『グンタイアリ』
長さ20メートルにも及ぶ隊列を作り、行軍途中のあらゆる生物が狩りの対象となることで知られる、世界で最も獰猛な社会性昆虫。
1.5センチほどの体長、その半分ほどはあろうかという大顎を持ち、不必要なほどの長さ、湾曲具合がその攻撃性を象徴している。
昆虫や爬虫類のみならず、つながれて満足に逃げることが出来ない場合は、牛や馬ですら獲物となる。
「たかだか虫一匹がさぁ、強いとか弱いとか……笑っちゃうよ~」
本音はそう言いながら、南を立たせた。
虚ろに目を開き、意識があるのかハッキリしない南は虚空を見つめている。
「みなみんには、特別なお仕事をしてもらうからね~」
アリの社会は、女王アリを始め、様々な階級と役職を持つものに分かれている。
隊列を見守る「メジャー」、仕留めた獲物を運搬する「サブメジャー」、狩りを担当する「メディア」……その他にもそれぞれが役割を持ち、女王の為に活動する。
そんな無数の兵を、女王一人が統率する完全な封建社会を支えるのは、法や宗教などの曖昧なものではない。
女王が精製する「女王物質」と呼ばれるフェロモン。9-オキソデセン酸の他、多数の化学物質が配合された「唾液」こそが、軍を纏め上げるのだ。
「女王の唾液を摂取した者を意のままに操る……それが、私……『軍隊アリ』の能力」
暗く続く通路を本音がゆっくり歩き出すと、南もそれに続いた。
「さて、まずはお着換えしましょ~」
南が、オータムと闘う数分前。
学園祭とは違う意味で騒がしくなり、ところどころで響く悲鳴が恐怖心を煽る様子を、楯無は顔をしかめながらも、見ているしかなかった。
「皆、どこでもいいから教室へ! 絶対に一人にならないようにしなさい!」
叫ぶように言いながら、楯無は騒ぎの原因を探るべく足を動かす。
「ひゃっ!」
「っ!」
廊下の曲がり角から出てきた相手に素早く反応した楯無は、勢いよく飛び退き、相手を睨みつけた。
扇子を取り出し、すぐにでも応戦出来るよう構える。
「お、お姉ちゃん……」
しかし、飛び出してきたのは妹の簪であり、固くなった表情は少し和らいだ。
「簪ちゃん、何が起こってるか分かる?」
「うん……箒が、襲撃者と戦闘中……さっきの爆発音は多分それ……あと……」
そこで簪の口がくぐもった。
言っていいものか、さらにいえば、言って信じてもらえるものか悩み、目を伏せる。
「私はね……」
優しい声で笑いかけた楯無。
その笑顔には、底知れない強さがあった。
「学園の長として、生徒を守り抜く使命があるの……お願い、何があったのか教えて?」
楯無の真剣な声音に、眉を下げていた簪も力強く頷いた。
「あのね―――」
「あら? さっきもここを通ったような……もうっ、分かり辛いわねー」
意を決して口を開いた簪だったが、少し先から歩いてくる女性によってそれを遮られた。
IS学園の制服を着てはいるが、明らかに高校生ではない年齢。
ウェーブのかかったショートボブの髪にリボンを二つ付けている。
「まだ避難してない娘が……いや」
楯無の顔が引き締まった。
ISをいつでも展開出来るよう身構える。
「貴女、この学園の生徒じゃないわね」
そんな低い声にこちらを向いた女性だが、その顔は怯むどころか、笑顔だった。
「ん? やっと話が出来そうなのに出会えたわ。どの子も逃げるのに必死で、役に立たないったらありゃしない」
大げさに首を振って、ため息をつく。
そして、楯無と簪の方へ歩み寄ってきた。
「か、かみ……神代……だっけ? 下の名前も忘れちゃったな~。北だっけ? 東……?」
頭を指でトントンと叩きながら、歩いてくる女性に楯無と簪の体に緊張が走る。
「面倒くさい名前にしたもんねぇ。あ、思い出した! 南だ、南。神代 南って知ってる?」
飛び出した名前に、楯無は無反応を貫いたが、簪の表情は分かりやすく変わった。
女性はそんな反応を見てニッと笑い、言葉を続ける。
「知ってるっぽいわね。じゃあ、連絡取ってくれない?」
「その前に……貴女、名前は?」
「そんなのなんだっていいじゃない。私は敵じゃないわよ……だってほら、武器とか持ってないでしょ?」
両手を広げて笑う女性に、簪の頭の中である言葉が出てきた。
虫……。
彼女も、南やめぐみと同じ虫なのではという仮説。
しかし、それを相手に悟られないよう、楯無に伝える手段はない。
「私の質問に答えた方がいいわよ。貴女は、誰?」
「生意気な小娘ねぇ……いいから早く神代 南に電話でもしてよ。さもないと……」
そこで、満面の笑みを浮かべていた女性の顔が豹変した。
鋭い眼光を向け、二人を睨む。
「捻り潰すぞ、あ?」
声も低くなり、口調も変わった。
楯無と簪は身震いする。
特に楯無は、脳が発する危険信号をヒシヒシと感じていた。
(コイツは……不味いわね……)
「なーんちゃって、テヘッ。ウソウソ」
右手を丸めて自分の頭を軽く小突き、また笑顔に戻った。
簪を連れて逃げろと、本能が告げている。
だが楯無には、ここで退いて、この女を野放しにすることも出来なかった。
「質問に答えてもらえなくて残念だわ……」
呟くように言いながら、ISを展開する。
専用武器である「蒼流旋」を向けた。
「あんまり学園最強を、舐めない方がいいわよ」
そう告げた瞬間、女性の頬がピクッと震えた。
「最強……?」
顔を伏せ、唸るように言った彼女に、楯無は笑みを浮かべた。
簪は少し離れた位置に移動し、その様子を見守る。
「ええ、そうよ。私がこの学園最強、更識楯無……分かったらさっさ―――」
楯無が言い終えるよりも先に、女性が背中に手を回した。
折り畳まれている棒状の物を取り出し、振り下ろす。
その過程で、刃の部分が横に開いた。
「くっ!」
素早く反応した楯無は、「蒼流旋」を振り、応戦。
間合いを取った。
「じゃあアンタを倒せば、私がこの学校で最強ってことよね?」
「……小学生の張り合いみたいなこと言わないで頂戴」
「あら小学生なんて……そんなに若く見える?」
見えない、簪はそう思うと同時に頭を回転させる。
楯無がISを展開した。
もし虫なのだとすれば、IS操縦者ではない。南のような専用機を持っていない限り、楯無に負けはないだろう。
そう高を括った。
「ふん、ISも展開せず生身で勝とうなんて、甘いわ!」
またも「蒼流旋」を振り上げ、猛進。
一気に間合いを詰めた。
しかし彼女は、持っていた槍を片手で捌き、楯無の攻撃を悠々と受け流した。
「そんな攻撃じゃ、私を仕留めるなんて……」
「なっ!?」
楯無の顔が歪む。
「無理よね」
素早く持ち手を変え、槍を振るう女性の一撃が、楯無に直撃した。
そして五分もしない内に、楯無は廊下に沈み、簪に揺さぶられることになる。
「『最強』舐めんじゃねーよ」
ISを展開した楯無に対して生身で相手し、打ち倒した彼女を、簪は目に涙を溜めながら睨みつけた。
それでも、相手は笑顔を絶やすことはなかった。
「さて……そろそろ教えてくれない? 神代 南はどこ?……それにしても言いにくい名前ねぇ……」
女性はコロコロと表情を変える。
簪は姉に触れたまま、涙を拭った。
「貴女も……『組織』の人、ですね……」
そんな簪の断定する言い方に、女性は目を丸くした。
「驚いた、どうして知ってるの?」
「南が来てくれれば、貴女なんて……」
「全く……本ッ当、質問に答えない子達ねぇ……それに……」
ため息をついた彼女は、槍をくるくると回した。
肩にかけてまた笑う。
「神代 南……『蜘蛛』なんかじゃ、私は倒せないわよ」
今度は簪が目を丸くする。
やはり組織の人間。
そして、南の事を『蜘蛛』と呼んだ。
やはり、何もかもが分かっている。
困惑の表情を浮かべる簪に、女性は当たり前のことを言うような、軽い口調で告げた。
「だって、最強の虫……『
――—自重を遥かに超える力を持つ昆虫が、存在する。
『カブトムシ』
頭部の大きな角が特徴の、大型甲虫である。
脚節の付け根部分や角の異常に発達した筋繊維が生み出す力は、人間に置き換えると8トンの荷物を持ち上げることに匹敵。
その筋量は、同じ甲虫であるクワガタムシと比べても差は歴然である。
しかし、角で相手を弾き飛ばす際の力は、それをさらに上回る。
屈強な前肢を支点に、てこの原理を利用し、支点から後ろの肢で地をしっかりと踏みしめ、長く聳える角に全ての力を集中。
その結果導かれる力の値は、およそ1キログラム。自重の約100倍である。
「カブト……ムシ……」
「さ、そろそろいいでしょ? 『蜘蛛』の居場所を教えなさい……早くしないと―――」
簪にゆっくりと近づき、腕を伸ばした瞬間。
倒れていた楯無が弾けた。
「ぐっ!」
意表を突かれた『カブトムシ』が、後ろに跳ぶ。
しかし、楯無もその隙を逃さない。
激しく「蒼流旋」を振り回し、一気にスパートをかける。
しかし、それでも負けないのが『カブトムシ』。
持っている槍……「
楯無が身を引いた。
「ふーん、中々粘るじゃない。「兜角」をこんなに振ったのは久しぶりだわ」
「はぁ……はぁ……あんまり、舐めないで欲しいわね、オバさん!」
またも楯無と『カブトムシ』がぶつかり合う。
(くっ! どうして生身の人間に……!)
楯無は焦りを感じながらも、攻撃の手が雑になることはなかった。
隙を見せれば、いつでも仕留められる状態にある。
(抜かったわ……高校だっていうから適当に「兜角」にしたけど……これは本来、対集団用武器……こんな奴がいるなら、「
焦りを覚えていたのは『カブトムシ』も同じだった。
舌打ち混じりに歯を食いしばり、時に蹴りを放つ。
一旦、距離が空いた。
二人の激しい呼吸が、廊下に響く。
「ど、どうなってるんだよ……」
一夏の声が震えた。
腕を垂らし、舌を垂らし……。
意識がハッキリしていないように見えていた女生徒十数人は、一夏を確認すると同時に飛びかかった。
必死の形相でそれを避けるが、絶えることなく襲い掛かってくる生徒の軍勢に、壁際に追い込まれてしまう。
「お、おい! 皆、目を覚ましてくれ!」
叫ぶ一夏の声は、届かない。
『軍隊アリ』の能力に支配された人間に、自分の意識など有りはしないのだ。
女子を殴ることも、蹴ることも出来ない一夏は、覚悟を決めた。
逃げ場のない壁際に背を付け、目を閉じる。
遂に女生徒の一人が、再度一夏に飛びかかった。
「家族である私へ挨拶もなしに弟はやらんぞ、小娘」
激しく何かがぶつかる音がした。
少しして、ドサッと倒れ込む音もする。
一夏が目をゆっくりと開くと、右手を腰に当てた姉……千冬が堂々と立っていた。
「無事か? 一夏?」
千冬は振り返り、小さく笑う。
普段は厳しく、笑う姿にすら萎縮を覚える千冬の笑顔は……今、何よりも頼もしかった。
「千冬姉!」
「全く馬鹿者が……こんな状況でも、女に手が出せんか……」
そう言ってため息をつく千冬は、どこか余裕があり、一夏を安心させる。
その間にも、千冬へ向けて生徒三人が突進。
振り返っていた千冬に、その姿は見えていない。
「危ない!」
一夏が叫んだと同時だった。
千冬の脚が鋭く弾け、次の瞬間には生徒三人が吹き飛ぶ。
開いた口が塞がらない一夏だが、何事もないように千冬は息を吐いた。
「何か危なかったか?」
「いえ、何でもないです……」
こんな状況にも関わらず、苦笑してしまった一夏。
しかし、すぐに顔を引き締め千冬の隣へ。
「これは、どうなってるんだ?」
「恐らく、脳の働きが著しく低下している状態にあるのだろう……見てみろ」
千冬が指さした先には、一夏に飛びかかった生徒が肘を不自然な方向へ曲げながらも、ユラユラと立ち上がっていた。
「骨が折れてる……例えボーデヴィッヒでも、あの折れ方では苦痛に顔を歪めるだろう……なのに」
「何も……痛そうにもしてない……」
一夏が言うと、千冬は頷いた。
「今現在、山田先生の報告だと、こんな状態になっている生徒の数は全体の二十パーセントだ。」
「そ、そんなに……」
「更にオルコットの報告では、こいつ等が隊列を組んで歩いている様子を確認したらしい」
「冗談だろ……さっき、脳の機能が低下してるって……それなのに隊列を組んで歩くなんて、矛盾してるじゃねぇか」
―――軍隊アリには、脳がない。
それにも関わらず、隊列を組んで行軍するという組織的行動が行えるのは、前の仲間が放つフェロモンを追いかけていることが知られている。
しかし……。
そのままでは進めないような川や溝に遭遇した場合は、お互いを抱き合い、身体を繋ぎ合わせることで、「橋」を作って、強引に軍を進める。
その他にも、植物の葉の小さな穴を埋めるような行為もすることから、何故、脳の無い軍隊アリがこのような行動を取ることが出来るのか、研究が進められている。
しかし、未だにその行動原理は解明されておらず、大きな謎となっている。
「一夏……神代はどうした」
飛びかかってくる生徒を順に薙ぎ払いながら、千冬が問うと、一夏の表情が曇った。
生徒を殴打することなく、腕を掴んでは投げ飛ばしながら、口を開いた。
「南は、俺の代わりに―――」
「おりむーの代わりに、戦ってくれたんだよねー」
一夏の声に被せるよう、間延びした声が響いた。
気付くと、絶えまなく襲い掛かっていた生徒は廊下の端に並び、虚空を見つめている。
「お前は……」
「のほほんさん!?」
いつもと変わらないのんびりした笑顔。
だが今日は、その笑顔が歪に見えた。
「おりむーが弱いから、みなみんが犠牲になったのだー」
「布仏……今回の騒動、そして生徒の異常行動の原因はお前か?」
千冬の低く強い口調。
それにも全く怯まず、本音は袖を振った。
「正解でーす、織斑先生」
一夏の表情は悲しみに溢れ、歯を食いしばった。
「なんで……なんでだよ! のほほんさん!」
「ふっふ~ん。何ででしょ~……それにしても、おりむーを真っ先に始末したかったのに、ちょっと遅かったみたいだね~。織斑先生が合流しちゃった……」
本音は少し顔を顰めた。
「ま、念のために対織斑先生用の兵も用意しておいてよかったよ……は~い、お二人さーん、出ておいで~」
そう言われて本音の背後から姿を現したのは、生徒より背も、体格も明らかに違う二人だった。
顔を隠しているフルフェイスマスクは、どこかの戦闘部落のようであり、着用しているのは、鎧と見まがうほどのパワードスーツだった。
「あの体格……生徒だけでなく、教員陣にも堕ちたのがいるか……」
「千冬姉……」
焦りの無い声音で言う千冬であったが、対して一夏の声は震えていた。
本音は笑顔のままだったが、低い声で冷たく言う。
「やれ」
そんな言葉に、二人の兵が歩き出した。
千冬が姿勢を少し低くする。
拳が届く範囲に入った瞬間。
片方の兵が、もう片方のわき腹を蹴り上げた。
予想外の行動に一夏が、そして千冬でさえも目を見張る。
素早く後方を振り返ったその兵は、懐からナイフを取り出し、柄のスイッチを押して刃を射出した。
「盾に!」
本音が告げると同時に、廊下の端で待機していた一人の生徒が身を乗り出し、本音を庇う。
刃が、腿に刺さった。
「ふーん、やっぱり上手く行き過ぎてると思ったんだよ~。騙されちゃったなぁ、みなみん」
ナイフを放った兵……神代 南は、ゆっくりとマスクを脱ぎ捨て、再び振り返った。
「待たせたな、一夏」
「み、南!」
そう言って南が笑うと、一夏は驚きながらも口角を上げた。
「すっかり騙されたぜ……」
「言っただろ? 外見は大事なんだ。敵と同じ恰好をしていたら、敵にしか見えないんだよ」
一夏が目を見開いた。
「どうしてもっと分かりやすく来ないんだ、お前は」
千冬が怒っているような、呆れたような……それでいて安堵するように言った。
南が不敵に笑う。
「敵を騙すには、まずは味方からって言うでしょう? それに……」
「なんだ?」
「織斑先生の驚いた顔を見てみたかった、というのもある」
歯を見せて笑った南に、千冬は目を丸くした。