勢いと流れだけで行われた決戦の後、IS学園内のカフェに移動した一行。
ケーキを頬張るオニールは、目をキラキラと輝かせながら、至福の表情を浮かべていた。
「うーん! このケーキ美味しい~!」
その口元にはクリームが付いており、隣でミックスジュースを啜っていたファニールが、ナプキンで彼女の口元を拭っている。
ありがとっ、と可愛らしく礼を言ったオニールは、またもケーキにフォークを突き刺す。
「分かってないな、箒の魅力はそんな所じゃないんだ」
「分かっていないのは君の方だろう? 私なら、箒の魅力を完璧に理解し、良きパートナーとして一生を遂げることが出来る!」
「俺は乳首からコーラを出す」
「……何を言っているんだい?」
「ん? 不可能なことを言い合うゲームじゃないのか?」
その対面に並んで座る南とロランツィーネは、言い合いをしながら熱くなっていた。
南が余裕の笑みを浮かべながら皮肉交じりに言うと、ロランツィーネの表情が不愉快に歪む。
そんな二人を挟むようにして、離れて座っているのが一夏と本音だった。
南の隣に本音が、ロランツィーネの隣が一夏だ。
オニールとは違い、不機嫌な表情で頬を膨らませる本音は、そっぽを向いており、一夏はとほほ、と肩を落としていた。
「お兄ちゃん! このケーキ、一口食べてみて! すっごく美味しいの!」
明るい声に一夏が視線を上げると、そこには満面の笑みでフォークを向けるオニールの笑顔があった。
その先端には一口大のケーキが刺さっており、たっぷりのクリームが今にも零れ落ちそうになっていた。
恋人を怒らせた原因はお前にあるんだ、とも言えず、一夏は苦笑いをしながら視線を本音の方へ向けた。
本音は知らんぷりを決めているように振舞っているが、その視線は微かに一夏の方へ向けられている。
その視線に気付かない一夏は、「じゃあ、一口……」と言ってオニールが差し出すケーキを口に入れた。
オニールはフォークを引き抜くと、顔を微かに赤らめながら、えへへ……と照れ臭そうに笑った。
「間接キス、だね」
「うぐぅっ!」
「ブーーッ!」
「ぬあっ!?」
順番に一夏、ファニール、本音の反応である。
喉に詰まったケーキを落とし込もうと胸を叩く一夏、ミックスジュースを盛大に噴き出したファニール、急速で首を捻りながら二人の方に視線を向ける本音。
それぞれが分かりやすく狼狽し、その主犯であるオニールはフォークを握ったまま笑うだけだった。
「あのなぁ!」
「織斑一夏!」
「いっくん!」
一夏はオニールに、ファニールと本音は一夏に詰め寄る。
そんな四人と、未だに言い合いをしている二人を別のテーブルから眺めていた箒とシャル、簪、ヴィシュヌは、そのテーブルに同席しなかったことを心から喜び、感謝した。
翌日、短期留学生として集会で紹介された三人は、その日の授業や訓練を終え、IS学園での放課後を体験していた。
ロランツィーネは、逃げる箒を追いかけることに余念がなく、一種の地獄絵図のようであった。
大和撫子とは程遠い、豪快なフォームで逃げる箒は、世紀の大強盗のようであり、もしくは、フルマラソンのメダリストのようでもあった。
そんな彼女に、楽しそうな表情で給水所さながらにドリンクを差し出した南は、頑張れよと無責任に声をかけている。
箒は、ドリンクを受け取りながらも、助けを求める間もなく走り去っていった。
それを見送った南の背後では、ファニールが鈴と対面している。
「へぇー、私達より年上なんだ」
「文句あんの?」
「別に。そんなに変わらないなって思っただけよ」
「何が!? どこが!? 言ってみなさいよ、この!」
「やめておけ。悲しい事実は受け入れてしまうのが一番だぞ」
歯を剥き出しにして怒る鈴の首根っこを、ラウラが掴んだ。
じたばたと暴れる鈴は、涙目で離せ、と怒鳴る。
「ね、ねぇ、アンタさ……」
逃げ惑う箒をいつ助けようか考えていた南の袖を、鈴の事など気にも留めないファニールが控えめに引っ張った。
「なんだ?」
南は、視線をファニールに向ける事もなく訊く。
「昨日、私が躓いた時、支えてくれたでしょ? 何か、よく分かんない糸で」
「よく分からないとは失礼だな。まぁ、気持ちは分かるが」
そう言いながら振り返った南の表情は、穏やかだった。
「見返りとか、言わないわけ?」
「見返り?」
南が眉を上げた。
言い辛そうにするファニールは、視線を下げたままだ。
「だからっ、転びそうになったのを助けた見返りよ……」
「あのな、そんなことで見返りを求めてたら、俺は、そこの鈴やラウラにどれだけ見返りを要求して、どれだけ見返りを要求されると思ってるんだ」
「え……」
呆れたように笑う南に、ファニールは顔を上げた。
そこには、腕を組んで何かを思い出すように頭を捻る南の姿があった。
「買い物に付き合ってやるのだって、よくあることだし、飯を奢ることだって珍しくない。逆に、付き合ってもらったり、奢ってもらうこともある。一々、見返りなんて言わなくてもな、その時の厚意というのは、何かしらで返ってくるんだよ」
もっともらしく胸を張って言った南は、そこに思い出したように付け加える。
「それが仲間だ」
ファニールは何も言わない。
驚きや感嘆を含む複雑な表情で、南を見つめていた。
当の本人は、「一夏が仲間仲間と言うより、俺が言った方が味が出るな」と一人で頷いている。
怪我を未然に防いだことと、買い物に付き合う云々が、同列で語られることなのかは、ファニールには分からない。
だが、彼女の……更に言えば、彼女とその妹のオニールが代表候補生以外でも勤めている活動の過去を振り返れば、それは明らかに異端な意見だった。
そんなことを考え込むファニールの背後で、鈴とは違う、慣れ親しんだ声が聞こえてきた。
オニールだ。
一夏を追っていたはずの妹は、一人でつまらなそうな顔をしている。
「どうしたの、オニール」
「聞いてよ、ファニール。お兄ちゃんが遊んでくれないのっ。何か、のどぼとけさん? っていう人の所に行っちゃって……一年一組の人も邪魔しないであげてって言うし」
明るくマイペースな妹を見ていると、気が和む。そう思ったファニールの表情には自然と笑みが零れる。
「いいじゃない、別に……それに、あんな男に構ってる暇はないでしょう?」
「うーん……折角、出会えたのになぁ……でもっ、確かにお兄ちゃんにばかり気を取られてもいけないよね!」
「そうそう。もう数日後なんだから」
「うんっ。日本での初ライブ!」
「ライブ?」
そろそろ箒を助けるべく、ナイフを取り出し、糸を伸ばしていた南が、耳をピクピクと動かした。
敬愛するロックバンドがいるにも関わらず、話が通じる友人がいない南にとっては、ライブという言葉だけでも十分、反応に値した。
「ライブに行くのか? 好きなアーティストの?」
「違うよ、私達がするの!」
「何を?」
「だからライブよ、ライブ」
「…………?」
「もう、察しが悪いわね!」
「あはは、私達、祖国ではアイドルをしてるんだよ」
オニールが軽快に言い放つ。
笑顔の彼女とは対照的に、ファニールの表情はむくれているようにも見えた。
南は頬を掻いて、ナイフを仕舞う。
「そうか、アイドルだったのか……………………アイドルッ!?」
何度か頷いた南は、アイドルという言葉を噛みしめ終わると、目を剝きながら二人に詰め寄った。
その形相に、双子の姉妹は肩を震わせながら身を寄せ合う。
「ほう、初めて生で見たぞ。そうかそうか、どんな曲を歌ってるんだ? 折角だから、寮に戻ったら聴いてみようじゃないか」
「ふん、そんな回りくどいことしなくても、今聴かせてあげるわよ」
「そうだね、誰かに聴いてもらうのが、一番の練習になるし……それじゃあ、ミュージック―――」
ファニールの声に合わせて、オニールも息を吸った。
同じ動きで、同じタイミングで、同じ表情の二人。
いざ、その歌声が、学園に響こうかというタイミングで、南が掌を向けた。
「まぁ待て、まぁ待て」
急にストップをかけられた二人は、つっかえるようによろめいた。
そんなことを気にも留めず、南は自信に満ちた表情をしている。
「折角、ライブがあるんだろ? なら、そこで聴かせてもらおうじゃないか。予習もせずに行くのは失礼かもしれないが、こんな機会も中々ないしな」
いい案を思い付いた、と笑う南に、オニールが小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「生憎だけど、もうチケットは完売してるわよ」
南の動きが止まる。
「……え?」
「え、えっと……私達、日本の人にも人気みたいで……チケットは、三十分で売り切れちゃったの」
申し訳なさそうに眉を下げるオニールの言葉に、南は膝をつく。
「そんな、馬鹿な……こんなことがあっていいのか……久しぶりのライブが……」
IS学園での生活が余りにも慌ただしく、好きなバンドのライブにも参加出来ていなかった南にとって、例えアイドルであったとしても、音楽に直に触れる機会を逃したのは、大きな損失だった。
しばらく頭を垂れていた南に、影が重なる。
顔を上げると、そこには小さな封筒を差し出しながら、南の傍でしゃがみ込むファニールの姿がある。
「これは……」
「その、まぁ……昨日、助けてくれたわけだし? 関係者席のチケット……二席分あるから、来なさいよ」
「本当か!?」
「見返りなんて言わなくても、その時の厚意は、何かしらで返ってくるんでしょ? これが、その何かしらよ」
そう言いながら照れ臭そうな表情をするファニールの手から、チケットを丁寧に受け取った南は、抱きしめんばかりの手つきで、愛おしそうな表情をした。
ファニールは立ち上がりながら、引き攣った表情でそんな南を見下ろす。
「本当はお兄ちゃんにあげたかったんだけど、来られそうにないし……あ、もう一席あるから、ロランさんと来てね」
ロランツィーネの愛称だとすぐに分かった南は、ファニールに負けないくらい表情を引き攣らせた。
膝の汚れを落としながら、オニールに悲しい目を向ける。
「アイツと?」
南が指をさした向こうでは、ロランツィーネが狂ったように笑い声を上げながら、箒を追いかけていた。
限界が近いのか、箒の顎は上がりきっていて、呼吸も荒いのが分かる。
「ロランさんはね、私達の歌、すっごく素敵だって褒めてくれたのっ。だから、ライブにも来て欲しいなって」
「チケットあげたんだから、我儘言わずに来なさいよ」
ファニールが強い口調で言うと、南は何も言い返せないまま、諦めたように肩を落とした。
再びナイフを取り出し、糸を伸ばす。
「分かった。二人で行くよ……ありがとな」
それだけ言うと、南は素早く駆けだし、箒の方へと向かった。
その背中を見届けて、ファニールはオニールに声をかける。
「良かったの? 織斑一夏じゃなくて」
「うん。お兄ちゃんは来れそうになかったから……またの機会まで我慢しておく」
「……そう」
オニールの晴れた表情に、ファニールも自然と頬が綻んだ。
そんな二人の肩をガッ、と誰かが勢いよく掴む。
鈴とラウラだった。
「アンタら、あたし達のこと、忘れてない?」
「貴様ら、人の嫁に手を出すとはいい度胸だ」
鬼の形相で姉妹を睨む二人には、箒の遅かったではないか! という南への非難の声など聞こえていない。
夜、ロランツィーネが仮使用している寮の部屋、その扉の前に南の姿があった。
部屋着姿の南は、扉をノックしようとしては、手を引っ込める動作を、かれこれ五分以上は続けている。
彼女が素直に同行するとは思えなかった。
断られた際に誰と行くか、そんなことまで考えながら再び手を扉に伸ばす。
意識を他に向けながら行ったノックはあっさりしたもので、ロランツィーネのくぐもった声もすぐに聞こえてくる。
「こんな夜更けにでさえ、私を拝みに来る子猫は……君か……」
扉を開けたロランツィーネは、南の姿を確認すると、眉を顰めた。
箒へのアプローチを、悉く阻止してきた宿敵の登場に驚いているようでもある。
「子猫、というよりアヒルの子だったね」
「俺は蜘蛛だ」
簡潔に言い放った南は、そのまま扉を閉めそうになるのを我慢しながら、言葉を探す。
「あのだな……」
「箒を諦めろ、という話なら帰ってくれ。私の百人目の恋人には、彼女しか考えられないのだよ」
ロランツィーネの恰好は、ラフなものだった。
無地で白のシャツは、女性特有の膨らみを強調し、過ごしやすそうなグレーのサルエルパンツは、南の好みでもあった。
「やめてやれ、と言いたいところではあるが、それで引くならここまで拗れていない。箒自身にしっかり断られてくれ」
「私は諦めない」
そう答えるロランツィーネの瞳は力強く、それだけで人を納得させるようだった。
しかし、南はそうか、と答えるだけで済ませる。
「無作為に選ばれた箒には、迷惑な話だな」
「何を言う。私と出会い、結ばれる恋人には、共通点があるのさ」
ロランツィーネは、扉を全開にすると、腕を組んで背を預けた。
寮の廊下には誰もおらず、南だけがしれっと立っている。
「箒にも当てはまる共通点か」
「もちろんだ。私と出会う前の彼女達は、皆、心に孤独や寂しさを抱えていたのだよ。誰かを必要とし、誰かに必要とされたいと思っていた」
ふと、ロランツィーネが遠い目をする。
懐かしむような、噛みしめるような、そんな表情だ。
「私の父はね、神代 南。人の愛し方を知らない人だったんだよ……故に母は悩み、涙することが少なくなかった。その度に私は、彼女を喜ばせようと、様々なことを画策するんだ」
南は口を挟まず、聞いていた。
頷くことも、先を促すこともせず、ただ黙っていた。
「中学に上がる頃になると、母は強くなっていた。親元を離れた私の興味は、ISや告白してくれる女性に向けられることになるのだが……」
「そんな母親への気遣いと、心配りが、今のお前を作っているってことか」
ロランツィーネは、ゆっくり頷いた。
「もしかしたら、そんな母親を見て、言い寄る恋人たちに囲まれている内に……本当に誰かを必要として、誰かに必要とされたくなっているのは、お前自身かもしれないな」
ふとした思い付きを、南は口にする。
ぼんやりと呟いた程度だったが、ロランツィーネの表情は、微かに驚きを纏った。
見当違いだとも、深読みだとも言えず、ただ南を見つめる。
「面白い意見だよ、神代 南……確かに私は、誰かに必要とされ、『貴女じゃないと駄目なんだ』と、言われたいのかもしれない」
しばらく腑抜けていたロランツィーネは、やがてそう笑った。
そこで南は、当初の予定を思い出し、手を叩く。
「危ない、忘れるところだった。この日は空いてるか?」
ポケットから取り出したのは、オニールから受け取ったチケットだった。
端正な顔つきを維持したまま、ロランツィーネは、南の手元を覗き込む。
「ああ、その日はあいにく予定があるんだ」
やっぱりか、と南は肩を落としそうになった。
「箒に交際を申し込まなければいけない」
「なんだ、暇なんじゃないか。分かりにくい言い方はやめてくれ」
南は、ロランツィーネの肩を叩いた。
十年来の友人にするような軽いタッチだった。
それでもロランツィーネは、話が通じていないことに眉を顰める。
「聞いて驚くなよ、お前と同じ留学生のコメット姉妹はアイドルなんだ。どうだ、驚いたか」
「驚くなと言ったかと思えば、驚いたか訊ねてくる……忙しい男だね、君は」
「そんな彼女たちの日本初ライブが、この日なんだ」
ロランツィーネのボヤキを聞き流し、南は再びチケットを向けた。
「お前に歌を褒められたのが嬉しかったらしい。是非、来てほしいんだと」
「ふむ……」
南が言うと、ロランツィーネはしばらく考え込んだ。
その視線が宙を泳ぎ、しばらくして南に向けられる。
断られると、ファニールにチケットを没収される気がしてならない南の瞳は、子犬のように潤んでいた。
そんな表情を見て、ロランツィーネは小さく笑う。
「分かったよ。愛らしい彼女達の頼みだ……同行しようじゃないか」
どこまでも余裕を感じさせる優雅な口調でそう告げると、南は大げさなガッツポーズを繰り出す。