「お前に話すことがある。お前の……家族のことについてだ」
笑顔のまま固まっていた一夏だったが、少ししてその表情を変えた。
怒りのような、不安のような……ともかく、心の不安定を示すようだった。
「なんで……」
一夏の肩が震える。
デートだからと、南が貸したグレーのPコートを脱ぎ捨てた。
「なんで、お前が俺の家族について話すんだよ」
「今日、お前の実家を掃除しに行ったのは、分かってるな?」
南が問いかけるように言うが、一夏は反応しなかった。
「織斑先生の部屋を掃除させられて、その時見つけたんだよ」
「……何を?」
「手紙だ」
簡潔に言うと、一夏はゆっくり息を吐いた。
背もたれに身を預け、宙を拝む。
「読んだのかよ」
「……すまない」
消え入るような南の声は珍しい。
部屋は重苦しい空気に包まれており、一夏も混乱を隠せない様子だった。
「お前が小学校を卒業する歳の誕生日に送られてきたものだ。内容は……」
「ま、待ってくれ!」
「どうした」
「知りたくない」
一夏の声は怒気を孕んでいた。
吐き捨てるように言うと、勢いよく立ち上がり、洗面所の方へ大股で歩いて行く。
南は迷いながらそれに続き、一夏の背中に声をかけた。
「本当にいいのか?」
「俺と千冬姉が捨てられた話はしただろ? 子供を捨てるような親の手紙なんて、誰が読みたいんだよ」
石鹸で手を真っ白にしながら、南の方を振り向くことなく怒鳴りつけるように言った一夏に、南も眉を下げるばかり。
頭を低くしているため、鏡に映ることもなく、その表情は伺えない。
「……そうか」
南はそれ以上、何も言わなかった。
部屋着になり、ベッドに潜りこむ。
少ししてシャワーの音が聞こえてきた。
そんな音に身を預けて目を閉じると、自然と眠気に襲われ、気が付けば眠っていた。
南が目を覚ましたのは朝の七時半だった。
隣のベッドに目をやるが、もう一夏の姿はない。
いつも月曜の朝は憂鬱になるのだが、この日は不思議と何も感じなかった。
制服に着替え、顔を洗う。
朝食を摂る気にはならなかったが、一夏の姿を確認するため、部屋を出た。
その道中、背中をポンと叩かれ、振り返るとシャルが笑顔を浮かべていた。
「おはよ、南」
「ああ」
南は無理矢理口の端を持ち上げた。
すぐに正面を向いた。歩幅を変えることはない。
シャルが隣に並んだが、その距離は近く、腕と腕が重なってしまう。
「ラウラね、せっかく起こしてあげてるのに、全然起きないから放ってきちゃった」
いつもと明らかに様子が違う南に「どうしたの」と聞かないシャルの優しさが響く。
「仕方ないな」
南が小さく言うと、シャルは頷くだけ。
静かで気まずいようにも見える二人だったが、南はどこか落ち着いた気分になれた気もした。
食堂に着くと、いつものメンバーが座るテーブルに、一夏の姿を見かけた。
「皆、座ってるね。僕が南の分も取ってきてあげるから、南は先に座ってて」
「頼む」
シャルは「任せて」と力強く言うと、カウンターの方へ向かった。
その様子を少しだけ眺めていた南は、専用機持ちが座るテーブルにゆっくり歩き出す。
「おはようございます」
セシリアが言うと、一夏がチラリと南を一瞥する。
「おう……一夏、先に来てたんだな」
「まあな」
素っ気ない一夏の返事に、箒と鈴が顔をしかめた。
簪は不安げに南を見る。
その後も、何とも重苦しい空気がテーブルを包んだ。
特別、盛り上がっていたわけではないが、箒たちも言葉を飲むしかない。
それはシャルが二つの盆を持ってきても変わらなかった。
黙々と箸を動かす南と一夏、その様子を交互に見つめるラウラを除く専用機持ち。
沈黙が続いていたテーブルで、箒が口を開いた。
「……喧嘩でもしたのか、二人とも」
低い声に、南と一夏の動きが止まる。
「そんなんじゃないよ」
一夏はそれだけ言うと、再びは箸を動かした。
南も「喧嘩じゃない」と付け足す。
「じゃあ、どうしたのよ。朝からテンション下がるわねー」
鈴の苛立った声に一夏が顔を上げた。
「南が、俺の親からの手紙を読んだんだってよ。俺も知らない両親からの手紙を!」
怒鳴るように言う一夏。
箒と鈴は事情を知っているからか、目を見開いた。
ため息をついた南は茶碗を置く。というよりは、軽く投げ捨てたようだった。
「だから、内容を教えてやると言っただろ」
明らかに怒っているその声は、一夏を逆撫でするだけ。
一夏は、南を睨みつけながら箸を置いた。
「大体、内容を教えるってなんだよ。その手紙を持って来いよ」
「もうない」
「ないって……なんで?」
「お前の姉が燃やしたからだ」
「ッ! 千冬姉もその手紙のこと知ってたのかよ」
「そうだ」
「じゃあ、その手紙の内容を知ってるのはお前と千冬姉だけってことか! 一日で随分仲良くなれたな!」
「何が言いたい」
南が立ち上がった。
一夏も続く。
「別に」
険悪なムードに、食堂にいる全員からの視線が刺さる。
簪とシャルが南の袖を必死に引っ張り、座らせようとした。
一夏は舌打ちをした後、食堂を去る。
扉の前で、ラウラとぶつかりそうになった。
「っ! 急に飛び出すと危ないぞ」
何も知らないラウラに何も言わず、一夏は走り出した。
引っ張られるまま席についた南はため息をついた。
ラウラが目を丸くしながら、恐る恐るテーブルの方へ。
「どうした?」
「ちょっとね」
シャルが答えるが、他は黙ったまま。
ラウラも、そうかと呟くしかなかった。
そんな一夏と南の軋轢などお構いなしに、授業は進む。
南は机に突っ伏したままで、授業の内容など一つも聞いていなかった。
四限が終わり昼休みになると千冬が教室を訪れ、一夏を呼び出したのを見て、南も廊下に出た。
箒やセシリア、シャル、ラウラも止めることはせず、その様子を見送るだけ。
昼休みになると一組に飛び込んでくる鈴と簪も、その日は姿が見せなかった。
南は屋上に出て、ベンチに座り込む。
他には複数の生徒が昼食を摂っていた。
途中で買った缶ジュースを傾け、息を吐く南。
その額にペシッと扇子が当てられた。
目を閉じていた南は、片目だけを開ける。
「会長」
「はーい、南くん」
「今、アンタの相手をする元気はないんだ」
「そんな連れないこと言わないで? あなたと私の仲じゃない」
臆することなく南の隣に腰かけた楯無に、南はため息が出た。
「どうしたの、元気ないわねー」
「悩み多き年頃なんだ」
「南くんでも弱気になることがあるの?」
「四年に一度な」
以前にも言ったことを適当に答える南だったが、楯無は笑みを崩さなかった。
扇子をトントンと頭に当てながら足を組む。
「おねーさんに話してみる気は?」
「……問題が解決するなら」
「それはあなた次第よ」
楯無が笑い飛ばすと、南も笑みを浮かべた。
缶ジュースを飲み干し、ゴミ箱に投げ捨てる。
カコンッといい音を立てて、中に吸い込まれる缶を見て、楯無が「おー」と軽く手を叩いた。
「一夏とちょっとな……」
「あら」
「アイツのデリケートな問題を知ったから、黙ってようとも考えたが……やっぱりそれは良くないと思って」
「それで?」
「話したはいいけど、やっぱりアイツには触れられたくないことだったんだ……」
そこまで言うと、楯無はおもむろに立ち上がり、南の正面に立った。
見上げると、楯無は優しく微笑んでいる。
「それは、あなたが優しい証拠よ」
「どうだか」
「普通ならそんなの黙ってるか、適当に話して終わるもの……伝えてしまったことで悩めるのは、あなたの優しさ……私は、違ったから……」
楯無が苦笑する。
「……私と簪ちゃんの仲の懸け橋になったあなたなら、一夏くんとの問題もなんとか出来るわ。きっと」
そう言って楯無は、南の頭を撫でた。
特に抵抗することなく、南はされるがまま目を閉じた。
その日の放課後、南が寮の廊下を歩いていると、一夏の背中を見つけた。
「一夏」
一瞬、言葉を飲んだ南だったがその背中に声をかける。
肩を少し振るわせた一夏は、ゆっくり振り返った。
泣き出しそうな表情に、南も唇を噛む。
「その……朝は悪かったな」
一夏の傍で、南が言う。
目を合わせることは出来なかった。
「いや、俺も……ごめん」
それは一夏も同じであったが、小さな声でそう言った。
「混乱しててさ。両親の話は、千冬姉との間でもタブーみたいな内容だから」
「ああ」
「それで、昼休みに二人で話してから落ち着いてさ。お前だって、読みたくて読んだ訳じゃないもんな」
部屋の前まで来て、一夏は南に微笑みかけた。
随分、久しぶりに見たような気のする笑顔に、南もつられて笑う。
「俺も勝手に読むべきじゃなかった」
「いいんだ。ちゃんと話してくれたし……隠されると、もっと辛かっただろうし」
部屋の鍵を開けて室内に入った二人は、鞄を置いて、それぞれのベッドに腰かけた。
「内容は千冬姉も教えてくれなかったし、その手紙ももう燃えちまってるし……」
「知りたいか?」
「どうだろうな……知りたい気もするけど……正直、ちょっと怖い」
「そうか……」
南は頷いて、立ち上がる。
制服を脱ぎ、部屋着を手にとった。
「のほほんさんと飯行ってくるよ」
「ああ、分かった」
早足で部屋を出た一夏。
閉まる扉を、南は頭を働かせながら見つめていた。
一夏が本音との夕食を終えた後は、いつも二人でグダグダと話をして過ごす。
時には何も言わず、ただ黙って寄り添っている日もあるくらいだが、この日は違った。
すぐに別れて、自室へと帰る。
なんだが、二人で過ごす気分ではなかった。
自分と姉を捨てた両親からの手紙が、一夏の調子を狂わせる。
しかし、その手紙はもう存在しない。
内容を知っているのは友人と姉だけだ。
知りたいのか、知りたくないのかすら分からない妙な気持ちが、不安感を煽る。
「悩んでても仕方ないか」
自分に言い聞かせるようにして、また前を向いた。
その瞬間。
箒が角から飛び出してきた。
「うおっ!? ほ、箒かびっくりした……あー、朝はごめ―――」
「来い」
箒は短く言って、一夏の袖を引っ張った。
「お、おい!?」
力強く引っ張られるまま、ずんずんと寮の廊下を進んでいく。
たどり着いたのは南の部屋で、自分の部屋でもあった。
「俺の部屋じゃん」
「布仏とどこか行かれると困るからな」
「いや、もう帰るつもりだったけど……」
「……………」
「……………」
微妙な沈黙が続いた。
「……入れ」
若干顔を赤くした箒が言う。
戸惑いながらも一夏は自分の部屋の扉を開けた。
「お、箒に捕まったか」
二人用の部屋には一年の専用機持ちが集結しており、人口密度が非常に高い。
南は嬉しそうに言うと、座っていたベッドから立ち上がり、一夏の椅子に手を向けた。
「まぁ、座ってくれ」
元々、帰ってくるつもりだったとは言わず、一夏は大人しく椅子に座る。
「皆してどうしたんだ?」
「一夏ね、ご両親からの手紙の内容を知るべきか悩んでたでしょ?」
シャルが言うと、ラウラが続いた。
「だから、嫁が解決策を考えたんだ」
「解決策?」
一夏は首を傾げた。
南が意気揚々と立ち上がる。
「簡単なことだ。『知っている』と『知らない』という矛盾した状態は共存可能なんだ」
誇らしげに言った南だったが、一夏はうまく呑み込めず頬を掻いた。
すると簪が口を開く。
「つまり、量子力学でいう重ね合わせ……物理系は複数の状態で共存しうるの」
余計分かりにくい、と一夏が顔を顰めた。それは南も同じだったようで、苦笑しながら言った。
「……そういうことだ。皆、そう思ってた」
適当にあしらわれ、折角補足してあげたのにと、簪が頬を膨らませる。
「これから俺達が、手紙の内容を言う。一つは本当だが、どれかは言わない。知っているのは俺だけだ……当然、皆も自分が本当のことを言っているのか嘘を言っているのかは分かっていない」
一夏は一応理解したようで、戸惑いながらも頷いた。
簪が嬉しそうに付け足す。
「これで織斑くんは、アンビバレントの状態でいられる」
「アンビバレントというのがポイントだ」
南が適当に指さした。
簪がまた不満そうな顔をする。
「セシリアから」
南が言った。
セシリアは優雅に頷いて、立ち上がった。
「中身は誕生日カードのようなものでしたわ。『誕生日おめでとう。二人を愛している』というメッセージがありました」
言い終えると、セシリアは静かに座り込む。
一夏は何も言わず聞いていた。
「シャルロットさん」
「ご両親はね、実は小学校の卒業式に来てたんだ。『立派になって涙が出た』って……」
小さく頷く一夏の目が少し潤んでいる。
「簪、お願い」
「はい……『家族は一番の宝物だ』と。『お前達二人は互いに支え合って生きろ』って」
交差させていた指を落ち着きなく動かしていた一夏は、何かを噛みしめているようにも見えた。
「次は、箒」
「うむ……お前の両親にはな、裏の顔があった。お前と千冬さんを守るため、仕方なく去ったんだ」
箒はいつになく優しい声音で言った。
幼馴染に対する暖かい気持ちがそこには垣間見れる。
「ラウラ、頼んだ」
「生まれたてのお前と教官を抱いている写真がそれぞれ挟んであって、『神様からの贈り物だ』とあった」
息を吐きながら聞いていた一夏が、宙を仰ぐ。
「嫁」
「お前の両親は事故にあったんだ。死ぬ間際に『すまない。苦労をかけるが、二人で力強く生きろ』って、そう書いてあった」
一夏は、南から目を離さなかった。
南も同じだった。
「最後、鈴」
「内容は地図になっていたの。徳川埋蔵金の在り処が示してあったわ」
「……俺の両親はトレジャーハンターだったんだな」
そこで一夏が初めて笑みを浮かべた。
目元を拭って立ち上がる。
冷蔵庫の扉を開け、水を取った。
「大丈夫?」
シャルが不安そうに尋ねた。
一夏はペットボトルを傾けながら、「ん」と短く言い、頷くだけ。
「まだ、食堂も空いてるし……皆でデザートでも、どう?」
簪が控えめに聞いた。
すると一夏は「いいな」と笑い、空になったペットボトルを捨てた。
それに続くように、皆が扉の方へと向かう。
「ねぇ、南」
鈴が不機嫌そうに南の肩を叩く。
「なんだ?」
「あたしだけ、どう考えても嘘よね?」
「どうだろうな」
「これじゃあ、あたしは本当のことを絶対に教えられない、頼りない女ってことになるんだけど」
「あ、聞こえちまったか?」
南が嬉しそうに言うと、鈴は地団駄を踏んだ。