翌日の土曜日。
この日は授業が午前中で終わることもあってか、学園祭の準備日に当てられた。
南と一夏は、朝早くから例の店に行き、メイド服を借りれるよう頼み込んでいた。
店長と、朝にも関わらずアルバイトに来ていた件の少女は、メイド服の貸し出しを快く承諾。
クラスメイトに頼まれた備品を適当な雑貨屋で購入し、昼食を摂ってから、午後にはIS学園に戻ってきた。
職員室で経費の残りを返すため、廊下を歩く。
差し入れとして買っておいたペットボトルのジュースの重さに、南の視線は自然と下がっていた。
「千冬姉だ」
一夏が正面を見たまま呟いた。
つられて南が前を見ると、確かに千冬がファイルを両手で抱えたまま、こちらに歩いてくる。
「何か用かな」
「心当たりがあるのか?」
「中学の時に、千冬姉のスーツに醤油をこぼしたことがあるんだ。今も秘密にしてる」
「多分それだ」
南が微笑むと同時に、千冬との距離が重なった。
「メイド服の調達と買い出しから、ただいま帰ってきました」
一夏が軽く頭を下げ、南は微笑を浮かべたままだった。
「ああ、ご苦労。山田先生に経費の残りを渡してくれ」
千冬はそれだけ言って、二人とすれ違う。
思わず立ち止まって振り返った。
「なんか……元気なかったな」
「元気がある所を見たことがないが、確かに何か考え事をしている顔ではあったな」
小さくなっていく背中をしばらく見つめていた二人だったが、肩をすくめてまた歩き出した。
「はぁ、重かった……」
職員室に立ち寄り、真耶に経費を返した後、教室の前まで来て一夏がため息交じりに言った。
「格好つけて差し入れなんて買うんじゃなかったな」
南も涼しい顔を作りながらも、腕がプルプルと震えている。
そんな腕で教室の扉を開けた。
「おかえりなさいませ! ご主人様」
扉を開けると、クラスメイト数人が横一列に並び、声を揃えて頭を下げた。
急なことと、声の大きさに二人して肩を震わせた。
「な、なんだ……?」
一夏の困惑した声が聞こえた後、見慣れない女性が一歩前に出た。
綺麗なメイド服を纏い、同級生というよりは明らかにいくつか年上のお姉さんというのが正しいだろうか。
「最初に比べれば、かなり良くなりましたが、まだまだな部分が多々見られます」
短い髪を少し揺らしながら、クラスメイトを端から指さしていく。その中には箒やシャルロット、ラウラも居た。
「あなた、頭を下げる角度が浅いです。そちらの方は、もう少し丁寧に……」
南と一夏は困惑したまま、顔を見合わせた。
そんな二人を見て、教室の隅にいたセシリアが駆け寄ってくる。
セシリアの他にも、横一列に並ばされている女子以外は、台紙に何やら書いていたり、ここをどう使うかなどを真剣に話していた。
「南さん、おかえりなさいませ」
「お、おう……セシリア、あの人は誰だ?」
適当な机にペットボトルの入った袋を置き、手をブラブラさせる。
一夏もそれに続いた。
「ああ、彼女はチェルシー・ブランケット。わたくしの幼馴染にして、専属のメイドですわ」
嬉しそうに話すセシリア。
「どうしてセシリアの専属メイドがこんな所に?」
「わたくしが代表を務めるクラスで中途半端は許しませんわ。やるからには徹底的に! そう、メイド服を着るのならば、メイドの心得を徹底的に皆さんに叩き込んでもらうのですっ!」
拳を握りしめて目を燃やすセシリアに、一夏は苦笑した。
南も小さくため息をつく。
「そ、そうか……皆、大変だな……」
「例の喫茶店で衣装は借りられそうでして?」
「ああ、普通の営業日にも使うから早くには来ないが、三日前には届くようにしてくれるらしい」
セシリアが聞くと、南はゆっくり頷いた。
「終わったらすぐ返送すればいいとも言っていた。クリーニングもしなくていいとは、助かるな」
「まぁ! 良かったですわ」
笑顔になったセシリアに、一夏が袋を差し出した。
大量に入ったペットボトルが今にも弾けそうになってる。
「これ、買ってきたんだ。良かったら皆で飲んでくれ」
「あら、では少し休憩にいたしましょうか」
そう言うと、セシリアは振り返って手を叩いた。
休憩を告げると、皆が激しく息を吐きながら、座り込む。
「よっぽどスパルタだったんだな」
南が適当な椅子に腰かけた。
「それにしても流石、お嬢様。やっぱり本物のメイドっているんだな~」
一夏もそんな南の隣に腰かけた。
ふむ、と一つ頷いて南が言う。
「いや、実際は違うかもしれないぞ。実はメイドじゃないかもしれない」
「あれだけちゃんとしたメイド服を着ているんだから、間違いないだろ」
「サンタクロースの恰好をしている男の大半は、サンタクロースじゃない」
自信ありげに言う南。
一夏は何を言ってるんだ、と頭を抱えたくなったが、仕方なく話を合わせることにした。
「でも南が言うなら、そうなのかもしれない」
「俺がいくら言っても蜘蛛は昆虫じゃないがな」
「確かめようか」
「蜘蛛をか?」
「違う違う、メイドかどうか」
それだけ言って一夏は立ち上がる。
大股でメイドのチェルシーの方へ向かった。
「余計なことを言ってしまった……」
南は重い腰を上げて、一夏に続く。
「織斑一夏様と、神代 南様ですね……お初にお目にかかります。わたくし、セシリアお嬢様の専属メイドとして仕えさせて頂いております、チェルシー・ブランケットと申します。以後お見知り置きを……」
彼女の目の前で立ち止まると、チェルシーは小さく笑い、頭を下げた。
丁寧な挨拶に二人して戸惑ってしまう。
「あ、あはは……よろしくお願いします……」
一夏が後頭部に手を当てて言った。
先程までの積極性はどこに行ったのか、困った表情をしている。
「彼女は本物だな」
南が悪びれもなく言う。
「本物……?」
チェルシーが首を傾げた。
何と言うべきか一瞬迷ったが、南は正直に話す。
「チェルシーさんが本物のメイドかどうか、と話してましてね。どうやら偽物ではないようだ」
作った笑顔で言う南にも、チェルシーは柔らかい笑みで返した。
「あら、そんなにメイドには見えませんか?」
「い、いや! そんなことないですよ! す、凄くメイドっぽいと思います」
一夏が慌てた様子で手を振る。
「ほらな、南。言った通りじゃないか」
「制服というのは、判断を狂わせるんだよ。こういう話を知ってるか?」
「ん?」
「外国のあるギャングがな、ふざけて警官の恰好をして仲間に会ったんだ。どこかで入手した、ちゃんとしている制服を着てな」
「どうなったんだ?」
そう訊ねた一夏に、南が答える代わりにチェルシーが一歩前に出た。
「姿を見せた途端、頭を撃ち抜かれたのです」
「そうらしい」
チェルシーの答えで間違っていなかったため、南が頷く。
一夏が笑い飛ばす。
「まさか。たかが制服くらいで」
「外見は大事だという例だよ。俺が警官の恰好をしていたら、お前は間違いなく敬礼しながら道を訊ねるだろうな。俺だと気付かずに」
「あり得ない」
首を振る一夏に、南とチェルシーは顔を見合わせて笑った。
すると、チェルシーの背後からクラスメイトが一夏を呼んだ。
「織斑くん! メニューなんだけどね……」
「悪い、呼ばれたから行ってくる」
「ああ」
南が頷くと、一夏は軽く手を挙げてクラスメイトの方へ。
「神代 南様……お嬢様より、お話はよく伺っております」
「そうですか。悪いように言われてないといいが……」
「いえいえ、お嬢様は神代様のことを大変……」
「チェ、チェルシー!」
彼女が何か言いかけるが、その前にセシリアが詰め寄ってきた。
物凄い剣幕に、南が後ずさる。
「お、おほほ……南さん、買ってきてくださったお飲み物、大変美味しいですわ」
引き攣った笑いを浮かべるセシリアの何も言わせない勢いに、南も頷くしかない。
「そ、そうか……それは良かった。たくさん飲んでくれ」
「ええ、ちょうど喉が渇いていたものですから! まさに恩人ですわ!」
「でもこれって一夏が買って行こうって言ったんでしょ」
少し離れた所で休憩していたシャルロットが、座り込んだまま言った。
南がそんな彼女を軽く睨む。
「どうしてそう思うんだ?」
「南だったら、『恩人です』ってわれ先に言いそうだもん」
「そうだな。俺は常に誰かの恩人だ」
南が意味不明なことを言いながら胸を張ると、そんなシャルロットの後ろで一夏が苦笑していた。
その手には、メニューを書くために用意された台紙が握られていた。
よく見ると、『皮肉だぞ』と書いてある。
「それで、セシリアの専属メイドさんがウチのクラスに来てるんだ」
「そうなんだ……」
南が、ゴミとして出た段ボールを片付けるため、ゴミ捨て場へと向かう途中に、簪と出会った。
どうやら彼女も目的は同じらしく、二人肩を並べてゴミ捨て場へと向かう。
(えへへ……南と二人きり……久しぶりだな……)
簪は緩む表情を隠すこともなく歩く。
無意識に南との距離は近くなる。
「あ……」
南が前方の人影を見て、足を止めた。
少し遅れて簪は振り返る。
「どうしたの?」
ゴミ捨て場があるのは校舎裏であり、人影はない。
だが偶然現れたその人は、まさしく今、南が一番会いたくない人物だった。
「生徒会長さんじゃないか」
「え……」
南に声につられて簪が前を向く。
二人の前方に姿を現した生徒会長……更識楯無もまた、南に気が付いたのか表情を固くした。
しかし、その隣に立つ簪を見て、困惑した表情になった。
「あー、ごほん」
わざとらしい咳払いをして、南は一歩前に出た。
慎重な小動物のような足取りになる。
「生徒会長さん? 実はですね……」
「き、君ねぇ……」
南の声を遮って、楯無が震える声を出した。
「はい?」
「簪ちゃんと、こんな所で何してるの……」
震えは声だけでなく、肩を通して体の震えとなり、やはり怒っているのは容易に分かった。
「簪ちゃん?……知り合いか?」
南は一歩下がった位置にいる簪の方を振り返る。
「あの人は……私の、お姉ちゃん……」
「え? じゃあ、更識って苗字なのか?」
「……昨日の集会で、何を聞いてたの?」
簪が不思議そうに首を傾げた。
目を合わせないように工夫していたため、それどころではなかったとは言えず、南はどう答えるべきか悩む。
「実はだな……」
「簪ちゃんと仲良く話して……君、この子に虫とか言ったら承知しないわよ!」
「俺が『実は』と言ったら、アンタが割り込むシステムなのか。そういうことは、もっと早く教えてくれ」
面倒臭くなってきた南が適当に返した。
簪もまた、虫という単語に首を傾げる。
「虫……?」
「この人と初めて会った時な、『組織』の人間かと思って何の虫か尋ねたんだ……そしたら、どうやら侮辱する意味に捉えられたみたいで……」
小声で説明する南に、簪は頭を抱えた。
「私たちは、『組織』のことも、南の言う虫が何を指すのかも知ってる……でも、何も知らない女の子に、虫とか言っちゃ、駄目……」
簪の諭すような言い方は、まるで母親に怒られているような気分だ、と南は昨日に引き続き思った。
拗ねた表情はせず、段ボールを無意味に持ち変えたりする。
「その件についてはもう反省したぞ。シャルロットに怒られて、ラウラが許してくれた」
「……?」
何を言っているのか分からず、簪は目を丸くした。
「簪ちゃん?」
置いてけぼりだった楯無が、小さな声で言った。
「あー、えっと……この子とは、どういう関係なのかなーって……お姉ちゃん、気になるなぁ……」
南が聞いたこともない甘い声で優しく尋ねる楯無。
簪もまた南には見せない暗い表情をした。
「お姉ちゃんには、関係ない……」
低い声で言うと、南の袖を掴んだ。
「行こ、南」
「あ、あぁ……」
よく分からないまま引っ張られる南。
すれ違いざま、勝ち誇った表情で楯無に笑いかけた。
その表情に怒りが爆発した楯無は、南のもう片方の腕を掴んだ。
段ボールが廊下に散らばる。
「簪ちゃん? この子、ちょーっとお姉ちゃんに貸してくれない?」
「駄目……その手を、放して」
姉妹に両手を取られた南は、腕を広げた格好のままため息をついた。
「どうしてこうなったんだ……」
「南のせいっ」「君のせいよ!」
両サイドからの怒声に、南は肩を震わせる。
「ふんっ」
楯無は不機嫌そうに手を放して、そのまま腕を組んだ。
南はよろけた勢いで、簪に体を寄せる。
「ちょっと! 何、簪ちゃんとくっついてるのよ!」
「いや、これはどう考えてもアンタが急に手を放すから……なぁ?」
そう言いながら、南は簪の方へ視線を移す。
簪は顔を赤くして俯いたまま、小さく頷いた。
「くぅ……勝負よ」
歯を食いしばった楯無は一拍置き、努めて冷静な口調で言った。
「は?」
南が素っ頓狂な声を出す。
簪もまた、照れた表情をやめ、楯無に向き直った。
「どうも今年は私も舐められてるみたいでね……生徒会長がIS学園に置いて何を意味するのか……大勢の生徒の前で教えてあげるわ」
「ま、待って、お姉ちゃんっ……」
「明日のお昼。第三アリーナで待ってるわ……逃げないでね?」
慌てた声を出す簪を無視して、楯無は一方的に告げる。
最後に笑顔を作った後、踵を返した。
「明日は一夏とラーメン屋巡りをするつもりだったんだがな……」
楯無の後ろ姿が見えなくなると、南は小さく呟いた。
「い、今からでも……」
「ん?」
消え入りそうな簪の声。
その苦い表情に、南も顔をしかめる。
「今からでも、謝りに行かないと……」
「どうしてだ?」
「IS学園の生徒会長……それが意味するのは、学園最強。南でも、お姉ちゃんには……勝てない……」
簪の低い声が、校舎裏に続く廊下に響いた。
誰もいない廊下には、先程までの三人の騒がしい声などなかったようだった。
どこか泣き出しそうな簪の表情を見て、南は彼女の頭に手を置いた。
「俺の相手は、そんな奴ばっかりだった」
「え……?」
「『組織』が仕向けてきたのは、めぐみ……『ゴキブリ』だけじゃなく、色んな奴が居て、一番足が速いだの、これをやらせたら一番だの……」
南は苦笑する。
「その中には最強の虫もいたんだ。まぁ自称だが、確かに強かった……」
「……勝ったの?」
「いや、邪魔が入って、曖昧なまま終わったんだ……まぁ、何が言いたいのかと言うと……」
簪の頭に乗せた手を退けて、廊下に落ちた段ボールを拾い上げる。
伸びをして、首を回した。
「『蜘蛛』が俺に教えてくれた……敵がどれだけ強くても、どれだけ多くても……意のままになりはしない。「
それだけ言って歩き出す南。
簪はしばらくの間、そんな彼の後ろ姿を見つめていた。