IS学園のトレーニングルームで汗を流している南と一夏は、互いに息を切らしながらも、どちらが先にギブアップするかを密かに競い合っていた。
何の合図もなく始まった我慢比べではあったが、南は歯を剥き出しにして、そして一夏は目をぎゅっと閉じて相手の脱落を待っている。
やがて、二人同時に身体の力を抜くと、肩で息をしながらタオルを手に取った。
「はぁ……はぁ……んぐ……」
「ぜーはー……ぜーはー……」
あくまでも自分のペースでやっていましたよとアピールしたい二人は、何も言わない。
少し呼吸が落ち着くと、一夏はペットボトルのキャップを開けた。
「そういや、南。今度の、全学年合同でやるタッグマッチ……誰と組むか決めたか?」
「なんだそれ、聞いてないぞ」
「お前、本当にホームルームは寝てるんだな……後ろの席だから気付かないけど……」
「ラウラが聞いてるから問題ない。それにしてもタッグマッチか……ん? 全学年?」
「ああ、そうらしいぜ。各学年の親睦を深めるのと、一般生徒の戦闘成績を取るんだってさ。それに専用機持ちも別枠で参加するって」
一夏の説明を聞きながら、南は空になったペットボトルをゴミ箱に放った。
そのままの足でシャワー室へと向かう。
後に続く一夏を確認すると、少しだけ考え込んでから口を開いた。
「そうか……じゃあ、俺は楯無と組む。学園最強と組めば、優勝間違いなしだ」
「えぇ……俺と組んでくれよ」
「愛しの彼女がいるだろ。浮気はよくないぞ」
「お前に浮気してどうするんだよ……それに、ほんちゃんは整備科志望だから関係ない……な? 折角の男同士だし、いいだろ?」
誰もいないシャワールームに、南お手製の「男子使用中」と書かれた札をかける。
シャルと鈴の三人で作ったそれは、手作り感満載のカラフルな仕上がりで大変気に入っていた。
「俺はな、勝つためなら手段を選ばないんだ。許されるなら、お前の姉ちゃんと組みたい」
「それは本当にズルい……てか、千冬姉一人でも国家代表三人くらい纏めて相手できそう」
「まぁ、そういうわけだから、悪いが他を当たってくれ」
シャワールームを出た二人は、タオルを首にかけたまま、髪の水気をわしゃわしゃと拭き取る。
火照った二人が並ぶ様子を見て、すれ違う女生徒は黄色い声を上げた。
「もしかしたらさ、楯無さんはもう、組む相手が決まってるかもしれないぞ?」
「……それもそうだな」
「二年の先輩に、もう一人専用機持ちの人いただろ? ギリシャかどこかの代表候補生」
「ああ。ルビーだか、エメラルドだか……確かそんな名前の先輩がいたような」
「その人と組んでるかも」
一夏はそう言いながら、部屋の鍵を取り出した。
扉を開けて、南に先を促す。
すまん、と小さく言った南はさっさと室内に入り、部屋の明かりを点けた。
「あら、南くんに一夏くん、おかえりなさ~い」
そこには、足をパタパタとさせながら、南のベッドに横たわる楯無の姿があった。
ポロシャツ一枚の姿で二人を迎えた楯無は、足を上げ下げしているせいもあってか、その艶めかしい太ももが目のやり場を困らせる。
しかし、こんなことはラウラが南の部屋に侵入するのと同じくらいの頻度で行われており、今更驚くようなことでもなかった。
京都への修学旅行の一件から、楯無は、よく部屋に侵入している。
「おお、ちょうどいいところに。楯無、今度のタッグマッチ、俺と組んでくれ」
「……え、あ、私?」
楯無は足の動きと止めてしばらく考え込んだ後、ガバッと身体を起こしながら目を丸くした。
自分を指さしながら驚くその姿は、一夏の目に新鮮であった。
「ああ。もう組む相手が決まってたら別にいいんだが……」
「いいえ、決まってないわ! そういうことならすぐに、急いで、ダッシュで、申請しましょう!」
「あああ! 決まってなかったかぁ!」
一夏が自分のベッドに沈む。
「もう申請できるのか?」
「あ……正式な申請用紙が貰えるのは明日だったわ……てへっ、おねーさん、うっかり」
いつになく嬉しそうにはしゃぐ楯無は、再びベッドに身を預けた。
冷蔵庫にしまったチョコを口に放り込んだ南は、そんな楯無を転がすようにベッドの端に押し込む。
空いたベッドに自分も横たわり、欠伸を一つ漏らした。
「ふふ……頑張りましょうね、南くんっ」
端からもう一度、転がりながら南の傍に寄った楯無は、その腕に自分の身体を絡ませる。
「楯無さん、二年の先輩と組まなくていいんですか?」
諦めきれない一夏が、身体を起こしながら訊ねる。
楯無は、指を顎に添えて目線を上げた。
「えっとね、フォルテちゃんにはもうパートナーがいて、その人としか組まないの。それに、二人は海外での救助活動任務で今は学園にいないのよ」
「そんなぁ……」
落ち込む一夏の様子に、楯無は南の袖を引っ張った。
「どうしたの?」
「俺と組みたかったらしい」
「あら、一夏くん、浮気?」
「南と同じこと言わないでくださいっ! それに、楯無さんは知ってるでしょ!」
「ええ、もちろん。本音は整備科ですものね」
悪びれる様子が一切ない楯無の声に、一夏はため息をつく。
「楯無会長と組むぅ!?」
箒の声が食堂に響いた。
夕食を摂るべく、食堂へと足を伸ばした南と楯無は、いつものメンバーといつものテーブルに腰かけていた。
当然、楯無は着てきた制服姿であり、一夏は、少し離れた席に本音と腰かけていた。
長袖の白シャツに、半袖のバンドTシャツを重ね着していた南は、そんな箒の声にハンバーグを落としそうになった。
「あ、ああ、一応……」
「ふふん、南くんから! お願いしてきたのよ? 南くんから!」
胸を張る楯無に、ラウラと簪の視線が刺さる。
「なんで、勝手に決めんのよ!」
「そうだよ! 僕たちにもチャンスがあっていいのに……」
鈴に続いてシャルも勢いよく言った物の、終盤は肩を落としてボソボソと言うだけだった。
付け合わせのポテトを箸で掴みながら、南はジト目を向けるセシリアに声をかけた。
「いいか、誰と組むとか関係なく、このタッグマッチ……勝ちたいか?」
「え、ええ……もちろん。やるならば、勝利しかありえませんわ」
「俺もだ。ということは、組むなら学園最強とってことになる」
頷くセシリアに満足した南は、ポテトを齧る。
「お前たちの気持ちはよく分かるぞ」
「え……」
簪が驚いたような顔をした。
「誰だって楯無と組みたいよな。でも、今回は俺だ」
そう言いながら、楯無の肩に手を置いた南。
楯無は照れたように顔を赤くした。
いつもの軽快な口調を、思わず忘れてしまう。
「やっぱり勘違いしてますわね……」
セシリアがため息をついた。
そんな彼女の両脇から、立ち上がる影があった。
「で、ですがっ、南は私の世話係だったはずです!」
「それ以前に、お前は私の嫁だぞ!」
ヴィシュヌとラウラだ。
それでも南は、首を横に振るだけだった。
「はいはい、皆、今回は諦めてちょうだい。たまには、南くんをおねーさんにも貸して?」
可愛らしく首を傾げた楯無だったが、鈴はケッと吐き捨てるだけだった。
「たまにはって、お姉ちゃんは最近、南とよくいるじゃない」
責めるような妹の視線を受けて、楯無はいやーんとわざとらしく身を捩った。
その反応を見て、今度はラウラが舌打ちをする。
「じゃあ、こういうのはどう? 専用機持ちは別枠でのマッチングになるでしょ? だから、優勝してほしいペアを、皆に応援してもらうの。見事優勝ペアを当てられたら、南くんから豪華賞品が貰えるってわけ」
「ほぉ、何が貰えるんだ?」
他人事のように言う南を無視して、箒が身を乗り出した。
「それは、賭け事ではないですか!?」
「ううん、あくまで応援よっ。たまたま、当てたら何か貰えるってだけ。南くんから」
「その南くんって、神代くんじゃないよな?」
南が楯無の肩を揺する。
さらにそれを無視して、シャルが手を挙げた。
「あ、あの……それって、僕たちも、どのペアかを応援するんですか?」
「いや、あなたたちは自分の手で優勝を掴み取りなさい? そうしたら、他の皆より良いものが……ね?」
「南くんから貰えるわけだ」
諦めたように肩を落とす南。
やっぱりそれを無視して、ヴィシュヌは頷いた。
「この戦い、負けられなくなりました」
「そうですわね」
セシリアが続く。
「ちなみに、私たちのペアが勝ったら、私が賞品を貰うから」
その言葉に女子七人は、燃え滾る闘志を胸に秘め、それぞれの夕食を勢いよく口に運んだ。
豪華賞品の内容をぼーっと考えていた南だったが、ふと視線の端に二つの影を見つけて、表情を明るくした。
更に運が良いのか、その二つの影はこちらの方へ歩いてくる。
「みなさん、ちゃんと食べてますか? 育ちざかりですから、バランスよく食事してくださいね」
「食堂で騒ぐなよ、問題児たち」
それは千冬と真耶だった。二人は、その手に夕食を載せたトレーを持っている。
これを好機と見るや、南は勢いよく立ち上がった。
ややこしい豪華賞品から逃れるべく、箒の発言を掘り起こす。
「織斑先生、山田先生。学生が賭け事をする、というのは良くない事だと思うんです」
「え、ええ……もちろんです」
真耶が困惑しながらも頷いた。
千冬は何も言わないが、話は聞いているのか、目線を南からは外さなかった。
「しかもですよ、それを学校行事で、というのはどうなんでしょう」
「……更識姉。また、面倒なことを企んでいるのか?」
「いやいや、織斑先生。南くんにはちゃんと説明したんですよ? タッグマッチでは、専用機持ちが別枠での参加になるので、他の生徒には「応援」してもらうんです」
「応援……それは、いいことですねっ」
真耶は、屈託のない笑顔で言った。
それを見て、楯無が邪悪に笑う。
「お姉ちゃん……わるもの……」
簪が呟いた。
「神代、諦めろ。こいつの口はお前と同じくらい面倒に動く」
その時の千冬は少しだけ同情したような目だった。
千冬に直接言われては、南もそれ以上は何も言わない。
「はぁ……仕方ないのか」
「ふん、今日は随分と素直だな」
「俺の意見は変わりますが、俺が正しかったことは変わらない」
むくれたように言う南に、千冬は軽く笑った後、南たちの座るテーブルに腰かけた。
「そうか。食事中でも、私の話を聞きたいか……では、お前がどれだけ面倒か話してやろう」
薄く笑う千冬の迫力に押され、真耶を押し退ける勢いで専用機持ちが駆ける。
一人取り残された南は、担任と副担任に挟まれる形で、残りの食事を済ませることになった。
翌日。
ペアを組むことにした箒とヴィシュヌは、アリーナで実戦訓練を行っていた。
「くっ、南のやつ! 何が学園最強と組むだ!」
「全くです! もっと転校生に優しくしてくれても―――ではなくて! 不平等です!」
「くっ、このぉ!」
「はっ!」
箒の「空割」、ヴィシュヌの蹴り、双方の激しいぶつかり合いで、火花が散る。
一旦距離を取った二人はしかし、楯無の提案も思い出していた。
「ゆ、優勝したら……」
「な、何が貰えるのでしょうか……」
♢♢♢
時を同じくして、セシリアと簪は、整備室で互いに装備や稼働システムを再考案していた。
「簪さん、もう少し旋回性能を高めたいのですが、ブースターの出力を上げると、機体制御が難しくなってしまうのです」
「うん、少しクセが出ちゃう……でも、それを抑えるための外部パッケージを取り入れれば、少しはマシになるよ。やってみる?」
「まぁ、是非、お願いしますわ! 次の戦いは、負けられませんので」
「そうだよね……私も、そう……お姉ちゃんから、南を取り戻す。その為にも、セシリアに意見を聞きたい。この荷電粒子砲のことなんだけど……」
「ええ。わたくしに出来ることは、何でも言ってくださいな」
♢♢♢
「見てなさいよ南……泣いて許しを請うても許さないんだから……」
「私が見せてやろう。真の恐怖を、その全身に刻み付けてやるぞ、南」
「ふ、ふふふ……」
「鈴、調子はどうだ」
「絶好調に決まってるじゃない……左右の肩部ユニットをそれぞれ別の衝撃砲に変えたし、高電圧縛鎖も新調したわ」
「よし……そ、その鈴……」
「何よ?」
「まぁ、色々と後悔させてやりたい気持ちはあるのだが、それ以上に……」
「やっぱり気になってたわよね……優勝賞品……」
「み、南は何を……」
「くれるのかしら……」
♢♢♢
一夏は、先を歩くシャルの背中を追っていた。
しかし、その速度が異常なまでに早く、少し距離が離れては小走りで追いつくといったことの繰り返しだった。
「な、なぁ……ちょっと、歩くの早くないか?」
「え? あ、ああ、ごめんね、一夏」
シャルは慌てて立ち止まると、振り返りながら一夏を見上げた。
「なんか、怒ってるのか?」
「ん? 怒ってなんかないよ。ただね……神代くんに、僕は強敵だってことを教えてあげないといけないなって思ってただけ」
「神代、くん……?」
シャルのいつにない笑みに、一夏は肩を震わせた。
しかし、再び前に振り返ったシャルは頬を赤くしながら皆と同様、賞品のことに思いを馳せる。
一方、南は、セシリアと簪がいる第一整備室ではなく、第二の方へと足を運んでいた。
そこで退屈そうに椅子に跨る少女と、ぼーっとしながら立っている少女の姿を確認して、そちらに向かう。
「よう、京子ちゃん、フィーさん」
「ちゃん付けすんなっつってんだろうが、神代!」
「なはぁ。みーちゃん、こんにちはぁ」
「みーちゃんはやめてくれ。猫みたいじゃないか」
二年の整備科のエースは、新聞部の副部長であり、同時に生徒会の会計を務める黛 薫子であるが、そんな彼女が認めるたった二人のチームメイトが、この二人だった。
機体の組み立てを薫子が、装備関連を京子、そして細部のシステム面を整備することに定評のある三人は、整備科においても一目置かれる存在である。
同時に、南が自身のISを預けるのは、整備科でこの二人だけだった。
複数の上級生に専用機を点検させることは珍しくなく、それが普通であるのに対し、南は必ずこの二人を指名する。
束に直接手渡されたこの機体を、不特定多数に晒さないのがその目的だ。
「タッグマッチというのがあるらしくてな。それに向けて少し診てくれ」
「ああ、わざわざ指名してくれんのは良いんだけどよ……お前の機体は、単純な割に面倒だからな……」
京子が苦笑いしながら、腕を捲った。
「あふぅ。私はたいへんじゃないけどねぇ」
よたよたと歩くフィーは、のんびりした動きでデバイスを掴んだ。
南は、『フィアー・スパイダー・ロージング』を展開した後、軽やかに下り立つ。
「じゃあ、悪いが頼んだ」
「分かってると思うが、今度、どっか連れてけよ」
「ふにぃ。イチゴぱふぇがいいですなぁ」
そう言いながらも、二人は作業を開始した。
通常のISに比べ、極端に軽量化されたそれを、慣れた手つきで触れていく。
「これ、ここのパーツ……スペインの会社が開発したモデルを弄ったもので、手に入れんのがすげぇ大変なんだよ」
「ほう」
「かと思えば、こっちのはベトナムが世界で初めて実用化させたもんだしよ……神代、お前の機体は色々と厄介なんだ」
「それは、束博士に言ってくれ」
南には、髪を触るくらいしか出来なかった。
愚痴を溢すように言いながらも、京子の手は止まらない。
そんな話を聞いていたフィーが顔を覗かせた。
「んんー。でも、機甲は割とたんじゅんだしぃ、基線もクモをもちーふにしてるから、それになぞらえれば、おーけーですよぉ」
「京子ちゃん、どれくらいで終わる?」
「だからっ! そう呼ぶなってんだよ!……あー、意外とダメージの蓄積も、損傷部の誤魔化しもあっから……割とかかんぞ」
「ふにぃ。こっちの点検がおわったら、そっち手伝いますよぉ」
「フィーさんも頼んだ」
「むふぅ。おまかせぇ、みーちゃん」
「だから……」
南は途中で諦めて、三人分の軽食と飲み物を買うため、整備室を出た。