「…………んー…………」
「……ふ…………ダメだって、ほんちゃん………くー………」
日が変わるまで、まだ一時間はあるにも関わらず、南と一夏は早くもベッドで横になり、夢の世界へと旅立っていた。
この日は、男二人で千冬の特別メニューなる特訓を受けていた為である。
そんな彼らの部屋の扉が、スッと、音もなく開く。
足音など論外。物音一つ立てずに部屋に入ったラウラは、電気が付いていないにも関わらず、迷うことなく南のベッドへと近づいて行く。
夏場は全裸で潜り込んでいたラウラだったが、流石にこの時期はそんなこともせず、しかし、薄い肌着姿になって南の掛け布団を掴んだ。
それを剥がそうと力を入れるが、寒がりな南はぎゅっと布団を掴んで離さない。
しばらく布団を巡って対立していると、南が薄目を開けた。
「うぅん……なんだ、ラウラか」
そう言うと、また目を閉じる。
ラウラは起こしてしまったことなど、まるで気にしていない様子で胸を張った。
「うむ、私だ。今日も夜這いに来てやったぞ。どうだ、嬉しいだろう」
「夜這いって、ただ隣に寝るだけじゃないか」
「……? それが、夜這いではないのか?」
ラウラがこうして夜這い? に来るのは、今月に入って三回目だった。
シャルが早くに寝た日は、バレないようにこっそりと部屋を抜け出し、こうして南の部屋を訪れるのだ。
「さぁ、流石にこの格好だと私も寒い。入れてくれ」
「いや、今日は不味いな」
「どうしてだ?」
「ジャージを履いてないんだ」
「どうしてだ?」
ラウラが繰り返した。
「ジュースを溢した」
目を閉じたまま簡潔に言う南に、ラウラが苦笑した。
諦めて、もう一度、着てきたパジャマに袖を通す。
「全く……私は問題ないのだが、奥ゆかしいお前は恥ずかしいのだな……今日の所は帰ってやろう」
「助かる」
今度は堂々と部屋を出ようと歩き出したラウラだったが、何かを思い出したのか、また南の元へと戻ってきた。
「南、一つ聞きたいことがあるのだが……どうして、ウサギには目が赤いのがいる?」
「どうして今なんだ……あれは、瞳に色素がないから、目の奥の血管が透けて見えてるだけだ……頼むから、もう寝かせてくれ」
「ほう、そうだったのか……やはり、お前は最高の嫁だ。これで気持ち良く眠れる」
「ふぅ……この学園の自動販売機は、飲み物の種類がたくさんあって、どれを買うか悩んでしまいますね」
ヴィシュヌは、そう言って微笑みながら寮の廊下を歩いていた。
手には、試したい気持ちで買った缶やペットボトルを詰めた袋を提げている。
ちょうど、南の部屋の前を通った瞬間、微かに話し声が聞こえてきて、思わず耳を傾けてしまった。
否、聞こえてきたというのと中間のようだったのだが、それも関係なく、ヴィシュヌは耳を澄ます。
『……頼むから、もう寝かせてくれ』
南のどことなく、疲れている声がした。
「ね、寝かせてっ!?」
ヴィシュヌは頬を赤くし、扉を食い入るように見る。
中で何が行われているのか、一夏がいるのもお構いなしなのだろうか、ヴィシュヌの脳内で様々な可能性がよぎった。
『……やはり、お前は最高の嫁だ。これで気持ち良く眠れる』
「なぁっ!?」
思わず声が出た。
聞こえてきたラウラの声と、その発言が嫌でも不純な行為を想像させた。
(そんな、南はラウラと……よ、嫁っていったい…………ううん、何かの勘違いに違いないわ)
そう言い聞かせて、自分の部屋の前まで来ると、南の部屋の扉が開いた。
中からスッキリした顔で出てきたラウラは、ヴィシュヌの姿を確認すると、ニヤリと笑う。
「ヴィシュヌか。今、南は下を履いていないから、入らないでやってくれ」
ではな、と言い残し、ラウラはスタスタと歩いて行く。
袋をその場に落としたヴィシュヌは、凄まじい勢いで南の部屋の扉を叩いた。
「南っ、一つ聞きたいことがあります!」
翌朝の食堂でセシリアに事実を聞いたヴィシュヌは、大きく胸を撫で下ろした。
「ほっ、そうなのですか……嫁と言うのは、ラウラが勝手に言ってるだけ……そして、南の部屋に行くのも良くあることだと……」
「南?」
鈴の頬がピクッと動いた。
同時に、箒もヴィシュヌに視線を向ける。
「確か、フルネームで呼んでいなかったか? つい、この間の日曜日まで」
「察した」
簪がスクランブルエッグを口に運びながら、目を閉じた。
「まったく、僕が早くに寝ると、すぐに抜け出すんだから……」
「シャルロットさん、ちゃんと起きててくださいなっ」
セシリアが怒った顔で言うと、そんな無茶な、とシャルは肩を落とした。
その様子を、ラウラは涼しい顔で眺めている。
「ラウラちゃん、いい加減にしないと、織斑先生に言いつけるわよ?」
楯無がジト目で言った。
すると、先程まで余裕を感じさせていたラウラが、突如慌てだす。
「ず、ズルいぞ! 生徒会の人間はそんなことが許されるのか!」
「いや、言いつけるだけなら誰でも出来ると思うが……」
箒が呆れた様子で返した。
ちなみに、楯無とヴィシュヌは転校初日に知り合っており、楯無さん、ヴィシュヌちゃんと呼び合う仲だった。
肩を震わせながら涙目になるラウラの肩をシャルがそっと抱いた。
「ま、まぁ、楯無会長も、そこまでしなくてもいいんじゃないかなって、思うんですけど……」
「甘いっ! 甘いわよ、シャルロットちゃん!」
楯無が、パンケーキを刺していたフォークを、シャルの方へ向けた。
鈴も頷く。
「そうそう、シャルロットはラウラに甘いのよ」
「理由、知ってる?」
簪が訊ねるように言うと、シャルがラウラと同じように肩を震わせた。
箒、セシリア、鈴、楯無、ヴィシュヌの視線が集まる。
「この前、南が織斑くんと喧嘩した時、シャルロットもラウラと同じように、一緒に寝たの」
「ちょっと、シャルロットさん!」
セシリアが音を立てて立ち上がった。
テーブルが揺れる。
「どういうことだ!」
「説明を求めます!」
箒とヴィシュヌも、シャルに詰め寄った。
「え、えーっと……そんなこと、あったかなー」
「私に、それはそれは、嬉しそうに話したでしょ」
「まぁ! 人の妹を口数の少ない、陰気な娘だと思って! 簪ちゃんだって、やる時はやるのよ!」
簪に抱きついた楯無が唇を尖らせるが、簪の表情は曇る一方だった。
不満そうに楯無を見上げる。
「陰気……お姉ちゃん、そんな風に思ってたの……」
「あれ?」
楯無が固まる。
「大人しいとか、他にも言い方があったでしょうに」
鈴はやれやれ、と首を振った。
「と、とにかくっ、ラウラもシャルロットも、少しは南から距離を取ってください!」
「はぁい……」
ヴィシュヌが言うと、シャルは肩を落とした。
納得をしていないラウラは憮然としている。
「おはよぅ、ござぃいまぁぁす」
その時、テーブルに座り込みながら、よく分からない声を発す南が現れた。
眠たげに目を擦りながら持っていた菓子パンの袋を開ける。
気が付くと、少し離れたテーブルでは、一夏と本音が仲睦まじく朝食を摂っていた。
「朝から、何を盛り上がってるんだ? 俺はもう眠くて眠くて……ふぁぁ」
パンを齧りながら欠伸をする南に、シャルとラウラが逃げるように擦り寄った。
「南、この前ね、僕の部屋で一緒に寝たでしょ? 一夏と喧嘩しちゃった日」
「ああ。あの時は悪かったな」
南は、野菜ジュースでパンを流し込んでから言った。
「ううん、それは良いんだけどね、あの時、南はどうだったかなって話をしてたんだ」
「ちょっと、そんな話―——」
鈴が口を開くと、箒が塞いだ。
「まぁ、聞いてみよう」
「ん? どうだった?」
「うん。寝心地が良かったとか、寝苦しかったとか」
「そう言う事か。それなら文句なく、最高だったぞ。二人とも温かかったし」
南が笑うと、シャルとラウラは何故か勝ち誇るような表情をした。
続けて、ラウラが南の腕を掴む。
「やはり、お前は完璧な嫁だな」
「男と女の呼称が変わって、結婚する女を旦那と呼ぶならな」
「訳が分からなくなりましたわ……」
セシリアが頭を抱える。
「いやいや、南がなんて言おうと、アンタらが許されるわけじゃないわ!」
もっともなことを言う鈴に、箒や簪は力強く頷いた。
すると、南は何かを思い出したように手を叩く。
「あ、でもな、寝返りが打てなかったから、それはちょっとな……あと、やっぱり三人だと狭かったし……」
「ということは、二人なら寝返りも打てるし、狭くもならないわよね? この寒い季節は、温まれるし」
楯無が何かを企んでいる顔をしている。
まだ眠たげな南は、それにも気付かずに頷いた。
「そうだな」
「じゃあ、決まりねっ」
「何が決まった?」
急に訪れた嫌な予感は、南の表情を歪ませた。
それもお構いなしに、楯無は高らかに告げる。
「あのね、おねーさん達も、南くんと一緒に寝てみたいなって」
「えぇ!?」
「だ、誰もそんなことは……」
セシリアとヴィシュヌが声を上げた。
「じゃあ、二人はいいのね?」
「「…………」」
分かりやすく黙り込む二人に満足すると、楯無は再び南に向き直る。
「という訳でこれから私達が、毎日交代で、南くんのベッドで一緒に寝まーす」
「ちょ、ちょっと待て―――」
「何だ、シャルロットとラウラは良くて、私達は駄目なのか?」
箒の視線に気付いた南は、慌てて言葉を探すが、頭はまだ完全には覚醒しておらず、しどろもどろしてしまう。
「はい、決定ね。それじゃあ、順番を決めましょー! あ、シャルロットちゃんとラウラちゃんは後回しだから」
「そんな!」
「なぜだ!」
「なぜって……」
簪が呟いた。
当たり前の事だと言わんばかりに小さく笑うと、二人に背中を向ける。
「さ、最近は特に冷えるからな! 仕方ないな!」
「そうですわね! ああ……南さんと同じベッドで……キャー!」
「ちょっとセシリア、テンション上がりすぎよ……でも……そっかぁ……」
「あ、新しいパジャマを、買い行かないと……」
「生徒会長として、大事な生徒が風邪を引くといけないから……それに、南くんは特別な生徒だしね! うん、そう! きっとそう!」
「ど、どうしましょう。昨日のラウラが言っていた言葉を、本当の意味で使うような展開になってしまうと……わ、私は……」
それぞれの想いを秘めた専用機持ちは、右手を力強く突き出した。
じゃんけんの合図だ。
南はついて行けず、落ち込むラウラの頭を撫でながらパンを口に運ぶ。
「やった、勝ちました! これで、好きな順番を決められるのですね!」
「くぅ! 転校生にじゃんけんで負けるなんてぇ!」
ヴィシュヌが手をパーにしたまま、満面の笑みを浮かべていた。
鈴が悔しそうに地団駄を踏む。
「やはり、一番最初でしょうか……いや、あえて一番最後……いえいえ、心と体の準備がありますから真ん中くらいで……」
ブツブツと呟くヴィシュヌを尻目に、南は肩を落とした。
「どうしてこうなった……せっかく、シーツも枕カバーも新しくして、布団カバーも「神暖」とかいう、究極の温暖性能の物が今日、届くのに……後は、寝るだけだったのに……」
そんな南を見て、すっかり余裕の表情でじゃんけんを見ていたヴィシュヌが、嬉しそうに口を開く。
南の真似です、と言いたげな表情でもあった。
「順風満帆な人生なんて、楽しくないでしょう?」