私の付き人はストーカー   作:眠たい兎

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2019年10月11日 編集完了


八皿目 春の肴と牛スジ煮込み

 宿泊研修5日目夜、卒業生の料理を堪能した私達は各々久方ぶりの余裕ある休息を取っていた。もっとも半数は卒業生の料理で腰が砕けて未だ会場付近で休憩しているが。

 私はといえば早々に風呂を済ませると、厨房で食材と格闘していた。当然目的は卒業生の料理の再現、残念ながら食戟ではないので調味料の詳細が分からず見た目だけだが。

 

「⋯⋯それにしても美味かったな」

 

 思い出すと賛美の言葉が口から出るくらい美味かったのだ、【神の舌】にすら美味いと言わせる料理だ、遠月卒業生の格がよく分かる。私が何処までいけるか分からない、もしかすると卒業出来るかもしれないが、かなりの確率で中退だろう。

 

「これでも無い」

 

 先程まで必死に再現していたのは冷製牛脛肉のワイン煮だ。ワインがベースであり、野菜などの形が分かりやすく入っていた為もしやと思ったが故の選択だ。結果としては確かに美味い、ただ先程の物の出来には及ばないといったものだ。

 未完成のものだが捨てるのは勿体無いし、かといって私が食べるとこの後に響く。折角なので明日の朝にでも美作に食わせる事にしよう。一応美味いし。

 

「次は魚で行くか」

 

 処分待ちの冷蔵庫を開き鯛を取り出す、今更だが私は別に無断で厨房を使っているわけではない。明日には捨てられる食材を許可を取って使っているのだ。

 鯛をまな板に乗せると頭の中に『コレが本当のまな板の上の鯛』とか言う言葉がよぎり、『鯉だろ』とつっこみを入れつつ息を落ち着かせる。若干顔に笑いが漏れた気がしたがどうせ誰もいない深夜の厨房だ。

 

「ふっ」

 

 短く息を吐くと鱗を落とさずえらとヒレだけを削ぎ落とす、続けて内臓を取り出すと頭部を落とし三枚におろす。沸かした湯に中骨と頭部、昆布を放り込むと再び深呼吸をする。

 

ガタッ

 

「⋯⋯?」

 

 何か物音が聞こえたが、器具が倒れて大惨事なんて音では無かったので無視だ。鯛の背に沿うように、丁寧に素早く包丁を入れる。

 薄く数枚スライスすると白ワインに浸し、また半身を数秒湯に通すと細く切り紫蘇と共に数枚の小皿に盛り、上から生卵と乾燥大蒜、刻み葱を載せる。

 

「ふむ⋯⋯一つ貰ってもいいかね」

 

「「「「っ!?」」」」

 

 いつの間にか置いた小皿を手にしたシャペル先生がいた。何時からいたのか、なんでここに居るのかなど問い詰めたい所だが、胃袋が一つ増えたのは正直嬉しい所でもある。

 

「え、えぇ。感想を聞かせてもらえると嬉しいのですが」

 

「任せなさい」

 

 そう言うとシャペル先生は箸を手に取り、鯛ユッケ(仮)を口に運んでいく。

 

「ッ!ほぉ⋯⋯」

 

 一度驚いた顔をすると皿を置いて少し考えてから口を開いた。

 

「流石だな、鮮度はこの際無視するがそれを除いて二点ほどアドバイスをしておこう。先ず一つはやや塩がきつい様に思える、宿泊研修明け⋯⋯まだ最中か、だから丁度いいのかもしれないが。さて、もう一点だが⋯⋯」

 

 そう言うと出入り口の方を見る、釣られて見ると見覚えのある白い割烹着がのぞいていた。

 

「乾先輩⋯⋯?」

 

「試作をするのなら盗まれないよう気をつけなさい。今回は心配要らないが」

 

 とは言え先程食べた料理を再現していただけなので、盗まれるも何も無いのだが。そもそも盗んでいたのは私だ。見つかった乾先輩を筆頭に、堂島先輩、関守先輩、水原先輩、四宮先輩と私が今回試験を受けた面子がぞろぞろと出てくる。

 

「どうしたんです⋯⋯?」

 

「いや、少し話があってね、君が休憩するのを待っていたんだ」

 

 堂々と待てばいいし、そもそも堂島先輩程の人物が相手なら調理中でも手を止めて話を聞く。休憩の予定は当分無かったので何時間待つつもりだったのだろうか。

 

「ではお聞きしましょう」

 

「そつぎょっ!」

 

 四宮先輩に思いっきり足を踏まれた堂島先輩の口が止まる。

 

「堂島先輩、事前に順番は決まってます。ルールは守るべき。それで犬神、イタリア料理の修業をするつもりはない?」

 

「はぁ、それは勿論練習してますけど」

 

「卒業後にウチで働かない?なんなら中退してもいい」

 

 唐突な展開だが実に嬉しい申し出でもある、元十傑の店だ、得られるものも多いだろう。しかし私がそこに行っても大丈夫なのかと不安もある。

 

「私で良いんですか?大した戦力にもなりそうに無いのですが⋯⋯」

 

「そんな事は無い、少し修行すれば第一線でも戦力になれる」

 

 非常に嬉しい事ではあるがどう考えても過大評価だ、ただし蹴るには惜しい話だ。

 

「まだ今の私では正直実力不足です、遠月で暫く研鑽を積んでからお返事をしても構わないでしょうか?」

 

「勿論構わない、連絡先を交換しよう」

 

 そう言うとスマホを取り出し『RICE』のQRコードを開いてみせる。私もバックからスマホを取り出すと読み取りを行う。

 

「これで完了ですね」

 

 私の美作と家族しかいない登録者欄に『水原』の名前が追加される。これで5人だ、数年の時を経てやっと友達追加チュートリアルが終了の時を向かえたのは嬉しい限りだ。

 

「俺もいいか?」

 

「あ、私も追加しましょう」

 

 堂島先輩と乾先輩がそう言ってスマホの画面を見せ、四宮先輩が黙って読み込みを迫る。初日の印象が強く、未だ苦手(恐怖)意識が強いが、今回の合宿で唯一レシピを公開してくれた人であり、最も恩恵をもたらしてくれた人なので、最も感謝もしている。

 

「ん?関守はいいのか?」

 

「俺が機械弱いのは知ってるでしょうに、それに連絡先はもう渡してありますから」

 

 すっかり忘れていたが初日に教えてもらっていた、確かにこの人機械弱そうだ。

 

「なぁ、犬神」

 

 ふと四宮先輩が口を開く。この場でお前退学とか言われそうで正直怖い。

 

「はい」

 

「そう身構えるな、朝食作りの課題についてだ、あれは何だ?」

 

 そういえばお爺さんを除いて誰にも名前を言っていない(多分)し、クークーなんて料理を知っている人の方が稀だろう、日本人で知ってる人率何%くらいなのだろうか。

 

「クークーと言う中東の卵料理です、然程日本人受けする料理ではありませんけど」

 

「ほう⋯⋯って事はたった一晩でアレンジしたのか」

 

 頷きはするが、元々他人が考案した味付けから合う物を探しただけだ。ゼロから考案してのけて合格した人は化物だと思う、【神の舌】の友人とかその隣の編入生とか。そういえばいつの間にかシャペル先生がいない。

 

「さて、美咲君。先程から試作をしているようだが⋯⋯味見役等は募集していないか?」

 

「ッ!是非お願いします」

 

 願ったり叶ったりだ、この人たちの前で調理となると非常に胃が痛むが、本来なら【神の舌】とまでは行かずとも味見をしてもらい意見を貰うだけで財布の中身が空になる人達だ。むしろその程度の出費で済めばいい。

 

「っふ、暫く居座らせてもらうから調理に集中してくれ」

 

「ちょっと酒を取ってくる」

 

「私の分も」

 

「懐も器も広い四宮先輩ですから何も言わず私たちの分も持ってきてくれるはずです!私信じてます」

 

 席を立った四宮先輩が女性陣に集られている、3人の感覚では私は肴を作る事で確定しているのだろうか? 確かに今は鯛を調理しているけれど。

 堂島先輩と関守先輩は落ち着いて座ってくれているので、今はこの2人に期待だ。弱火にかけ続けていたあら煮を中火に切り替え、葱と生姜を載せて出す。流石にあら煮を人数分出すのは手間、と言うよりほぼ不可能なので自分でよそいで貰う事にする。

 

「おぉ⋯⋯あら煮か、四宮が帰ってくる前に片付けよう」

 

「昆布が白い⋯⋯」

 

 水原先輩が不思議そうに声を上げる、イタリア料理で昆布なんて滅多に使わないし、使うにしてもこの昆布は選ばないだろうので当然か。ただ逆に、乾先輩と関守先輩はすぐに気付いただろう。

 

「白板昆布か、よく知っていたな」

 

「やはり美咲ちゃんも私がお持ち帰りするべき⋯⋯でも水原先輩がもう美咲ちゃんにお持ち帰りされてたんでしたっけ?」

 

 先輩は要らない、と呟いた乾先輩の頭に拳が振り下ろされる。水原先輩は顔を真っ赤にしていたが⋯⋯運び方が気に入らなかったのだろうか。

 

「ふむ⋯⋯鯛の切り口といい調味といい見事だ、関守、何かあるか?」

 

「これは甘露醤油を使っているな? 非常に良く整えられているが、たまり醤油も使えばもっと味に深みが出るだろう」

 

 甘露醤油は山口原産、非常に香り高い事知られている。たまり醤油は東海地方で作られている、此方は濃い味であり、基本は刺身等に付けて食べられる。確かに醤油を混ぜるなんていう発想は無かったが、使いこなせれば新たな武器になるだろう、使いこなせれば。

 

「ありがとうございます」

 

 当然早々にメモをとり、後の研鑽対象にする。ワインとビールを抱えた四宮先輩が帰ってきて、既に8割方食されているあら煮に文句を言いながら確保した。

 白ワインに浸けていた薄切りの鯛はオールスパイスを振り掛け、バーナーで炙り紫蘇の葉に乗せて出す。

 

「ほう⋯⋯」

 

「ソーヴィニヨン・ブランのワイン⋯⋯しかも未熟、中々いいセンス」

 

「ただのお前の好みだろうが」

 

 生憎酒としてのワインはまだ分からないが、料理に使うならリースリングの方が使い勝手はいい。ただそれでは余りに普通、遠月では埋没しかねないので敢えての選択だ。青草っぽい香りが意外な事に紫蘇と喧嘩せず魚にも合う。

 

「⋯⋯美味いな、これは四宮と水原の分野か?」

 

「そうだな、とは言っても言える事といったら紫蘇の選択だな。この味付けならもっと若い葉を使うべきだ」

 

「強いて言うなら炙る際にもう少し火力が強くていい」

 

「はい」

 

 火力に関しては未だ門外漢(女)な自覚はあったが、確かに繊細な味付けなので癖の弱い葉を使うべきだろう。此方も要改善だ。あとはまぁ⋯⋯ワインの云々に関しては飲んだことが無いのでコレでいいのか怪しい。調味用より香りがいいから使ってるけど。

 最後の半身は布をかけ、上から熱湯をかける。

 

「「「「「ッ!?」」」」」

 

「身がグズグズになるぞ?」

 

「何のつもり」

 

 食材の無事を心配をするのが四宮先輩と水原先輩だ、以前の私も同じ反応をしたのが記憶に新しい。心の中でだが。

 

「何処まで幅広いんだ君は」

 

「やはり彼女の技術は日本料理ですね」

 

 やはり関守先輩と乾先輩には分かるらしい。関守先輩は普通にやっていそう、というか晩餐で確認済みだったが乾先輩も流石日本料理の第一線で働く料理人だ。

 これは湯霜造りといって、皮等を通して表面だけに熱を通す方法だ。その後はすかさず冷却し、酢飯と共に握る。湯霜造りについてだが、嘗ては温度の加減が出来ず何度もグズグズの魚が出来上がったものだ。その時大分火傷もした。

 

「「____!」」

 

「寿司の分野となるとそのまま専門家がいるな、どうだ?」

 

「魚に関しては文句なし、ただ酢飯に関しては大いに改善の余地があるな、握り方も。酢飯はそれぞれ魚に合う酢があるから憶えておきなさい、握り方は⋯⋯寿司職人基準だと中の下だな、固すぎる」

 

 流石は上の上に位置するスペシャリストだ、辛辣な様だがそれだけ要改善、そもそも発展途上なので然程ショックを受ける必要もあるまい。勿論必死に勉強するが、現状これが原因で退学は容易に起こりそうだし。

 これで鯛は全て使い切った訳だが、まだアドバイスの欲しい食材はある。今度はシラスを手に取り、湯に通して握る。今度は柔らかく隙間が出来る様にだ。

 

「なぁ関守サン⋯⋯俺がやったら確実にこのシラスは落ちると思うんだが」

 

「彼女の手付きはこう言っては何だがまだ拙い、それに特別な手法も使っていなかったようだが⋯⋯」

 

 巧くなればシラスをそのまま握れるかと言えば普通そんな事は無い筈だ、多分関守先輩の感覚がおかしい。

 

「しかし現に崩れていない、となると何か秘密があるのだろうよ。それに少し気になる匂いもするしな」

 

 そう言うと一口で口に放り込み、ピタリと固まってから咀嚼する。

 

「香りの正体は夏蜜柑か⋯⋯しかし夏蜜柑にシラスの強度を補完する力があったとは⋯⋯」

 

 信じられないといった顔をしているが、それもそのはずだ。夏蜜柑にそんな効果は無いのだから。

 

「そんな力はありませんよ、シラスの強度があるのは単に茹でる時間の問題です」

 

 なら皆短くすればいいではないかと思うが、それでは生のままとなってしまう。ただ、この抜け道として使用したのが湯冷ましを再加熱した湯を使う方法だ。一度加熱する事で水分中の空気を抜き、熱の伝導効率を上げる...と言うのはかつて先輩が誇らしげに言っていた事だ。

 

「へぇ⋯⋯湯冷ましですか?」

 

 普段の言動から生徒間で既に頭の悪い人のレッテルが張られている乾先輩であるが、時折鋭く【霧の女帝】らしさを見せる、黒木場君程では無いが変貌っぷりが凄いと思う。主にオーラ。

 

「なるほど、考えたな。次が楽しみだ」

 

「ワインがなくなるまでは付き合ってやる」

 

 有意義には違いないが心臓に悪いこの時間は乾先輩と四宮先輩が寝落ちるまで続き、最後は乾先輩を私が、四宮先輩を堂島先輩が部屋まで運んだ所で終了となった。手元に残ったのは山の様な改善点と言う名の宿題、それと彼らとのパイプだった。美作が起こしにくるまでの約2時間、死んだように寝た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に四宮を放り込んでから、椅子に腰掛けると彼女の料理に思いを馳せる。完成度の高い料理、卓越した技能、自分で言うのもなんだが著名人に囲まれても表情一つ変えないその胆力、どう考えても無名でいられる筈がない。

 

「勧誘もしたが大して響いてはいなかったな」

 

 普通なら有頂天になっても可笑しくない程の誘い、けれど彼女は終ぞ頷かなかった。名声に興味が無く、美味い料理を作る事だけを求めるあり方。

 

「城一郎の様な女、少し違うが」

 

 奴の様な破天荒さは持ち合わせていない、少なくとも人前での態度と言う意味では媚びる者、驕る者が多い遠月では珍しい良識人。ただ常識人とは言いがたいその感性は何処までも料理人なのだろう、難しい注文を受ければ武者震いをし、美味い料理の為には傷付く事も厭わない、才能に溺れず鍛錬を積み重ね、自分すらも排斥し料理と客のみの世界を作り上げるその姿はまさに包丁。

 

「まさに【神の包丁】」

 

 学園総帥自らが与えた彼女の称号、看板に偽りなし。【神の舌】にも比肩、否、抜いているかもしれない彼女が秋の選抜、スタジエールにおいて何を成し遂げてくれるのか、珍しく酒が回ったのか、浮ついた気分のまま眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出発の朝、平日ならば準備を済ませており、休日でも調理をしている時間になっても、美咲さんが現れない。彼女に限って体調不良は考え難いのだが、疲労が溜まってまだ寝ているのだろうか。彼女について考えると昨日の表情が思い出される、アレは本当にあったことなのか⋯⋯?

 

「なわけねーよな」

 

 頭を振って部屋をノックする、きっと疲労が原因の目の錯覚だ。『あ゛⋯⋯』なんて間違っても堅気の人間、もとい生きてる人間の上げていい声ではない地獄の番人の様な声が聞こえたが気のせいだろう。

 

「美咲さん、一応朝食の時間だぜ」

 

「⋯⋯そうか。少し待ってろ」

 

 10分と掛からず部屋から出てきた彼女は珍しい事に眠そうに、厨房に向かう。迷わずに一番遠くの厨房に向かうのには少し驚いたが、彼女の謎な言動には大概意味があるのはココ数週間で学んでいるので戸惑いはしない。

 

「美咲さん昨日は何時寝だ?」

 

「あー⋯⋯4時くらい」

 

「何してたんだよ」

 

 宿泊研修明けからそんな夜更かしをする者はそういない、一部トランプをすると張り切っていた連中もいたが、あの【神の舌】も寝落ちするほどのハードスケジュールだ。殺人的プランと言ってもいいだろう。

 

「料理の試作と、酒盛りの肴造り」

 

 遠い厨房に向かっている理由はそれらしい、というより宿泊研修の最後の晩まで試作をしているとは微塵も思わなかった。ただでさえ開いている実力差が、益々如何ともしがたいものになる気がして少し焦る。

 

「ここか」

 

 着いた厨房には集合場所や、宿泊している階との距離のせいか人はいないにもかかわらず、料理後の香りが漂っていた。大して嗅覚での判別に自信があるわけではないが、残る香辛料の香りの数からココで料理をしていたのが彼女なのはわかる。

 

「あぁ、美作は座っててくれ」

 

 手伝うぞと言おうとしたが彼女は冷蔵庫を開けると、ビーフシチューの様な物を取り出し持ってくる。どうやら昨晩作ったものらしく、出来合いのものが既にあったらしい。

 

「美咲さん、これは?」

 

「牛筋煮込み、流石に食いきれそうになかったからな」

 

 2人で手を合わせる。

 

「「いただきます」」

 

 中々に似合わない絵面だろうが、料理に関する事であれば遠月の生徒はしっかりとマナーを守る。一部例外は存在するが。腹も減っているので特に観察する事も無く口に運ぶ。

 

「______!?」

 

「え⋯⋯?」

 

 作った本人の疑問符にも気になるものがあるが、心構えをせずに口に運んだ事を激しく後悔した。口の中に入れた冷たいスジ肉は雪のように消え、ワインと野菜の爽やかな味わいが残る。口に入れた瞬間は肉の旨味が、次の瞬間には野菜の旨味が溢れかえるのだ。

 

「化物かよ⋯⋯」

 

 【神の包丁】の称号を持つ彼女の実力は、今現在の俺ではやはり足元にも及ばない事が分かった。調味センス、包丁捌き、熟成技術、どれを取っても高校生の次元ではない。

 

「ふむ⋯⋯まぁ食ったら行こう」

 

 作った本人なのもあるのだろうが、この料理をただの朝食感覚で処理するのはどうかと思う。しかし待たせるわけにはいかないので、可能な限り味わいつつ急いで食べる。

 

「さて、集合時間まで1時間と少しか⋯⋯」

 

「そうだな、やっと日常が帰ってくるぜ?」

 

 とは言え、一発退学が無いだけで通常授業でも躊躇無く退学を言い渡してくるのが遠月学園だ。暫くすればまた地獄の振るい落としが行われるのだろうし、そうすればこれ以上にきつい課題が待っているのだろう。

 

「日常⋯⋯か」

 

 随分と失意に満ちた声が聞こえた。恐らく失意の理由は現環境こそ彼女の料理を進める事が出来るが故、遠月の日常程度では得るものが特に無いのだろう。

 

「まぁ、薙切との約束もあるんだろ?っても結局は新戸とのか」

 

 よくよく考えれば薙切は起きて食べたら寝たので、彼女とは別に約束を取り付けてはいない。彼女に約束を取り付けたのは新戸の方だ、付き人としては先輩に当たる彼女はよくよく主人を理解していると思う。

 

「ふぅ、一旦部屋に帰ってシャワーでも浴びるか」

 

「それじゃ片付けは俺がやっとくぜ」

 

「頼んだ」

 

 そう言うと彼女は厨房から出て行く、片付けをすると言ったがこのまま鍋を洗うのは勿体無い。ゴムベラで綺麗にしてから洗おう、そう思って彼女の出した鍋の方を向く。

 

「は⋯⋯?」

 

 鍋が消えていた。何事かと思い室内を探し回ったのだが、結局鍋は見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美作と別れて自室に戻った私は、オートロックに加えてチェーンロックを掛けると服を脱ぎ、髪を上げてシャワーを浴びる。先程から気になってはいたのだが、一晩魚を捌き続けたので地味に魚臭い。

 

「普通の子だったらやっぱり香水とか持ってるものなのか?」

 

 シルエットだけなら女らしい、ただその実筋肉の塊のような体は、ここ数日で更に引きしまってしまったらしい。多分牛だったらスジ肉とかそんな扱いを受けているだろう。

 

「しかしあの寒気はなんなんだよ」

 

 寒気を感じたせいで、後片付けを美作に丸投げしてしまったのが心残りだ。やはり幽霊とかが徘徊しているのではなかろうか?

 

「にしても⋯⋯日常か」

 

 先程の美作とのやり取りを思い出す、彼との食戟以降、私の平穏な学園生活はもう帰らぬものとなった。故に日常といってもあくまで最近の日常と言うのが悲しいところだ。勿論美作に文句はないし、なにせ初めて連絡先を交換したり、授業を共にしたりする人物だ。感謝もしている。

 だが生まれは普通で、とりわけ自分だけの才能を持って遠月に入った訳ではない、凡人の代表選手のような私には些かハードすぎる気がするのだ。最近彼の所為か大物が私の周りに多い気がするし。

 

「まぁ、その分参考になる料理も増えたから差し引きプラスか」

 

 具体例は先程の煮込みだろう、まさか一番寝かせる事であそこまで美味くなるとは予想外だった。人といなければこの発見は無かった事だろう。

 石鹸を手につけ、体表を撫でるように泡だらけにすると、綺麗に流していく。私は地味にこの瞬間が好きだったりする。共感できる人少ないだろうけど。

 

「ふぅ⋯⋯にしてもこの邪魔なものは...どうにもならんよな」

 

 現状邪魔にしかならない重しに文句を言いながら身体を拭き、溜息交じりに腹筋を叩く。多分腹筋背筋の異常な発達具合は中華鍋の所為だ、利用頻度高いくせに重いから。

 着替えると携帯を確認すると早速通知が来ていた。美作以外の通知はほぼ初めてなので、少しわくわくするのはしょうがないだろう。通知が来ていたのは水原先輩で、昨晩はありがとうとの事だが、此方としても貴重な意見を貰っている上、材料費は全額学園の遠月グループの負担だ。

 

「さて、美作が来る前に荷造りをすませるか」

 

 丁度荷造りを済ませた頃に美作が来、その足で駐車場近辺の集合場所へと向かう。先輩方への挨拶を少しした時に聞いたのだが、四宮先輩は三ツ星を取りに行くつもりらしい。彼ならすんなりと取ってしまいそうだが、ここは素直に応援しておいた。帰りのバスは男女別故に美作と離れる結果になったが、なにはともあれ、無事退学を回避できて一安心である。




もともと二話分の話を一つに纏めました、その所為でちょっとつめつめ

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