまっていた簪は、言い返すこともなくただ俯いていた。
「ごめんなさい……」
小さく言う彼女の肩にラウラが手を置いた。
「プール……私は楽しみだぞ」
「よかったね……」
慰めになっていない慰めに、声をさらに暗くする簪。
「抜け駆けは良くないぞ、うん」
箒が腕を組んで言った。
それに続いて、鈴とシャルロットが同時に頷く。
「あれは抜け駆けにならないのか?」
ラウラが指をさす方へつられて向くと、前方を歩くセシリアが南と何やら楽しそうに話していた。
「ああっ!」
「敵が多すぎるよぉ……」
「くっ、おいセシリア!」
「排除、しないと……」
四人の鬼のような目線を気にすることなく、南とセシリアは会話を続けていた。
一夏は地図を見ながら、その少し前を歩いている。
「そうか、大変だったな」
「いえ……オルコット家の者として当然ですわ」
南のそんな言葉に、セシリアは胸を張った。
夏休みということもあり、イギリスに帰って代表候補生の職務、そして実家の仕事を終わらせてきたというセシリアに、南は感心する。
「今日は存分に楽しんでくれ」
「ええ! 何せ今から行く施設は、来場客の満足度が、今のところ九十六パーセントだそうですもの。きっと楽しめますわ」
楽しそうに言うセシリアに、南が自慢げに口を開いた。
「セシリア、お前の祖国の政治家が言っていたぞ」
南が意気揚々と続ける。
「嘘には三種類ある。嘘、大嘘、そして統計だ」
「たぶん」
セシリアが言った。
「それ自体が、嘘ですわ」
プールに到着し、男女で別れた更衣室に入った頃。
南と一夏は、寮から着ていた水着になるべく、上から履いていた短パンを降ろす。
「今日こそ俺が泳ぎを教えてやるぞ、南」
「遠慮しておくよ、『素早いトビウオ』さん」
南は適当に言って、鞄から空気の入っていない浮き輪を取り出した。
一方、女子更衣室では、セシリアが財布を取り出して五人の方を振り返っていた。
「わたくし、今、物凄く機嫌が良いので、皆さんにお好きな浮き輪を買って差し上げますわ!」
そんな上機嫌な言葉を聞いても、箒と鈴、シャルロット、簪の表情は晴れなかった。
「南と随分楽しそうに話していたからな……」
「そりゃあ、機嫌も良いはずよ」
箒が言うと、鈴も続いた。
それでもそんな非難の視線を華麗に受け流し、セシリアは売店の浮き輪コーナーを見ていたラウラに声をかけた。
「ラウラさんはどれがよろしくて?」
「うむ……これにしよう!」
手に取った丸いダルマの浮き輪を見て、セシリアが顔をしかめた。
「それ、浮きますの?」
そう言ってから振り返ると、なんだかんだ言いながら他の四人も浮き輪を選んでいた。
一夏と並んで女子たちを待っていた南は、自分の浮き輪に腕を通して肩にかけ、縁石に腰かけていた。
「あ、来た来た。おーい、こっちこっちー」
女子六人が歩いてくるのが見えたのか、一夏が手を振った。それに続いて南は立ち上がる。
「さて、行くか」
「そうだな」
南の声に、一夏が体を伸ばしながら言った。
「そう言えばさ……」
どこから遊びに回るか決めかねていた八人が、プールサイドを歩いていると、鈴が南の肩をちょんちょんと突いた。
「アンタ、泳げないんでしょ? プールに来て何するつもり?」
「流れるプールで流れてたり、あそこのウォータースライダー滑ったり、泳がなくたって何だって出来るじゃないか。暑い中、水に入るのは好きだぞ」
南は辺りを見渡しながら答える。
そうして、ふと箒の手元が目に映り、他の皆が持っている浮き輪に目を通していった。
「なんだなんだ。皆、いい浮き輪持ってるな」
箒はイルカ、鈴はバナナ、シャルロットは星柄、ラウラはダルマ、簪は剣の形をした浮き輪をそれぞれ持っている。
自分の持っていた普通の青い浮き輪を見て、南が羨ましそうにした。
「み、南っ……私の浮き輪は大きいからな。い、一緒に使ってもいいぞ!」
「なっ……わ、私のだってっ」
そう言って浮き輪を差し出した箒に、負けじと簪がずいっと体を寄せた。
「二人で使ったら沈んでいきそうだし、やめておく」
両手を広げて南が苦笑し、ラウラの方を向き直った。
「それにしてもラウラ、その小さなダルマで体が浮くのか?」
南が、セシリアと同じことを聞いた。
「心配するな、嫁よ……それに、コイツは日本の心を宿している!」
目を閉じて満足そうにダルマの浮き輪を差し出すラウラ。
南は何を言っているんだと、頬を掻く。
「まぁ、確かに日本っぽいと言えば、そうだよね」
シャルロットがフォローすると、一夏が頷いた。
「ああ、ラウラもそういうの選ぶってことは、日本人の感性に馴染んできたってことだよな」
「俺のおかげかもしれないな。自分の影響力が怖い」
南が誇らしそうに言う。
どう考えても、反面教師的な意味にしか捉えられない七人。
「朱に交わっても、赤くならなかったって訳ね」
鈴が肩をすくめた。
やれやれと首を振る。
「逆だろ? 俺のような立派な和の心を持つという意味では、朱に交わってちゃんと赤くなったんだ」
「たまに……南がどこまでそういうことを本気で言っているのか、分からなくなることがある……」
簪が困った顔をして言った。
「私もだ」
「俺もだ」
箒が頷くと、南も続いた。
全員が「お前が言うなよ」と心の中で叫ぶが、南は涼しい顔をしている。
「あー、おりむーだぁ」
そんな間延びした声に振り返ると、そこにはのほほんさんを筆頭に、クラスメイト数人の姿があった。
流れるプールを大きなバナナボートに跨り、のんびり流れてきている。
「おう、のほほんさん」
一夏が笑いかけ、南は軽く手を挙げた。
楽しそうに流れているクラスメイトの顔を見るのは、夏休みということもあってか久しぶりだった。
「みなみんもいる~」
「専用機持ちの皆も一緒ね!」
のほほんさんに続いてそう笑った、クラスメイトの谷本癒子は南達の方に指を向ける。
「IS学園の娘、結構来てるからねー。皆もいると思ったよ」
「そうか……なら、織斑先生とか山田先生がいてもおかしくないな」
「千冬姉が? どうだろな」
一夏がきょろきょろと辺りを見ていると、プールサイドに上がってきたのほほんさんが、一夏の腕を掴んだ。
「おりむーも、一緒にあそぼ~」
「え、いや、ちょっ」
何かを言う隙も与えず、一夏は流れるプールに引きずり込まれていった。
「わー! 織斑君の襲来だー!」
そんな声を皮切りに、一夏がどんどん流れていく。
手を振ってそれを見送っていると、クラスメイトも手を振り返した。
「惜しい奴を亡くした」
「ねぇ、南」
苦笑すると同時に、背後からシャルロットの声がした。
どこか嫌な予感を覚えながら振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべる六人が。
その笑顔は非常に可愛らしいが、不安は募っていくばかり。
「えへへ……えいっ」
シャルロットが笑うと同時に南の胸元を押す。
「お、おいっ」
さらに連続して皆に押され、南は為す術もなくプールに落ちた。
大きな水飛沫が飛び散り、快活な笑い声した。
続いて六つの水音が響き、水飛沫が飛ぶ。
水面に顔を出した南は手で水気を拭った後、両手で六人に水をかけた。
小さくも楽しそうな悲鳴を合図に、水がまた飛び交った。
『プールには飛び込まないでください』と係員が、拡声器越しに怒鳴っている。