土曜日の夜。一夏と南の部屋の扉がノックされた。
「すまん南。今、のほほんさんとの電話で忙しいから出てくれないか?」
一夏が椅子に腰かけたまま、スマホを耳に当てて言った。
何の話をしているのか、ニヤニヤしながら言う一夏に、南は不機嫌な表情を隠すことなく、横になっていたベッドから立ち上がった。
「ノックされたら出るとは知らなかったよ、ありがとう」
皮肉を込めて言ったが、一夏は既に聞いていない。
扉を勢いよく開ける。
「おう、鈴。どうした」
風呂上りだからか、火照った頬に下ろされた髪。ピンクのパジャマ姿で南を上目遣いで見つめる彼女は、いつもの活発な様子からは伺えない一面だった。
南は部屋から出て、後ろ手に扉を閉める。一夏が本音と話す声が聞こえなくなった。
廊下には南と鈴以外、誰もいない。
「あ、あのさ……」
鈴が意を決したように口を開く。
「アンタ、明日ひま?」
「ああ、暇だぞ」
簡潔に答えた南に、鈴の表情が明るくなった。
「それじゃあ、どこか行かない?」
「お、そうするか。ちょうど本を買いに行きたかったんだ」
「どうせ漫画でしょ」
「どうせと言われるのは心外だが、まぁそうだな」
腕を組んで頷く南に、鈴はため息をついた。
しかし、すぐに笑顔になり左手を腰に当てた。
「それじゃあ、明日迎えに行くから!」
そう言ったあと、右手で南の胸元を指す。
「それと! 二人で行くんだから、他の娘に言っちゃダメよ!」
「任せろ、口は堅いぞ」
胸を張って言う南が不安で仕方ない鈴だったが、「絶対よ!」とだけ言い残し部屋の前から去った。
南はそんな鈴が見えなくなるまで立ち尽くし、それから部屋に戻る。
本音との通話を終えたのか、一夏がゲーム機を準備していた。
「あ、南。誰だった?」
「鈴だ。明日遊びに行ってくる」
「ふーん。鈴はゲーム上手いから、ゲーセン行ったら気を付けろよ」
「俺を誰だと思ってる。心配はいらない」
「じゃあ、俺がその腕を確かめてやろう」
一夏はそう言いながら、アーケード版と家庭用版が存在する格闘ゲームを起動した。
コントローラーを握りながら南は自分のベッドに腰かける。
「お前、このゲームで俺に二十戦以上負け越してるんだぞ」
「慣れないキャラ使ってるから、ちょっと練習が必要なだけだ!」
「チートと反射神経と、願いを叶えてくれる魔法のランプもな」
そう言い終わる頃には、一夏が操作するキャラクターが派手に吹き飛び、大きくK.O.の文字が表示された。
朝七時。
掛け布団を頭まで被っていた南の体が揺らされた。
一度では起きない彼も、何度も揺さぶられると流石に目を覚ます。
「んぁ?」
布団を捲りながら目を細める南。
首元を触りながら、ベッドの脇に立っている人物に焦点を合わせた。
「鈴か……?」
「おはよう、南。迎えに来たわよっ」
眩しい笑顔で言う鈴だったが、南の表情は曇るばかり。
枕元のスマホで時間を確認する。
「お前……まだ、七時だぞ……」
ハッキリしない声で言う南だったが、鈴は気にしない。
「ほら、折角だから朝ごはんも外で食べようと思って! 予約もしといたわ」
そこまで言われてようやく南は大きく伸びをした。わしゃわしゃとベッドの上で体を伸ばす。
「ん、鈴……?」
少し離れた位置にあるベッドで寝ていた一夏も目を覚まし、鈴の姿を確認するや否や、壁にかけている時計を見て顔をしかめた。
「まだ七時じゃん……遊びに行くには早くないか?」
「それはもう俺が言った」
鈴の代わりに南がそう返し、ゆっくりと立ち上がる。
顔を洗うべく、洗面所の方へ歩いて行った。
(今日は日曜日……悠長なことしてるとまた、専用機持ちの誰かと鉢合わせなんて……それだけは阻止しないと!)
「それじゃあ、南。早く着替えてね? 外で待ってるわ」
鈴はそれだけ言って部屋を出た。
顔を洗っていた南は、言葉にならない声で返事をする。
「凄い気合いの入りようだったな。化粧も変えたのか、普段と雰囲気も違ったし」
南はジーンズに足を通しながら言った。
再びベッドの上で目を閉じていた一夏が「んー」と声を絞り出す。
「そうかな? そうは見えなかったけど」
「お前にどう見えているかなんてのは関係ない。酸素は見えなくても存在している」
「何言ってんだ?」
一夏の問いかけを無視して、南はプレートネックレスを首にかけた。
右手にメタルフックのレザーブレスを付け、濃い赤の長袖Tシャツの上から厚手のニットカーディガンを羽織った。
「行ってくる」
簡潔に言った南は、スマホをポケットに入れて扉を開けた。
鈴は手を後ろで組み、踵を上げ下げしていたが、南を見るや少し跳ねて隣に立つ。
「待たせたな」
「いいのよ。それじゃ、行きましょ!」
「随分とご機嫌じゃないか」
学外に続く道を、二人は朝日を受けながら歩く。
「ここよ」
電車に乗り十五分。そこから歩くこと五分。
鈴が予約したと言う店は、ハワイアンカフェだった。
朝の九時前だというのに、既に店の前には行列が出来ている。
若い男女や、セレブな雰囲気を醸し出している高齢者で形成された列を素通りし、鈴は店の方へ。
南はその後ろをただついて行く。
店の中は広々として開放感があったが、二人は更に奥の扉からテラスの方へ案内された。
「こちらで少々お待ちください。九時になりましたら、ご注文の方お伺いいたします」
若い女性の店員は、頭を下げてからテーブルから離れる。
「さて、凄い店まで来てしまったな……」
「結構人気のお店なのよ? 予約取るの苦労したんだから」
鈴はメニューをパラパラと捲りながら言った。
「そうか、それはすまない……お礼に俺が奢ってやろうじゃないか。何を食べるんだ?」
対面に座る鈴が捲るメニューを覗き込んだ南。
当然、顔が近くなる。
急なことに顔を赤くした鈴だったが、平静を保とうと目線をメニューから反らした。
「あ、あたしはアサイーボウルでいいわ。ほら、アンタは男なんだからロコモコでも食べなさいよ」
「おおう、朝から重いな」
困惑した声が漏れたが、鈴にそれを気にする余裕はない。
九時になったのか、店員が再びテーブルを訪れ注文をとる。
手早く済ませた二人は、陽が程よく差し込むテラスの暖かさと、常夏のビーチを想起させる木々にうっとりと目を細めた。
そんなテラスの雰囲気に飲まれたのか、二人同時に欠伸をした。
「流石に朝早いと欠伸も出るな」
「そうね。でも、あの列に並ぶのは嫌でしょ?」
オープンしたばかりだというのに、店内のテーブルには既に空きがなく、更に店の外では長い列を作っていた。
「早く来て正解だ」
それだけ言うと、注文した物が運ばれてくる。
優雅な一時を過ごした二人は、カフェを出た後、ちょうどこちらもオープン時間を迎えたショッピングモールへと足を運んだ。
本屋へ立ち寄った後、ブラブラと当てもなく歩く。
「あ、これ可愛い」
雑貨屋が立ち並ぶフロアで、鈴がそう言って手に取ったのは、リンゴを模したマグカップだった。取っ手の部分はリスがそのリンゴに抱き着いているように見える形をしていた。
「マグカップか……それなら、こっちはどうだ?」
南が手にしたのは、魚が激しく水飛沫を上げながら、川を泳いでいる様子がプリントされたカップで、取っ手の部分は荒々しい熊が、その魚を狙っている形をしたもの。
鈴の表情が曇る。
「どんなセンスしてるのよ……」
南の変なチョイスに冷めたのか、マグカップを置いた鈴はまたゆっくりと歩き始めた。
しばらく歩いていると、大きなフロアが目に入った。
少し照明が暗くされている施設、ゲームセンターだ。
「どうだ、鈴。何かやって行かないか?」
「いいわよ……あ、そうだ。こっちこっち」
南が余裕の笑みを浮かべながら問いかけると、鈴は頷いた後、何かを思い出したかのように南の袖を引っ張った。
「そんなにやりたいゲームがあったのか」
ずんずんとゲームセンターの奥へと進んでいく鈴に引っ張られる形の南は、されるがまま付いて行くだけだった。
「ほら、これよこれ」
そう言って鈴が立ち止まったのはプリクラ機の前だった。
「え?」
てっきり昨日の一夏の話から、件の格闘ゲームをやるのだと思っていた南は拍子抜けする。
「プリクラよ。撮りましょ?」
「昨日、一夏と練習したのはなんだったんだ……」
「え? 一夏とプリクラの練習……? アンタ達、まさか本当に……」
「やめてくれ……格闘ゲームだよ、ほらお前も得意だって言うあのゲームだ」
「ああ、それはコレを撮ってからよ」
「ちゃんとやるんだな」
苦笑した南は、やはり引っ張られるまま鈴に続いて機械の中へ。
狭い内部では、自然と二人の距離は近くなり、鈴の鼓動は早くなる。
南もまた、プリクラという慣れない内部とその距離感に困り顔をするしかなかった。
「何か、気恥ずかしいな……」
「い、いいからっ。ほら、撮るわよ」
前方から流れる甲高い音楽と音声に顔を顰めた南であったが、写真を撮る直前で表情を引き締める。
確認画面に映し出される二人は明らかに緊張していた。
「ちょっとアンタ、笑いなさいよ!」
「いや、お前の笑顔もなんだ。引き攣ってるぞ」
そう言って何度も取り直した結果、満足のいく写真を得たのか二人は狭い内部を出る。
大きく伸びをした南は、鈴へ笑いかけた。
「さぁ鈴。次は分かってるな?」
「はいはい、相手してあげるわよ……せいぜい楽しませなさい」
指を鳴らしながら鈴が大股で筐体の方へ歩いて行く。
「一夏のようにはいかなそうだな」
南が首を回しながらその後に続く。
「はぁー、あっつい」
「全くだ」
ゲームセンターを出た二人は同時にベンチに座り込んだ。
結局、五勝五敗の引き分けに終わり、その白熱した戦いぶりに、少しだがギャラリーも出来るほどだった。
鈴はパタパタと手で仰ぎながら、息を吐いた。
「鈴、この決着はいずれつけよう」
同じく大きく息を吐きながら南が言う。
「いつでもいいわよ」
不敵に笑った鈴に、南も応えた。
「飲み物を買ってくる。何がいい?」
南は、すぐそばにある自動販売機を指さした。
「水でいいわ……はい、お金」
「これくらい買ってやるのに」
そう言いながら南は、鈴の手から百円玉を受け取りベンチを離れた。
両手にペットボトルを持った南が再びベンチに戻っても、まだ鈴は暑い暑いと、顔を顰めていた。
「ほら」
「ありがと」
水を手渡し、隣に腰を下ろした。
「鈴……せっかくいつもとは違う化粧をしているのに、汗かいて大丈夫なのか?」
南が何気なく言うと、鈴はガバッと姿勢を起こした。
「え、えっ!?」
「何だ?」
困惑しながら聞く南に、鈴は胸倉を掴む勢いで迫る。
「き、気付いてたの?」
「化粧のことか? それは気付くだろう」
「いつから!?」
「最初、起こしに来た時からだ。証拠はあるぞ……一夏に聞いてくれればいい」
自信満々に言う南だったが、鈴の肩はわなわなと震え始める。
「だったら、もっと早く言いなさいよ!」
「いや、わざわざ指摘されると恥ずかしいかと思って……」
怒られるとは思っていなかった南は、どうどうと鈴の肩に手を置いた。
「恥ずかしいわけないでしょうが……何で言わないのよ……」
呆れ顔で言った鈴に、しばらく何も言い返せない南であったが、やがて何かを思いついたように笑顔になった。
「俺は口が堅いからな」
鈴のジト目が突き刺さる。