一夏と千冬の前に立つ南。壁に埋まる教員の兵。少し離れた位置に本音と、その傍に並ぶ生徒の兵。
緊迫した空気が流れる中、本音が口を開いた。
「キスが下手っぴなんじゃなくて、単純に唾液を飲まないようにしてたんだね~」
「のほほんさん。一つ言いたいことがある」
「何かな?」
「俺とキスがしたいなら、ムードをちゃんと作ってからにしてくれ」
パワードスーツを脱ぎ捨てながら余裕の表情で言う南に、本音は頬をピクピクと震わせた。
歪んだ笑みは変わらない、だが確実に不快に感じている。
「今度は気を付けるよ~、『蜘蛛』」
―――アリの群れに侵入し、捕食する蜘蛛が、存在する。
『アリクイカニグモ』
熱帯域に生息するこの蜘蛛は、一見するだけではアリそのものであり、それだけで擬態が完成しているように見える。
事実、初めて発見された時も、それが本当に蜘蛛であるのかが分からず、足の数を数え、行動をよく観察しなければならなかったと言われている。
しかしこの蜘蛛は、死んだアリの頭部を持ち上げ、アリ同士が日常的に行う唾液交換をすることで仲間だと誤認させるのだ。
姿形だけでなく、アリの社会的習慣まで擬態の対象とするこの進化は、最古参の節足動物ならではのものであることが分かる。
「でもね……数の暴力って知ってる?」
本音がそう言うと、廊下端に並んでいた生徒が一斉に駆け出した。
身を低くし、待ち構えた南。
先頭の生徒の腹部に蹴りを放ち、振り返る。
「織斑先生、ここは俺と一夏で引き受ける。他の応援へ」
南は生徒の腕と肩を掴み、強引に振り回した。
頭と頭がぶつかる感触が、身体を通して伝わってくる。
「頼んだぞ」
短く言った千冬が走り出した。
逃がさんとする生徒の一人が飛びかかるが、一夏によって阻まれる。
「あははははっ! この数相手に、どれだけ戦えるか見ものだね~」
南は、千冬の方を振り返ることもなく、生徒をいなす。
(織斑先生に伝え忘れたな……のほほんさんは女王じゃない。彼女もまた、女王の代わりを務める、一人の兵でしかない)
倒す、行動を不能にする、といったことが出来ない南と一夏はジリジリと追い詰められていった。
(本物の女王アリは……他にいる)
「か、数が多すぎる……というか、減らないっ」
一夏の苦悶の声がする。
しかし、南はそれに答える余裕もなく拳を振った。
「南、このままじゃ……」
「くっ!」
糸を操作するのには、集中が必要不可欠。
一対一であれば、攻撃を避ける為の動きの中でも、対象へ集中を向けることが出来るが、多数を相手にする場合は、そうはいかない。
更に、糸を用いずに狩りを行う「アシダカグモ」も、待ち伏せによる奇襲を基本のスタイルとする。
主食であるゴキブリを捕食中であっても、別のゴキブリが通りかかれば、そちらを追うほどの好戦的な面がある一方、瞬発力と瞬間的な運動性能のみを頼りとする為、持久戦には向かない。
戦闘のスタイルを確立しているが故の弱点。
罠を仕掛けて待つわけでもなく、それでいて多数の相手を同時に相手にするといった状況においては、蜘蛛も無防備極まるただの餌に成り下がる。
「がぁっ!」
生徒の拳が南の体にめり込んだ。
体勢を崩した途端、持ち直すことも出来ず、頭を抱えて致命傷を防ぐことしか出来ない。
南の首筋に、歯が立てられる。抉るように引き裂かれ、血が噴き出た。
「南!」
そう叫ぶ一夏の顔面にも蹴りが放たれ、鼻が折れる音がした。
「大人しく兵になってれば、みなみんも仲間にしてあげようと思ったけど……やっぱり、やーめた。殺していいよ、亡国機業さん」
一方的になりつつある二人を見ながら言った本音。
そんな言葉の後、イギリスの第三世代、『サイレントゼフィルス』が廊下の壁を突き破って現れた。
「織斑、一夏……」
搭乗している少女は小さく呟くように言ったが、その表情までは見えない。
「じゃあ、この二人は任せるね~。私は、せっしー達の相手をしてくるから」
絶え間ない拳や蹴りを放っていた生徒は、本音が踵を返すと同時に攻撃をやめ、彼女に続いた。
その背中に向かって、一夏が吠える。
「のほほんさん!」
こちらを振り返ることもなく、本音が立ち止まった。
「さっき、俺を真っ先に始末したいって言ったよな! 何で俺なんだ! 千冬姉や、南の方が強いのに……」
「分かってないな~、おりむー。そんなのさ……」
そこで本音は言葉を切って、振り返った。
その顔は口角が限界まで上げられた笑顔であり、目に光は宿っていない。
「おりむーが弱いからに決まってんじゃん!」
叫ぶとように言い放ち、下品に笑う。
「戦いの基本はね、弱い者を狙うことだよぉ? そうなったら代表候補生や、しののん、織斑先生、みなみんを狙うより……おりむーからでしょ~?」
一夏は大きく目を見開いた後、項垂れた。
それにも構わず、本音は続ける。
「しののんとデュっちーには教わってばかり、せっしーにも勝てない、リンリンにも勝てない、ヴィッヒーにも勝てない、みなみんには助けられたり、守られてばかり……」
本音は跳ねるように言いながら、その笑みを絶やさない。
「そんな弱くて、弱ーいおりむーが真っ先に狙われるのは当たり前なんだよ~!」
「喋りすぎだ、布仏本音」
飛び出したナイフの刃が、一直線に本音の方へと飛んだ。
それが当たるよりも遥か手前で、刃は弾かれる。
『サイレントゼフィルス』が虫を追い払うかのように、手を振っただけだった。
南は舌打ちしながら駆け出した。
柄に刃を戻しながら振るわれたナイフの一撃は、易々といなされ、弾き返された。
「そう言う事だから、じゃあね~」
長い袖が揺れて、また本音は歩き出す。
一夏は項垂れたまま、身体を震わせるだけだった。
生徒相手ではなく、ISを相手にするのならと、南も自身の『フィアー・スパイダー・ロージング』を展開するも、首から滴る血がいつものような戦闘を可能にはしなかった。
押し込まれるような攻撃に、ひたすらナイフを当て返すしかない南は、顔を歪める。
「織斑一夏を渡せ……そうすれば、お前は楽に殺してやる」
『サイレントゼフィルス』から、そんな冷たい声がする。
シャルロットとラウラもまた、南や一夏と同じく相手を行動不能にする術もなく、追い詰められていた。
「ここまでか……」
そんな弱気な声がラウラから漏れたと同時に、生徒が二人に向けて飛びかかった。
その数、四人。
ボロボロになった制服に身を包むシャルロットが、諦めたように目を閉じた。
だが、いつまで経っても痛みや衝撃は来ない。
代わりに聞こえるのは、何かに行く手を阻まれ、ぶつかるような音だけだった。
「こ、これは……」
ラウラの声に、シャルロットが目を開く。
そこには、飛びかかった生徒が浮いている光景が広がっていた。
何か浮遊している物に、閊えているように見える。
「お待たせしてしまったかしら?」
背後から上品に響く高い声。
「ま、あたしたちが来たからにはもう安心。任せなさい?」
同じく背後から聞こえる無邪気でいて、快活な声。
そんな二つの声に、シャルロットとラウラは自然と笑みを浮かべた。
「セシリア!」
「鈴!」
振り返った先に立っていた二つの陰はどこまでも頼もしく、大きく見えた。
腰に手を当てたまま笑った鈴は、生徒の方へ踏み出す。
「まぁ、任せろと言っても……」
鈴の方へ標的を変えた残りの生徒。
それに対して、手の平でカウンターを当てる。
「やることは、スマートじゃないけどね」
そう言って、ニッと歯を見せて笑ってみせた。
セシリアは部分展開していた四基のピッドを動かし、行く手を阻んでおいた生徒を放り投げる。
その後、ピット充分に加速させ、乱暴に生徒の腹部に突撃させた。
「わたくしの友人をこんな目にあわせて……許しませんわ!」
暴れるように飛び交うピッドに、意識のハッキリしないまま襲い掛かっていた生徒が、次々と弾け飛ぶ。
「あ、あのー……あんまり、手荒なのは……」
シャルロットが控えめに言うが、セシリアには届かない。
ラウラに肩を回しながら、鈴が言った。
「そんなこと言ってる余裕はないわ。ほら、行くわよ」
「……すまない」
消え入るようなラウラの声に、鈴が笑いかける。
「今度、何か奢りなさいよね……セシリア、背中は預けたわよ」
「わたくしのブルーティアーズは一対多数向き。何人たりとも、逃しません!」
「セシリア?」
「ご安心ください。エネルギー弾を撃ち込むのは、勘弁してさしあげます。ただ……」
「おーい」
「無傷でいられると、思わない事ですわね!」
「もういいや」
「えぇ!? だ、大丈夫かな……」
熱くなって聞く耳など持たないセシリアに、鈴は諦めて歩き出した。
シャルロットが心配そうな声を出すが、セシリアが操るピットは止まることなく暴れ狂う。
更衣室で体を糸によって縛られ、宙にぶら下げられていた亡国機業のオータムは顔を顰めながらも、どうすることも出来ずにいた。
体を揺すり、ISを再起動させようとも糸は絡まるだけ。
完全に手詰まりだった。
「いい格好ね、オータム」
ふと聞こえてきたのは落ち着いた声。
セシリアとは違う上品さと冷たさを含むその声に、オータムの表情が変わる。
「す、スコール! 違うんだ! これは……」
「いいのよ。『組織』の人間が、織斑一夏と神代 南を弱らせたみたいでね。今、エムが仕留めているところ」
スコールと呼ばれた女は、長い金髪を手で払いながら自身のISを部分展開。
南の糸を簡単に切り裂き、オータムを解放した。
「……『組織』ってのは、どんな集団なんだ? 織斑一夏のISを強奪するウチの目的と、この学園を支配するとか言うヤツらの目的が合致したから、手を組んだが……」
「さあ……ただ、逆らわない方がいいことは確かね」
それだけ言って姿を消す二人。
更衣室には誰もいなくなった。
「織斑一夏を渡せ……そうすれば、お前は楽に殺してやる」
「そうか、では俺からも提案だ。引け……そうすれば見逃してやる」
「ふっ……ならば、お前から死ね」
サイレントゼフィルス……それを操るエムの一撃が南を弾いた。
反動を利用して反撃しようとするが、血が出すぎたのか足元がおぼつかず、フラフラと後退するしかない。
「その木偶の坊を守りながらどこまで戦えるか、試してみるか」
エムがそう言うと同時に、大型ライフルであるスターブレイカーを後方の一夏に向ける。
生身である一夏にためらいもなく発射された弾。
それから庇うように南が覆いかぶさった。
「がぁ!」
「み、南……」
苦しげに漏らす南は、それでも一夏に向かって笑いかけた。
「心配するな一夏……立ち直るのはゆっくりでいいぞ。それまでは、俺が守ってやる」
南のそんな言葉に、目を大きく見開いた一夏。
スターブレイカーの引き金を引きながら接近していたエムが、南を後方から蹴り上げる。
廊下の壁をまたも打ち壊し、南が校舎外に飛び出た。
ゆっくりと後を追うようにしたエムは、立ち上がろうとする南への攻撃の手を緩めない。
一方的な攻撃に反撃の余地などなかった。
隙をついて振るうナイフも弱々しく、簡単に弾かれる。
刃を射出しようと柄を向けるが、その手を掴まれた。
「遊びは終わりだ」
感情を込めずに放たれた言葉と同時に、銃身が南に当てられた。
ゼロ距離で浴びせられたエネルギー弾に、身体が吹き飛ぶ。
大きな音を立てて、地面に倒れ込んだ南。
エムは鼻を鳴らすだけで、追撃もしない。
振り返り、一夏のいる校舎へ戻ろうとした瞬間。
「っ!」
脚部装甲に突き刺さったナイフの刃。
南の右手はしっかりとエムに向けられていた。
「死にぞこないがぁ!」
刃を抜き、引っ張り込む。
糸で繋がれている柄を持った南は、宙に浮きながらエムの方へ。
距離が重なると同時に、スターブレイカーの殴打が決まる。
校舎の前へ滑り込むように倒れた南は、エムの方を睨みながらも立ち上がれずにいた。
(体が動かない……さすがに、もう駄目か……)
自虐的に笑って、力を抜いた。
前方では、スターブレイカーを向けたエムが、引き金を引こうと構えている。
(死ぬ前の走馬灯は、何が見れるんだろうな……)
心の中で言ったと同時、エムが引き金を引いた。
放たれた巨大なレーザー弾は、南へ向けて一直線に走る。
それが南に着弾する瞬間。
大きな金属音と同時に、レーザー弾が消滅した。
「何っ!?」
エムの驚いた声が聞こえる。
南は目を丸くしながら、自然と声を漏らしていた。
「一、夏……」
「ふざけやがって……!」
震えた一夏の声。だがそれは、確かに数分前までとは違った。
展開したISが……白式が、光り輝いていた。
「俺は……剣道をサボってた訳じゃない……威勢よく受けた決闘に負けて、何も思わなかった訳じゃない」
光は増す。
「そんな意味で鈴に笑いかけたんじゃない……解決策を考えなかった訳でも、姉に追いつこうとしなかった訳でも、ない!」
そんな光が落ち着きを取り戻した時、ウイングスラスターが四機、大型化した。
「好き勝手しやがって、言いやがって!……俺だって男だ、プライドくらいある!」
「一夏……」
南が名を呼ぶと、一夏はそっと振り返った。
「南、ここには……お前を守る人も、ちゃんと居る! 守られてばっかじゃない……俺に……」
一夏は再び前に振り向き、
「俺に任せろ!」
高らかに叫んだ。