「毎朝、前の晩に頼まれたことをしても鬱陶しがられちゃいます。私はだーれだ?」
「……目覚まし時計だ」
シャルが満面の笑みで問うと、南は少しだけ黙り込んだ後、端的に答えた。
あまりにもあっさりと正解され、笑顔だったシャルは少しだけ頬を膨らませる。
「もう、どうしてすぐに答えちゃうのさ」
少しでも南の困った表情が見たかったシャルは、そう言って肩を落とした。
秋が深まるIS学園の食堂には、南とシャルの他には生徒がほとんどおらず、珍しく落ち着いた雰囲気だった。
「辞書で『天才』と引けば、『神代 南のこと』と出てくるだろうな」
昼食のピザを頬張り、伸びたチーズをフォークで巻き付けながら南が言う。
「『幼稚』というのも引いてみるね」
意地悪な表情でシャルが言うと、南は苦笑してドリンクを口に運んだ。
「そういえば南、最近よくそのジュース飲んでるよね。美味しいの?」
シャルは、南の持つストローが刺さった大きめのグラスを指さして言った。
その瞬間、南は目を見開き、よくぞ聞いてくれたとばかりに胸を張る。
「これはな、数十種類の新鮮な生フルーツをふんだんに使用した、俺特製のスペシャルフルーツジュースなんだ。食堂のおばちゃんに作ってもらった」
「南特製じゃなかったの?」
「難しいことを言うな」
自分で言い出した矛盾を誤魔化そうと南は、またストローを吸う。
シャルは諦めたように首を振った。
「よかったら飲んでみるか?」
持っているグラスをシャルの方へ差し出しながら、南が言った。
呆れた表情をしていたシャルの顔色がみるみるうちに赤みを帯びる。
その視線は、既にストローにしか向けられていない。
「い、いいの?」
「もちろんだ……少しだけだぞ? あんまり飲むなよ?」
釘を刺す南の言葉はもう届いておらず、シャルはぶつぶつと呟きながら手を伸ばした。
(や、やった! 間接キ、キ、キス……久しぶりに南と二人きりになれたんだもん。このくらいは……いいよね……?)
自分に言い訳をしながら、シャルはそっとストローを口に当てる。
少し遠慮がちに吸い込むと、爽やかな香りと共に甘すぎず、青臭さなども感じられない絶妙なバランスの果汁が口に広がった。
「わっ、コレ美味しいね!」
間接キスのことが吹き飛ぶくらいの風味に、シャルの表情が輝いた。
「そうだろう、そうだろう。鈴みたいに着色料と保存料を使いまくって、永遠に賞味期限がこないような物を飲まないで、こういう本物を飲むんだよ」
何故か誇らしげな南は、大きく頷きながら腕を組んだ。
すると、食堂の出入り口から騒がしい言い争いが聞こえてきた。
「おっ、噂をすれば、だな」
二人が視線を向けると、そこには件の鈴とセシリアがなにやら言い合いながらこちらに歩いてくるのが分かる。
シャルはひと時の二人きりが終わりを告げたことに落胆しながらも、そのひと時で得た味を忘れないよう胸にしまう。
「くんくん……ほーら見なさい、セシリア。やっぱりピザじゃない」
「まさか五十メートル離れた位置から、南さんの昼食を言い当てるなんて……しかも匂いで」
目を閉じたまま鼻を動かしていた鈴は、南とシャルの座るテーブルまで来るとパッと目を見開き、セシリアの方へ得意げに言い放った。
セシリアが困惑の表情を浮かべると同時に、南も似たような表情をする。
「凄いな、鈴。焼いたチーズが爆発物なら、空港で捜査犬と一緒に働けるぞ」
「馬鹿にしてんの?」
鈴が鋭い眼光を向ける。
とんでもない、と手を振りながらアピールする南。
その隣に大胆に腰かけた鈴は、持っていたペットボトルをテーブルに置く。
「あっ……って、もういいですわ。南さんの隣に座られるたびに反応するのにも疲れてきましたし……次、その席に腰かけるのがわたくしであれば」
「諦めるわけではないんだね」
シャルが冗談交じりに言った。
「もちろんですわ。それにシャルロットさん? あなたが南さんと二人きりで食事した今日の分も、キッチリとさせて頂きますわ」
「あ、あはは……」
苦笑いするしかできないシャルは、救いを求めて鈴を見据えるが、当の本人は何やら南と言い合っている。
「いいじゃない、好きなんだから」
「あのな、そんなのばっかり飲んでると体に悪いんだぞ。恐ろしい飲み物だ」
鈴の持っていたドリンクを巡って、二人のせめぎあいは続く。
「俺みたいに本物を飲んだらどうだ。コレを飲むともう他のジュースは飲めないぞ」
「そっちのほうが恐ろしくない?」
「本物だから恐ろしくない」
子供のような言い分をする南に、シャルとセシリアが吹き出した。
鈴も小馬鹿にしたように髪を払う。
「本物本物ってうるさいわね」
「いいか、うるさいは褒め言葉じゃない」
「分かってるわよ」
適当に言い放った鈴は、飽きたようにため息を吐いた。
南もさすがに自分でも何を言っているのか分からなくなり、また食事を再開させる。
そんな二人を見て、セシリアが立ち上がった。
「終わりましたの? コホンッ、時に南さん?」
「ん?」
口からチーズを垂らしながら、南が顔を上げる。
「今度の休日のご予定は?」
「あー……一夏と買い物に行くから暇だな」
「噛み合ってないよ……」
シャルが肩をすくめた。
しかし、その返答にセシリアの目が輝く。
「では!……」
「では、私とデートだな」
セシリアが意気揚々と続けようと息を吸った瞬間、小さな影がその前に立ち塞がった。
腕を組んで不敵に笑う少女は、ふんっと鼻を鳴らす。
「ラウラさん!?」
セシリアが語気を荒げた。
そんなことも意に介さず、ラウラは続ける。
「どうだ、南。デートだぞデート。副官曰く、『もうこの際、買い物だの〇〇に付き合ってほしいだの言わずに、普通にデートに誘えばいいのでは?』とのことだ」
「遂に面倒臭がられてるじゃない」
鈴がまだ見ぬ黒ウサギ隊の副官を想い、同情の息を吐く。
「あのな、ラウラ。デートがどうこう以前にお前に言いたいことがある」
南は自慢のジュースで喉を潤し、口を拭ってから続けた。
「お前、俺の部屋に忍び込んで俺のベッドに潜り込んでくるのはいいが―――」
「―――ちょっと待って!」
南が続けようとすると、シャルがそれを遮った。
ラウラの方へ体を向け、ジッと目を細める。
「ラウラ? どういうことかな?」
「いや、あの、これはだな……夫婦の、その……」
シャルから放たれる気に押され、ラウラの言葉尻が小さくなる。
セシリアと鈴も同様にラウラを睨んだ。
「とにかく、布団は剥がされるわ、たまに蹴られるわで満足に寝れないんだ。朝、一夏も騒ぐし」
「全く、夫婦の営みをなんだと思っているのだ、あの男は」
意味も分からずそんなことを言うラウラに、女子三人の視線は更に鋭くなった。
「俺はな、悩んでるんだ」
「何をです?」
セシリアが訊いた。
「ラウラが部屋に侵入してくることだ。織斑先生に報告すれば俺の安眠は守られ、鳥は囀り、地上は緑を取り戻し、子供たちが歌う」
「どこの子供たちよ」
鈴が訊いた。
適当に話していた南はすぐには答えられない。
「……世界中のだ」
「ふーん。なら、織斑先生に報告すればいいんじゃないかな」
シャルが冷めた声で言うと、ラウラが肩を震わせた。
「だが報告してしまうと、ラウラが殺されてしまうかもしれない」
「ほう、私の教え子が誰に殺されるんだ?」
先ほどのシャルを遥かに凌ぐ冷たい声に、本人だけでなくセシリアや鈴も背筋を伸ばした。
当然、ラウラは直立不動で固まっている。
「これはこれは織斑先生。地獄の門番はしなくていいんですか?」
「私が門番なんてすると思うか?」
それもそうだな、と南は笑った。
見上げると、テーブルの傍には食器の載ったトレーを両手で持つ千冬の姿があった。
ラウラは素早く距離を取り、またも身体を伸ばす。
「まったく……毎日毎日、馬鹿の一つ覚えのように集まっているな」
「それが教師の言うことか……それにあなたの弟さんは、毎日毎日、クラスメイトの女の子と一緒に過ごしてますよ」
南が呟く。
そんな彼を見て鼻で笑った千冬は、トレーをテーブルに置いた。
「神代……私への態度を考え直したほうがいいんじゃないか? どうも、最近お前だけには舐められている気がするのだが」
千冬の冷めた声色に、シャルとセシリア、鈴、ラウラは身を更に固くした。
その場を離れてしまいたい一心だが、身体が動かない。
「気のせいですよ」
「嘘にしか聞こえないぞ」
「俺が嘘をつくのは、子供にサンタクロースの存在を聞かれた時だけだ」
「そのくだらん減らず口が治らないようなら、次の金曜日までに寮を出ていけ」
「それは流石に無理ですよ。せめて日曜にしてください」
「ほう」
「二年後の」
南は殴られた。
「いってぇ……」
寮の廊下を、片足を引きずりながら歩く南。
一方的な虐殺が行われた後には、誰も残ってはいなかった。
「薄情な奴らめ」
南はひとり呟き、自室を目指す。
「あ、南だ」
そんな声に目線を上げると、そこには一夏が立っていた。
隣には、定番のセットのように本音が笑っている。
「やっほ~、みなみん。また誰かを怒らせちゃったの~?」
長い袖を回しながら尋ねてくる本音に、南はそっと首を振った。
「ってことは、また千冬姉に余計なこと言ったんだな」
一夏の軽快な笑い声が響く。
そんな友人の態度に、南は眉を顰めた。
「苦楽を共にしている親友が、自分の姉のせいでこんな目に遭っているのによく笑っていられるな」
「自業自得だろ?」
何でもないように笑い飛ばした一夏は、ポケットから部屋の鍵を取り出した。
次の角を曲がれば目的の部屋に辿り着く。
「こんな俺の気を晴らしてくれるのは、ベッドだけだな。スナックを食べながら、ドラマでも見るか」
「よく自分が寝るベッドで、何か食べられるよな」
一夏が呆れたように言う。
本音が肩を振るわせたことには当然、気が付かない。
「あれ?」
部屋の前に着くと同時に、一夏が声を上げた。
「ドア……空いてる……」
一夏が指さした先には、微かに開いている扉。
三人は数秒黙り込み、今朝を思い出す。
この日は、朝から本音が部屋を訪れ、三人で部屋を出て朝食に向かった。
もちろん部屋の鍵はしっかりとかけていたのを覚えていた。
「のほほんさん、下がってろ」
南は低い声で言うと、素早くナイフを取り出した。
一夏も『白式』を部分展開して、本音を庇うように一歩前へ出る。
「ふぅ……」
小さく息を吐いた南は、その後一泊開けて、勢いよく扉を蹴った。
大きな音を立てて、扉が開く。
同時に突進するように部屋へ突入した南は、そのままナイフを向けた。
遅れて一夏と本音が部屋へ入ってくる。
「おいおいおい……」
そこに人影はなく、ただ無残に荒らされた室内が目に飛び込んできた。
椅子は倒され、箪笥から衣類が飛び出し、引き出しの全てが開いている。
簡易キッチンにある戸棚も同様だった。
「どうなってんだ……」
「もう鬱陶しがられることもないな」
南が、踏み潰されたであろう目覚まし時計を拾い上げて呟いた。