「嫁のISでは、ここまでは届かないだろう!」
ラウラが高度を上げながら笑う。
肩のレールカノンを放ち、地上を走る南を捉えんと照準を動かし続けた。
走りながら、ラウラを見上げていた南は一瞬目を切ってから、ターン。
体の向きを変え、逆に走り込み、跳んだ。
「なっ!?」
異常な高さまで跳び上がった南に、ラウラが目を丸くした。
ISの標準装備である飛行機能がない『フィアー・スパイダー・ロージング』が、今まさに上空高く舞うラウラを捉えようとしていた。
―——跳躍。
それは、クモ類最多種別『ハエトリグモ』の得意技である。
獲物を発見し、狙いを定めると同時に脚部血圧が上昇。
自身の20倍もの高さまで跳び、捕食する。
その脅威の跳躍力からか、ハエトリグモは英名を『ジャンピング・スパイダー』という。
「くっ!」
AICを起動させようと、右手を伸ばすがもう遅い。
ハエトリグモが跳躍した時には、もう勝負はついている。
夏休みが開けた。
その初日から、実践演習をやらされていた南は、更衣室で一人項垂れていた。
「久しぶりすぎて疲れた……」
長い休暇の間、ほとんど体を動かしていなかった南。
既に千冬から、先に上がっていいと言われ、更衣室に入ってから五分は経ったが、軽く息が切れていた。
「っ!」
息を吐いた瞬間、背後に気配を感じた。
仕舞っていたナイフを素早く抜き、立ち上がる。
振り返ると同時に構えた。
「ありゃ、気付かれちゃった?」
少女が立っている。
簪と同じ髪の色。制服の上着をベスト風に改造してある少女は、悪戯がバレた子供のような笑顔を南に向けていた。
「アンタは? 『組織』の人間か?」
南の低い言葉にも、少女の表情は変わらない。
懐から、閉じられた扇子を取り出した。
「そうだとしたら、どうする?」
楽しそうな顔に、愉快気な声。
南の警戒度が高くなる。
「目的を言ってもらう。何しに来た?」
「さて、なんでしょう?」
両手を広げた少女に、南はナイフを仕舞った。
低くしていた姿勢をやめ、立ち上がる。
「言う気がないならいい」
南は冷たく言って、自分の荷物を手にして背を向けた。
更衣室を出ようと少しだけ歩くが、ふと立ち止まる。
「やっぱり一つだけ聞いていいか?」
「うん、いいわよ。なーんでも聞いて?」
甘い声を出す少女だが、南は振り返ることもしない。
「アンタは何の虫だ?」
「は? 虫?」
素っ頓狂な声を出す少女。
流石の南も、その反応には眉を顰めて振り返った。
「いやだから、アンタも虫だろ?」
「………………」
目を丸くしていた少女だったが、次第にその目つきが鋭くなる。
「おねーさん、初めてだわ……初対面の男の子に、虫呼ばわりされたのは………」
肩が震えていた。
それが怒りから来ているものだというのは、容易に分かる。
「違うのか?」
南が首を傾げると、同時に少女が跳ねた。
一瞬にして南との距離を縮め……ようとして、失敗した。
何かに足を引っかけ、盛大に転んだのだ。
それが、南が仕掛けた糸であることは言うまでもない。
「……大丈夫か?」
南が笑いを堪えながら言った。
少女は動かない。
「あ、もうこんな時間じゃないか。次は織斑先生の授業なんだ。失礼する」
付けてもない腕時計を見るフリをして南は駆け出した。
その翌日。
全校集会の為、生徒がホールに集められていた。
腕を組んで、前方を見つめていた南の肩がちょんちょんと突かれる。
「ん?」
振り返ると、箒が心配そうに南を見つめていた。
「どうした、箒」
組んだ腕はそのままで、笑いかける。
箒は頬を赤くしていたが、薄暗いホールではそれも目立たない。
「い、いやな……難しい顔をしていたから、どうかしたのかと……」
ボソボソと恥ずかしそうに言う箒。
南は笑みを崩さずに答える。
「何も心配することはない。ただ昨日、謎の女生徒と更衣室で遭遇してな」
「女生徒?」
「ああ、『組織』の人間かと聞いたら、何も答えなかったんだ。だから何の虫か、と聞いたら走り込んで来て、で転んだ」
「意味が分からん」
箒が頭を抱える。
「いきなり組織とか、虫とか言っても分からないよ、南」
南の隣でシャルロットが言った。
「南が蜘蛛で、沖……さん? がゴキブリ。大きなスキンヘッドの人がオオスズメバチ……『組織』は皆、虫の能力を持っているって……僕たちは教えてもらったから知ってるけど、その女生徒さんは分からなかったんじゃないかな」
「じゃあ、どうして俺が『組織』の人間か? と聞いた時、否定しなかったんだ?」
「まさかそんなに危ない集団だとは思わなくて、南をからかってるつもりだったんだよ……ここでは、男の子は特別なんだから」
シャルロットが諭すように言うと、それはまさに母親に軽く叱られているような気分だ、と南は思った。
自然と腕を組むのをやめ、後ろに回す。
「何も知らない女の子に虫って……南は酷いことを言ったんだよ?」
「すぐに名乗らないアイツが―――」
「南?」
「……俺が悪かった」
ますます怒られている感が強くなって南は拗ねた表情をする。
「まぁシャルロット、許してやれ。嫁だって反省しているんだ」
そんな南に助け舟を出したのがラウラだった。
シャルロットの肩を軽く叩く。
「嫁、反省しただろう?」
「ああ」
二度三度頷く南。
その真剣な表情にシャルロットと箒は笑いそうになる。
「では、次に会った時はちゃんと謝るんだぞ」
「分かった」
「南はやれば出来る子だからな」
南が頷くと、前に立っていた一夏が振り返って言った。
一連の会話を聞いていたのか、ニヤニヤしている。
「そうだ、昔からそう言われて育ってきた。『蜘蛛』も俺のことはそう言って育てたんだ」
胸を張る南に、一夏の表情が曇った。
「皮肉で言ったんだよ」
「なら、分かりやすく紙にでも書いてくれ」
南が言うと、スピーカーから声がした。
『それでは、今月行われる文化祭について、生徒会から説明させていただきます』
そんな声で、騒がしかったホールは静まり、全員が前方の舞台を向く。
すると、袖から足音を立てながら、ゆっくり歩いてくる少女が。
壇の前に立つと、そこに手をついた。
「昨日はすみませんでした」
南が小声で言って頭を下げた。
「えっ?」
シャルロットが、驚いた声を出す。
箒とラウラも同じだった。
「あの人だ」
南は頭を軽く振って、壇上の少女を指した。
「昨日、更衣室で会った」
「さてさて、今年は色々と立て込んで、ちゃんとした挨拶がまだだったね。私の名前は更識楯無……君たち生徒の長よ。以後、よろしく」
南は出来るだけ目を合わせないようにしていた。
バレないようにしていると、緊張で何を話しているのかも分からない。
笑顔で挨拶した彼女の容姿は、異性同性関係無く魅了するらしく、あちこちから熱っぽいため息がした。
「では、今月の一大イベント学園祭だけど、クラスの出し物は皆、頑張って決めるようにね」
軽く目を伏せて、袖へと戻る間際、楯無と目が合った。
南がしまったと、思った時にはもう遅い。
強く睨まれ、そのまま袖へと消えて行った。
「さっきの謝罪は聞こえなかったか」
南が肩を落とす。
「それでは、わたくしたち一年一組の出し物は、この中から決めますわよ!」
セシリアが黒板を叩いた。
「神代 南and織斑 一夏のホストクラブ」
「神代 南and織斑 一夏とツイスター」
「神代 南and織斑 一夏と王様ゲーム」
「神代 南and織斑 一夏がポッキーゲーム」
列挙された案に、一夏が立ち上がった。
「決めますわよ、じゃなーい!」
えーっ! と非難の声が飛び交う。
一夏は一瞬怯んだが、それでも態勢を立て直した。
「百歩譲って、最初の三つはまだいいよ! 最後! 俺と南がポッキーゲームしてどうすんだよぉ! 流れで言えば、俺達と客がやるんじゃないのか!?」
「分かってないな~、織斑くんは!」
「そうそう」
「男の子二人がやるからいいんじゃない」
女子のそんな声に、一夏の表情は歪むばかり。
最前列で一夏が抗議する中、南は一番後ろの席で腕を組んでいた。
「嫁は抗議しなくていいのか?」
隣のラウラが言う。
「効果はなさそうだ」
そう言って、椅子を後ろ足の二本で支えて、教室後方のロッカーに倒す。
プラプラとしながら、その隣で頭を抱えていた千冬の方を向いた。
「織斑先生は、一夏とツイスター派ですか?」
「馬鹿なことを言うな……はぁ、どうして私の受け持つクラスはこうも馬鹿ばかりなんだ」
教室はどんどんとヒートアップしていき、騒がしくなる。
あれがいい、これがいいと無法地帯のようだ。
「どうにかしてこい」
千冬が頭を抱えながら、ため息をつく。
「どうやって」
南が教室を見渡しながら言った。
「それは自分で考えろ。市民が『犯罪を減らしてください』と頼んで、警官が『どうやって』なんて聞かないだろ」
「確かに」
「ふん」
納得した南に満足した千冬。
すると、ラウラが小さく手を挙げた。
「ラウラさん? 何か意見がありまして?」
「メイド喫茶はどうだ?」
セシリアが尋ねると、ラウラが続けた。
「客ウケはいいだろう。それに、飲食店は経費の回収が行える」
熱くなっていた一組が、そんな冷静な意見に落ち着きを取り戻した。
「俺の優秀な夫が、やりました」
自信に満ち溢れた顔で千冬を見る南。
千冬は、冷たい眼差しで南を見下した。
一夏が席につき、その隣でシャルロットが顎に手をやった。
「うん……いいんじゃないかな。南と一夏には、執事か厨房を担当してもらえばオーケーだよね?」
「メイド服どうする? 私縫えるけど、全員分はちょっと……」
クラスメイトの岸原 理子が苦笑いする。
「どこかから借りないといけないかな?」
「それだと、経費がかなり必要になるね」
一つが決まれば、また別の問題が生じる。
ラウラもそれは確かに大変だ、と眉を顰めた。
「俺にアテがある」
そう言って立ち上がったのは南だった。
え……と驚きの声が上がった後、少し引いたような冷たい、え……が聞こえる。
「……変な趣味はないぞ?」
奇異の眼差しを向けられ、南が慌てたように手を振った。
隣で千冬が笑いを堪えている。
夏休みに、コスプレ喫茶で強盗犯が立て籠もる事件が起こった。
その現場に居合わせた南は、アルバイトの少女の命を助け、その娘の財布を届けたことがある。
店のコスチュームには、メイド服もあった。
それを利用しない手はない。