南と一夏は、土曜の授業終わりに、トレーニングルームで汗を流した後、自室へと向かっていた。
静かな寮の廊下を、二人してのんびり歩く。
「……あのキリンですら、首の骨の数はちゃんと七本なんだ。人間と同じなんだぞ」
「ふーん」
いつの間にそんな話になっていたのか、適当に聞き流していた一夏には分からない。
おかしな話だろ? と熱弁する南の言葉にも、力ない相槌を打つだけだった。
一夏は、たどり着いた部屋の前で立ち止まって鍵を取り出す。
そんな彼に怒ることもなく、南は先に部屋に入った。
さっさと制服を脱ぎ捨てた南が部屋着になった頃、扉が短くノックされる。
「はーい」
南とは対照的に、丁寧に制服をハンガーにかけていた一夏は、そう返事をすると、無言のまま手を南に向ける。
それに応えるように、南も拳を向けた。
二人は、小さく手を揺らした後、手の形を変える。
一夏がパー、南がチョキだった。
「っし!」
大げさに喜んで、再びベッドに身を倒した南は、上機嫌に歌を唄う。
悔しそうにため息をついた一夏は、小走りで扉の方へ。
開けた扉の先に立っていたのは、千冬だった。
「あ……」
一夏が口を開くと同時に、千冬の拳が、その脳天に突き刺さる。
「いってぇ! 何で!?」
「どうせ、千冬姉と呼ぶだろう。織斑先生と呼べ」
まさに無意識の内にそう呼びかけていた一夏は、言い返す言葉も見つからず、部屋の中へと招き入れた。
鼻を鳴らした千冬は、部屋の中で一曲歌い上げる南を見て、残念なものを見る目をする。
「お前が口ずさむ歌はどうしてそう、古いんだ」
「太古のメルヘンを感じたいからですよ。歴史は繰り返すんです」
「意味が分からん」
身体を起こしながら答えた南に、千冬は吐き捨てるように言って、椅子へ腰かけた。
部屋に戻ってきた一夏の手には麦茶が握られており、それを向けると、千冬は小さく頷いて受け取った。
「お前達に頼みがある」
麦茶を豪快に飲み干した千冬は、テーブルにコップを置くと、そう切り出した。
二人は、無言で顔を見合わせる。
「頼み?」
一夏が訊いた。
「そうだ」
「お断りします」
「ほう」
南が力強く言うと、千冬の目が鋭くなった。
体勢は変わらないものの、覇気とも言うべき特殊な何かを感じる。
「お、おい、南……」
一夏が焦ったように言うのを聞いて、南も少し後悔の顔色を見せた。
しかし、頭を小さく振ると、真っすぐに千冬に視線を向ける。
「大体、どうしていつも俺達なんですか。一年には優秀な専用機持ちがたくさんいますよ」
「確かにな」
千冬は腕を組むと、その綺麗な唇をすっと伸ばした。
背もたれに体重を預け、足も組む。
「神代、お前は私を尊敬しているだろう? 崇拝して心頭しているのは分かっている」
「その通り、先生は神だ」
南の皮肉を聞き流し、千冬は目を閉じた。
「だから、つい頼ってしまうんだ」
「そういうことなら、ラウラは? 頼み事を断らないという意味ならシャルも適任だ」
「お前、逃れるのに必死だな」
人差し指と中指で数えている南に、一夏は苦笑しながら言った。
千冬は組んでいた腕と足を戻し、前のめりになる。
細長い指を絡ませ、口を開いた。
「明日から数日間、留学という形で代表候補が来る。お前達にはその世話係をしてもらう」
用件をすんなり言い放った千冬に、一夏と南が固まった。
数秒して、一夏は「おお~」と唸り、南は頭を抱える。
「してもらうって……もう、頼んでないじゃないか」
そう言う間にも、千冬は「では、頼んだ」と告げて、さっさと立ち上がった。
扉に向けて足を伸ばす。
「たまには先生がやってくださいよ」
南の最後のあがきだった。
そんな言葉を背に受けて、千冬は立ち止まる。
「留学生の案内役が、元世界最強の教員では彼女達も気が休まらないだろう」
言いながら振り返る千冬の表情が、綺麗に歪んだ。
珍しく見せる楽しそうな表情に、弟の一夏でさえ、ドキッとする。
「それに、明日は休みなんでな。昼間からバケツで酒を飲む……思いっきり吐くまで」
一夏が肩を落とした。
続けて南が苦い顔をして言う。
「吐くことに抵抗はないのか」
「吐くからバケツで飲むんだ」
そう満足気に言い放った千冬は、大股で部屋を出た。
扉が閉まると、一夏が苦笑を南に向ける。
「大変なことになりそうな予感がするな」
「ああ……ん?」
頷いた南は、先程、千冬が振り返りながら言った台詞を思い出して固まった。
「どうした?」
「織斑先生、彼女達もって言ったよな」
「そうだな……ってことは、二人以上来るのか」
「どんどん面倒な方向に……」
「まぁ、一人も二人も変わらないんじゃないか?」
一夏は、千冬によって空になったコップを手にしながら笑う。
しかし、南はベッドから起き上がりながら一夏を指さした。
「呑気だな、お前は。そんな事だと、いざという時に困るぞ。どうしよう、どうしようとポケットをまさぐっても、出てくるのは焦りだけだ」
非難の言葉を並べる南を無視しながら、コップを流しに置いた一夏は、そのまま扉の方へと足を向けた。
呆れを含んだ笑みを浮かべたまま振り返り、ノブを握る。
「はいはい。じゃあ、俺はほんちゃんの所に行ってくるから」
それだけ言うと、一夏は部屋を出た。
向けた指をそのままにしていた南は、静かになった部屋で数秒間、動かずにいた。
翌日の朝。
日曜日ということもあって、南は布団に身を包んだまま、安らかな表情をしていた。
結局、部屋に帰ってこなかった一夏が身支度する音もしないため、部屋は完全な沈黙を保っていた。
そんな彼の部屋に、無情なノックが響く。
回数を重ねるごとに大きくなるノックを聞き、南はゆっくりと目を開いた。
「んんっ……ふぁぁぁ」
大きな口を開けて欠伸をした後、スマートフォンのホーム画面を確認する。
箒とシャル、簪からの連絡が目に入ったが、同時に響いたノックに、髪を触りながら身体を起こした。
スマホは枕元に投げ出し、のっしりとした動作で扉の方へ。
ドアを開けると、そこには見慣れないウェアに身を包んだヴィシュヌが立っていた。
頬を僅かに膨らませ、眉を少し顰める彼女に、南は寝起き全開の表情で手を挙げる。
「おはよぅ~……どうした」
「もう。早く出てください」
「今起きたんだ」
すぐにでも閉じられそうな目を擦りながら、南はかすれた声を出した。
そんな表情に、ヴィシュヌは仕方ないですね、と笑う。
「ところで、朝のヨガは、身体の調子を整えてくれるんです。これからするのですが、南もいかがですか?」
「いや、まずは野菜ジュースを飲んで目を覚ます。その後、ハッキリ断ることにしよう」
ヴィシュヌが優しく問いかけると、南はドアを更に開けて、部屋の中へと戻り始めた。
部屋に入れという意味だった。
断るのかと、一瞬だけ退屈そうな顔を見せたヴィシュヌだが、日曜の朝から意中の相手の部屋へ入ることに成功したことで、高鳴る胸を抑えながら、軽いスキップで室内へと続いた。
「今日は何か予定があるのですか?」
ヴィシュヌは、南が洗顔する様子を見守りながら訊いた。
タオルで顔を拭きながら、南はうーんと唸る。
「織斑先生から頼まれてることがあるんだ。一夏に押し付けることが出来れば、時間はある」
「それでは、織斑一夏が不憫でなりません」
冷蔵庫から野菜ジュースを取り出したヴィシュヌは、コップにそれを注いだ。
枕元のスマホを操作しながら腹を撫でる南に手渡す。
「おお、すまん」
南は、一気にコップの中身を空にすると、音を立てて飲み込んでから息を吐いた。
「箒とシャル、簪からも誘われてしまったな」
「織斑先生からの頼まれごととは一体……」
ベッドに腰かける南の隣に、同じように腰を下ろしたヴィシュヌが訊ねた。
その距離はやけに近いが、南が気にする様子はない。
「なんでも留学生が来るんだと……その相手を俺と一夏がすることになった」
「うっ……私の時と同じですね。それは無下には出来ません……」
同じく外部からこの学園に訪れたヴィシュヌは、思う所があるのか、肩をすくめるだけだった。
「では、箒達には私から……」
ヴィシュヌが立ち上がりながら言うと、部屋の先に延びる廊下から騒がしい音がした。
優雅な日曜日の朝には似つかわしくない騒音に、二人は顔を顰める。
その音は、南の部屋にぶつかり、同時に勢いよくドアを開けた。
「助けてくれ、南!」
音の正体である一夏は、涙目で南にすがった。
「あの変態、どこ行ったのよ!」
「ファニール、ちょっと待って!」
その後から響く二つの声。
鈴のような肩を出した制服に身を包んだ二人の少女の内、明るい髪をした方が、室内で南の足元に膝をつく一夏を見て邪悪に笑った。
対照的に大人しい髪色をした方が、その腰元に抱きついている。
「見つけたわよ……初対面のオニールにあんなことを……覚悟は出来てるわよね?」
「南、助けてくれ!」
再び言った一夏に、南は頬を掻く。
「……あー、今からヴィシュヌとヨガをするから忙しいんだ」
ヴィシュヌの肩を抱きながら南が言うと、その胸元の少女は、静かに頬を染めた。
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