その日の食堂は、いつもより静かだった。
朝食のグラノーラを、バリバリ音を立てて嚙み砕く南の表情はどこか眠たげで、目もほとんど開いていない。
いつもは騒がしいその周りにも、今日は鈴と簪、ヴィシュヌしかおらず、のんびりとした時間が流れていた。
「あっ、あたし今日、日直だわ」
コップを傾けていた鈴は、それをテーブルに置きながら息をついた。
トレーに皿を重ねながら立ち上がる。
「それじゃあ、南。またね」
名残惜しそうな顔を見せながらも、鈴はテーブルを後にした。
その背中に手を振った南は、口を動かしながら頭を掻く。
「私も、先に行くね」
そう続いたのは簪だった。
一限目が実習である四組は、早めに教室に行き、準備を済ませる必要があった。
二人きりになった南とヴィシュヌ。
この状況を活かそうと考えを巡らせるヴィシュヌだったが、自分も特別クラスで演習を受けなければならない事を思い出し、泣く泣く席を立った。
「南、遅刻しないようにしてください」
優しく笑いかけたヴィシュヌに、南は軽く手を挙げて答えた。
ついに一人で朝食を摂ることになった南は、欠伸を漏らしてから、またグラノーラを乗せたスプーンを口に運ぶ。
「ね、ねぇ……これって……」
「うん……これは……」
「チャンスっ、だよね」
一人でボーッと食事を摂る南のテーブルから、少し離れた位置でそう呟くのは、一組のクラスメイト、谷本癒子に鷹月静寐、相川清香だった。
いつもは騒がしい彼の周りに、今は誰もいない。
転校してきた日から、恐らく初めてのことだった。
「よしっ、行くわよ」
癒子はそう言うと、胸を張って歩き出した。
さながら、決闘をしに向かうガキ大将のような勇み足である。
「ちょ、ちょっと待って!」
「あー、私も私も~」
その後を、静寐と清香も続いた。
三人は、テーブルの傍で並ぶと、慎重に声をかけた。
「あ、あのー、神代くん?」
「ん?」
スプーンを片手に声の方を見上げた南は、クラスメイトの顔ぶれに笑顔を浮かべた。
「おう、おはよう」
気さくな挨拶に感動した三人は、数秒ほど胸を高鳴らせていたが、すぐに頭を振った。
清香が一歩前に出る。
「ここ、座っていい?」
「別にいいが……皆は、まだ朝飯食ってないのか?」
やった、とはしゃぐ癒子は、いち早く南の隣に腰かけた。
「ううん、私達はもう食べたんだけどね、神代くんとお話がしたくて」
「ああっ、ズルい! アタシが神代くんの隣に座ろうと思ってたのに!」
「へへーん、早い者勝ちよっ」
「神代くん、朝はあまり食べないんだね」
地団駄を踏む清香を尻目に、静寐が笑顔を浮かべた。
優しい声音に、南の頬も自然と緩む。
「本来、朝は食べない派なんだがな……一夏に付き合わされている内に、少しだが食べるようになってしまったんだ」
「なってしまったって、悪いことじゃないのに」
「そうそう、織斑くんはたくさん食べてるんだから、負けないようにしないと!」
癒子と清香の言葉に、南は苦笑を浮かべる事しか出来なかった。
すると、何かを思いついたように、清香が辺りを見渡した。
「ねぇ、今日は専用機持ちの皆はどうしたの?」
「一夏とのほほんさんは先に教室に行って……」
「ああ、そう言えば、仲良く手繋いでたわね」
癒子の表情が歪んだ。
「箒は剣道部の大会で公欠、セシリアは実家が請け負う仕事の会合、シャルとラウラは任務がどうのって言ってたな……楯無も忙しいようだし、今日は静かだ」
「凰さんと更識さん、ギャラクシーさんは先に行ってたし……これは、本当にチャンスだったんだ!」
清香がガッツポーズしているのを、不思議そうな表情で見つめる南。
そんな南に、静寐が恐ろしいものを見るような目を向ける。
「神代くん……生徒会長を呼び捨てで……」
「ああ、先輩なんだけどな。初対面で色々あって、もう敬語も抜けた」
呑気に笑う南に、影が重なった。
その正体に目を向けた三人は、顔を強張らせる。
「私に対しても、敬語が抜ける日が楽しみだなぁ?……神代」
不敵に笑った千冬は、低い声でそう告げた。
手には、トレーが握られており、載っている皿の中身は空である。
「安心してください。俺はいつだって準備できてます」
「か、神代くん!」
清香の焦った声は、南には響かない。
癒子は、手を合わせながら何かを祈っていた。
「それで? 担任に挨拶もなしか? 谷本、鷹月、相川」
「おはよう……ございます」
「お、おはようございます。織斑先生」
「おはようございますっ!」
呼ばれた三人は、慌てて返事をする。
その様子に、南はコップを持ち上げながら笑みを浮かべた。
「皆、そんなに堅苦しく挨拶をすると、先生も疲れるだろう? おざっす、くらいがちょうどいいんだ」
教えを授ける宣教師のような口ぶりに、千冬は冷たい眼差しを向けた。
「神代、偉そうなことを言っているが、一昨日、私が本気で叱ってやった時は失神したのかと思ったぞ。全く動かなくなっただろう」
「失神? まさか……電池が切れただけですよ」
軽い調子で言った南に、千冬はため息をついた後、ホームルームに遅れるなよ、と言い残して去って行った。
その背中が遠くなると、三人は大きく息を吐いた。
「か、神代くん凄いね。あの織斑先生とあんな風に話せるなんて」
「アタシ、緊張して声が裏返っちゃったよぉ」
癒子が言うと、清香は肩を抱いた。
「そうか? まぁ、俺は専用機持ちであの人と話す機会が多いからな。慣れだ、慣れ」
朝食を終え、口元を拭いながら南は言う。
静寐は、感心したような、戸惑うような表情を向けるだけだった。
「それにな、あの人にだって弱点はあるんだぞ? 何考えてるんだ、と言いたくなるような私生活―――」
そこまで言いかけた南の頬に、フォークが掠った。
「「「ひっ!」」」
三人が、小さな悲鳴を上げる。
視線を向けると、かなり離れた位置にいる千冬が、鬼のような眼光で手を伸ばしているのが見えた。
「まだ、敬語を抜くのは早かったか」
南の後悔の言葉は、朝を告げる鳥の囀りに消える。
この日の南は、とにかくクラスメイトによく声をかけられた。
彼の隣は本来、ラウラの席だが、そこに交代で座り込むクラスメイトは、容赦なく南に話しかける。
それが授業の間ごとに繰り返され、昼休みになる頃には、すっかり疲れが見え始めていた。
「ふぅ……さて、飯でも……」
昼休みを告げるチャイムが鳴ると、南は一夏と本音の邪魔にならないよう食堂へと向かう。
教室を出ようとした瞬間、癒子に声をかけられた。
「かっみしろく~ん」
「ん? 谷本か。どうした」
「お昼食べるんでしょ? 私とどう?」
「ちょうど、一人で食べるのは寂しいと思ってた所だ」
「やった! それじゃあ、行きましょ~!」
癒子に引っ張られるように教室を出る。
廊下を少し歩いた所にあるトイレから、清香と静寐が顔を見せた。
清香はパッパッと手を振りながら、静寐はハンカチで水気を拭き取っている。
「お、今から谷本と昼飯に行くんだが……二人もどうだ? 今朝の四人組になるな」
そう言って、二人に笑いかけた南。
隣で癒子が大きなため息をついている。
「行く行く! いいよね?」
清香が、癒子の方を覗き込んだ。
目を細め、いやらしく笑うその表情に、癒子は眉を下げながら頷いた。
「私達で良かったの?」
食堂に向かう最中、静寐が遠慮がちに訊ねた。
首を傾げながら振り返った南は、言葉の続きを待つ。
「だって、いつも専用機持ちの皆とご飯を食べてるんでしょう? 私達なんかじゃ……その……退屈しない?」
「そんな訳ないだろう。それに、いつもの面子が休みだから、他のクラスメイトと食う……おかしくないじゃないか」
「でも……」
「秋が花を枯らすのは残酷か? 自然の流れだ」
そう言い張る南の表情に、静寐は小さな笑みを浮かべた。
「神代くんは優しいね」
「え、なになに? 何が?」
「まさか、抜け駆け?」
清香と癒子に詰め寄られ、二人は顔を見合わせて肩をすくめる。
普段よりのんびりと歩いたからか、食堂はかなり混雑していた。
「私が買ってきてあげるから、神代くんと清香は席を取っておいてよ」
「いや、それなら俺が……」
「いいからいいから。これくらいお安い御用さ! ほらっ、行った行ったー」
癒子に背中を押され、南は清香と二人で席の確保に向かった。
静寐とカウンターに向かう癒子は、上機嫌でスキップする。
「ふふん、これで神代くんに何かお返ししてもらえるかも~」
「もう……そんな事だろうと思った」
呆れた笑みを浮かべる静寐は、しかし、自分も胸の内に期待を秘めた。
しばらくして、トレーを両手に持った癒子と静寐が、南と清香の座るテーブルに腰かけた。
南の冗談がツボだったのか、清香は腹を抱えて笑っている。
「何の話してたのさ」
礼を言いながらトレーを受け取り、箸を持った南は、微笑を浮かべたまま首を振る。
「大したことじゃない。なぁ?」
「うんうん、あははっ……ホント、くくっ……」
笑いが収まらない清香の様子に、癒子がむくれながらスプーンを掴んだ。
カレーを豪快に一口頬張る。
「あ、そうだ……神代くん」
「ん?」
「相談したいことがあって……」
「ほう……俺で良ければ聞くが、こんな所でいいのか?」
静寐が言うと、南は辺りを見渡しながら返事した。
食堂はかなり賑わっており、とてもじゃないが相談する場所には適していない。
「うん、相談というか、意見を聞きたいの」
少しだけ神妙な表情になった静寐の話を、清香と癒子も同じように聞いていた。
南が頷くと、静寐は話し出す。
「私……ちょっと失敗をしちゃって……」
その声色は、救いを求めるというよりは、笑い話になる可能性を信じているようだった。
「それが、単なるドジになるか、鬼になるかを判定して欲しいの」
「鷹月のことだ、ドジで済むんじゃないか?」
「鬼かもよ? 聞かせて」
南が安心させるように笑ったが、癒子が先を促した。
水を含んだ静寐は、ゆっくりと口を開く。
「遠くに引っ越すことになった地元の友達がいて、その娘に寄せ書きをしたの」
「いいじゃん。それで?」
清香が言った。
「実は彼女、週末に事故に遭ってて、寄せ書きはお見舞い用に変わっちゃってたのよ」
「鬼の線が濃厚になったな」
笑いを堪えながら、南はポテトサラダを摘まんだ。
「私、こう書いたの……生きるか死ぬかの友達に、『お別れは寂しい』」
「ひゃっ!」
癒子がスプーンを落として口元を抑えた。
対面の南は、真顔になる。
「『新しい地への旅立ちね』」
「えぇ!」
続けた静寐に、清香が目を丸くした。
「『(笑)』」
「最悪だな」
南が頭を抱えた。
「『PS.身体に気を付けてね』」
「もう、やめて……」
突っ伏すようにしながら言った癒子。
話終えた静寐は、三人の反応に、表情を暗くした。
「これって、最低だよね……」
「勘違いしただけだよっ」
清香が懸命に励ました。
「死ねばバレないと思ってなければ大丈夫だ」
「そう思ってたら最低ね」
「そんなこと思ってないよ!」
慌てた口調で手を振った静寐は、ため息をついた。
まだ書き直せるだろう、と言いながら南はコロッケにソースをかける。
すると、蓋を閉めた途端、ソースが軽く撥ねて南の手に付いた。
「しまった……谷本、ナプキンを取ってくれないか」
「うーん……」
何かを考え込む癒子は、南と目を合わせたまま唸った。
手を宙に浮かせたまま、もう一度頼み込んだ南。
すると癒子は、手をポンと叩いて笑顔になった。
「名前だっ」
「名前?」
「専用機持ちのことは名前で呼んでるんだから、私のことも名前で呼んでよ」
悪戯を思い付いた子供のように笑う癒子は、楽し気に南を見つめる。
「谷本、下の名前なんだった?」
「えー、忘れちゃったのー? 癒子だよ、癒子」
「じゃあ、ゆ―――これは、気恥ずかしいな」
すんなりと呼べるかと思いきや、南は言葉を飲んだ。
いつも一緒にいる専用機持ちとは、当然だが勝手が違う。
「なんでよ!」
「谷本、頼む」
「駄目、取ってあげなーい」
「さっき、俺の為に昼飯を買ってきてくれた人がいただろう。どこに行った?」
辺りを見渡すフリをしながら訊ねる南に、癒子は諦めてナプキンを手渡す。
すまん、と言いながら受け取ると、丁寧にソースを拭き取った。
「アタシは? アタシの名前!」
はいはいと、手を高く挙げた清香は、期待の眼差しを南に向ける。
「清香、だろ?」
「覚えてくれたの!」
「いつも自己紹介してる印象だからな」
南は、コロッケに齧り付きながら言った。
納得のいかない癒子は、不満気な顔をする。
「なんで清香だけ! そんなの不公平よ!」
「生死を彷徨ってる時に、不適切な寄せ書きが送られてくるよりはマシだろ?」
眉を上げて得意げに言った南は、困った表情をする静寐に気付いた。
「(笑)」
そう付け加えるが、二人の表情は晴れない。