「大変だ、南!」
「そうか、大変か」
一夏が千冬に見合う異性に興味を示した翌日は、二年生の行事イベントがあり、一年生は休みになっていた。
南はいつもの七人の女子を引き連れて買い物に行き、一夏は本音を含む数名のクラスメイトと全く別の街に出掛けた。
そして、その夜。
先に帰っていた南が、買ってきた漫画を読んでいると、部屋の扉が勢いよく開かれ、一夏が飛び込んでくる。
「ほら、見てくれ! ついさっきの写真!」
そう言って一夏は自分のスマホを南に突きつけた。
そこには、千冬と肩を並べて歩く男の姿が写っている。
男は眼鏡をかけたスーツ姿で、体格までは分からないが、千冬とそんなに変わらない背丈であることは見て取れる。
「……お前、いくら姉でも、隠し撮りは良くないだろ」
南が非難の目を向ける。
「あー、まぁ……つい……で、でも! 男の人と会ってて……こ、これは、彼氏かな?」
不安そうにも、困惑しているようにも見える一夏に、南は苦笑するしかなかった。
漫画に視線を戻し、ページをめくる。
「さあな。ただ、道を聞かれただけかもしれない」
「で、でもさ……この後、二人でバーに入っていったんだぜ?」
「ほう」
主人公が、どうして裏切者の正体を見破ることが出来たか、その種明かしをするシーンで、前ページに様々な伏線が張り巡らされており、南は逆にページをめくりながら頷いた。
「じゃあ、保険会社かなんかの人じゃないか? 織斑千冬も人間だからな」
「そ、そうなのかな……」
「可能性はまだまだあるぞ。昨日話したばかりだから、敏感になってるだけだろ」
南は読み終えた漫画を枕元に置いた。
一夏を避けながら立ち上がり、冷蔵庫の方へ行く。買ってきたハムに手を伸ばした。
すると、一夏が握っていたスマホが振動した。
一夏は素早く耳に当て、何度か頷く。
「うん、ありがとな……」
細々と言った一夏は、ゆっくりと耳からスマホを離す。
「や、やっぱり保険会社とかじゃないって……」
「誰情報だ、それは」
南は笑い飛ばした。
食べたハムが思いのほか美味しくて、冷蔵庫にもう一度戻る。
「今日、ほんちゃんの他にも、クラスの何人かがいたんだ。で、この現場を見かけた後、相川さんとか谷本さんが見張りを引き受けてくれて今、その報告が」
「探偵みたいだな。今度、依頼することにしよう……内容は、友人が姉のことを探るシスコンなんですが、どうすれば治りますか、だ」
「それは探偵の仕事じゃないだろ……とにかく、さっきの男の人とは、バーの前で別れたらしいんだけど……」
「良かったじゃないか。家とかに行かなくて」
「その別れ際に、その男の人が、千冬姉の肩に手をポンって置いたらしいんだ!」
興奮する一夏を落ち着かせるため、南はハムをその口に突っ込んだ。
指を軽く舐めながら、ベッドに腰かける。
「肩に手を置くぐらい、いいじゃないか。俺もよくやるぞ、ラウラとかに」
「それはお前達が夫婦だからだろ」
「あいついわく、そうらしいな」
ため息をついた南は、困ったように眉を下げた。
「それに、あの千冬姉にそんなこと出来る男の人って、彼氏どうこう抜きにしても気にならないか?」
「ん……」
初めて南が頷いた。
それは確かに、と腕を組む。
「誰なんだろ……見たことない人だし……」
「謎は深まるばかりだが、分かることが一つだけある」
南が人差し指を立てた。
「な、なんだ?」
「彼がシュワちゃんではないことは確かだ」
肩の力が抜けた一夏が、南のベッドに沈む。
次の日の朝。
箒が朝練でおらず、シャルとラウラの姿も見えない食堂で、一夏が昨日の話をセシリアと鈴、簪、楯無に聞かせた。
「へぇ、昨日の今日で早速、彼氏と思しき人物が……」
楯無はソーセージを齧りながら言った。
その隣では南が、目玉焼きの黄身を割らないように白身だけを食べている。
「アンタ、変に探るのなんかやめときなさいよ」
「そうですわ。趣味が悪くてよ」
鈴とセシリアが一夏をジト目で睨んだ。
その視線に若干臆しながらも、それを誤魔化すように米をかき込む。
「いや……でも、ほら……弟としては、姉がどんな人と付き合ってるのかとかさ……知りたいだろ?」
拗ねたように言う一夏に、簪が首を傾げた。
「織斑くん、本音と付き合ってること、織斑先生に言ったの?」
「いや……まだ……」
「あっきれた。それで、自分は姉の付き合う相手どうこう言ってんの?」
鈴が呆れながらパンにバターを塗る。
隣でスクランブルエッグを掬うセシリアも同じ顔をした。
「まぁ、そう言ってやるな。一夏にとっては唯一の家族なんだ……気になるのも無理はない」
昨日とは打って変わって、南が助け舟を出した。
その様子を不審に思いながらも、南が言うならと、四人はそれぞれ朝食を口に運ぶ。
「だ、だよなっ!……サンキュー、南」
大きな声で言った後、小声で南に囁く。
すると、南は同じく囁いた。
「あの約束、忘れるなよ」
「おう。協力してくれたら、南の好きなバンドのサイン入りポストカードを蘭経由で……な」
いつかしたような約束を再び交わしていた二人が、テーブルの下でグータッチをする。
「もうっ、なんで目覚まし時計壊しちゃうのさ! 遅刻しちゃうよ!」
「ふん、あれがやかましいから悪いんだ。折角、南とパフェをあーんさせ合う夢を見ていたというのに……だから、気付けばナイフを投げていた」
「う、羨ましい……じゃなくて! だからって、壊さなくてもいいじゃない!」
「そもそも、私は昨日、南の部屋で寝るつもりだったのに、お前が止めたのではないか」
「止めるよ! 女の子が裸で、男の人と寝ちゃ駄目なの!」
「朝から、そんなことを大きな声で言うなシャルロット。皆が見てるぞ」
寝坊をしたらしい二人は、騒ぎながら食堂に現れた。
「それにしても、どうやってあの男の人の情報を集めようか」
休み時間のトイレで、並んで用を足していると、一夏がぽつりと呟いた。
隣の南が、何か考え込みながら唸る。
「そうだな……とりあえず、織斑先生の机を調べてみるか」
「で、出来るのか、そんなこと……?」
怯えたように一夏が聞く。
「確か今日は、四組の五限目がIS実習だったはず……簪が言っていた。だから、織斑先生も早めにグランドに出てる」
「おおっ! さすが、南!……でも、やっぱりちょっと不安だな」
用を足した二人は、また並んで手を洗う。
パッパッと手を振った南は、不敵に笑った。
「俺達のクラスには探偵がいるじゃないか」
言いながら南は、トイレの扉を開けた。
「無理無理無理!!」
「ムリムリムリ!!」
一組のクラスメイトである、相川清香と谷本癒子は、南から話を聞くや否や高速で首を振った。
どこかに飛んでいきそうな勢いに、思わず笑みが浮かんでしまう。
「そこをなんとか!」
一夏が手を合わせるが、二人は良い顔をしなかった。
「流石にそれはちょっと……ねぇ?」
「バーから出てくるところを見張るくらいならともかく……ねぇ?」
お互いに顔を見合わせながら、首を傾ける二人は困ったように笑う。
一夏は肩を落として自分の席に帰った。
「なぁ」
その背中を見送った南は、小さな声で二人に顔を寄せる。
清香と癒子も興味深そうに耳を向けた。
「友人がシスコンなんだが、それを治すことは出来るか?」
二人がまた首を傾げる。
そうして訪れた昼休み。
専用機持ちと昼食を摂ることもせず、南と一夏は廊下の角から、職員室の方へ顔を出して覗き込んだ。
「結局、俺がやるしかないな」
南が伸びをする。
ちょうど千冬がグランドに出る姿が見えた所だったので、タイミングとしては完璧だった。
「他の先生にバレないようにな」
「当然だ。素早く、目にも止まらぬ速さで、だな」
南が屈んで、靴ひもを締め直した。
「ぼくは誰よりも速くなりたい。寒さよりも、一人よりも、地球、アンドロメダよりも」
立ち上がった南は、芝居がかった声で言った。
一夏が顰め面を見せる。
「なんだそれ?」
「知らないのか? 伝説のサックス奏者の言葉だ。俺も誰よりも速くならないといけない。山田先生が後になって『今、私の前を通り過ぎたのは神代くんだったのか、それとも賑やかなパレードだったのかしら?』と悩むくらいに素早く行動するんだ」
「相変わらず、意味分かんねぇ……」
「行ってくる」
堂々と大股で歩き出した南は、職員室の扉を開けた。
「失礼しまーす」
小声で言い、ゆっくりと中へ。
千冬によく呼び出される南は、馴染んだ道順で机の方に向かう。
「あ、神代くん」
速攻で真耶にバレた。
あと数歩で、千冬の机を物色出来る位置に来て、真耶は南を見て柔和な笑みを浮かべた。
「どうしたんですか? 何かお願いしてましたっけ?」
呼び出した、ではなく、お願いなんて言葉を使う真耶が優しくて……それに感動しながら、南は言葉を噛みしめる。
「い、いえ……その……質問が、ありまして……授業のことで、はい」
「……ま、任せてくださいっ! 分からない所を聞きに来るなんて、先生感激です!」
ぱぁっと咲いた真耶の純真無垢な笑顔が痛い。
南は罪悪感に負けないよう、千冬の机から回り込んで真耶の机に歩く。
もちろん、ゆっくりと歩きながら机の上を観察したが、写真の男に繋がりそうな物は見つからない。
「それで、どこが分からないんですか?」
「あー、えっと……」
真耶が担当するIS座学の南の成績は、中の上から、上の下。特に質問することなど考えておらず、視線を彷徨わせる。
「あ、ダメですよ、神代くん。質問するときは、ちゃんと教科書を持って来ないと」
「そうですよね。すみません、出直してきます……山田先生」
「……こ、今回は特別に先生の教科書を見せてあげますから。ほら、座ってください」
その物腰の低さから、生徒のほとんどに「真耶ちゃん」と呼ばれる彼女は、「山田先生」と呼ばれることが嬉しくて、南には特別甘い。
この日も、そんな呼び方一つで椅子を一つ引っ張り出し、自分の隣に用意した。
「やってしまった……」
南は呟きながら、椅子に座る。
「すまん、一夏。思ったよりゆっくり物色は出来なかった……だが、例の男に繋がりそうな物もなかったぞ」
放課後の教室で、南は一夏の机に体重を預けながら言った。
隣のシャルは事情を知っており、複雑な顔をしている。
「あんまり良くないと思うよ、二人とも」
「ん……」
シャルの諭すような言い方に、一夏は口を閉じた。
悩んでいるようにも見える。
「一夏……やっぱり、織斑先生に直接聞いた方がいいよ。真剣に聞けば、ちゃんと答えてくれるんじゃないかな」
優しく笑うシャルに、南も頷いた。
「まぁ、実はそれが最善だな……昼間の努力は、山田先生とお茶しただけで終わってしまった訳だし」
「そうだよな……よし、聞きに行こう」
一夏は意を決したようにすっと立ち上がり、教室を出た。
俺も援護すると言いながら、南も足を踏み出すが、前に進まない。
「南~?」
シャルが南の襟を掴みながら、優しく声をかけた。
背後から発せられるプレッシャーに、南は振り向くことが出来ない。
「お昼いないと思ったら、山田先生とお茶してたんだ~」
「え、えーっと……」
「皆~。南ね、お昼休み、僕たちとご飯食べないで、山田先生と楽しくお茶してたんだって」
シャルが教室に残っていた箒とセシリア、ラウラに声をかけた。
同時に、ガタッと音を立てて立ち上がる気配が三つ。
「楽しく、なんて言ったか?」
「どうだったかな……とりあえずさ、僕たちがISを展開しても大丈夫な場所に行こっか……安全な場所に、ね?」
「この世で安全な所があるなら、是非、教えて欲しいな」
南の最後の言葉だった。
それから数時間後。
ボロボロになった南と一夏が、食堂のテーブルに突っ伏していた。
南の両隣に鈴と簪が座り、対面に一夏と楯無が並んでいる。
箒とセシリア、シャル、ラウラは別のテーブルで黙々と食事を摂っていた。
「あちゃー、皆を怒らせちゃったのね、南くん」
「そうらしい」
真耶と昼に過ごしていたことを知らない三人は、可哀想にと南を慰める。
「それで? アンタは何でボロボロなわけ?」
「箒達の攻撃に、巻き込まれたの?」
鈴と簪が、対面の一夏に笑いかけた。
突っ伏していた一夏は、身体を起こしながら首を振る。
「いや、千冬姉に例の男の人について聞いたらさ、教師のプライベートに首を突っ込むなって怒られたんだ」
「それでボロボロになった上に、聞き出すことも出来なかったわけね」
楯無が苦笑しながら扇子を口元に当てた。
しかし、一夏はそこでニッと笑う。
「いや、それが聞けたんですよ」
「えっ! えっ!?」
鈴が驚きに顔を染めながら身を乗り出した。
一夏と同じく突っ伏していた南も起き上がる。
更識姉妹は目を輝かせた。
「織斑先生じゃなくて、千冬姉に聞けば教えてくれますか? って言ったらさ、困った顔した後―——」
「い、いいからっ。それで……?」
簪が割り込んだ。
離れたテーブルに座る四人が、顔を寄せ合う南達の方を興味深そうに見つめている。
「あの人は彼氏とかじゃなくて、千冬姉が現役時代にトレーニングとかでお世話になった人なんだって。ほら、千冬姉は日本代表だっただろ? だから、色んなサポートをしてくれる人がたくさんいて……その一人らしい」
「なーんだ。そういえば、私もロシア代表だけど、確かに男の人も結構関わってるわね……」
ま、基本は女性なんだけどね、と付け足した楯無は、背もたれに身を預けた。
それを皮切りに、南達も息を吐く。
「千冬姉に彼氏はいないんだってさ。今は、そんな余裕ないって」
「良かったじゃない、真相が知れて」
「おう……あ、南。これで千冬姉に彼氏が『いる』派の負けだな」
鈴が笑うと、一夏も笑顔で頷いた。
そして、ふと思い出したように南にも笑いかけた。
「何を言ってるんだ。俺は昔から『一夏を信じる』派だっただろうが」
いけしゃあしゃあと言う南に、全員が苦笑した。
その様子を眺めた南は、水を一口飲んだ。
喉を潤して、口を開く。
「つまりだ。お前は勝手に姉が会った男で盛り上がって、勝手に一喜一憂していただけだったんだな」
「ま、まぁ……」
一夏は頬を掻きながら、視線を逸らした。
いやらしい笑顔を向けた南が続ける。
「実にお前らしい」
「馬鹿にしてるのか?」
一夏がムッとした。
「生まれてこの方、お前を馬鹿にした事なんて一度もないぞ。心外だ」
南はそう言って、鼻を触った。