「ここは……どこでしょう?」
システムの再起動を目的とした電脳ダイブ。
それに成功した真耶が目覚めたのは、見渡す限りが緑で染まる草原だった。
季節外れの暖かな陽が差し、優しく吹く風が心地いい。
『山田先生、更識です。状況は?』
突然、真耶の目の前にウィンドウが現れ、簪と箒、シャルの姿が映った。
心配そうな表情を浮かべる三人に、とりあえず苦笑してみる。
「恐らく、電脳ダイブそのものには成功しました。ただ……」
『ただ……?』
シャルが訊ねる。
「どちらに向かえばいいか分かりません」
困った顔で笑う真耶の言葉に、簪が素早くキーボードを叩いた。
その間にも、緑は風で揺れる。
『これは……山田先生、この電脳世界は、現在ハッキングを受けています。まずは、それを解決しない事には……』
「分かりました」
『少し離れた場所に、大きな樹が見せませんか?』
その言葉に、真耶が首を動かす。
すると、簪の言う通り、大きく立派な樹木が聳えているのが見えた。
「あれですね」
真耶は呟くと、そちらの方に歩いて行く。
草原ということもあり、足元には草々が生い茂っているのだが、不思議なことに歩きにくさは感じなかった。
やがて、樹木の前にたどり着くと、そこに大きな穴が開いているのが見えた。
「更識さん、着きましたよ」
『穴があると思います。その先から通信が途絶えますが、問題の解決には、その穴に入ってもらう必要があります』
「了解しました」
代表候補生時代に味わった、未知への興奮が、真耶を沸き立たせた。
眼鏡を両手で持ち上げ、いつものような柔和な笑みではなく、口の端だけを持ち上げる、どこか荒々しい表情になる。
「さぁ、行きますよっ」
ためらいもなく、穴に片足を突っ込む。
足場を感じなかったが、真耶はためらうこともなく身体を入れた。
「ん……あれ?」
大きな樹木に身体を入れると、激しい光に包まれた。
眩しさに目を閉じ、再び目を開くと、そこは見覚えのある場所だった。
「IS学園?」
手には教科書、いつもと同じ眼鏡。
廊下に立ち尽くす真耶の前を走り抜ける生徒。
反射的に「廊下を走ってはいけません!」と注意しそうになるが、口を開くことはなかった。
どこか違和感がある。
それは、首筋が無意識に感じていた物が無くなっていたからだった。
恐る恐る手を、首の後ろに回す。
手に触れたのは髪の毛先ではなかった。
「ええっ……髪が、伸びてる……」
背中に届くほどの髪が、真耶の驚きと同時に揺れた。
持っていた教科書に視線を落とす。
それは、教員用ではなく、少し端が折れたような、お世辞にも綺麗と言えない教科書だった。
そして、視界に腕を入れたことで、新たな情報が飛び込んできた。
「せ、制服っ!?」
慌てて横を向くと、窓ガラスに反射している自分がいる。
その恰好は、紛れもなく学生時代の真耶だった。
「こ、これは、罠ですね」
困惑はするものの、慌てはしない。
辺りを見渡しながら、一歩前に踏み出した。
とりあえずは、行動しなければならない。
具体的に何をすればいいのかは分からないが、立ち止まっているわけにもいかなかった。
「今は……何年生なんでしょうか……」
教室に向かおうにも、何年の何組に向かえばいいのか分からない。
胸元のリボンは黄色だった。
つまり、二年生。自分は、二年四組だったことを思い出し、階段を上る。
「あ、真耶」
小さな踊り場で、上方から声をかけられた。
見上げると、勢いよく階段を駆け下りてくる影がある。
「ほら、急がないと授業始まっちまうぞ」
「お、織斑くん!?」
「織斑くん?」
馴れ馴れしく真耶に話しかける一夏は、驚く彼女の手を掴むと、首を傾げた。
「一年の時はそう呼んでたけど、何でまた苗字で呼ぶんだ?」
「え、そ、それは……」
「って、急がないと授業始まるんだって! 真耶はドジな所があるからなぁ。探しに来て正解だったよ」
友人のように微笑みかける一夏に、真耶は顔を赤くしながら俯いた。
引っ張られるように階段を上りながら、状況を整理するべく頭を回転させる。
(ど、どういうことでしょう……私はIS学園の生徒に戻ってて、なのに織斑くんがいて、どうやら同級生で……)
冷静を努めていた真耶の頭が、ついに混乱し始めた。
今は、もつれる足を動かすのに必死だ。
『ワールド・パージ……開始』
ふと、そんな声が聞こえてきた気がした。
振り返っても、誰もいない。
教室に着くと、かつての同級生が揃っていた。
それもそのはず、自分は何らかの罠により、過去に、思い出に飛ばされたのだから。
「あ、真耶ズルい! 織斑くんに手繋いでもらってる!」
「ホントだ! 抜け駆けだ~!」
一組の副担任を受け持った春によく聞いたフレーズ。
それを、まさか自分に向けて発せられるとは思わず、真耶はどう言葉を返すものか悩んだ。
「じゃあ、真耶。また後で」
一夏は優しく笑うと、一番前の席についた。
当初を思い出し、自分が座っていたであろう席の方へ歩く。
(どうすれば、この状況から抜け出せるのでしょうか……)
机の横にかけられた鞄はまさに当時、自分が使っていた物で、ペンケースなどの持ち物もそのままだった。
自然と難しい顔になり、眉に皺が寄る。
口元に手を当て、この後の事を考えている時だった。
「何を悩んでいるのかは分からんが、そう落ち込むな。人生は捨てたものじゃないぞ」
肩にポンッと手が置かれた。
身体を震わせながら見上げると、そこには南が立っている。
「神代くん……」
「拾えたものでもないがな……ん? 神代くん?」
代表候補生の皆に言っている、よく分からないことを言った南は、一夏と同じように首を傾げた。
「どうした、南くんはやめたのか?」
「あ、い、いえ、その……」
「余裕ある者はない者を補う。昔の人は、そうやって風通しよく生きてたんだ」
「はい?」
「何でも相談してくれってことだ」
南が胸を張る意味が分からず、混乱していた頭が更に複雑になる。
それと同時に、先輩の……そして、当時の国語教員が教室に入ってきた。
穏やかで怒ることのない教員であるのを良いことに、真耶は授業時間を全て費やして、事態の整理を行った。
「ふぅ……だいぶ、呑み込めてきましたね」
授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、真耶は息を吐いた。
頭の中は十分に落ち着いたが、この罠を切り抜ける方法はまだ分からない。
このIS学園のシステムを触ることも考えたが、これはあくまで仮想現実。
それでは問題は解決しない。
「何か……何かあるはず……」
再び考え込む真耶。
悩む真耶の顔を、南が覗き込んだ。
「真耶、飯行こうぜ」
距離が近い。
数センチ先にある顔に、真耶は顔を赤くして飛び退いた。
「ひゃっ!?」
「ほら、飯。今日の定食は、真耶の好きな、魚のツミレだったぞ」
南はそう言うと、彼女の手を掴んだ。
引っ張って立たせると、背中を撫でる。
「あ、あの、神代くん……私は……」
「おい、南。真耶とどこ行くんだよ」
「……ちょっと、職員室に」
「嘘つくなよっ。飯なら俺も行くぜ」
「今日から食堂は、最大二人組でしか入ってはいけないらしい」
「もう嘘とか冗談のレベルを超えてないか?」
一夏が怪訝な表情を浮かべると、そのまま真耶の肩を抱いた。
「え?」
「ほら、行こう」
「ちょっと待て。その手を離さない限り、お前をここから一歩も前には進ませない。俺の糸の餌食になる前に離れた方がいいぞ」
そんな南の低い声を皮切りに、二人は喧嘩を始めた。
間に挟まれる形の真耶は、オロオロしながら二人を交互に見る。
(わ、私を巡って……お二人が……はぁぁ……これは、良いものですねぇ……)
おっとりした表情になる真耶。
だが、すぐに微かな頭痛が襲った。
駆け抜けるような一筋の痛み。
その視線の先には、弁当を食べながら携帯デバイスを三人で見る、クラスメイトの姿があった。
三人が肩を寄せ合って見ている映像に、ハッとする。
静かにその机の方に向かい、デバイスを掴んだ。
「ちょ、ちょっと真耶」
「もう、私達が見てるんだからー。アンタは、織斑くんと神代くんの三人で食堂行きなよー」
「まぁまぁ、仕方ないんじゃない? 山田さんの憧れだからね―――」
―――織斑千冬は。
デバイスに映っているのは、第一回のモンド・グロッソ、その決勝戦の映像だった。
刀一本で戦う千冬は、対戦相手が同じ近接格闘型のISであるにも関わらず、圧倒的な力の差を見せつけていた。
(そうだ……あの頃の私は、織斑千冬さんに憧れて……)
食い入るように画面を見つめる。
(だから、私は……あの人の後を追って……)
後ろをそっと振り返った。
涼しい顔で適当な事を言う南と、呆れながらも必死な表情の一夏。
二人の口論の内容はもう入ってこなかった。
(こんな……私を取り合う彼らなんて……)
知らない……そう続けようとして、首を振った。
この電脳世界に来て、ずっと困惑した表情だった真耶が、静かに笑った。
(私にとって、あの二人は……そして、私は……)
「いい加減に、しなさいっ!」
真耶は、持っていたデバイスで南と一夏の頭を殴りつけた。
叱るような口調ではあったが、その力は明らかに強すぎる。
「な、なにすんだよ、真耶」
「その機械の正しい使い方はな、人を殴るんじゃないんだ」
頭を抱えながら言う二人に向け、真耶はデバイスを放った。
画面の中の千冬は、表彰台で笑顔を浮かべ、手を振っている。
「生徒が、私を下の名前で……それも呼び捨てとはなんですか!」
「え?」
「何を、言ってるんだ?」
ゆらりと立ち上がる二人。
首を不自然に曲げながら、一歩ずつ真耶の方へと歩み寄ってくる。
目の光沢は消え、壊れたロボットのような動きだった。
「俺達、同級生じゃないか……同じ代表候補で、一緒に頑張ってるだろ?」
「そうだぞ。生徒って、なんだ?」
真耶は、制服の上着を勢いよく剥いだ。
いつもの黄色のワンピースが舞う。
脱ぎ捨てられた制服で視界を奪われた二人を、真耶は蹴り飛ばした。
「あなたたちは、私の生徒です。何せ私は―――」
真耶はそう言うと、腕を身体の前で合わせるように組んで笑う。
「先生ですからっ!」
(システムの中枢は……)
少女は、目的地を探して電脳世界を漂っていた。
上下左右のない世界を、自身のISが持つ能力で進んでいく。
辺りを見渡していると、身体が揺れた。
「!?」
「ふふ、見つけましたよ。あなたが元凶ですね」
少女の目の前に現れたのは、真耶だった。
何もない空間が歪み、その中から現れた真耶は、好戦的な笑みを浮かべている。
「ワールド・パージが……破られた」
「さぁ、私を倒して、その先にある目的地を目指しますか? それとも、このまま引き返しますか? 言っておきますけど私は……」
そこで真耶は、胸を張る。
「元日本代表候補生で、IS学園の教員ですからね。簡単には負けませんよ」
しばらく対峙する真耶と少女。
やがて少女は静かに息を吐き、陰に沈む。
「此度はこれにて退場いたします。ですが、私の主はこのままでは終わりません」
少女の声は、姿が消えた後も続いた。
しかし、そんな声も聞こえなくなると、真耶は安堵の息を吐く。
先にある氷漬けの少女像を見上げた。
「やりましたよ、織斑先生」
そう呟くと、意識は自然と遠くなった。
翌日の休み時間。
真耶が段ボールを運んでいると、それが不意に軽くなった。
大きな箱で前が見えなかった為、その正体はすぐには分からない。
「俺が持ちますよ、山田先生」
聞こえてきたのは一夏の声だった。
顔を覗かせてみると、その隣には紙パックのジュースを飲んでいる南もいる。
「やったな、一夏。成績を上げてもらえるかもしれないぞ。出席番号、三十番です」
「それはお前のだろ! 俺は、八番だ!」
真耶は、そんなやり取りに目を細める。
すると、廊下の角から四つの影が出てきた。
「南、私の紅椿がようやく完治したんだ。特訓に付き合ってくれ!」
「駄目だよ、箒。今日は、僕が南と料理するんだから」
「違う。私とアニメ鑑賞」
「いっくんいっくん! 今日のでざーとはね~、くりーむたっぷりイチゴソース仕立てのでらっくすメロンあらもーどケーキだったよ~。食堂へ、れっつごー!」
一気に騒がしくなる二人の周り。
それを見て、少しだけ勿体ないことをしたような気がした真耶。
(でもこれが……こんな皆さんを支えるのが、私の役目ですね)
「ふふっ……では今日のお昼は、先生が奢ってあげましょう!」
南達、六人が歓声を上げる。