ライブ当日は、コメット姉妹を歓迎するかのような晴れ模様だった。
大小さまざまな雲が青空を泳ぎ、風は穏やかに通り過ぎていく。
そんな空が夕焼けに染まり、夜が顔を覗かせた頃、南とロランツィーネの姿がライブ会場付近にあった。
都心から少し離れた土地にある巨大なドームは、この日の為に派手な装飾が施されている。
更に、会場の周りには警察官の姿もあった。彼女達の人気が伺える。
ライブ会場に駆け付けたファンの行動は様々だった。
ファニールとオニールが笑顔でポーズを決めている等身大パネルをカメラに収める者、物販列に並び、タオルやシャツなどのグッズを購入する者。
中にはファン同士の集まりだろうか、十数人で円陣を作り、ライブを観覧するための気合を入れている集団もいた。
そのテンションと志の高さは、ライブを行う演者や、人生と学歴をかけて入試に挑む受験生達と変わらないな、と南は思う。
「まだ開演時間には早いようだが、どうする?」
隣のロランツィーネが訊ねた。
黒のハットに、薄手のジャケット、足の長さを際立たせる白のパンツに身を包んだ彼女は、南よりもしゃんとした男らしさがあった。
「楽屋に差し入れに行きたいが、それを加味してもまだ早いな」
ドーム前にある大きな時計台を見上げた南は、差し入れの入った袋を持ち変えながら言った。
そうだね、とぼんやり答えたロランツィーネは、辺りを見渡して腕を組んだ。
南は、ここに来るまでの道中を思い出す。
と言っても、特に冴えた話はない。
出会った日のように、箒について熱くなることも、互いのISの性能をひけらかすわけでもなく、もちろん故郷のことを話すような世間話もなかった。
乗り換えの際に声をかけ、途中で買いたい物がある報告をし、ついでに何か買うかを訊ねた程度だった。
一つ盛り上がりがあったとすれば、外出届について話した時だろう。
それは、駅のホームで電車を待っている時だった。
「そう言えば……」
「なんだい?」
「お前、外出届はちゃんと出してきたか?」
南は、飲み干した缶を、ホームのゴミ箱に捨てながら訊ねた。
ホームに人はまばらで、陽が傾き始めたのも相まって、もの寂しく思える。
「ああ、もちろん。箒は優しい。あれだけ私を避けながらも、外出届のことを訊ねると、きちんと答えてくれたよ」
「避けられている自覚はあるのか」
「いや、正確には私を試しているのさ……自分に相応しい相手かどうかを慎重に見極めているのだろう。実に奥ゆかしくて可愛らしい」
ロランツィーネが自信満々に答える。
「深読みって知ってるか?」
南は適当に返すと、ポケットに手を入れた。
電車が到着するが、車庫に入るため、乗車できない旨のアナウンスが流れる。
そんな放送が終わると、南は再び声をかける。
「寮の門限には間に合わないが、何も言われなかったのか?」
「何か、とはなんだい? 精々、専用機持ちの自覚も持つようにと、祖国を汚すような行動は慎むよう言われたくらいだが……」
ロランツィーネは、顎に細長い人差し指を当てた。
他に言われたことを思い出そうとしているが、付け加える様子はない。
「はぁ……やっぱり俺にだけじゃないか」
南が苦虫を噛み潰したような顔をする。
うんざりした表情の南に、ロランツィーネが視線を送った。
何があったか、聞きたいらしい。
「俺が外出届を持って行くとな―――」
それは昼過ぎのことだった。
午前中を、専用機持ちと過ごした南は、外出届の用紙に必要事項を記入し、千冬の部屋を訪れていた。
ちなみに、箒に狂気的な好意を示すロランツィーネと外出することについては、いつもの面子も何も言及してこなかった。
『まぁ、あいつなら……』と、箒は腕を組みながら堅い顔をし、
『何もありませんわね』と、セシリアは頷いた。
『いっそのこと、箒も連れてってあげれば?』と、鈴は茶化し、
『アイドルのライブに行くっていうのは、ちょっと不安だけどね』と、シャルは困ったように笑う。
『南、今からでも遅くない。あの女ではなく、私を連れていけ』と、ラウラは迫った。
『簪ちゃーん。おねーちゃん、南くんがいなくて寂しいから、一緒に映画でも見ましょ~』『お、お姉ちゃん、離れて……』と、更識姉妹は今日も仲が良い。
一夏は、機嫌を損ねてしまった本音を案じ、この日も彼女の部屋に入り浸っている。
そんなことを思い出していると、千冬の部屋の扉が開いた。
相変わらず、休みの日になると普段からは想像もつかない、おぞましいほどに怠けた格好をしている千冬は、ボサボサの髪のまま南を睨んだ。
「……なんだ」
「あの……外出届を……」
「どうして私に持って来る」
「門限を過ぎそうなので」
南が恐る恐る言うと、千冬はそれまででは考えられないほどの速度で腕を伸ばした。
困惑する南の襟元を掴むと、強引に部屋の中へ押し込む。
「お、ちょっ、なんだ……」
よろめきながらも、転ばないようにバランスを取った南は、部屋の中を見て口を開けた。
生徒よりも数倍広くなってる部屋は荒れ放題になっており、足の踏み場がほとんどない。
「門限を守れないなら仕方ない。ここを掃除していけ……そうすれば許してやる」
千冬は、目を擦りながらマッサージチェアに座り込んだ。
これを動かすたびに、一夏のマッサージの上手さを思い知ることになる、と千冬は常々、南に自慢した。
「あの……門限を過ぎる予定なのは、俺だけじゃないんですけど」
南が言うと、千冬はコメット姉妹は例外だ、と告げた。
首を振って否定する。
「もう一人の留学生も、その予定のはずなんですが……」
「留学生に、この学園の全ての決まりを守らせるわけにもいかんだろう」
千冬はしれっと言い張ると、体重を背もたれに預ける。
「まぁ、そういうことなら私から何か言っておく。とにかく、お前は掃除だ」
この傍若無人な怠け具合に、南はある種の感動すら覚えた。
―――自堕落な芋虫が、存在する。
『カイコ』
絹を産生し、蛹の繭を作るカイコガの幼虫である。
家蚕とも呼ばれるほど、完全に家畜化された虫であり、野生回帰能力を喪失した唯一の生物として知られている。
人間による管理なしでは生育することが出来ないほどに堕落しており、樹木に自力で付着することすらままならないという。
「全く、一夏という優秀な家事マシーンがいて、どうしてこうなるんだ」
「アイツをここに住ませれば、こんなことにはならんだろうな」
南のボヤキに対しても、千冬はあっけらかんと言うだけだった。
「のほほんさんが黙ってない」
しばらく複数のゴミ袋に、空き缶や食べ物の容器を分けて捨てていると、一枚の封筒が視界に入った。
しっかりとした糊付けに、厳かにも見える色をした封筒には、裁判所の名前が書かれており、南は慎重に中身を取り出した。
複数枚に渡って封入されている用紙を広げ、千冬の方を向く。
「裁判所から二十万円の罰金が科せられてますけど」
目を閉じていた千冬は、手を伸ばした。
南が手渡すと、用紙に目を通していく。
「ああ、完全に忘れていた。よく見つけてくれたな」
「時速6500キロのスピード違反でもしたのか」
南が冗談交じりに言うと、千冬は鼻で笑った。
「そんなわけあるか。山田先生と飲んだ帰りに、パトカーに向かって怒鳴っただけだ」
「スピード違反の方がマシだな」
話し終えると同時に到着した電車に、南とロランツィーネは乗り込んだ。
車内の乗客もやはりまばらで、座席はかなり空いている。
「ほう……世界最強の名を欲しいままにした、あの織斑千冬が……興味深い」
「お前に興味を持ってもらう時は、警察車両を使うことにするよ」
南の皮肉を聞き流し、ロランツィーネはふむ、と頷いた。
公演時間が近づき、南とロランツィーネは、関係者入口の方へと足を進めた。
この日を待ちわびていたファンが列をなす正面ゲートを素通りし、ドームのちょうど右側へと移動する。
制服を着た警備員が扉の前に四人立っており、その付近ではメディア関係者がスマートフォンを操作、もしくは通話に勤しんでいた。
何人かの男は、一般のファンが持つような代物ではないカメラを首からかけている。記事用の写真を撮るためだろう。
南とロランツィーネは、そんな関係者の間を縫って、入り口に歩いて行く。
警備員にチケットを見せるべく、胸ポケットに手を入れた南は、そこで顔色を変えた。
「ん?」
手に何も当たらない。
履いているジーンズのポケットも叩いてみるが、何かが入っている様子はなかった。
「バッグに入れたか」
南は、肩にかけていたバッグを片手に持ち、もう片方で中をまさぐった。
ライブに参加する予定しかない南のバッグの中身は、さほど多くない。
明らかに手つきが焦っている南に、ロランツィーネがバッグの中へ視線を向けながら言った。
「チケット、どこに行ったんだい」
「トイレかな?」
「チケットが?」
南の適当な答えに、ロランツィーネも適当に返した。
チャックも下ろせないくせにトイレに行くな、と南は怒ったように言いながら、なおもバッグをまさぐる。
その時、南の尻ポケットが振動した。
スマホが何かを通知したのかと思ったが、連続で震えるため、通話であることが分かる。
「くそ、こんな時に」
南は、ロランツィーネにバッグを預け、スマホを取り出した。
操作して、耳に当てる。相手は一夏だった。
「どうした」
『南、ライブはどうだ?』
始まっていたら出れないだろ、と言いかけてやめた。
チケットが見つからない苛立ちを隠しながら、言葉を探す。
「今から会場に入るんだ」
『そうかそうか。俺はいま―――』
「のほほんさんの部屋だろ」
一夏の声を遮って言った。
『よく分かったな』
「授業で習ったからな」
適当に答えた南だったが、ファニールが現れてから、一夏は本音の部屋を頻繁に訪れては、機嫌を伺っていた。
この日も例外でない事は、容易に想像がつく。
『今日は、ほんちゃんと映画を観るんだよ。お互いが自然に寝るまで、延々と。で、先に寝た方が明日の朝飯を作るんだ』
「ガキの時、親が動物園に連れて行ってくれたんだが、その時に見たキリンの交尾よりはロマンチックだな」
南は投げやりに言うが、一夏は楽しみだ、とはしゃいでいる。
すると、視界の端で、ロランツィーネが手を振るのが見えた。
バッグは左手で掴まれ、振られた右手に倣って、チケットが揺れている。
「おお、ありがとう。どこにあった?」
南が、スマホを耳から離して訊ねた。
本音との予定を話すことに余念がない一夏は、そのことに気付かない。
「バッグの、このポケットだよ」
ロラツィーネは、バッグにいくつかあるポケットの一つを、得意げな表情で指さした。
「大切なチケットだから、普段は使わない所に仕舞ったんだね。それが仇になったんだ」
「知ったような口を利くじゃないか」
「ありがちだからね。私も、小学生の時によくやったよ」
「諸悪の根源はお前か」
南は、再びスマホを耳に当てながら、少し待っててくれと、ジェスチャーする。
肩をすくめたロランツィーネは、苦笑しながら促した。
『南、ヤバい』
「俺は、チケットも見つかって絶好調だぞ」
『ほんちゃんに振られるかも』
少し聞いていない間に、どうしてそんなことになるのか。
南は、ため息をついた。