日曜日にも関わらず、IS学園は賑わっていた。
第三アリーナには多くの生徒が座りこみ、その時を今か今かと待っている。
食堂や他の教室でも、設置されたモニターを生徒のみならず教員も、目を離さずにいた。
「大丈夫か? 楯無会長は、学園最強なんだろ?」
控室で着替えていた南に、一夏が不安そうに聞いた。
特に気にする様子もなく、南は坦々と用意を進める。
「そうらしいな。俺も昨日、色々考えたが……まぁ、やるだけやってみる」
それだけ言うと、南は勢いよく立ち上がり、軽く跳ねた。
不安げな一夏を尻目に、ゆっくり外に出る。
南が出てきた瞬間、歓声が上がり、アリーナが震えた。
「逃げずに来たのは褒めてあげるわ」
既に自身のISを展開していた楯無が不敵に笑った。
「アンタが逃げるなって言ったんだろ」
ナイフを手で撫でながら、南も余裕を感じさせる笑みを浮かべる。
その表情にも、楯無は動じなかった。
小さく笑い、相対する二人。
「本音、お願い」
楯無が言うと、どこからともなく、のほほんさんの声が聞こえる。
「はいは~い、それじゃあ、はじめ~」
間延びした声に、気が抜けそうになるも、南は走りこんだ。
楯無は姿勢を変えることもなく、立ち尽くしたまま。
「……?」
南が怪訝そうな顔をすると同時に、楯無が右手を伸ばした。
すると、IS側部に左右一対で浮遊しているパーツから大量の水が放出された。
水の塊を避けようと、南が体を転がす。
しかし、楯無の放った水はまるで彼を追尾するように、進路を変えた。
「なっ!?」
南の顔が驚きに染まった瞬間、水がその体全体を包み込んだ。
全身を覆われ、南は息も出来ない様子でもがく。
「私のISはミステリアス・レイディ……ナノマシンで構成された水を操る能力よ」
笑顔で言う楯無だが、南は口元を手で覆い、足をバタつかせるだけ。
呼吸が出来ない水中において、どうすることもなく体を揺らすしかなかった。
ISとは、様々な外部パッケージを取り込むことで、あらゆる環境において、その力を発揮出来るようになっている。
当然、それは水中でも例外ではない。
しかし、代表候補生はじめ、兵器として運用されているほとんど全てのISは、その限りではないのだ。
「おねーさんもね? 大人げないとは思うのよ?」
芝居がかった悲しげな表情を作る楯無。
眉を顰め、大げさな動きをする。
「でもね……」
しかし、一変……嗜虐的に笑い、苦しむ南に向き直った。
「学園最強を虫呼ばわりして、大事な妹にまで手を出されて……舐められたままじゃあ、いられないのよ」
「神代君でも、生徒会長には勝てないのかな……」
「ね、ねぇ……あれってヤバくない?」
「これって模擬戦だよね?」
アリーナがざわめきだした。
そんな生徒たちよりも、気が気でないのは一年の専用機持ち七人だ。
「南、かなり苦しそうにしてるけど……ってか、水の中で息なんてできないでしょ!?」
鈴が隣のラウラの肩を掴んだ。
「な、長くない?……もう三分は経ったわよ……」
「落ち着け鈴……嫁のことだ。きっと何か策があるはず」
余裕のない声を出す鈴の手を退かすラウラもまた、不安げな表情をしていた。
「駄目かもしれない……」
シャルロットが今にも泣きだしそうに言う。
「だ、駄目って……何がだ?」
箒の問いかけにシャルロットは目を伏せた。
「以前ね……南が言ってたんだ。糸は、空気に触れてピンと張ってないといけなくて……水の中での生活に適応した蜘蛛は、いないって……」
そんな言葉で、更に不安と焦りが浮かんだ。
セシリアが立ち上がる。
「と、止めませんと……」
「私も、行く」
簪も続いたが、その瞬間、一夏が指をさした。
「あっ」
視線を戻すと、南を覆っていた水が激しく散ったのが見える。
「さーて、これ以上は流石に危ないし、このくらいにしてあげようかな」
楯無が言うと同時に、伸ばしていた右手の指をパチンと弾く。
すると、水が弾け散り、ゆっくりと南が倒れこんだ。
ゲートのすぐ傍まで来ていた教員が足を止めた。
それを見て、楯無が苦笑いする。
「やり過ぎちゃったかしら? 先生方、ごめんなさい」
可愛らしく舌を少し出して片目を閉じた楯無は、左手に持っていた専用の大型槍「
軽い足取りで南の元まで行き、腹部に槍を差し込み、持ち上げる。
ぐったりとしたまま動かない南は、されるがまま完全に脱力していた。
「ありゃ……ちゃんと時間は測ってたし、大丈夫だとは思ったんだけどねぇ……」
変わらず明るい口調で言う楯無であったが、アリーナの歓声ではないざわつきに表情を曇らせる。
「本当にやり過ぎたみたいね……反省反省。すいませーん、先生方……」
この子お願いします……と続けたかったが、槍を通して伝わる振動と、アリーナからの歓声、そして死者を見たかのような悲鳴に、楯無が目を丸くして視線を戻した。
「よぉ、やっと油断したな」
目を大きく見開き、左手で蒼流旋を握る南。
動揺はした。しかし、学園最強。
それでは終わらない。装備されている四門のガトリングを放つ。
だが、こちらもまた一匹の蜘蛛。
一瞬の油断、僅かな隙……それさえあれば、反撃するのは容易であった。
銃弾が放たれるよりも早く体を捻じり、ナイフを振るう。
「くっ!」
後退した楯無が左手を振るうも、思うようには動かない。
糸が巻き付き、それは腕から体へと移行する。
「あれだけの時間、水の中にいてどうして……」
水中での呼吸停止は、血中の二酸化炭素濃度の増加が著しい。
意識を失うまでにかかる時間は、わずか三分である。
楯無はナノマシンで構成された水を総動員し、南を捉えようとする。
しかし、そんな水をもろともせず、突進しナイフを振るう南。
アリーナのシャルロットが「良かった……けど、どうして……」と呟いた。
水中での生活に適応した蜘蛛は存在しない。
だが、
―――水中に特別な環境を作り、生活する蜘蛛が、存在する。
『ミズグモ』
約35000種が知られるクモ目において世界で唯一、水中生活をする蜘蛛である。
糸を重ねることで形成される膜でドームを作り、そこに空気を蓄えることで、水中での活動を行い、その中では休息を行う他、捕食や出産までも可能にしている。
この蜘蛛が水中生活に完全適応していないと言われる所以は、時折り陸上に出て体を乾かさなければならないからである。
形態的には水中生活にふさわしいような特徴があまりないことや、長く水底に沈めたままにすると、溺死することが確認されていることからも、この種の進化過程は謎に包まれている。
南は、超高密度で編み込まれた糸を用いた簡易酸素ボトルを使用していた。
編み込んだ糸の結束をわずかに緩めることで球状の小さな空気袋を作り、ストロー状に変形させた糸で、その中の空気を吸う。
これにより、敵に……楯無に気取られることなく、水中での延命を可能にしていたのだ。
距離を詰めた南であったが、驚きと苦渋に顔を歪めていた楯無の小さな笑みに気付いた。
「こんな使い方、普通はしないんだけどね……君は特別よっ」
片目を閉じた楯無は、すかさず指をならした。
すると南の体に付着していたものや、辺りに散乱していた水が霧状に散布。
発熱により、急速にその温度を上げて水を気化させ、軽い爆発が複数巻き起こった。
本来は狭い室内など、密閉された空間でこそ真価を発揮する「クリア・パッション」という技だが、相手にわずかでも水が付着しているのなら、それでも攻撃として成り立つ。
有用性の高さもまた、この技の強みであった。
一回の爆発で南は苦しげな声を出すも、素早く左手を動かす。
蜘蛛の糸を纏い、防護服としていても、衝撃はある。
しかし、爆発の反動を利用して強く引かれた左腕は、楯無に巻き付いている糸を引っ張るには大きな助力になった。
「ひゃんっ」
糸によって引っ張りこまれた楯無を強く抱いた南。
高い声を上げながら、わずかに頬を赤くした楯無の高い声が漏れる。
「俺だけがこの爆発を受けてたら、勿体ないだろ?」
南がそう言う間にも、クリア・パッションによる爆発は続いていた。
「ちょ、ちょっと離しな、さいっ」
「道連れだ」
辺りに散った水も爆発を起こし、砂煙が舞っているため、二人の様子はアリーナからは伺えなかった。
どうなってるの、という声が響く。
爆発が止み、砂煙が晴れる頃、南は楯無から体を離した。
「虫とか言って、すみませんでした」
「え……?」
腕の力を緩めながら南は小さく言うと、そのまま倒れこむ。
同時に砂埃が晴れ、そこには地面に大の字で倒れる南と、ただ立ち尽くす楯無の姿があるだけだった。
歓声が響く。
体を仰向けに倒して、空を見上げた南。
「ラーメン、食べたかったな……」
それだけ呟いて、目を閉じた。
IS学園の医務室、そのベッドの一室に南の姿はあった。
周りを取り囲むように、専用機持ちが並び、誰が看病するかどうとか騒いでいる。
「あの……とりあえず、もう部屋に戻っていいか? たかだか一試合、模擬戦やっただけでこんな所で寝かされてたら何も出来ないだろ……」
南が体を起こそうとすると、両サイドの箒と鈴に肩を強く押された。
「駄目だ」
「駄目よ」
安静にしていろ、と掛け布団まで体にかけられる。
「助けてくれ一夏」
「無茶言うなよ……」
一夏が肩をすくめると、医務室の扉が開いた。
全員の視線が向けられる。
「お、お前は……」
「お姉ちゃん……」
ラウラと簪の表情が歪んだ。
医務室に入ってきた楯無は、そんな二人を無視して、ズカズカと南が寝ているベッドまで来た。
「……わざとでしょ」
「え?」
目を伏せたまま楯無が言うと、シャルロットの声が漏れた。
「何がだ?」
南も続く。
楯無は真剣な眼差しを向けた。
「さっきの試合、わざと負けたでしょ? あのまま続けてたら君が勝ってたのに、どうしてかなって……」
互角に戦った末の決着だと思っていた七人は、そんな楯無の言葉に目を丸くする。
そんな様子を気にすることなく、南は再び体を起こして体を伸ばした。
「学園最強が一年のガキに負けたら面目が丸つぶれだろ。それに、あのまま続けても俺が勝ってたかなんて分からない」
ベッド脇に置いてあった自分の靴を履き、医務室を出ようと足を踏み出した瞬間、先程の戦闘での疲れからか、足元がふらついた。
「おおっと」
ふらふらと、おぼつかない足がもつれ、南は体を倒す。
ベッドに倒れ込むのが正解ではあったが、体が倒れる向きも修正出来ず、南の体は楯無の胸元に着地。
「「「「「「ああっ!」」」」」」
「……あら、さっきの続き?」
六人の悲鳴を聞いて、楯無の声音が変わった。
豊満な柔らかさに一瞬、身を全て委ねてしまいそうになるが、すぐに体を起こす。
「す、すまん……」
「あら、遠慮しなくていいのよ? さっきのお返しに今度はおねーさんが抱きしめてあげましょうか?」
しかし、楯無が南の頭を抱え込んだため、上手く体が起こせない。
「南ぃ! さっきって、いつのことよ!」
「さっきはさっきよねぇ。あ、皆には砂煙で見えなかったかしら? この子ったら、それはそれは私を強く抱きしめて―――」
鈴の怒声に返事するよりも先に、楯無が答えた。
「南、貴様!」
「信じられないよ!」
さっきまで優しく布団をかけてくれていた箒とはまるで別人のような形相。シャルロットもまた、険しい表情で南に詰め寄った。
楯無の胸元から脱出し、両手を軽く上げた南がまぁまぁとなだめる。
「どういうつもりだ」
「仕返しよ。これで今までのことは水に流してあげるわ」
小声で振り返った南に、楯無も肩目を閉じて返した。
そして、それに……と付け加える。
「嘘はついてないでしょ?」
楯無はそれだけ言うと、軽い足取りで医務室を出た。
胸倉を箒に掴まれている南は追うことは出来なかったが、簪がその後に続いていることは確認できた。
しかしそれも束の間、頬を掴まれ、首の向きを変えられる。
「どういうことか、たっぷり説明してもらいましょうか……」
南の頬を掴む鈴が、怒りに任せてその手に力を込めた。
「まぁ待て鈴。最近、失くしたと思っていた拷問器具を見つけてな……嫁に使ってみよう……」
ラウラが歪な笑顔を浮かべながら、何やら道具を取り出した。
身動きが取れない南の額からは汗が大量に流れだす。
「良かったですわね、ラウラさん。失くした物が、こんなにも素晴らしいタイミングで見つかるなんて……」
セシリアも笑顔を浮かべるが、目が全く笑っていない。
「何か言い残すことはあるか?」
箒が聞くと、南はしばらく黙っていたが、唾を飲み込んだ後、口を開いた。
「見つかってよかったな。捜索願は取り下げておくよ」
南の最後の言葉だった。