件の日曜日。
一年の専用機持ち女子は、新たに加わったヴィシュヌを連れ、街の方まで買い物に来ていた。
休日ということもあってか、訪れたショッピングモールは大変賑わっており、立ち並ぶ店は、どれも人が大勢入っている。
「さてと、まずは何から見よっか」
シャルが、跳ねるように一歩前へ出た。
それぞれ目的は違えど、別々に行動しては一緒に来た意味がない。
という訳で一行は、まずフロアの外れにある雑貨屋を訪れた。
店に入ると、少しは客入りも落ち着いていて、ヴィシュヌは、ほっと胸を撫で下ろす。
「どうしたの?」
「いえ、こんなにも大きなショッピングモールは初めてで……」
鈴が訊ねると、ヴィシュヌは苦笑しながら答えた。
「そうだな、今日は日曜だから余計に人が多い」
背後から箒が声をかける。
セシリアとラウラはそれぞれ商品が並んでいる棚を食い入るように見ていた。
「うーん、どちらも可愛らしいですわね……」
「ウサギの置き物……ウサギの置き物……どうして、犬や猫はたくさんあるのに、ウサギは一つもないのだ!」
悩みと怒りに表情を歪める二人を、シャルが遠巻きに見て微笑んでいる。
しばらく商品を見ていたヴィシュヌは、簪の肩を叩いた。
「ん、何か気になる物、あった?」
「い、いえ……そうではなくて……あの、今日は神代 南を呼ばなかったのですか?」
ヴィシュヌは、少しだけ頬を染めて言った。
簪は、確か……と宙に視線をやった。
「今日は、何か買いたい物があるって言ってた」
「ん? では、一緒に来れば良かったのでは?」
「多分、私達に知られたくないもの」
それを背後で聞いていた鈴が、慌てた様子で飛び退いた。
「え、ええっ……わ、私達に見られたくないものって……まさか……」
「それは、分からない……何なのか、分かるの?」
素朴に首を傾げる簪の目が綺麗で、鈴はどう答えるべきかを迷った。
簪の隣で、同じような表情で自分を見つめるヴィシュヌの目もまた純粋だった。
「そ、そりゃあ……アレよ」
「アレ?」
「アレとは、いったい……」
「だ、だからっ……そういう、いかがわしいやつよ」
鈴が言うと、簪とヴィシュヌが目を丸くして、同時に顔を真っ赤に染めた。
どう反応すべきか、オロオロしながら、無駄に商品を手に取ったりしてみる。
しかし、思いのほか動揺していたのか、簪が手を滑らせた。
落下する商品をギリギリで受け止めたシャルは、苦笑いしながら棚に戻す。
「ま、まぁ、南も男の子だからね。そういうのを買うのもいいんじゃないかな」
あはは、と笑うシャルにも余裕は感じられない。
ヴィシュヌはしばらく俯いた後、意を決したように顔を上げた。
セシリアが、箒にどちらのポーチを買おうか聞いており、ラウラは躍起になってウサギの置き物を探しているのを背景に、鈴とシャル、簪に目を合わせる。
「お聞きしたいことが、あるのですが……」
「うん、なんでも聞いて」
シャルが頷くと、鈴と簪も続いた。
少し間を置いて、ヴィシュヌが口を開く。
「一体、神代 南の何が、皆さんの心を掴んでいるのですか? 確かに彼は、悪い人ではありません……いえ、多分、いい人なんだと思います。ですが……」
「あー、それはちょっと違うかもねー」
鈴が、手を頭の後ろに組んで言った。
「え?」
ヴィシュヌが素っ頓狂な声を出す。
「うん、南はいい人じゃないと思うよ」
どこか優しく微笑むシャルは、腰に手を当てた。
簪も隣で笑っている。
「いい人じゃ、ない……?」
「まぁ、そう言い切るとアイツに悪いし、いい奴ではあるんだけど……んー、ごめん、上手く言えないわ。シャルロット、簪、お願い」
鈴は言葉の意味を説明しようとするが、上手く纏まらずシャルと簪に投げた。
シャルは、もう……と息を吐いてから、ヴィシュヌを見る。
「えっとね、いい人って言うと……優しかったり、上手く話を合わせてくれたり、言う事をある程度聞いてくれたりってイメージするでしょ? でも……」
「南は少し違う。確かに優しいし、話も合わせてくれるし、頼みも聞いてくれる。でも、自分を捨てない」
「自分を、捨てない……」
「うん。相手が誰であっても、自分に出来ることを、したいようにするの。初めて食堂で会った時、言ってたでしょ? 『長所は、誰が相手でも、動じないところ』って……」
簪の言葉に、ヴィシュヌはただ耳を傾けた。
シャルが再び口を開く。
「いい人って言うのは、多分、相手の為に自分を変えたり、我慢したり、出来ること以上をしようとすると思うんだ」
「…………」
「南がいい人じゃないって言うのは、それとは違うって意味だよ。自分を持ってるっていうか、変えないっていうか……簪もさっき言ったけど、出来ることの中で、やりたいようにって感じかな」
ごめん、僕も下手だねと照れ臭そうに笑うシャル。
すると、鈴がそんなシャルの背中に手を当てた。
「アイツ、よく言うのよねぇ。『出来ることしか、出来ないんだ』って」
「あはは、言うね。凄くいい顔で」
「南の真似、上手」
そう笑う三人を前に、ヴィシュヌはあの日のことを思い出していた。
転校初日。それにも関わらず、冗談を投げかけたあの時も、緊張する自分をなんとか和ませようとしていたのだろうか。
そう考えると、南の行動全てが、なんとなく腑に落ちる気がした。
「なるほど……なんとなく、分かりました」
ヴィシュヌは、胸に熱い何かを感じながらそう返事した。
「では、ヴィシュヌさんの洋服を買いに行きましょうか」
箒と選んだ物が気に入ったのか、セシリアが上機嫌で振り返った。
結局、ウサギの置き物は見つからず、落ち込むラウラをシャルが慰めている。
「ありがとうございます……あ、そういえば……」
ヴィシュヌは礼を言うと、何かを思い出し、財布を取り出した。
中身を見て、表情を歪める。
「すみません。日本円を持ってくるのを忘れました」
「む、それは困ったな」
箒が言うと、ヴィシュヌは辺りを見渡して、指をさす。
「あそこにATMがあるので、ちょっと行ってきます」
「分かった。では……あそこの店で待っているから」
「分かりました」
箒がヴィシュヌのように指さした先にあったのは、アクセサリーを取り扱っている店だった。
ATMからは少し離れているが、見失う距離ではない。
「すぐ戻ります」
「ついて行かなくて、大丈夫?」
簪が訊く。
すると、ヴィシュヌは小さく首を振って小走りでATMの方へと向かった。
「鈴さん、聞きました? あれが普通の反応ですわ」
「何よ、それ」
「いつもいつも、わたくしに支払いを押し付ける鈴さんも、少しは見習ってはいかが?」
「だから、ちゃんと返してるでしょ!」
セシリアが、財布を持たない主義の鈴に文句を漏らした。
言い合いになるのを察した箒は、二人の背中を押す。
「ほら、ここは迷惑になるから行くぞ」
「ウサギ……ウサギ……」
亡霊のように歩くラウラが後に続いた。
ATMは非常に混雑していた。
ただでさえ、銀行ではなく、ショッピングセンターに設けられた小さなコーナーなのに、この日は客足も多く、列は伸びる一方だった。
三つあるATMの内、一つはマイナーな信用金庫しか取り扱っていないもので、これは列など出来ていない。
残りの二つが、大手の銀行を取り扱っている物で、ヴィシュヌが政府から送られる支援金が振り込まれる銀行も取り扱っているのだが、一つは故障中だった。
つまり、三つもATMがあるのに対し、実質機能しているのは一つだけということである。
列から顔を覗かせると、この長蛇の原因は明らかだった。
いかにも機械には疎いといった感じの、子連れの女性が、たくさんの封筒を片手に操作していたのだ。
大手の銀行を取り扱っているため、振込先がたくさんあるのだろう。加えて、まだ小さな子供がちょこまかと、はしゃぐのを叱ったりしており、もたついている。
「ふぅ……」
ヴィシュヌは腕時計にチラリと目をやった。
出来たばかりの友人を待たせたくない気持ちが、焦りを生んでいる。
「何やってんだよ、おい……チンタラすんなよ」
「ちょっと、まだなの? おっそいわね」
列を作る人々も、かなり苛立っていた。
前後で悪態をつく男女ほど怒りはないが、辺りを見渡しながら、落ち着きがなくなる自分もいた。
「おい、いい加減にしてくれよ!」
その時、聞き覚えのある声がした。
賑わうショッピングモールに響きはしない程度だが、列を作る人間には、ハッキリ聞こえる声だった。
「時間がかかるんだったら、もっかい並んでくれ! 子供もじっとさせといてくれよ」
まさか、とは思った。
でも、聞き間違える訳もない。
何故ならその声は、日本に来て一番耳にした声だから……。
もう一度、列から顔を覗かせる。
確かに列の先頭で声を張り上げていたのは、神代 南だった。
「あんなに言わなくてもいいのにな」
「アンタもうるさいっての……」
前後の男女は手の平を返したように、南へ非難の言葉を向けた。
ヴィシュヌは、そんな言葉を聞きながら、自分の中で何かが崩れていく音がした。
慎重に慎重に積み上げて、自分の心の中の核に触れそうになった物が、一気に音を立てて倒れたようだった。
(あれが、鈴たちの言う、いい人、なの……)
それから更に十分ほどして、ようやく女性はATMから離れ、南に頭を下げる。
列に添って歩く彼女は、緊張感や罪悪感がないのか、微かに笑っていた。
気が付くと、南はすぐにATMを離れ、大股で人混みの中に消える。
ヴィシュヌはしばらく呆然としていたが、スムーズになった列から離れないよう、前の男の背中を追った。
それから、ヴィシュヌの心にはぽっかりと穴が開いたようだった。
待ち合わせの店に入ると、箒たちが心配そうに駆け寄ってきた。
遅かった心配の次に、ヴィシュヌの顔色の変化に対する心配がされた。
ヴィシュヌは体調が優れないと言って、一足先に学園に帰ってきた。
少しだけ道に迷い、電車も駅員に聞かなければならなかったが、それどころではなかった。
部屋に戻ると、ベッドに沈み、目を閉じる。
「はぁ……」
自分に向けていたあの優しい笑みは、偽物だったのだろうか。子連れの女性を怒鳴るのが、本当の彼なのだろうか。
ヴィシュヌは混乱と、よく分からない感情に少しだけ目が潤んだ。
それが乾く頃には、すっかり眠ってしまい、目が覚めると午後の七時を回っていた。
落ち込んでいても、食欲はある。
ヴィシュヌは、乱れた私服を直すこともなく部屋を出た。
「お、ヴィシュヌ」
扉を閉めて鍵を閉めると、今一番、聞きたくない声がした。
南だ。
「………」
「ちょうどいい。実はな、お前に……」
ヴィシュヌは何も言わずに、鍵を回している彼の背中を通り過ぎた。
無視しようとしたが、振り返ってしまう。
「どうした?」
「あなたには、幻滅しました」
「え?」
自分でも驚くほど低い声が出ていた。
南は、言葉の理解に時間がかかっているのか、ポカンとしている。
「今日、見たんです。ショッピングモールで」
「あ、え、お前も来てたのか?」
目に見えて焦る南。
手を忙しなく動かしながら、視線を泳がせていた。
「あんな言い方、ないんじゃないですか」
ヴィシュヌの言葉に、南の動きが止まった。
「何の話だ?」
「とぼけないでください! ATMで、女性を怒鳴っていたでしょう!」
寮の廊下に声が響く。
しばらく考え込むようにしていた南だったが、やがて「ああ! あれか!」と、手を叩いた。
その反応に、ヴィシュヌは歯を食いしばった。
「あれはな、わざとだ」
「はい?」
顔に力が入る。
また涙が出てきそうだった。
「だから、あれはあえて、あんな言い方をしたんだよ」
南は笑顔のままだった。
ヴィシュヌは、怒りや失望を通り越し、話が見えなくなる。
「あの母親に、こっそり言ったんだ。『ゆっくりやっていいですよ』ってな」
「どういう……」
ヴィシュヌが呟くと、南は鍵をしまいながら答える。
「あの列に並んでた人たち、かなり怒ってただろ?」
「え、ええ……」
「そういう時はな、先に誰かが、声に出して怒ってしまえばいいんだ」
「怒ってしまう?」
「たくさんの人が苛立ってる時は、誰かが先に文句を言えば、他の人はもう言わなくなるだろ? 便乗してくる奴には、俺がもう言ったからって返せるし、なんなら周りは冷静になって、あそこまで言わなくても……って思うはずだ」
そこでヴィシュヌは、ハッとした。
前後に並んでいた男女の言葉が蘇る。
「あの人に、『ゆっくりやっていいですよ。時間がかかりそうだったら、俺が怒る振りをするから』って言うと、俺はこの学園で鍛えてるし、そこそこ身体が大きいから、誰も文句は言わなくなるって訳だ」
「そんな……まさか……」
「これは、ある人に教えてもらったんだけどな……俺も最初はどうかと思ったが、あの人も笑ってたし、正解ではなくても、間違いでもなかったと思う」
そこでヴィシュヌは、あの女性が用を終えた後、笑っていたのを思い出した。
あれは、彼女の意識に問題があるのではなく、南によるものだとしたら……。
答えが出ると、ヴィシュヌの目からは自然と涙が出てきていた。
「まぁ、ちょっと乱暴な手ではあるけど―――って、どうしたっ、大丈夫か」
「す、すみま、せん……わた、わたし……かんちがいで……うぅっ……」
大粒の涙を流す彼女の頭に、南はそっと手を置いた。
「勘違いしてくれたなら、狙い通りだ。だから、泣かないでくれ」
そう言われ、優しく撫でられるほど、ヴィシュヌの目からは涙が零れる。
「落ち着いたか?」
「は、はい……すみません……」
「謝らなくてもいいが……あ、そうそう、お前に渡したい物がある。さっき言いかけたんだが」
「渡したい物……?」
鼻をすんすんとさせながら涙を拭くヴィシュヌ。
そんな彼女に、南は一度部屋に戻って、すぐにまた出てきた。
持っていた袋は、どこか見覚えがある。
「これなんだけどな、良かったら部屋に置いてくれ」
受け取ったヴィシュヌは、もう一度袖で涙を拭い、包みを開ける。
「こ、これは……」
中身は、あの雑貨屋に並んでいそうなウサギの置き物だった。
見覚えのあるその袋は、セシリアがポーチを買った際に見たものであることに間違いない。
「犬とか猫はたくさんあったんだけどな、ウサギはそれが最後の一個だったから、これにしようと思って……ラス一ってやつだな」
「道理で見つからないわけですよ、ラウラ」
小さな声で呟いたヴィシュヌに、南が顔を顰めた。
「しまった、ウサギはラウラの専売特許だったか……」
「どうしてこれを?」
両手で包み込むように持つヴィシュヌは、南の目を見た。
南は顰めていた顔を笑顔に戻す。
「お近づきのしるしにな……転校と、隣の部屋に引っ越してきたのと、新たな仲間になった記念だ」
「そう、ですか……大切に、します……」
それだけ言うと、ヴィシュヌは袋に置き物を戻し、南の手を引いた。
「それでは、食堂に行きましょう!」
「え、俺はもう食ったぞ?」
「転校生の私に、一人でご飯を食べろと言うのですか?」
拗ねるように言うヴィシュヌに、南は苦笑する。
肩をすくめて、歩き出した。
「分かった分かった。食後のデザートでいいなら、隣で食べることにする」
「はいっ」
ヴィシュヌは、満面の笑みで言うと、軽やかな足取りで後に続いた。
食堂に入る直前、ヴィシュヌに、もう一つ疑問が沸き起こり、すぐ隣を歩く南を見上げた。
「かみ……南」
「ん?」
名前で呼ばれたことを気にする様子がない南は、首を傾げた。
「わざと怒るアレなんですが、南がATMの操作を手伝うというのではダメなんでしょうか? 子供の相手をしてあげるとか」
「あの人、振り込みをしてたからな。ああいう、情報は第三者は見ない方がいいだろ? それに、子供の相手なんて俺には荷が重くて出来ん」
そこで南は、ふっと笑って、胸を張った。
「俺は、出来ることしか出来ないんだ」
これがシャルの言ういい顔か、とヴィシュヌは思う。
それに……と、南が付け加えた。
「そんなことしたら、俺が本当にいい人みたいだろ?」
ヴィシュヌは、そうですね、と頷いて笑う。