簪は、廊下を歩く楯無の後ろ姿を捉えると、震える声を絞り出した。
「お、お姉ちゃんっ」
立ち止まった楯無は、ゆっくり振り返った。
微笑を浮かべたまま、扇子を口元に当てている。
「どうしたの? 簪ちゃん」
「あ、あの……あのね……」
更識楯無は完璧超人である。
容姿端麗にして、文武両道、明瞭快活、出来ない事の方が少ない更識家の当主。
そんな優秀な楯無の妹として比較され続けてきた簪にとって、彼女は偉大すぎるが故コンプレックスであり、自信を消失するきっかけでもあった。
だが、今は違う。
南と出会い、自分にしか出来ない事、自分にも出来ることを成し遂げてきた。
思えば、彼が初めてかもしれない……姉にすら媚びず、己を貫き、互角に戦ったのは。
自然と勇気が湧いてくる。
今なら、言える。
「み、南は……悪い人じゃなくて……虫って言ったのも……」
「分かってるわ」
簪のたどたどしい言葉にも、楯無は優しく頷いた。
「さっきの模擬戦中にね、謝ってきたの。だからさっき、専用機持ちの娘をからかって、それで許してあげた」
ゆっくりと簪の方へ引き返してくる楯無。
目の前まで来て、頭を撫でる。
「嬉しかったわ。まだ、お姉ちゃんって呼んでくれて……」
楯無のそんな言葉は、非常に弱々しかった。
小さく消え入りそうな姉の声を聞いたのは初めてで、簪も内心で驚いた。
同時にそんな姿を見て安心した。姉の人間味のある所が見られた気がしたからだ。
「私も、嬉しかった……私のために、怒ってくれて……」
「え?」
「この子に虫って言ったら許さないって、言ってくれた……」
「あ、あはは……やっぱり覚えてた?」
楯無が苦笑する。
バツの悪そうな表情に、簪は微笑んだ。
「でも、南はそういう意味で言ったんじゃないの……お姉ちゃんにも、いつか話してくれると、思う……」
「彼と初めて会った時、組織って言葉が出てきたけど……それに関しても?」
「うん。更識家が本気になれば調べられるかもしれないけど、それは、得策じゃない……」
簪の声が沈んだ。
実際、南やめぐみを目の当たりにし、殺し屋という言葉まで出てきた南の話を聞く限り、『組織』は更識家すら飲み込めてしまう存在かもしれない。
そう考えた簪は言葉を濁す。
「……分かったわ。簪ちゃんが言うなら、そうする」
楯無は、簪の頭から手を放した。
「じゃあ、久しぶりに一緒にお茶でもしましょ! 生徒会室へレッツゴー!」
声音を明るくした楯無は、右手を挙げて言った。
左手で簪の腕を掴み、引っ張る。
「あ、ちょっ……お姉ちゃん」
引っ張られるまま、簪はもつれる足で姉について行く。
その表情は嬉しそうに緩んでいた。
学園祭の当日。
「神代君! ボーっとしてないで手伝って!」
「そうだよそうだよ! もうお店開いちゃうからね!」
南は着心地の悪い執事の恰好をさせられ、体を揺らしながら眉を顰めていた。
隣の一夏は特に気にしている様子はない。
「なぁ、動き辛くないか?」
「そうかな……別に気にならないけど……」
腕を伸ばしてみたり、足元を覗いてみたりする一夏に、首元を触る南。
そんな二人の姿に、廊下から中の様子を伺っていた他クラスの生徒がきゃーきゃー騒いでいる。
教室の扉が開き、いつものスーツ姿で千冬が現れた。
「準備は出来たか?」
あまり興味もなさそうに言う千冬だったが、クラスメイトは嬉しそうに返事をした。
「まぁ、一年に一回の行事だ。楽しめよ」
それだけ言って教室を出ようとする。
そんな千冬の前に、一夏が飛び出した。
「ちふ……織斑先生、似合ってますか?」
一瞬、千冬姉と言いかけたが、何とか持ち直しその場で回って見せる。
「ふん、馬子にも衣裳とはよく言ったものだ」
千冬は小さく笑って一夏の肩を叩くと、そのまま教室を出て行く。
「どうした一夏。珍しいことするじゃないか」
「千冬姉、驚いてくれると思ったんだけどな……」
肩を落として、一夏が苦笑いした。
南が首を傾げる。
「驚いて欲しかったのか?」
「千冬姉が驚いてる顔を見たことがないからさ。この衣装だったらどうかなとは思ったんだけど」
「あの織斑千冬を驚かすには、よっぽどのことがないと無理だな」
それだけ言って、南は持ち場に戻った。
一夏も、クラスメイトに呼ばれるまま厨房の方へ連れていかれる。
「あれ? そう言えば、本音は?」
クラスメイトのそんな声は、楽しそうな喧噪に包まれている教室内にかき消された。
開店と同時、一組のメイド喫茶は大反響を呼んでいた。
専用機持ちを学園で最も有していると同時に、一夏と南が所属しているというアドバンテージは、客自体が回転率を重視する学園祭においてでも、圧倒的なものになっていた。
特に一夏が真面目に接客する中、慣れないことから開き直って、独特な態度で接客する南のダブル執事が人気を博している。
「箒、これは……」
「それは五番テーブルだな」
南が厨房と隣接して設置されたカウンターの皿を手に取り、同じくカウンターの盆を持った箒に向き直った。
「お、そうだったそうだった……それにしても、よく似合ってるなメイド服」
サラリと言って微笑んだ。
箒はそんな言葉にすぐ反応出来ず、固まってしまう。
「ほ、本当か!?」
「ああ。綺麗な髪の黒とメイド服の白……よく映えてる」
それだけ言うと、南は件の五番テーブルの方へ。
そこに座る二人組に笑顔を向けた。
箒は黒と白、そして顔を赤くして俯き加減で接客するしか出来ない。
開店から一時間が経った頃、南は休憩をもらうことになった。
一夏がもう少し働き、交代で休憩することになる。
「と、言ってもだ……」
一組で同じタイミングに休憩に入るクラスメイトもおらず、南は一人でブラブラと歩くしかない。
手作り感満載のパンフレットを片手にブラブラ歩いていると、二組の教室が見えてきた。
「鈴のクラスは中華喫茶なんだな……折角だし寄ってみるか」
扉を開くと、教室とは思えないほどの内装が広がっていた。
一組も、カーテンを厚手の赤いものに変えたりと内装を凝っているが、二組はその比ではなかった。
大きな丸テーブルや、複雑な形をした椅子など、中華っぽさとしての演出は満点だった。
「おお、すげぇ」
「はいはい、いらっしゃ―――あら、南じゃない!」
客に気付いた鈴が、適当な返事から一変、顔を輝かせた。
肩口から袖がない赤いチャイナドレスを着た鈴は、髪を普段とは違う形に纏めている。
「おう、休憩を貰ったからな。邪魔するぞ」
「あ、あたしに会いに来た……とか?」
もじもじとしながら聞く鈴の頬は赤い。
「まぁ、二組に知り合いはお前しかいないからな……会いに来たと言えば、そうだが……」
南は頭を掻きながら答えた。
そんな言葉に、鈴の頬はますます赤くなる。
チャイナドレスに負けない赤になった鈴は、目を回しながら手をテーブルに向けた。
「そ、そう! あ、ああ、案内するわっ……どどど、どうぞ~、えははははは……」
「大丈夫か?」
南の怪訝そうな表情にも、鈴は気付かない。
「ふぅ……まだ、時間はあるな」
鈴のたどたどしい接客を受けた南は、運び込まれる大量の料理と飲み物に困惑しながらも、それを全て腹に収めて店を出た。
階段を上がり、普段は来ない教室にも目を凝らす。
「お、四組か……」
黒いカーテンで中が全く見られないようになっている四組の教室は、どうやらお化け屋敷をやっているらしく、時々悲鳴が聞こえた。
扉の前に席を二つ並べているだけの簡単な受付に、簪の姿を見つける。
「お化けはやらなくていいのか?」
片方の空いている椅子……つまり、簪の隣に座りながら南が言った。
簪は目を丸くして驚いた後、笑顔になる。
「み、南……うん、私は受付……」
「一人でか?」
「ううん、もう一人は今、お手洗いに行ってて……」
「そういうことか」
頭の後ろで手を組みながら、南は椅子をプラプラさせた。
中に簪がいないなら、わざわざ入る必要もない。
「あ、ありがとう、南」
少しの沈黙があって、簪が口を開いた。
急なお礼の言葉に、南は首を傾げる。
「ん? 俺、何かしたか?」
「うん。お姉ちゃんとのこと……」
「会長との? まぁよく分からんが、俺は常に誰かの恩人だということが証明されたな。シャルロットに言ってやらないと」
得意げな顔をする南に、簪の顔が緩んだ。
そんなことにも気付かず、南は代わりに接客している。
「あれ、神代君って一組じゃなかったの?」
「気まぐれ受付だ」
「何それウケる~」
「……前の組がスタートして五分経ったな。よし、入っていいぞ」
「はーい!」
スラスラと、開始直後からいたように受付をこなす南。
受付の席に座る南見たさに生徒が徐々に並び始めた。
中のお化け役は、急に休む間もなくなり驚いているに違いない。
「おっと、そろそろ時間だ。早く戻らないと鷹月に怒られる……」
南は真面目なクラスメイトの顔を浮かべながら席を立った。
「すまない、簪。そろそろ戻る」
「うん、来てくれてありがとう」
「特に何もしてないがな」
そう言って笑うと、南は一組の教室へ引き返した。
一組に戻ると、ちょうど一夏が教室から出てくるところだった。
「タイミングは完璧だったな」
「おう、南。そうみたいだな……じゃあ、休憩行ってくるよ」
「楽しんで来い」
南が肩を叩きながら、パンフレットを渡した。
一夏はやんわりとそれを断り、腕を組む。
「もう行く場所は決めてあるんだ」
「そうだったのか……どこに行くんだ?」
「二年生の先輩がアイスクリームロールをやってるらしいんだ。それが食べてみたくて」
「何だそれは?」
聞き慣れない単語に、南はパンフレットを広げて確認しようとする。
「なっ! アイスクリームロールを知らないのか!?」
南は、一夏の大げさな反応にイラっとしながら、パンフレット折り畳んだ。
「実家に知らせが届いてるかもな。今度、確認しておくよ」
ムスッとしたまま南は教室に入る。
改めて執事服を着て、白の手袋をはめた所で、肩をちょんちょんと叩かれる。
振り返ると、頬を扇子でむにっと押された。
「あはっ、やーいやーい」
視線の先には、子供のような笑顔を浮かべ楯無が立っており、嬉しそうに肩を揺らしていた。
「会長……」
不機嫌な顔を隠すこともなく呟く。
「はーい、南くん。楯無おねーさん参上っ」
そんな南を気にする様子もなく、楯無は扇子を広げた。
そこには神出鬼没の文字が。
「…………」
何も言わない南。
楯無はほっと息を漏らした。
「君のおかげで、簪ちゃんと仲直り出来たわ。どうもありがと」
先程までの明るい態度から一変して、真剣な声音になる。
扇子を折り畳んで、腕を後ろで組んだ。
「さっき簪にも言われたが、俺は何もしてないぞ……あと、喧嘩してたのか」
それでも南の口調は変わらない。
「もー、気付いてるくせにぃ、このこの~。君のお陰で簪ちゃんは……」
テンションの変わりようが忙しい人だ、と南はため息をつく。
「まぁいいや。それでね、そんな南くんにお願いがあるの」
「何だ?」
上目遣いに南を見上げた楯無は、体をくねくねとさせながら擦り寄っていく。
「生徒会の出し物、観客参加型演劇に協力して頂戴」
「演劇? あまり興味ないんだが……それに、演劇での演技が上手くても役に立たないだろ……」
南は眉を顰めた。
「まぁまぁ、そう言わずに……お礼もたっぷりさせてもらうからっ」
片目を閉じて笑う楯無。
何かを言い返す前に、腕を引っ張られる。
「お、おいっ」
「はーい、けってーい」
南は、無理矢理連れてこられた控室で、楯無に衣装を渡された。
「はい、これに着替えてね」
楯無を睨んだまま、南はそれを受け取る。
そんな南の視線を無視して、楯無は更に王冠を衣装に乗せた。
「着替え終わったら、ステージに来てねっ」
「台本とかないのか? メイク道具もないみたいだが」
南は執事の燕尾服を脱ぎながら言った。
「意外とやる気ねぇ……心配いらないわ。基本アドリブ形式で進んでいくから。それに合わせて動いてもらえれば……そう、動いてもらえば、ね」
何か含みのある言い方をした楯無は、そのまま踵を返した。
控室に誰もいなくなったのを確認して、衣装に着替える。
どこかの貴族のような恰好に、南の顔は歪むばかり。
「今日はこんなのばかり着せられるな……」
ため息をついて、ステージへと向かう。
『さあ、幕開けよ!』
南がステージに上がると同時にブザーが鳴り響き、照明が落ちた。
すると、セット全体にかけられた幕が上がっていき、ライトが点灯した。
そのライトは容赦なく南を照らす。
『むかーし、むかし……あるところに、シンデレラという少女がいました』
楯無の声がスピーカーを通して聞こえる。
『否、それはもはや名前ではない。幾多の舞踏会を抜け、群がる敵兵をなぎ倒し、灰燼を纏うことさえいとわぬ地上最強の兵士たち。彼女らを呼ぶにふさわしい称号………それが『
「………格好いいじゃないか」
南は辺りを見渡しながら呟いた。
巨大なモニターに映し出されたイラストは、童謡らしさはあるものの、シンデレラらしさはない。
『今宵もまた、血に飢えたシンデレラ達の夜がはじまる。王子の冠に隠された隣国の軍事機密を狙い、舞踏会という名の死地に少女たちが舞い踊る!』
同時に全ての明かりが点灯し、周囲が明るく照らされた。
まさしく城をモチーフにして作られたであろうセットの完成度は高い。
「それで? 何が起こるんだ?」
「でやあああ!」
南が言うや否や、雄たけびを上げながらセットの二階部分からラウラが飛び降りてきた。
その手には鉈のような物が握られている。
「うおっ!?」
南は体を転がしながら、そんな一撃を避けた。
しかし、避けた先で待ち構えていたシャルロットが、先端を輪にしたロープを振り回し、南を捉えようと投げつける。
「南、ごめんね!」
「何なんだ一体……」
それを跳んで回避した南が着地すると、今度は赤いレーザーポイントが南の衣装を狙っていた。
「おいおい……」
目を凝らすと、少し離れた位置からセシリアが銃を構えているのが見えた。
頭を屈めると同時に何かが射出され、南の背後に突き刺さる。
「麻酔弾か?」
『さぁ、神代王子よ……王冠を奪われぬよう、逃げるのだ。あ、ちなみに王子様にとって国とは全て。その重要機密が隠された王冠を失うと、自責の念によって電流が流れまーす』
楯無の嬉しそうな声がスピーカー越しに聞こえ、南はまた顔をしかめた。
「抽選で先行出演権を、僕たちが貰えて良かったねラウラ」
「ああ、全くだ。箒や鈴、簪には悪いが、賞品は私の物だ!」
「南さんっ、動くと当たりませんわ!」
三者三様、色々な事を言いながら南を捉えんとするシャルロット、ラウラ、セシリア。
そんな魔の手をギリギリで避けながら、南はいつものナイフを取り出した。
「小娘ごときが笑わせる……主ごと灰にしてくれるわ!
スイッチが入った南はナイフを振るい糸を射出。
ラウラとシャルロットを縛り上げ、セシリアへ糸を伸ばした。
「そこかぁ!」
「ふぎゃんっ!」
セシリアも仕留めた南が息を吐くと、今度は地鳴りが聞こえる。
「なんだ?」
『さあ! ただいまからフリーエントリー組の参加です! 皆さん、王子様の王冠目指して頑張ってください!』
「嘘だろ……」
地鳴りの正体は、適当に見ても数十人以上のシンデレラだった。
しかも、現在進行形でどんどんと増えている。
「神代くん、おとなしくしなさい!」
「私と幸せになりましょう、王子様」
「そいつを…………よこせぇぇぇ!」
南は向かってくるシンデレラの一群からどう逃げたものかと考えながら、セットの上を走り回る。
「俺もアイスクリームロールを食べに行けば良かった」
そんな激しい後悔を含む声は、簡単にかき消された。
「んっ……んちゅ……ん……ぷはぁ……」
「はぁはぁ……んぷっ……んむ……」
IS学園の寮には、学園祭ということもあってか、今現在は誰もいない。
否、二人の生徒だけが、寮の誰も来ないような隅で体を絡めていた。
唾液を垂らし、下品に緩めた表情を見せる女生徒に、少女は笑いを堪えられない。
激しいキスは頭の角度を変え、何度も離れてはその度また重なる。
やがて、女生徒が倒れ込むように膝をついた。
少女は優しくそんな彼女を抱きしめ、また笑う。
「ふふっ……これでまた一人ゲットだぜ~」
間延びした声で言う少女だったが、女生徒は何も言わなかった。
「最強の昆虫は何か……オオエンマハンミョウ? リオック? オニヤンマ?……皆、お馬鹿さんだよね~。だって最強は……」
少女は制服の長い袖を振った。