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2019年10月11日 修正
宿泊研修5日目、しおり上最後の課題は堂島先輩の下での丼飯を作れとの課題だった。ペアを組んでの課題なので、先ずは挨拶をしてそれから何を作るか協議しようと思い、俯いた状態の相方の女子生徒を覗き込むように声を掛けた。最初に断っておくが私はそれだけの事しかしてないし、ましてや睨みつけたわけでもなく、相手を怒らせる様な言動は何一つしていない。
「⋯⋯どうした?」
本来ならよろしくと声を掛けるつもりだった、それが間を空けての質問になってしまったのには訳がある。覗き込んだ彼女の顔は目尻に大粒の水滴を溜め、真っ赤だったのだ。
「あ、あう。あの⋯⋯」
上手く言葉がでないのか、パクパクと口を開けたり閉じたりする彼女の顔には敵意は感じられない。つまりは私に原因は無い、となると原因として考えられるのは【伝説のOB】こと堂島先輩を直視した事で感極まってしまった、これ一択だろう。
取りあえず目尻の涙を拭いてやり、自分の調理道具、といっても包丁だけなのでそれを出す。ちなみにだが私の包丁は遠月ではお目にかかる事がない程の安物だ。当然普通の家庭用包丁よりは高いのだが、今でこそ磨り減っているものの、最初の頃は切れない、重い、引っかかるの三点揃った残念品だった。
「ん、まぁ頑張ろう」
「はい!」
一度涙を拭いてやったら落ち着いたのか、堂島先輩に恥ずかしい姿を見られるわけにはいかないと思ったのか、元気な返事を返してくれる。正直周りに恋(?)する乙女が居た事なんて無いので対処法など分からないが、少女マンガを見る限りだと煽らずそれとなく活躍の機会を与えるのが吉だろう。
「何か作りたい品はあるか?」
「いえ、犬神さんにお任せします!」
任されても困るのだが⋯⋯というか私は自己紹介をしただろうか。とにかく頭の中でメモを繰って行く、遠月の食戟は技術的に高度な者が行うと行う程ジャンルが曖昧な品が出されるので、何処までが丼なのかが分からなくなってくる。直近だと編入生のシャリアピンステーキ丼が良作であったが、あの食戟は観客が多くいた為、この場において作ろうとする者も多いだろう。たまねぎ使ってる者も多いし。
「なら、そうだな。バイサイチュルークは分かるか?」
半年ほど前の食戟を思い出し告げる、作ったのは昨年度の卒業生だった筈で、十傑にこそ名前を連ねていなかったが卒業が叶った猛者の品だ。普通知らないし知らなければ指示を出すので然程問題はない。
「いえ⋯⋯それは?」
「簡潔に言えば豚丼だな、甘いタレを染みこませた豚を使う。これで良ければ指示を出すから大丈夫だ」
「よ、よろしくお願いします!」
良い返事を頂いた所で豚肉と大蒜、大葉を取ってきて貰う様に指示をする。その間に自分は香辛料の調合を開始し、帰ってきた彼女に豚肉のカットを頼む。女の子にやらせるには多少重労働にも思えるが、そこは合宿最後の課題まで生き残っただけはあるのか、多少力んではいるが丁寧に切れ込みを入れ、指示通りに大蒜を揉み込んで行く。
「その調子だ、後はそこのタレに肉を漬け込んでおいてくれ」
調合した香辛料と醤油、砂糖、ナンプラー、老酒を混ぜたタレの中に漬け込むのを確認すると、正直後は待つ事しかする事がない。大葉を切るのは食べる前だし、胡椒や山椒を挽くのも最後の一手だ。
「あとは暫く待機だな、一先ずお疲れ様」
「はい!お疲れ様です犬神さん!」
輝くような笑顔で返して貰えるのは嬉しいがその笑顔は憧れの男性、堂島先輩に向けるべきだろう。頷いて堂島先輩を見ると、何故か清清しい笑顔でサムズアップされた。何を伝えたいのか分からなかったので見なかった事にしたが。
第一組目が審査を受けに海鮮丼を運んでいるのが視界の片隅に見えたので目で追ってみる。審査の基準が分かれば幾らか覚悟が決まるだろうと思っての行動だ。堂島先輩はにこやかに受け取って口にすると改善点を幾つか指摘してから言う。
「作り直し」
いや⋯⋯包丁の技術から盛り付けまで全否定されてやり直しと言われても、それはもう退学って事なのではなかろうか。確かに上か下かと言われれば紛れも無く下ではあるが、そもそも遠月で丼に精通しているとすればそれは現状1名⋯⋯いや水戸さん込みで2名ぐらいなものだろう。
「厳しい審査になりそうだな」
「そうでしょうか?」
謎の余裕があるらしい彼女、流石に【神の舌】や編入生、美作の様な頭一つ抜けた技術は無いが、遠月の現一年では上の方には確実に居るだろう彼女の目に退学を言い渡される危惧は浮かんでいなかった。
「そうか、そろそろ焼き上げるとしよう」
「はい!」
中華鍋に油を流し込み、熱する。何故中華鍋を使うかと言うと煮るように焼く際に最も優れているかららしい、普段試作するときからお世話になる中華鍋であるが、十傑クラスの食戟となると相当な頻度で登場する。
「中華鍋ですか⋯⋯? 布を用意しますね」
「いや、布はいらない」
中華鍋を使う時、上手い者は布を持ち手に巻き、滑らすように使用する。が、私はどうやら向いていないようで、鍋を取り落としたり振りすぎてしまう事もあり使う時は素手である。肉をタレごと放り込み、強火に切り替え持ち手を掴む。
「頃合を見て米を準備しておいてくれるか?」
「は、はい」
見るからに引き攣った顔で返事をされた。確かに上位陣は皆布を使って軽やかに動かすが私には無理なものは無理なのだ、ここで熱いのを嫌がって退学を言い渡される事を考えるとベストな回答だろうと思う。だからそんな期待はずれな者を見る目で見ないで欲しい。
火を切ると準備された丼の上に流すように入れる、彼女に大葉を切って載せてもらっている内に胡椒と山椒を砕き、載せる。後は彼女に堂島先輩の下へ運んで貰うだけだ。
「さぁ、審査してもらおうか」
中華鍋を使う時、常識的な使用法としては火傷をしないように、持ち手を布で包むのが普通だ。そんな事は疑った事も無かったし、まさか布を渡そうとして拒否されるとは思わなかった。
「頃合を見て米を準備しておいてくれるか?」
動揺する私に彼女は言った。熱された中華鍋を持ちつつも無表情を崩さずにいるその様はまるで、この程度は日常茶飯事と言わんばかりだ。私と彼女の間にある実力差や、料理に対する情熱の違いを見せ付けられたように感じる。
「は、はい」
しかし幾ら動揺しようと私が彼女の足を引っ張る事は許されない、もう既に一度助けてもらっている私が、恩を返せないうちに更に失態を見せるなど考えたくも無い。あってはならない事だ。
彼女は素手のまま器用に中華鍋を振り、肉に火を通しつつ更にタレを絡めていく、周囲を肉が焼ける匂いと加熱された香辛料の発する香りが包み込んでゆく。その香りに呑まれそうになるのを必死に堪えて釜から米を器に移し、彼女の横に置く。此方を見もせずに火から鍋を離した彼女は米の上に肉を載せ、大葉を此方に差し出す。
「⋯⋯!」
切れと言う事だと気がついた私は素早く受け取ると細く切っていく。肉の上に載せて彼女を見ると包丁の背で大小様々な黒い粒を砕き、上から塗す。
「さぁ、審査してもらおうか」
彼女はそう言うと香りに呑まれそうな私に香りの発生源を預け、堂島シェフの下へと歩いていく。0距離で発せられるその香りは私の食欲を刺激し、口の中に涎が溢れ出る。見れば堂島シェフも箸を握り締めこの品を持ち望んでいるかの様だ。
20秒と掛かっていないはずなのに、1時間にも感じ取れる道のりを越え、堂島シェフの前に丼を置く。彼の箸が肉と米を掬い上げ、口へと運ぶ。
「_______!」
香りも一流であり、彼の反応を見れば一目瞭然の美味さだろう。しかし彼女の目はまるで、もっと美味く作れたのではないかという不安の色が浮かんでいた。確かに彼女の持てる技能をフルに活用し、私が一切の足手纏いにならなければもっと選択肢の幅が広がっただろう。それでも彼女は独断で行動せず、私にも仕事を与えてくれた。相変わらずの慈悲深さだ。
彼女を伺っている内に丼の中は空になっており、一息吐いた堂島シェフは疲れた顔をしながらもニヤリと笑い、言った。
「犬神、潮田ペア、合格だ。片付けてバスで待機しておくように」
「はい」
「は、はい」
丼を引き取ると彼女は黙って片付けを開始する、彼女に押し付ける訳にもいかないので、手につくものを片っ端から片付け、洗物を済ませていく。粗方片付き一息吐くと、彼女は包丁の刃の部分を眺めていた。恐らくは調理後の刃先のチェックをしているのだろう、流石は【神の包丁】、一切の手抜きは許さず料理人の半身たる包丁のチェックも怠らない。
そんな彼女を見て自分の包丁を見る、今は亡き母の形見であるこの包丁は代々伝わる一品だ。当然ながら値が付けられる様な物では無く、私には勿体無い包丁、しかし一度は失った筈の包丁。
「ありがとうございました」
気付けばそんな言葉が出ていた、今では彼女の付き人である美作昴、彼によって奪われた私の包丁を何の義理も無いにも関わらず取り返してくれた、私の憧れの人。
「気にする程のことじゃない。当然の事だ」
そんな彼女は当然と返す。この遠月では料理の出来が全て、弱者は切り捨てられ強者のみが栄光と更なる技術を手にする。そんな弱肉強食が絶対の掟な学園において、無関係の料理人の誇りを守る事を当然と言う彼女はどれ程の余裕と器を持っているのか。
もう一度頭を下げて荷物を纏める、合宿最後の課題で彼女と組めたのは幸運であっただろう。未だ彼女には腕も知識も程遠い事は分かっていた。だが腕が足りなければ磨けばよい、知識が足りなければ詰め込めばよいのだ。バスへと歩きながら私、潮田蜜柑は決意した。
_________いつか彼女の様な料理人になってみせると。
宿泊研修5日目の夜、殆どの生徒が連日のスケジュールで心身共に限界値を迎えていた。それもまぁ当然といえば当然で、4日目の朝食作りの4時間後から何事も無かったかのように振るい落としが再開、多数の脱落者を横目に次は自分かと戦々恐々としながら包丁を振るって生き残ったのだ。私の精神もズタズタである。
「美作、お前痩せたか?」
「この数日の日程で一切変化が見られない美咲さんが異常なんだよ」
失礼な、明らかに腹回りが細くなった美作と比べると乏しいかも知れないが私とて若干痩せたのだ。しかしまぁ痩せた理由としては日々謎の視線と悪寒による精神的なモノだろう、このリゾートで誰か首吊り自殺したとか工事中に生き埋めなんて事があっても私は驚かないだろう。
「まぁ今から何があるかは知らないが時間的にこれが最後だろう?まだ朝食作りするくらいの時間はあるが」
近くに居た生徒が数人へたり込む、やはり疲労が限界で既に立つ事も難しいのだろう。椅子を空けてやろうとも考えたが、目の前に食の魔王の眷属、【神の舌】なんて呼ばれる人物が穏やかに寝息を立てている中休める人物などそうはいまい。
「犬神さんはタフですね⋯⋯私もそろそろ限界ですよ。今から朝食作れなんて言われたら膝から崩れ落ちます」
「緋沙子さん、私に敬語は要らない。気軽に話してくれていい」
この合宿で一番変化したのは寝息を立てている【神の舌】とその付き人との関係だろう。連日トランプをしたりUNOをしたりと交流を重ねる内に、料理さえ絡まなければ彼女はちょっと常識を無くしたお嬢様と言った人格なのだと分かり、まともに会話が成立する様になった。
「私に『さん』こそ不要ですよ。えりな様のご友人にタメ口など恐れ多いです」
「私は同級生なら基本誰にでも『さん』か『君』を付けて話すからな?今の所例外は美作とえりなくらいなモノだ」
「貴女が他の人間を名前で呼んでいるのを聞いた事が無いですが⋯⋯まぁいいです。そういえば研修が終わった後なのですが、予定は決まっていますか?」
恐らく連休の事だろう、当然ながら決まっていない。
「いや、特に無いな。美作に付き合ってもらおうとしか」
「え」
「先約でもいたか?」
「いや、いねぇよ」
さっきの『え』は何なのだろうか。流石にボッチは何かと辛いので可能な限り付き合って欲しい。以前はこんな事を思いはしなかったのだが⋯⋯脱ボッチしてから何かと一人で居る事が減って私も群れる生き物になったのだろうか。
「それでは私達とご一緒しませんか?えりな様は昨日お誘いになるつもりだった様なのですが⋯⋯」
「昨日はトランプの最中で寝てしまっていたからな、勿論だ」
ちらりと美作を見るとそっぽを向いていた。何かやましい事がある人のポーズなのは誰が何処から見ても明らかだがあえて触れまい。美作は時計を確認するとこっちを向かずに告げる。
「そろそろ、呼び出しの時間だぜ」
「ん、そうだな⋯⋯!?」
合宿中感じていた悪寒が再び再発する、湯船で置いておいた服の場所が変わっていたり、美作との食戟の時の女の子が真っ青な顔で『気をつけてください!』とだけ言って去ってしまう等、怪奇現象は収まるところを知らない。まぁ手違いと激励だろうが。
「どうしました?」
「いや、ココ暫く誰かに見られている気がしたり服が動いていたりと色々起こっていてな。ちょっとまた悪寒が⋯⋯」
「「⋯⋯」」
いや、何故黙る。流石に何か知っているのであればと問いただそうとしたが堂島先輩が壇上に立ったので会話は中断だ。
『よし、皆集まってるようだな。本題に入る前に、一言、現時点で352名の生徒が脱落し、残る人数は648名!過酷なようだがこれが料理人と言う職の縮図だ。未知の状況で冷静さを失わず、常に食材と対話する、シェフとなれば重圧は勿論、不安と逡巡に苛まれる夜を耐え抜き、多様な事態に対応し、立ち回っていかなければならない』
残酷なようだが彼が言うならそうなのだろう、そう思わせる様な声色。辺りを見れば沈鬱な表情の者、覚悟を決めた顔の者が居る。
_無限の可能性を持つ君達へ、どうかこの言葉を心に刻んで欲しい_
そう言って繋げる。
『料理人として生きることは、嵐舞う荒野を一人きりで彷徨うことに等しい。極めれば極める程に、足は縺れ目的地は霞む。気付いた時には頂に立ち止まり、帰り道すら見失う者もあるかもしれん』
会場の明かりが暗くなったかの様に錯覚する、覚悟を決めた顔をしていた者の大半も揺らぎが見える。
『どうか、忘れないでいて欲しい。この遠月という場所で、同じ荒野に足跡を刻む仲間と共に在ったことを。その事実こそが、やがて一人征く君を励ますだろう。君らの武運を⋯⋯』
_______心より祈っている
以前も思ったがやはり彼の才能はコレにあるだろう。私とて先程から止まず襲い来る悪寒が無ければ涙していたかも知れないくらいに深い言葉、ゴクリと唾を呑む者、感極まって涙している者もいる。
『さぁ、合宿の最後のプログラムを始めよう。卒業生の料理で組んだ合宿終了を祝う、ささやかな宴の席だ、ここまで生き残った648名の生徒に告ぐ!宿泊研修の全クリアおめでとう!存分に楽しんでくれ!』
生徒の中から歓声が上がる。ふと悪寒が止まり一心地吐き、やや表情筋が緩んだのを感じながらも私は美作を見て言った。
「美作、お疲れ様」
「ッ!お疲れさん」
見上げた美作の顔はいつもより赤かった気がした。
脱落する事は考えていなかったが、非常にハードであった宿泊研修を終えた俺に向けられた、美咲さんの唐突の労わりの言葉と、初めて見た気がする表情に、何か熱く込み上げるモノを感じて顔を逸らしてしまった。首を傾げながらも平常運転に戻った彼女はこの合宿で縁が強まった2人と会場に歩いて行く。
「どうした美作、置いていくぞ」
非常にいつも通りの無表情、何を考えているかも分からない、俺を打ち負かした時から何も変わらない顔で振り向きざまに言う。
「待てよ」
小走りで人垣を掻き分けつつ彼女の背を追う、その時に一瞬すれ違いざまに声を掛けられた気がした。その声は擦れて聞き取り辛く、誰が言ったのかも定かではない。
『その場所は私が貰う』
俺には確かにそう聞こえた。
実はもうちょっと早い内に出す予定だった潮田ちゃん、初日の課題が魚でなければそこで出してた。
潮田蜜柑(現時点1年生)
・美作との食戟の時の女の子
・美作の事は未だ悪感情を持っているが、美咲については多分誰よりも神格化してみている