十二月に入り、本格的な冬の寒さが訪れた。
寮には暖房が付き、外に出入りするたび、その温度差に表情が変わる。
南達が京都から帰った後の学園は静かなもので、何かイベントがあるわけでもなく、妙な組織が襲ってくるわけでもない、ただ静かで、それでいていつものような騒がしい日々が流れていた。
一つ変わったことがあるとすれば、南を取り囲んで箒、セシリア、鈴、シャル、ラウラ、簪の六人で騒がしかった所に、楯無が乱入したくらいだろう。
一夏と本音の関係も少し落ち着きを見せている。
以前は毎日のようにべったりしていたが、今は端から見ても程よい距離感であった。
元々、専用機を持ち、世界で二人しかいない男性IS操縦者の一夏は忙しく、その中で無理矢理時間を作ることそのものが、どこか焦りや慌ただしさを感じさせていたのかもしれない。
そんなある日の朝。
南の机を、箒とセシリア、シャル、そしてラウラが囲っている時だった。
「おはよー、皆ー。今日もみなみんはモテモテだねぇ」
「布仏さん、おはよう」
本音が長い袖をプラプラと振りながら言った。
いち早くシャルが言葉を返し、各々がおはようと続ける。
「別にモテてるわけじゃないと思うが……」
南が困ったように言うと、本音は声を出して笑った。
対照的に四人の眉が下がる。
「もー、みなみんはニブチンだなぁ~……あ、そうだ、聞いて聞いてー」
のんびりした話し方のまま、本音がまた袖を振った。
「昨日ねー、いっくんに膝枕してもらっちゃったんだ~。気持ち良かった~」
「世界で三番目くらいにいらない情報だ」
箒が腕を組む。
小声で言ったからか、本音に気付く様子はない。
「みなみんはー、膝枕すき~?」
「嫌いな奴がいるなら会ってみたいな」
「あはは~、そうだよね~」
二人が会話を進めるのを、四人は黙って聞いている。
参考にと、興味深く耳を傾ける。
「じゃあじゃあ、してもらうのと、してあげるのは、どっちがいいー?」
本音の質問に、セシリアが生唾を飲んだ。
南はしばらく考え込む。
「……してくれるなら、して欲しいし……して欲しいなら、してやりたい」
「おー」
おどけた様子で手を叩く本音だったが、四人は表情をだらしなく緩めた。
上辺を向いて、妄想する。
『なっ!? ひ、膝枕だと!? う、うう……お前が、ど、どうしてもして欲しいと言うなら……お、おいっ! 急に……く、くすぐったいではないか……ふふっ、仕方ない奴め』
『南さん……その……お、お願いが、ありまして……ひ、膝……わたくしに、膝枕をしていただけませんか!? あ、ありがとうございますっ! そ、それでは失礼いたしますわ……』
『ほら、南、おいで。疲れてるでしょ? 毎日しっかりケアしてるから……僕のお膝、心地いいと思うよ。遠慮なんてしなくていいからね!』
『今日も疲れたぞ、南……ん、言われなくても膝を差し出すとは流石、私の嫁だな。では……あふぅ……気持ちいい……心が安らぐな。一日、頑張った甲斐があったぞ』
「南!」「南さん!」「南っ!」「よめ……南!」
「な、なんだ……」
しばらく微動だにせずに黙っていた四人が突然動き出したかと思えば、突然名前を呼びながら迫ってきた為、南は肩を震わせた。
事の発端である本音に関しては、既に自分の席についてしまっている。
「わ、私が膝枕をしてやろう! 何、遠慮することはない」
「わたくしに膝枕していただけませんこと!? お、お礼はたっぷりとさせていただきます!」
「あのね、僕で良かったら……膝枕、してあげてもいいよ? きゅ、急にはダメだからね! 僕にも、準備があるから……」
「嫁が夫に膝枕をするのは当然か? クラリッサに聞いてないから分からんが、恐らく当然だろう。よし、今すぐ頼む」
「「「「むっ」」」」
当時に言った四人は、同時に互いを睨んだ。
今すぐにでもじゃんけんをし始めそうな空気に、南は静かに席を立つ。
「じゃんけんぽん! あいこで……南さん、どこにいきますの!?」
南がポケットに手を入れた頃には、もうじゃんけんを始めていた四人は、教室を出ようとする南に気付き中断した。
「トイレだ。もうすぐホームルームだからな」
「この大事な時にか!」
ラウラが拳を握った。
隣でシャルも頷く。
「俺の尿意は、我が道を行くんだよ」
適当に言い放って、教室を出た。
南と一夏が使うことの出来る最も近いトイレは、職員室の隣にある。
その為、トイレから出ると、色々な教師と鉢合わせになることが多い。
鉢合わせて一番うれしいのは、二人揃って真耶だった。
優しく笑みを浮かべながら挨拶をしてくれる。
しかし、この日鉢合わせたのは、南にとっては二番目に嬉しくない教員だった。
「織斑先生……」
「ん、神代か。もうホームルームだ、教室に戻れ」
「分かりました。それでは」
軽く会釈をして、一組に向けて廊下を大きく回ろうとする南。
その襟を、千冬が掴んだ。
「どこへ行く。こっちだろう」
「ですよね」
遠回りしようとしていたことなど言えず、千冬の少し後ろを歩く。
何とも気まずい空気が流れ、南は無意味に「星が綺麗だな……」と、朝日を受けながら言った。
しかし、千冬は振り返ることもなく、ただ歩くだけ。
南も、何も言ってこないなら言う事もないかと、静かに歩いた。
「あー、その、なんだ……」
しばらく歩いていると、不意に千冬の歩くペースがガクッと落ちた。
思わず追い越しそうになりながらも、南は隣に並ぶ。
「最近の一夏はどうだ」
どこか緊張した声音で聞く千冬に、南は少し驚きながらも、頬を掻いて言葉を探す。
「どうって……頑張ってるんじゃないですか? のほほんさんとも上手くやってるらしいですし」
本音が膝枕の話を持ち出したことを思い出しながら答える。
一夏が膝枕をしている姿が、否が応でも脳内に浮かび、南の表情が曇った。
「アイツに限って変なことをしていなければいいがな」
「ですよね」
余計なことを言わないようにと簡潔に頷いた。
「お前も、あの小娘共と仲良くするのはいいが、くれぐれもおかしなことはしないようにな」
「気を付けます」
「あと、頼むから問題も起こさないでくれ」
「優等生の俺を捕まえてそんなこと言いますか?」
「お前のどこが優等生だ。少しは織斑を見習え」
「あいつは優等生ですかね」
「私の弟は、お前のように騒がしくない」
「ですよね」
再三頷くと、ちょうど一組の教室の前だった。
千冬は前のドアから、南は後ろのドアから教室に入る。
日直の一夏が号令をかけると、全員が起立した。
その日の夜。
件の九人で夕食を食べ終え、部屋に戻る間近に、一夏が口を開いた。
「あ、南」
「どうした」
「千冬姉に彼氏っていると思うか?」
啜っていたお茶の入った湯呑をテーブルに置く。
すると、楯無が身を乗り出した。
「なぁに、一夏くん。自分のお姉ちゃんの恋愛事情が気になるお年頃?」
「いや、まぁ……」
「自分に彼女が出来たから、姉の相手を見る余裕が出来たんだな」
箒がからかうように言う。
一夏は照れ臭そうに身を捩った。
「織斑先生って、いくつだ?」
「二十四」
「じゃあ、いてもおかしくないな。俺は『いる』派だ」
「私も……いると、思う」
南が手を小さく挙げると、簪が頷いた。
「はいはーい、おねーさんもいると思いまーす! 一緒ね、南くんっ」
「ぼ、僕も……って、楯無会長! 南から離れてくださいっ!」
楯無は勢い良く手を挙げた後、南に抱き着いた。
自分の胸元に南の顔を押し当てる姿に、シャルが慌てて二人を引き離す。
「そ、そっか……俺はいないと思うんだけど……」
「当然だ。織斑一夏が正しい……教官に彼氏など、そんな浮ついたものは存在せん! そもそも、この世界で、教官と釣り合う男など、南以外に……みな、み……お前は私の嫁だからな! 教官はダメだぞ! か、勝てる訳がない……」
最初こそ威勢よく言い放ったラウラだったが、次第に声が小さくなり、最終的には涙目になりながら南を見つめた。
隣で鈴がその頭を撫でている。
「俺もコイツの兄貴にはなりたくない」
南はため息交じりに一夏を指した。
そのまま、箒と鈴に向き直る。
「箒はどうだ? 鈴も……前から付き合いがあるだろ」
「お前の言葉を使わせてもらうなら『いない』派だ。あの千冬さんに彼氏など、想像できん」
「あたしも、『いない』かな~。千冬さんって、そういうの興味なさそうだし」
二人の答えに、心なしか一夏の表情が輝いた。
「だ、だよなっ! さすが、幼馴染。よく分かってる!」
「これで『いる』派は、一夏と箒、鈴、ラウラ……『いない』派は俺とシャル、簪、楯無……あとは」
南が一人ずつ指をさしていった。
その指が、紅茶を嗜む少女の前で止まる。
「セシリアは? どっちだと、思う?」
簪が訊ねた。
一斉に視線が向いたからか、セシリアは少し驚いた顔をした後、静かにカップを置いた。
「こ、こほん……あまり、人様のそういったことに足を踏み入れるのは淑女として―――」
「そういうのいいからっ!」
「あら?」
鈴に怒鳴られ、セシリアが目を丸くする。
「そうか、セシリアも『いない』派か……劣勢だな。とりあえず、楯無に鈴とラウラは任せた。シャルは箒を、簪はセシリアを頼む……一夏は、俺が仕留めよう」
「いや、戦ってるわけじゃないんだから」
シャルが苦笑した。
箒も頷くが、一夏はどこか満足気だ。
安心したような表情を浮かべながら、大きく息を吐く。
必死に平静を保っていたのが、丸分かりだった。
「っていうかさ」
鈴が一夏の肩を小突いた。
「そんなに気になるなら、アンタが直接、千冬さんに聞けばいいじゃない」
「確かにそうねぇ」
楯無が同意した。
「千冬姉に聞いても、はぐらかされるかもしれないだろ? いないって、嘘つくかもしれないし」
「人は嘘をつく時、鼻を触るらしい。それで見破れるだろ」
南が言う。
「千冬姉に鼻はないんだ」
「うわっ、今の南っぽい」
シャルが指をさした。
何故か誇らしげに胸を張る一夏が腹立たしくて、南は鼻を鳴らした。
「織斑くんは、お姉ちゃんが男の人に取られるの、嫌なの?」
簪が首を傾げる。
すると、一夏は少しだけ固まって、すぐに腕を組んだ。
「う、うーん……俺にも、ほんちゃんって彼女がいるし……別に嫌ってわけじゃないけど……でも、やっぱり気になる」
「シスコンだな」
箒が目を閉じたまま呟いた。
「彼女がいるシスコンか。どこかの研究所に送れば、それなりの報酬がもらえるかもしれない」
南はぶっきらぼうに言い、鈴が吹き出す。
するとラウラが真顔で一夏の方を向いた。
「織斑一夏。さっきも言ったが、あの織斑教官と肩を並べて歩くことが出来る男などいないに等しいぞ」
「いないとまでは言わなくても、確かにかなり限られてきますわね……どんな方なら、笑顔でお姉さんを渡せますの?」
セシリアが付け足す。
再び一夏は唸り出した。
首を左右に傾けながらたっぷり時間をかける。
「やっぱり、力強くてたくましい人だな。そんな人なら安心だ」
「となると、『ターミネーター』のシュワちゃんだな。一番新しいシリーズでも、凄い肉体だったぞ。可能性はゼロじゃない」
南が嬉しそうに言った。
また、ややこしいことを、とシャルが頭を抱える。
「俺、昔のシュワちゃんが好きなんだよ。それこそ初期の」
「じゃあゼロだ」
肩をすくめた南に、一夏は苦笑いしか出来ない。