「落ち着け、一夏。とりあえず何があったのか、一から説明してくれ」
『俺の話、聞いてなかったのか?』
コメット姉妹がライブを行うドーム会場、その関係者入り口の前で、南はスマホを耳に当てていた。
すぐ傍で南を見ているロランツィーネの表情が、退屈に染まりつつある。
「お前のありがたい話を、俺が聞いてない訳ないじゃないか」
南はそう言いながら、先程ロランツィーネが見つけたチケットの一枚を手渡す。
無言でそれを受け取ると、彼女は不思議そうな顔を向けた。
「先に入っててくれ。一夏の話が終わってから行く」
「君も大変だね。蜘蛛の子を散らすような忙しさだ」
「使い方は間違ってるが、その心意気は認めてやる」
わざわざ南に対して、蜘蛛という言葉を入れたがるロランツィーネに、優しい笑みを浮かべた。
嫌味も含んでいるその笑顔に、ロランツィーネは満足した表情で入口に向かう。
「それで、どうした」
その背中を見送りながら、スマホの向こう側にいる一夏に問いかけた。
『ありがたい話なんだから、聞き漏らさないでくれ』
それから一夏は、ゆっくりと話を始める。
一夏が本音の部屋を訪れたのは、南とロランツィーネが学園を出てから、三十分が経過した頃だった。
オニールの過剰なアピールに対し、持ち前の優しさから強く突き離せなかったことは、恋人である本音の嫉妬と怒りを買うには十分だった。
「お邪魔します」
そろりとドアを開ける。返事はない。
ゆっくりとした動きで、自室と同じくらい見慣れた部屋の中へと足を進める。
「ほんちゃん?」
自分だけが呼ぶことの許された本音の愛称を口にしながら、脱衣所兼、洗面所になっているドアを開けた。
「あっ」
「えっ」
そこには、白い湯気を身に纏いながら、ピンクのバスタオルで体を拭く本音の姿があった。
髪を拭いていたからか、両手を上げている彼女の表情は呆然そのもので、程よく伸びた体から盛り上がる二つの膨らみは、薄っすらと火照っている。
本音の表情が徐々に羞恥に歪み、湯上りとは別の赤みが頬を染めると同時に、一夏は苦笑した。
「いいお湯だった?」
南の影響で、不釣り合いな言葉を思いつくようになってしまった一夏の呟きは、本音の甲高い悲鳴にかき消される。
「もうっ、いっくんのばか! えっち! うわきもの!」
「いやだから、浮気じゃないって! 俺には、ほんちゃんしかいないから!」
「っ!」
その後、着ぐるみに着替えた本音の前で土下座する一夏だったが、本音の「浮気」という言葉には、立ち上がって真摯な表情を見せた。
真っすぐな瞳を向ける一夏に、本音の表情が再び赤くなる。
「本当だって! それに、オニールは俺のことを、その……恋人とか、そういう意味で付き纏ってるわけじゃないんだよ!」
「……ほんと?」
ベッドに座る本音は、上目遣いで一夏を見つめる。
その表情に、照れ臭さから目を逸らしそうになるが、一夏は負けじと本音の両肩を掴む。
「もちろん! 絶対! だから、な? 仲直りしよう」
ここ数日、というより、オニールが訪れてから、しっかりとした弁明の機会がなかった一夏にとっては、今こそが誤解を解くチャンスだった。
それが、風呂上がりを直撃してしまったことによって舞い降りたのは不本意であったが。
「お、怒ってるんだからねっ……い、いっくんが……好き、だから……」
垂れる袖を弄りながら、本音は俯き加減で言う。
その隣に腰かけ、一夏は袖に隠された手を握った。
「俺もだよ」
低く、真剣な声音に、本音の表情は自然と緩んだ。
一夏の肩に頭を預け、身体を摺り寄せる。
「じゃあね、いっくんは、今日私とげーむをしてもらいますっ」
いつもの調子で言う本音に、一夏は優しく笑った。
「ゲームって?」
「夜、いっしょに映画をみるの……お互いに寝ちゃうまでずーっと……それでね、先にねちゃった方が、まけー」
「面白そうだな」
「バツげーむはねー」
「罰ゲームもあるのかよっ」
そこで一夏の表情が困惑に変わった。
しかし、本音はお構いなしに続ける。
「じゃあー、明日のあさごはんをつくることー」
「ああ、それくらいなら……」
安堵に胸を降ろした一夏を見て、楽し気に笑った本音は、ぴょんと跳ねるように立ち上がった。
「ん? どこか行くのか?」
「うん。生徒会のー、お仕事があるんだよ~。それを片付けてきちゃうね」
「俺も手伝うよ」
そう言った一夏の頭に手を置いた本音。
ちっちっち、と言いながら自信満々な表情で一夏を見下ろす。
「いっくんは、映画をえらんでてて。私ひとりでもすぐに終わるから~」
本音は軽やかな足取りでドアに向かうと、笑顔で袖を振る。
手を振り返した一夏に満足すると、気合を入れた表情で部屋を出た。
「ふぅ」
息を吐く。
ようやく解けた誤解が、吐息で流れていくのを感じた。
その瞬間、再びドアが開く。
「っ!?」
「私が、すぐねむっちゃうようなのばっかり選ぶのはなしだからねー」
袖でバツを作りながら、ジト目を向ける本音。
一夏は苦笑して分かった、と頷いた。
今度こそ、本音が廊下を歩いて行く音がする。
もう一度、息をゆっくり吐くと、そのまま座っているベッドに身を倒した。
「良かったー」
心からの言葉だった。
初めて険悪になりかけた二人の仲に、再び明かりが差し込んだ感覚になる。
この気持ちを仕舞っておくのが勿体なく、一夏は無意識に南に電話を掛けた。
『どうした』
友人の少し焦った声が聞こえる。
南が、コメット姉妹のライブに向かっていたことを忘れていた一夏は、まずはその様子を訊ねることにする。
「南、ライブはどうだ?」
『今から会場に入るんだ』
「そうかそうか。俺はいま―――」
『のほほんさんの部屋だろ』
「よく分かったな」
『授業で習ったからな』
この減らず口を瞬時に思い付くのも、蜘蛛の能力なのだろうか、と一夏は真剣に考えそうになる。
それから一夏は、本音とのこれからの予定と、それに至るまでの経緯を話し始めた。
どうにも相槌すら返ってこない気がするが、今の一夏には関係のないことだった。
「それでさー」
言いながら、部屋をぐるぐると物色する。
見慣れた部屋ではあったが、遠慮から、あまり触れていない物もあった。
その一つである、ベッド脇の引き出しに手を伸ばすと、興味本位で一番上の段を開ける。
その瞬間、取っ手の付いている部分が音を立てて外れ、中の物が崩れ落ちるように床に転がった。
「南、ヤバい」
『俺は、チケットも見つかって絶好調だぞ』
能天気な南の声も、今の一夏には届かない。
折角、仲直り出来たその日に、勝手に引き出しを開けただけでなく、それを壊してしまうことになり、一夏の頭は真っ白になった。
「ほんちゃんに振られるかも」
南のため息が聞こえる。
『どうして、勝手に開けたんだ』
「ほんちゃんにもそう聞かれる」
焦った声しか出ない一夏は、必死になって落ちた物を拾う。
片手に持つスマホが煩わしい。
『とりあえず、引き出しを見せろ』
呆れた声で言う南の声はしかし、今の一夏にとっては唯一の救いだった。
ビデオ通話に切り替え、スマホのカメラを、壊れた引き出しに向ける。
取っ手の付いている部分が外れ、中が丸見えになった引き出しは、不便さはあれど、用途に困ることはなさそう……と、勝手な解釈をしそうになる。
『のほほんさんは、どれくらいで帰る?』
「分からない。すぐに帰るって言ってたけど」
『接着してる時間はなさそうだな。釘を打て』
「どうやって」
『そこに枕とコップはあるか?』
南の問いかけに、一夏は素早く部屋を見渡す。
ベッドには、本音と買い物に出掛けた際に購入した枕が並んで置いてあった。
更にキッチンの方に視線を向ける。
棚の中には、これも二人で買ったコップがあるはずだった。
どうやって使うのかは分からなかったが、南のアイディアに必要なものは揃っている。
一夏のテンションは、危機を脱することへの興奮で、無尽蔵に上がっていった。
「ああ、あるぞ!」
『よし…………な訳あるか! ハンマー使え!』
南の突き放すような、そして当たり前のことを訊くなという口調に、一夏のテンションは行き場を失った。
釘を打つのに、ハンマー以外の何を使うのか……南は、ため息交じりに、腰に手を当てた。
腕時計を見ると、ライブの開始時間はとっくに過ぎている。
「ちょっと! ここは関係者入り口ですよ」
すると、警備員の切羽詰まった声が聞こえてきた。
耳に当てたスマホからは、釘をハンマーで打ち付け合っている音がする。
整備科である本音の部屋には、その辺りの道具はあったのだろう。
「……退け」
関係者入り口を塞ぐ四人のうち、二人の警備員に挟まれていたのは、見覚えのある少女だった。
どこか、自堕落な教師を思い出す顔立ちに、南の目が真剣なものに変わる。
『駄目だ……これじゃあ、バレちまう』
「大丈夫だ。あと二本、釘を打てばいい」
『どこに?』
「のほほんさんの両目だ」
短く告げた南は、一方的に通話を切った。
小走りで入口に急ぐ。
「退けと言っているのが、分からないか……」
「いや、だからね―――」
「愚かな……」
少女……エムの身体が光の粒子を纏う。
「おいおいおい」
南も素早くISを展開した。
いつものナイフは、もう手にしている。
「う、うわああああ!」
「なんだ!」
「ア、ISぅ!?」
亡国機業のエムは、黒騎士を展開すると、蛇腹模様の大剣を構えた。
「失せろ」
混乱の声が響く中、振り払われる大剣を南のナイフが受け止めた。
金属のぶつかる音がすると、火花が激しく散った。
「双子が動かす珍しいIS狙いか?」
「貴様……!」
エムの口元が歪んだ。
「チケットが欲しいなら、何か見返りが貰えるようなことをするんだな」
「邪魔を、するなぁっ!」
鋭く振り上げられる大剣を、再びナイフで弾くと、南は勢いを殺すべくそのまま後ろに跳んだ。
ライブが始まっているからか、会場前に人の姿はなく、逃げ惑う関係者は、それぞれ散るように走る。
「これが本当の、蜘蛛の子を散らすようってやつだ」
南は、ガトリングガンの弾を避けながら呟くと、刃を射出する。
同時に、罠を張るべく、糸を伸ばす。
蹴りを放ち、よろめくエムに追撃の拳を振り上げた。
しかし、エムは軽くステップすると、軽く跳んで空中で一回転する。
その遠心力を纏った脚部装甲の一撃が、南の拳を弾いた。
「っ!」
激しい衝撃に、拳が痛む。
だが、仕掛けは完成した。
左手に持った糸を引くと、様々な箇所を起点にした網が、エムを取り囲む。
鈍い音が黒騎士を包み、強固な糸が食い込む。
「すみません、IS学園に連絡してもらえますか」
離れた位置で銃を構えていた警察官の方を振り返る。
悪質なファン対策に駆り出された彼らも、まさかIS同士の戦闘に巻き込まれるとは思っていなかっただろう。
急いで無線を口に当てる警察官の隣で、もう一人が南の背後を指をさした。
「え?」
振り返ると同時に、南の顔面が強い殴打に襲われた。
吹き飛ぶ南は、スーパーボールのように跳ねる。
「ふん、いつまでもくだらん玩具で調子に乗るな」
冷たく言い放ったエムは、二対の槍、「ランサービット」を構える。
南がゆっくりと立ち上がるのを確認すると、急速でそちらへと突進する。
槍の先端を突き出すと、南は苦々しい表情のまま、ナイフでそれを受け止めた。
それでも、エムは顔色一つ変えずに槍先からビームを放つ。
「ぐっ!」
歯を食いしばる南だったが、エムによる前蹴りを腹部に受け、腰を折った。
再び蹴りを放とうとするエムの脚部に、糸を巻き付ける。
「無駄だ」
すると、黒騎士の脚部装甲が剥がれ落ち、その内部から新たなパーツが展開された。
その蹴りを受け止めた南は、後ずさりながら距離を取る。
「なるほど。どれだけ糸を巻き付けても、その部分を切り捨てて、新しいパーツを展開する……束博士はよっぽど俺の事が嫌いなんだな。余計な改造を……」
「そういうことだ。さっさと諦めて……死ね!」
エムの再接近に、南は身体を転がした。
ドームからは少し離れている。
コメット姉妹のISを狙っていると思われる敵に対して、彼女達から少しでも距離を取らせることが出来たのは好都合だった。
それでも、敵を倒せない事には、意味はないのだが……。
ナイフを逆手に持ち、斬りつけられる大剣をいなす南。
それでも、糸による抑止性能を防がれた今、こうして攻撃をやり過ごすことしか、南には出来なかった。
(不味いな……)
心の中で呟くと、大振りされた一撃が、視界の端に映った。
しゃがみ込んで避けると、そこにガトリングガンの銃弾が、容赦なく降り注ぐ。
「がぁっ」
勢いを殺せぬまま転がる南は、何かに背中を打ち付けて、強制的にその勢いを失った。
身体の空気が漏れる。
その後、酸素を欲した身体が激しく呼吸を繰り返した。
「はぁ……はぁ……」
エムは、余裕すら伺える表情でこちらへ歩いてくる。
南は、背中に打ち付けた物を支えに、身体を起こした。
そして、それが黒と白を基調とした車だと気付くと同時に、脳に電気が走る。
ここ数日の出来事が、一気にフラッシュバックした。
思わず、口元が緩まる。
立ち上がった視線の高さは、車のルーフに取り付けられた赤い輝きと同じで、そこには南の不敵な笑みが反射している。
振り返る。エムは、ゆっくりとした足取りだが、確実にこちらへと足を伸ばしていた。
距離が縮まっていく。
車の―――パトカーのドアを強引に開け、中から拡声器を取り出した。
「お前に興味を持ってもらう時は、警察車両を使うんだ」
息を吸い込み、ドームの中へ届くよう信じて、拡声器越しに声を張り上げる。
「よう、箒! お前も来たのかっ!!」
「く、うるさい!」
顔をしかめたエムは跳躍し、大剣を叩きつけた。
南が避けた先にあったパトカーは真っ二つに割れ、ただの鉄塊となる。
槍から放たれたビームを跳躍で避け、刃を射出する。
糸で繋がれた刃は勢いよく飛び出すが、エムには届かない。
再び大剣を構えたエムは、着地した南の頭上めがけて、振り下ろ―――そうと力を込めるも、それは二本の蔦によって遮られた。
「な、なんだ……?」
困惑するエムを尻目に、南は背後を伺う。
「箒はどこだい、神代 南」
「ライブ中でも飛び出してくるとは、流石だな」
「もちろんだとも、神代 南。私は、『ほ』と『う』と『き』の音が連続して放たれれば、どこにだって駆けつける。さぁ、箒はどこに?」
「というかだな、これだけ派手に戦っているのに、どうして誰も出て来ないんだ」
「それは愚問だよ、神代 南。彼女達のライブは素晴らしい。魅了されている我々に、君たちの騒音など届かないのだよ。ところで、箒はどこに?」
「そんな中でも、俺の嘘は聞こえたわけだ」
「当然だ。君が発した箒という名前―——ちょっと、待ちたまえ。嘘、だと?」
ロランツィーネの表情が歪んだ。
嫌悪や憎悪を含んでも、なお美しいその顔立ちに、南は慌てて手を振る。
「違う違う、間違えた。アイツだ。アイツが言ったんだよ、『箒なんてくだらない』ってな」
ロランツィーネの蔦による拘束を、装甲を切り捨てることで逃れたエムは、大剣を払って地を蹴る。
振り上げるように放った斬撃を、すっと軽やかに前に出たロランツィーネが、レイピアで受け止めた。
「君、それは本当かい?」
「貴様は……ちっ、こんな奴はデータに……」
「もう一度問おう。君は、『くだらない』などと言ったのかい?」
エムは、混乱する頭で、この正体不明の女が言っていることの意味を考える。
『ふん、いつまでもくだらん玩具で調子に乗るな』
そして、そう言ったのを思い出した。
「ああ、だから……どうしたっ」
大剣を手放し、代わりに腕部のガトリングを向けた。
同時にロランツィーネは、左右のアーマーを展開する。
「箒を愚弄するものは、許さない!」
禍々しいほど鈍い色をしたレーザーが、エムのガトリングよりも先に放たれた。
吹き飛んだエムは、体勢を立て直し、再びロランツィーネへと距離を詰めようとするが、それは敵わない。
「な、なんだ……」
ISの機動力を奪う花が、機体の装甲を縫って、咲いた。
パーツの切り離しすらままならないエムの頭上に、影が覆いかぶさる。
「しまっ―――」
「終わりだ」
ロランツィーネとの対戦でも見せた、形状を変えたナイフを持つ南は、鋭く言い放った。
その瞬間に、黒騎士の展開は解除される。
このナイフを使う際、糸によって動きを止められない南にとって、相手の懐に入るまでが問題なのであって―――
その後は、問題ではなかった。
――—想像を絶する速さで、獲物を仕留める蜘蛛が、存在する。
『トラップ・ジョー・スパイダー』
近年、チリで発見された、体長僅か数ミリ程度の小さな種である。
鋏のような形状をした顎で、獲物を挟んで仕留めるのだが、その速度は0.00012秒と言われている。
事実、人間のまばたきを観察するには、毎秒1000コマで撮影すれば十分であるのに対し、この蜘蛛の顎の動きを捉えるには、毎秒40000コマで撮影する必要がある。
この矮小な蜘蛛が、これほどまでの速度を叩き出すのは、ゆっくりと溜めたエネルギーを一気に放出する「パワー増幅」の仕組みを利用していることが分かっている。
「この力は、IS学園で身につけた物だからな。束博士も知らない」
エムは歯を噛みしめると、素早い動きで、懐から球体を取り出した。
「南、危ないっ」
ロランツィーネの言葉が響く寸前、エムはそれを叩きつける。
すると、球体は激しい光を放ち、二人の視界を奪った。
閃光が止み、目を開ける頃にはエムの姿はなく、夜の暗闇だけが広がっていた。
亡国機業のエムによる、コメット姉妹襲撃は、南とロランツィーネによって未遂に終わった。
ライブが終わり、満足した表情でドームから出てきたファンが、荒れ放題になった周囲を見て、呆然となったのは聞くまでもない。
コメット姉妹が狙われた事実と、得体の知れない組織と交戦を繰り広げたロランツィーネが、祖国から予定よりも早い帰国を促されたのも、難しい判断ではなかった。
IS学園の正門前には、三人の短期留学生と、南と箒、一夏、本音の姿がある。
「お兄ちゃん……また、必ず日本に帰ってくるからね!」
「あ、ああ……楽しみに、してるよ……ははは……」
涙ぐむオニールの頭を撫でながら、一夏は引き攣った笑みを浮かべた。
その脇には、ジト目を向ける本音の姿がある。
「ばか、うわきもの、のぞきま」
「だからっ、覗き魔とかじゃないんだって! たまたま、引き出しを開けたら壊れちゃったんだよ!」
必死に弁解する一夏の隣では、ロランツィーネが片膝をついて箒の手を取っていた。
「ああ、箒……出来る事なら、君を祖国に連れて帰りたいよ」
「そうか、私はオランダに興味はないからな。諦めて、帰るといい」
「ああ、箒……出来る事なら、このまま日本に滞在したいよ」
ロランツィーネは動じない。
更にその隣では、紙皿に乗せたサンドイッチを頬張る南の姿があった。
正面で腕を組むファニールの頬は、僅かに赤い。
「そ、その……また、助けられたわね」
「気にするな。お前達のライブを邪魔しようとしたアイツはな、いずれ決着を付けなきゃいけない相手なんだ」
「それでもっ……ライブが成功したのは、アンタのお陰だし、か、感謝してるわ」
「まぁ、俺はその成功したライブを見られなかった訳だがな」
サンドイッチを噛み砕く南は、表情を悔しさに染める。
「じゃ、じゃあさ……今度、カナダのライブ、来なさいよ。特別席、また招待してあげるから」
もじもじと体を揺するファニールは、か細い声で言った。
南は小さく笑うと、残っているサンドイッチの一つをファニールに手渡した。
「それか、俺の為だけにライブをしてくれてもいいぞ。それまでは、お前たちの曲は聴かないようにする」
ファニールは、少し驚いた顔をした後、幼さの残る表情で笑った。
「ええ、任せときなさいっ!」
コメット姉妹は、更識家が用意した特殊装甲車に乗り込むと、名残惜しそうな表情で、空港へと向かった。
もう一台用意された車両に、ロランツィーネが乗ることになっている。
扉を開け、乗り込もうとする寸前で、彼女は何かを思いついたような表情をした。
車には乗り込まず、真っすぐと箒―――の隣に立つ南の元で足を止めた。
「一つ、聞いてもいいかい?」
「なんだ」
「君はあの日、IS学園の友人を呼ぶことも出来た。そうだろう? ライブを楽しんでいるだけでなく、ISのプライベートチャンネルも繋がっていない私ではなく、君の為なら文字通り飛んでくる蕾たちを呼んでもよかったんだ」
ロランツィーネは、どこまでも不敵な笑みを浮かべている。
自信満々な様子で腕を組み、南を見定めるような視線を向けていた。
「それなのに、どうして私を呼んだんだい? 確証もないあんな方法で」
「言っただろう? あれは、亡国機業のアイツが―――」
「くだらない嘘はやめたまえ」
ロランツィーネの表情が引き締まった。
『箒なんてくだらない』とエムが言った。そんな冗談とも嘘とも取れる言葉は、答えを求めるロランツィーネには響かない。
南は息を大きく吐くと、髪をガシガシと触った。
「あの場所に一番近かったのは、当然お前だ。学園からあのドームまでは多少、時間がかかる。それに、相手の動きを封じ込める力を持っているのはお前かラウラくらいだが、アイツのAICじゃ、エムの動きを止められる確証はなかった」
だから、あの時は……と、南は続ける。
差し込んだ陽は、二人を照らし、その間を風が通る。
そんなに変わらない身長。しかし、目を合わせるには僅かに見上げる必要がある南の表情は、悪戯に歯を見せていた。
「お前じゃないと駄目なんだ」
ロランツィーネが、目を見開いた。
鼻を擦った南は、小さく笑いながら身体を揺らす。
やがて、抑えられない様子で笑ったロランツィーネは、目元を抑えた。
そして、そっと南に顔を近付けると、その耳元で小さく囁いた。
「面白い。実に面白いよ南……私の百一人目にして、男子一人目の恋人は、必ず君にする」
そう言い切ると、ゆっくり身体を離した。
冗談だと受け止めた南の表情は変わらない。
「百人目が叶わないから、百一人目も無理だろうな」
ロランツィーネは、踵を返した。
今度こそ、車両に乗り込む。
窓を開けて、優雅に手を振った。
「また、必ず会おう。箒、南」
「あ、待ってくれ。俺からも一つ聞きたいことがある」
もう少し待ってもらうよう、運転手に手を挙げた南は、二歩ほど車両に近付いた。
「エムが逃げる時に、玉みたいなのを取り出しただろ? あの時からだよな、俺の事をフルネームじゃなくて、名前で呼びはじめたのは」
「そうだったかな」
ロランツィーネが宙を仰いだ。
それでも南は、ポケットに手を入れて続ける。
「名前で呼んでもらうのは別にいいんだが……どうしてだ?」
どうして、と尋ねられても、ロランツィーネにも分からなかった。
咄嗟の事で、反射的に呼んでしまった。そうとしか言えない。
だが、その時ではなく、今の気持ちで言えるのなら、答えは決まっていた。
「君に、名前を呼んで欲しいからさ。だから、名前で呼んだ……南、ロランという愛称を、愛情を込めて呼んでくれ」
南はコーラを出そうと、自らの胸を揉みしだいた。