千冬の……芋虫の『
ボルトが突き刺さったブーツを、足を上げて抜いた千冬は髪をかき上げた。
「さて、どう説教したものか」
小さく呟き、虚の方へ足を伸ばした瞬間、背後から影が伸びた。
グンタイアリの能力に侵された教師だった。
千冬に飛びかかろうと両手を振り上げるが、彼女もまた冷静なまま。
「
再び宣言すると、ブーツのボルトが地面に突き刺さる。
背後に向かって勢いよく体を倒しながら繰り出した肘鉄が、教師の肩を直撃。
地面にめり込む勢いで、教師が叩きつけられた。
悲鳴を上げることもない同僚に不気味さを覚えながらも、千冬は体を腹筋の力だけで起こす。
起き上がったその前方では、虚がフラフラと立ち上がっていた。
鼻と唇から血を垂れ流し、焦点の合っていない眼で千冬を捉える。
かけていた眼鏡はひびが入っており、使い物になりそうにない。
「ふ、ふふ……流石、世界最強……それだけでなく、虫でもあったとは……」
「…………」
虚の言葉に、千冬は何も返さない。
「私の力による洗脳を解きたいと仰っていましたね……それには、私を殺すしかない。私が死ねば能力は解かれます……しかし……」
そこまで言って、虚は表情を歪に変えた。
呼吸がままならないような声で、ぜえぜえと息を漏らしながら叫ぶ。
「貴女に! 教師である貴女に私が殺せますか!? まぁ、どうやら虫のようですから、殺すことに抵抗はないでしょう。さぁ、どうぞ殺せるものなら―――」
「おい、やめ―——」
虚は、最後まで言葉を紡ぐことが出来なかった。
突如として現れた男が、日本刀を虚の胸に突き刺したからだ。
千冬の言葉は余りに遅く、男には届かない。
柄の長い日本刀を均等な間隔で握っていた男は、ぼさぼさな髪に丸い眼鏡をかけていた。
男は刀を抜き、倒れ込む虚には目もくれず、千冬を冷たい目で見た。
「貴様……虫を狩る虫か」
千冬の低い声に、男は小さく笑うだけ。
「まあね。組織は裏切者を許さない……お前も気を付けた方がいいぞ、芋虫」
「ここは女子高だ。お前のような男が立ち入っていい場所じゃない」
「用は済んだ。すぐに消えるさ」
言葉通り、男は闇に消えた。
千冬は数秒の間動くことなく、警戒していたが「虫を狩る虫」は本当に立ち去ったらしく、ふっと息を吐く。
倒れ込んだ虚の元で膝をつき、身体を腕で起こしたが、目を見開いたまま絶命した彼女は力なく体温を下げる一方。
その目を右手で閉じた千冬は、後ろでうめき声を上げた教師二人の方へ向き直った。
生徒……特に専用機持ち……更に弟の心配を胸にしまいながら、ゆっくりと歩き出す。
「これで、どうだぁ!」
セカンドシフトに成功した一夏の白式は、エムを追い詰めていた。
『雪片弐型』の一撃を受けたエムが後退する隙を与えず、両手を振るう。
「くっ!」
「うおおおおお!」
苦し紛れの射撃も、今の一夏には通用しなかった。
素早い動きでそれを躱し、カウンターのように放った「雪羅」の荷電粒子砲がエムを襲う。
「これで決める!」
一夏の言葉に、輝きを増した白式が応える。
速度を上げて、倒れ込むエムに突進。
今まさに、最後の一撃が『雪片』によって放たれようとしたその瞬間。
白式を纏っていた光が消えた。
「あれ?」
素っ頓狂な声を出す一夏の隙を逃さないエムは、ライフルを二発、強引に撃ち込み高度を上げる。
「織斑一夏。この決着はまた今度つけてやる」
「あ、おい待て!……うおっ」
最後の出力を持って飛び去るエムを追おうと、一夏も構えるが、白式が言う事をきかない。
それどころか、シールドエネルギーがゼロになり、強制的に展開が解除された。
「おいおい、ここでも燃費の悪さが響くのかよ……」
情けない声を出す一夏はしかし、歯を食いしばり悔しそうに眉を顰めた。
「大丈夫か、一夏!」
後方からの声に振り返ると、紅椿を装備した箒の姿が見えた。
静かに降り立った箒に、一夏は表情を変えることなく言う。
「ああ。だけど、逃げられた」
「今は放っておくしかない。それより、他の皆の所に……」
「……そうだな」
恨めしそうにエムが飛び去った方を睨んでいた一夏だったが、箒に促され校舎の方へ走り出す。
少し時間は遡り、南は廊下を走っていた。
走るというよりは、身体を引きずっているといった方が正しいか。
ボロボロになりながらも、足を引きずるように動かす南にいつもの余裕はない。
「ん?」
ふと前方に倒れている生徒数名を見つけた。
並んでいたのか、一直線になっていながらも、各々違う向きで身を廊下につけている。
その先頭で倒れ込む本音を見て、一瞬南の表情が歪んだ。
(いや、切り替えろ。彼女は被害者だ)
南は少しだけ頭を振って駆け寄る。
「おい、大丈夫か」
肩を揺らすが反応はない。
口元に手を当て、呼吸を確かめる。息はしていた。
胸元も小さく上下していることに安堵した南は、続いて他の生徒にも目をやる。
どうやら、全員生きているようだった。
「ふぅ……さて、この惨状をなんと説明したものか……」
小さく息を吐いた南は、彼女らが目を覚ました後の事を思って憂鬱になる。
「酒で判断力が鈍っていたとか……いや、未成年だから飲んじゃいけないし、これは通用しないか」
そこまで言ってまたため息を漏らしたと同時に、近くで破裂音のようなものが耳に届いた。
音の方を見るが、廊下の突き当りまで行かなければいけないらしい。
「次から次へと……」
本音を一瞥し、どこかに運ぶことも考えたが、結局南は、廊下をまた走り出した。
「はぁ……はぁ……」
「いい加減しつこいなぁ……」
楯無が大きく肩を揺らすその対面で、『カブトムシ』は汗を垂らすだけだった。
それを鬱陶しそうに拭って、「
「そろそろ終わりにするっ!」
そう言いながら駆け出した『カブトムシ』に、楯無も再び身構えた。
「お姉ちゃん!」
震えてはいるものの強い口調で姉を呼んだ簪が、自身の専用機『打鉄弐式』を展開。
連射型荷電粒子砲である「
「最強、舐めんなぁ!」
『カブトムシ』は叫びながら、跳躍しそれを回避。
そのまま楯無を突き刺さんと、「兜角」を振りかぶった。
「カ、『カブトムシ』の姐さん?」
ふと聞こえてきた声に、『カブトムシ』は空中で振り返り、そのまま楯無の目の前に着地した。
手元の武器は振り上げたままだ。
楯無と簪も、その声の方に首を動かした。
「なんでここに……」
その声の主、南を見た『カブトムシ』が険しい表情から一変、笑顔に変わる。
「あら、『蜘蛛』……ようやく会えたわね」
「イマイチ状況が読めん。何で生徒会長と姐さんが戦ってるんだ」
「そういうアンタこそ、随分ボロボロね」
『カブトムシ』は、楯無や簪には決して見せなかった柔和な笑みを浮かべたまま南の方へ足を運ぶ。
武器をもったまま接近してくる彼女に、南もまた、警戒することなく手を腰に当てた。
「これが最近の流行りなんだ」
「血だらけでヨロヨロになるのが?」
「まあな」
「そうだ、お姉さんがいい医者を紹介してあげましょうか。『組織』が関わってる加藤外科はね、じいさんの外科医が寝ながら治療するような病院よ! だから、そんな傷も怪しまれないわ」
「加藤外科だけは行かないようにしよう」
小さく笑いながら言葉を返す南の足元がふらついた。
膝から崩れ落ちそうにる所を『カブトムシ』が腕一本で支える。
「すまない、姐さん」
「いいのよ。ところで『グンタイアリ』がこの学校にいるらしいから……」
「ああ、知ってる。ウチにいる世界最き……まぁまぁ強い教員が多分倒してくれてるはずだ」
目の前で自分を支えてくれている『カブトムシ』が、最強という言葉に敏感なことをギリギリで思い出した南は、言葉を変えた。
千冬の不機嫌な顔が目に浮かぶ。
「あら、中々やるわね、その人……じゃあ、私は帰るわ。『組織』に言われてアンタの様子を見に来たけど、元気そうだし」
「俺のこの状態を見て元気そう? さっき医者を勧めた人とは思えんな」
南は彼女の腕に支えられていた体を起こして、自分の足でしっかりと廊下を踏みしめた。
「それくらいなんてことないでしょ。私が鍛えてあげたんだから」
「相変わらず無茶苦茶だな……」
「それじゃあ、またね」
そう言った『カブトムシ』は、持っていた「兜角」をしまいながら、楯無にも手を振った。
遠ざかる彼女の背中に向かって、南が声を上げる。
「姐さん」
「ん?」
「制服……似合ってるな」
「ふふっ、ありがと」
振り返ることもなく片手を挙げた『カブトムシ』。
少し離れた所で、一連の流れを見ていた簪には一瞬だけ見えた。
クールに手を挙げた彼女の頬が、緩み切っていたのを……。
こうして、IS学園史上最悪の事件は幕を下ろした。
専用機持ちが生徒と戦闘を行った廊下には、血が所々飛び散っており、校舎を始めとした様々な箇所がエムとの戦闘で破損した。
多くの生徒は、避難がスムーズに行われたことから、『グンタイアリ』の能力によって洗脳された生徒を見ておらず、直接被害に遭った生徒もいなかった。
そして、『グンタイアリ』の能力を受けた生徒もまた、ただ一人を除いてその間の記憶がなく、簡単なメディカルチェックを受けることで解放された。
しかし一部の生徒は、専用機持ちや千冬によって骨折などの負傷を余儀なくし、各医療機関に搬送されることになった。
記憶もなく、目覚めたら骨が折れているというのは痛みよりも、恐怖によるダメージが大きいことから、彼女らの回復には時間がかかることが予想される。
神代 南を始めとする専用機持ちもまた、国指定の病院での検査を受ける事になった。
襲撃者の正式な発表は、他国のテロリストという当たり障りのないものだったが、南の事情を知っている専用機持ちは『組織』の裏切り者である『グンタイアリ』によるものだということが、彼の口から聞かされることになる。
この情報は事件の後日、南が『組織』から受けたものだった。
そしてもう一つの勢力であった「亡国機業」。
これについてもまだ不明な点が多く、現在、千冬と真耶によって調査が進められている。
―――そんな事件から、一週間が経ったある日。
昼休みの屋上。
普段であれば活気付いている時間ではあるが、大きな損害を出した事件の後と言うこともあり、どこかいつもとは違う冷たい空気が流れている。
扉が開く音に振り返った本音は、呼び出しに応じた一夏を見て一瞬だけ笑顔になった。
しかし、すぐにその表情は消え失せ、俯いてしまう。
唯一、『グンタイアリ』の洗脳が解けても記憶がなくならなかった本音。
実の姉が元凶だからか、重要な役割を担っていたからなのか、その原因は分からない。
ただ一つ分かることがあるとすれば、本音が一夏に対して言い放った言葉は、到底許されるものではないということだ。
一夏は本音の姿を確認すると、表情を変えないまま歩み寄った。
「あ、あのっ……お、おりむ……織斑くん……」
いつもの呼び方ではなく、苗字を呼んだ本音に、一夏はポケットに手を入れて「ん?」と聞いた。
「わ、わたし……その……お、織斑くんに……酷いこと……言っちゃって……それで……」
震える声で言葉を紡ごうとする本音は、彼と目を合わせることが出来なかった。
伝えなけれなばならない言葉があるのに、それが言えない。言えたとして、それを受け止めてもらえるかが分からない。
その恐怖心が、本音を萎縮する。
言葉を詰まらせていた本音だったが、しばらくして意を決した表情で一夏を見た。
静かに言葉を待っていた彼の表情に、溢れ出す涙もそのまま、本音は口を開く。
「ご、ごめん、なさい! 酷いこと言って……それで織斑くんが傷ついて……許してもらえなくても、でも! それだけ言いたくて……うっ……だから……ご、ごめ……ごめん……なさい……」
涙と嗚咽に混じりながら発した本音の謝罪に、一夏は静かに息を吐いた。
本音は俯いたまま目を必死に擦る。
「な、泣く資格なんて……ないのに……私が、駄目なのに……ううっ……ご、ごめ―――」
「―——もういいよ、のほほんさん」
一夏の優しい声音が聞こえたと同時に、その手が本音の肩に置かれた。
「俺が弱いのは事実だし、お陰で新しい力も手に出来たし……って、これじゃあ慰めにならないか……えーっと、それで……あはは、南みたいに上手いことは言えないや」
肩に手を置いたまま一夏は小さく笑う。
「だから、上手いことは言えないけど……だからこそ、そのままストレートに言うよ」
顔を上げた本音の涙を指ですくった一夏。
二人しかいない屋上に小さく風がそよいだ。
髪が揺れて、一夏の表情が隠されることなく見える。
優しい笑顔を浮かべた一夏は、息をすっと吸った。
「許すっ……だからもう、気にしなくていいよ。またいつも通りさ、おりむーって呼んでくれ」
風が揺らした髪は、一夏だけでなく本音のもであった。
そんな髪を撫でながら一夏は小さく、しかしハッキリそう伝えた。
彼の言葉を皮切りに、再び本音の目からは涙が溢れ、一夏の胸に飛び込んだ。
「お、おりむー! ご、ごめ……ごめんね……」
胸にしがみついて泣く本音を抱きしめた一夏。
「のほほんさんだって怖かったよな。もう大丈夫だ……これからは、俺が守るから……」
泣き止まない本音の頭を撫でながら、一夏はただ優しく笑った。
「いいか? 例えば、提出しないといけない宿題の期限が迫ってるのに、それを忘れてたとするだろ?」
所変わって食堂。
とんかつの衣が付いた箸を振りながら、南が専用機持ちに語りかける。
「私は忘れないがな」
箒が愉快げに笑った。
「俺は忘れるんだ」
南が苦笑する。
「そういう時に、織斑先生が『宿題やったか?』って聞いてきて『順調です』と嘘ついてしまう時ってあるじゃないか」
「僕なら、嘘をつかないと思うなぁ……」
「お前になりたい、といつも思ってるよ」
シャルの言葉に、顔を歪ませながら南は続けた。
「そしたら、その嘘を見抜いてるようなところがあるんだ。『早めに終わらせておけよ』って軽く言うだけなんだ」
「それがどうしたのよ」
満足気に話す南に、鈴が怪訝そうな顔で言った。
「俺もそんな格好いい大人になりたいってことだ」
「ふむ、教官は確かに恰好いい。高い目標ではあるが、それを志すとは……さすが、私の嫁だな」
肉団子を口に運びながら言ったラウラに、南も「そうだろう」と頷く。
「そう言えば……お姉ちゃんが、あの女の人の説明と、南のことを話しに来いって、言ってたよ……」
簪がふと漏らした言葉に、南の表情が曇った。
「面倒だな……なんとか、誤魔化せないだろうか」
「生徒会長を誤魔化すのは大変そうですわね」
セシリアが小さく笑う。
「お姉ちゃん、誘導尋問とか得意だから、頑張って」
小さく胸の前で拳を作った簪にため息をつきながら南は箸を置いた。
「分かってる。口が達者だからな。多分あの人なら、北極圏に住む人間に扇風機を売ることだって出来る。断食してる僧侶にハンバーガーだって買わせるさ」
そんな冗談でひときしり笑ったテーブルに、一夏が寄ってきた。
「おう、皆もう食べてるのか」
「うん、ごめんね。布仏さんとのお話、長引くと思って」
シャルロットが片目を閉じて手を合わせた。
「いや、いいよ。俺も何か買ってこよう」
「一夏」
そう言ってカウンターの方へ足を踏み出した一夏に、南が低い声を出す。
「ん?」
「大丈夫か?」
真剣な表情で言う南だったが、一夏は対照的に笑顔だった。
「ああ、大丈夫だ」
力強く頷いた一夏に満足した南は、「そうか」とだけ言い、再びとんかつを齧る。
「あ、それとさ」
「どうしたの?」
鈴が首を傾げる。
「女の子って柔らかいんだな~」
笑顔のまま言った一夏は、返事も聞かずに再びカウンターの方へ。
つい先ほどまで本音を抱きしめていたことなど知らない七人は、ポカンとするだけ。
しばらくの沈黙の後、南が口を開いた。
「酒で判断力が鈍ってるんだ」
そんな彼の言葉に、女子六人は首を傾げた。
グンタイアリの能力は少し変えました。本音には今後も出番があるので。