2019年10月12日 修正
秋の選抜、第一回戦の課題決めが難航している。
基本的にどちらか一方が著しく有利になったり不利になるのは避けるのだが、ほぼ万能である香辛料の使い手葉山アキラ、得意分野が未だ不明の犬神美咲、そしてその付き人で成長著しい美作昴。この三名の扱いが非常に困り所だった。
「だぁーからさ! いいじゃん! 中華で!」
「スイーツ、これ一択」
「蛇肉にしようぜ!平等だろ多分!」
「ラーメン⋯⋯」
「寿司がいい」
勝手気ままな十傑メンバーも僕の胃を容赦なく痛め付ける、キリキリとする胃を抑えながら、候補の課題を書き留めてゆく。
元々クジ引きで決めて運も実力のうちである! が伝統なのだが、何せBブロックの悲劇がある。実に出場者の半数に絶望を押し付けた結果になったのだが、AブロックもAブロックで美作昴が初手なら似た様な状況を産んだのでは無いかと懸念される。
「寿司だと犬神さん一択だし、蛇肉なんて俺も調理した事無いよ⋯⋯誰が解説するのさ」
中華ならと思わなくも無いが、葉山君に著しく有利との声が出かねない。こういうのは自分の得意分野に引き込む事も出来る、それくらいがベストなのだ。
「もう誰か食戟吹っ掛けて3人とも潰してこいよ」
「叡山が逝けば良い、うん、逝けば良い」
「おいこら、何か違ったろ今」
潰せと言うのは少々問題だが、実際底を知りたいなら本気で料理をさせる他無いだろう。ただ、下手をすると秋の選抜を運営するメンバーが運営中に減る。
いや、僕の胃腸への負担は減るのでもしかして悪くない⋯⋯?
「もっと抽象的な課題にしてしまうのはどうだい? 解釈次第でどうとでもなる形にして放り投げてしまえばもう当人次第だろう?」
「一色先輩⋯⋯それは下手をすると更に悲惨な結果になりますよ? 誰が勝っても明確な差が出てしまうのでは⋯⋯」
「いや、もうそれで良いだろう。元より一年生内での序列決めが目的、いざとなったらスポンサー集めを行った叡山君に全責任を⋯⋯」
「待てやゴラァ!」
まだまだ議論は終わりそうにない。
例年なら既に課題発表がある頃らしいが、未だ運営からは知らせは来ない。流石に不安になって畑にいたシャペル先生に尋ねたのだが、どうやら議論が進んでいないのだとか。まぁ十傑の人達は基本的に
何せ授業の評価が気に食わないからと講師に食戟を吹っ掛ける猛者もいるらしいし、目が合ったら食戟を吹っ掛けずにはいられない過去の美作みたいな輩も多い。
「⋯⋯お前も丸くなったよな」
「マジか⋯⋯ちょっと食い過ぎたか」
横目でお腹を摘む美作を見ながら、今日も今日とて包丁技術の修練を行う。速く、細かく、潰さぬようにを心掛け、一息に切る。
僅かに切り身が膨らむのを見届け、そのまま口に放り込む。
「ダメか⋯⋯」
「美咲さんはさっきから何してんだ?そろそろやめねぇと凍傷になるぞ⋯⋯」
それは困ると残りの身を続け様に切る。美作がその身を摘み、怪訝な顔をしてから口にする。
「は⋯⋯? 美咲さんこれは⋯⋯?」
「練習中なんだ、大目に見てくれ。関守先輩から聞いた修めておくべき技能らしいのだが⋯⋯細胞を潰さず縫う様に断つのだとか」
「変⋯⋯態⋯⋯?」
失礼だがあの人の腕前はそれこそ変態そのもの、むしろそれだけの技術が無いと生きていけないのかこの国の料理業界は。
ただ「包丁技術で優先的に修めておくべき技能は何か」と聞いて返ってきた技術なので、やはり必要不可欠の技術なのは確定だ。特に選抜本戦では毎年OBが現れるため、それまでに技術を実用段階まで昇華させねばならない。まだまだ課されている課題は多いし。
「そぎ造りの練習中に発見したらしいが⋯⋯」
あの人の手先の神経はどうなっているのか、包丁を入れている時にふと細胞レベルで断面を感じ取るとか正直同じ人間だとは思えない。
まぁ合宿で出会った先輩方は関守先輩に限らず変態染みた調理技術を持っているし、遠月の卒業生とはそんなものなのかもしれない。
「いや、無理だろ」
「寧ろお前なら出来るんじゃないか?ほら、少し関守先輩をストーキングすればこう⋯⋯」
「美咲さん俺をメタポンか何かだと思ってないか?」
「気の所為だ。あぁ、この後緋沙子さんが来るのだが大丈夫か?」
メタポンとはとあるゲームに出てくる変身モンスターだ。よくは知らないがどんな相手にも変身できるらしく、能力もコピーするのだとか。
「そりゃ勿論大丈夫だが⋯⋯新戸の奴は付き人ってか秘書業は大丈夫なのか?」
「えりなが議会で出ずっぱりらしくてな。一人にしていると息抜きを忘れるから見ていてくれと、とは言え家に来てもまともに揃っているのは調理器具くらいなものだが」
一人で黙々と調理の練習をする分には困っていなかったが、やはりもう少し家具を導入するべきかもしれない。
いや、まぁ今そんな余裕は無い。何せ本戦に出場してしまった挙句、それが私の連絡先を知るうちの卒業生にまで知られてしまったのだ。本戦で無様を晒した暁には本気で、その場で料理人としての人生が潰えかねない。
「へぇ⋯⋯逆効果にならなければ良いがな。で、それこそ議会の結果待ちな美咲さんとしてはどうなんだ?」
「この通りだ、言うまでもないだろう?」
課題が発表されず、何の準備が必要か不明とあっては手の出しようが無い。結果として先輩を頼って基本技能の練習中だ。
「ま、そうだよな。っと、新戸か?」
ドアノッカーを叩く音が聞こえ、美作が巨体を丸めて玄関口へと向かう。
既にこの家に慣れきっている美作、恐らく目を瞑っていても衝突する事は無いだろう。因みに私には無理だ、絶対数歩で何かに激突する。
「あ、お邪魔します。申し出を受けて下さりありがとうございます」
「あぁ、構わない。自宅⋯⋯はもっと生活感があるか。そこらの公園だとでも思って好きに過ごして欲しい」
「はい。では御言葉に甘えさせていただきます。ところでそれは何を⋯⋯?」
相変わらず丁寧な人だ。
「新しい包丁技なんだとよ。関守板長発案らしいが⋯⋯まぁなんと言うか美咲さんって感じだ」
「包丁技術の研鑽ですか⋯⋯流石は【神の包丁】ですね。一体何処まで⋯⋯」
実に大袈裟だと思う二つ名である。美作との食戟で初めて知ったのだが、アレはいつ何をしているのを見てそんな分不相応な名付けを行ったのか⋯⋯
「むしろそれは関守先輩こそ呼ばれるべきだと思うのだが」
「⋯⋯そういえば、ソレは誰が言い始めたんだ? 食戟の時には既に付いてたが⋯⋯中等部の頃に聞いた覚えはねぇぞ?」
「諸説あるようだが⋯⋯新聞部が調べた情報にこんなのがあったぞ。いつか犬神さん本人に確認しておこうとは思っていたのだが⋯⋯これは一般生徒、必死に遠月で課される課題をこなし、日々ギリギリのラインで首を繋いできた一人の男子生徒から提供された話らしい」
緋沙子さんが話し始める。折角なので、私はお茶を淹れ、茶受けに外郎を準備し席に着いた。
ある日、常にギリギリで合格を掴んできたその男子生徒はふとした拍子に授業中に失敗してしまったらしい。結果、その場でどうこうとはならなかったものの、次で余裕のある成果を出さねばならなくなった。
だが当然ながら、直前に失敗を犯してこっぴどく叱られた直後の人間と組んで課題に臨む物好きはそうはいない。固定の相方のいない実力者と組んで課題に臨みたいが、頼み込んでは断られていたらしい。
「くぅ⋯⋯お前に組んでくれとは言わない。だが誰か知らないか⋯⋯?」
随分と失礼な物言いだが、そこそこ付き合いのあった心優しい友人は呆れた目で言ったらしい。
「安定した成績の奴と組みたいなら⋯⋯犬神に頼み込んでみたらどうなんだ? あいつは大体直前までペアを作ってはないだろ」
「え⋯⋯でもアイツ教師が瞬きした瞬間にまな板ごと魚を三枚に下ろしたとか割とおっかな⋯⋯」
「まぁ愛想は良くないし薄らデカいけどよ、無表情だし目付きもアレだが成績は良いんだろ? 余裕が無いなら多少の冒険は必要じゃね?」
そんな会話の末、そのギリギリな男子生徒(以後ギリ男)は犬神美咲に助力を仰ぐ事にしたらしい。だが助力を仰ぐ事にはしたが、どのようにコンタクトを取れば良いのかで難航した。
何せ彼女の連絡先など誰も知らなかったし、当時所属していた寮は女子寮密集地帯の奥地にあった。当然男子生徒が近寄ろうものなら良くて不審者、悪ければ下着泥棒である。
「くそ⋯⋯課題は明日だぞ⋯⋯」
彼女とコンタクトを取ることに意地になっていたギリ男は、当然課題の準備なんかしていない。何故彼がギリ男なのか、その原因は既に明白である気もするが流石の彼も前日くらいはと学校の厨房で練習をする事にした。
別段特別な才能に恵まれたワケでもない彼は、一般主婦よりは上程度の包丁技術しか持っていない。人外魔境遠月学園では下から数えた方が早い包丁技術で課題に臨めば、結果は芳しくないだろう。
「くそっ! くそっ!」
悪態を吐きながらも最低限平均以上の評価を貰えるよう、必死で練習をした。清掃の時間に睡眠を取り、それが終わればまた食材と格闘した。
運命の日の午前五時半頃、朦朧とする意識のなか彼女は現れたという。朝日を背に、自前の包丁ケースと練習用の食材を手に。
「お⋯⋯この時間に珍しい」
彼にとっては朝日を背にした探し人は女神にも見えたという。
「犬神⋯⋯美咲か⋯⋯。どうか、助けてくれ⋯⋯」
因みに、ギリ男は特別な才能こそ無いものの遠月の生徒では多い高いプライドの持ち主だ。本来の彼なら『よぉ犬神、次の課題俺と組もうじゃないか』などと宣っただろう。
目にクマを拵え、ふらふらの男子生徒に二人きりの厨房で迫られるなど普通の女子生徒なら逃げ出してもおかしくないのだが、その時犬神美咲は努力の跡の見える手と包丁を見てこう言った。
「凄く頑張った様だな⋯⋯分かった、取り敢えずそこで横になって寝るといい」
その言葉に従い倒れる様に横になったギリ男が目を覚ますと、彼の上には女子の上着が掛けられており、彼の散らかした調理台は綺麗に片付けられていた。
そして彼女と臨んだ課題の時間、鯵のカルパッチョを作れという課題での彼女の動きを彼はこう語る。
『人間の手って追加で何本か増えるんだな』
勿論彼女一人に全てを任せたわけでは無く、彼女の指示通りにではあるがタレを作る作業はきちんと行った。
基本のレシピは配られるものの、自主性とスペシャリテの創造を理由に課題内容を逸脱しない程度にではあるが創意工夫は許されている。無論彼女の指示した手順は明らかな別物であった。
檸檬ベースであっさりとしたものではあったが、それでいて軽く炙った胡麻を用いた香ばしさが食指を誘うものだ。後に味見をしたギリ男は、
『万一このタレを自分の捌いた魚に掛けたのならば、僕はその場で退学になっていたでしょう』
と、涎を垂らしながら恍惚とした顔で語っている。
タレの完成を確認した彼女は、それまで忙しなく準備していたその手をピタリと止めた。
「さて⋯⋯いくか」
彼女がそう呟くや否や、『手って増えるんだ⋯⋯』等と驚いていたギリ男は、己の目指すべき包丁技の到達点を見た。記者の取材に対して、このエピソードでの肝だと念を押してこう口にした。
『神の領域に足を踏み入れた包丁人の手はな、消えんだぜ』と。
ギリ男は目を離さなかったが、彼女の持つ包丁がブレたと思った次の瞬間、鯵は肉と骨に分かれていたのだ。
彼が口をぱくぱくとする中、彼女は手早く皿に盛り付け、タレをかけると一言声を掛けて完成品を講師の下へと持っていった。慌てて追いかけ、審査を無事最高評価で通過したのは言うまでもないだろう。
「と、言うわけだ。その後彼は犬神さんの包丁捌きを真似る為に決死の努力をし、未だ鍛錬に励んでいるらしい。何故急に、何を目指していると問われる度に犬神さんの包丁技術を神の領域だと語ったらしく、恐らく他のエピソードも相まって【神の包丁】が定着したらしいな」
「いや、それまだ他のエピソードもあるのかよ。ほんと美咲さんだな⋯⋯」
得意気に語る緋沙子さんの話を、謎の美化っぷりに頭を抱えながら聞き終えた私は心に瀕死の重症を負っていた。
明らかに一晩中調理の練習に励んでいた小柄で痩せた人間に迫られようと別段怖いものではないし、恐らく眠気で意識が朦朧としていた彼は覚えていないのだろうが間違いなく声は震えていた。主に緊張と誰もいないと思って厨房に入ったのに先客がいた動揺で。
「いや、そんな大したものじゃ⋯⋯それに当時はまだ中学生だぞ⋯⋯?」
「中学生でか⋯⋯新戸、そいつの名前は分かるか?」
「無論だ、そもそもお前のご近所さんだぞ」
駄目だ、人の話なんか聞いていない。引き攣る頬を必死に宥め、遠い目をして庭を横切る人影を目線で追う。あぁ、あれはシャペル先生か。
「美咲さんとしても懐かしい話だったみたいだな、他のエピソードはどんなのなんだ?」
「あぁ、そうだな。他に繋がりそうななのは⋯⋯」
まだこのマジ美化1000%の話を続けるつもりか、そう思いながら自分以外は減ってはいないが追加の茶受けを取ってくる。
帰ってきたら何やら惚けていた二人のカップに紅茶を注ぎ、いつの間にか消えていた外郎の追加を出した。
ちょっと微妙...?
因みに中等部時代のコレが五皿目に進化していたりしてなかったり
しっかり感想は確認させて頂いております!
しかし私がコミックス版でしかソーマを読んでおらず、その後の展開を知らないのでちょくちょく返せてなかったりします。